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エルフの旦那と魔術師の嫁

黒い犬の出生事情


「なんだ、浮かない顔であるな」

「はあ。申し訳ございません。ズメイ様」

ある大陸の中心部に位置するドラゴンの領域の、湖の中ほどにある島に、白い鱗を虹色に輝かせる雪ドラゴンのズメイがいる。

そのドラゴンのそばに眷属である一体の、牛ほどの大きさの犬が控えていた。

暗緑色の毛色の犬の姿をした、クー・シーという種族の妖精である。

その妖精は今、小さな悩みを抱えていた。

「まだ息子は落ち込んだままなのか」

「はい」

彼が最近養子に迎えた息子は黒い毛色をしたクー・シーだが、あるじと心に決めた者に置いてきぼりをくったそうだ。

まあ、そうなったのには理由があるので、誰も悪くはない。しかも、その息子はまだ産まれて間もないのである。

「そこまで落ち込むことはないのではないか」

「そうなんですがねえ」

父犬は苦笑いをこぼす。

「まあ、あの主ですからねえ」

息子が決めた主は、かなり特殊な者だったのだ。

ドラゴンも溜め息を吐く。

「まあ、アレだからなあ」

初めて会うドラゴンにも恐れを見せず、無茶な要求に無茶な答えを返す。そんな者だった。

アレを主に選ぶクー・シーの息子も大概だと、ズメイが苦笑いを返す。

ふたつの乾いた笑い声は、虚しくドラゴンの棲家に響いた。


「とりあえず、人化できるようにならないと、主の元へは行けません」

土産物店を経営しているエルフの商人である主の手伝いをするなら、人化は必須であると思われた。

まず人族の町で暮らすには、犬の姿のままでは目立つ。しかもクー・シー族は、この世界の普通の犬より、かなり大きい。

主であるエルフは、「犬が欲しい訳じゃない」とはっきり言っている。

「そうですよね」

黒いクー・シーはうなだれる。

 妖精が人化するためには、途中で勝手に人化が解けないように、安定した大量の魔力と強靭な精神力が必要になる。既に父から受け継いだ知識と、ドラゴンの迷宮で得た魔力がある。あとは妖精族特有の感情の揺れを少なくする修行が必要だった。

 黒い毛並みのクー・シーのロキッドはつい最近産まれた。いや、何百年か前に石の卵の姿で産まれたが、先日その閉じこもっていた殻を破った。

そのロキッドが石から出る決心をしたのは、あるエルフが彼に声をかけたことがきっかけとなった。

『そんなの、気に入らないよなあ』

そのエルフの言葉は、何故かロキッドに軽い衝撃を与えていたのだ。

何故かはよくわからない。




「気に入らないわ」

石の卵の記憶はあいまいだ。本当にそれが自分の記憶なのかさえも。

ずっと暗闇の中でまどろんでいた小さな命。それがようやく目を覚まそうとしていたときだった。

耳に聞こえた言葉の意味はまだ分からなかった。それでも、自分の、この体を包む者からは何だかもやもやとした感情が伝わって来た。今までは甘くささやくような、やさしい声だったのに。

