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 再び目を覚ますと、朝だった。カーテンから透ける光が、さほど寝坊をしていないことを教えてくれる。

 起き上がろうとして、何かが引っ掛かった。伸ばした右手が、誰かに握られていたのだ。


「……うっそ」


 シルビアの手を握りながらベッドに顔を伏せて寝ているのは、ローザンナだった。


「ひぃ……、奥様……!」

「ん。おふぁぁぁ、ああ、寝ていたわ。あらシルビア、起きたのね。どう、体は?」

「絶好調ですけど?! 奥様はここで何を?!」

「ええ、やだわ、昨日ね、あなたが朝になっても起きないって、部屋付きの侍女が転げながら来て教えてくれたのよ。セルジュに聞いたら、なんだか大きな魔術を使ったって言うじゃない。そのせいよ、きっと。

 あなたねぇ、後先考えずに魔力あるだけ使うなんて、おやめなさいな」


 座っていた椅子の上で伸びをしながら、小言は忘れない。

 シルビアは急いでベッドから降りて、ベルを鳴らした。すぐに侍女が顔を見せた。


「あ、ほらこの子よ。食堂まで走ってきて、慌てすぎてバルドアの前で転んだの」

「言わなくて良くないです?!」


 真っ赤な顔で、朝の紅茶を淹れてくれた。何も言わずとも、二人分だ。


「めまいがないようなら、今朝はきちんと食事をしなさいな。まず食べなくちゃ」

「はい奥様」

「それから、魔術はしばらく禁止よ」

「う、はい、奥様」

「それから、セルジュがしょっちゅううろうろしていたから、後で顔を見せておやりなさい。淑女の寝顔を見せるなんてありえませんからね、来ても追い返していましたの」

「はぁ。気が向いたら」


 紅茶を飲み干してから、ローザンナは朝の支度をしに出て行った。結局、なぜここにいたのかは説明してくれなかったが、シルビアを心配していた以外に理由はないだろう。

 やはり、あの魔石を『開ける』のにはかなりの魔力が必要だったらしい。訓練を受けていないシルビアは、どの程度が限界かを知らない。今回はぎりぎり持ったようだが、ドレスを脱いだ記憶がないことを考えても、使いすぎれば意識を失うのだろう。



 風呂に入る時間ではないので、せめて体を拭いてから支度をして、食堂へ向かった。椅子に座るとすぐにイレニウス伯がやって来て、ほぼ同時に夫人が現れる。今日、セルジュはいないようだった。


「セルジュなら、夕べから泊まりで警備よ」

「そうですか」

「シルビア、体調が良いようなら、朝食後に私の部屋に来なさい。セルジュもおって駆け付けるはずだ。あの魔石を持ってきなさい」

「はい、イレニウス様」






 執務室に入ると、家令が出迎えてくれた。お茶を用意してくれようとしたので、やりますと言おうと思ったが、魔術を禁止されていたことを思い出しやめた。もうすっかり、手でお茶を入れるやり方を忘れてしまった。人間、便利になれると馬鹿になるのかもしれない。


 お茶をご馳走になっている間にセルジュが来た。なぜか、今日はローザンナもいる。やはり仕事の話ではないのだろう。当然、あの魔石の話に決まっている。

 シルビアは居住まいを正して、イレニウスの話を待った。


「さて」


 ゆったりと椅子に腰かけているイレニウスは、目をすがめてシルビアを見た。


「さてまず。お前の養子の件だ」

「……はい?」


 予想と違う内容に、素が出た。周囲は黙っているし、シルビアはそこでようやく、二度目の夜会での夫妻の発言が腑に落ちた。身分についてきちんとする、というのは、こういうことだったか。


「先日、不快な噂が立った。根拠のないもの、と斬って捨てられるほど、他の貴族たちにとってお前の立場ははっきりしたものではない。庶民であるのは事実だし、突然現れたのも事実だ。

 これらの出来事がまた起こらないとは限らない。それを阻止する唯一の手段が、お前の身分を明らかにすることだ。

 お前は私の領地の生まれで、仕事上の実績もある。顔見世も済んでいるようなものだ。

 シルビア。お前を我が家の養子に入れることを私たちは検討している。お前の意思を聞いておきたい」


 やはり周囲は黙っている。シルビアは、考えた。沈黙を恐れず、考えて、そして言った。



「嫌です」













 短い文句でイレニウスの提案を蹴ったシルビアに、セルジュは久々に苛立った。だが、苛立ちをそのままぶつけるほど、成長しないわけでもない。高圧的な物言いばかりしてきたことが仇になり、どう諫めるか考えあぐねているうちに、イレニウスのほうが先に立ち直った。伯をしてこの驚きの絶句、意外であったことは部屋の誰しもの印象だろう。


