(5)主達の語らい
スリンピア王国の王宮は世界に誇る大国の称号に違えることなくまさに絢爛豪華を絵に描いた様子だった。特にその玉座に施された彩色は国中の名ある彫刻家や建築家がこぞって寄せ集められ、十数年の歳月をかけて作られたものであるからその程を伺うことが出来る。
しかし、その王宮の外れにある隠居のような小部屋にはまるで庶民の一室をそのまま持ってきたかのような異質な場所があった。
「久しぶりだ、クロード。スリンピア国王。」
クロードは読んでいた書物から目を上げ、公務の合間に出来たつかの間の休息を訪ねてきた友を迎え入れた。庶民の一室ようなといっても、そこにあるのは埃臭い喧噪ではなく、王族がたしなむべき静謐さと不可侵性が保たれている。その住人であるスリンピア国王、クロード・ゼフィール・スリンピアも今は玉座に座る時とは違いゆったりとした部屋着を着込んでは居るが、それが王族の気品を損なうことはない。
久しくこの部屋に入るグリュート、グラジオン国王は、部屋の持つ雰囲気とその家主の持つ雰囲気の格差をいつも滑稽に感じている。ついつい口元がゆるむ彼を見て、クロードと呼ばれたスリンピア王国の国王は相好を崩し、久方ぶりの再会を祝った。
「久しぶりだ、グリュート。グラジオン国王。最近はどうもやることが多くなってね。君と会うのも難しくなってしまったな。」
グリュートは、「それは私もだ」と答えると、紅茶のセットが置かれている狭い丸テーブルを挟んで彼の正面に設えられている木製の椅子に腰を下ろした。
従者は連れていない。それはクロードがいやがるからであるのと、グリュート自身も友との会話に他者を挟みたくないからだ。
「それにしても、随分きな臭いことだ。君のここのところの多忙の理由はこれか?」
グリュートは脇に挟んでいた今日の日付の入った新聞をテーブルに置くと、深く腰掛けため息をついた。その一面にでかでかと飾られている記事にクロードは見飽きたと言わんばかりにため息をつき視線を外した。
「せっかくの休息に勘弁してくれ。今だけは忘れたい。」
彼のその瞳を見て、グリュートは無粋なことをしたと詫びるが、ただの雑談が目的ならわざわざここに来る必要もないと改め茶棚からカップを取り出すとクロードが入れた紅茶をそれになみなみと注いだ。
クロードは自分のことを他人にやらせることが何よりも嫌いだ。だから、この部屋は従者はおろか緊急の用事がない限り重鎮である大臣さえも立ち入りが禁じられている。しかし、彼の一番の友人であるグリュートだけが無許可での立ち入りが許されている。グリュートは少しばかりそれを誇らしく思うが、大国の国王たるものがこのような引きこもりをしていては下の者達を混乱させるとも思っていた。
「お互い自由にはなれんものよな。」
カップを僅かに揺らしながら、その水面を移り変わる部屋の景色を眺め、グリュートは少しため息混じりに呟いた。
「そうだな、悪ガキだった俺たちが今では一国の主なんて話は笑えて涙が出てくる。」
両手を広げて肩をすくめるクロードの仕草は、自分の半生をいかにも滑稽だったかと物語る様子だったが、さすがにそれを真に受けて失笑するわけにはいかなかった。
「私も時々ベルディナに言われるよ。『人は成長するもんだな。』とな。」
「成長と言うよりは少しは演技が上手くなったというべきだろう。俺も君も根子の所はあのときのままだ。そう思わないか?」
グリュートは「確かに」と笑いながら答えた。
今はなきグラジオン前国王が在冠の時、グリュートは良くも悪くも自由な武人だった。剣を扱わせれば王国一。それは如何なる王国騎士でも太刀打ちできない剛の者であることは世界中の王室の知るところにあった。故に、彼にとって王国は狭すぎた。世界にはまだまだ自分よりも強い戦士が居るはずだ。
自らの力を律する強者は人の表に立つことはない。そして、実戦をくぐり抜けた歴戦の勇士は人前より姿を消すことが美とされてきていた。自らを賞賛せず、誰からの賞賛も得ず。ただ黙々と自らの技をとぎすましそれを密かに後世に伝えていく古強者の存在。グリュートは16になった頃、彼らへの思いをこらえきれず半ば城出のごとく世界へと飛び込んでいった。当時彼の教育係であったベルディナを携えて。
