アシュレイの冒険
*
ママが新しいソファーを買ってきた。
弾力が最高だった。トランポリンみたいに跳ねる。
さっそく部屋を暗くしてクーラー全開、大音量でゾンビ映画を再生した。
スピーカーから来る叫び声をBGMに私はピザを齧る。
「ん~……!」
全てが噛み合って感極まる。
マーベラス!
これ以上ないくらい、最高の休日の過ごし方だった。
私はアシュレイ・ハドソン。
ピザとゾンビ映画が大好きな四歳。
いい歳ぶっこいてる癖に男の人と毎日毎晩遊んでるママとは最近微妙だけど、私には友達のステファニー(ぬいぐるみ)がいるし、ゲームもあるし、近所にお菓子屋さんがあるから全然平気。
つまんないことなんかなんにもないね。
*
『でもジェームズ、私怖いわ』
『大丈夫さアメリア、いざとなったら僕が命を張ってキミを助けるよ!』
『ジェームズ……!』
『アメリア……!』
『ジェームズ!』
『アメリア!』
8Kテレビの中で二人の男女が話していた。ゾンビに追われている身なのに服を脱ぎ出し、行為に及ぶ。
どんな展開だ。
なんだこの映画は。
冒涜だ、これは冒涜だ。ゾンビに対する冒涜だ!
なんて不愉快な!
「××××!(汚い言葉)」
ここだけ早送りしようと、ソファーに寝た姿勢で机の上に手を這わす。リモコンが見つからないと思ったら腰の辺りでそれっぽい感触がして、クッションの隙間に何かが落っこちた。
「あー……」
めんどくさいな。きっとリモコンだ。
私はクッションの隙間に腕を突っ込んだ。
ことのほかクッションの隙間は深く、なかなか底に手がつかない。最終的には上半身丸ごと入り、殆ど『潜る』感じでリモコンに手を伸ばした。
けれど指先は底に届かなかった。
……なんかおかしいな。
思い切って全身を隙間にねじ込んだ。驚くほどすっぽりと収まり、そして依然、ソファーの底に手が届かない。
「さすがにおかしくない……?」
ソファーの高さから考えて絶対におかしい。ソファーが私の背より高いわけがない。
――と思った矢先、するりと抵抗なく身体が沈んだ。
下の方ほどソファーとクッションの圧迫が弱いらしい。するりと落ちる。
するりと、身体が沈んでいく。
ちょっとこれはと、私は不安になった。まさかと思うが、このままもっと深くソファーの隙間に落ちて、戻って来られなくなるんじゃ……
「いやいやいや……」
そうはいっても落ちる落ちる。
「え、え……」
するりするりと深く、深く、深く。
ついには完全に抵抗がなくなった。
「う、嘘……!?」
落ちる、落ちる、落ちる。
真下に延々と続くソファーの隙間を落ち続けた。
真っ暗で何も見えず、ふわふわがすごい速さで身体をこすっていく。
「うぇぇぇえええええええ!? 熱ちちちちちちッ」
もう落下だった。
クッションの表面はつるつるしてて掴むことができないし、挟まれてる状態なので体勢をどうこうすることが難しい。
ソファーの隙間を落ちること数十秒、暗かった視界が一気に開けた。
隙間から「抜け落ちて」、私は目を疑った。
空に放り出されていた。
「ぶゎぁぁああかぁぁあああなぁぁぁああああああ――!?」
眼下に広がる海、
水平線、
輝く波、
船、
身体が回転して空中で仰向けになり、
眩い光、
太陽、
雲一つない透き通った青、
にできた黒い亀裂。
頭が真っ白になった。暑い日が肌を焼くのも、薄い空気も、舞い上がる髪も、上も下も、何もかもが全部全部、わかんなくなる。
「――――」
声にならない悲鳴を最後に、私は海に落っこちた。
*
ママは有名な人形作家だ。
リオ・ハドソンといえば、その筋の頂点に君臨するトップオブエリート。ブランドものの様々なドールコレクション、劇場や映画などで小道具を担当したりしてるすごい人なのだ。
私の持ってる縫い包み・ステファニーもママが作った。ママはなんでも作れる。そのせいか私とは全然遊んでくれなかった。ママが笑ってるのは大体何か作ってるとき、あと人形の目玉を選んでいるときぐらいだ。
初めて話した日はあんなに喜んでくれたのに、四年も経てば態度も変わる。
ちっとも私に興味を示さなくなった。寂しいけどしょうがない。きっと時間のせいなのだ。
塩水を吐き出した。
*
「げほっ、がほっ、ゴェ――ッ、コォ―……だぁ、はぁっ……」
背中に網があって、それが髪に絡まってた。
口の中が塩辛い。喉痛い。目を閉じてるのに眩しい。日の光に晒されてる。
「ううっ……」
地面が揺れてる――海面に叩きつけられた激痛がフラッシュバックした。
「ぐぅッ……」
頭がぐるぐるして、人の気配。
声。
目蓋を上げると、海賊の格好をした子たちが私を囲んでいた。
「…………え、ええー」
何この状況。
床にはなぜか大量の時計が散らばっている。
何この時計? なんでこんなにいっぱいあるの……?
視界に海。
なんか船っぽい。
海賊船……?
いや、何この状況。
落ち着け私、アシュレイ・ハドソン。私はどうした? 確かソファーの隙間に落ちたリモコンを取ろうとして、そう、ソファーの隙間に落っこちたんだ。
どういうことだ。
「いや、わかるよ、気が動転するのも、でも落ち着いてね」
海賊の格好した女の子が、私を宥めるように言う。
「みんなも落っこちてきたの、元の世界から。いやわかるよ? でもホントなの」
「……ここ、どこ」
「わかんない」
「元の世界って、何……?」
「ここは異世界なんだ」
「××××ッ……!!(汚い言葉)」
一体全体なんだっていうんだ!
それにもっとわからないものが、ようやく目につく。
海賊の格好をした人たちの頭上には、それぞれいくつもの数字が並んでいた。空中に投影されてる?
「えっと、その…………どうやったら元の場所に帰れるの?」
「わからん。ただ頭の数字が0になったやつは消えるんだ。このカウンターは寿命だと思う。キャプテンのフランソワだ、よろしくな」
リーダーっぽい男の子、自称キャプテンのフランソワが答えた。
彼の頭には【1438:57】と出ていて、右の数字が一秒間隔で減ってってる。とすると上の数は残り何分かってことかな。一時間六十分だから…………ざっと計算してみて、このフランソワはあと一日ほどで死んでしまうことになる。
「船っぽいけどここ、どこかの島に行ったりするの……?」
「おうよ、いまもその最中さ。俺ぁザナジー、よろしくな」
次に答えたのはザナジーというでかい男の子。
「どんな島に行くの?」
「美味い肉がたらふく食えるところよ」
「……? 海だから魚ばっかり食べてるの?」
「だったらよかったんだがなあ」「ねー」
周りの子たちは苦笑した。
海賊船にいる女の子、カレンとジーラからは海賊っぽい服を渡された。
「何これ」
「不思議なことにね、人が来るとクローゼットにキュポって服が出てくるの。たぶんこれがあなたの服なんだよ」
「あのさ、だから、どういうことなの?」
「さあ? あたしらにもわかんない」
わからないことばっかりなんだなあ。
ランチタイムになったそうだ。
テーブルに並ぶいくつものお皿、その上にあるのはお肉でもお野菜でもお魚でも、ましてやライスでもバケットでもなく、時計だった。
時計。
私と一緒に網にかかってた時計が、お皿の上に載っかっていた。
海水は拭き取られているようだが、こんどこそどういうことなんだ……!
