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「王よ。あなたともあろう方が、このような未熟者の言うことを真に受けられるとは」
セシュラール侯爵は、堂々としていた。
謁見の間は、シルビアが想像していたよりは、さほど大きな空間ではない。人が30人も入ればいっぱいになってしまうだろう。今はそこが、ほぼ埋まるだけの人数が集まっていた。
正面の壇上に座した王と、その隣に立つ皇太子、一段下がった位置に黒髪の少女がいる。それら方々と対面するように、セシュラール侯爵が立ち、後ろにはユーリとセルジュ、さらにはアルノーとミラベル、ミラベルの両親。左右を固めるのは、政を司る長官達が十人ばかり。
シルビアは、それらすべてを見渡せる、最も後ろの位置にいた。背後に数歩下がればもう扉がある。その扉に、朗々と響く声が反射して聞こえるほど、侯爵は落ち着いた力強さを見せていた。
「では侯爵よ、次に告発とも言える証言者の話を聞こう」
「エルアンベール様、その必要はございませぬ。下々の者と言うのは、上に立つ者を引きずり降ろそうと思っているもの。その証言とやらに、価値があるとは思えませんな」
「それを決めるのは、我々だ。候よ。しばし下がれ」
王はほとんど喋らない。代わりのように、皇太子が全てを取り仕切っている。柔らかな容貌にそぐわない、意外に厳しい物言いに、セシュラール侯爵の背中がぴくりと動いたように見えた。が、彼はそのまま、優雅に礼を取って後ろに下がった。
代わりに呼ばれたのは、アルノーだ。彼は、問われる前に、淡々とその経緯を話した。ここでだんまりを決め込むことも出来たはずだが、なぜか、抵抗することもなく素直な様子を見せている。
候に呼ばれて頼まれごとをしたこと、その依頼を携えてジゼルに会ったこと。その手引きは、なんと塔内の人間がしたということ。長官達がひそひそと話し合う声も気に掛けることなく、静かに語る。が、その言葉が、詰まった。
「どうした。数度の依頼を経て、そして、問題の夜に一体何が起こったというのだ」
先を促す声に、アルノーは震える声で、証言を続けた。
「ジゼルがどうしても拒むというのなら、その理論だけでも手に入れて来い、と。なぜか、彼女は論文を破棄していませんでした。実行するつもりがあるからだろう、と問う俺に、彼女は――これは自己満足のために書いただけだ、と」
『破棄しないのは、これが私自身の陣でしか発動しないように構築してあるからよ。これは、自分の理論を確認したかったから書いただけ。なんでも確かめないと気が済まないのよ。
だから……あなたのことも確かめました。あなた、ユーリアンの友達なのね? そしてユーリアンのお父様から頼まれて私を説得しに来た。
悪いけど、私がいくら言ってもダメみたいだから、ユーリアンの方から断ってもらうわね。研究したこと自体を彼は怒るだろうから、今まで言えなかったけど』
「まっさきに思ったのは、彼女が俺を覚えていなかったことへの驚きと憤りです。二度ほど会ったことがあり、彼らの写真を撮ってやったりもした。なのに、彼女は俺を覚えていなかったんだ。興味がないことは覚えていないんだろう。なんだか腹が立った。
それから、ユーリアンに報告されるのは困る、と思いました。ユーリアンは、それが父親の差し金と知れば、きっと絶対に頷かないから。説得すべき相手が増えるのは好ましくなかったし、そもそも、ユーリアンには知られないようにという依頼でしたから。
その報酬として、俺はすでに店を手に入れていた。絶対に手放したくなかった。だから……お願いしたのです。それはやめてほしい、と。
彼女は、ならばもう諦めろと言う。諦めなければユーリアンに言う、と。
どっちに転んでも不都合だ。俺は必死で頼んだ。同時に、もう、何もかも嫌になっていた。塔の中には自由が溢れていた。いつ行っても誰かがどこかで寝転び、夜中に煌々と灯りをつけて酒を飲みながら本を読み、男も女もふらふらと歩き回ってはお喋りをしている。
こんなにも自由な空気の中で、自分だけがにっちもさっちもいかない状態で苦しみはてている。
何度も頼む俺に、彼女は……憐れむように笑った。俺は……」
ふっつりと言葉を途切れさせたアルノーに、皇太子が容赦なく先を促す。
「それからどうした。言え、アルノー・バスティ。はっきりと言葉にするのだ」
「セシュラール侯爵が言ったのです、今回で協力が得られないようであれば、せめて理論だけでも奪って来いと!