「なぜ、と聞こう」


 シルビアは黙っている。少しうつむいて、唇を噛む。セルジュは、声を抑えて口出しをした。


「答えろシルビア。お前にはその義務がある」


 一瞬、むっとしたように睨まれたが、それが沈みかけた気持ちを怒りで呼び覚ましたのだろう、きっぱりした声で、


「実の父に復讐するため」

「……なに?」


 あまりに思いがけない答えに、イレニウスも瞠目した。口に出したことで堰が切れたのか、シルビアはまくし立てるように話し出した。


「母は死の間際に父の名前を言いました。貴族だと。家名は教えてくれなかったけれど、王都にいればきっと、ファーストネームだけでもいつか探し出すことができるでしょう。

 そしたら私は言うんです。あなたが捨てたあなたの子です、と」

「お前……まさかそれが目当てで、街を捨て王都についてくると決めたのか」

「そっ……それだけじゃない、さすがに、それだけじゃないわよ。仕事が面白くなっていたのは事実だわ。でも、いまひとつ決めきれなかった頃に、気づいたの。社交シーズンに王都へ行けば、名前しか知らない父を探し出せるかもって」


 シルビアの目がすわっている。暗く、目の奥に複雑な怒りを湛えている。怒りとも恨みとも見えるその色に、セルジュは妙な共感を覚えた。かつて忌み子と蔑まれ暴力に支配されていた頃の自分は、こんな目をしていたのではないだろうか。


「母と二人で、泥水を飲むように生きてきたわ。食べ物に事欠くような日々がどんなに惨めなものか、皆様ご存じないでしょうね。きっと父も知らないわ。毎日を楽しく暮らしているんでしょう。いいものを着て、美味しいものを食べて、明日への不安も寒さに震えることもなく。

 私はもう、二十八です。周りの子たちは、二十歳より前に結婚して、子供を産んで、辛いこともあるだろうけど、それでも自分の人生を生きてる。幼い頃も若い頃も全てを母に捧げてきた私には、何も残っていない。時間は取り戻せない。もう戻れないの。

 分かる? 母を恨んでしまいそうになって、それが人間としていけないことだと自分に言い聞かせなきゃいけない子供の気持ち。愛だ恋だと騒ぐ子たちを遠くに見ながら、一日中他人が汚した皿や他人の服を洗う十代の子の気持ち。肌がつやを失って、目じりに皺が出来ていくのをただただ黙って受け入れて、毎日をどう食べていくかに悩まされる二十代の女の気持ち。

 母は逃げてばっかりだった。病気のことから目をそらして、父を探そうともせず、ただ苦しみが遠ざかるのをじっと待つ人だった。私はそんなの嫌。

 分かってもらわなきゃ。父に。自分の捨てた子がどうやって生きてきたのか、全部知ってもらわなきゃ」


 日々を淡々と生きているように見えたシルビアの中に、こんなにも激しい気持ちが潜んでいたことに、セルジュは驚いた。驚きはしたが、なんとなく――それは悪いことではないような気がして。


「そうだな」

「……ぅえ?」

「全くその通りだ。孕んだ女を捨てるなど非道の仕業だ。探し出して制裁の一つも必要だろう。イレニウス様も、そう思いますよね」


 そう聞けば、伯も伯で、


「うむ。存分にやるがいい。どう思う、ローザンナ」


 ふと見れば、夫人だけはなにやら浮かない顔をしている。そして、珍しく夫を無視して、変なことを言い出した。


「ねぇエデュマ、シルビアの寝室から、パッチワークの上掛けを取って来てちょうだい」

「かしこまりました」


 命じた先は、気配を消して茶を用意していた家令だ。彼はすぐにドアの外に顔をだし、そこにいた従者に言伝てをする。

 戸惑う残りの三人をいなして、夫人はそれが届くのを待った。


 差し入れられたそれを、再び家令が受け取り、ローザンナに渡す。

 シルビアの寝室に入ったことのない男二人には初見の、古ぼけたパッチワークだ。シルビアは恥ずかしがっていたが、古い服を彼女の母が裁って縫い合わせたものだと教えてくれた。


「ここ。見てくださいな」


 その一部を、夫人が示す。その、見覚えのありすぎる形に、セルジュは思わず駆け寄ってそれを手に取った。


「これは……こ、これは」

「え、なぁにセルジュ、知ってるの?

