四話 作品と不調
窓の外で強い雨が降り始めた。
「ぼくの作品は、ただ狂った人のうわべをなぞってるだけ」
中等部なのに、放課後になるとだいたいの確率で高等部の美術室にいて何度も何かの芸術系の賞を取ってるすごい男の子は牛乳瓶にいけられた椿をみながらぽつりとつぶやく。
作品について褒められてもだいたいはうれしくなさそうな反応ばかりするし、誰かと会話をするタイプというよりは沈黙を楽しむタイプらしい彼にしては珍しい。
「どこの誰にでも、集団心理に飲み込まれたら狂ったようなことだってするし。衝動的に、平和な何でもない場面が理不尽なことで即座に崩れないかと思うことだってある」
いや、彼はただ一方的に話したいだけなようだ。
「たとえば、友達や家族がこっちに背中を向けてるときに手近にあるもので殴りかかったり、あるいは切りかかったりしたらおもしろいだろうなってふと思ったりするし」
「猟奇的だね」
これは誰にでもあること、とか、彼なりの日常あるあるなのかな……?
なんにせよ軽い雑談としてもちかけるようなものじゃない分野の話題なのは確かだ。
「でもそれをやらないのは、自分で自分がしちゃいけないことに気がつくから」
「そう……だね?」
「じゃあ、狂ってる人はどうするんだろう」
そのまま行動に移すんじゃない?
と言おうと思ったけど、そう言うとそう言うように仕向けられたような気分になるから黙っておく。
「たくさんの人が決めた悪いことをやるか、やらないか。その計画を立てる時点で狂ってるようにもみえるし、でも、計画を立てたことがばれなくていきなりやったように見えたのなら突発的にしたように見えるから狂ってるとはいえないし?」
彼が何が言いたいのかを考えてみるよりも、自然に言葉として出てくるのを適度に受け取るぐらいで良いっぽいかもな。
「ぼく、頭の中でいきなり思いついた悪いことを行動の代わりに作品に入れてるんだ。狂ってる人の考えるようなことは考えられないけど。そう言う人がしてきたことのまねごとなら、ぼくじゃなかったとしても誰にでも出来るんだよ」
「それをどうして僕に話したの」
「ぼくとは似てるけど違う人だと思ったからだよ。小さい子供みたいに内緒話をするでもないし。それと、たまたまここにいたから。こういう偶然有る良いタイミングって、使わないわけにはいかないだろう?」
「わかんないな君」
言葉を返すと、彼はわらうでもなくやはり何処までも淡々と僕を見据えてから椿の方に視線をやった。
「それから。この美術室にある像のいくつかに、おもしろいことをしておいたよ」
「許可は取ったの?」
「こっそりに決まってるでしょ」
他の部員がいるにもかかわらずどのタイミングでそんなことをしているのか、どんな仕掛けをしたのか寄稿として、ポケットに入れている携帯が鳴ったので、僕は生徒会室にもどることにした。そう言えば会議の時間が近づいていたんだった。
*
生徒会室に戻ってきて、カレンダーを確認する。
たしか今日は会議があったと思ったんだけど……どうやら思い違いをしていたようで、曜日はあっていたけど来週で、ほかに作業が無いことも無いから残っていこう。
最近みんな、どこかおかしい。
珈琲でも飲んだときみたいに少し高揚して心に落ち着きがなくて浮ついているような。
それでいて、楽しいことを見つけたり思いついたりすると没頭して、続けているといつの間にかそれを壊して滅茶苦茶にしている感じ。
特に目立っておかしいところがないのは会長と副会長ぐらいか?
