(7)準備 ユア
現在:修正第2稿目(2008 09 12)
「いい天気。」
泡まみれの両手を冷たく澄んだ水で洗い流し、ユアは空を仰ぎ見た。穏やかな海風に舞う白いシーツが空の青さと相まってとても気持ちがいい。
この分だと後数刻もあれば洗い物もみな乾いてくれるだろう。太陽の光をめいっぱいに浴びてふかふかになった服に袖を通すのは今からとても楽しみだ。
ユアは、風にひらめく仲間達の服を見てにっこりと笑うと、薄手の白いワンピースの裾を軽く叩き、洗濯用具の後片付けに入った。
「女将さん。お洗濯終わりました。洗い桶とかここに置いておきますね。」
ユアは納屋の前を掃除していた宿屋の女将に一声かけると、洗濯板と洗剤を一緒にした桶を納屋の入り口近くにおいた。
「あいよ。お疲れ様、ユアちゃん。悪いね、シーツの洗濯もさせちまって。」
ユア達がいつも利用するこの宿は、現在人手不足なのだ。本来なら女将の他に主人と彼らの息子夫婦の四人で切り盛りしているのだが、女将の話によると主人と息子は遠くに出稼ぎに出ていて不在らしい。
だからユアは滞在中はせめて出来ることを手伝いたいと思い、仲間の着る物の洗濯ついでに宿の洗濯物も引き受けることにしたのだ。
「他に何かすることはありますか?」
ユアは、「ふう・・」とため息を一つつくと、女将に次の仕事を聞いた。
「後は昼のご飯の用意だけだからもういいよ。洗い物をしてくれただけで大助かりさ。」
「分かりました。じゃあ、中で休憩させてもらいますね。」
本当なら庭の掃除を手伝いたかったが、生まれてこの方身体を動かすことが苦手な自分が下手に手伝ってもじゃまになるだけかも知れないと思い、ユアは休憩をすることにした。
「あいよ、お疲れさん。」
ユアはぺこりと一礼すると風に流される長髪を押さえつつ建物の中に引っ込んだ。
「お洗濯は終わったから、もうやることはないよね。・・久しぶりに占いでもしようかな。」
そういえば最近、何か物足りないと思っていた彼女だが、ここ一月ぐらいカードに触れていなかったことを思い出した。彼女の唯一の趣味である占いだったが、一月もの間触れることもなかったほど忙しかったのだろうかと考えるとあまりにも様々なことが思い出されてよく分からなかった。
「まあいいや。」
ユアはそういって雑念を払うと、自室にカードを取りに戻った。
自室に戻ったユアは、はやる心を抑えず急いで荷物を探った。
さっきまで女将さんに手伝いを断られたが、それでも自分に出来ることはないかと思っていたのが占いを思い出したとたん居ても立ってもいられなくなってしまっていた。
占いを始めたのは何がきっかけかは忘れてしまったが、6歳の誕生日にベルディナからタロットカードをもらっていらいその虜になっていた。王国にいた頃は、それこそ様々な占いを勉強したものだ。カード占いだけでなく、水晶を使用した占いや、占星術にも手を出し、自分が一つのことにこんなに熱中できることを知って驚いたこともあった。
さすがに旅をするのに重くかさばり壊れやすい水晶玉を持ち出すわけにはいかなかったが、荷物に忍ばせても問題ないこのカードだけは持ち出していた。
これは、彼女にとって思い出の品であり、生涯の宝物にしようと心に誓ったものだった。
カードは暫く使っていなかったわりには見つけるのに時間はかからなかった。
ベルディナからもらっていらい十年以上使っているにもかかわらず、カードは折れたり曲がったり目立つ傷もついていない。占いに使うカードは使ううちに使用者の魔力が宿るものだと言われている。ユアが大切に思う気持ちがそれに反映されているのか、ベルディナが彼女に贈るさい予めそういう魔術をかけていたのか。そればかりは分からないが、カードはとても綺麗な状態で保存されていた。
ユアは、木箱に収まっているカードを手に取り、特に不足もなさそうだと確認すると木箱の蓋を閉じ、側に入れておいたデータシートを小脇に抱えると部屋を見回した。
洗濯をする前に軽く整理したが、それでも部屋は何となく雑然としている気がした。備え付けの小さなテーブルを見ると、少し先の欠けたナイフや使い差しの魔装具などが無造作に置かれている。おそらくレミュートが何かの作業の途中でそのままにしていったものだろう。
「レミーはもう少し整理することを覚えないと。」と彼女は思ったが、作業の途中のものを動かす気にはなれず、占いは談話室ですることにした。
少し出鼻をくじかれた感じがしたが、談話室の隅のテーブルでカードをシャッフルし始めるとそんなことはすぐに頭から消えてしまった。
どういう占いにしようかな。とユアはカードを混ぜながら考えた。
占いを使用と思い立ったはいいが、何を占うかどういう形式にするかは全く考えていなかった。形式によればとても緻密な下準備が必要なものも多い。星図を作成した上で占星術の手順に従って展開していく天球法などがその最たるものだ。星の力を直接使うその占法はもっとも信頼性のある占いの一つではあるが、展開する時の詳しい天球図を作成する必要があり、未来予知を行う場合には目標となる時の天球図も用意する必要がある。また、占星術に乗っ取った展開法は酷く難解な古代語による呪文を必要とし、その言葉の意味も正確に理解しておく必要がある。しかも、何処で行ってもいいというわけではなく、展開する場所を適切に選ばなければ、真逆の結果が生じたりする。
