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(1)眠り

現在:修正第3稿目(2008 09 20)

 馬車がようやくまともな街道に出た頃には、既に夜の(とばり)が下り始めていた。


「こりゃあ、到着は夜だな。」


 狭い馬車の中、先ほどまで煙草タバコを吹かしながら本を読んでいた魔術師風の男が幌をまくって外を見ていた。

 小柄ながらその碧眼は見た目の若さと釣り合わないほどに鋭い。藍色に輝く髪は短くまとめられ、その鋭利にとがった耳を惜しみなくさらす。その容貌は彼がエルフ族であることを示す。


「随分時間がかかったな。」


 それに答えたのは、剣士風の大柄な男だった。仲間の武器の手入れを任されているのか、先ほどから馬車の半分を占拠して剣やナイフなどといったものを並べてヤスリを掛けている。


「今夜は、野宿になるのかな?」


 荷物を眺めながら羊皮紙にメモをとっている女性、ユア・タリス・キルリアルが口を開く。荷物の管理を任されている彼女はおそらく、行き先の街で補給する道具の目録をとっているのだろう。さっきからその目録と今ある資金を見比べて眉をひそめている辺り、収支が合わないのかどうしても補給できないものがあるのか、時折「どうしようかな?」という言葉が出るあたり、僅かな深刻さが伺える。


「まあ、その心配はねぇだろう。宿は空いてるだろうし、食事も携帯食が残ってる。ところで、何さっきからうなってんだ?」


 そんな彼女を見かねて、魔術師風の男、ベルディナ・アーク・ブルーネスが羊皮紙をのぞき込んだ。


「うん、それがね。手持ちのお金だと少し足りないの。」


 彼女、ユア・タリス・キルリアルは羊皮紙をベルディナに手渡し、その内の幾つかの品目を指さした。


「何々・・・。冬咲き桜の根子、火喰い鳥の血に紫蛙の干物か。確かに、最近値上がりしてんなあ。・・・手持ちはいくらだ?」

「えーっと・・・、滞在費と諸経費を分けると、50ソートが限界かな・・。」

「50か、微妙だな。」


 彼らが頭を抱えているのは、最近になって物価の高騰だけが原因というわけではない。

 彼らのような現代の旅人の多くは、古代遺跡の調査や未踏の土地を開拓するような仕事は殆ど行っていない。

 確かに、極希ではあるが所謂いわゆる冒険者らしい仕事(・・・・・・・・)を手がける機会も巡って来ることもあるが、そういった仕事も所詮しょせんは国が編成する調査団の道案内であったり、雑用程度にとどまることが殆どである。未開の遺跡は国家の財産であり、それを勝手に調査することや、価値の有る無しにかかわらずその遺産を勝手に売買することは重大な犯罪行為である

 結局、まともな冒険者は荷馬車の護衛や地方に発生した魔物を退治する仕事を請け負うことで食いつないでいくしか他がない。

 戦時中であればどこかの国の軍隊に志願し、傭兵として戦場を巡る者も多くなるが、現在の世界情勢は比較的平穏を保っている。

 そのため旅人が糧を得るにはやはり護衛や魔物退治といった仕事をするしかないのだ。

 その荷馬車の護衛や魔物退治などで得られる報酬は、まあ二束三文と言っても言葉が過ぎることはないだろう。更に、その報酬には経費が含まれておらず、その仕事をやり遂げるために多くの経費を投じても支払われる報酬が変わることはない。

 いかに経費を抑えて仕事を完遂するか、それはやはり護衛中に敵となるべく交戦しないようにすることが一番ではあるが、そればかりは旅人にとってはどうにもならないことでもある。


「目録にミスリルの剣を追加しておいてくれるとありがたい。」


 苦い顔を浮かべながら剣の手入れをしていた男、ミリオン・ラスラ・プロミネンスがその表情に違わない口調でそう告げた。


「なんだ?ダメになったのか?」


 ベルディナが彼の方を向く。ミリオンが手に取っていたのは、彼の体格には合わない短めの剣だった。


「レミーのものだ。ここまで騙し騙しやっていたが・・・これ以上研げば刀身が細くなりすぎる。もう限界だろう。」

「確かにな・・・買い直すなら今のうちか。もっと丁寧に使いやがれってんだ。で、その本人はどうした。さっきから声をきかねえが。」


 ベルディナはいらだちを隠さず頭をかきむしった。

 確かに剣は消耗品であり、むしろこの一年半の間交換する必要がなかったのは幸運と言っていいだろう。

 それについてはベルディナも重々承知していることだが、金のない今になって交換しなければならないとあってはさすがの彼も憤るより他がない。


「さっきから隅でお休みだ。あまり大声を出すな。」


 ミリオンが目線で指した方には、馬車の縁に背中を預けて眠りこける少女がいた。毛布が簡単に掛けられているのは、おそらくユアが気をきかせたのだろう。

 燃えるような紅く長い髪が幌の隙間から吹き込む風に揺られる。「紅い髪は死を、青い瞳は不幸をもたらす。」その忌み嫌われた二つを持つ彼女は、そういった意味で多くの人に強烈な印象を与える。しかし、三人はその髪が好きだった。


