016 そんで昨日の味方も今日の敵になるから、世界は敵だらけだ
血しぶきが舞う――
矢はあたしを庇うために飛び込んできたストールの肩に突き刺さり、そして彼はそのまま倒れた。
「う、ぐ……」
傷口を抑えながら、苦しそうに悶えるストール。
あたしは彼を助けようとしゃがみ込むけれど、そうしている間にもボウガンの次弾が装填され、さらに背後からは剣と槍が迫っていた。
万事休す、一巻の終わり。
そんな言葉があたしの脳裏をよぎる。
いや、まだ諦めるには早い。
抵抗はあるけど、自分が死ぬぐらいならいっそアイテムボックスでこの男たちを――
「貴様ら、何をしているッ!」
その時、場を切り裂くような鋭い女性の声が響いた。
剣と槍を持った男の後ろに現れたのは、軽装の鎧を纏った冒険者。
彼女は赤い長髪を揺らしながら、殺気のこもった視線を男たちに向ける。
「現地の人間に手を出すなと指示したはずだぞ!」
「襲い掛かってきたのはあちらの方です」
「だとしても、トドメを刺す必要がどこにあるというのだ?」
「脅威の排除が必要だと私自身が判断しました」
「はっ、上官の命令より自分の意志を優先するか、いつからそこまで偉くなったのだ貴様は!?」
「ヴァイオラ様は話の分からないお人だ」
「なっ――」
男たちは剣と槍を、あろうことが上官を名乗る女性――ヴァイオラと呼ばれた彼女に向ける。
よくわかんないけど、あの人達の様子がおかしいってことはわかる。
まさか――と思って首を見てみると、そこにはストールに刻まれていたものと同じ模様があった。
「どなたか知りませんが、その人たちは悪意の種を埋め込まれているみたいですっ!」
そう伝えると、彼女は「チッ」と舌打ちをした。
「悪魔が徘徊しているのを見たという報告は聞いていたが、やはり種を埋め込んでいるのは連中か。まあ、だとしても――上官命令に反した罰は受けてもらうがなッ!」
ヴァイオラが踏み込む。
同時に、2人の兵士も武器を彼女に向けるけれど、それらが武器としての役割を果たすことは無かった。
バキィッ!
目にも見えないほどの速さで放たれた剣術で、へし折られてしまったから。
武器を破壊すると、ヴァイオラはアーツも何も使わずに、シャドウステップとほぼ同じ速さで兵の背後に回り込み、彼らを気絶させた。
あの兵も結構強そうだったのに、この人の強さは――次元が違う。
あたしが唖然としていると、今度はこちらへ向かってくる。
思わず手で頭をガードしてしまうけど、どうやら狙いはあたしじゃないみたいで。
彼女の視線の先に居るのは、ボウガンを構えた兵。
パシュッ!
矢が放たれるも、ヴァイオラは命中前に手でそれをつかみ取り、投げ捨てた。
「ひいぃっ」
悪意の種を埋め込まれた男が、怯えたような声をあげる。
感情が暴走してもなお、ヴァイオラの強さには畏怖を感じざるを得なかったのか。
彼女はボウガンに次の矢がつがえる前に男に接近、剣を振り下ろし武器を破壊する。
そして、拳で顔面を殴りつけ、男を気絶させた。
「ヴァイオラ……シューミール……」
ストールが苦しそうに言った。
「誰なの?」
「帝国の将官ですよ。帝国の病を治すために来たんだろ……」
そういや、ストールも帝国に薬草を売るつもりとか言ってたんだっけ。
誰かから買わなくても、直接取りに来れるならそっちの方がいいもんね。
そのために将軍直々に出張ってくる理由はよくわかんないけど。
「申し訳ない、私の部下が迷惑をかけてしまった」
ヴァイオラはストールに近づくと、しゃがみこんで患部を観察した。
「毒は塗られていないが酷い傷だ。治療せねばな、ついてきてくれるか?」
「お断りします」
「何?」
「他人の手を借りるのは、俺の悪の流儀に反するもんでねェ」
……さっきあたしに助けられてなかったっけ。
ま、本人の中に何かしらの判断基準があるんでしょうね。
そういうことにしといてあげましょう。
