(6)準備 ミリオン
現在:修正第2稿目(2008 09 12)
レミュートと別れ、魔装具屋を後にしたミリオンは武器屋に行く前によっておきたかった場所があったことを思い出した。
ミリオンは大通りの分岐路で一度立ち止まった。レミュートには武器屋に行くと言っておいた手前、寄り道をするのは良くないことだ。しかし、思い出した用事は出来ることなら早く済ませておいた方が良い類の物であるし、今日を逃せばまた暫くここにこれない可能性もある。ベルディナが調達してくる仕事の内容によっては、出発が明日になる可能性も十分考えられる。
「どうするか・・。」
ミリオンはつぶやいた。あの様子だとレミュートの買い物はまだ暫くかかりそうだ。ならば、用事を手早く済ませたうえで急いで武器屋に向かえば問題ないだろう。
「ならば・・手早く済ませるとするか。」
そうつぶやき、ミリオンは道を急いだ。
太陽が顔を見せて幾何か時間が経ったといえ、街に流れる空気はまだ早朝の雰囲気を保っていた。一般商店が店を開け始める頃、街はようやく眠りを覚ますほどここの国民はのんびりとしている。人の往来が盛んになるまでまだ少し時間がかかりそうな様子だ。
いかに世界が変わりつつあろうともこの国の民は驚くほど平静を保っている、ミリオンは少し苦笑とも取れる笑みを口元に浮かべた。いや、単に鈍いだけなのかもしれない。とミリオンは思い直した。
ミリオンが生まれ育ち、15歳まで過ごしていたプロミネンスの家はスリンピア王国領の幾らか郊外、辺境とも言える場所に位置していた。周囲を山に囲まれ、深い森がその裾野を覆い尽くす広大な土地は王都の喧噪とは全くの無縁ではあったが、そこに過ごす領民の多く、いや殆ど全ての領民はスリンピアの王都から移住してきた者ばかりだった。
思えばその領民も、周囲の自然の猛威に対して気楽に構えていたように思える。
自然が多く、季節によれば災害もたびたび領地に襲いかかるため決して平坦とは言えない生活だが、他国に比べれば遙かに豊かな国土は人々の感性すらも穏やかにさせるものだと誰かに教わった記憶もある。
確かに、明日どうなるとも知れない未来に対して人が出来ることが無いのであれば下手に取り乱すよりも自然に構えていた方が柔軟に対応できる上に精神衛生にもよい。
なんだ、結局自分も例外ではないではないか、とミリオンは滑稽に思った。
王都の中心部は、建国以来その姿を殆ど変えていないと言われている。その建国自体が秘密のベールに包まれているため、その真意は定かではないが、クレア・ラインズ・フォントの時代、今からおよそ300年前に記録された街の地図と現在とを見比べてみれば確かに大きく変化した様子はないらしい。
その区画は首都としての機能を重視し、完全に計画された町並みを保ち、小高い丘からそれを見下ろすと非常に整然とした風景が見て取れるだろう。人によっては無機質な印象を抱くそれは、街の利便性と防衛力に優れた作りとなっている。
しかし、中心部より一歩外に出るとそこにあるのは、ある意味泥臭い人々の暮らしによって成長を遂げた町並みが顔を見せる。
どこからか漂ってくる一種独特にすりきれたような香りはまさに下町の風情を説明するにはもってこいだ、ミリオンは少し安心を覚えた。
「やはり、こうでなくてはな。」
ミリオンは三度目のつぶやきを口にすると目的であった建物を見つけ、足早に歩を進めた。
レミュート共に旅に出ていらい、彼はこの街によるたびに欠かさない用事が一つだけある。それは、実に個人的なことであるため仲間にもその内容を話したことはない。
いや、ひょっとすればベルディナには既に気づかれているかも知れないな。とミリオンは思うが、彼がそれを口にしないということはそれなりに気を遣って貰っていることなのだろう。
「いらっしゃいませ。」
