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すぐに、あちこちから夫人に声がかかった。普段は遠い辺境にいながら、豪商の父を持ち、高位の貴族であるローザンナは、この機会に顔見せをしておこうという人々に囲まれてしまう。
だが、シルビアもそこは心得たものだ。夫人の脇にしっかりと付き、挨拶をしてくる人々の顔と名前と会話をどんどん記憶していく。
当然、こちらは?というさり気ない質問が飛んでくる。
「わたくしの付き添いですの。シルビア、御挨拶を」
「お初にお目にかかります。シルビア・デンバーと申します」
さんざん練習した頬笑みと、優雅で控えめな仕草。声の出し方も、いつもとは違う。
数人をさばいた頃、一人の紳士が近づいてきた。
「久しいですな、ローザンナ様。一年中社交の季節であれば、その美しい御尊顔を毎夜拝見できるというのに」
「お上手ね、アビアニザ子爵」
「私は本気ですよ。だが、野に一本だけ咲く貴花というのもまた、その姿をひきたてますな。まさに辺境の花。
ところで、イレニウス辺境伯はこの私めのために割くお時間はおありですかな?」
押しの強さはあるが、人は悪くなさそうだ。控えめな笑顔の裏でそう考えているシルビアに向けて、夫人が顔を傾ける。
「どうだったかしら、シルビア?」
「はい、三日後の昼食の後ならば、お時間をお取りできますわ」
付き添いのシルビアがそう答えたことに紳士は少し驚いたようだが、紳士らしくすぐにその表情を隠した。
「お美しいお嬢さん、本当ですかな?」
「はい。私が、お忙しく複雑な役職の伯の代わりに、仕事を組ませていただいておりますので。
アビアニザ子爵様、昨年は新種の作物のテコ入れ、成功なさいましておめでとうございます。領地の近いイレニウス領では、傷みの早い葉物野菜の受け入れをする用意がございますわ」
全てとはいかないが、少なくとも領地からここまでの間の土地については、その動向を全て頭に叩き込んである。このタイミングで伯に話をしたいとすれば、赤字覚悟で土壌開発から見直しをした農業政策についてだと踏んでいた。果たして、目を見開いた子爵は、
「本当ですかな。いやはや、そこまで御承知ならば安心だ、では三日後にお伺いの約束をお願いしてよろしいか」
「承りましたわ」
「ありがとう、お嬢さん。いや、シルビア嬢、伯にどうぞよろしく」
手を取って口づけの真似ごとをされる。立場を認められた証拠だ。
周囲の耳目が集まっていることを意識しながら、肯く角度に細心の注意を払う。瞬く間に、広間には、シルビアが辺境伯の仕事を取り仕切っていることが伝わる。今後の仕事をしやすくする、まずは第一歩というところだ。
子爵が離れるとすぐにまた誰かが寄ってきそうになったが、そこに開会の合図があり、人々はうやうやしく礼をして国王夫妻を迎えた。脇に控えているのは、時期国王と目されているエルアンベール皇太子殿下だろう。
開会の宣言があり、厳かな雰囲気は再び賑やかな空気になった。音楽が流れ、何人かはダンスを始めた。最初に踊るのは、皇太子だ。黒髪の可愛らしい少女と踊っている。
「おい」
少し疲れて壁際に下がっていると、知らない男が声をかけてきた。いや、相手はどうやらシルビアではなく、隣で所在なさげにしていたセルジュだった。
「騎士隊に戻るそうだな、セルジュ」
「気安く呼ばれる間柄だったかな、俺とお前は」
「世話になった、礼を言おうと思っていた」
「ふん。嫌味か。俺の失敗がお役に立ててなによりだ」
男は、取りつく島もないセルジュに呆れて、しかし礼儀のようにシルビアにも話を向けた。
「イレニウス殿の所に来たというのは、そなたか。俺は、セルジュの遠縁だ。タカユキ・サニウェレという。また会うこともあろう」
「ねぇよ、もう来んな」
なるほど、だから彼もまた、黒髪なのか。それに、
「なんとなく似てらっしゃいますわね。血縁でしたのね」
「似てねぇ!」
「うるさいですわ、セルジュったら。子どもみたいね」
「なっ……」
言葉を詰まらせたセルジュの横で、タカユキと名乗った男は静かに笑った。それを見てまた大きく息を吸い込んだセルジュだったが、どうやら耐えた。ゆっくりと息を吐き出し、
「……全く、図星を突いてきやがる。子どもじゃないところを見せてやる、来い、シルビア。踊るぞ」
「はいはい」
手首を取られ、中央に連れだされそうになる。が、セルジュはその前に、一度立ち止まり、タカユキをはっきりと見た。
「悪かったな。あの姫さんにも、謝っておいてくれ。乱暴に扱ったのは、俺がそのように扱われたからだ。だがそれを彼女にぶつけたことは、俺の過ちだ」
「分かっている。あいつにも伝わっている。
セルジュ。あいつは、鉄仮面を外したお前をこの広間で見て、すぐに気付いた。お前だと分かった。変わったようで良かった、と言っていたんだ」
シルビアは、夫人に聞いたセルジュの失敗について思い出していた。ある女性を護送中に怪我をさせてしまった、と。それがきっと、今話に出ている女性なのだろう。そしてタカユキは、その彼女に近い位置にいるのだ。
セルジュはタカユキの言葉に少し驚き、そして、晴れやかに笑った。
「ああ、そうだろうさ。シルビアも言ったんだ、この髪は、珍しくて目立つからすぐに見つけられる、と。便利でいい、とさ」
「え。ええ、言いましたわ、何がおかしいの、言った通りになったではありませんか」
笑いあう男たちに憤慨し、文句を言ったが、彼らは取り合わなかった。
そのまま、手を引かれ、人ごみの中を連れだされる。長く引く裳裾をさばきながらではそんなに急げない、とかろうじて少し立ち止まってもらい、ドレスを整えながら、ダンスの出来そうな空間を探した。
その時。間に人を数人ばかり挟んだその位置に――ユーリがいた。