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「ねぇあんた、仕事は大丈夫なの? なんでこう頻繁に来られる訳?」
昼食に降りた食堂で、すっかり我が物顔でテーブルについているセルジュに尋ねる。シルビアの椅子を引く家令が、不在の主人夫妻の代わりに開始の合図を促した。ぎこちなく頷くと、すぐにパンが運び入れられてくる。
「俺は、遊軍扱いだからな。今日は一応、お前に用もあったし」
「あら、なに?」
「養子に入ったことですっかり落ち着いたようだが、お前の父親の件、どうする?」
簡素でいい、というシルビアの要望を聞いて、今日の昼食は卵料理だけだ。それでも、かつての生活を考えれば、サラダ一つに使われている野菜も考えられないほど豪華だった。ユーリのせいで舌が肥えたとはいえ、いまだに美味しさに驚く。
「もういいわ。終わったことよ」
「お前がいいならいいが。それとなく両親に聞いてみたが、魔力があった、ということしか分からなかった。お前の魔力は、父母の両方から来ていることもあって強いのかもしれない。
一応、それ以上の当時の事情なり様子なりを確認することは出来るし、可能なら書付のようなものを遺品から探すこともできる」
「うーん、でも、そうなると事情を話すことになるわよね?」
セルジュは思案する様子だったが、結局は肯いた。
「そうだな。話さざるを得ないだろう。黙ったまま情報だけを得たいのならば、家に出入りする人間につなぎを取るか、近しい人間に協力してもらうか……」
「やっぱりいいわ。結局はこちらの情報が洩れる危険があるってことだし。下手なことをして、夫妻に迷惑が掛かるのは困る」
話はこれで終わり、というつもりで歯切れよく言い切ると、セルジュは少し、眉を寄せた。
「気にならない、というのが本気のようだからいいが、お前、その考えが過ぎるのはどうかと思うぞ」
「え?」
「夫妻に迷惑が掛かるからと自分の希望を諦めることだ。ご母堂に縛られていた頃と、何一つ変わらないじゃないか、それじゃあ」
「馬鹿ね、全然違うわよ。あの頃は義務感だったけど、今は、自分の人生を良いものにしたいって気持ちがあるもの。あんたが思うより、我儘なのよ?
それに、イレニウス様も言っていたわ。情報は武器になるって。知らせないことこそが、最大の攻撃だって」
「何を教えているんだ、伯は……」
それにしても、とシルビアは思案する。
情報というのは、確かに大事なものだ。特に、何かを糾弾したいときは。
ユーリは何をするつもりだろうか。あの魔石は、情報の一つだ。だがきっかけに過ぎないともいえる。あそこから導き出される予想を確かめるためには、さらなる情報が要る。たぶん、彼はそれを集めている。危険だ、というのは、そういうことだろう。
石はイレニウスが持って行ってしまった。そもそも、石に情報が入っていること自体まだ知られていないのだから、危険度は低いのだが、少しのそれも残したくない、という伯の安全策だろう。
それでも、自分は何かをすべきだろうか?