それを思うと苦笑いをするしか他がなかった。なるほど我が娘、レミュートはしっかりと自分の血を受け継いでいる。あれが男に生まれれば全てはうまくいっていただろう。我が跡目であるレイリアは国を支えるには少し気が弱い、あれはどちらかというとベルディナのように自分の決めた一つの道をただ黙々とやり遂げる生き方があっていると彼は感じていた。
しかし、国をまとめ上げるのはレイリアの仕事だとも彼は思う。自分の跡目を引き継ぐ以上、その行いは自分と同じであってはならない。
(私は力と威光で国をまとめ上げた、息子は知力と努力で国をまとめ上げるべきだ。)
「ところで、そちらの王女は元気にしているのか?俺の息子と娘が最近会いに来てくれないとふくれている。王子の方は時々顔を出してくれるのだが。近々何とかしてくれると助かる。」
やはり、とグリュートは込み上がる笑みをこらえた。この男もやはり私と同じ子を思うと国王より父親の顔になってしまうのか。特に彼がこれまで経験してきた肉親達との関係を思えば、確かに彼が妃と子供達を大切に思う気持ちは理解できるが、それにしては少し過保護すぎる様子もあるとグリュートは感じた。
「それは、無理な注文だ。私の娘、レミュートは今国にはおらん。」
「ほう、ついに花嫁修行にでも出したか。惜しいことだ、あれは良い戦士になれたろうに。」
「いや、あの者は剣を修めることは出来ぬ。それはあやつも自覚しているだろう。」
「なるほど、だから諦めさせるために花嫁修業にと?それは酷なことをしたな。それにしても残念だ。うち(スリンピア)に預けてくれたのなら数年で最高の淑女に育て上げられたものを。」
「花嫁修業ではない。今はベルディナ達と共に旅に出ている。今どこにいるかはさっぱり見当も付かん。」
「へえ、旅にな。若い頃の君を思い出すな。そうか、なるほど君も豪気なものだ。良くそれを許したものだ。」
「いや、私と同じだ。」
「出ていったと言うことか。いやはや、あの王女は容姿は君の嫁と似ているが、その中身はまるっきり君と同じと言うことだ。」
「血は争えぬものだ、何度それを言われたことか。」
「むしろ心強いではないか。君の娘の帰還が楽しみだ。如何なる戦士として国に帰るか。いっそのこと王位継承権などあの娘にくれてやるといい。その方がよっぽど君の子供達のためになるだろう。」
「それは、言わぬ約束であろう。」
「悪かった。」
それをグリュートが許しても国の重鎮達はけっして許しはしないと彼は知っていた。大臣達の信頼を得られない国王の国には未来はない。しかし、国民はどう思うだろうかとグリュートはふと思った。
何にしても自分が存命であるうちに跡目の決着はつけておかなければならない。さもなければ重鎮や貴族達の利権や派閥争いでレイリアとレミュートが対立する可能性もまた否定できないからだ。あの子達にはそのような人生を歩ませるわけにはいかない。
せめてもの救いはベルディナが次期国王にはレイリアが相応しいと考えていることか。もしもの時は頼りにせざるを得ないだろうと彼は思い、何かと苦労をかけてしまう彼に申し訳ないと感じていた。
そして、王家の跡目の困難さはクロードにとっても他人事ではなかった。クロードは彼の父とは違い、正妻の妃以外の室を持っていない。彼の父は多くの愛を持つ男だったと彼は常々ため息混じりに話す。それは彼なりの最大の譲歩であり婉曲なのだが、それを聞いたものの全ては彼の父、前スリンピア国王が女性関係に節操のない人物だったと推測できるだろう。
故に彼の崩御の後その継承には多くの問題が生じることとなった。
『父は確かに政治的に辣腕な男だったが、生来詰めの甘い男だったのだよ。まさか自分の死後になって自分の息子娘達がこのような醜い争いを演じるなど、夢にも思わなかったのだろう。あの男が遺書なりなんなりで死後の後継者やその他の嫡系への配慮を記してくれていたら、俺は弟や妹たちを失わずに済んだのかもしれない。全く、馬鹿な男だった。』
言葉辛辣に語るクロードの瞳はいつも悲しみの色に染まる。父の死後、悲しみの病に伏せる母を看取りながら我こそはと争いを続ける異母兄弟達の争いとそれに群がる貴族や大臣、重鎮達に囲まれ彼はまさに孤立無援の青年時代を送っていた。
一度は逃げることを示唆されたこともあった。しかし、自分が逃げれば母はすぐに殺される。例え病で先は長くないとはいえ母にそのような最後を与えるわけには行かない、そして権益や立場などかまわず彼を守ろうとする騎士の者達も彼らの先に暗雲があってはならないと説き伏せ、彼は自ら孤立への道を選んだ。
