(1)惨劇
若干、グロテスクで生々しい表現を含みます。ご注意ください。
現在修正第二稿目(2008/10/27)
煙じみた空気はむせかえるほどの熱気と臭気をさらしていた。
「ひどい・・。」
いったい何が起こればこれ程の惨劇を生み出すことが出来るのか。
「大丈夫か。レミー。」
不用意にも深く息をついてしまい、むせ返るレミュートの背をさすりながらベルディナは腰の小剣を引き抜いた。
パチパチと木が炎をまとい爆ぜるノイズと共に、明らかに現実的でない獣のうなり声が地を響かせ渡り歩く。それが奏でる重鈍な響きは、まだ幾らかがそこにいて次なる犠牲者を捜し求めていることを知らせた。
「・・ベル・・、私は奴らを屠る・・。」
熱に耐えきれず、ガラガラと崩れ去る家屋の音を耳に、ミリオンはゆっくりと剣を引き抜くと怒りをその背にまといながら足早にかけだそうとした。
「待て、ミリオン。」
現状が把握できていない状態で不用意に動くわけにはいかない。そんな言葉で彼を止めることは出来ないと分かっていながらもベルディナはその背に声を浴びせる。
「止めるか?」
彼の歩みを止めることは出来ても、身から猛る怒気を沈めることは出来ない。しかし、ミリオンは冷静だった。
「いや、止めねえ。とにかく、お前は連中の本隊を消せ。俺は、逃げ遅れた村人の捜索だ。」
「ユア。お前は避難している者を探し傷の手当てを。レミーはユアの護衛だ。いけるな?」
ベルディナは、口をつぐんだまま青ざめるユアとレミュートに目を向けると一気にまくし立てた。ユアとレミュートはそれに無言で答える。
「行動開始だ。」
そして、ベルディナは馬の側で立ちすくむ馭者に向かって声を張り上げた。
「あんたは女子供を連れて森に逃げろ。奴らは鈍足だから馬で駆け抜ければどうということはない。一度村を一周してそれらを回収。こっちが何とか落ち着いたら信号を撃つ。空が見えるところで待機していてくれ。」
馭者は荷物運びである以前にギルドの魔術士だ。だから自分の身は自分で守れるだろうと彼は期待すると馭者の答えを聞かずミリオンの後を追った。
***
信仰の村クローナ。穏やかであるはずの村に突然襲いかかった悲劇。昨今話題に上る辺境での惨劇がこの舞台を作り出すまで、村人はとても穏やかに過ごせていた。
「畜生め!何で俺たちの村を・・。何でこんな目に遭わなきゃなんねぇんだ!!」
無惨にも折れ曲がりちぎれ飛んだ剣と共に膝を折る男の叫びは、彼の命を奪うモノにとっては何の意味もなさない。
しかし、彼はそこから立ち去ることは出来なかった。
「パパ・・怖いよぉ・・。」
未だ幼く、母親の命と引き替えとしたこの命だけはなんとしても。しかし、彼らの死はその数歩先にそびえ、意思の宿らぬ灼眼を携え、高く掲げたその腕を今こそふるい落とそうとする。
その先にあるものは・・・・。
男は眼を硬く閉じ、側でふるえる小さな命をせめてその猛威から守るがごとく、きつく抱きしめた。
「させぬ!!」
その声は幻か、熱を持つ大気のふるえが生み出した空声か。振り下ろされ、大地を切り裂き、荒れ狂う嵐となって襲いかかる熱気に覚悟を決めかねるその身は震え込み、今、己が何処にあることか理解できないままに幼子を大地に包み込んだ。
その絶叫をあげるは何者か。我か、他か。しかし、自らの血流が鼓動を打つ音を聞き、驚きのままに面をあげた。
「今仲間がこちらに向かっています。どうか、安全な場所へ。」
彼が見たものは、悠然と剣を携え、腕をもがれ闇へと霧散する獣をただ怒りの感情のままに見下ろす男の背であった。
「あ、あ・・。」
言葉が出ない。自分が助かったことが信じられない。せめてその顔を見せて欲しい。しかし、彼は振り向かず、嵐となる熱気のただ中へまっしぐらに突き進んだ。
その剣の放つ銀光は、闇の中に投げ込まれた一握の希望か。
男は立ち上がり、気を失った娘をしっかりと抱き留め、折れた剣を携え、彼の背を追った。
***
(背中を預けられる仲間がいないことがこんなにも心許ないと感じるようになるとは、俺も平穏に慣れきっていたということか。)
折れた剣を携えた男から預かった少女を抱え、ベルディナは自嘲するかのように薄い笑みを浮かべた。少女はよく眠っている。
肝が据わっているのか、ただ単に状況が分かっていないだけか、その寝顔は全く穏やかなもので、何かを求めるようにその柔らかな頬をベルディナにすり寄せてくる。
