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 華やかな場は久しぶりだった。長年塔にこもっていると、世俗に疎くなる。ユーリアンは、最近の情勢を簡単に父親から講義され、ようやくその名代として開会の儀にやってきた。

 傍らには、父の姉にあたるヨハンナと、その後ろに控えるミラベルとがいた。世話好きで明るいヨハンナは、堅物の父の血縁とは思えないが、しっかりツボを抑えた噂話でユーリアンの気持ちを引き立ててくれる。


 ジゼルの死から、もう一年が経とうとしている。人々の記憶は風化し、新たな社交シーズンの始まりに、全てが切り変わろうとしていた。

 だが――ユーリアンにとって、それは、まだ先のこと。



「ふう、一曲踊っただけで暑くなっちゃったわ」

「何か飲み物を取ってきましょう」

「あら、ありがとうユーリアン、お願いね」


 叔母のためにと飲み物のテーブルに脚を向けた。給仕係を呼びとめても良かったが、少し歩きたかったのだ。

 すっと傍らにミラベルが着いてきた。


「私が行きますわ」

「いや、いい」

「では御一緒に。三ついっぺんにはお持ちになれませんでしょう?」


 人が多い壁際を避けて、ダンスホールと人垣の境目辺りを通って、飲み物を目で探す。

 その、広い視界の中に、一点、目を引き付けられる後ろ姿があった。


 白地に黒と見まがう緑のレースをかぶせ、ほっそりしたウエストを強調するドレスに身を包んでいる。なぜか目が離せない。

 結いあげられた髪はうなじをすっきりと出し、そこから滑らかな背中が大胆にむき出しにされた肌へと続く。

 ダンスに向かうらしく、傍らの男に手をとられて中央へと向き直り、こちらへやって来るようだった。


 その顔を。その目の色を。ユーリアンはよく知っている。


 見間違いではないかと、そんなはずはないと、ほんの少しだけ思う。

 だって彼女はもっと、素朴だった。ぼさぼさの髪と、くたびれた服を着ていた。その様子が、貴族社会から遠く離れたことを実感させてくれて、とても好ましかった。

 この、目の前の美しく優雅な女は、誰だ。

 白く透き通る肌に、翠玉の瞳がきらめいている。母の死に囚われ、思い出に苦しんでいたあの頃にはなかった、清々しい笑みを浮かべていた。

 変わったのだ。なぜかは分からない。どうしてここにいるかも分からない。だが、彼女は、ユーリアンの知らないうちに、変わったのだ。


 彼女は立ち止り、軽くドレスを整えた。かすかに首を傾げ、ホールを眺め渡している。その視線はゆっくりと巡り――目が、合った。


 きっと自分は、無駄に厳しい顔をしていることだろう。驚きから抜け出せず、ただ彼女を見ている。

 シルビア、と、声にならないまま唇が動く。

 けれど彼女は、何も言わない。無表情よりもやや笑み寄りの、淑女の顔のまま、ユーリアンを見ていた。その視線が、傍らのミラベルに動く。それでも、彼女の顔は変わらなかった。

 まるで、何者も存在しないかのように――シルビアの視線は同じ速度で逸れて行く。

 ユーリアンはそれを見ていた。彼女が傍らの男とホールに出て行き、伸びた背筋と柔らかな動きで完璧にダンスを踊るのを見ていた。

 そこにいるのは、堂々たる貴族の淑女に他ならなかった。




「ユーリアン様。見つめすぎですわ。周りにおかしく思われます」


 言われてようやく、周囲の目を忘れていたことに気づいた。さりげなく見渡しても、どうやら他人の関心を引くほどではなかったようだ。少しほっとする。


「ミラベル嬢、叔母に飲み物を。私は少し、知り合いと話をしてくる」


 ミラベルが離れて行くのを確認して、人波を少し、移動する。


「ようユーリアン。こっちへ戻って来たのか?」

「どうかな。まだ決めかねている」


 かつての知り合いを見つけて手を上げると、向こうから気安く話しかけてくれた。学生だったころに同級だった男だ。


「優雅なもんだ」

「すまんな、才能があって」

「冗談になってないぜ、全く」


 しばらく、共通の友人についての噂話をした。といっても、この一年も塔にいた頃と変わらず、友人づきあいは少なかったから、ほぼ聞き役だ。少しずつ話を誘導し、互いの領地の話から、防衛の話に持っていく。


「そう思えば、イレニウス辺境伯の手腕は見事だな」


 そろりと話題を振ってみると、友人は何の疑いもなく乗って来た。


「ああ。そういえば知っているか、最近は若い女を事業に引き入れたらしい」

「女? 冗談だろう、それこそ」

「本当さ。ほら、あの……鉄仮面、いや元鉄仮面か、総装甲を外したとあいつ自身も評判だが、そのセルジュメーラと踊っている女だ。名前はなんだったか、どうやら相当深いところまで経営に関わっているって話だ。綺麗な女だが、愛人と言うわけではないようだな。どう有能かは知らんが、才有りと認められているとか」