「まったく、こいつは気楽なもんだ。」


 ベルディナはそういうと肩を落とした。


「大物なのだろう。さすがは一国の王女と言ったところか。」


 ミリオンは手入れの終わった武器をさやにしまい、ユアから受け取った目録にざっと目を通すと、やはり苦い表情を浮かべた。


「街に着くまで寝させてあげようよ。今回は、さすがに辛かったもの。」

「ああ、そうだな。」


 ベルディナは眠る少女、レミュート・アンファイン・グラジオンを見ながら今回のことを思い返した。

 今回の仕事は羽振りのいい仕事だったはずだ。少なくとも依頼を受けて出発するまでは疑いようの無いことだった。その考えが反転したのはどの時点だったか。

 普通に考えて、この仕事はただの荷馬車の護衛であったにもかかわらず、その報酬は一般的な額を大きく上回っていた。ならば、何故彼らがこれ程までに割の合わない状況に陥ってしまったのか。

 敵が多すぎた、そして苦戦を強いられすぎた。

 この手の護衛における敵とは、荷物を狙う盗賊と昔から相場は決まっているはずだった。

 事実、半年前迄なら彼らの敵とは多くはそういった手合いだけだった。

 しかし、今回に限って・・いや、ここ最近になってといった方がいいのかもしれない・・彼らの敵の多くは盗賊では無くなっていた。

 それは、まっとうな命を与えられず、まともな意識すら持たない魔物であった。

 敵が盗賊であればまだその対処は容易だとベルディナは考える。なぜなら、例え無法者であっても少なくとも人間である故にこちらが圧倒的な戦力を持っていると悟らせればたいていの場合は戦闘にはならない。

 時折、彼我の戦力差を見誤ったごろつきが襲いかかってくることはあるが、手合いの力量を読めない者にまともな戦術などありはしない。

 しかし、魔物は違う。まともな意識すら持ち合わさないがために自ら滅びることを恐れない。それは、敵として立ちはだかれた以上、何をもっても撤退させることは出来ないため、それを完全に討ち滅ぼさない限り戦闘は終わらないことを意味する。

 更にやっかいなことに、魔物というのは魔術以外の攻撃が効きにくいのだ。

 ミリオンのような豪腕の剣士であれば、それなりに有効なダメージを与えることが出来た。しかし、レミュートのような軽装の剣士では、魔術を併用しない限りまともな傷を与えることはできなかった。

 それが少数であればまだ対処のしようがあるが、もし、それらが徒党を組んで襲いかかってきたとすれば・・例え熟練の旅人であっても命の覚悟を求められるだろう。

 レミュートが魔術を使えて助かった。と、ベルディナは心底思った。そのせいで、レミュートには随分と無理をさせてしまったが・・。


「魔物が多すぎる。なぜ、今になってこれ程に増えた。ベル、何か心当たりはあるか。」


 ミリオンは、ユアにお茶を入れるように頼み、広げていた荷物をまとめた。


「長期的に見てこういうことは別に珍しいもんじゃねえ。」

「つまり、魔物の発生量には周期があるということか?」

「それほど厳密な周期ってわけじゃねえけどな。俺の見立てだと・・そうだな、だいたい20年ごとか・・。」

「20年前だと・・私がベルに拾われた頃になるのかな?」


 ユアは小首をかしげた。


「ああ、そうだな。俺がお前をグラジオン王国に連れてきた頃だ。」


 ベルディナの脳裏に雨に濡れる細い路地裏の風景がよぎるが、彼はすぐにそれを打ち払った。


「やはり、その時にも今のような状況だったと?」

「そうだな・・と、言いたいところだが・・。正直なところ今ほど酷くはなかった。この状況は過去100年間で最悪だろうよ。」

「100年、と聞くと遠大に思えるが・・君にとってはおそらくそうでもないのだろうな。」

「まあな。俺が生きてきた時代だ。」


 300を越える時を生き続けてきた彼にとって、この100年の時はいかほどのものだったのだろうか・・。

 ミリオンは、ユアが入れたお茶を口に含む。いくら彼女が点茶に長けているとはいえ、手持ちのものではそれほどの味を出すことは出来ない。

 しかし、ミリオンはこの味が好きだった。少なくともベルディナが王国で入れていた物に比べると幾分かまともであると思える。最も、それを言えばベルディナが酷く機嫌を悪くするだろうから口にしたことはない。


「私も、少し眠くなってきたよ・・。」


 暖かいお茶を飲んで気分も落ち着いたのか、ユアは目を擦りながら小さくあくびをついた。


「少し眠るといい。街に着いたら起こす。」


 ミリオンは毛布を渡すと、ユアから荷物を受け取った。

 ベルディナは、ランプの火を少し弱めるとミリオンを誘って彼女たちが眠る反対側に居場所を移した。幌の隙間から僅かに見える外の風景は、残り数刻ほどで目的の街への到着を告げていた。



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