『俺はお前とお前の弟妹、そして妃達の全てを愛していた。そしてそれ以上に俺はこの国を愛していた。お前には苦労をかけるかもしれんが、何とか守ってやって欲しい。愛していると行っておきながら父親らしいことは何一つ出来なかった、お前は私のようにはなるな。』
継承権を辞退することも考えていた。しかし、彼は父が今際に残したその言葉を思いそれだけは出来ないと心に誓い、母の逝去を機に彼はこの動乱の終息を目指して密かに動き始めることとした。
その後数年。スリンピア王室の暗黒時代とも呼ばれるその動乱は、結局相次ぐ暗殺や襲撃の末、争いあっていた弟妹たちは相次いでこの世から去り、その争いから最も遠い位置にあったはずのクロードがスリンピア国王の名を継ぐことで決着を見た。その間に何があり、クロードはいったいどのような行動をしていたのか。それを知るものは既にその本人だけとなり、彼はそれをけっして口にすることはない。
彼が他の候補者を闇討ちしそれを相打ちに見せかけたという噂がまことしやかに流されたこともあったが、グリュートはそれを即座に否定した。確かに、友であるクロードはともすれば策略に長け、非情な面を持ち合わせることは彼も知っていた。しかし、幼少から彼を知るグリュートには彼が異母兄弟達を確かに愛していたということも知っていた。そんな彼が、例え王室平定のためとはいえ愛する姉弟達をその手にかけることは絶対にないと信じている。
それにしても、とグリュートは今は遠き空の下にある娘のことを思いやった。あれから一年と半年になるベルディナより三月に一度は書簡が届き、娘の安否を知らせてくれるのだが、彼は自分たちが今現在何処にいるか記すことはなかった。おそらく娘には内密にして文を届けてくれているのだろうが、それを知らせないことがあの者が娘に対する最大限の配慮としているだろうか。
今頃何処にいることやら。出来ることなら万全であって欲しいとグリュートは願った。
「陛下!!」
その沈黙を破ったものは、扉外から響き渡ってきた騒々しい足踏みの音と共に、扉を蹴り壊すかの勢いで走り込んできたクロードの側近武官だった。
突然の珍客に思慮の海を漂っていた二人は一瞬面食らうが、あくまで表情は平静を保ち息切れした彼の姿勢を直させた。
「騒々しいぞ。客人に失礼であろう。何用だ。」
彼の切り替えの速さにはいつも感心させられる。
「申し訳ありませんでした!」
その側近の武官、グリュートが記憶しているところでは確かグレイア連絡特使といった武官は荒い息をつく暇もなく、まるではいつくばるかのように頭を垂れた。
「私はかまわぬ。緊急の要目と推測できるが…。私は退室した方がよろしいか?」
グリュートはちらりとクロードの顔を伺うが、クロードはグレイア特使に「どうなのだ?」という視線を送った。
「は!おそらくではありますが、グラジオン国王陛下にもお耳通しいただくべきと推察します。」
彼はそういうと、懐にしまい込んでいた一枚の書簡を取り出し、片膝を付いて恭しくクロードへと献上した。
「ベルディナ大導師殿からであります。」
「ベルディナが?」
よくよく見るとその書簡の側面には魔法ギルド大導師の証である印が簡易ながらにも刻まれていることが見て取れた。クロードは更に驚愕し、急いで筒をこじ開けると中に丸められていた粗末な紙を取り出し、それに目を通し始めた。
読み解くことにはさほど時間がかからなかった、しかし、クロードの視線はまるでその内容が実に難解なものであるかのように何度も何度も紙面の間を行き来し、深いため息と共にそれを机の上に置いた。
「グリュート、君も読んでおいたほうがいい。残念ながら君の娘のことは何もかかれていないがな。」
グリュートは無言でそれを拾い上げ、そこに描かれた少しばかり雑な文字を追い始めた。
文字は書く者の人間性を表すとはよく言われることだが、なるほど確かにそこにある文字は彼の人間性を良く表しているとグリュートは思うと、その内容を吟味し始めた。
その手紙には特に難解な内容が記されているわけではなかった。素早く確実に意思を届けるため一文を短く区切り、極力シンプルな表現を使用しているそれは、緊急文であることを考慮しても王家へと届けられるべきものではない。
