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「よぉ……どうした、ユーリアン。馬の乗り入れは禁止だぜ?」
「緊急事態だからな。お前こそどうした、似合わぬ御者服など着て」
にこりともしない顔に、かすかな望みが潰えた。ただ会いに来た、というわけではないと分かった。
「店に来る途中だったのか? 偶然だな」
「いや、偶然ではない。お前のその……上着のポケットの辺りを確認するがいい」
「あん? ……なんだこれ、何か……魔石? でもないな、小さい……宝石じゃねぇか」
「そう。それには、俺の呪封がかかっている」
「は? お前に最近、会ったっけ」
「いや、シルビアだ。彼女がかけて、彼女が入れた」
思わず食い入るようにユーリアンの顔を見た。
「シルビアが、お前の陣を? そうか……そうかやはり! ははっ、すごい能力じゃないかこれは! ますます期待が高まるってもんだ」
「なんの期待だ?」
「決まっている。お前ももう分かっているんだろう? ジゼルの陣の再現さ。なぁ、お前だって、ないよりもあったほうがいいだろう?
治癒魔術を習得しろ、ユーリアン。そして完璧なお前になれよ」
ユーリアンが、微かに顔をゆがめた。なぜそんな顔をするのか、アルノーには本気で分からない。法がなんだというのだろう。自分を高めることの何が悪いのか。
そんな気持ちが透けて見えたのか、彼は、ゆっくりと首を振った。
「アルノー。ジゼルに会ったか?」
思わず顔がひきつる。思い出したくもない、あの夜のことを、まざまざと見せつけられるような気持になる。
「なぜ? 俺が塔に入れるわけ、ないだろうが」
「俺は別に塔で、とは言っていないがな」
「っ……」
「が、まあ間違ってはいない。お前はジゼルと塔で会った。おそらく、制服のローブを着ていたのだろう。顔を隠し、入り込んだ」
「だからなんでだよ!」
「ミラベル嬢から聞いた。お前が、ジゼルの最期に現れた俺の様子を話してくれたと。随分と詳しく知っていたようではないか。外部の人間が知るはずもないような描写をしたことで、お前は図らずも、その場にいたのではないかという疑念を俺に植え付けた。
だから戻って来たのだ。あれは……事故ではなかった。そうだな?」
単なる推測に過ぎない。尻尾をつかまれたわけではない。
頭ではそう思うが、アルノーは心が萎えてくるのを感じた。
なんだ、この場面は。かつて、対等に語り合った自分たちではなかったか。それが今、こうして糾弾する側とされる側になってしまった。あの、王都の片隅の部屋で分かたれた道は、長い時間を経て、随分と遠く――もう背中すら見えない場所に来てしまった。
「事故でないというなら、お前は、あれが、なんだったと、いうんだ?」
口がからからに乾いている。
ああ、どうして。初めはただ、妻を思う男の願いを聞いただけだった。いいことをしたとさえ思っていた。それがいつの間にか、こんなところへ追い込まれている。
「アルノー」
遠い。時間も、感覚も、鈍くなる。断罪の声が、今、かつての友の口から放たれようとしている。
けれど――ユーリアンは、無表情だった顔に苦痛を浮かべて言った。
「なんで……なんでこんなことしたんだお前……っ」
その途端、雷に打たれたように、シルビアの声が蘇った。
『愚痴や恨みを聞けるのは、親しいから、好きだから、その人の気持ちを知りたいと願うから、に他なりません』
訳の分からない胸の痛みとともに、心打たれた。ユーリアンを一方的に避けてきたのはアルノーだ。自分勝手な劣等感で、彼との友情をなかったことにした。ミラベルとなんら代わりのない、ただの妬みだ。そう、最初はミラベルを可哀そうだと思ったのだ。自分に似ていたから。だが、あまりに似すぎていると感じてから、その存在を厭うようになった。合わせ鏡のように、自分の姿を見せられている気になるからだと、今なら分かる。
ミラベルと共に、自分の過去も閉じ込めてしまえれば良かったのに。疑いを持ちながら、疑いの段階ならばいまだ変わらぬ友情を感じてくれていた、この友と語らうには、自分はあまりに穢れてしまった。
もう戻れない。自分とユーリアンの間には、身分差以上の隔たりが出来てしまった。吐き出したい葛藤を聞かせる資格など、もうない。
黙り込むアルノーの顔に、ふっと影が差した。新たにまた、騎乗した人物が現れたのだ。それも、取り囲むほどの人数だ。自分を捕縛しにきたのだろう。
よく見れば、正面の男は、セルジュメーラのようだった。ユーリアンのほうが、彼に話しかける。
「……どうだった?」