仕事に戻る、と言い残してセルジュが帰り、シルビアも自室に戻った。ここのところ、ほとんど外へ出ない生活をしている。先日の夜会の影響を見極めるまで、あまり人と顔を合わせないようにという伯の言葉があったからだ。
伯にお願いして自室に入れた無骨な机には、書類が積み重なっている。華奢なティーセットは隅っこの小さなテーブルに置かれ、紙束の山が崩れても大丈夫なようにしてあった。すっかり仕事部屋になってしまったが、シルビアは便利でいいと思っている。
故郷のクワの栽培状況も含め、広い辺境のあちこちの村のデータに目を通していると、手元に置いてあったユーリの魔石がかたかたと震えて驚いた。
手に取ってみると、少し温かい。と、表面がほんのり光り、そこから声が聞こえた。
『シルビア?』
「お、おお……ええ、すごい、なにこれ」
『うん、シルビアだ。今話せるか?』
「すごーい、これ、私も使える?」
『後で教える。俺に教えてもらえるのはすごいことだって、分かったか?』
「分かった分かった、理解した」
ほんとかよ、と呟くユーリの声を聞きながら、一応、ドアを閉めて奥の寝室に閉じこもる。誰に聞かれる訳でもないが、なんとなくだ。
『さて、魔石の件だが』
「あ。あー、あれね……」
『なんだ、まさか失くしたのか?』
「ううん。えーと、イレニウス様に……そのー、取られた」
絶句する相手に、急いで説明をする。石を『開けた』こと、その内容が思った以上のものだったため、伯に相談したこと。唸るような声が聞こえたが、
『あれを開けたのか。やはりお前は……いや、思った以上か……』
「え?」
『出来れば聞かないで欲しかったが』
「ごめん……私的な伝言だったのに」
『いや、そういうことじゃない。内容的に、知らないほうが安全だったってことだ。だから、まあ辺境伯の心情を思えば、魔石を伯の手元に置くというのは当然の処置かもしれない。お前の行動も間違ってないよ。
とは言え、伯と話をしなければならないようだ』
「何かまずいの?」
『どうせいずれははっきりさせようと思っていたから、まずくはない。相談相手として申し分ないしな。
ただまあ。あれだ。顔が怖いからな』
「ああ。顔ね。仕方ないわね、それは」
実際のところ、ユーリと辺境伯はこれまで挨拶程度の間柄のようだ。あの顔に慣れているとは言い難い状況で、しかも楽しい話ではない会話にしり込みする気持ちも分かる。
「ねえ。魔石のことは別として、今どうなっているの?」
『そうだな……ここまで来た以上、ちゃんと話をしたほうがいいだろう。だが……生憎とこの念話は、受け手もかなりの魔力を消費するんだ。長いこと話し込める魔術じゃないんだよな』
そういわれてみれば、なんとなく少し疲れてきた気がする。
「まずいわ、この間、魔石を『開けた』時、魔力使い切って倒れちゃったの。また同じことになったら、ローザンナ様に怒られる」
『ば……っか、お前、そうか、ちゃんと訓練してないからか。限界が分かって良かった、と言うことにしておけ。
そうだな、じゃあ会って話そう。変な噂が立つと面倒だから、塔の一室を借りられるよう話をしておく。後で迎えをやるから』
「うん、分かった」
『では』
ふ、と光が消えて、魔石はただの石に戻った。さらりと言っていたが、塔の一室なんて簡単に借りられるのだろうか。偉い魔術師様らしいから、可能なのかもしれない。
シルビアは寝室を出て侍女を呼ぶと、出かける準備を始めた。
数刻の後、翠嵐邸の正面扉を、一人の侍女が叩いた。出てきた執事に、お迎えに上がりました、と伝えて、一通の手紙を託す。
シルビアはそれを受け取り、目を通した。ユーリの名前と、迎えの馬車に乗る旨、記してある。
「ご苦労様。早かったのね」
「シルビア様にございますか。お迎えにあがりました。粗末な馬車でございますが、ご容赦を」
「構いませんわ。こちらの侍女を一人連れてゆきます。同じ馬車でよろしいわね?」
「はい、勿論でございます」
「では出かける支度をします。少しお待ちになって」
令嬢モードのシルビアと、一人で外出などありえませんと主張した部屋付きの侍女は、迎えの馬車に一緒に乗り込んだ。御者台には若い男が、慣れた様子で鞭をふるっている。
向かい側に乗り込んだ迎えの侍女は、恐縮した様子で、乗り心地を訪ねてきたりした。
「大丈夫ですわ。ええと、塔へ行くのですよね?」
「え。え、ええ、はい」
御者がちらりと車内を見て、ゆっくりと速度を落としながら角を曲がった。まだ王都に慣れないシルビアは、どこをどう走っているのか分からなくなったが、しばらくすると目の前に赤い塔がそびえているのが見えた。
「本当に赤いのね」
「はい、赤の塔は郊外に造られておりますので、これから少々道が荒れます。ご不快かと思いますが、ご容赦を」
「気を使いすぎだわ、さっきから。別に私はどんなに馬車が揺れても不快ではありません。あまり謝らないでくださいな」
「……もったいないお気遣いを……」
呟く侍女は、なぜか苦し気に眉根を寄せている。
窓の外は随分と人気もなくなり、道は寂しく暗くなり、塔はぐんぐん近づいてくる。
そして――馬車は塔を、通り過ぎた。




