007 母親が娘にバブみを感じてオギャる、そんな世界があったっていい
彼女は冷蔵庫から炭酸水を取り出すと、PCの前に戻った。
ウィンドウに表示される少女の姿を見て、口角を吊り上げる。
しばし少女たちのやり取りに耳を傾けていると、ふと気になることでもあったのか、黒い半球形の”イマジンデバイス”に手のひらを乗せた。
”調べろ”、そう念じるとブラウザが勝手に立ち上がり、『ペットシステム』という単語での検索が開始する。
一瞬で結果がずらりと表示される。
彼女はリスト2番目に出てきたFSO攻略wikiにアクセスすると、システム説明に目を通した。
◇◇◇
ペットシステム。
20XX年4月のアップデートにて実装。
ゲーム内、あるいは課金によって手に入る卵を孵化させることにより、ペットを入手することができる。
ペットの種類は、動物やモンスターの姿をした物から、人間型まで様々。
だが見た目、性能が良い物はだいたい課金ペットである。
ペットは常にプレイヤーを追尾し、指示を出せば戦闘にも参加してくれる。
また、課金ペットと一部のゲーム内ペットに関してはNPC同様にAIも搭載しているため、コミュニケーションを取ることも可能。
性格は成体になるまでの接し方で変わる。
基本的にペットは、常にNPCで言う所の好感度上限状態にあるため、従順な上にかなり懐いてくれる。
値段の高さにさえ抵抗が無ければ、ぜひ課金ペットを入手するべきだ。FSOを格段に楽しめるようになるはずである。
(FSO完全攻略wikiより抜粋)
◆◆◆
ハイドラたちの誘拐未遂事件から1週間が経過した。
世界の終わりとか、未来への不安とかさんざん考えときながら、ピリンキの町は今日も平和そのもの。
幸いなことに、スタンピードもあれからまだ1回も起きていない。
変わらない毎日が過ぎていく。
変わったことと言えば、ハイドラがさらに成長したってことぐらいかな。
……肉体年齢18歳ぐらいまで。
変わったのは肉体年齢と言葉遣いぐらいで、中身は相変わらずのママ大好きっ子のまま。
今のハイドラ、明らかにあたしより年上の外見してるんだけど、この子にママって呼ばれるのは何かのプレイなの?
特殊性癖なの? さすがにピリンキのみなさんも引き気味なんですけど!?
かと言って今さら呼び方を変えさせるわけにもいかず、あたしはハイドラからのナチュラル羞恥プレイに耐えながら日々を過ごしていた。
でもね、ハイドラが成長したことによって生じた最大の弊害は、そこじゃないの。
あたしのアイデンティティを揺るがす、重大な自体が起きてしまった。
その部隊は、胸部にそびえ立つたわわな双丘。
いわゆる――おっぱいだ。
つまるところ、悲しいかな、ハイドラは生後わずか1週間とちょっとで母親であるあたしのバストサイズを通り越してしまったってわけ。
さすがにマルルンさんほどじゃないけど、それでも歩く度にぶるんぶるんと、呼吸するだけでもぷるぷる揺れている。
お母さん巨乳なんて許しませんからねっ!
なんて言ったって現実は変わらない。
きっと今のハイドラは、そびえ立つ山のてっぺん――乳首の上からあたしの平原のような胸を見下してるんだわ、そうに違いない!