「その、なんなのこれは? なんでお皿の上に、時計が?」
「食べるんだよ」
「何言ってるの?」
「この世界の時計は食べられるんだぜ」
ザナジーが誇らしげに笑った。「少し硬いゼリーってところだな」
「これが……?」
時計を一つつまんで材質を確かめる。
「ブリキ製なんだけど……こんな固いの噛み切れるはずないんじゃ……」
「この世界では時計を食べると頭の上の数字が増えるんだ。時計によって増える数字はまちまち。飽きなければ美味いし、いまは他に食べるものがない。食べなきゃ消えるだけさ」
パキパキと時計の部品を千切り、口に運ぶフラン……ソワ。
……えっと、つまり?
この世界では、時計を食べることができる。
時計を食べると、この世界にいられる時間が多くなる……?
「それじゃあ新入り、食事んときの挨拶を覚えておくように。ウチでは大事な習慣なんだ。ジーラ」
「――時間は」
「「「限りあり!!」」」
「か、カギリアリ……?」
みんなお皿の上の時計をバリボリ食べ始めた。
え、何さっきの挨拶。近所のお婆ちゃんもご飯の前に神様にお祈りしてたけどああいうやつなのかな。
「ほら、あなたも食べなさいよ」
「ええー……」
私は恐る恐る、上を見た。
やはり私の頭上にも、よくわかんない数字、タイムリミットのようなものが表示されてる。
【538:43】
大体、九時間ないぐらい。
「…………」
私の前のお皿には、小さな丸っこい目覚まし時計がある。プラスチック製だ。顎の力以前に歯が立つかどうか。
「ガブリといっちまえ」
「そんなに硬くないから」
「大丈夫大丈夫」
「慣れちゃえば美味しいよ」
「さあ新入り、いけ」
私は思い切って、目覚まし時計に噛みついた。
パキッ、と薄いコーティングが割れて、クニャクニャした歯触りと甘い汁が口の中に広がる。なんだか知ってる味だった。
なんだろう……汁気といい、味といい……
「どうだ」
「美味しい?」
「…………ナタデココ」
ゴクリ。
のど越しまで、目覚まし時計はナタデココだった。
頭上の数字が、いくらか増えていた。
「おい新入り、お前部屋決まったか?」
「私アシュレイ。あなたこそ名前なんだったっけ? 船越英一ろ――」
「フランソワだ。俺のことはキャプテンと呼べ」
「誰にも呼ばれてなかったじゃないの……そんなことより、どうやったらここから帰れるのか教えて、早く」
「だからわからないっつっただろーが聞いてなかったのかカス野郎が。部屋決まってなかったらカレンとジーラんところ行け。廊下の一番奥の部屋だ」
そう言ってフラン……フナム、ソワは顎をしゃくってどこかへ行ってしまった。
不親切なキャプテンだ。
言われた通り一番奥の部屋へ行くと、パジャマに着替えたカレンとジーラがいた。
二人とも変なポーズで片足立ちしている。
「もしかしてヨガ?」
「「ヨガ」」
「あの、キャプテンの人にこの部屋に行けって言われたんだけど」
「ああ、ベッド空いてるからね。そっち適当に使って」「よろしくねアシュリー」
「こちらこそよろしく。二人はこの船に来て長いの?」
「三ヶ月ぐらい」「もっとかな?」
「ふーん……パソコンもゲームもなくて平気? 食べものもいっつも時計なの?」
「そうだね」「まあ慣れだから」
片足立ちで伸びをするカレンとジーラ。
食事がずっとナタデココで三ヶ月も……
私には無理だ、早々に帰る方法を見つけないと!
「ぅし終わり、特にすることもないし寝ちゃおっか」
「だね。あ、アシュリー、あなた暗くなくても眠れる? あたしたちいつも常夜灯つけて寝てるから」
「ああうん、大丈夫」
「そ。じゃおやすみ」「おやすみー」
「おやすみなさい」
この子たちには女子トークという文化がないみたいだ。よかった。私したことないからちょっと心配だったけど、そんなの実はないのかもしれない。
ベッドが埃っぽくてかなり嫌だったけど、今日のところはと諦めて寝そべった。
……どうやったら帰れるんだろう。
*
カ―ンカーンカーンカーン!! と鐘が鳴っていた。まだ夜だった。
『――が来たぞぉ!! ――が来たぞぉ!!』
ぞわり。
全身の毛が逆立ち、ハッとなってベッドから跳ね起きる。
何度も瞬きをして視界を晴らすと、カレンとジーラが枕元の壁をドガッて叩いた。
次の瞬間その部分が倒れて、なんかアサルトライフルみたいな、長い銃が出てくる。
「え、何、敵っ!? 敵が来たの!?」
「アシュリーも銃!」「甲板に集合だから!!」
二人とも大急ぎで部屋を出て行ってしまい、見様見真似で私も壁をぶっ叩いた。
「痛ってッ!!」
注意深く壁を見ると、押すと出てくる仕掛けになってる部分があった。
「……ええー」
強く叩くと、やっぱり銃が出てきた。
長い。マガジンもでかい。銃だ。
部屋の外から銃声が聞こえてきた。
ドガガガガガガガッ、って感じがズガガガガガガッ、って!
「ひぃッ!?」
そう遠くない銃声で全身が強張る。
一体何が来たっていうの、何が……!
ひとまず銃を持ち上げ、ゾンビ映画の知識で弾がちゃんと装填されてるかチェックした。次の瞬間にも何かがここまでやってくるかもしれない。
私は銃を構え、甲板へ向かった。
銃声に近づくにつれ動悸が激しくなっていく。怖い、怖い、怖い。
「撃て撃て撃てぇ――ッ!!」
「撃ち落とせぇぇぇええぇぇえッ!!」
「このッ、このッ!! クソッ、おい弾ぁッ!!」
「当ったんなッ、クソが!!」「しぶといなあもう!!」
降りしきる雪。
鳴り響く鈴。
空を駆ける四足の異形。
赤い姿。
老人。
「サンタクロースだ……!」
「殺せぇ――!!」「死ねぇぇええッ!!」
「やめなよみんなっ、プレゼントもらえなくなっちゃうよ!?」
「さっさと撃てぇぇぇぇええ!!」
「えぇぇええ!?」
トナカイの引くそりに乗り、空を飛んでいる。そんなもので飛ぶな!
アレはサンタクロースじゃなければ一体なんなのか……
それをアサルトライフルで撃ち落とすだなんて、どうかしてるとしか思えない。今年のプレゼントがもらえなくなっちゃうだろうし、こんな銃で対空射撃の有効範囲かも怪しいのに。
「早くッ、おい新入りッ!!」
「ええっ、でもだってサンタクロ――」
「いいから撃てぇぇええええッ!!」
「えぇぇえええッ!?」
勢いに乗せられ、私は構えた。サンタクロースの移動先を予測し、速さに合わせて照準を定める。みんなが同じ型の銃で連射できてたから私のもフルオートでぶっぱなせるはず。わかんないけど。反動でズレることも想定して大雑把に狙いを決めた。
「ん?」
安全装置が下りていた。外した。
「今年はプラネタリウムのプロジェクターが欲しいぃぃいいッ!!!!」
欲しいものを夜空に叫び、引き金に指をかけた。
トナカイの頭がガバッてなった。
「ふぁー、堪んねえなあオイ」
「キャンディシガーなんて超久し振り……ああー、キまるぜ」
誰かが撃ち落としたサンタクロースは、大量の『キャンディシガー』というものを落としていった。私にはキャンディケイン(赤と白の、杖みたいな形したシマシマのキャンディー)にしか見えないけど、煙草とかマリファナと同じ感じらしい。
「新入りが来た日にサンタクロースが来るなんて」「幸先がいいね、へへへっ……」
「うう……」
胸焼けのする甘臭い煙が、船内に充満していた。
みんながキャンディシガーに火ぃつけて吸ってるのだ。気持ち悪くなってくる。
船の中の煙がもう、すごい。
臭い。
「おぇ……」
ママが言ってた。
男の人はカッコつけて煙草吸ってるうちは可愛いけど、煙草やクスリに取りつかれてるようなら一旦距離をおきなさい、って。
この船には、男の子も女の子もいる。
みんな顔がトロンてしてて、誰に見られてるかなんてどうでもよさそうに煙を吸い込んでた。よっぽどキャンディシガーが好きらしい。
「すぅー、ふぅ……ああー」「ん甘ぇー、最っ高ぉー」
「うっ……」
部屋に戻ると、カレンとジーラもキャンディシガーを吸っていた。
臭い。
甘い臭いがすごい……
「ね、ねえ、窓開けていい?」
「どうぞ。あ、これアシュリーの分ね」
ジーラがキャンディシガーが五、六本入った小袋を差し出してきた。
「火ぃここのロウソク使って」
「いや私は……私はいいや、カレンと二人で分けて」
「ええー、アシュリーも吸おうよー美味しいよー?」「この良さがわかんないなんて可哀想に。ほんとにもらっちゃうからね? サンタクロース見かけるなんて滅多にないんだから」
「うん。おやすみ……」
そもそもサンタクロースにあんなバンバン発砲しちゃだめなんじゃ……カレンもジーラも、今年のクリスマスにプレゼントもらえなくなってもいいのかな……?