ヴァイオラの手を跳ね除けたストールは、壁を使いながら立ち上がり、3階層へと戻っていく。
「どうやら連中も近くまで来てるみたいですからね。俺ァここでリタイアだ、あとは勝手にやりな」
階段の向こうには、確かに黒ずくめの男たちの姿が見える。
その隣にはハイドラとテニアの姿も。
どうやらあっちはあっちで合流して、協力しながらここまでたどり着いたみたい。
「ストール、あたしをかばってくれてありがとね」
「貸しは返しましたよ」
「それは巨人のときに十分返してもらったじゃない」
「あれは自分の身を守るためにやったことだ、貸しとは関係ねえよ」
それでも――なんて言っても、彼は納得してくれないんだろうな。
あたしはそれ以上ストールに語りかけるのを諦め、大人しくその後ろ姿を見送った。
「ママぁぁぁっ!」
「ルトリーッ!」
あたしを見つけた2人が、まるで数年ぶりの再会みたいに涙を浮かべながら駆け寄ってくる。
せいぜい数十分程度じゃない、大げさねえ。
とか言いながら、あたしもちょっと泣きそうになってるんだけどね。
「よかった、2人とも無事だったのね」
「ママこそっ! 大丈夫? 無事だった? 怪我はない!?」
「自覚症状が無いだけで毒にかかっている可能性もある、念のためにポーションを――」
「大丈夫大丈夫、色んな人に助けられたおかげで平気だから。それに、あたしだって結構強くなってるんだからねっ」
9割9部装備のおかげだけど。
さて、こうして無事に合流できたことだし、漆黒の葬送団も撤退したし、早速5階層を目指して出発したい所。
……なんだけど。
「君たちも一緒に行くか?」
ヴァイオラはあたしたちにそう提案した。
あの強さを見せられて、逆らえるはずがない。
「ママ、この人は誰なの? それに倒れてる男の人も」
「ヴァイオラさんって言うの、とりあえず話は最下層にたどり着いてからにしましょう」
「そうだな、こちらとしても君たちに聞いておきたいことがある」
「……」
テニアはヴァイオラを無言で睨みつけている。
やっぱテニアは頭の回転が早い、事情に気づいたのかもね。
ヴァイオラが帝国の将軍だとすると、帝国で蔓延する病を治すためには大量の薬草が必要になる。
それを、果たして彼女が、ほんの一部でもあたしたちに譲ってくれるだろうか。
――あたしはどうも、そう上手く事は運ばないんじゃないか、そんな気がしてならない。
◇◇◇
「そういえば、さっき話してた悪魔って何のことなんですか?」
ダンジョンの探索を行いながら、あたしはヴァイオラに問いかけた。
「頭には角、背中には羽、臀部からは尻尾の生えている種族のことだ」
「……あたし?」
ハイドラが自分を指差しながら言う。
確かに特徴は合致してるけど――
「ああ、すまない言葉が足りなかったな。羽と尻尾は必ず黒だ、それが悪魔の特徴という事になる」
「それはモンスターなのか?」
「いいや、どちらかと言うと我らNPCに近い存在だな。この世の支配を目論む者――”魔王”の部下であり、世界を悪意で染めるために人間たちに種を植えて回っている」
魔王とかこの世の支配とか、急に話が胡散臭くなっちゃった。
でも、悪意の種なんて代物自体が胡散臭い物なわけで、それの持ち主が胡散臭いのは当然のことなのかも。
「今まで悪意の種って原因不明扱いでしたけど、悪魔なんてものが暗躍してたんですね」
「ああ、リレーン公国ではあまり調査が進んでいないようだがな」
「田舎だから王族も適当なんだ」
テニアがかなり毒を込めてそう吐き捨てた。
彼女の存在自体が、王族の適当さを象徴してるようなものだもんね。
いっそ領土を広げ続ける帝国に飲み込まれた方が、よっぽどマシな統治をしてくれるのかも。
その後も、あたしたちは他愛のない会話を交わしながら探索を続けた。
……ヴァイオラとの間にある最大の問題の解決を、引き伸ばしながら。
◇◇◇
そして、あたしたちは階段を発見し、第5階層にたどり着く。
