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ヴァレンティンとフランツ

 フランツがクルスヌイルナ家に来て早一月が経とうとしていた。季節は(大樹のダラフティン)から(炎のサングマ)へ移りゆく前の、晩春(大地のタルボ)と時期になっていた。

 フランツはクラーテルと共に勉強すればするほど、その頭抜けた才能に驚嘆させられるばかりだった。

 フランツは自身と同じ年で、自分より頭の良い人間などそうはいない。そう、決めてかかっていた。実際今まであった貴族の子息や祖父の親族などに自分より高い知性を感じることはなかった。

 しかし、そのプライドはクラーテルという存在の前で粉々に砕け散っていた。

 今日も祖父であるエルシオールと耕地面積の出し方をクラーテルは話をしていた。当然のようにヴァレンティンはついてこれなかったが、それはフランツも一緒だった。

 師であるエルシオールから様々な教えを受けているからもう少しわかると思ったが、わからなかった。

 理解が及ばなかったのだ。

 そして、クラーテルという存在を認めざるを得なかった。自身とは違う本当の天才。エルシオールは尊敬できる人間に仕えるようにと教えてくれていた。

 クラーテルこそがその相手だとフランツは信じて疑わなかった。

 しかし、クラーテルに仕えるに当たって気に喰わないことが1つだけある。それは、クラーテル本人に関することではなく、ヴァレンティンの存在であった。

 ヴァレンティンはクラーテルの乳兄弟で長男ということもあり、一の家臣であるということらしかった。

 フランツから見てヴァレンティンの勉学の才はクラーテルはおろか、自分にも及ばないところであった。

 最初の挨拶の時もとっさの対応ができない男。それが才気溢れるクラーテルの一番の家臣だということが気に入らなかった。

 

 そんなことばかりを考えて歩いている時、事件は起きた。

「おい、なんでお前が俺の前を横切ってんだ」

 フランツが廊下を渡っていると、1人の少年、マルクに絡まれた。

 マルクはフランツより幾分年上で険しい顔で睨みつけてくる。

「これは申し訳ございませんでした。この通り謝罪いたしますのでご容赦ください」

 クルスヌイルナ家の人間でないならそこまで礼を尽くす必要はなかった。だが、面倒事も嫌だったので形式上しっかりと謝る。

 クラーテルの家庭教師に来たエルシオールの孫という、立場としては高くないところにいることをフランツはわかってはいた。

 だからこそ、相手を怒らせないために礼を尽くしたのだ。

「は?お前は俺の行く手を遮ったのに謝るだけで許してもらえると思ってるのか」

 だが、相手が最初からフランツに絡むことが目的であったようで、声を荒げる。

 ずか、ずかと足音をさせて近づいてくるマルクにフランツの頭はどうすればいいのかと混乱する。

 そして、そのまま襟首を掴まれて頬を強く張られ無様に転ばされた。

 突然の暴力。それに抗う術をフランツは持っていなかった。

 知性はあったが、その代償ともいうかのように線が細く、ともすれば少女と間違えられるほどの細い体躯。

 それもあり、フランツは暴力とは無縁に生きてきていた。無縁に生きざるを得なかった。そういう(暴力の)世界では一方的にむさぼられるだけということをフランツ本人も理解していたからだ。

「そこまでにしてもらおうか、マルク」

 そこにクラーテルが割って入ってきた。

 どこから見られていたのか分からないが、クラーテルはマルクとフランツの間に入り、小さなその体で手をめいいっぱい広げ、それ以上の手出しは許さないとマルクを睨みつける。

「フランツはただ歩いてお前の前を横切っただけだろう。大体にしてお前は兄ウラガンの乳兄弟の一員にすぎない。それがクルスヌイルナ家の一員とでも言うべきような権限を振るう気か?」