「…………変わってくるにも、なにかが違う」
ペンを置く。
窓に激しく雨が打ち付ける音がして、嫌になったからカーテンを閉めようと立ち上がって、いきなり身体から力が抜けそのまま床に倒れる。
さっきまで普通だったはずなのにどうしてか全く起き上がることが出来ず、金縛りにでも遭ってるように何も動かせそうにない。
この身体は散々いじくり回されているから、なにかのタイミングで毒を盛られていたにしても効きはしないはずなのに……。
「……なんで」
ドアの開く音が聞こえ足音が此方に近付いてきた。
誰だろう。
「……?」
顔をのぞき込んできたのは蛍介先輩だった。
「いきなり……身体が動かなくなってしまって」
蛍介先輩はわかったという風にうなずくと、何のためらいもなく背中に腕を差し込んでそのまま僕を起こしてから軽々と抱き上げて生徒会室を出る。
「……えっ……いえ、運んでくれと頼んだつもりは」
見られていたら噂になったりしないように能力を使うまでだけど、今のところ廊下にも階段にも誰もいない。
「先輩」
「……ん」
保健室の前に来て先輩は戸を足で開け、適当なベッドに僕を寝かせる。まだ身体は動きそうにない。
近くの椅子に座った先輩は携帯を開いて何やら打ち込む。
『能力を使いすぎてない?』
「……そんなはずは」
ないとは断言できない。
不摂生で粗末な生活をしているから、適当なところで倒れないように自己暗示みたいにしてるし。
『待宵君はいつも顔色が悪い』
「……えっと」
『狂花は能力を使いすぎると死ぬのはわかってるだろ』
別に、僕がいつ死んだっていいじゃないか。
「どうでもいい存在なんていないよ。待宵君」
はじめて聞いた声だった。
すぐそばにいる蛍介先輩が口を動かしていたから、蛍介先輩の声なんだろう。
「え……先輩……喋れたんですか」
「直接声をかけたほうが聞いてくれると思ったから。特別にね」
蛍介先輩は困ったように笑いながらそう答えて、僕の額に手を当ててすぐにそれをやめると、椅子から立ち上がってカーテンの外に出て、しばらくしたら戻ってきた。
「熱……身体が動かないから自分でさしこめないね」
「……無いはずです」
「一応測ろう」
そして、先輩はどこか慣れた手つきで僕の上着とワイシャツのボタンをいくつか外して脇に体温計を差し込んだ。
「本当に食事とかとってる?」
「……食べる作業はしてますよ」
少ししたら体温計の音が鳴って、先輩はそれを取り出して数値を確認して、顔をしかめてから僕に見せてくれると、三十五度で平熱だった。
「低すぎ」
「……いつもそうです」
「出来ることは少ないし、一度眠ったら?」
悪夢にうなされるから極力眠りたくないんだけど、それを言ったらまた顔をしかめられるだろう。
「……少ししたら起こしてください」
「わかった」
目を閉じる。
眠ったふりでもしようと思ったけれど、寝心地の微妙に悪いベッドはあたたかくて少し懐かしく……。
*
髪の長い女の子は、僕を一目見て驚いたような表情を浮かべた後、目に涙を溜めてなにかを言った。
音が聞こえてこない。
近付いてみようにもその分だけ遠ざかってしまうし、身体が酷く重たかった。
誰なのかもわからないし、全く近付くことも出来ないのに姿を見ただけで安堵したのはどうしてだろう。
*
揺さぶられて目を覚ます。
さっきまで、どこか遠くにいたような…………。
まぁ、夢なんてそんなものだろう。
ともかく起き上がることは出来るようになったので、そばにいてくれたらしい蛍介先輩は安堵したように僕を見た。
「……ありがとうございました」
『帰りに倒れられても困るから、一緒に帰ろう』
そして、眠っている間に生徒会室から僕の荷物を持ってきてくれていたらしい。
「……そうですね」
『荷物、これだけだよね?』
「はい」
鞄を持とうとすると、蛍介先輩はそのまま僕の荷物を持ったまま椅子から立ち上がってカーテンのむこうにきえて、僕は少しふらつきながら慌ててそれを追いかける。
「自分でもちますから」
蛍介先輩はその言葉に応えることなく廊下を進み、上履きから外履きに履き替えて玄関を出て通学路を歩く。
「もう大丈夫です」
帰る場所は同じ学生寮だけど、荷物をもたせたままその敷地に入るのは少し気が引けるのでまた声をかけると、先輩は立ち止まって僕を見る。
そのまま返してくれるのかと思っていたら、鞄を二つ肩にかけて空いている手で僕の手を取りにぎった。
「先輩?」
「倒れたらすぐわかるように」
「ここまで歩いたのでいまさらそれは……」
断ってみたが手は握られたままで、そのまま歩き出す。
手をつないで歩くなんて仲の良い子供でもあまりすることはないし、どちらかといえば親子がやるような感覚に近いような。
「お互い酷い経験をしたから、とても見過ごせなかったんだ。待宵君たちは弟みたいなものだと思ってる」
「え」
「……消えていく結末は変えられないみたいだから短い間だけど……その間くらい、心配したりなにか世話を焼いても良いと思ってさ」
喋らない先輩だと思っていたけれど、喋らないなりにいろいろ考えていて……まさか兄弟だと思っていたのは意外だった。
「……ほんものの家族とは仲良く出来なかったので……その……なんて言ったらいいのか……」
「別に、一方的に思っていることだから何も感じなくて良いよ」
「……はい」
寮についてエレベーターにのり、誰か来られても気まずいことに変わりは無いから手を離して今度こそ鞄を受け取り、しばらくして先に降りた蛍介先輩の後ろ姿を見送る。そして自分の部屋のある階で降りて、その廊下で髪の長い女の子とすれ違った。
「え」
制服はこの学園のものだったけどそもそも此処は男子寮で、異性がいることはないはずなんだけど……。振り返ってみるとそのすがたはなく、思い返してみればそもそも足音すらも聞こえなかったような?
「幽霊か、幻覚かな」
帰ってはこれたけど体調が思わしくないことは確かで、見えてはいけないものが見えたのはそれが原因だろう。ここまで来たら部屋に戻るしかないので、僕はそのまま部屋にはいった。