「私を拾ってかくまってもらったことには感謝してるわ」

でも、と高めの声が、声を曇らせて誰かに訴えている。

「私は村の奴隷じゃないのよ」

「わかっている。君をこんなふうに扱って、すまないと思っている」

少し低い声がなだめるように話しかけていた。

その声は、今までもたまに聞こえていた。自分を包む高めのやさしい声と共に、いつくしむような声をかけてくれていた。

それなのに、今はこのふたつの声はぶつかり合っている。

「あなたはそれでいいの?。私達の子供が、そんなふうに扱われるのよ」

「彼らのことは私に任せておきなさい。悪いようにはしない」

いつもはやさしい声が今は乱れ、荒れている。

まどろみから意識がはっきりするにつれ、卵は自分の境遇を察し始める。


 普通の卵より、少しだけ賢いらしい卵は、耳を澄ませる。

「そうかしら。あなたたちケット族は、私達クー族を馬鹿にしてるでしょ」

これはおそらく母親の声なのだろう。クー族というらしい。

「そんなことはない。クー・シーは誠実で忠義に厚い種族だと聞いている」

この低めの声はおそらく父親なのだろう。ゆっくりとした落ち着いた声をしている。

「ええ、そうね。そしてあなた達ケット・シー族は知恵が回るし、人族や他の種族とも賢く交流している」

とげが含まれた言葉が続いていた。

「私は戦士なのよ。ケガをして動けなくなっているところを、あなたには助けられたけど」

ほんの少し声が柔らいだ。

「私が村の護衛や警備をしているのは、あなたのためであって、村のためじゃないわ」

そして、またじわじわと語気が強くなっていった。


 卵はクー・シーの母親とケット・シーの父親の間に産まれる予定の子供らしい。

そして現状、母親は父親の村に滞在しているが、その村での扱いに不満があるようだ。

「さすがに身重の君に危ない仕事はさせられない」

「その代わりに、子供が産まれたら村の共有財産だなんて。正気なの?」

「本当にすまない。父にも私にもあの者達を止めることができない」

犬の姿である彼女を、その村に現れた者達はまるで自分達が飼い主であるかのように振る舞う。

「そうよね。あなたたちケット・シーは頭はいいけど、力で脅されると何もできないものね」

むぅと、と低くうなるような声が漏れている。

「私はごめんよ、そんなの」

ぎりっと歯を噛み締める音が響くように伝わってくる。

「……分かった」

低めの声が何かを決めたようだった。

「ふたりで村を出よう。ただし、こっそりと誰にも知られないように」

「ああ、あなた」

再び卵は温かいやさしい気持ちに包まれ、気持ちよくまどろんだ。




 しかし、結果的にはふたりは村から出ることはできなかったようだ。

まどろみから目覚め、もう一度周りの様子をうかがっていた卵は、異変を感じていた。

「大人しくしていればいいのに、手をかけさせやがって」

誰の声なのかは分からない。がやがやとした、いくつかの声の中から、乱暴な声がした。

いつもの、あのやさしい高めの声が聞こえない。低めのおだやかな声も聞こえない。

卵はもうじきに、この温かい場所から出なければならない。それは分かっていた。

でも、何だか今は、ここを出てはいけない気がして、まだ不完全な体を強張らせた。

「な、なんということだ!」

しばらくして、震える大きな声が聞こえてきた。

「裏切り者をふたり、始末しただけだ」

「村の者を勝手に手に掛けるなど!。村を守るために雇ったはずだ。それが……ここから出て行け!!」

怒気に震える声が乱暴な声に対抗している。

「ああ、ああ、なんてかわいそうなことを」

ざわざわとした声が少しずつ遠ざかり、しくしくと胸を締め付けるような声だけがずっと聞こえていた。

「君を休ませようと、あんな人族を雇わなければよかったのだ!。ああ、本当にすまない」

卵は、その慟哭を聞き、あまりにも深い悲しみに満ちたその声に、体をさらに強張らせる。硬く、さらに硬く。

「村……長」

母親の声がやっと聞こえた。

「この子を……私の子、お……ね……がい」

「もちろんだ。私にとっても孫になる。必ずちゃんとこの村から出してやるからな」

母親が安心したのが伝わってきた。

そして次第に力が抜けていくのを感じた。

(いけない!。早くここから出なくちゃ!)

卵は焦った。ぽんっと母親の体から、空中へと飛び出した。

「は?」「えっ!」

驚いた声がふたつ、重なっていた。

魔力をまとった卵が空中に浮いていた。そしてゆっくりと母親の手の中に収まる。

「わ……た……あ……」

それは硬い、まるで石のような殻をまとっていた。それでも母親は愛おしそうに抱きしめる。

(そうね。その姿でいいわ。あなたはこれから自分で自分を守らなくてはならないのだから)

その時、卵には声ではない、何かが聞こえていた。

 そして卵が魔力で見たものは、黒猫の姿をした妖精と、その傍に横たわるふたつの体。

人族の大きさの黒猫と、牛ほどの大きさの暗緑色の犬の姿だった。そしてそれはやがて光に溶けるように消えていった。




 ドラゴンのズメイは、自分の眷属であるクー・シーから、息子の修行について相談された。

その息子は、自分が主と認めたエルフの傍に行きたくて仕方がないのだが、今のままでは役に立てない。

自立させるため、ひとりで修行に出すことにしたのだが。

「ケット・シー族の村ですか?」

「ああ、お前はどうやらケット族の血が入っているようだからな」

そんな話を聞かされて、石の卵から生まれた黒いクー・シーは嫌な記憶を思い出してしまっていた。

「あそこへは行きません。それはギード様も約束して下さいました」

偽物の契約書だったが、ケット・シーの長老はちゃんと契約には応じたのだ。

どんな理由があったとしても、二度とあの村には戻らなくていいと。

「じゃあ、どこで修行させればいいのだ。人化もできない妖精など」

200年ぐらい前に起きた妖精族と人族との大戦の影響で、妖精族はそのほとんどが姿を消している。

人族を避けて集落を形成していると確認されているのは、ケット・シー族とエルフ族くらいのものだ。

「エルフ!、いいんじゃないでしょうか?」

父親である墓守りのクー・シーが顔を上げる。

「む、そうだな。いいだろう。では森の守護者殿に一言お伝えしておこう」

ズメイが早く肩の荷を降ろしたいのか、すぐに手配を始めた。


 それから三日後、エルフの森の最深部の、そのまた奥にある聖域と呼ばれる場所。

ズメイに飛ばされた黒いクー・シーがいた。

目の前の、巨大な老木をぽかんと見上げている。

「ほっほっほ、お前がギードの眷属になりたいというクー・シーかな」

老木の精霊が枝葉を揺らしながら話しかけてくる。

「あ、はい」

「ふむ、珍しいのお。ケット・シーの血を受け継いだクー・シーとは」

「僕はただのクー・シーです!」

ぶぅっと不満げな顔をする黒い犬を前に、聖域の守護者である老木の精霊は笑う。

「気づいていないのであろうが、そのケットの血のおかげで、お前はギードに近くなれたのだろうよ」

クー・シーは首をかしげるばかりである。

 妖精というのは精霊に非常に近く、感情を隠すことが難しい。

しかし例外もある。それが、妖精族の中でも知恵の種族であるケット・シーなのだ。彼らは相手が同族であろうと感情を隠すことができる。

(腹黒といわれるギードの眷属になるには、腹芸ぐらいできる者でなければな)

「ねえ、木のじいちゃん。ここに入っていいの?」

「ああ、かまわぬよ」

とりあえず、その木の根元にある、ギードが昔住んでいた木のウロに寝泊まりすることが許可された。

 後日、薬の素材の採集に来た風の精霊リンに見られ、クー・シーの行動は報告されることになる。

まだ人化できない、黒い犬の姿のロキッドが住む木のウロの惨状を聞き、ギードは盛大に顔をしかめた。



        〜完〜

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