『ベルディナ・アーク・ブルーネスより、スリンピア国王クロード・ゼフィール・スリンピアへ。この手紙が手遅れにならないことを祈る。俺は現在クローナ村あり。クローナは現在、何らかの原因で魔物の襲撃にあり、俺たちはその防衛を行っている。この原因だが、おそらく昨今話題の件と関係があると思われる。この事件、なにやらきな臭い。裏に人為的な意思があると予感する。大至急対応と、俺の予感の裏をとられたし。あと数日もすれば、おそらく俺は魔法都市に足を運んでいるだろう。出来ることなら俺宛に順次調査結果をギルドへ送ってもらえると嬉しい。P.S これはあくまで俺の予感に過ぎない。出来るなら杞憂であることを望む。』
「クローナ村。目と鼻の先ではないか。何故君の国は対応が出来ていない?すぐに兵団を派遣するべきだろう。」
グリュートの心はざわめいた。クローナが魔物の襲撃にあり、ベルディナがそこに留まって防衛をしているというのであればかなりの確率で彼の娘、レミュートもそれに巻き込まれている可能性がある。今現在、彼らがこうして雑談を交わしていた時にもレミュートは危険な目に遭っているかもしれないと思うとグリュートは気が気ではなかった。
半分なじるような口調をクロードは受け止め、グレイア特使を呼びつけると、
「サイネリア議長を呼び出し、至急この件への対策会議を開くよう伝えろ。時間は本日中、場所は君に任せる。」
そう短く命令するし、それを受けたグレイア特使は「はっ」と短く敬礼し来た時と同じほどの勢いで部屋を後にした。
「というわけだグリュート。済まんが、俺はこれから会議をしなければならないようだ。」
「ああ、分かった。済まぬ、取り乱した。」
グリュートは高ぶる己の感情を深呼吸で抑えつけると、カップに残された紅茶を一気にあおり少しばかり目を閉じ精神を集中させた。
クロードは武人としての落ち着きを取り戻した彼に安心を覚えると、椅子から腰を上げ、側に吊してあったマントを羽織る。一国の主に相応しい豪華な刺繍と、その中心に誇らしげに輝く国家の紋章が施されたそのマントは、紋章の側にただ一言『我はスリンピア王国とそこに生きる民のためにこの身を捧げる』という近いの文が刻まれていた。それは、クロードが戴冠の時、全ての国民の前で誓った言葉その者である。
これを肩にかける時、自分はこの国を背負い上に立つことを誇らしく思うと同時に、それにかけられた歴代の重みを感じるようだった。
「君だけには言っておこうと思うが、昨今の件、裏にガルフィス帝国が潜んでいる可能性もある。出来ることなら、君の国で奴らへの警戒を行ってもらいたい。」
すっかりと国王としての表情を取り戻したクロードに一種の尊敬を持ってグリュートは立ち上がり胸を張り、眼鋭く彼を射貫いた。
「承知した。境海の警備体制を強化しよう。緊急時には海上封鎖も視野にいれてな。」
そう答えてグリュートは身体に流れる血流が沸々と煮えたぎるように感じられた。やはり、自分は生涯を戦いに身に置くことを宿命づけられている、と高鳴る闘争心に心を躍らせた。
「ベルディナの言うとおり杞憂であればそれでいいのだが。」
「国の上に立つ我々が楽観的であってはならない。分かっておるよ。」
そしてグリュートは、それにしても…と口調をゆるめると少し悪戯な笑みを浮かべ口を開いた。
「お互い国王という立場が板についてきたものだ。時間の経過とは不思議なものよ。」
クロードは「はは。」と笑い、「まったくその通りだよ。」と答え表情をクシャッと崩して片手の平を掲げ口に笑みを浮かべた。
「君の従者を呼び寄せる。帰国の際は警備艦で護衛をさせよう。では、健闘を祈る。」
グリュートは去っていく共に「君も健闘を。」とつげ、クロードは振り向くことなく、ただ右腕を掲げ握り込んだ指から親指だけを引き延ばすとしっかりと天へと向け「任せておけ。」と背で言葉を返した。
(ベルディナよ、私がそなたに願うことは今でも変わらぬ。娘を、レミュートを頼んだぞ。どうか守ってやってくれ。)
グリュートは手早く帰国の準備に取りかかると、腰に巻かれた帯の弛みを直し、少し折れ曲がった袖口をなでつけ、前合わせのボタンを整えた。
そして彼は束の間で娘を思いやる父親から国家その者を背に負う王へと自らを変貌させる。
それが、彼が20年の歳月を持って成し遂げてきた全てへの答えだった。
スリンピアの賢王、グラジオンの戦王の束の間の邂逅はそうして終演を迎えた。