あ、私もだ……
*
日が昇って、朝が来た。
やっぱり船の中はキャンディシガーの臭いが残ってるし、部屋のカレンとジーラはすごく疲れた顔のままベッドから起き上がって来ない。
「んー……」
朝は口の中カラッカラだし喉も乾く。
お日様の傾きを見るに、なんだかんだお昼ぐらいになったかもしれない。
「ぐぅー……うー」「気持ち悪い……アシュリー、ごめんお水持ってきてー……」
「ああうん、わかった」
寝不足ってだけじゃない不調が、みんなの顔にあった。
部屋から出てきてる子も少なかったし、出てきてる子も苦しそうな顔してる。
「なんでみんな二日酔いみたいになってるんだろ……」
「吸い過ぎたんだろ」
コップに水を入れてると、大きな身体が視界に入り込んできた。
ザナジーだ。
「おはようザナジー」
「おう。アシュレイっつったっけ? お前は平気か?」
「私アレ吸ってないから」
「まあ『こっち』にしかねえもんだからな。初めのうちはわけわかんねえだろうな」
「やっぱりあのキャンディシガーってやばいもんなの? マリファナとかクリスタルメスみたいな?」
「いや、酒みたいなもんだ、心配すんな……しっかしどうすっかな、今日中には肉島に到着するんだが……」
「肉島?」
ザナジーが気持ち悪い単語を口にした。
肉、島。
ミートアイランド。
「何それ……?」
「行けば肉がもらえるんだ」
「……へえ。お肉もらえるんだ。それで?」
「おまっ、新入りだからって想像つくだろ? 俺らいっつも時計食ってんだぞ、来る日も来る日も網にかかった時計ばっか。肉っつったらご馳走なんだよ!」
「ああ……」
そういえば昨日時計食べたな。
ナタデココの味だった。
毎日ナタデココか……やだな。
そりゃお肉食べれるってなったらちょっとしたことか。
「でもそれで、何が困るの?」
「他の連中、キャンディシガーの吸い過ぎで潰れてんだろ? 錨下ろしたりボードで島まで行ったり、少なくとも一人じゃめんどいわけよ」
「なるほど」
カレンとジーラはキャンディシガーの吸い過ぎで潰れてるし、他のみんなも同じだ。
人手がない。
それで肉島でお肉もらってくるのが難しそうと。ふむふむ。
「あれ? ザナジーはどうして苦しそうじゃないの? キャンディシガー吸わなかったの?」
「リーダー風吹かしてるやつに半分盗られてな……」
「ふぅん、フナ、フナコフ……船越英一ろ――あいつに盗られちゃったからザナジーは平気なわけね。納得した」
「でだ、来て早々で悪いんだが、手伝ってもらえるか?」
「もちろん。とっとと味噌っかすを卒業しなくっちゃ」
ふふんと鼻を鳴らし、私はジーラに水を届けてきた。
錨下ろすの手伝って手の皮剥けたし、しかも島までボートで行くことになった。
味噌っかすのままでいい。
私はもう働きたくないんだ!
「どうして船で行けないの!? ボート!! ボート漕ぐって、え、疲れるんだよ!? もしかしてザナジー、知らなかったの!?」
「肉島には港がねえ。下手に上陸しようとして船底ぶつけたらどうすんだよ」
「だからってわざわざ、ボートって、ねえ!」
「つべこべ言うな」
「だって、無理だよっ、私にそんな力あるように見える? アベンジャーズじゃないんだから……」
なんやかんや。
私とザナジーは、二人仲良く肉島までオールをぶん回したのであった。
荷台を載せたボートは重かった。
肉島の浜辺に到着。
実のなってないヤシの木とかサラっサラの砂浜とか、すごい海に来たって感じ。海っていうか島なんだけど。
つーか暑い。日差しがすごい。温暖気候。
そうでなくても腕痛くなるくらいボートを漕いできたもんだから、汗、汗が……
汗が、すんごい。
「だぁ、はぁ……疲れた、ザナジー、お肉ってどうやったらもらえるの……?」
「少し行ったところに爺さんがいてな、クイズに正解すると肉を山ほどくれるんだ」
「そんな怪しいお爺さんがくれる肉をよく食べられたね」
「時計ばっかりよりマシだ」
「ああ」
毎日時計だもんね……
「行くぞ」
「ああ、うん」
ふと思った。
「ところでさ、ザナジーってこっち来てどのぐらい経つの?」
「どのぐらい……んー」
ザナジーの頭上の数字は【11878:21】。時計を一つ食べてどのくらい時間が増えるかわかんないけど、彼の数字の多さは見た限り船一番だった。よっぽど時計を食べたのか、時計より数字が増えるものを食べたのか。
「わかんねえ。三年ぐらい?」
「さん――そんなに!? 帰りたいって思わないのっ!?」
「別に。帰ってもいいことなんてないしな」
「あるでしょ、ピザとかゾンビ映画とかクーラーガンガンの部屋で毛布被ってゾンビ映画見ながらピザを食べるとかっ!」
「……。そんなのの何がいいんだ?」
「え?」
彼とは越えられない壁を感じた。
二人で荷台を引きながら島の中心へ道なりに歩いていくと、森の奥のコケの生えた岩の前に、なんかお爺さんが立っていた。
「朝は四本、昼は二本、夜は三本、なーんだ?」
…………。
頭おかしいお爺さんのようだ。
「ザナジー、お肉くれるお爺さんてこの人?」
「そうだ。爺さん、答えは『煙草の本数』だ。朝は四本吸う、昼は二本、夜は三本だ」
「は? 煙草の本数である必然性を教えとくれ、テルミー、テルミーテルミー!!」
怖い怖い怖い怖いっ。
お爺さんはテルミーテルミー言いながらザナジーに押し寄せてきた。こう、一人なのに「押し寄せてきた」って感じの迫り方だった。
「テルミー、テルミーテルミーテルミー!!」
「だーッ、ストップストップ! 『朝は四本、昼は二本、夜は三本』って、有名なスフィンクスの謎かけだろ?」
「ねえザナジー、スフィンクスの謎かけって何?」
「ああ? 知らねえの? こう、赤ん坊は四つん這いで進むから『四本』、大人は立って歩くから『二本』、老人は杖をついて歩くから『三本』、人間の一生を朝、昼、夜に例えてるっつーわけ」
「??? なんで朝が四つん這いで昼間は立って夜中は杖つくの? え? 一生ってどういうこと? なんでその、スフィンクスの謎かけに煙草が関係してくるの? あと問題にスフィンクス関係してなくない?」
「テルミーテルミー!!」
私とお爺さんが詰め寄ると、ザナジーは爆発した。
「う、うるせぇぇええ――!!」
「「ぎやぁぁあああぁぁああッ!!」」
爆炎で周囲が燃え、煙とか砂とか目に飛んできてすごく痛かった。
こいつ、絶対、人間じゃないッ!!
