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 久しぶりに顔を合わせた父親は、呼び出されたミラベルが居間に姿を見せるなり、つかつかと歩み寄ってきて、そして思い切り頬を打った。加減をしないその平手に、目の前がぶれ、気づくと床に倒れていた。くらくらする頭で必死に父を見上げると、怒りをたたえた目が見降ろしている。


 先日の夜会のことは、ミラベルも聞いていた。流した噂を否定も肯定もせぬまま、ただ、辺境伯夫妻があのシルビアという女を身内として扱った、という話だ。自分が間違ったことをしたとは思わないが、現状が自分に不利なことは分かっている。噂の大元がミラベルであることは明白だったし、親の怒りを恐れた令嬢たちはこぞってすべての責任を押し付けてきているだろう。


「なんということをしてくれたのだ、ミラベル」

「お、お父様、でも」

「あの辺境伯様に悪意を向けるなど……こんなにも馬鹿だとは思わなかった。ジゼルがあんなことになって、ただでさえ我が家は取り潰し寸前だ。此度のことで、ますます苦しい立場になったことを、お前は分かっているのか?」

「でもお父様、ユーリアン様のためなのです」


 必死で言い訳をするが、返って来たのは舌打ちだった。


「……お前は本気で、ユーリアン殿がお前とどうにかなると思っているのか? だとしたら、目が見えていないと言わざるを得ない。

 彼はジゼルの恋人だったのだぞ。あの美しき天才と。ジゼルを愛した男が、本気でお前を愛するのか?

 答えは否だ、ミラベル。お前は分かっていないようだがな」

「おと……さま、ちが……」

「部屋へ戻りなさい。そして私の許可があるまでそこを出てはいかん。分かったな?」


 声の出ないミラベルに、父は苦々しい顔をしながら、連れていけ、と従僕に指示をした。恭しくも有無を言わさぬ手つきで、若い従僕がミラベルを引き起こす。抗う気力もなかった。


 半ば抱えられるようにして自室に連れていかれると、外から鍵をかける音がして、それでミラベルは――怒りを感じた。

 腹の底からこみ上げる、怒り。


 父は何も分かっていない。この数か月、ユーリアンは自分をあらゆる場所にエスコートした。姉の墓、姉の自室を案内するミラベルに感謝を示し、食事に誘っては自分たち姉妹や両親の話を聞いてくれた。

 ユーリアンだけは分かってくれるに違いない。なぜ自分があの年増を追い出そうとしたのか、あれが危険な女だということを理解してくれるに違いないのだ。


 ミラベルは、持って来ておいた姉の服を身に着け、姉のものだった首飾りをして、相変わらず壁際で控えている侍女のサランに部屋の扉を開けるよう命じた。小さい頃から両親はミラベルをよく閉じ込めていたが、そのおかげで、侍女はそれをこじ開ける術を身に着けている。

 サランに導かれ、人気のない廊下を通って通用口から家を出る。薄暗くなりかけた庭を通って、表通りで辻馬車を拾う。


「セシュラール邸へ」


 侯爵家へ行くのに家の馬車ではないことに、御者は少し躊躇った様だが、生粋の淑女であるミラベルの様子を見て大丈夫と判断したのか、かしこまって送り届けてくれた。

 到着すると、マナーに則って自分は待機したままサランを先触れに出す。しかし、戻ってきた侍女はユーリアンが不在だと告げた。

 父親に打たれた頬が痛い。不安がこみ上げ、誰かに自分の存在を肯定してほしくてどうしようもない。ふと思いつく。


「バスティ・バスティの場所は分かる?」

「はい、お嬢様」

「ではそこへ」

「もう閉まっている時間だと思われますが」

「いいの。行ってちょうだい」


 御意、と呟く声に少し安心して、ミラベルは背もたれにそっと体を預けた。






 店の明かりは消えていたが、奥から光が漏れている。いつも通り、ミラベルはゆっくりと4回、ノックをした。人影が窓際から覗き、それから店の扉が開く。


「アルノー様、あの」

「どうした、顔色が悪いな」


 そういう彼も、なんだか少し、いつもと違う気がする。侍女と二人、招き入れられてテーブルに着く。


「どうなった、シルビアとやらを追い出す件」

「……たぶん、駄目でした」

「ふうん。つまり、彼女はまだイレニウスの手元にいるということか?」

「ええ。それどころか、養子に入るかもしれない、と噂です」

「それはまずいな」

「はい。ユーリアン様と身分が釣り合ってしまったら、ますます勘違いしてしまいますわ」


 落ち着きかけていた不安が再び胸に忍び込んでくる。すがるようにアルノーを見る。

 が、彼は、ひどく冷めた顔をしていた。


「お前の恋愛など、どうでもいいことだ」

「……え?」

「チッ……イレニウスがそこまで入れ込んでいるとはな。なんとか手放して欲しかったが、お前では役者不足だったか」

「アルノー様……?」


 立ち上がり、見下ろしてくる目は、なぜか父親を連想させる。


「俺はね、ユーリアンを家出から連れ戻して、治癒魔術を習得してもらわねばならないんだ」

「な、なにをおっしゃっているの? ユーリアン様は治癒魔術は使えませんわ」

「だが、引き出すことはできる」

「ですからそれはお姉さまが実験して、失敗したではありませんか。上手くはいかない、お姉さまほどの方が失敗したのです、誰にもできませんわ」


 震える声で反論をする。彼は首を振った。


「実験などしていない。理論の構築は知的好奇心から研究したようだが、彼女はそれを実際に使うことは拒否したのだから。あの方が頼んだにもかかわらず、絶対に頷かなかった。哀れな女だ。あの方に逆らうなど……」

