訪問者
北の国境近くで尾根伝いに大規模な山狩りが行われた。もっとも、これは、囮である。山の尾根部分の傾斜には大規模な軍の展開が難しい。逃げる相手には、行き場のない谷へと追い詰めるのが戦の定石である。
大規模な捜索とは別に、少人数の捜索隊が密かに谷を探す。
アキたちは次第に追い詰められていった。危険をおかして国境を超えるか、この国にとどまるか。
「ヨワネ。君だけでも国境を越えて逃げろ。」
アキの言葉に彼はその黒い顔を横に振った。
「もう無理だ。つかまれば、奴隷になるか、死刑になるだけだ。」
彼らは小川の近くの空き家に身を潜めた。このあたりでは猟に出て、熊に襲われるものも少なくない。そこもそのようなものの家なのだろうか。
「ごめんください。」
若い女の声がした。
「わしが出よう。」
ヨワネが玄関へ向かう。
「なんのようじゃな?」
「空き家に人の気配がしたものですから。あなたは、この村のものではありませんね。」
粗末な着物を着た娘が恐る恐る聞き返した。
「ああ、山に薬草を取りに来たが、道に迷ってここに着いた。少し休ませてもらおうと思ってな。留守のようだったので、勝手に上がりこんで、家人を待たせてもらっていたところだ。」
ヨワネは気取られないように、冷静に対応した。
「そうでしたか。ですがここは空き家です。家人は猟に出たまま1年ほど帰ってきていないそうです。」
娘も若干顔をこわばらせながらも、やさしく話をつづけた。
「おひとりですか?ほかに、お仲間とかは?」
「病人が一人おってな。奥で休んでおる。うつるといかんので挨拶は遠慮願う。」
ヨワネは薬草の束を見せながら、それで奥の部屋の方を指した。
「そうですか。今、都からきた軍が反逆者を探しに大掛かりな山狩りをしています。もし、なにかお役にたてることがあれば遠慮なくおっしゃってください。このあたりの山は庭のようなものですから。」
女はそう言い残すと帰っていった。ヨワネは女の残り香に鼻をひくひくさせながら、彼女が見えなくなるまで見送った。
「集落のものか?」
アキの問いに、ヨワネは首をよこに振った。
「村人を装っちゃいるが、あれは街のものだ。やつからはじゃ香の匂いに混じって龍涎香の匂いがした。あれは、非常に高価な海のものだ。こんな山奥の娘がつけるような代物ではない。」