「目ぇ痛っ、ちょっとザナジー!! 爆発しないでよっ!!」
「クイズに正解しなきゃ肉はやれん――」
ザナジーはお爺さんをぶん殴った。お爺さんが終わった。
岩の裏にビニールで包装された肉が積まれていて、私とザナジーは荷台いっぱいにそれを詰め、燃える森をあとにした。
ザナジーは爆発するし目は痛いし、散々だ!
「あー、随分肉持ってきちまったな……こりゃ往復しないとだめかもしんねえ」
「ええー、行きも大丈夫だったしイケるでしょ。荷台載っててもなんとか上陸できたし」
「荷台載ってたから来るとき大変だったんだろーが。おい、一旦半分だけ持ち帰る。お前は肉が盗まれないよう見張っといてくれ」
「あ、わかったー! ザナジーは新入りの私に嫉妬して、私をこの島に置いてく気だなー? わかっちゃうんだからねー」
彼は私を無視し、ボートのオールをせこせこと回し出した。
イラっとした。
「――――うう、助けてくれ……寒い、寒いぃ……」
どこからか声がした。
波の音でかき消されそうなその声の方へ行くと、岩場の影で死角になっていたところに、その人は倒れていた。
真っ赤な衣装。
恰幅のいい身体。
老人。
「サンタクロースだ……」
きっと昨日私たちが撃ち落としたサンタクロースだ。
すごく気まずい。知ってると思って映画のネタバレをしちゃったのと同じぐらい気まずい。
そりもなければトナカイもいない。ああそうだ、トナカイ頭がパァンてしてたじゃん。
「ね、ねえ、大丈夫……?」
サンタクロースはぐったりしていた。
でも、少なくともさっき声がした。生きてはいるんだ……!
ひとまずサンタクロースを波打ち際から引き上げ、近くの森から乾いた枝を何本も拾ってきた。森の奥はさっきザナジーが爆発したのでまだ燃えていて、火を用意する手間が省けた。
「え、死なないよねサンタクロース、大丈夫だよねサンタクロース……!?」
びしょ濡れの赤い上着をうんとこしょと脱がせ、サンタクロースのご存命を心より願う。
「ううっ、げほっ、ごほっ、おぇぇぇえー……」
「うわっ起きた!?」
お目覚めのようだった。
「うう……ここは、一体……」
「えっと……肉島、だって」
「肉島……そうか、ワタシは海賊に撃ち落されて……あいつには悪いことをした。暗い夜道はピカピカのお前の鼻が役に立つなんて言ってしまったばっかりに……まあいいか」
トナカイに?
ほんとに言ったのそれ?
「あー……大丈夫? サンタクロース」
「ああ、ありがとうお嬢ちゃん。できればお名前を教えてもらえるかい? いますぐにとはいかないが、いい子にはプレゼントをあげるって決まりがあるんだ。何か、欲しいものはないかな……?」
やめてー……
あなたのトナカイ撃ち落としたの私かもしれないのにー……
もっというと私、あなたにアサルトライフルぶっ放しちゃったからそういうのやめてー……
「いや、ほんと大丈夫なんで、ほんと……あ、ほら、火ぃ起こしといたから服乾かせるよ。今日はお日様も強いし、早く乾くよきっと」
「ありがとう。本当にいいのかい?」
「大丈夫、ほんと大丈夫だからっ」
私思いっきり海賊の格好してるけど、ほんとにバレてないのかな?
このサンタクロース、さては天然だな?
「あのっ、私友達を待たせてて、だから行くね。元気でね」
「助かったよお嬢ちゃん、さよなら」
海の方へ戻ると、ザナジーがゼーハー言いながらボートを漕いできていた。
「お、おいアシュレイ、もう二往復――」
「帰る帰る帰る帰るっ」
急いで荷台ごと全部お肉をボートに載せる。
水がバシャーン! しぶきパラパラパラー!! 服すごい濡れたけどそんな場合じゃない! やばいんだって!
「おいバカっ、肉だけならまだしも荷台ごとなんて無理だ、途中で強い波にやられたらひっくり返るだろーが!」
「うるせぇザナジーバーカッ! 急いでボート漕げアホタレッ、お前のママはそんなことも教えてくれなかったのか!? いいから行けってんだよッ!!」
「ヘイどうしたアシュリー、母親のことは言うな」
「サンタクロース、サンタクロースが――」
「なんだと!?」
ザナジーは腰のナイフを抜いた。
「うわぁぁぁあああ!? だめだめ向こうは手負いなの! たぶん昨日私たちが撃ち落としたサンタクロースだからぁー!!」
「問題ねえ、俺ぁキャンディシガーを吸い足りてねえんでな」
「何も持ってなかったって!! 下手に刺激して仲間でも呼ばれたらどうすんの!? そもそも知らないお爺さんに何する気!?」
「サンタクロースに仲間だと? どんなやつだ、何人いる?」
「知らないよ!!」
私はザナジーからオールを取り上げた。バッシャバッシャ漕いだ。腕がすごく痛くなって、でもすぐ後ろの方にいるサンタクロースが怖くて怖くて頑張って漕いだ。
今年のプレゼントなんかどうだっていい。
帰りたい。
なんかもう、いますぐ家に帰りたい……!
「だぁ、がぁ、はぁ……ああー……」
すごい疲れた。
頭がぐるぐるする。水飲みたい……
「おいアシュレイ、そろそろ時計食っとけ」
「なん、なんで……?」
船の甲板で疲れ果てた私に、ザナジーが時計を持ってきた。
「時計なんかより、水、持ってきて……」
「頭の上の数字見てみろ」
「ええー……?」
倒れたまま、頭のてっぺんを床にこするよう数字を見た。
――【21:47】
あと二十分!?
時計食べたしもっと増えてるもんだと思ってた。
「水持ってきてやるから先時計食っとけ」ザナジーが時計を放ってきた。
「わ、わかった……」
自分の頭より大きな掛け時計に噛り付く。パラパラと欠片が膝に落ちた。
丸々一つ食べ終わると、私の数字は【400:11】になっていた。
頭の数字が0になると「消える」。
みんなからはそう聞いている。時計によっては増える数字がまちまちとも。
つまり今夜ぐっすり眠るためには、時計いっぱい食べて頭の上の数を多くしとかないといけないってわけだ。
今日はお肉を島から持って帰ってきたけど、お肉でも数字は増えるのかな?