だから! 俺は……彼女を、ジゼルを殺してそれを手に入れた!
彼女の陣でしか発動しないことなど、知らなったことにすればいい。全てが不可能と分かれば、解放されるだろうとさえ思った。だから、殺した!」
怯えと興奮の入り混じった、悲鳴のような声で、アルノーははっきりとそう言った。
ユーリの背中が震えた。両の拳が握りしめられ、それをシルビアは後ろから見ていた。
「茶番だ。私がそのような指示をしたなど、その男の妄想だろう。私にはそのような記憶はない」
「ふむ……確かに」
皇太子が頷くと、少し頭を振って何かを振り払うようにしたユーリが、
「恐れながら。少なくとも、ジゼルはセシュラール侯爵に呼び出されたと認識しておりました。その旨、彼女の証言が残っております」
「なんと……魔術か」
「いかにも。また、彼女の……遺品から、侯爵の印の封蝋の欠片が見つかっています。肌身離さず持っている印です、侯爵が彼女に連絡をとっていたことは明白です」
二つの品が恭しく持ち込まれ、魔石の声が響く。最後に遺した恋人への愛の囁きが、こんなふうに使われることを、ジゼルもユーリも忸怩たる思いはあるだろうが、事態は進む。
「む、息子の恋人に連絡をとってはならないという法でもあるのか」
「殺されたその夜に?」
「偶然だ! そもそも、私がなぜそのようなことをしなければならないのか」
「なぜ、か。ユーリアンよ、その辺については?」
皇太子は、眉を寄せてそう聞いた。それを見て、シルビアは、この方が実は全てを把握しているのだと悟った。そうでなければ、こんなに辛そうな顔をするはずがない。
「……はい。理由は、侯爵の奥方のため、でしょう」
「知った風なことを抜かすな、ユーリアン! 母親を助けることも出来ぬ出来損ないが!」
「……っ、そう、それこそが理由です。侯爵は奥方を病の淵から救いたかった。そのために、私の膨大な魔力量が必要だった。陣は複数では編めない。私だけが、母を助けられる。治癒魔術を持たぬ私にそれを習得させる、それこそが候の目的でした」
「黙れ!」
最早、落ち着きの気配はかけらもなく、激昂した侯爵は手にした杖で床を打った。
「控えよ、候。……お主の奥方は、もうだいぶ前に病の床についたと聞いている。次第に弱っているとはいえ、長年命を保っているのだ、今の治療法が合っているのではないのか?」
セシュラール侯爵は、ぶるぶると震え、しかし、口を閉ざして何も言わない。代わりに、吐き出すように応えたのは、ユーリだった。
「母の病は、病巣があちこちに生まれるものです。しかし、そのことを数年前まで誰も知らなかった。
ではそれまでどうしていたのか。――機能を止めたのです。痛みを訴えた個所を、『封じ』て、活動しないよう術を施した。胃が痛いと言えば胃を、舌が痛いと言えば舌を、魔術で診察をして悪くなっていればそこを。次々と封じ、代わりに必要な栄養を魔術で直接体に流し込んだ。
母……は、もう、動けない。寝たきりで、何を見ることもなく、何を聞くこともなく、ただそこに、在る。その状態を、生きていると、そう思う者もいるでしょう。懸命に生きているのだ、と。
しかし、昨日……数年ぶりに会いに行った私に、母は、出せぬ声を振り絞るように、口を動かしたのです」
ユーリアンは、体ごと真っすぐに父親に向き合い、言った。
「――もうゆるして、と」
その瞬間、セシュラール侯爵は、まるで泣き出す直前のように顔を歪め、それから、体の力を抜いた。だらりと下がった両手から、杖が転がる。
ユーリの頬を涙が伝っていたが、泣いている本人はきっと、気づいていない。
