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魔術師様を拾いました  作者: 有沢ゆう


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 買った服を預けていた店に行き、よく見知った店主の好意で着替えをさせてもらう。脱いだ服も預かってもらえるらしい。礼を言うと、店主はもどかしげにため息をつき、


「洗面台も貸してあげるわ。髪も結ってあげる。あーあ、もうやんなっちゃうわね、あたしがあんたの顔とスタイルを持ってたら、そんな恰好絶対しないのに!」

「あっ、いたっ、ガナンおじさん、痛いってば」


 ぼさぼさの髪を無理やりなんとかまとめ上げて、少し遅れてしまった分を取り返すべく、急ぎ足でイレニウス邸に向かった。庶民の移動は、足に頼らざるをえない。海沿いへゆるく曲がった下り坂を、足元だけを見ながら急ぐ。もうすっかり雪も溶けて、滑るようなことはないのだけれど。


 噴水公園を抜けてさらに先、防風林のしっかり並んだその手前に、イレニウス邸がある。防寒と防湿に優れた漆喰を美しく装飾してある館は、遠目にも白く美しい。瑞花邸との別名もあるほど、可憐な印象がある。

 とはいえ、大きな商家でもある貴族の別邸だっただけあって、規模は大きい。また、内側はうってかわって豪奢な造りをしていた。


 招き入れられた部屋で、高そうな装飾品に囲まれぽかんと周りを見回していると、扉が開いてイレニウスが姿を現した。執事の案内もなく、一人でやって来たことに少し驚いたが、そういえば昨日も一人だった、と気付く。

 立ちあがって礼をすると、すぐに座れと促された。


「どうした」


 唐突に問われて、首を傾げる。イレニウスは、相変わらずの無表情だ。凛々しい双眸が、じっとシルビアを見ている。


「どう、とは?」

「昨日と違うな。何があった」

「あ、格好ですか? 小奇麗にしろと言われて買いました」

「違う。能天気な小娘が、今日はなにやら悩んでいるな。何かあったのだろう」

「小娘って、私もう二十七ですよ、伯爵様」


 少し驚きながらそう応えて時間を稼ぐ。そんなに分かりやすかったか、とも思ったが、小さなころから身近にいた商店の人々は何も言わなかったのだから、そういう訳でもないだろう、と思いなおす。

 雇い主は、武人だ。ただの武人ではない。国防の要を握る、戦術家でもある。あらゆる情報を耳に入れ、観察し、予測して対策を立てる、そういう人物だ。目がいい、とでもいうのか、勘が働くのか、何にしろ手の届かないほどの賢人だった。


「二十七のいい年をして、失恋しました。ですから、今の私は仕事をしますよ、伯爵。期待してください」


 イレニウスは軽く肯き、


「では丁度いい、お前は今日からここに住み込め。仕事は、私についてあるいて全てを記憶し、指示した部分を書類に起こすこと。あるいは他の書類も含めて、記録、分類、計算、分析をすること」

「記録までは出来ます。その先は教えてもらわないと」

「分かっている。これから、家令が教育係のところへ連れて行く。よく言うことをきくように」

「はい。……あの、住み込みって」

「私の仕事のほとんどは、上流階級が相手だ。私個人が気にするかどうかではなく、慣例として覚えておかねばならない暗黙のルールや、礼儀作法が必要になる。私生活の全てをそれらの習得にあててもらう。その分、報酬は期待していい」


 衣食住が保障される上、教育もしてもらえるらしい。こんな美味しい話があっていいのだろうか。私生活がなくなるくらい、大したことではない。今の自分には必要がないものだし、ないほうがいい。それでもなお、虫のいい話だと思わざるを得ない。

 そんな気持ちをくみ取ったのか、イレニウスは少し、笑った。いや、鼻息をふふんと漏らしただけだったが、多分、笑った。


「お前は自分で理解していないようだが、その記憶力はかなり得難いものだ。いいか、滅多なことではあまりひけらかさぬほうがいい。記憶は時に、武器にもなる。武器は隠しておくに限る」

「はぁ……」


 よく分からないまま、曖昧に肯いたが、それで十分と見てとったのか、伯は立ちあがり手を叩いた。すぐに家令が入って来る。ここへ案内してくれた、初老の優しそうな男は、執事ではなく家令だったらしい。白髪が見事にきっちり整えてあり、すでにまとめ髪があちこちほつれてきているシルビアよりもよっぽど洒落ていた。




 家令に案内されるまま、二階に移動する。生活圏に踏み込んだことで、本当に住み込みなのだと実感した。


「あのぅ、シルビア・デンバーと申します。こちらでお世話になることになりました。庶民なので、色々な面で御指導お願いいたします」


 先導する背中に声をかけると、一部の隙もない燕尾服の男は、半ば振り返りながら柔らかく微笑んだ。


「シルビア嬢」

「はい?」


 廊下の真ん中で、くるりと向き合った家令は、


「我が主人は、あなた様を通用口ではなく、正面扉からお迎えし、適正に扱うようにと私に申しつけました。従者ではなく、家令の私をつけ、案内をさせた。それがどういう意味が、お分かりですか?」