「魔石に声が残っていたではありませんか! ユーリアン様の……あ、え……?」

「ああ、はっきりとユーリアンの資質改変をするとは言ってなかったろ。

 それよりも、シルビアだ。俺はね、彼女を手に入れなければならないんだよ」

「な、ぜ? お会いになったことも、ないでしょう」


 とうとう、彼は笑った。あざけるように。


「なぜ? 俺が庶民だからか?」

「え? いえ……」

「まあいい。俺はね、見たんだ。シルビアが、あのセルジュメーラと全く同じ詠唱、全く同じ形の陣を使って足の痛みをとっているのを。俺も多少魔術が使えるから分かる。普通なら絶対にありえない。全く同じ陣など。

 これはすごいことなんだぜ、ミラベル嬢。あの女は、どうやってか知らないが、他人の魔術が再現できるんだ。ならばきっと、魔力の量も多い。そうでなければ説明がつかない。

 もしかしたら……ジゼルの陣を再現できるかもしれない」

「馬鹿なことを言わないで。天才の魔術を真似するなんて、できるはずがありませんわ」

「それはお前のことだろう?」


 くすくすと笑われて、胃の腑が熱くなる。アルノーに対して感じたことのなかった怒りがこみ上げてくる。


「お前には真似はできないさ。ジゼルとの違いは明らかだ。だが、シルビアという女がジゼルと同じでないと、なぜ言える? 少なくとも、彼女はお前が持っていないものをたくさん持っている。

 人に愛され、才能を開花させる機会を得て、それを見事に掴んで見せた。貴族の仲間入りをして、まさに順風満帆の人生をいこうとしている。

 少しくらい、それを分けてもらってもいいだろう」

「……っ。……なぜそんなにも、ユーリアン様に治癒魔術を習得してもらいたいのです?」

「そう願っているのは俺じゃない。俺は頼まれて手伝っているだけさ」

「どなたに……?」

「さてね」


 アルノーは嘲るように鼻を鳴らした。


「本当に世間知らずなんだな、あんた。この店が俺の稼ぎだけで手に入れられたと、本当に思っているのか?

 これはな、報酬なんだ。つまり、これだけの報酬を出せる相手ってことだ。そんなもん、むやみに言えるかよ。あっさり聞いて、そして俺が答えたらお前どうするつもりなんだ?

 その答えを知ることがどういうことか、分からないのか?」


 部屋に閉じ込められた時からずっと感じていた怒りに成り代わって、小さな震えがミラベルを覆った。手に伝わるその震えが、触れたままのカップをかたかたと揺らす。


「た、頼んだとおっしゃいましたわね、姉に。姉は断った、と。資質改変の実験などしていなかったということですか」

「おや、少し頭を働かせてきたな」

「では、姉はなぜ死んだの、です? 実験はしていなかったのに、なぜ禁忌を犯したという汚名を着せられ、死んだのです? なぜ?」

「なぜでしょうか。不思議だねぇ。

 でも、お前が答えを知る必要はないよ。思ったよりずっと使えない女だった。ご両親も可哀そうだよな、残ったのがお前で」


 アルノーは、右手をゆっくり上向ける。そこに陣が立ち上がる。


「おまけに、娘を二人とも失うなんて」


 その言葉に何かを悟る。


「い、いやっ、嫌です!」

「お嬢様!」

「おっと。しーっ、お嬢さん、お静かに」


 恐怖でさっと血の気が下がり、思わず叫んだミラベルの口元は、鷲掴むように伸ばされたアルノーの左手に塞がれた。それを見て、壁際に立っていた侍女も足を止める。


「大騒ぎしなさんな。あんたも、その隠したナイフが届くより先に、俺が全てを終わらせることが出来るって、分かるよな?」


 右手の陣が揺らめき、威嚇する。侍女は悔し気に唇を噛んだ。それを見て、ミラベルは絶望する。腕の立つ彼女が降参なら、最早助かるすべはない。


「い、や……」

「嫌? 大好きな姉の後を追うのがそんなに嫌か?」

「いや、いや……」

「ふうん。ではこういうのはどうだ?」


 死にたくない。せっかくすべてを手に入れようとしているのに。少し失敗してしまったけれど、まだ負けたわけではない。挽回はこれからなのに。姉を越えるのは、これからなのに。


「俺に協力しておくれ、お嬢さん。

 いくら俺でも、イレニウス邸に押し込んでシルビアをさらってくるわけにはいかない。だがお前なら……いくら嫌がらせをした相手だと言っても、警戒はするが武装してくるわけではなかろう。連れ出しさえすれば、いくらでも手はあるんだ。

 ミラベル嬢。あの女を誘い出せ。成功したら、命は助けてやろう。どうだ、やるか?」

「やります」


 一も二もなく飛びついた。引き換えとしては、破格の条件だとさえ思う。

 シルビアがどうなろうと、ミラベルの知ったことではない。むしろ、危険な目に合うことは期待に適ってさえいる。それで命が助かるのなら、喜んで引き受ける。


「やりますわ。出来ます、だから……」

「いいだろう。やってみるがいい。お前に目印の魔術をかける。逃げても無駄だ。やるべきことをやれ。いいな?」

「ええ、ええ、承知しております、私は、出来ますわ、うまく……」


 







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