表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/30

 週に一度の休みの日、シルビアは陽が高くなってからようやく、寝室から這い出てきた。前の日の仕事は日付が変わるよりずっと前に終わったのだが、その日は訪問者も会議もなく、やらされたのは書類の山を運ぶ力仕事だったのだ。

 つまり、筋肉痛だ。


「せっかくの休みだっていうのに、寝過ごした……」

「どうした、身体が痛いのか」


 腰が痛い、とは言いたくなくて、まあねとごまかす。


「万能に見える俺も、治癒魔法だけは使えない。代わりにほら」


 出してくれたのは、朝食代わりらしい飲み物だ。背の高いグラスに、色とりどりの果物が層になって入れられ、それに果実水が注がれている。いい香りだ。柄の長いスプーンを渡されて、ちまちまとそれを食べた。

 ふと、窓を見る。シルビアは、グラスを持ったまま窓際に引き寄せられた。


「うわぁ、雪かぁ……」


 外は、粉雪が舞っていた。きっと夜になるにつれ、ひとひらが大きい雪粒になっていくだろう。それでも、寒さは少し、緩むかもしれない。

 王都とは違い、この地方はこれから数ヶ月ばかり雪に閉ざされる。そういえば、ユーリの靴を買わなければ。


「ねぇユーリ、」

「外に出よう、シルビア!」

「……は?」


 いつの間にか、彼は上着を羽織っている。ほとんど空になったシルビアの手のグラスを取り上げ、早く着替え得て来い、とせかす。

 もしかしてはしゃいでる?と思いながら、仕方なく寝癖のまま適当に髪を束ね、その辺の服を着て、母のものだった外套をひっかけた。



 外に出ると、少し成長した雪粒が、ゆっくりと降っている。まだ昼時を少し過ぎただけなのに、夕方くらいのうす暗さがある。こんな季節があと三カ月は続くのかと思えば、シルビアなどはため息の一つも出るのだが、ユーリはどうやら違うらしい。

 珍しげに掌に雪を受け、辺りを見回している。

 促されて、歩きだした。どこへ行くと言うあてはないらしく、密集した石畳の細い道を気が向くままに抜けて行く。いつの間にか、海の方向へ向かっていた。どちらもなにも話さない。ただゆっくりと、並木道を歩く。


 海岸沿いの水の抜かれた噴水広場は、今年初めての雪に外出を控えたのだろう、人の気配は少なかった。

 ユーリは噴水の淵に立ち、中を覗きこんだりしている。さすがに寒くなったらしく、ポケットに手を突っ込んでいる。雪粒はますます大きくなり、ユーリの頭にも肩にもとまっていた。


「遠くへ来たんだな、俺は」


 空を仰ぎ、その綺麗な顔にも雪を受けながら、ユーリはそう言った。季節も空気も、王都とは違う。向こうは特に南というわけではないが、海に近く平野がちだ。ここは、同じく海が近いが、東に世界有数の剣山を臨む。冷たく湿った空気を含んだ大気は、剣山を越えられず雪となって降り積もるのだ。

 呟く言葉は、ただの感慨か、それとも後悔か。


「……そろそろ行こう、ユーリ。風邪ひくわよ」

「帰るのはもったいないなぁ」

「これからいくらだって見られるわよ、雪なんて。それより、そんなオシャレな靴じゃ外歩けなくなるわよ。雪用の靴を買いに行きましょう」

「雪用?」

「靴の裏に、滑り止めがついているの」

「へえ!」

「手袋とコートも要るわね」



 歩き渋るユーリを連れて、少し、街の方へ戻る。ユーリが足を踏み入れたこともないだろう、なんでも売っている雑貨屋に入り、冬用の装備を物色する。すると、さり気なさを装って、店主のボニが寄って来た。


「やあシルビア、とうとう降ったな」

「こんにちは。嫌になっちゃうわ、寒くて」

「ふむ。それで、あれかい。お友達の靴を?」


 探りを入れてくるボニの口髭がぴくぴくしているのを見て、笑いをこらえるのが大変だった。街の雑貨屋は、噂話も売っているようなものだ。隅っこにテーブルとイスが設置され、暇になった他所の店主や客がちょっと座って色々な話をしていく。

 シルビアは、さらりと、


「遠縁の親戚なんだけど、雪のない地域から来たのよ。だからこっちで揃えないとと思って」

「遠縁……? エルザのかい?」

「いいえ、父さんの」


 そう言うと、ボニは詰まったように口を閉じた。母エルザは、この町で生まれて育った。遠縁の親戚などいないことは、街中が知っている。

 しかし、父は違う。父のことは誰も知らない。なぜなら、母はどこかでシルビアを身ごもり、身二つでこの街に帰って来た。未婚のままシルビアを育てた。彼女は決して、父親が誰かを皆に話さなかったのだ。

 だから、嘘をついたところで誰も何も言えないはずだ。


「お父さんのこと、分かったのかね?」

「母さんが死ぬ前に話してくれたの。でも、他の人には話さないで欲しいみたい。母さんの遺言だから、例えボニさんでも内緒よ」

「ああ、無理に聞く気はないよ。そうかい……良かったな、シルビア。エルザはお前を天涯孤独にすることを可哀そうに思ったんだろう。そうかいそうかい」


 根はいい人間なだけに、勝手に母の気持ちを思って涙ぐんだりしている。それから、ユーリの肩を力いっぱい叩きながら、


「おい兄ちゃん、シルビアのことよろしく頼むよ! いつまでいるんだい。しばらく? そうかそうか、なら色々要るだろう、値引きしてやるからな!」


 馴れ馴れしい街の人間にも怯まず、ユーリはにっこり笑って礼など言っている。

 予定通りに靴と手袋と、値引きしてもらった外套を買う。おまけにマフラーをつけてもらって、すっかり冬の国のいでたちだ。

 これでもう、明日にはみんなが事情を知っているだろう。変なうわさが立つ前に、先制攻撃だ。

 礼を言って、家路につく。本格的に夕方を過ぎ、辺りは早くも暗くなりかけている。

 この地域は、山向こうの民とともに絹の生産を始めてから、財政が潤っている。その影響か、魔石を大量投入して、本通りに街灯をあかあかとつけるようになった。


 夜の街、舞い散る雪と、橙色の居並ぶ灯り。人々のざわめきと、辻馬車の馬のいななき。







 シルビアは哀しくなると、この日のことを思い出す。

 いまはもう、ない。



 ユーリが本当に笑えていなかったことくらい、知っていたのに。










評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