どうなんだろう。
「よお新入り、ザナジーから聞いた。お前来たばっかなのに肉島で大暴れしたらしいな」
「フワン、フワ、フナ、船越英い――」
「フランソワだっつってんだろ!? なんだそのフナムシとかいうのは、ふざけるな!」
「肉島で暴れたり爆発したのザナジーだよ、クイズのお爺さんもぶん殴っちゃってたし」
「はあ!? 次来るとき肉もらえねえかもしんねえじゃねえか、マジで? おいザナジー、ザナジー!!」
フナム、フワ、フナ……キャプテンは目を剥いて廊下を走っていった。
あのお爺さんが終わったから、お肉はもう二度ともらえないと思った。
*
「時間は――」
「「「限りあり!」」」
「か、カギリアリ!」
ほんとなんなんだろうか、この挨拶は。
「ねえあのさ、最初も思ったんだけどこの挨拶何?」
「頭の数字が減ってってるでしょ? 残り時間を大切にしましょうねっていう」「ほら、いつか人生終わるわけだし、なんかこう、ね? 意味のある時間を過ごしましょう、みたいな」
「『時は金なり(タイムイズマネー)』的な?」
まあ挨拶に深い意味なんてないと思うけど。
「でね……うん」
肉島でもらったお肉は、不思議な形をしていた。
こう、アニメーションとかコミックでよく見るような「あのお肉」だった。骨が剥き出しで、スペアリブとかフライドチキンとはまた違った骨付き肉だ。
これが見た目からは考えられないぐらい美味しくて、船では取り合いだった。
「フランソワてめぇ昨日俺のキャンディシガー勝手に盗った上で肉まで奪おうってか? ふざけんじゃねえ!!」
「ふざけてなんかいねえよッ、ザナジーお前こそ肉島で爆発したんだってな。次肉もらえなかったらどうするつもりだ、ええ!? それを不問にしてやろうっていう俺の気遣いをな――」
「ジーラ、いまのうちに」「あいあい」
「ねえカレン、ジーラ、やめなよ」
「安心して、アシュリーの分も盗ってくるから……!」「あたしたちに任せて……!」
そんな心配はしちゃいない。
みんなが肉をもさもさ食う傍ら、私は時計をバリボリと頬張った。
なんとか頭の数字を九百分まで増やすことができ、船内がわちゃわちゃする中、お腹一杯、シャワーも浴びて、その日は存分にベッドの中で眠りにつけた。
*
なんだかんだ、こっちの世界にも大分馴染んできた。
この前なんか、網を使って海からたくさんの時計を引き上げた。
「すごいすごいっ! こんなに時計が、なんで網に引っかかるの!? っていうか海から、なんで時計がっ!?」
「いいじゃないのアシュリー、食べれるんだから」「そうそう、難しいことは考えないの」
「カレンとジーラは気にならないの? 海からこんなたくさん時計が採れるって、おかしいじゃん! 変だよ変!」
「あたしたちからするといまさらなんだよなあ」「どうでもよくなり申した」
「ええー……」
まあ、こんな状況を受け入れた上でとやかく言うもんでもないか。
そういうことを気にし出したら、「なんでソファーの隙間に落ちたら変な世界にいるの?」っていうのが真っ先に来る。狂ってる。
慣れなきゃ。
「ねえアシュレイ、アシュレイはよく帰りたい帰りたいって言ってるよね?」
「そうだね」
ランチが終わったあと、アンドルーと後片付けしてたらそんな風に話しかけられた。
「どうしてなの? もしかしてアシュレイ、両親に会いたいの?」
「別にそういうわけじゃ……ほら、こっちってテレビもないし、ゲームもないし、ゾンビ映画もピザもないでしょ? あと私、パパいないし。あ、ママはいるよ」
「殺したの!?」
「まさか! いないだけだよ」
「そう。羨ましいな……父親なんて苦しんで死んで然るべき存在がいないなんて」
「へ、へえ……ははっ」
はははっ、と作り笑いして話を変えようと試みる。
一体何があれば他人の父親まで嫌いになるんだろう……
「そ、そういえば不思議とみんな、帰りたいって言わないよね。自分の家に帰るの諦めちゃってるのかな?」
「帰りたくないんじゃないの?」
「え? どうして?」
「ザナジーは毎日勉強付けで滅多に遊べないから帰りたくないって言ってたし、カレンとジーラは義理の姉妹で、両親がいっつも喧嘩してて怖いんだって。他のみんなも親とか兄弟にいじめられたりしてる。ぼくもだ。帰りたいやつなんて一人もいないよ。アシュレイ以外は」
「ふぅん……」
みんな結構大変なんだな……
普通に生まれてくればそういうこともあるんだろうけど。
「ぼく思うんだ。ここに来てるみんな、愛されてないんじゃないかって」
「そう、かな……? 愛されてないだけだったらもっと人で溢れかえってていいと思うけど」
「……それもそうだね」
アンドルーは目を細めて、軽蔑するように私を見た。
……みんな辛い目に遭ってて、だから帰りたくない、か。
私は別に、ママに酷いことされてなんかないし、だから帰りたくないなんて思わない。でもママは忙しい人だ。私がいない方が何かと都合がいいかもしれない。私なんかいない方がいいのかもしれない。
だけど、それと私が帰りたいかどうかって話は別。
ママは関係ない。
帰りたいっていうのは、私の意思だ。
*
「空を飛ぶ方法? 急にどうしたのアシュリー」「ヘリトンボ?」
「いろいろ考えたけど、この世界をいくら地続きに移動しても元の世界には戻れない気がするの。そこでこう、船以外に移動手段はないのかなーって」
「ないよ」「ないなー」
「ないんだ……」
一つくらいあって欲しかったんだけどな……
みんなの聞き回ったけど、それらしい話を知ってる子はいなかった。古株のフナ……キャプテンやザナジーにも尋ねてみたが、返ってくる話は同じだ。
「どうすれば帰れるんだろう……!?」
ここのところ毎日時計を食べてるのにちっとも飽きが来ない。そればかりか普通なのだ。気持ちが普通! 変じゃない! 当たり前みたいに時計食べて、船で寝泊まりして、特にすることもないのにうんざりしてない! もともとこうだったみたいに! こんな状況なのに!!
……私おかしくなってきてるんだ、これは「慣れ」じゃない、「変異」だ。
私から私が薄れてってる。何かが私を薄めてってる!
海賊の格好して! 毎日毎日時計食べて! そんなのが当たり前のはずないのに!!!
「はぁ、はぁ……こうじゃない、私はこうじゃないぞ、こうじゃないんだ……!」
ママが言っていた。
誰も「自分らしさ」なんてものは持ってない。だから自分を見失うことは絶対にない。何を成しても自分という枠からはみ出すことは決してないと。
どんな私でも私なのだ。
でも私が気に入らない私なんて、ちっとも私じゃないんだ。
ゾンビ映画観てピザ食べてないなんて、そんなのは私じゃない!
こんなところにいるのはおかしい! 帰るんだ!
そう、これが私。私の思う私。
「――言いやがったなこの!?」
「ああ言ったさ、お前キャプテンだろッ、そんな無謀なことはやめるんだ!!」
甲板でフラン……フナム……キャプテンの人と船員が殴り合っていた。
「無謀だと? 何が無謀なもんか、確かに何度も危険な目に遭って来た! だがその全てを乗り越えてきたんだ、咎められる筋合いはねえッ!!」
「それを思い上がりって言うんだよッ!!」
何が起こっているのかさっぱりわからない。
案の定カレンとジーラがいたので訊いてみる。
「何かあったの?」
「フランソワがジャガイモ採りに行くってさ」「で、それをハンプソンが止めようとしてる」
「ジャガイモ? あるの? この世界に?」
「「それではあちらをご覧ください」」
「???」
二人が指差した方へ目をやると、何もない海上に巨大な穴があった。
うずしおであった。
何あれ……?
「アレはジャガイモ穴と言って、あの下にはすごいジャガイモが」「ただし超危険」
「なんでうずしおにジャガイモがあるの……?」
「わからない」「でもこっちじゃままあることだから」
「それもそうだね……」
時計食べたり爆発するザナジーがいたりサンタクロースもいるものね。
うずしおの下にジャガイモぐらい全然おかしくない。狂ってる。
「それで、どうして揉めてるわけ? ジャガイモならほら、肉ほどじゃないにしても、食べたいものなんじゃないの?」
「超危険って言ったでしょ、危ないの」「油や塩あるからフライドポテトとか作れるよ」
「フライドポテト! いいね、私食べたいよ」
ホクホクで熱々で、塩気があって少し焦げてて。
ああ食べたい……!
「おい! この中に我こそはとジャガイモを採りに行く気概のあるやつはいるか!?」
是非もなかった。
いつかは帰らねばならない。ならフライドポテトを食べないで帰るわけにはいかなかった。
「私、行くよっ!」
うずしおの下にはなぜか洞窟があり、光る水晶がそこいらにあってゲームのダンジョンみたいな景色だった。
空気薄いし海水で服濡れて寒いし最悪だった。
さっき転んでひざ擦りむいた! 痛い! 帰りたい!