ボスでも居るのかと思えば、そこにあったのは一面が緑で覆われたそこそこ広い部屋だけ。
ひょっとして、さっきヴァイオラとハイドラがあっさり倒した大きめのモンスターが、ダンジョンのボスだったのかもね。
「これがリキア草……これさえあれば、帝国は……」
しゃがみ込み、草に触れながらヴァイオラが呟く。
もしヴァイオラが1人だけなら、ここで”リキア草を分け合いましょう”って相談もできるのかもしれない。
でも――あたしたちから遅れること数分、背後の階段から複数人の足音が聞こえてきた。
ヴァイオラが本当に将官サマだって言うんなら、連れてきた部下が、さっきあたしとストールを襲った3人だけなわけがない。
「ヴァイオラ様ッ!」
なだれ込むように、部屋に入ってくる6人の男たち。
誰もが帝国の兵だとバレないように軽装だった。
「ようやく来たか。遅いぞ貴様らッ!」
「申し訳ありません!」
うわあ、やり取りと動きが完全に軍だもん、これ全然隠せてないよ。
と、将官と兵が勢揃いした所で、いよいよ”本題”に入ろうとしているのか、ヴァイオラの表情がキッと引き締まる。
「それでは交渉と行こうか」
そう言いながら、ヴァイオラは腰の剣に手を当てる。
「君たちの目的は?」
「彼女の……テニアの大事な人を救うために来ました」
彼女は全く興味はない、と言わんばかりに無感情に「そうか」と言った。
「ヴァイオラさんたちの目的は?」
「崇高なる帝国の民を救うためにやってきた、つまり――」
そして、悪びれもせずに言い切る。
「我々の方が、優先順位は上だ」
「1人分でいいんです、分けてもらえませんか?」
「断る、我々は1人でも多くの民を救う責務を背負っておる」
「あたしたちも人の命を救いたくてここに来ました」
「だが、それはリレーン公国の民であろう? ならば帝国の民を優先すべきだ」
「人の命に貴賤なんてありません!」
「あるさ、貴き帝国の民と賤しき他国の民という差がな」
……はぁ。
思わずため息が出そうになる。
「ルトリー、こうなることわかってたんじゃないの?」
テニアの言葉に、あたしはうなだれるように頷いた。
そう、わかってた。
帝国の軍人さんは忠誠心が高いことで有名で、しかも将官となると、あたしみたいな小娘の説得ごときじゃ動かない。
でも――ほら、さっきの失態があるからさ、もしかしたら少しぐらいは譲ってくれると思ってたんだけど。
「あたしにとっては、てーこくとかいうわけの分からない人たちより、テニアの大事な人の大切だよ!」
よほど腹に据えかねたのか、ハイドラが吠える。
なんか……あたしが本当に言いたかったこと、無理に代弁させてるみたいで情けないな。
「それは貴様の都合だ」
「でもそっちだって自分の都合じゃない!」
「そうだな、だからどうした? ならば都合同士をぶつかりあわせて奪い合うか?」
「力づくならあたしだって負けない!」
「そうだな、私とドラゴンらしき貴様なら拮抗した戦いもできるだろうが――巻き込まれて、他の有象無象は死に絶えるだろう」
ヴァイオラの言葉に呼応するように、兵たちは姿勢を正して声を揃える。
『我ら帝国兵は、帝国のためなら命を捧げる覚悟ですッ!』
一切のよどみ無く、狂信的に。
「だそうだ。確かに戦いが最もわかりやすいな、勝った方がキリア草を手に入れ、負けた方が死ぬ。シンプルだ、私好みでもある」
「う……」
ハイドラが、あたしとテニアの犠牲を許容できるわけがない。
怖気づくハイドラに、ヴァイオラは挑発を続ける。
「どうした、それしきの覚悟も無しに啖呵を切ったのか?」
そして剣を抜き、数多のモンスターを斬り伏せても、濁ること無く銀色に輝く刃を突きつけて、言った。
「ならば、こちらから行かせてもらうぞ!」
ヴァイオラから放たれる殺気に、あたしたちは一歩も動けずに居た。
その時に見た、下唇を血が滲むほど強く噛みしめるテニアの表情は、やけにあたしの印象に残っている。




