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ジゼルは天才だった。それは、魔力量が多い、というだけにはとどまらない。学ぶことに貪欲で、それらを苦も無く吸収する。それだけではない。ジゼルは、姉は、そこから何かを新たに作り出すことができた。
覚えるだけなら誰でもできるわ。
姉の言葉で一番、ミラベルが嫌いだった一言だ。それすら苦労する人間が一体どれほどいるのか、彼女は本当には理解していなかっただろう。
かくいうミラベルも、覚えるだけなら苦手ではなかった。共に通った初等教育では、評価にさほどの違いはなかったのだ。だが、姉ほどの魔力量がなく、普通学校へ進学した自分は、結局最後まで学ぶことの本質を理解できなかった。
姉とは合わない。その頃から、そんな気がしていた。
対して、魔術学校へと道が別れた姉は、そこで知識を得るだけではなく、それらを使ってあらたに何かを成すことを学んだ。才能が開花したのはそれからだった。
今現在使われている魔石の技術構築のかなりの部分に、姉が関わっている。採算度外視のきらいはあったが、それでもなお、姉の発想と実現力には、かなりの定評があった。
姉が禁忌を犯した、と聞いて否定できなかったのは、その点だ。姉ならば、知的好奇心だけでなんでもやりかねない。
だがふと、これだけの時間が経って、やはり不思議に思うのだ。あれだけの魔力量を誇った姉が、今更、自分の身体を使って魔力増幅の実験などするだろうか?
基本的に、魔術研究の基本は、不可能と言われている術を実現するための陣の生成と、市井の民の役に立つ魔石の利用法だ。その中でも、人体を直接変質させる魔術は禁止されている。当然、魔力の増幅、つまり今在る魔力量を底上げするような技術は禁忌に含まれる。人の魔力量は、一生変わらない。あっても使えない人もいるし、使い方を学んでより大きな魔術を使えるようになる人もいる。だがそれは、もともとあったものを使えるようにするだけで、量を増やすことはできないのだ。
倫理観の問題ではなく、姉の魔力量がいくらか増えたところで、誤差の範囲だ。データとして有意差の出にくいような実験を、あの姉がするだろうか。
「ではお嬢様、こちらでお待ち下さいませ」
研究塔からの帰り道、クラン・クランに寄ったはいいが、まだ営業中だったために呼び出しは断られた。人気のある店はいつも混み合っていて、さすがのミラベルも伯爵令嬢の名前で無理を通す気になれない。仕方なく、閉店まで待っての再訪となった。
「おい、アルノー! お前に客だ!」
「はぁ?! もう帰るんすけど!」
奥から不満そうな声が帰ってきて、呼んだ店主は気まずげにミラベルに軽く頭を下げた。
「若いお嬢さんをお待たせすんじゃねぇ! すぐ来い!」
「え、若い?」
思い直したような声がして、こちらへ足音がやって来る。店主は安心したのか、入れ替わるように奥へと戻って行った。狭いバックヤードへの入り口で二人がすれ違い、アルノーらしき男が顔を出す。
「俺に客なんて、珍し……、っ、ジゼ……!」
やる気のなさげだった声が、息を詰まらせて姉の名を呼びかけた。驚きが表情に表れている。それはそうだろう、姉は死んだのだから。
「……いや、そうか、ジゼルの妹か……噂にゃ聞いていたが、本当に似てんな」
「はい、ミラベルと申します。お時間をとっていただいてありがとうございます」
ジゼルとミラベルは、周囲が驚くほどよく似た姉妹だ。幼いころから姉の姿を後追いするように似て行った結果、大人になった今は瓜二つといっていい。ただ、魔力も才能も全て、先に生まれた姉が持っていってしまった。
同じ見た目、同じ成長具合の二人に対して、両親は当たり前のように同じ期待をかけた。それに応えたのは姉だけ。後を追いかけるミラベルは、姉の功績のどれにも届かなかった。
父も母も、いまだに姉を失ったことを嘆き、屋敷の奥深くで泣き暮らしている。ミラベルの励ましも慰めも、届きはしない。
そんなものは望んでいないのだから。
灯りを落とした店内で、小さなテーブルに向かい合って座った。侍女は壁際まで離れ、窓の外も店の中も見渡せる位置で直立した。彼女は侍女といっても、ミラベルの護衛も担っている。
アルノーは、栗色の髪と青い目をした、三十前後の男だった。がっしりした身体に似合わず、この店の菓子は彼の手に寄るものが多いそうだ。
ミラベルは、姉とユーリアンが映っている写真を出した。予想はしていたのだろう、アルノーはちらりとそれを見ただけで、苦い顔をした。
「……その写真は俺が撮ったんだ。いい顔してるだろう?」
「はい。二人の仲の良さが伝わります。こんなに仲が良さそうなのに、なぜかの方は姉の葬儀に来て下さらなかったのでしょう」
「直球だな。……ああ、敬語じゃなくちゃいけないのかな? お嬢様だもんな」
「いえ、かまいません。お時間をいただているのはこちらですもの。実は、かの方が行方不明だということは窺ったのです」
「じゃあなんでここに? 悪いが俺はヤツの行先なんて」
「ご存知ですわよね?」
言い切ると、アルノーはぴくりと指先を動かしてこちらを見た。見透かすような目つきが、もう答えは是と言っているようなものだ。
「お姉さまが恋人にまでする方です、いいかげんなひととなりのはずがありません。逃げ……姿を消したとはいえ、全く完全に行方を断ち切るとは考えにくい。きっと、何人かは連絡がとれるようにしてあるでしょう。
アルノー様が最後にお会いしたようです。ですから」
「様なんていらねぇよ、かゆくなる。そして、逃げたと言いかけてやめたようだが、逃げたでいいんだ。それでいい。あいつにはそれが必要だった」
「はい。けれど私は姉の親族として、一度は姉の墓に顔を見せて欲しいと思っています。姉のために」
アルノーは目を閉じる。姉のことを考えているのだろう。ミラベルとジゼルは同じ顔をしているのに、なぜかいつも、人はジゼルに惹かれて行く。嫌と言うほど知っている。
「ジゼルが死んだと聞いた日。あいつは警備が止めるのも聞かずにジゼルの部屋に入った。危険防止のため、塔内は大きな魔術を使うと感知器が反応して知らせるようになっている。何かが起こったことはみんな知っていた。それがジゼルの部屋だと知って、いの一番にかけつけたのは、あいつだった。
もう死んでいた。それは明らかだった。あいつはジゼルの身体を抱きしめて離さなかったから、数人がかりで鎮静の魔術を施して引きはがしたんだ。
三日間、あいつは自室に呪封をかけて出てこなかった。やっと出てきたと思ったら――旅に出る、と」
「旅に……」
「誰にも言わず、行先も告げず、あいつは消えた。あんたの言うことは正しい。俺はあいつがどこにいるか知っているし、連絡もとれる。
だが、それをする気はない。例えジゼルの妹のためでも」
ミラベルは立ち上がり、簡単な礼をとった。
「よく分かりました。ただ、誤解していただきたくないのですが、私のためではなく、姉のためですわ。姉の魂の慰めを、と。
気が変わるのをお待ちいたします」
「気なんか変わらんよ」
「では、また。ごきげんよう」
侍女を連れて、見送りなしに外に出た。ため息はまだ我慢だ。見られているとも限らない。
馬車に乗り込み、家までの道を指示する。
きっとまだ、両親は部屋にいるのだろう。一人でとる夕食を思って、ため息とともに、アルノーに負けない苦々しい笑みが浮かんだ。