 相手を遥か上に見上げながら、それでもクラーテルは臆することなく、断罪するかのような口調でマルクに告げる。

 だが、マルクはそんなクラーテルに一瞬気圧されるも、それを無視して背後に隠れきれないフランツを相手に口汚く罵ってくる。

「こんな子どもにかばわれて情けなくないのか。それとも、見た目通りお前は女か」

 カっと頭に血が上る。だが、また暴力を振るわれたらと思うと口答えできない。

「女ならそれらしい格好でもしておけ。下手に男の格好などしているから、こちらも……」

「マルク、お前は私の配下に対して暴言を吐けるなど、随分とお偉いのだな」

 それ以上の発言、侮辱はゆるさないとばかりにクラーテルはマルクの発言を遮る。そして、同時にフランツはクラーテルがフランツを配下と呼び、配下として扱おうとしてくれていることに気づく。

 そこで、フランツは立ち上がった。

 自分はクラーテルに配下と呼ばれた。ならば、自分ごとき配下が、尊敬し恭敬する主を矢面に立たせて背後で震えている訳にはいかない。

 そう、フランツは自分に言い聞かせ、なけなしの勇気を振り絞り立ち上がる。

 

 怖くないわけはない。足に震えがきそうだ。また、暴力を振るわれれば痛い。その痛みが怖くないわけはない。


 だが、それでも自分が理想と仰いだ主の前でこれ以上の醜態を晒すなら、自分はたまなしと呼ばれても仕方ないと奮い立たせる。

「なんだ、やる気か?女男風情が」 

「やめろ、マルク」

「偉そうに命令しないでくれませんかね。俺はウラガン様の命令やカミニ様たちの命令なら喜んで従いますが、クラーテル"様"の命令に従う気はないんですよ」

 制止するクラーテルをマルクはせせら笑う。

 クラーテルの眉が顰められる。それは、制止できない己の不甲斐なさから来たのだろう。それでも、マルクを止めようと両手を広げて立ちはだかる。

 しかし、それとほぼ同時にマルクがクラーテルを邪魔だと押しのける。

 フランツはバランスを崩したクラーテルを受け止め、そのまま優しく背後に隠す。

 フランツは覚悟を決めていた。

 主と仰いだクラーテルが、己のせいでここまで虚仮にされたのだ。意地を見せなくてはならない。

 それと同時に感じる。背に守るべきものを守るという感覚。何があっても己の理想と仰いだ主なのだから守らねばならない。

 思い切り相手を睨みつけ、そして徹底抗戦の意思を伝える。

 相手はそのフランツのざまを嘲笑う。年齢も体躯も違うのだ。マルクが殴ろうと振りかぶる。

 恐怖は消えないが、それでもフランツはその一撃を両腕を折りたたみ受け止めた。痛みが疾走るが、それでも一歩も退かない。退けば、今後クラーテルを主と呼ぶことを、自分自身の誇り(プライド)が許しそうになかった。