その甘えた寝顔に幼い頃のユアのほほえみが重なり、ベルディナは僅かに心に平静を取り戻した。
それにしても・・。と、ベルディナは、先ほどの光景を思い出した。
遠目から見たミリオンの剣技は凄まじく、巨木のごとくそびえ立つ獣を一刀のもとに両断するほどの鋭さだった。彼が一流の剣士であることは彼もよく知っていた。しかし、ただの一流の剣士があのような方法で魔物を滅ぼすことが出来るものか。
怒りに身を任せながらも彼は驚くほど冷静に思えた。まるで、戦うことを宿命づけられた戦人のごとく、荒れ狂う感情を全て力に置き換えることが出来るのかと思えるほどに。
だが、あれはまずい。下手をすれば・・・。
しかし、その思考は再び出現した魔物の姿によって中断される。
村中を疾走する馬車は、なるほど多くの者達をその中へと誘うことが出来たようだ。しかし、それによって重みを増した荷重に、その車軸はきしみをあげて進行を妨げる。
「くそ!」
ベルディナは、馬車の行く足を引き留める邪悪な垣根をにらみつけ意識をとぎすます。
「数は6。一体当たり3発・・いや、念のため5発だ。」
勢いを殺せぬ馬車はこのままではまともにその垣根にぶつかり、そこで多くの命が散り去るだろう。ベルディナは、両手で抱えていた少女を小脇にやると、右腕を掲げ30の光の矢が飛翔し敵を打ち砕き消し去るイメージを送り込んだ。
そのイメージは身体の中心より湧き上がる魔力の奔流として急速に血流と共に身体中を駆けめぐり、活性化を遂げていく。
それを伝える神経の裏側にある呪術神経のパルスが脈を打つ血流のごとく逆流を始め、身の毛がよだつほどの不快感に脳が悲鳴を上げ始めた。
薬と輝石によって魔力を押さえ込まれた身体で多くの魔力を行使することに伴う弊害は、彼の精神に多くの負担を強いる。
だが、今はそんなことを嘆いている暇はない。
「光弾の射手・30連同時放射・・。」
その言葉を起点として、彼の腕の表面に表出した光の衣は、水中より発生した気泡が水面へと浮かび上がるように、空中へと光の小泡を生みだし、その数を増していった。
その様はまるで夜空に浮かぶ星団のごとく、夕暮れの陽光の下に切り取られた地上の銀河だった。
「いけ!」
そして、放出された地上の星団は馬車の背後より圧倒的な速度をもって飛翔し、その眼前に立ちふさがる魔物に襲いかかる。幾重にも連なる魔弾はまるで己の意思を持つかのごとく軌道を変え、それが逃げる暇も道も与えぬよう襲いかかり、ことごとく命中、粉砕していく。
アーク・ブリッド。魔術士が習うもっとも基本的な攻撃呪文でありながらそれに込められた魔力がが大きければ必殺たり得る。
光の明滅の後には霧散する黒い霧が大気へとけ込むばかりで後は何も残らない。それに驚き歩みを止めた馬車を幸いに、彼はそれにかけより、腕の中に抱きかかえていた少女を彼に預けようとした。
「・・・??」
目を覚ましてしまった少女は、愛らしいあくびをつききょろきょろと周りを見回した。そして、自分を抱きかかえているベルディナを不思議そうに見上げると、ただ一言、「パパは?」と聞く。
不安そうなその瞳を安心させるようにベルディナはニコッと笑いかけると髪をなでつけ、
「大丈夫だ。また後であえる。」
少女は、その笑顔に元気づけられ、太陽のようなほほえみを浮かべると、「うん。」とうなずき、馬車に乗り込んだ。
「大導師。これ以上は限界です。森に逃げます。」
興奮する馬をなだめ尽かせ、手綱を鞭のように操る馭者は、どうやら人を乗せるためにその積み荷の殆どを破棄したようだ。
「分かった。なるべく水場に近いところにいけ。魔物は水を嫌う。だが、空が見えるところだ。信号を送る。」
ベルディナはそんな彼に感謝すると、蒸留酒の小瓶を投げてよこした。度数の強い酒は、気付けと消毒に使える。安酒もこうして使われれば本望だろうと彼は思うと、彼らの無事を祈った。
村の出口まで馬車を護衛し、それに立ちふさがる魔物に光の矢を降らせ。彼は馬車を見送った。太陽は西の山の頂をかすめ、大地を血の赤に染め上げる。
馬車から手を振りながら遠ざかる少女に手を振り返しながら、ベルディナは街を振り返振り返った。
(これを終わりにしてたまるか。)
彼は、逃げた馬車を追って迫り来る魔物達の一団を睨み付けると、風の魔力を纏いながら、それに身を躍らせた。
鋭い光の明滅が幾重にも重なり、魔力が爆ぜる振動が大地に響きわたっていった。