クルスヌイルナ伯の決断
フェリックスがエルシオールからの話を聞いて急ぎ文を送り、ようやくクルスヌイルナ伯であるカミニが戻ってくる。
内容が内容だけにフェリックスは文には火急の話があるから、急ぎ戻るようにとだけ記していた。
「父上、留守を守っていただきありがとうございます。火急のようということで戻りましたが……」
「まぁ、待て。まずは北方の話を聞かせてもらいたい。こちらの話をしたらそれどころではなくなるかも知れぬからな」
焦り、余裕のないカミニを一度落ち着かせるためにもフェリックスはまず一度北方の話を聞くことにする。カミニは良く言えば慎重で悪く言えば臆病な性格だ。突然こちらの話をすればそれ以外のことが頭から抜けかねない。
カミニはこちらの話が何か気になる様子だったが、対峙していた北方の騎馬民族の話を始める。
「相変わらず北部の騎馬民族は1つにはまとまれていません。西の蛮族であるセントールや、はるか北の湖があるところの部族達に関してはほとんど情報が入ってきません」
セントールは自国であるラススヴェートと僅かに北西で隣接しているだけで、クルスヌイルナ領からは遠い。
北の部族は間にカムラン族が居るために隣接しておらず、情報が入ってこないのも仕方がなかった。
「カムラン族はどうなっている?」
「10年ほど前から力をつけているルプス家が手の付けられないほどに拡大し、強大になり始めております」
カムラン族はラススヴェートに隣接し、クルスヌイルナ領にも何度も入ってきては略奪をしていく厄介な敵だった。フェリックス自身も過去に幾度と無く刃を交えていた。
「ルプス家か、意外だな。カムラン族は他に有力な家があったはずだが?」
中枢となる家が5つほどあったが、ルプス家などその中に入っていなかったはずであった。
「それらを屈服させ、あるいは吸収し、下しながらルプス家は膨張しております。10年前はほんの300人程度の小さな家だったはずでした。しかし、気がつけば周辺の家を飲み込んでいっており、5000ほどの兵を抱えるに至っております」
5000の兵と聞いてフェリックスは己の頬が引きつるのがわかった。
騎馬民族であるカムラン族の兵力5000は、ラススヴェート国の精鋭騎兵5000と考えて問題ない。
武装こそ鉄の精錬技術がないためこちらより貧弱であったが、その他の全て、馬の体力や馬術、兵の力量そういったものが上回っていると言ってよい。さらに、平原にいる魔獣を狩っているため、魔獣の骨や爪などを加工した魔道具もあちらのほうが豊富だった。
「内乱が片付いたら早急に対処しなければならないでしょう」
フェリックスも同じ思いだったが、思わずため息が漏れる。
先王である第10代ラススヴェート国王ルスランが放蕩の末に国が乱れ、他民族へ対処するだけの余力がないまま死んだ。
その挙句の継承戦争であった。そして、その継承権すらも先王ルスランが引っ掻き回すだけ引っ掻き回したから起きたものであるから、救いようがない。
「対策が遅れている内にカムラン族が力をつけてきたか。早く芽をつんでしまえればよかったが……」
「その余力はありませんでした。それに、今となっては我家だけで対抗するのは難しいです。せめて、ストリカザー公爵か、若しくは魔導甲冑騎士団である雪狼騎士団を派遣してもらうか、その他北部派閥が一丸とならねば厳しいです」
一、二度戦いに勝てても、それだけでは根本的な解決にはならない。
騎馬民族は他の国や領主同士の争いのように城を落とし領地を確保しても終わらないのだ。
強い上に根本的な打倒という解決も難しい、本当に厄介な敵であった。
だからこそ、長年に渡り内部抗争を繰り広げるために様々手をつくしてきたが、それもこの20年あまりの間にその余裕を失ってしまい、その間隙を縫ってカムラン族のルプスが台頭したのだ。
「北の情勢はわかった。今度はこちらからの話だ。今しがた出た、ストリカザー公爵家にも関わることだ」
フェリックスの言葉にカミニは身を乗り出してくる。ストリカザー公爵家はエレナリーゼの実家でもあったし、北部派閥の長でもあった。
「王弟、パーヴェル殿下が病にかかった」
「わ、わざわざ呼び戻すということは簡単な病では、な、ないんですね?」
狼狽えるカミニ。フェリックスはカミニのこういうすぐに狼狽え、決断の遅いところが我が子ながら不甲斐なく、嫌いであった。
「そうだ。聞いた情報によると、長く持って年明けということだ」
「と、年明け」