とてもではないが、空き時間に行えるものではなく、しかもそれには結構な魔力を消費する。
だったら、多少精度は落ちても手軽に行えるものにするべきか・・。
ユアは暫く思案するが、
「まあ、いいか。十二区分法にしよう。」
といって十分にシャッフルしたカードをまとめた。
カードの数は22枚。本来ならカードは78枚で成り立っているが、その中でも特に力の強いカードがいま彼女がもっている22枚のカードだ。このカードは、「二十二祖の世界要素」と呼ばれるものでそれぞれのカードに特別な意味合いをもつ。
ユアは、まとめられたカードを適当なところで三つに分けると、それらを縦に並べた。そして、分けられた三つの山からそれぞれ無作為に四枚のカードを抜き取りその横に並べる。テーブルには縦三行、横四列、計十二枚のカードが並べられた。
術者からみて手前の行から順に過去、未来、現在を表しそれぞれに配置されたカードの絵柄からそれぞれの時の状況から未来を占うものである。
ユアは順番に過去から現在のセルに配置された四枚ずつ、計八枚のカードを表返した。
「過去、大地の衣、天の楼閣、聖者の灯火、新月の夜・・・。」
ユアの脳裏に旅立つ時の情景が蘇ってきた。ミリオンと共に行くと宣言したこと、レミュートの強い意志を感じた時だった。
「現在、翼の少女、闇の眷属、落雷の平原、運命の塔・・・。」
そして現在、自由な旅人としてどうにもならない現実を憂う。悲しい知らせと変わっていく世界を感じ、はたして自分に何が出来るのか。
そして、未来。未だ見ぬ現実。現在の先にはいったい何が待つのか。
ユアはその中心にある未来のセルを手にする。ここに記されるのはこれより未来を映す鏡だ。
「未来・・教会の祈り子、竜の礎、王都の落日、・・そして・・・。」
その最後の札をめくるユアの手が震えた。
そして、最後の札が開かれた。
「・・・大いなる聖剣・・・。」
ユアは息をのんだ。もしも、これが私たちの未来だとしたら・・・私たちは・・・。
「ユア。」
自分を呼ぶ声、ユアの心臓は跳ね上がった。
「ど、どうした?具合でも悪いのか、なんか顔色が思わしくねぇな。」
いきなり飛び上がったユアに驚いたのは、むしろ彼の方だったのかも知れない。
「ベ、ベル・・。帰ってたの?」
ユアは肺のそこから息を吐き出した。高鳴っていた心臓が納まっていく。
「ああ、このとうり。で、どうした?占いをしてたのか?」
ベルディナはユアの目の前に広げられたカードを見た。正直ベルディナは占いのことに関しては素人に近かったし、興味もなかった。それならば、なぜ彼女にこのカードを贈ったのかと問いただしたくなるが、答えは友人の薦めに従っただけというあまりにも味けの無いことだったらしい。もちろん、これはユアには内緒のことだ。
「うん。久しぶりだったから。」
ユアは改めて深呼吸をし、額に浮かんだ汗を拭った。背中や胸に張り付く汗は、春のような陽気にあてられただけが原因ではないだろう。ユアはそれを不快に感じ、風呂に入りたくなった。
「そうか。何か悪い結果でも見えたのか?」
「ううん。悪くないと思う、むしろ・・本当にこれが私たちの未来なら・・きっと・・・。」
ユアはその先を言えなかった。
そして、ベルディナも落ち込んだ様子を見せるユアにそれ以上のことを聞けなかった。
沈黙が二人の間を支配する。
ユアは手早くカードをまとめると足早に席を立った。
「ごめんね。少しお風呂に行ってくる。」
「朝にも入ってたじゃねえか。またか?」
「うん、少し汗かいちゃった。」
「相変わらずきれい好きだな、お前は。昼飯までには上がってこいよ。」
ベルディナも立ち上がると、談話室においてあるティーセットを引き寄せた。
「うん。それじゃあ、後でね。」
ユアは槍言い残すと着替えを取りに庭先に出た。
ベルディナは茶葉を適当にポットに入れるとまともに湯温も確かめずに注ぎ込み、茶葉が開ききらないうちにカップに注いだ。酷く濁ったそれは、お世辞にも上手そうとは思えなかったが、ベルディナはかまわずそれを飲み下した。
「大地の衣、天の楼閣、聖者の灯火、新月の夜。翼の少女、闇の眷属、落雷の平原、運命の塔。教会の祈り子、竜の礎、王都の落日、・・そして・・・。」
ベルディナはそこまで口ずさみ、少し乱暴にカップをソーサーに置いた。それはまるでたたきつけたかのような甲高い音を響かせ、周りにいた他の宿泊客の視線を集めたが彼は気にする様子はなかった。
「・・大いなる聖剣・・・か。」
(大地の衣を身に纏いしそのものは、新月の夜、聖者の灯火をもとに天の楼閣を目指す。
翼を得た少女は落雷の平原に降り立ち、闇の眷属の待つ運命のとうに挑まんとす。
はたして教会の祈り子は王都の落日と共に竜の礎を得、大いなる聖剣を手にするであろう。)
「(それが俺たちの運命だとしたら。俺は・・・いったいどうするというのか。また、逃げ出すのか?)」
空高く太陽の光を讃える晴天の日にもかかわらず、彼の背後にはまるで冬の日のような寒々しい風が駆けめぐったようだった。
占いに関しては全くの素人である私が、何とか苦心して設定を作ってみました。それに関するご意見をお待ちしております。