「苦しい、寒い、帰りたい……ジャガイモなんかどうだっていい……!」
「アシュレイは何しに来たの……?」
私とともにうずしおの洞窟に入ったアンドルーが眉をひそめる。
フライドポテトのために来たけど、たかがジャガイモを採るのがこんなに大変だなんて思わなかったのだ! ちゃんと危険だよって説明が欲しかった! 危ないじゃないかここ!
「うう、アンドルー、さっさとジャガイモ採って帰ろう……ジャガイモってどこ?」
「洞窟の奥だよ。辛いならここで待ってて、ぼくだけで行ってくるから」
「ジャガイモを、独り占めになんか、させないよ……! へへへへっ」
「相当疲れてるねアシュレイ……」
疲れてるっていうか辛いのだ。
お布団の中に五分もいれば空気が薄くなる。それぐらいに苦しい。
「んん? なんだあこれは……」
洞窟の壁に、石で引っかいたように数字が並んでいた。
1 21 16 26 1 2 11 42 19 41
「あからさまなる暗号……」
「どうしたのアシュレイ? ……ああ、これね。随分前にいた子が書いてったやつだよ」
「どういう意味なの?」
「さあ? 変わった子だったから。時計食べないで消えちゃう前だったかな? 頭でもおかしくなったんだろうね」
「ふーん」
暗号は苦手だ。
大した意味はないだろうし、わざわざ私に宛てられたメッセージなんてこともないだろう。
「ねえアンドルー、普通に考えたら洞窟にジャガイモがあるとは思えないんだけど、どんな風にジャガイモがあるの?」
「聞いてない? 少し行ったところにクイズを出すお爺さんがいてね――」
「待って、肉島と同じじゃないのそれ?」
「……? 同じだよ?」
それがどうかしたのかとばかりにアンドルーは首を傾げた。
どうかしてると思った。
そんじょそこらにクイズを出すお爺さんがいて堪るか。
「アンドルー、爆発しちゃだめだよ」
「ぼくが突然爆発するとでも思ってるの……?」
「思ってるよ! こっちの世界じゃ普通なのかもしれないけど急に爆発しないでよ!?」
「するわけないでしょ……」
「どーだか」
こんな洞窟で爆発なんぞされた日には生き埋めだ。
奥まで進むと、巨大な水晶の前で謎のお爺さんが胡坐をかいていた。
「分かれ道がある。片方は正直村、もう片方は嘘吐き村へと続いている――」
本当にクイズ出すお爺さんだった。
「アシュレイ、あれがクイズ出すお爺さん。アシュレイはクイズ得意?」
「どうだろ、わかんない」
「そう。お爺さーん、ジャガイモくださーい!」
アンドルーはなんでもないように小石をお爺さんに投げつけた。直撃した。
お爺さんは痛そうにぶつけたところをさすった。
なんてやつだアンドルー……!
「よかろう。クイズに正解すればジャガイモをくれてやる」
「アシュレイも一緒に考えてね」
「――サイコロを三回振った。出目の合計が一番少ないときは0、一番大きいときは297。振ったサイコロは何面ダイス? 五秒以内で答えよ」
「えっ、二百九十七割る三だからえっと、九十九面――」
私はアンドルーの顔面をぶん殴った。
「百面ダイス!」
「正解だ! ジャガイモをくれてやろう!」
お爺さんが指を鳴らして背後の巨大水晶を退かすと、そこには山のようにでかいジャガイモが!
多いんじゃなくて、岩のように巨大なジャガイモが!
「ジャンボジャガイモ……!」
自分の身体より大きなジャガイモを拝む日が来ようとは。
「何するんだアシュレイ、なぜぼくを殴った!」
「誤答しようとしてたからだよタぁコ。こんな大きなジャガイモ、どうやって持ち帰るの?」
「ジャガイモは濃い食塩水だと浮くんだよ知らないの? 海に出せば上にブワーって上がっていくさ」
「この質量で……?」
たかが塩水でジャガイモが浮く? どういうこっちゃ。
食塩水ならただの水よりも密度があるから浮力が大きく働くとでもいうのか。
「っていうか私が訊いたのは『こんな大きなジャガイモをどうやって洞窟の外まで運ぶの』ってこと。荷車でもあるの?」
「はあ……あのねアシュレイ、少し考えればわかることでしょ? 頑張るんだよ」
「その頑張るって答えを聞きたくなかったんだよ!」
結果としてアンドルーと二人してジャガイモを押して帰ることとなった。
ジャガイモの下の部分が削れたのは言うまでもないだろう。転がるほど丸くもなかった。スタッフがいないので汚れた部分はバッサリ捨てるんだろうな。
「ごぁあ……! 空気薄い、寒い! ××××!(行為) ××××××ッ!!(状況はあまりよくないの意)」
「言葉遣いが汚いな……」
「××××ッ!!(検閲される言葉)」
苛立ちが最高潮に達し、私は足元の岩を思い切り蹴った。
足首がパキッてなって超痛かった。
ああ、ママが言っていた。
辛いときはピザ食べてゾンビ映画を見なさいと。作りものでもなんでも死ぬ人間を見て、死はすぐそこにあるのだと知れと。
「死ぬことをなんだと思えばいいの? 怖いこと? 救い?」
「終わりと考えて。一度死んだらもう死ぬことができない。それが死よ」
「終わることはいいこと? 悪いこと?」
「いろんな方向に考えられるわ。辛いことが終わるならいいことだし、楽しいことが終わるなら寂しいことだもの。でも素敵な終わりもあるのよ」
「素敵な終わりって?」
「人それぞれ。アシュレイにも見つかるといいわね。叶ってこそ素敵なことよ」
「???」
ママが何言ってるのかよくわからなかった。
ただカッコよさげなこと言いたかっただけなんだと思う。
「げほっ、がほっ、ゴェ――ッ、コォ―……だぁ、はぁっ……」
ジャガイモに掴まって海面に上がると、ピンポイントで海賊船が来てくれた。結構流れたから誤差があったと思ったんだけど。
あと、船に戻るとすごい歓迎を受けた。――ジャガイモが。
「ようこそジャガイモ、今日はどういった御用で?」「お飲みものはいかが?」
「やめろカレン、ジーラ! ……二人がとんだご無礼を。ジャガイモ、揚がるコースと焼くコースそれぞれの用意があるんだがどちらがいい、ん?」
なぜジャガイモを歓迎するんだ。
「なぜかみんなジャガイモに敬意を払いたがる。笑っちゃうよね」
「同感だよアンドルー」
なんだかおかしくって、面白かった。
かくして大量のフライドポテトができあがり、カレンとジーラは暗躍し、キャプテンとザナジーは喧嘩して、しっちゃかめっちゃかだった。
え、フライドポテトの味?
しょっぱかったよ。
*
さて。
頭の数字が心許なくなってきて、ふと時計を食べようとして思いとどまった。
「……んー」
そもそも時計を食べるって、なんだ?
ナタデココ味なのはまあいいとしよう。美味しいし。
でも頭の上の数字が0になると「消える」っていうのは、どういう意味? 死ぬってこと?
映画とかだったら、何かを悔い改めれば元の世界に帰れるタイプだ。
もしかして、時計を食べないで頭の上の数字が0になれば、帰れる?
