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姉のジゼルが死んだと聞いた時、ミラベルは何かの冗談を言われたのだと思った。冗談にしても酷いことを言うものだ、と、それが顔に出たのだろう、相手はやや怯んだ様子だった。
その知らせは、家に届けられた。ジゼルとミラベルが育ち、いまも自分と父母とが暮らす、王都の一等地にある広い石造りの館。コンスタンティエ伯爵邸だ。前庭が広く、美しく刈り込まれた木々と綺麗に整えられた芝生、その間を抜けた噴水の周りを馬車回しにしている。使者はその誰もが目を奪われる景観には目もくれず、俯きがちに鐘を鳴らした。
ミラベルがそれらを知っているのは、ちょうど、出かけようとして外にいたからだ。社交シーズンが始まる直前の季節で、ミラベルは事前のお茶会に招待されていた。侍女と共に自分の馬車に乗り込んだ時、彼らはやって来た。
使者の馬車についていた紋章で、彼らが姉の働く王立魔学研究塔から来たことが分かる。四人もいた。姉の職場から、沈鬱な顔で四人の男たちがやって来たということに、嫌な予感を覚えないはずがない。ミラベルは、執事に招き入れられた彼らの後を追って、再び家の中に戻った。
「つい先ほど、コンスタンティエ……失礼、ジゼル嬢の研究室で魔力の暴走があり、お嬢さんは…… 」
言葉を濁しているところに、執事が止めるのも聞かずミラベルが入り込んだせいで、彼らの目が一斉に飛んでくる。だが、漏れ聞いた内容は、とても無作法を理由に蚊帳の外扱いされていいものではなかった。
「暴走? 馬鹿言わないで、姉さまは天才よ? どうせどこかの下積みが余計なことでもしたのでしょう。それでお姉さまは怪我を?」
彼らは、言葉を探す風に押し黙った。だが結局、最も地位の高そうな男が、再び両親の方に向き直り、微かに頭を下げる。
「お嬢さんは、亡くなりました」
「馬鹿言わないで」
面白くもない冗談だ、という思いを込めて、両親の横に立って睨みつける。しかし、そんなミラベルの手を、真っ青な顔をした父が叩いて止めてきた。
「娘が失礼した。しかし、我々もとても信じられない。身びいきではなく、あの子は確かに天才の域にあった。なぜそんなことに? 事故ですか?」
「そんなことどうでもいいじゃありませんか、あなた! いますぐあの子に会わせて下さい! どこにいるんです!? 連れてきなさい!」
冷静であろうとする父と、とうとう男たちの口の重さに耐えかねた母の叫びが、その場の空気を混乱させた。使者たちはその空気に呑まれ、動揺していたが、ただ一人例の偉そうな男は落ち着いていた。
「残念ながら、それは出来ません」
「なぜ!? 娘に会えないなんてこと、あるはずがありません! 何の権利があってそんなことをおっしゃるのです!?」
「お嬢さんの身体は、陣の影響を受け、どんな事態を引き起こすかわからない。安全が確認されるまで、何人たりとも触れることは許されません」
「どういうことだ。危険とは?」
初めて、男は少し、ためらった。
「……お嬢さんは、禁忌に手を出したのです」
「な……!」
「魔力増幅の陣を、塔に黙って独自で研究していた。そして、とうとう自分の身体を使って実験をなさった。結果、体内に作用した呪が暴走し、お嬢さんの命は奪われた。
お体からはまだ、陣の気配が測定されています。それが他者になんらかの影響を与えないとも限らない。反応が消えるまで、ご家族と言えども会わせるわけにはいきません。
我々は、彼女の罪を裁かなければならない。しかし、そのことと、お嬢さんの死の尊厳を守る気持ちとは別のことだ。ご両親に敬意を表して死をお知らせに参った、これはあくまで我々の善意なのです。その辺をお間違えなきよう……」
何か反論を、と思う。思うけれど、口は動かなかった。
あの姉が禁忌を破って犯罪を犯した。そんなはずがない、と否定する。否定するがしかし――どこかで、それがありうることだ、と思ってしまった。そのほんの少しの疑念が、口を開かせない。言葉を失わせる。
おそらく両親ともそうだったのだろう。押し黙ったことを了承とみてとったのか、四人は、いずれまた連絡いたします、と呟くように言って去った。
姉の遺体が家族の元に帰って来たのは、一か月も経ってからだった。事件の真相は封殺され、対外的には単なる実験事故となっている。真実を知っているのは、使者としてやってきた副塔長以下、幹部3人と、最高責任者である塔長、そしてミラベル達家族だけだ。