「え? えっと、分かりません」

「よろしい。学ぶべきことが沢山あるようです。ただ、心しておくがいいでしょう、あなたは我が主人によって重用されることになる、必要なものを与えられて教育を施されようとしている、それは決して使用人の道ではありません。みだりに下々の者たちにはお声をおかけになりませんよう」

「あの、分かりません、私自身が下々の人間です」


 彼はまた微笑むと、少し先にあった扉をノックしてシルビアを中に入れた。そして、恭しく礼をすると去って行った。


「まあまあ!」


 中で待っていたのは、伯と同年代と思われる夫人と――鉄仮面の騎士だった。


「これは磨きがいがありそうね!」

「あの、ええと、シルビア・デンバーと申します」

「ええ、ええ、初めまして。ローザンナ・イレニウスですわ」

「奥様でいらっしゃいますか?」

「そうよ、あの堅物の妻です。このたび、あなたの淑女教育の任を賜りましたの」


 ローザンナと名乗った女性は、育ちの良さが全面に現れた、子どものような表情をしている。まるで、おもちゃを見つけたかのような顔に、なんとなく引き気味になった。


「淑女教育? 上流階級の約束事を教えてくださると聞いたのですが」

「ええ、つまりそういうこと」

「え?」

「女は仕事であろうとなんであろうと、淑女であらねばならない。それがお約束よ。うふふふふふふふ、まずはそうね、お着替えしましょうね」

「はぁ?」


 ものすごく楽しそうな夫人と対照的に、なんとなく逃げ腰なシルビアだったが、割って入った声に、そういえばもう一人いたのだったと思いだした。


「伯爵夫人になんという口のききかただ!」


 鉄仮面をつけた男が、高圧的に叱って来る。思わずむっとしたが、言葉を返してくれたのは夫人だった。


「あらあら、セルジュ、女性に対してなんという口のききかた。私の指導もまだまだですわね……」

「うっ……いや、その、つい」

「それに、屋敷の中でフルプレートは禁止と言いましたのに。私の言うことなど、聞くに値しませんのね……」

「い、いやそういうことでは!」

「ならばお脱ぎなさい。今はせめてその無粋な仮面を取って、乱暴な口をきいたこと、レディ・シルビアに謝るのよ?」


 ぐぐぅ、と唸った男は、ぎくしゃくとした動きで鉄仮面を取った。しぶしぶであることが丸わかりだが、夫人に対して強くは出られないのだろう、素直に頭を下げた。

 黒髪がさらりと流れる。珍しい。黒い頭髪は王都に何人かいると聞いたが、この辺では見たことがない。もしかして、これを隠したくて鉄仮面をしているのだろうか。


「うぐぐぐぐ、ら、乱暴な物言い、すまなかった」

「すんごい棒読み」


 思わず言えば、男は奥歯を噛み締め、夫人は楽しそうに笑う。思ったよりも年若い、おそらくシルビアと同年代だろう男は、セルジュメーラ・サニウェレと名乗った。格好と、鎧についた紋章から、騎士であることが分かる。


「奥様の専属騎士ですか?」

「うふふ、違うの、ちょぉっとお仕事で失敗しちゃってね、主人のところで謹慎中なの。女の子に酷いことをしたのよ、悪い子ね」

「ちょ、違う、おい女、酷いことってそういうことではないぞ!」

「やだわセルジュ、あなた見た目は本当に素敵なのに、どうしてそう女性に免疫がないのかしらねぇ。だから女の子に手械をつけるなんて酷いことを平気で」

「夫人、わざとそういう……! おい、いや、シルビア嬢、違う、違うぞ!」


 良く分からないが、改めて説明を受けたところに寄れば、ある女性を護送中に怪我をさせてしまったらしい。イレニウス辺境伯が個人的に彼を引き受けることで、その罰を減免されたということで、なるほどそれは頭が上がらないだろう。騎士としての仕事とともに、夫人から女性に対する姿勢を教育されているようだ。

 つまり自分はこれと同類か。学がない、というのは怖ろしいことだ、と思う。


「何か失礼なことを考えているだろう、今」

「いえまさか」

「まあいい。すぐに夫人の怖ろし……もとい凄さがお前にも分かるだろう」


 明らかなセルジュの失言を気にも止めない風に、夫人は立ちあがり、釣られたように全員が立った。


「さあさ、まずはお風呂ね!」

「えっ!」

「髪を整えて、手入れをしなくちゃ。あとは全てのサイズを測って、ああ忙しい!」


 うちには息子しかいなくて、という理由になっているのかどうか分からない言葉とともに、シルビアは夫人に部屋を連れだされた。後に残ったセルジュが、これでしばらく放っておいてもらえるなぁ、と安堵のため息をついたことは、知る由もなく。









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