「見つけた。いや、まだ本人は見つかっていないが、おそらく塔を越えた森の向こうだ」
アルノーは素直に驚き、口を出した。
「なぜ分かった」
「あぁん? こいつか、シルビアを攫ったのは。おい、殺していいか」
「駄目だ。彼には、父の罪を明らかにする証人になってもらう。騎士隊に彼の身柄を頼んでいいか。俺も向かう」
「ちっ、分かったよ。どこに連れて行きゃいいか、その、偉そうなそいつに言え」
「セルジュメーラ殿ほどにも偉そうではない私が、責任も持って身柄お預かりいたします。どうぞ人質の救出に。危険はないと思いますが、部下を数人、塔の周辺に配しております。お連れ下さい」
「いらねぇよ。おい、ユーリアン、行くぞ」
「待て、安全のために細かな指示がある」
「急げよ」
振り向いたセルジュメーラの黒目が苛立たし気にアルノーを射抜くが、すぐに鼻で笑われた。
「そうそう、なんで分かったかって? シルビアが、ドレスからはぎ取った小珠に俺の陣を真似た術をかけ、馬車の外に落として行ったからさ。点々と。まだ塔の周辺までしか追えていないが、あいつの居場所が分かっていたほうが、ユーリアンも自由に動けるだろうからな、知らせに来てやったんだ。
それに、俺の気配のない小珠もいくつかあった。多分、俺のとユーリアンのとを交互にかけたんだ。保険だな」
ユーリアンが騎士隊にあれこれ指示を出している横で、まるで自分の娘を自慢するかのように滔々と話す。
「お前が保険か」
自分の力でもないのに偉そうにする男に腹が立って、思わず皮肉を言う。男は目に見えて嫌な顔をした。
「おい、やっぱりこいつ、殺していいか」
「駄目だ。行くぞ」
舌打ちをして、馬首を返す男と、ユーリアンが、同時に馬の腹を蹴った。駈け出す並んだ背中に、かつての自分の姿を見る。それは幻のようにすぐ消えて、後には何も残らない。
ユーリとセルジュは、二人で互いの陣を探しながら森に入った。時折、自分の陣の気配を見失うことがあったが、その時は相手がきちんと先を見つけた。
やがて途中で、奇妙な既視感がユーリを襲った。森は暗く、ほとんど前が見えない。お互いにたまに魔術で灯りをつけるが、その灯りの陣の気配でシルビアの目印が感じにくくなる。ユーリがあの北の小さな部屋で、シルビアの陣から自分の気配を感じられなかったのも、常に何かしらの陣が部屋中に満ちていたからだ。
それなのに、この光景に見覚えがある。次第に、陣の気配がなくともこちらだろうと見当がつくようになった。
灯りをともす。セルジュがこちらを見るが、
「たぶん、こっちだ」
「分かるのか」
「もうすっかり忘れていたが、このあたりに、うちの別邸がある。幼いころに一度来たきりで思い出しもしなかったが、確かに不動産として持っていたはずだ」
「はぁ? 自分の持ち家を、監禁場所に選んだってのか、お前の親父さんが? 馬鹿な」
「ああ……確かに。もしかしたら、アルノーの独断やもしれん。あいつもたぶん、あいつの父親にくっついてここの庭を見に来たことがあるからな」
「ふうん……ある種の証拠になる、と分かって選んだのか、それともただの馬鹿か」
前者であろう、とユーリは思う。シルビアではないが、自分一人に罪を押し付けられないよう、保険をかけたということだ。
ユーリの記憶に違わず、荒れ果てた別邸が見えてきた。夏は涼しく、おそらく記憶にある幼い頃までは両親はよくここに来ていたと聞いた気がする。いつしか、ユーリの魔術で屋敷の気温を下げる処置をするようになってから来なくなってしまった。幼いころから、それほどに魔力を使っても平気だったことを、母は少し、憂いていたようでもあった。
雑草が伸びるままの前庭を通り、鍵のかかった玄関扉を、セルジュが躊躇なく蹴り開ける。魔術で補強しているとはいえ、驚くばかりの力だ。
「シルビア!」
怒鳴るセルジュの声に、応える声はない。焦ったような彼は居間のほうに向かったが、ユーリはそれを止めた。
気配がする。
自分の陣の気配だ。これは封呪。
呼ばれるように、吸い寄せられるように、裏手廊下から地下へと降りる。駈け出すようにして扉にとりつくと、確かにそれは、自分の陣だった。
右手を出して、陣を立ち上げる。手をかざし、それを『開けた』。
扉の先、そこに、魔力をほぼ使い果たしかけているのだろう、眠りに落ちそうな顔で椅子にかけているシルビアがいた。
「シルビア」
名前を呼ぶと、彼女は笑った。淑女のようにではなく、あの頃、寒い部屋の窓際でしていたように――ただ嬉しい、と。
ユーリはシルビアに近寄り、椅子の足元に跪くと、その手を強く握った。