「ねえ、ママ」
「なによぅ、ハイドラ」
やさぐれながら返事をするあたしに、ハイドラは困ったように問いかけた。
「さっきからどうして、あたしの胸をずっと揉んでるの?」
「少し分けてもらえないかと思って」
「揉むだけじゃ無理だと思う……」
ハイドラの正論があたしの薄っぺらい胸に突き刺さる。
薄いから貫通も容易い。
胸にぽっかりと風穴を開けられたあたしは、あまりの辛さに耐えられなくなり、ハイドラの胸に飛び込んだ。
「うわ、どうしたのママ!? どこか痛いの? それとも苦しいとか?」
「心が痛くて胸が苦しいのよぉ……!」
「よ、よくわからないけど……よしよし、大丈夫だよ。あたしが傍にいるから」
いきなり不躾にも胸に飛び込んだあたしを、ハイドラは両手で抱きしめた。
生まれて1週間とは思えないこの包容力。
胸に柔らかさに嫉妬しながらも、甘えずにはいられない。
「ママが頑張ってることはあたしがよーく知ってるからね、やれば出来る子だってちゃあんとわかってるからね」
「ううぅ、ハイドラぁ……!」
慰めの方向性がずれてる気がするけど、そんなのはもうどうでもいい。
何もかもを忘れて、この肥沃なるバスト・オーシャンに溺れてしまいたい……!
◇◇◇
もちろんハイドラに甘えてばっかりじゃなくて、冒険者として食い扶持を稼ぐための仕事だってやってる。
以前はフレイヤさんに護衛してもらって薬草取りをやってたけど、最近の主な仕事はシーレント深森でのモンスター狩り。
とは言え、あたしの実力じゃランクEのモンスターを倒すのが精一杯、ランクCがゴロゴロと居るシーレント深森で狩りなんて成立するわけがない。
そこで登場するのが、成長したハイドラってわけ。
この子のブレスさえあれば、どんな敵の群れだって一発で倒すことができる。
そこであたしは颯爽とドロップアイテムを選別し、拾って一儲けする、ってわけ。
……ふ。
わかってる、わかってるわ、こう言いたいんでしょう?
結局ハイドラに甘えてるじゃない、って。
そうよ、まったくもってその通りよ、でも考えてみて。
ハイドラに狩ってもらえば、今までの10倍以上の収入が見込めるの。
急上昇したエンゲル係数にも耐えられるし、家賃だって余裕で払える。
なのに、あたしのちっぽけなプライドを優先する理由なんてどこにも無いわ!
というわけで、あたしはハイドラが倒し損ねたモンスターにトドメを刺しながら、高値で売れそうなアイテムをせっせとかき集めていた。
「うわ、シャドウナイフ! ランクCの短剣じゃない、これはあたしが使おーっと」
腐ったり朽ち果てる心配の無いアイテムはアイテムボックスに入れ、それ以外はバッグに詰め込んでいく。
性能がよく、使用可能な装備が出るとその度に更新していたおかげで、森に入る前よりもかなり”それらしい”装備が揃ってきた。
新しいブーツのおかげか体も軽いし、指輪のおかげで筋力も上がったし、今ならランクDぐらいなら倒せたりして。
なーんて、全力で他力本願のくせに調子に乗っていると――
ぶにゅ。
あたしは柔らかい何かを踏みつけてしまった。
寝てたモンスターでも踏んじゃったかな、と思って恐る恐る足元を見ると、女の子が倒れていた。
片目を隠す長い黒髪に、白い肌。
年齢はあたしと同じぐらいなのかな。
何より胸のサイズがわりと慎ましいから個人的にはポイントが高い。
死んでは……居ないんだよ、ね。うん、胸が上下してるから大丈夫だと思う。
しゃがみこんで体を抱き上げると、ふわりと不思議な匂いが鼻腔をくすぐった。
どうやらこの子の体から、薬草の匂いが香ってるみたい。
普通に採取してるだけじゃこんな風には染み付かない、普段からよっぽど薬草に囲まれた生活でもしていない限りは。
このあたりの薬草欲しさに足を伸ばして、体調不良で倒れた薬師、ってところかな。
そのまま抱えあげようとしたけど、あたしの力じゃとてもじゃないけど無理だった。
かと言って、このまま放っておくわけにもいかないし、今日の狩りはここで終わりかな。
「ママ、その人は?」
気づけば、ハイドラはあたしの背後に立って少女を覗き込んでいた。
「わかんないけど、とりあえずピリンキまで連れて行こっか。あたしの力じゃ無理だから、抱えてもらってもいい?」
「うん、わかった!」
ハイドラは迷いなく少女の背中と膝裏に足を通し、お姫様抱っこの体勢で持ち上げる。
こういうのって、普通は背負うものなんじゃ……。
ハイドラの体格が大きいせいか、やたら堂に入ってるのがなんかムカツク。
娘を彼氏に奪われた父親の気分、っていうのかな、こういうの。
あたし母親だけどね。いや、正確には母親ですら無いんだけどね!