「しかも、長く持ってだ。急ぎ呼び戻した理由がわかっただろう」
混乱しているのか「わ、わかります」と答えながらも動揺しているのがわかる。傍目にも完全に思考が停止し、真っ白になっているだろうことが目に見えてわかる。
「カミニっ今の当主はお前だ」
少々大きな声で、フェリックスは睨むようにカミニを見る。カミニははっと下げていた目線を上げ大きく頷く。
「は、はい、そうです。だ、だからまず……」
フェリックスは先に北方の話を聞いておいて良かったと思った。もし聞いていなかったら、ここから聞けたかどうかは限りなく怪しい。
「落ち着けっ」
もう一度、大きな声で言って、フェリックス自身大きく深呼吸をすると、カミニもそれにつられて大きく深呼吸をする。
「まず最初に話すのは、継承戦争の結末だ。おそらく、おそらくだが王弟派は敗れるだろう」
冷静にさせるために、少々くどいまでに丁寧に話す。それが功を奏したのか、少し冷静になったカミニもそれに頷く。
このままでは旗頭を失う上に、王弟パーヴェルの息子であるラーブルが後を継ぐことになる。
形成が不利とはいえ戦い続けたペトルーシャの方が上手だろうし、そもそも王弟派は内部で権力争いが勃発するだろうことが目に見えていた。
「このまま王弟派より中立にいるより、王太子派に乗り換えるほうがいいでしょうね」
「そうだ、しかもこの情報が出回る前に早急にことを運ばねばならん」
この情報が出回れば、王太子派は勢いづくだろう。今まで旗色を伺っていた者達や、王弟派からの裏切りも相次ぐ。
そんな団子状態になる前に王太子派につかなければ旨味がない。隣にストリカザー公爵という、巨大な敵ができるのだ。しかも、ストリカザー公爵だけではなく、ストリカザー公爵が派閥の長を務めている北部派閥全体を敵に回し、爪弾きにされかねない。
「北はソスランにまかせて、お前はこの件に当たれ。最悪、儂が北へ行くも、他領を回ることもしよう」
高齢ということもあり、あまり出歩きたくはなかったがそうも言っていられない事態だった。それはカミニもわかっているのだろう、頭を抱えながらも頷く。
「まずは、アグリッピーナの実家である西のニースキイ家を誘います」
打倒な判断であった。さらに、南東シーホルム子爵家の懐柔を提案する。
「あそこは妹が嫁いだ土地だ。今はその息子が当主をやっている。今のところお前と同じで中立を保っているが、それもそろそろ限界のはず」
「美味しい餌をもって行けば、ということですね」
そうだ、と頷く。ニースキイ家はアグリッピーナがある意味人質の役割を果たすが、シーホルムからは人質を迎えねばならないだろう。だが、既に隠居した身であるので細かいことはカミニに任せることにする。
全てをフェリックスが行えば、カミニのメンツを傷つけ、更に配下から見くびられかねない。
「細かいところは任せる。何かあれば相談にはのろう」
今でもカミニではなく、フェリックスに相談に来るものが居るのだ。フェリックス自身も息子であるカミニをいつまでもサポートできるわけではない。
「私はニースキイ家への工作を開始いたします。父上はシーホルム家への工作をお願いします。ニースキイ家だけが少し家格は落ちますが、隣接した三家であればストリカザー公爵家も中央での戦争がありますし、嫌がらせの類としては十分かと」
妥当な判断であり、読みであった。三家がある程度協調して動くとなればストリカザー公爵家もそれを潰すだけの兵力を自領、若しくは近くの貴族をけしかけなければならない。だが、悪化するだろう戦況の中で中央から兵は退けない。周辺貴族だってそう遠くないうちに王弟パーヴェルの体調については気づくはずだ。
それまで、潰れなければいい。それだけの話である。最後破れかぶれになったストリカザー公爵が道連れにと襲い掛かってくることが懸念事項だが、道連れにするにしてもクルスヌイルナ領より優先すべき敵は多いはずだ。
息子カミニの見識はフェリックスと一致しており、こういった判断は悪くない。あとは急な事態にうろたえたりすることや、威厳を保つことができればと思うが、そればかりはフェリックスでも教育で直せなかったところだ。
いつまで、息子を支えやれるのだろうか。そんな思いにかられる。
「後継は、ウラガンとクラーテル、どちらにする予定だ」
自分が長くないかもしれない。そう思った時、次世代から、さらに次の世代はどうなるのだろう。そんな思いからつい口をついて出てしまった。