「マルク、君の方から手を出したんだから、覚悟はできてるよね」

 そこで、ヴァレンティンが廊下の奥から出てくる。

 その顔はいつも共に授業を受けている時のような人のよい、優しい笑顔ではなかった。

 鋭い眼光に、薄い殺気に似たものまで滲ませている。

「君は主家であるクルスヌイルナ家の一員であるクラーテル様の命令を無視し、押しのけ、そして僕の仲間であるフランツに暴力をふるい、暴言を叩きつけた」

 マルクはヴァレンティンが出てくるとは思っていなかったのか苦虫を噛み潰したかのような、渋い顔をする。

「何だ、そこの女男とできてるのか?ヴァレンティン」

 その言葉にフランツは怒りで顔を紅くするが、ヴァレンティンは何も言わない。

「僕の仲間を悪く言うのはやめてくれないか?少なくとも、彼がクラーテル様を思う心は本物だ。本物だった。そして、それは君とウラガン様の関係より、よっぽど純粋だ」

 そこまで言われてマルクは顔を真っ赤にしてヴァレンティンに殴りかかる。ヴァレンティンもそれを迎えうつ。

 それは子どもの喧嘩だった。

 ヴァレンティンは終始自分より年上で体躯に勝るマルクに殴られ、蹴られていた。

 だが、その度に殴り返し、噛み付き、少しでもと反撃をしていた。フランツは見ていられないと加勢しようとするが、クラーテルに手を引かれ、止められる。

 結局その喧嘩は騒ぎを聞きつけた侍女の止められる。

 そして、何故かマルクよりヴァレンティンが悪いという結果になっていた。

 クラーテルが2対1なんて卑怯な真似はしていないと抗議をするが、小さな子供の言うこととして処理されてしまう。

「あはは、ごめんな。本当ならここでマルクに勝つのが本当なんだけど」

 そう言って、ヴァレンティンは擦り傷だらけの顔でフランツに笑いかけてくる。

「なんで、僕を助けたんだ」

「だって、クラーテル様に仕えたいって言ってたし、クラーテル様が割って入った時、君は恐怖よりもクラーテル様への忠義と勇気を取った。それだけだけど……」

 当然のように、ヴァレンティンは言った。フランツには俄に信じがたいことであった。自分はヴァレンティンを内心見下していたのだ。

「そ、それだけ?そ、そうか勝算があったんだな?」

 マルクはヴァレンティンが来た時に嫌そうな顔をしていた。つまり、マルクよりヴァレンティンが強い可能性もあった。

「いいや、マルクと喧嘩なんてしても勝てっこないよ。現に今負けただろう」

 フランツは頭を抱えたくなった。勝算がないにもかかわらず、ヴァレンティンは己の主の名誉と仲間である自分を助けるために、勝算なくマルクと戦ったというのだ。

 知識、知性などと言っていた自分が急に小さく見えてきた。

「勝ち筋くらい見つけてから助けてもらいたいものだ」

 しかし、口から出る言葉は憎まれ口だった。

「まぁ、そう言ってやるなフランツ」

 クラーテルがそう言って笑う。

 クラーテルは勝算がなくても己のために体を張ってくれるヴァレンティンを信用しているのだろう。

 そして、それだけにマルクよりヴァレンティンが一方的に悪いと決めつけた侍女に腹を立てているように見えた。

「男の"ツンデレ"はあまり好まれないぞ」

「はぁ、"ツンデレ"ですか?」

 よくわからない言葉だったが、好まれないというものなのだろう。クラーテルもあぁ、と少し罰が悪そうな顔をした後「素直にありがとうと言っておけ」と言われる。

「そうですね、ヴァレンティン。醜態を晒しました。ありがとうございます」

「あぁ、気にしないでくれ。俺は、フランツほどに頭が良くない。だから、俺が助けられないところでクラーテル様を助けてほしい。助け合いだ」

 そう言ってヴァレンティンは笑う。フランツは少し気恥ずかしいが手を差し出す。

「改めて、よろしく頼む」

「あぁ、よろしく頼むフランツ」

 2人がガッチリと握手をする横でクラーテルは少し寂しげに、俺は除け者かといじけ、その後2人がなだめるのだった。

 フランツがクルスヌイルナ家に来て早一月が経とうとしていた。季節は(大樹のダラフティン)から(炎のサングマ)へ移りゆく前の、晩春(大地のタルボ)の時期になっていた。

 フランツはクラーテルと共に勉強すればするほど、その頭抜けた才能に驚嘆させられるばかりだった。

 算術は自分を遥かに超え、祖父エルシオールから教えられたことを次々と吸収していき、時には違うのではないか、こうした方がいいのでは、という疑問や提案までできている。

 フランツは自身と同じ年で、自分より頭の良い人間などそうはいない。そう、決めてかかっていた。実際今まであった貴族の子息や祖父の親族などに自分より高い知性を感じたことはなかった。

 皆、ただ自分の身分を押だし、時には師であるはずのエルシオールにすら尊大に振舞っていた。そんな自分より無能なくせに尊大に振る舞う貴族たちをフランツは見下していたし、祖父の教えのもとに高い知性を自分は持っているという誇りを持っていた。

 しかし、そのプライドはクラーテルという存在の前で粉々に砕け散っていた。

 今日も祖父であるエルシオールと耕地面積の出し方をクラーテルは話をしていた。耕地面積を割り出すための公式を次々とクラーテルは話し、祖父も負けじと話す。

 クラーテルは複雑な図形の計算から、それらを細分化することで簡単に出せるようにしたりする方法についても話をし、そのために正確な測量道具が必要だと説く。

 この話に当然のようにヴァレンティンはついてこれなかったが、それはフランツも一緒だった。師であるエルシオールから様々な教えを受けているからもう少しわかると思ったが、わからなかった。理解が及ばなかったのだ。多少の掛け算はわかるが、割り算がわからない。クラーテルの言う小数点の計算というのも理解が出来なかった。