よし決めた、今度あたしもやってもらおう。
「うわ、この人いい匂いがする。ママとちょっと似てるかも」
「薬草の匂いだと思うんだけど、あたしも匂う?」
そう聞くと、ハイドラはあたしの首筋に鼻を近づけて、すんすんと匂いを嗅いだ。
あたしは恥ずかしくて、ちょっと顔が熱くなる。
「うん、似てるっ。この人ほどじゃないけど、ママからも同じような匂いがするよ、だからあたし大好きっ」
そっか、あたしの匂いだから好きなのか。
ああ、この子はもう、どれだけあたしの心を奪えば気が済むのかしらねえ、まったく。
思わずニヤニヤしちゃう。
体が大きかろうと胸が大きかろうと、やっぱりハイドラは天使だわ。
◇◇◇
少女をピリンキの家まで連れ帰ったあたしたちは、早速布団を敷いて彼女を横たえた。
しっかし、よく見れば見るほど肌は真っ白だし、きめ細やか。
シルクみたいって表現は、まさに彼女のためにあるに違いない。
だから余計に、泥に汚れているのがもったいなく思えてしまう。
ハイドラに濡れた布巾を用意してもらうと、あたしはそれで彼女の頬を拭った。
「ん……」
すると、少女は苦しそうに体をよじる。
普段から陽の光に当たってたら、こんなきれいな肌にはならないはずだし、よく見ると服も上等な素材を使ってるみたい。
深窓の令嬢がどこかから抜け出してきて、無茶な冒険をやっちゃったって感じなのかな。
「この人、大丈夫なのかな、ママ」
「見たところ目立った怪我も無いみたいだし、じきに目を覚ますと思うわ」
それが幸いだった。
あれだけのモンスターが徘徊するシーレント深森で倒れておきながら、傷の一つも無いんだから。
豪運なのか、それともあたしが見つけたのが早かったのか。
どちらにしろ、少しでも遅れてたらモンスターの餌食になってた所だと思う。
その後もしばらく彼女の手や足を布巾で綺麗にしていると――
「……ここ、は」
少女が、ようやく目を覚ました。
「なに……この、ゴミみたいに……ボロっちい家は……」
んー……?
今、何かすごい言葉が聞こえた気がするんだけど、あたしの気の所為かな。
い、いや、たぶんまだ意識が朦朧としていて、脳が働いてないだけだと思う。
あたしとハイドラは彼女の顔を上から見下ろしながら、語りかける。
「おはよう、よかったわ目をさましてくれて」
「……誰?」
「あたしの名前はルトリー。ルトリー・シメイラクスよ。で、こっちがハイドラ・シメイラクス」
「ハイドラです、よろしくお願いします」
丁寧に頭を下げるハイドラに、ちらりと視線を向ける少女。
「ねえルトリー」
「ん、どうしたの?」
あたしは笑顔で返事をした。
けれど、彼女は相変わらず無表情のまま。
「あなた、何だかとても……」
その後、すぐにあたしの顔をまじまじと観察すると、気だるそうに言い放った。
「貧乏くさい顔してる」
それを聞いた瞬間、あたしは思わず笑顔を引きつらせた。
ああ、とんでもない厄介者を助けてしまった気がする――そんな予感が確信に変わるのは、この直後のことだった。