 そこまで聞いて、そつない挨拶で場を離れた。

 あの遠い地を出る前に、何があったか。新し職場に行くために、貴族の家に行ってもおかしくない服装を助言してくれと頼まれていた。そういえば、イレニウス辺境伯の名を出していた。

 彼女は見事にその職を掴み、ここまでやって来たのだ。




 ミラベルと一曲、叔母ともう一曲を踊って、またも疲れたという叔母のために壁際の椅子を確保した。ミラベルに飲み物を持ってきてもらおうと思ったが、席を外しているようだった。給仕を呼びとめ、グラスをもらう。


「そろそろ人も引けてきたわね。私たちも帰りましょうか」

「そうですね。馬車を用意させましょう」

「ついでに私のお付きを探して来てちょうだい。あの、立場を忘れてあなたにはりついていた小娘をね」

「ヨハンナ叔母さん……」

「分かってるわよ。本人に言いやしないわ。早く行ってらっしゃいな」


 目をぐるりと回して大げさに面白がる叔母を置いて、入り口の衛兵に馬車の用意を頼む。それから、ミラベルを探した。彼女に持たせていた、自分の印の入った首飾りから陣の気配を探すのだ。

 方向を定め、どうやら庭に出ているようだと分かったので、解放されているガラス扉から外に出た。さすがに美しい庭園だが、こうした広間から出入りできる場所と言うのは、入り組んでいるのがお約束だ。


 曲がりくねった小道をたどり、茂みの向こうから陣の気配を感じられる位置までたどり着いた。

 声をかけようとして、立ち止る。一人ではないようだった。


「見違えましたわ、シルビアとやら」


 息をのむ。相手はシルビアだ。


「こんなところまで御苦労さま。私とユーリアン様の婚約をお祝いに来て下さいましたの?」

「ミラベル様、御相談というのはなんでしょう」

「相談なんて、嘘に決まっているでしょう、呆れた方ね。ただ私は、御忠告申し上げようと思っただけですのよ。いくら上り詰めても、しょせん、庶民は庶民。ユーリアン様の隣に並ぶことは決してできませんわ」


 昂然としたミラベルの言葉に返って来たのは、ため息だった。


「なんですの、その態度。いくら着飾っても、しょせんは付け焼刃ですわね。下品な」

「ようやく分かりましたわ、もしかして、私がユーリを追いかけてここまできた、と誤解なさっているのね?」

「誤解? そんな言葉で誤魔化せると……」

「ミラベル様。私……イレニウス辺境伯に、能力を認められておりますの。今、その経営手腕の半分が私の才によるものですわ。好きな人を追いかけてきた、などとお考えになることは、伯を侮っているも同じとお分かりですの?」


 すっ、と鋭く息を吸う音がした。が、ミラベルの口からは何の言葉もでないようだった。

 すると、淡々としていたシルビアが、優しい声を出す。


「でも、仕方ありませんわね、ミラベル様は、ユーリを追いかけて辺境までいらっしゃいましたもの。そのようにお考えになるのも、分かります。

 だって、お仕事をなさるような方では、ありませんもの」


 それは確かに、ミラベルを労わる言葉だった。最後の言葉も、子爵家の娘、という労働をする必要のない貴族階級を指したものだろう。

 だが、ここ数カ月、ミラベルの話す内容と彼女の両親の態度から推察するに、彼女が多大な劣等感を抱いていることを、ユーリは知っている。その上で聞けば、ミラベルには領地の経営に携わるような手腕などないだろうから、という最大級の嫌味になる。

 もちろん、シルビアにはそんな気持ちはないに違いない。ただ、受け取る側が深読みをするだけ。だから、ミラベルは何も言えない。何かを言いたいような呼吸音はするが、言葉にならないようだ。


 さすがに哀れに思い、足を進めようとした。だが、隣で微かに吹き出すような音に驚いて、立ち止ってしまった。今の今まで、気配を感じなかった。

 音の主は、ユーリアンの傍らを抜けて、堂々たる様子で茂みに割り込んで行った。


「ここにいたのか。奥様がお帰りだ。行くぞ、シルビア」

「まあ、お待たせしてしまったかしら」

「多少、な。だがお前に甘い奥様のことだ、叱りはすまい。逆に姿が見えず心配しているぞ。案の定……小娘に呼び出されていたようだしな」

「セルジュったら、失礼なこと言わないで。ミラベル様が小娘なのではなくて、私が年増なのよ。って言わせないでよ!」


 大声で笑い出したセルジュメーラは、地が出ているぞ、とからかった。


「……ではミラベル様、これにて失礼いたしますわ。ユーリとどうぞお幸せに」

「こら、急ぐな。また足を痛めるぞ」

「お黙りなさいな。私、帰りは奥様と馬車に乗りますからね。セルジュは御者台にでもお乗りになれば?」


 反対側を抜けて去っていくのを確認してから、ため息をこらえ、ユーリアンは茂みを覗きこんだ。世間知らずの、まだ若い娘。気の強さだけで渡っていくことは出来ないと、分かっているはずなのに、相手を侮った。俯く小さな背中は、振りかえらない。


「ここにいたのか。引き上げるぞ、ミラベル」


 こくり、と肯き、黙って着いてくる。父にも母にも顧みられぬ、哀れな娘。









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