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「ちょっと待て」
結局、洗いざらいをイレニウスに吐き出させられている途中、伯は真剣な顔で話を止めてきた。まだ契約前、失恋したばかりであることを言ってしまっている。ゆえに、ユーリがその相手であることくらいすぐに推測できたのだろう、最初はどことなく生ぬるい目線であったものだが、急に変わった。
話は、ほぼ終盤である。
「ユーリアン・セシュラールにとって、つらい話……その娘はそう言ったのだな?」
「え? ええ、確かに」
「おかしいな……」
そう呟き、黙考する。
小さな声で、セルジュが事情を話してくれた。ユーリは恋人の死の直後に現場におり、その死を認識している。その理由が禁忌に手を出した故という研究塔の発表も、知っている。すでに、つらい、と言える状況だ。その上でさらになんらかのショックを受けたのであれば、それらのこと以外に新たな事実が告げられたものと考えられる。
最早、伯の興味は、シルビアの魔力どうこうというよりも、この世間を揺るがした醜聞に向き始めたらしい。
さらにセルジュが言うところによれば、研究塔は近年、国の予算で出したはずの研究成果を、国に買い取るようほのめかすなど、体制に不穏なものがあるらしい。結果を出すのに大きく寄与していたジゼルの死は、今、塔内の分裂を招くほどの事態になっている。
「ジゼル嬢の死因は、さすがに今まで疑われたことはなかった。だが、何かあるのか……?」
「あのう、イレニウス様」
呟く伯に、そっと、ポケットから二つの魔石を出して見せる。
「我が家の窯の中に、残されていたのです。どちらが置いていったものか分かりませんが……持ち出してきました」
「見せてごらん」
余程でなければ出すつもりはなかったが、伯がここまで考え込んでいるということは、それが重要なことなのだろう、と考え直したのだ。
石を手渡すと、伯はしばらく矯めつ眇めつしていたが、彫りこまれた印を見て肯くと、それをカツンと打ち合わせた。途端に、どこからともなく声が聞こえた。
『ユーリ。もしもの時のために、これを残します』
治癒魔術が使えないこと、ずっと悩んでいたのを知ってる。あなたの目指すものが、お母様の病気を治したいって一心だってことも。
目指すものに力が足りないって、つらいことね。でもね、ユーリ。わた』
途切れてしまった。その後、何回か打ち付けてみたが、それ以上は聞こえないようだった。
「そうか、だからシルビアは治癒魔術の陣を知らなかったのか」
納得したようにセルジュが呟き、小さなその声に伯も同意した。
「どうやら、派閥がどうという問題ではなかったようだな。だが……たしかにユーリアン殿にとってはつうらい話であろう」
空気が重苦しくなった気がした。
昔の自分だったら、きっと気付かなかった。だが、今のシルビアは、攻守の策と諜報の功までを知っている。イレニウスに鍛えられた思考は、彼らと同じものを導き出せた。
「ユーリの恋人は、ユーリのために、死んだの……?」
そこまで考えて、とうとう、淑女の作法を忘れた。頭が真っ白になる。厳しい顔で黙りこむ男たちに答えを求めるが、どちらも何も言わなかった。それはつまり、シルビアの予想が正しかったということに他ならない。
自分のために死んだ。そう知った時のユーリは、どれほどの衝撃を受けただろう。事実を受け止めきれず、だからあんなにも頑なに呪封をかけて閉じこもった。一人ぼっちで、何を考えたのか。
分からない。だがきっと、自分を追い詰めたはずだ。自分のために死んだ恋人の墓前に、花の一輪も手向ける前に逃げてきた。そのことを、少なからず恥じただろう。最悪のことも考えたに違いない。だが、それは阻止された。シルビアの魔術と、蹴りの一発で。
「イレニウス様……」
セルジュが、ふと思い出したように言う。
「城の、社交シーズンの開幕の儀、その舞踏会に確か出席するはずですよ。その、セシュラール侯爵の長男とやら」
「なんと。研究塔を出たのか?」
「分かりません。調べますか?」
「そうしろ。念には念を入れる」
セルジュが出て行くと、伯の目が、いまだ呆然としているシルビアを捕えた。
「しっかりしろ、シルビア。お前、その場に出るのだぞ」
「えっ」
「我が家は毎年、必ず招かれる。下級の貴族は来ないが、それでもそれなりの規模だ。私は客ではなく、警備の陣頭指揮をとる。だからこそ、お前に妻の付き添いを頼んだのだ。
当初は、領主としての仕事を手伝わせるにあたっての顔見せ程度のつもりだったが、お前の能力は私の想像をはるかに越えて行く。その手腕を刷り込んでくるところまで、やってもらいたい。今後が楽になるからな。
そして、話が途中になったが、魔術が使えること、もう少し早く話して欲しかったものだな」
「……必要があるとは思いませんでした。私は物を知りません。人は、魔術を見て再現できないということを、信じていませんでした。私には当たり前のことだから」
ユーリと会うかもしれない。それはシルビアを動揺させた。口調は戻らず、あの小さな田舎町にいた頃の気持ちになってしまう。
それを叱咤するように、突然、厳しくシルビアの名が呼ばれた。
「なんです? その顔は」
いつ入って来たのか、夫人が昂然と顎を上げ、背筋を伸ばして立っている。
「わたくしがそのように教育しまして? 阿呆のように口を開けて、泣きだす前の子どもみたいに。