 そして、だからこそフランツはクラーテルという存在を認めざるを得なかった。自分とは違う本当の天才にして知性をもつもの。

 エルシオールは尊敬できる人間に仕えるようにと説いていた。クラーテルは仕えるに足る、否、仕えさせていただきたいと思う人物だった。

 クラーテルこそが己が仕えるべき人間だと、フランツは信じて疑わなかった。

 しかし、クラーテルに仕えるに当たって気に喰わないことが1つだけあった。それは、クラーテル本人に関することではなく、ヴァレンティンの存在であった。

 ヴァレンティンはクラーテルの乳兄弟で長男ということもあり、一の家臣であるということらしかった。

 フランツから見てヴァレンティンの勉学の才はクラーテルはおろか、自分にも及ばないところであった。

 最初の挨拶の時もとっさの対応ができない愚鈍な男。それが才気溢れるクラーテルの一番の家臣だということが気に入らなかった。せめて最低限自分と同じ程度であってくれないと、主の価値を下げる。そんな家臣は不要ではないか。そう思っていた。


 そんなことばかりを考えて歩いている時、事件は起きた。

「おい、なんでお前が俺の前を横切ってんだ」

 フランツがクスルヌイルナ家の廊下を渡っていると、1人の少年マルクに絡まれた。

 マルクはフランツより幾分年上で険しい顔で睨みつけてくる。

「これは申し訳ございませんでした。この通り謝罪いたしますのでご容赦ください」

 クルスヌイルナ家の人間でないならそこまで礼を尽くす必要はなかった。だが、面倒事も嫌だったので形式上フランツはしっかりと謝罪する。

 フランツの立場はクラーテルの家庭教師に来たエルシオールの孫という、立場としては高くないところにいることはわかっていた。本来この程度で諍いが起きることなどないのだろうが、周囲に迷惑を賭けてからでは遅い。

 マルクはフランツの記憶が正しければクラーテルの異母兄ウラガンの乳兄弟の末弟だったはずだ。

 そんな相手だからこそ、相手を怒らせないために礼を尽くしたのだ。

「は?お前は俺の行く手を遮ったのに謝るだけで許してもらえると思ってるのか」

 だが、マルクは最初からフランツに絡むことが目的であったようで、声を荒げるだけだった。

 ずか、ずかと足音をさせて近づいてくるマルクにフランツの頭はどうすればいいのかと混乱する。逃げるべきか更に謝罪を重ねるべきか判断がつかない内にマルクに襟首を掴まれる。11歳で145センチほどの身長があるマルクと、8歳の中でも小柄で120センチ程度のフランツとの身長差は頭1つ分は違った。

 フランツは襟首を掴まれただけで恐怖に身を固くする。そんなフランツを嘲りながら、マルクはフランツの頬を強く張り倒す。

 突然の暴力。それに抗う術をフランツは持っていなかった。

 知性こそ高かったが、その代償ともいうべく小柄で線が細く、今までも女だと馬鹿にされたほどに細い体躯。

 だから、フランツは暴力とは無縁に生きようとしていた。それらを野蛮な行為と見下して逃げていた。フランツの体躯では暴力で訴えようとしても、逆に一方的に蹂躙され貪られるだけだとわかっていた。だから、フランツは決して暴力に訴えることはなかったし、訴えられないように謝罪もしたのだ。

「そこまでにしてもらおうか、マルク」

 混乱し、唐突に振るわれた暴力に呆然とするフランツと、更に暴力をふるおうとするマルクの間に、クラーテルが割って入ってきた。

 どこから見ていたのかわからないが、クラーテルはそれが当然であるかのように、フランツとマルクの間に入りフランツよりさらに頭1つは小さな体で両手をめいいっぱい広げ、フランツをかばう。これ以上の手出しは許さないと、毅然とマルクを睨みつけているのだ。

「フランツはただ歩いてお前の前を横切っただけだろう。大体にしてお前は兄ウラガンの乳兄弟の一員にすぎない。それがクルスヌイルナ家の一員とでも言うべきような権限を振るう気か?」