確証はないけど、でも、でも……
*
「アシュリーッ、数字、数字! ほら時計食べな」「早く食べないと0んなっちゃうよっ」
「……大丈夫」
「待って待って。どういうこと?」「なんでアシュリー時計食べないの!?」
カレンとジーラが心配そうに時計を差し出してくる。ジーラが食べさせようとしてきたのは大きなのっぽの古時計だった。百年いつも動いていたご自慢の時計に違いない。
「えっと……なんかいろいろあったけど帰る方法わかんないし、もしかしたら頭の数字が0になったら帰れるかもー、なんて」
「帰ったってなんもいいことないって!」「そうだよ、食べものは毎日時計で飽きるけど、たまに肉とかポテトとか食べられるし!!」「それに帰れるかわかんないじゃん!!」
「挑戦の価値アリと思って。だめだったら、んー、無駄死になっちゃうけどさ」
「時計食べなってばっ!!」
「嫌だ、私、時計食べない!」
「いいから食べなってばこのっ!!」「ほら口開けなよっ!!」
「やだやい!!」
「このこのっ!!」「えいえいっ!!」
カレンがぶん殴ってきてジーラが飛び蹴りしてきた。
「がぇっ……負けない、私負けない!!」
「えいえいっ!!」「えいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいえいっ!!」
カレンのパンチ、ジーラの高速ラッシュに目が潰れ、前歯が折れた。
私は倒れた。
でも、ただ倒れただけだ。
心はまだ、折れてない……!
「どうして……なぜなのアシュリー、どうしてあなたはまだ、立ち上がれるの!?」「そうだよ、あんなに殴ったのに!!」
「ゾンビ映画とピザ、クーラーガンガンの部屋で毛布……私は、諦めない!!」
「くっ……」「恐ろしい子……!」
ジーラは白目を剥いた。後ろが急に暗くなった。
頭の数字が、十分を切る。
「なんだ騒がしいな、うぉっ、アシュレイ、なんでお前っ、そんなにボロボロなんだ!?」
「ああザナジー、何、キャットファイトだよ、イテテテテ……」
「猫の餌はキャットフードだ、全く……」
彼はそれだけ言って船のどこぞへと失せた。
どういうことなんだろう……
数字が減っていく。
「んん? なんだ女子が雁首揃えて。サバト?」
「違うよフランソワっ!」「アシュリーが時計を食べないの! 元の世界に帰るって!!」
「なんだと……!? お前いつから気付いていたんだ、頭の上の数字が0になれば帰れるということに!!」
「…………。気付いてなかったけど、もしかしたらそうかなーって。そうなんだ、ふーん」
キャプテンの船越英一ろ、フナ、フナム、フ……キャプテンの言葉で確信がいった。
やっぱり数字が0になれば帰れるんだ。
そうなんだ! へへへへへっ!
数字は残り五分を切っていた。
「なぜ元の世界に帰りたい? ここはネバーランドだ、働かなくても生きていける、誰にも脅かされない、ただ時計を食べていればずっとこっちにいられるんだ! 何が不満なんだ? 俺が嫌いだからか?」
「いや、あなたのことは別にどうとも。私が帰りたいから帰る! それだけだよ」
「どうしてだ!! こっちの世界の何が不満だっていうんだ!?」
「だってこっちには、ピザもゾンビ映画も、クーラーもない。いろんなものが足りてない。そんなの全然――
生きてる『感じ』が、しないんだもの」
スッ――と身体が軽くなった。
数字の減る間隔が、加速する。
「アシュレイ!!」「くぅー、なんだかんだ楽しかったよ、さよならアシュレイ!!」
「生きてる感じがしない、か。勝手にしろ、元の世界で苦しい思いして仲間外れにされて嫌われて独りぼっちでおっ死んじまえ!! 病気がいいな病気、くも膜下出血とか。あばよ」
「それ照れ隠し……? ちょっと、受け取り方わかんないかなー……」
髪が静電気を帯びたみたいに舞い上がった。
0。
私は空に吸い込まれた。
眼下に広がる海、
水平線、
輝く波、
船、
身体が回転して空中で仰向けになり、
眩い光、
太陽、
雲一つない透き通った青、
にできた黒い亀裂。
黒い亀裂に私の身体が吸い込まれていく。
この空の黒いのは、ソファーのクッションの隙間だ。
戻れる、やっと戻れるんだ――って思ってたら、止まった。
上へ引っ張られる力が弱くなり、黒い亀裂に少し差し掛かった当たりで、重力。
私の身体が、海に落ちようとする。
「ふぁ!?」
とっさにソファーの隙間に左手を伸ばした。思いっきり爪を立てたのに滑る。
「やばっ――」
すかさず右手も出して滑るのも構わずにソファーの隙間を掴む。
やっぱり滑る。でも落ちたらどうなるかわかったもんじゃなかった。がむしゃらに掴んでは身体を持ち上げた。
「ぎゃぃぃやぁぁぁぁぁああああぁぁぁぁぁああああぁぁぁぁぁぁぁあああ――ッ!!」
掴む、昇る、上へ行く!
隙間に入り、クッションの生地を掴んで全身全霊で我が家を目指した。
上へ!
上へ!
上へ!
指もつま先もそのたびにどんどん熱くなっていった。
痛い。熱い。摩擦熱がやばい。
火傷しそうなぐらい熱い!
「ゾぉぉぉぉおンんんんビぃぃぃいぃいいいいっ!!」
自分の力を超えた何かがいま私を押し上げてる。
あ、もうすぐっていうのがわかる。クッションとクッションの隙間が狭くなっていく。
もうちょっと、もうちょっとなんだ……!
心なしか家の匂いがしてきた。
出口――
「ふげっ」
鼻を何かにぶつけ、ソファーの隙間からは顔を出せずに落ちた。
ああだめだ、また落ちる。
「ぐぉっつ!?」
落ちたらすぐ底があった。
「え? え?」
すごく狭い。ここにいるのがきつい。息苦しいし下が砂っぽくてザラザラしてる。
動揺しつつ、ソファーの隙間から顔を出した。
「あ」
「あら?」
ママがいた。
「アシュリー!?」
「ママ!?」
「あなたそんっ……いままでどこにいたの!?」
「えっと、その……信じてもらえないと思うんだけどね――」
再び落ちないよう完全にソファーから抜け出して、私は続けた。
「ママ私ね、このソファーの隙間に落っこちて、なんか海賊船に乗って、いろんなところ行ったの。お肉も食べたの、ポテトも!」
「……ああ、そういう」
「『ああ』!? ママ納得できたの!? 私っ、え、ほんとなんだよ!?」
「大丈夫よ信じてるわアシュリー。もしかして、間違ってたらごめんなさい――時計、食べなかった?」
「!? 食べた、食べたよ私!!」
「やっぱり。昔ね、ママも同じようなことがあったのよ。そう、あなたもあっちで海賊になったのね」
「本当に……? 本当にママも海賊だったの?」
「ええ。ただ時計を食べるのに飽きて、しばらく食べないでいたらこっちに戻ってきちゃったの。アシュリーは?」
「あっちにはゾンビ映画もピザもないから」
「そうだったの、ふーん……」
それからママは、何か思い出したように端末を取り出した。
嫌な予感がする。
「ああそれでアシュリー、ママしばらくお仕事で帰ってこれないの。お金はアシュリーの端末に送金しておくから、ご飯とかで足りなくなったら連絡して。ピザばっかり食べちゃだめよ」
「うん、ママは忙しいもんね」
「じゃあ行ってくるわ」
「行ってらっしゃーい」
*
高いところから海に落ちてったときの恐怖。
海賊の衣装なんか着ちゃって。
時計のナタデココ味。
初めてフルオートで撃ったアサルトライフル、サンタクロースを撃ち落とすのって結局なんでだったんだろう。あのキャンディシガーっていうののため?
……ザナジーはマジなんで爆発したのかな? 意味が分からない。
何気に肉島でもらった肉美味しかったなあ、甘辛くてスパイス効いてて。
カレンとジーラ、今頃どうしてるかな。
またみんなからキャンディシガーとか盗んでるのかな? そいで追い掛け回されてたり……
…………。
あれ?
二人って、どんな顔してたっけ?
カレンとジーラってどっちが年上? 背格好が……あれ?
ザナジーやフナムシの顔も思い出せない。ウィリーやエマ、ジャックやアンドルーもどんな顔してた? あれ? あれ?
なんで……?
