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幕間優しい嘘

 リリアはゆっくりと薄緑色のティーカップにお茶を注ぐ。カップの持ち主は主であるエレナリーゼのものだ。薄い黄緑色のような茶色に甘い香りの中に僅かに香る青さは春摘みの特徴でもある。

 紅茶にドライフルーツ。それをエレナリーゼが楽しむ静かな時間が過ぎていく。お茶はポットにたっぷりはいっており、1人で飲み切るには少々多い。干したいちごなどのドライフルーツと共にエレナリーゼはドライフルーツをつまみ、お茶を楽しんでいた。

 クラーテルとその時間を共有することもあるが、今日クラーテルはエルシオールの授業があり夕方まで出かけたままだ。人と会うことなどもそれなりにあるエレナリーゼが午後のひとときをのんびりと過ごすのも悪くはない。そうリリアは思っていた。

「リリア、たまには座って相手をしてくれないかしら?」

 「誰も見ていないのだし」とエレナリーゼは言う。リリアはエレナリーゼが13歳の時にクルスヌイルナに嫁いでくるより更に前、エレナリーゼが10歳の時から仕えており、歳が近いこともありエレナリーゼから相談を受けたことは何度もあった。

 あまり良いことではないのは互いにわかっている。だが、他領に嫁ぐにあたりストリカザー公爵領からついて来た人間は少なかった上に男が多かった。いつしかエレナリーゼとリリアは主従でもあり、友人に近い感覚も互いに有するようになってしまっていた。

「かしこまりましたエレナリーゼ様」

 「失礼致します」と一度頭を下げて迎えの席に座ると、エレナリーゼがお茶を注いでくれる。恐れを多いと言うがエレナリーゼが辞める気配はなく、ニコニコと笑顔のままお茶を出される。

「私たちがクルスヌイルナに来て、もう14年になるわね。ストリカザーで過ごした時間より長くなってしまったわね」

 エレナリーゼが嫁いできたのは13歳の時。もう、14年にもなるのかとリリアも感慨深くなる。

「私は後2、3年ほど経たないといけませんが、そうですね。長い時間をこちらで過ごしましたね」

 13歳の時に急に決まった結婚。しかも相手のカミニは伯爵家を乗っ取ったばかりの新興とも言える家柄だった。エレナリーゼに仕えて3年ほどしか経っていない、結婚もまだしていなかった若いリリアもエレナリーゼのお付きとして付いていくことを決めていた。

 エレナリーゼに仕えている者の中でエレナリーゼに付き従ったのは少数であった。格下の領地に嫁ぐエレナリーゼに付いていくより、公爵領に留まりたいと思うものが多いのは仕方がないことではある。エレナリーゼはそれを笑顔で許した。リリアもエレナリーゼにストリカザーに残りたいのであれば止めはしないと言われていた。

「殆どのものは、ストリカザーに残して来ましたからね」

「悪いことをしてしまったわ。ストリカザーに残っても主と共に行かなかったと責められ、共に来てもクルスヌイルナに降りたと言われたでしょうから」

 リリアは来なかった者たちをよく思っていなかったが、エレナリーゼはついて来なかった者たちのことも心配できる女だった。両親や弟妹に自分についていた騎士や侍女の引取をできうる限り頼み歩いていたし、その後のことも文のやり取りで安心したり、苦心したりしていたのを知っている。

「私はついてきて良かったですよ。ミーシャと出会えましたし、ヴァレンティン達を授かれたのですから」

 リリアがそう言うと、エレナリーゼはありがとう。と笑ってくれる。だが、同時にクルスヌイルナに嫁ぐにしてもカミニでなければよかったともリリアは思っていた。

 エレナリーゼは優しくしてくれる夫とカミニを評している。確かに最初気遣っていたのはわかるが、遥か歳下の爵位が上の家からやってきた妻を気遣わないわけはない。

 さらに、僅か2年子どもができなかったということでアグリッピーナを側室に迎えた。爵位と立場はエレナリーゼが上だが、年齢とウラガンを産んだという実績はアグリッピーナが上。家中でも微妙な力関係が生まれてしまった。

 ただでさえ、エレナリーゼは誰に対しても優しく、礼儀を持って、また波風を立たせることなく物事を処理し、カミニに面倒をかけないようにしていた。カミニはそれに甘えて、アグリッピーナはそれを利用していた。

 リリアはそれに酷く腹が立っていた。アグリッピーナが利用するのも許せなかったが、それより許せなかったのはカミニだ。歳下のエレナリーゼの好意に甘えきってアグリッピーナの増長を許している。エレナリーゼを差し置いたアグリッピーナの行いを諌めるのはカミニの役目である。にも関わらずカミニはエレナリーゼが波風を立たせることなく静かにしているのを良いことにアグリッピーナを諌めることはなかった。