「我が家の紋章……!」

「ええっ?!」

「なぜお前の母君がこれを!」

「知らないわよ、でもよく考えたら、他の布は私の子供のころの服だったり、母の着られなくなった服だったり見覚えがあるけど、それだけは元の状態を見たことがないわ」


 思わず二人で、ローザンナを見た。彼女は肩をすくめ、


「そういうことでしょう。別れた男の思い出を、そうやって残しておいたのね。証拠、というつもりはなかったにしろ」

「シルビア、父君の名前は?」

「……アガディール」


 なんとなく聞き覚えがある。セルジュの家系は、多産だった。一族郎党合わせれば、かなりの人数にのぼる。だが、その中でも近しい以外で聞き覚えがあるということは、


「たぶん……亡くなっている。祖父の兄弟の息子だったと思うが……」


 葬儀くらいでしか、きちんと名前を確認することなどない。アガディールはもう十年も前に死んでいるはずだ。最後まで妻を娶らず、ただ黙々と働く男だったと聞いた。


「そんな……」


 にわかに勢いを無くし、呆然とするシルビアに、どう声をかけていいか分からない。父親に復讐をする、という目的は、もう果たすことは出来ない。

 すると、ローザンナが言う。


「シルビア、いいじゃない、セルジュを殴っておけば」

「なんでですか?!」

「だって、御父上の親類でしょう? ほら、責任とってもらいなさい。存分に!」


 呆けた顔で、シルビアがセルジュを見る。殴られるか、と身構えるが、シルビアは動かない。いつまでも動かない。


 長い長い沈黙があって、そして――彼女は。


「……私たち、どこかで血がつながっているのね」

「……あ、ああ」

「ずっと、なんだか他人じゃないような気がしてたの。後出しみたいに聞こえるかもしれないけど、なんだか恥ずかしくて言えなかった」


 今更に恥ずかしそうに言う彼女に、セルジュも本音を吐いた。


「……いや、実は俺もそうだ。お前の目の色があまりに俺に似すぎていて、髪質が親戚の姪に似ていて、爪の形が叔母の一人に似ていて、他人じゃない気がしていた」


 なんとなく毒気を抜かれたのだろう、シルビアは、シルビアらしく微笑んだ。目の奥に揺らめくように残っている暗い光も、きっともうすぐ消える。


「父を許せる訳ではないけど、今はちょっとだけ、そうするべきかもって思った。だってもう、どうしようもないから。諦めるというのとは、ちょっと違うけど」

「うーん、つまり、うちに養子に入ればいいんじゃないか?」

「え?」

「実際に親類なわけだしな」


 いい思い付きのように思えたが、それを激しく否定したのはローザンナだった。


「駄目よ! なんですのそれは、シルビアはうちの子になるんでしょう!」

「いや、でも、身分が必要ならそのほうが」

「この朴念仁がそんな説明をしたことなど忘れてちょうだい。とにかく、シルビアは渡しません。駄目よ!」

「夫人のところは息子が二人もいるでしょう。さっぱり顔を見せませんが」

「あの子たちは軍に捧げました。むさくるしいし。セルジュのところだって、あなた兄弟が5人もいるじゃないの!」

「妹はいません」

「うちだって娘はいないわよ!」








 言い争う二人を放ったまま、イレニウスはシルビアに、魔石をこちらへ、と言った。

 こちらもまだ現実に戻れないシルビアは、言われた通りにただ石を預けた。だが、伯がそれを小箱に入れた上、自分の懐にしまってしまうのを見て我に返る。


「あの?」

「これは私が預かっておく」

「え、ええ、でも、それ、ユーリに返さなければいけないのですが」

「私が返しておこう」


 イレニウスは戸惑うにシルビアの顔をひどく真剣な顔で覗き込んで、言った。

 これはとても危険なものだ、と。

 ユーリもそう言っていた。軍人であるイレニウスに改めて同じ言葉を聞かされて、ようやく微かな恐れがシルビアの心に忍び込んできた。







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