ぼんやり思い出せるのが、「ザナジーがなんか図体でかかった」ことだった。
*
一体、どっからが夢だったんだろう。
ソファーから抜け出した時点で、私は海賊の格好じゃなかった。いつもの服だった。
もうなーんにも、わかんない。
「ねえステファニー、あなたも喋れればいいのにね……ママはゼペットさんと違って自分でできるんだから、ステファニーもそういう風に作ってくれればよかったのに」
ステファニー(ぬいぐるみ)を蹴っ飛ばしてクーラーをガンガンに効かせる。ただ窓を開けただけじゃ「冬の寒さ」だけどクーラーによる寒さは「人類の到達点」みたいな達成感があった。風邪を引こうが身体を崩そうがこの習慣をやめる気にはなれない。
冷凍ピザをオーブンに突っ込んで、毛布を被った。
ママは何か、向こうの世界のこと知ってるのかな?
また行けるのか、もう二度と行けないのか。
ふと、インターホンが鳴った。
Amazonからの宅配便だった。宛名は私だったが全く覚えがない。なんだろう。
箱を開けると、3万ルーメンの家庭用多目的プロジェクターが入っていた。
「え……?」
ママにも誰にも言ってない。私がプラネタリウム用のプロジェクターが欲しいなんて、「向こう」で口にした以外誰にも言ってない。
「どうして……?」
気味が悪くなり、ゾンビ映画を見ようとしてようやく、そのことに気が付いた。
「あ」
私は大切なことを忘れていた。見落としていた。
なぜ私がソファーの隙間に落ちなければならなかったのか。
なぜ昨日、大好きなゾンビ映画を見ずに眠りについたのか。
その答えはただ一つ。
「リモコン、落としたんだった……!」
思わずソファーの隙間に飛び込んだ。
底に頭ぶつけたので、こんど大人しく通販で互換性のあるものを注文しよう。
我が家のテレビはリモコン以外の手動操作を受け付けないのだ。
しばらくテレビはお預けか……せっかく帰ってきたのに、ついてない。
*
その日の深夜、不思議なことが起こった。
なんか私の部屋に暖炉ができてて。
そこから、
赤い格好した、
恰幅のいいお爺さんが、入ってきたのである。
「サンタクロースだぁぁぁああ――!!」
怖い怖い怖い怖いっ!!
クリスマスでもなんでもないのに!!
「何っ、来なっ、来ないでぇぇええぇえッ!! ごめんなさいぃぃぃいいッ!!」
「ああ、怖がらないでおくれお嬢ちゃん、びっくりさせて悪かったよ」
「ごめんなさいごめんなさいっ、私は悪い子だけどもうしないから許してぇぇぇええ!! お願い殺さないでぇぇぇえ――ッ!!」
私はサンタクロースに懺悔した。
向こうの世界でサンタクロースに発砲したこと。
最初に話したときその非礼の一切を詫びなかったこと。
こうしてのうのうと生きていること。
「なんだ、そんなことか。大丈夫さ、怒ってなんかいないよ。あの赤鼻は殺処分が決まっていたんだ。キミたちがやらなくてもワタシたちが処分してたさ」
「で、でも――」
「不幸な事故だよ。誰にだって立場がある。逆らえない流れに乗るしかないときだってあるさ。お嬢ちゃんは確かにワタシに向かって発砲した。でもそうしなかったら、お嬢ちゃんはそのお友達に撃たれていたかもしれない。違うかい?」
「だけど、周りがやれって言ったって、やっちゃいけないことだったよっ……! 良いか悪いかは私が、自分のしたことの責任っていうのは、その、私のせいで――」
「何よりね、ワタシはお嬢ちゃんに助けられた。キミは自分の責任を、しっかりと取れているよ」
「り、理屈に合わないよ……!」
責任なんか取れてないし。
私はサンタクロース撃ち落としたあと、水辺から引き上げて火ぃ起こしただけだし。
それってなんか自作自演みたいで、チャラになってないっていうか。
やっぱりそれ、私のせいじゃん。
「理屈に合わない、か。じゃあこうしようお嬢ちゃん。実はワタシは悪い子にもプレゼントを配っているんだが、やはり悪い子にプレゼントを渡すのはいけないと思うんだ。このまま持ち帰るのも疲れるし、代わりに受け取ってくれないかい?」
「……でも」
「お願いだよ。ワタシを助けると思って、どうか受け取っておくれ」
「…………」
耐えられず、私は頷いてしまった。早く終わって欲しかったから。
私はいい子でいられなかったし、プレゼントが欲しいからいい子でいたわけでもなかった。
それなのにこうしていま、サンタクロースからのプレゼントを受け取ろうとしている。
サンタクロースが、包装された大きな箱を差し出した。
思いのほか軽かった。
「メリークリスマス、アシュレイ」
クリスマスはまだまだ先だった。
*
翌日。
目が覚めると、私の右足首がなくなっていた。
「嘘……!? 私の足どこッ、ねえどこッ!?」
布団を放り投げて辺りを隈なく探した。
シーツの上、ベッドの下とマットレスの間、床、椅子のキャスターに隠れてないか。
「あ!」
見つかった!
なんか毛布のタグに引っ掛かってた。
割れたり欠けてる部分もなく、足はしっかり元通り。
ちょっと緩いかな? まあいいや。
「ふぅー……さて」
枕元には、サンタクロースからもらった箱がやっぱりあって。
少し考えてから、箱の包装を破いた。
「…………くふっ、こんなもの悪い子にプレゼントする気だったのか……」
なかなか皮肉が効いていた。
私はテレビをつけた。
<おわり>
*
『――それでアシュリー、デスクトップにあるデザイン案のファイルのデータ、全部送ってきて欲しいの。できる?』
「できるけどどうすればいいの? クラウド? 画像だしメールでいいの?」
『≪トットボッチステイト≫ってサービスわかる? ゲストアカウントでこっちに送信してくれればいいから』
「わかった」
てっきりママは男の人と遊んでるのかと思ったら、本当にお仕事してるみたいだった。
電話がかかってくるってことはマジでお仕事なのだ。
通話しながら、言われた通りに操作する。
「できたよ」
『ありがとアシュリー、愛してるわ』
「ほんとにー?」
甘えたくなって訊き返してみる。「ママほんとに私のこと愛してくれてるのー?」
『あらあら。アシュリー、いいこと教えてあげる。私が何を言っても何をしてあげても、あなたが愛されてることにはならないの。どうしてだと思う?』
「ママが何しても私を愛してることにならない……? 行為であって気持ちじゃないから?」
『ああー、気持ちね。アシュリー、愛は受け手が選べるのよ。優しくしてるから愛、厳しくしてるから愛――やってる本人からしてみれば「愛してるつもり」になれるかもしれないけれど、愛は最終的に、相手がどう思うかが全てなの。言い張るだけなら誰にもできるでしょ? ねえアシュリー、あなたは、自分が愛されていると思う?」
「……わかんない。ママはたまにしか帰ってこないし、私のこと放ってばっかりだし、でもピザ買うお金もゾンビ映画観るお金もくれるし……でもさっき私のこと愛してるって言ってたし、愛してくれてるのかな?」
『悩むほど考える必要なんてないわ。寂しくなったらいつでも電話して。お家のことしっかりね』
「うん、わかった」
『それじゃまたね、愛しているわアシュリー』
そういえば、『向こう』でアンドルーが言っていた。
あっちのみんなは愛されていないって。愛されていないからあそこにいるみたいな。
ふむ……
――私は、愛されているんだろうか?
ふと、ソファーとクッションの隙間を覗いてみた。
「これはこれは、ははーん」
なんともまあ寂しいような、嬉しいような。
※ バラしてもいいネタをバラします。
イラストに書いてある「1+1=イ」は作中に出てくる暗号のヒントになっています。アシュレイに向けられたメッセージですね。アシュレイがメッセージの意味を知ることは絶対にありませんが、時間があれば解いてみてください。