同僚たちは何も知らないようだった。葬儀にも多くの人間が訪れたが、ただただ、不運な事故を嘆くだけ。
両親は使い物にならなかった。姉を失った衝撃は、両親にとって世界の終わりに等しい。軍にいる兄が全てを取り仕切り、全てが終わってもなお、彼らは殻に閉じこもって出てこようとはしなかった。
そんな折、ジゼルの私物を取りに来てほしい、というおずおずとした連絡をもらった。両親に告げたが、彼らは言葉少なに首を振るばかり。結局、すでに軍に帰り寮暮らしをしている兄に許可をとり、ミラベルが取りにいくことになった。
塔は、やや郊外にある。馬車に乗り、事前に受け取っていた入塔証を、入り口の兵士に見せる。研究の中枢である塔にしては警備が薄い、と思ったが、兵士は右手から陣を立ちあげて入塔証にかざしだした。魔力持ちだ。魔術師にはなれない程度なのだろうが、侵入者に対しては十分なのだろう。
正規の証と確認されたのか、恭しく中に通される。連絡がいったのか、中から同僚らしき若い女性が迎えに来てくれた。寡黙な侍女を伴って、彼女の後についていく。
「ごめんなさいねぇ、こんなに遅くなっちゃってぇ」
「あ、いえ……」
「ジゼルったらぁ、私室で事故っちゃったからぁ、一般人の方が入れるように測定値が安定するまでかかっちゃってねぇ」
制服であるすとんとしたローブタイプのマントにも関わらず、色っぽさが匂うような同僚に案内され、姉の私室に入る。中はがらんとしていたが、恐れていたような破壊の跡などはなかった。身体の内側で暴走した、というのは、そういうことなのだろう。
書類や資料はすでに引き揚げてあるらしい。残っているのは、本当に少ない私物ばかりだった。
ふと、伏せられた写真が目に着く。カタリ、と起こしてみると、姉と、そして金髪の男が二人で写っている。綺麗な男だ。すらりとした身長は、女でもそれなりに上背のあった姉よりまだ高い。均整のとれた身体は、ローブの上からでも鍛えてあることが見て取れるほどだ。
「これは……?」
「あぁん、ジゼルとユーリアン、やっぱりお似合いねぇ」
「姉の恋人、ですか?」
「そぉよぉ、あらやだ、知らなかったのぉ? もう二年になるかしらねぇ、とぉっても仲良しでね、ほんと、見ていて微笑ましいっていうかぁ、嫉妬するのも通り越しちゃうくらいの、結婚したらきっと可愛い子どもが……、っ……」
頬笑みを浮かべながら話をしていた女性は、堪えかねたように涙を浮かべた。親しい同僚だったのだろう。のんびりした話し方は、悲しみを我慢していたせいかもしれない。
「あの、この方はいま、どちらに? ええと、ユーリアンさん?」
「……あぁ、ねぇ、ユーリアンは行方不明なの」
「は?」
「ジゼルを失ってぇ、しばらくはとぉっても普通に暮らしていたの。それがある日、ジゼルのいない塔で仕事はしたくない、って友達に告げて消えちゃった」
「友達……」
そっと写真を撫でる。姉の頬笑みは幸せそうで、肩を寄せた二人は写真からも分かるほど幸せそうだ。
「探さないんですか?」
「探したと思うわよぉ。セシュラール侯爵のご長男ですものぉ。でも、ユーリアンてここじゃ一番の魔術師だったからぁ、姿を隠そうと本気で思ったら、きっと誰も探せない。実際、もう二か月近くにもなるけどぉ、も、ぜぇんぜん」
侯爵とは驚く。しかも長男で研究塔に入っているということは、本当に優秀なのだろう。
そうですか、と答えながら、用意してきた箱に姉の私物を詰めていく。こまごまとした小物や、私信の束、私費で買ったという本や、リネン類。いつも制服だったのだろう、衣服は少なかった。
侍女に箱を持たせてから、
「あの、そのお友達というのは」
「えぇ?」
「ロード・セシュラールが、塔にいられないと告げたお友達です」
「あぁん、彼ねぇ。えっとぉ、サライン通りのクラン・クランてお店知ってるぅ? あ、そぉ、有名なのねぇ、あそこの人みたいよぉ。なんだったかなぁ、アルノー……アルノー・バスティだ、確かそんな名前」
礼を言い、暇を告げる。女性の見送りを受けて、馬車に乗り込んだ。少し迷ったが、自分に迷って見せた、という程度の言い訳であることが分かる早さで決断し、御者に指示を出した。
「クランに寄ってちょうだい」
かしこまりました、の声とともに、馬車はゆるやかに坂を下っていく。
なぜこんなことをしているのだろう、と自問してみる。姉のため、というのが一番分かりやすい。けれど、ミラベルはそれが間違いであることを知ってる。
だって、自分は姉が嫌いだったのだから。
付け忘れていた「切ない」タグを追加しました。
切ない展開になります、苦手な方はご注意を。