ドアを開くと、静かながら良く通る女性の声がフロアに響く。もっとも忙しい時間帯は既に過ぎているのか、窓口の向こう側には落ち着いた雰囲気が広がっている。
ミリオンはなれた足取りで窓口に向かうと、受付の娘に一声かけた。
「入金を確認したいのだが。」
娘は彼をよく知っていたのか、嫌みのない営業スマイルを浮かべると「承知いたしました、プロミネンス様。少々お待ちください。」といって後ろの棚の書類を調べ始めた。
スリンピア王国においてプロミネンス家の名は比較的有名である。
プロミネンス家はスリンピア王国の辺境に領地を持つ下級貴族ではあるが、歴代多くの優秀な騎士を輩出する名家としてスリンピア王家からは大きな寵愛を受けている。
ミリオンも伝統と歴史のあるプロミネンス家に生まれたことを誇りに思っていた頃もあった。
そして、本家の伝統に背を向け、自由な旅人としての人生を選んだ今に僅かながら後ろめたい想いも確かに存在していた。
「確認いたしました。ミリオン・ラスラ・プロミネンス様。確かにグラジオン王国王家様より入金されております。」
ミリオンは、その明細を受け取り僅かに苦笑を浮かべた。
一年と半年前、ミリオンはグラジオン王国騎士を辞する覚悟でレミュートについていく決意をした。それは当然ながら王国に対する不義理であり、本来なら極刑に値することも承知していたつもりだった。
しかし、旅立ちよりわずかして彼がスリンピア王国銀行にもっていた自分の口座を見て心底驚愕した。
そこには、確かに僅かではあるが、グラジオン王家から騎士としての月ごとの給与が振り込まれていたのだ。
何かの間違いだろう、と思い彼は、少しばかり躊躇したが、王国に確認をとった。返ってきた書簡が国王直々の親書であることにも驚いたが、何よりもそこに記されていた内容だった。
「王国騎士ミリオン・プロミネンスは諸国巡幸にある王女レミュート・アンファイン付きの騎士であり、その籍はグラジオン王国にある。何ら問題なし。」
とのことだった。それはレミュートの旅が王国によって認められたということの証明でもあった。「陛下に借りを作ってしまった。」と恥じる傍ら、彼は自分に何が起きてもレミュートを守らなくてはならないと改めて決意をした。
「確認した。給与の7割をプロミネンス家に入金するよう手配して欲しい。」
それが、ミリオンの出来る本家へのせめての義理立てだった。
「承知いたしました、ミリオン・ラスラ・プロミネンス様のご口座より、プロミネンス家本家様のご口座へ142ソート561ソイトの送金をいたします。では、こちらの書面にサインを。」
ミリオンは一応その文面を確認するとうなずいてサインを施した。
これで用事は済んだ。
「ご利用ありがとうございました。今後とも私どもの公社をご贔屓にお願いいたします。」
ミリオンは、一言礼を言うと足早に銀行を後にした。
彼は王宮に勤めている頃からこうして給与の何割かを実家に送金していた。彼の実家は彼からの仕送りを求めるほど貧しいわけではない。確かに資産となる宝物があるわけでもなく、領地もそれほど広くないため得られる収入は多くないがスリンピア王国から毎年与えられる資金は潤沢で贅沢さえしなければ十分満足な生活が送れる。
ミリオンは、これは本家に対する義理立てだと考えていた。彼が自立するまで自分を育て、多くの技を授けてくれた実家に対する感謝の形といってもいい。
そんな彼がグラジオン王国を捨てて旅に出たと知ったプロミネンス家は、おそらく大変な騒動になっただろう。その詳細を彼は知らないが、今もこうして旅を続けていられる以上だれかが本家の人間を説得してくれたと言うことだ。
そして、彼が知る以上そんなことをしてくれる親類は一人しか思いつかない。カナン・レミア・プロミネンス。彼の尊敬する姉だ。
「姉上には迷惑をかけた。いつか借りを返さねばならんな。」
いつしかプロミネンス家に帰ることがあれば、その時は姉を全力で助けよう。ミリオンはそう誓い、街を急いだ。