側室の子であるが長子であり、既に神の中と言われる7歳を脱しているウラガンと、正室の遅すぎたと言ってもいいクラーテル。
どちらに継がせても禍根が残る。アグリッピーナは実家より莫大な支援を受けて買収や派閥工作などを行い、大多数がアグリッピーナ、ウラガン派となっている。正統を訴えるエレナリーゼ派は派閥工作に秀でた者が居ない上に、最近までクラーテルという子に恵まれなかった。さらに、まだ幼すぎた。
「ウラガンに継がせるつもりでおります。此度の継承戦争を見る限り、悲惨と言っていいでしょう」
少なくとも分割統治などと言い出さぬだけまだましかと安堵する。
「クラーテルが無事育つかどうかわかりませんが、ウラガンはもう12歳になります。クラーテルが病にかかり命を散らすことはあるかもしれませんが、逆はほとんどないでしょう」
その上での、長子相続だとカミニは言う。エレナリーゼとアグリッピーナの実家からの支援の差も響いていた。ストリカザー公爵家はエレナリーゼを支援する気があまりないようで、公爵家と伯爵家という差があるのにアグリッピーナの生家であるニースキイ家より少ないという。「それに……」と少しカミニは言いよどむ。
フェリックスが先を促すと、クラーテルは不義の子であるという噂があるという。
フェリックスもエレナリーゼが妊娠した時期は確かにカミニは多忙であったことを覚えてはいた。
その時期に運良く妊娠した上に、悪魔の子ではないかと言われるほど知性を見せ、魔力も豊富なのに神々からの加護がない。とカミニは言い募る。
少しフェリックスは呆れる。エレナリーゼはそんな女ではなかった。夫を立て、夫のためにと守りの刺繍をし、太陽と月の夫婦神にカミニの無事を祈っている、貞淑な女だった。
悪魔や悪霊の噂はフェリックス自身も勘ぐってしまったが、エレナリーゼが不義を働くなどと思ったことはない。
仮に浮気や不義を勘ぐるならアグリッピーナのほうがよほど可能性が高いだろう。
戦時ということで貴族同士の付き合いが少ない今だからこそ大人しいしその可能性はないだろうが、カミニがエレナリーゼの不義を疑っているということに嘆息する。
「噂だ馬鹿者。過去にも神々より加護が得られなかった例はあるが、成人する頃には大体加護を授かっている。それに、後継が悪魔の子と呼ばれるほど優秀であるなら、それはそれでめでたいことだろう」
そして、この程度の噂でクラーテルを後継に考えないと言う息子に軽く失望する。
フェリックス自身ウラガンが継ぐことを強硬に反対する気はない。しかし、クラーテルはストリカザー公爵家の血を引く。
ストリカザー公爵家は現公爵にはまだ女子が1人いるだけで、公爵の兄弟も現在生きているのはエレナリーゼを筆頭に女であり、男は戦死したり、病に倒れている。
今後どうなるかわからないが、ストリカザー公爵はこの戦争に負ければその地位を追われるはずだ。その後公爵の後継がどうなるかわからない。だが、上手く、上手く立ち回ればクラーテルによる同君連合すら望め、ストリカザー公爵家を乗っ取れる可能性すらあるのだ。
だが、それを説いてもしかたがない。性格の違いだった。それに、同君連合と鳴ったとしても、裏切ったということでストリカザー家からは恨まれ統治どころでなくなる可能性だってある。
フェリックスはよくとも、配下の中には裏切ったストリカザー家の血を引く子を後継にすることを反対するものも増えるだろう。自分たちが裏切ったから、次はストリカザー家が何かをしてくるかもしれないと。
「カミニよ、ウラガンが後継であるのは構わん。しかし、噂を信じクラーテルを冷遇してはならんぞ」
師としてつけたエルシオール曰く、クラーテルは規格外という話だった。様々な知識を持っており、この伯爵領に莫大な利益をもたらすだろうとエルシオールはフェリックスに伝えている。
それを冷遇してしまえば、クラーテルはこの地を離れるか、下手をすれば反旗を翻しかねない。
ただでさえ、アグリッピーナ派とエレナリーゼ派の争いが、アグリッピーナ派がエレナリーゼ派を潰そうとしているせいで起きているのだ。
「わかっています。クラーテルを冷遇しても、良いことがないことは……」
そうは言いつつも不満気なのは、あれこれと口を出しすぎたせいだろうか。フェリックスはこの話をやめることにするのだった。
最近多数の感想ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
北部異民族と中央の情勢、そして後継の話でした。