9話 知らない名前
数日後、逆戻りしている夏休みが少し経った頃。卓はある事を聞かされた。
「あんなに簡単に騙される卓が悪いよ」
そう言うのは瑠里だった。瑠里は笑っていた。
「有り得るかもしれないだろ! 二人が逆戻りしていないとか本当だと」
卓は必死になりながら強く言った。それでも尚、瑠里は笑い続けていた。その様子を黙って見ていた輝。二人の言い合いに割って入れなかった。
やっと言い合いが終わった時だった。
「言っておくけど逆戻りし続けてるんだよ、私たち。ねえ、輝?」
その話は輝へと向けられていた。
「あ、嗚呼」
輝は軽く頷くだけで思わしくない表情をしていた。
「輝、どうしたの?」
ただ瑠里は輝の返事に心配し始めていた。
「二人とも何か忘れてないか?」
不意に輝が二人に問いかけた。
『え?』その問いかけに声が重なる二人。
「なに言ってるの。忘れてないわけないじゃん」
すぐに、瑠里は何かを思い出し答えた。瑠里の言葉に安堵する輝。一方で、卓は固まっていて思い出そうとするが、思い浮かばなかった。
「何か忘れているってどういう事だ。何かあったか?」
「……」
卓の言葉に輝と瑠里がほぼ同時に振り向く。数秒間、冷たく重い空気が流れる。
「なんだよ」
その空気に耐えきれず、卓は眉に力を入れた。
「お前、憂のこと忘れたのか?」
その名前に初めて聞いた卓は驚いた。思い出そうとしてもその名前は今まで出てこなかった。
「憂って誰だよ?」
「本当に忘れちゃったの?」
卓の疑問に答える訳でもなく、瑠里が確認するように聞いた。卓の様子に輝と瑠里は一層表情が曇った。
「とりあえずさ、今から憂の、」
「分からない」
輝が何かを言いかけた途端、卓は『分からない』の一言だけ残して立ち上がった。その場から逃げ去るように去っていった。
「待てよ、卓!」
卓の去り際に輝が呼びかけたが、卓には届かなかった。取り残された輝と瑠里。
「もしかして、卓が逆戻りしている理由って憂の事なんじゃないかな?」
「嗚呼、もしかしてそうかもな」
二人は卓が去った後の会話でそんなやり取りをしていた。
卓はそのまま家に帰っていた。そこでも思いがけない言葉を聞くことになる。その日はたまたま卓の母と父が家にいた。
「そういえば、卓。憂ちゃんの、」
「その事を話すのはやめよう。卓が傷つくだけだぞ」
「え?」
突然、母と父の会話が卓の耳に入ってきた。というよりも自然と耳に入ってきた。卓は驚いて言葉も出なかった。
その会話の中にさっきの輝と瑠里の会話に出てきた知らない名前が聞こえてきたからだ。卓は何がなんだか分からなく混乱していた。そのまま自分の部屋へと向かった。
(どういう事だよ。突然、憂っていう人がどうとか)
心の中でそう呟く卓は、その日はなにもする気にもなれなかった。これから、その名前をよく耳にする事も知らず、ベッドに横になり落ち着かせようとした。
時間はいつの間にか翌日を迎えていた。
「はい、もしもし。あら、居るわよ。待ってね。卓、輝くんからだって」
「え、輝?」
不意に家の電話が鳴り出し、姉の美琴が電話に出た。と思ったら、卓が呼び出された。電話の相手は輝だった。卓は美琴から受話器を受け取ると、耳に当てた。昨日の事もあり、卓は恐る恐る電話に出た。
「もしもし」
「あっ、卓。昨日は悪かった。今から皆で集まる事になった。卓も集まらないか?」
「皆って?」
「昂と稀もいる」
それを聞いた卓は少し考えて、間を置いてから「行く」と答えた。
「そんじゃ、凪中央駅に一時間後に。なるべく早めがいいかもしれないけど、まあゆっくりでいいからな」
卓の言葉を待ってたかのように、輝はそう言って電話を切った。
(また、急に。どういう事だ? しかもわざわざ学校の最寄り駅に集合って)
そんな疑問を抱きつつも出掛ける準備をした。
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