「痛ましいことだ。なるほど、その状態では治癒しているとは言えまい。だから、病巣そのものを取り除く術を施そうとした。それに、お前の魔力が必要だった、というわけか。
だが待ってほしい。人体の機能を封じる魔術といい、人体の一部を切除する魔術といい、今、現段階でそのような技術を私は知らない。一体どういうことだ?」
少しだけ、息を整えるような間があってから、ユーリアンはきっちりと襟を正して皇太子に向き合った。
「はい、それこそが、さらなる犯罪の証拠でございます。皇太子がおっしゃったいずれの魔術も、すでに塔内では完成していました。こちらに戻って以来、塔に出入りしていたのはその証拠を探すためです。
論文もデータも確保しました。
つまり――これは、塔ぐるみの犯罪なのです。そうでなければ、ジゼルの死が殺人ではなく、禁忌の汚名を着せられて事故と公表されるようなことにはならない。
もともと、塔内では、好き勝手に研究する層と、それを使ってさらなる研究費用を確保する層とに分かれていました。予算調達の一部として、技術を売ろうという話は前々からあったのです。しかし、国から予算のほとんどが降りているため、反対する声のほうが大きかった。
その一部が勝手に実験的な売買を始め、調査の結果、最もそれらの技術を必要としていたセシュラール侯爵に話を持ち掛けた。
アルノーが塔の中にやすやすと侵入できたのも、それらの手引きがあったからです。
これらの事実を隠すために、塔はジゼルの死を嘘で塗り固めて発表した。
首謀者と思われる人物を捕えてあります」
「なんと……よし、連れて来い」
ユーリの合図で、シルビアの後ろの扉が開いた。慌ててよけると、そこに、両側を兵に挟まれた女性が立っていた。ローブ姿は、魔術師らしい。
「ちょっとぉ、痛いじゃなぁい、なんなのぉ?」
女は、連れ入れられた場所を見渡し、そこに全ての人物がそろっているのを見て、ニヤリと笑って言った。
「あーあ、ばれちゃったぁ」
ミラベルの、何かを言い募る侍女を黙らせての証言と、シルビアの証言からさらに検討を重ねて、王裁が下った。
罪有り、と。
アルノー・バスティは死罪を免れ、海沿いの街を経てさらに海の向こうの島で生涯国のための労働に就くことになった。
セシュラール侯爵は、身分と権力の全てを剥奪し、王都追放の上、王の許しがなければ領地から離れることが出来ないと決められた。事実上の幽閉である。彼の祖父が王裁の規則を異界より取り入れ、息子がそれを発議して断罪されたというのは、なんとも皮肉なことだ。
ユーリアンも、セシュラール家として責任の一端を負わされたが、その罪を告発・断罪した功績と相殺で、侯爵を継ぐことになる。一度は固辞したが、今後の塔と国政の調整という大変なばかりで功のない仕事を引き受けることこそが償いである、と王自身に言われ、それを受け入れた。
ミラベルは、従犯として身分剥奪の上、王都追放。しかし、ジゼルの禁忌を侵したという汚名は返上され、両親は喜んでいた。彼女は、サランの実家に行くようだ。下級男爵の娘だというサランの家は大きな農家を営んでいて、そこでミラベルを一から育てなおす、と笑っていた。ミラベルがそれをどう思っているのか、知る術はない。あの日以来、シルビアとは会うこともなく旅立っていった。
ユーリの母は、あの後すぐに、亡くなった。数時間置きに施されていた延命の魔術のうち、痛みを取り除くもの以外の全てをやめ、ほんの五日後のことだ。眠るような死だった。彼女の死に立ち会えなかったことこそが、セシュラール侯爵に与えられた最も重い罰だったのかもしれない。
こわばって回らぬ舌で彼女が最期に呟いたのは、夫の名前だったという。