しゃんとなさい。冷静になるのです。頭を働かせ、馬鹿の真似は即刻おやめなさい」
「奥様……」
「いいこと? わたくしの付き添いとしてハレの場に臨むのです、みっともない顔をさらされてはたまったものではありませんわ。
あなたは、バルドア・イレニウス辺境伯の使いであり、その妻の傍らに立つ人間です。そのことを自覚なさい。
振られた男に会うくらいがなんですか、女の矜持はそんなことでは揺るがないのです。そもそもねぇ、あなたを振るような男は、こちらから願い下げなのですよ!」
厳しい声で叱っていたが、途中からなにやら怒り始めた。イレニウスも、最初から最後までうむうむと肯いていた。
ユーリを思って固まっていた気持ちが、ふっと緩む。そうだ。自分は形だけなら完全な淑女だ。あとは心の問題だろう。泣いたり喚いたりは、無しだ。
気高くあれ。ローザンナの教えをただ信じて、シルビアは二日後、城に赴くこととなる。
その後、戻って来たセルジュにより、新たな情報が入った。
ユーリアンは希有な能力を持った魔術師であるため、職場を放棄して半年も放浪していたにも関わらず、研究塔は彼を必死で遺留したという。だが、彼ははっきりとした態度を示さないまま、塔に行ったり行かなかったり繰り返しているらしい。
また、恋人だったジゼルの妹、ミラベルと共によくあちこちに出かけている。姉の墓に行き、その帰りに食事をしたり買い物をしたりした後、家まで送る。幾度となく目撃されていて、婚約も目前と噂されている。
「顔が同じならいいのかね。節操のないこった」
「そんな人じゃないわ」
「へぇ。まあ妹のほうも大概だが、こちらは多少、同情出来る。上の娘が禁忌を犯したと言うことで、もはや嫁のもらい手はろくな相手にならないし、下手をすれば両親の爵位を取り上げられ、身分さえ失いかねないところだ。
大魔術師様から寄ってこられりゃ、これ幸いと捕まえるに限る。それが姉の元恋人だとしてもな」
開幕の儀当日、翠嵐邸からは馬車を二台仕立てて出発した。ローザンナは実の兄を伴い、シルビアはセルジュをパートナーとしてそれぞれ乗り込む。その中で、イレニウスにしたのと同じ報告をしてもらった。
ユーリは今日、叔母と一緒に出席するらしい。そしてどうやら、その叔母の付添人として、ミラベルが来る。パートナーとしてしまえば、これまでの経緯から婚約者としてはっきりと認識されてしまうため、それを嫌ったのだろう。といっても、本人たちではなくおそらく父親の意向だ。犯罪者の妹と、塔を出て跡を継ぐかもしれないことになった長男とを、今の時点で公的にお披露目する気はない、といったところか。
それらを聞いた時、一瞬だけ、胸が痛んだ。自分のために存在していた時のユーリは、本当のユーリではなかったけれど、その思い出はまだ封印しきれていない。
「お前、そいつに惚れてたのか」
「はっきり聞かないでよ、デリカシーがないわね」
「イレニウス様に聞いたら、本人に聞けと言われたんだ」
「だからって聞く、普通?」
「その様子じゃ、当たりだったんだな」
肩をすくめて、それに応えた。否定しないことでそれを認めたのだ。
「けど大丈夫。振られているし、それに、今日の私は、戦闘モードだから。やり過ぎない絶妙の貴婦人ぶりを見せてあげる。
見て、このドレス。こんなの着たの初めてだけど、そりゃそうよ、値段を聞いてぶっとんだわ。貴族って儲かってるのねぇ」
「その金は庶民に支払われ、そして市井の経済を回すんだ。そういうもんだよ」
「着慣れてないから違和感がすごいわ。似合ってるかしら」
クリーム色のしっかりとした生地には、同色の糸で裾に美しい刺繍が入っている。その上に、黒に近いような深い緑の、薄く繊細なレース生地が長く尾をひいて、しかし前は裾の刺繍を見せる程度の長さでかぶせてある。腰を絞り、背後にギャザを寄せて波打たせた裳裾と、腰までざっくりと開いた背中のコントラストが魅力だった。
首元を飾るのは、比較的ボリュームの少ない碧石だ。どちらも、シルビアの目の色に合わせたものだろう、とありがたくつけさせてもらった。
「あれだけ背中を見せることを拒否したにしては、着こなしているな」
「あなたはなぜ軍服なの? 燕尾服でもいいはずじゃない」
「どっちでもいいなら、これでいい。それに」
ふ、と、セルジュは微笑んだ。それが今までに見たことがないほど優しくて、目を奪われた。
「お前はきっと、勘違いしている。お前が身につけているのは、お前自身ではなく、俺の目の色だ。そしてこの制服が、お前の目の色なのだから、これで正解だろう?」
耳に届いた声がはっきり理解される前に、急に、馬車の狭さが気になって来た。同じ目の色をしたセルジュと向かい合う膝は触れそうな位置で、ボリュームのあるスカートが広がる範囲が広くて良かった、と思う。なぜそう思ったのは分からない。このドレスの範囲だけは、自分のものだからかもしれない。
だが、それも馬車を降りてしまえばなんの意味も持たなくなる。手を取って降ろされ、傍らに寄りそう長身のセルジュの手は、控えめに腰に添えられた。素肌とドレスの境目に指が触れ、動揺しそうになった。
「あらあら、おほほ」
「な、なんですの、奥様」
「おほほほほ、なんでもなくってよ。セルジュ。頑張りなさいな」
「考えておきますよ」
「なんな……なんですの、二人で」
夫人と落ち合い、訳のわからないおほほ笑いとともに、大広間に案内された。シルビアは、深呼吸とともに、きらめく世界に足を踏み入れた。