 クラーテルは相手を遥か上に見上げながら、それでも臆することはなかった。むしろ、断罪するかのような響きを持ってマルクに迫る。

 マルクはそんなクラーテルに一瞬怯んだ。だからクラーテルを無視して、背後に隠れているフランツを口汚く罵る。

「こんな子どもにかばわれて情けなくないのか。それとも、見た目通りお前は女か」

 カっと頭に血が上る。だが、それもまた暴力を振るわれたらと思うと怖くなり上がったはずの血は何処かへといってしまう。相手に馬鹿にされるほどに細いこの体躯が本気で嫌になる。

「女ならそれらしい格好でもしておけ。下手に男の格好などしているから、こちらも……」

 いっそ本当に女であれば、そこまでフランツが考えた瞬間マルクの言葉は遮られる。

「マルク、お前は私の配下に対して暴言を吐けるなど、随分とお偉いのだな」

 フランツに対してそれ以上の侮辱は許さないとばかりに怒気をはらませ、クラーテルはマルクの発言を遮る。

 それと同時にフランツはクラーテルが自身を配下と呼び、配下として扱おうとしてくれていることに気づく。

 気づけばフランツは立ち上がっていた。

 自分はクラーテルに配下と呼んでもらえたのだ。ならば、自分が如き配下が尊敬し、恭敬し、敬愛すべきクラーテルを矢面に立たせて背後で見苦しく震えている訳にはいかない。

 そう、フランツは自分に言い聞かせ、なけなしの勇気を振り絞り前に出る。

 

 怖くないわけはない。足に震えがきそうだ。また、暴力を振るわれれば痛い。その痛みが怖くないわけはない。


 だが、それでも自分が理想と仰いだ主の前でこれ以上の醜態を晒すなら、自分はたまなしと呼ばれても仕方ないと奮い立たせる。

「なんだ、やる気か?女男風情が」 

「やめろ、マルク」

「偉そうに命令しないでくれませんかね。俺はウラガン様の命令やカミニ様たちの命令なら喜んで従いますが、クラーテル"様"の命令に従う気はないんですよ」

 制止するクラーテルをマルクはせせら笑う。この辺りには家中での力関係が出ているのだろう。

 クラーテルの眉が悔しげに顰められる。それは、制止できない己の不甲斐なさから来たのだろう。それでも、マルクを止めようと両手を広げて立ちはだかる。

 しかし、それとほぼ同時にマルクがクラーテルを邪魔だと押しのける。

 フランツはバランスを崩したクラーテルを受け止め、そのまま優しく背後に隠す。

 フランツは覚悟を決めていた。

 主と仰いだクラーテルが、己のせいでここまで虚仮にされたのだ。意地を見せなくてはならないと。

 それと同時に感じる。背に守るべきものを守るという感覚。己の理想と仰いだ主なのだ、なにがあっても守らねばならない。

 思い切り相手を睨みつけ、そして徹底抗戦の意思を伝える。

 相手はそのフランツのざまを嘲笑う。年齢も体躯も違うのだ。マルクが殴ろうと振りかぶる。

 恐怖は消えないが、それでもフランツはその一撃を両腕を折りたたみ受け止めた。鈍い痛みが走るが、それでも一歩も退かない。腰をどっしりと降ろし、巻藁のように打ち込まれるだけとしても心は負けないと睨みつける。

 心で負ければ、一歩でも退いてしまえば、今後クラーテルを主と呼ぶことを、自分自身の誇り(プライド)が許しそうにない。だから、無様に打たれるだけでも決して退かない。そう決めていた。

「マルク、君の方から手を出したんだから、覚悟はできてるよね」

 そこで、ヴァレンティンが廊下の奥から出てくる。

 その顔はいつも共に授業を受けている時のような人のよい、優しい笑顔ではなかった。

 鋭い眼光に、薄い殺気に似たものまで滲ませている。

「君は主家であるクルスヌイルナ家の一員であるクラーテル様の命令を無視し、押しのけ、そして僕の仲間であるフランツに暴力をふるい、暴言を叩きつけた」

 マルクはヴァレンティンが出てくるとは思っていなかったのか苦虫を噛み潰したかのような、渋い顔をする。

「何だ、そこの女男とできてるのか?ヴァレンティン」

 その言葉にフランツは怒りで顔を紅くするが、ヴァレンティンは何も言わない。ただ静かに、マルクを睨みつけている。

「僕の仲間を悪く言うのはやめてくれないか?少なくとも、彼がクラーテル様を思う心は本物だ。本物だった。そして、それは君とウラガン様の関係より、よっぽど純粋だ」

 そこまで言われてマルクは顔を真っ赤にしてヴァレンティンに殴りかかる。ヴァレンティンもそれを迎えうつ。

 それは子どもの喧嘩だった。

 ヴァレンティンは終始自分より年上で体躯に勝るマルクに殴られ、蹴られていた。

 だが、その度に殴り返し、噛み付き、頭突きを叩き込む。少しでもと反撃をしていた。フランツは見ていられないと加勢しようとするが、クラーテルに手を引かれ、行くなと止められる。

 結局その喧嘩は騒ぎを聞きつけた侍女の止められた。

 そして、何故かマルクよりヴァレンティンが悪いという結果になる。

 クラーテルが3対1なんて卑怯な真似はしていないと抗議をするが、小さな子供の言うこととして処理されてしまう。

「すまないな、ヴァレンティン。そして、フランツ。フランツが出て行くのを止めたけど、意味がなかった。こんなことなら3人で囲んでやればよかった」

 不機嫌そうにクラーテルは言うが、大義名分をこちらのものにするために自身を止めていたのだとわかった。

 そして、侍女がまったく取り合わないことでそれは失敗した。攻勢なジャッジが下されないことにクラーテルは痛く不機嫌だがヴァレンティンはそんなことを気にせず笑う。

「あはは、ごめんな。本当ならここでマルクに勝つのが本当なんだけど」

 擦り傷だらけの顔で笑いながらフランツの肩をぽんぽんと叩く。気安いと手を払うが、悪い気はしなかった。

「なんで、僕を助けたんだ」

「だって、クラーテル様に仕えたいって言ってたし、クラーテル様が割って入った時、君は恐怖よりもクラーテル様への忠義と勇気を取った。それだけだけど……」

 当然のことのように、ヴァレンティンは言った。フランツには俄に信じがたいことであった。自分はヴァレンティンを内心見下していたのだ。

「そ、それだけ?そ、そうか勝算があったんだな?」

 マルクはヴァレンティンが来た時に嫌そうな顔をしていた。つまり、マルクよりヴァレンティンが強い可能性もあった。

「いいや、マルクと喧嘩なんてしても勝てっこないよ。現に今負けただろう」

 フランツは頭を抱えたくなった。勝算がないにもかかわらず、ヴァレンティンは己の主の名誉と仲間である自分を助けるために、勝算なくマルクと戦ったというのだ。

 知識、知性などと言っていた自分が急に小さく見えてきた。

「勝ち筋くらい見つけてから助けてもらいたいものだ」

 しかし、口から出る言葉は感謝ではなく憎まれ口だった。

「まぁ、そう言ってやるなフランツ」

 先程まで不機嫌そうだったクラーテルがこちらの様子を見て機嫌を直したのか笑っている。

「男の"ツンデレ"はあまり好まれないぞ」

「はぁ、"ツンデレ"ですか?」

 よくわからない言葉だったが、好まれないというものなのだろう。クラーテルもあぁ、と少し罰が悪そうな顔をした後「素直にありがとうと言っておけ」と言われる。

「そうですね、ヴァレンティン。醜態を晒しました。ありがとうございます」

「あぁ、気にしないでくれ。俺は、フランツほどに頭が良くない。だから、俺が助けられないところでクラーテル様を助けてほしい。助け合いだ」

 そう言ってヴァレンティンは屈託なく笑う。フランツは少し気恥ずかしいが手を差し出す。

「改めて、よろしく頼む」

「あぁ、よろしく頼むフランツ」

 2人がガッチリと握手をする横でクラーテルは少し寂しげに、俺は除け者かといじけ、その後2人がなだめるのだった。

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