 正妻の優しさゆえに側室の増長を許すカミニがリリアは嫌いだった。昔それをエレナリーゼに伝えると、エレナリーゼはそれでも自分はカミニの妻で、カミニを愛していると言われた。

「そうね、ヴァレンティンのことはラティからもよく聞くわ。ヴァレンティンは自分の一番の配下だって言ってはしゃいでいるもの」

「クラーテル様のような聡明な方にお仕えできるのですから、ヴァレンティンは幸せです」

 本当はヴァレンティンが仕えるのはクラーテルじゃなかったかもしれない。エレナリーゼには他に二度妊娠していた。しかし、どちらも流れてしまったのだ。

 原因は絶対にアグリッピーナだとリリアはエレナリーゼに言い募った。だが、エレナリーゼは原因もわからない、証拠もないのにことを荒立ててはいけないとリリアに説いた。

 それでも絶対にアグリッピーナだとリリアは確信していた。アグリッピーナはエレナリーゼに健康によいと香草を大量によこしており、エレナリーゼはいただいたものだからと使用していた。それに何かがあったのだと、エレナリーゼが2度流れた時に確信した。

 3度めの妊娠の時には絶対にそれらを廃棄してエレナリーゼの口に入ることのないようにしたらクラーテルは無事生まれてきた。そして、生まれてきた後のアグリッピーナの対応を見れば、エレナリーゼに子どもを生ませたくなかったのだということは一目瞭然だった。

 リリアは忘れない。流れた子どもたちに泣いて詫びるエレナリーゼの姿を。声を押し殺し、泣くエレナリーゼを抱きしめることもしなかったカミニを。そして、クラーテルが生まれてきた時に女の子が良かったと言われて傷つきながらも笑ったエレナリーゼの痛ましい笑顔を。

「ありがとう、リリア。リリアにそう言ってもらえるなら嬉しいわ」

 エレナリーゼはリリアにそう言ってもらえるなら安心だと柔らかく微笑む。女の自分でも見惚れそうなくらい綺麗で、優しい笑顔。クラーテルを思う心がわかる。

 そして同時に、リリアの方こそクラーテルのような聡明な子を産んでくれてありがとうと言いたかった。クラーテルは仕えがいのある主になるはずだ。この間の一件でリリアはそう思っていた。

 自分たち大人ですらどうしようもなかったはずなのに、それを覆したクラーテル。その功績を称えることはできないが、それでも知っている人間は知っている。

 本当はカミニがエレナリーゼを見捨てたことも教えてしまいたいが、それはクラーテルに止められている。リリアも理屈では正しいとはわかっている。

 カミニが好き好んでエレナリーゼを見捨てているわけでないことも理解はできる。

 だが、それでも胸に抱いていたカミニへの嫌悪が更に強くなることを止めることはできない。

 どんな理由や理屈をつけても敬愛する主人より他のことを選び続けるカミニをリリアは決して認めないし、主として仰ぐことなど考えたくもない。そうするくらいならストリカザーの実家に帰ることだって考えるくらいにおぞましい。

「いいえ。本当に仕えがいのある御方だと思います。エレナリーゼ様もクラーテル様も」

 良き子を産んでくれた。エレナリーゼが惜しみなく注いだ愛を一心に受け、クラーテルは大きくなった。だから、そんな母の心に影を落とす事のないように自分の功績も、アグリッピーナたちの妨害も、カミニがエレナリーゼを見捨てたことも有耶無耶にしてしまったのだ。

 クラーテルはエレナリーゼの心を考えることができなかった自分より、一歩先に居る気すらする。

「本当にありがとうリリア。私に付き従ってクルスヌイルナに来てくれて。私に仕え続けてくれて」

 エレナリーゼが微笑む。それが少し照れくさくなり、紅茶を軽く口に含むと、甘い味に少しの酸味と香りが口いっぱいに広がる。

「同じように、私の主がエレナリーゼ様で本当に良かったです」

 言い返すと、嬉しそうにエレナリーゼは笑うのだ。

 エレナリーゼは笑顔を絶やさず慈愛深き、まさに理想の妻であり母だろう。だから、あれほど聡明なクラーテルも母エレナリーゼを敬愛するのだ。

「エレナリーゼ様、エレナリーゼ様は今でも旦那様を愛しておいでですか?」

 するべきではなかった質問だ。質問の答など、決まりきっている。

「えぇ、もちろんよ。私は夫を、カミニを愛しているわ」

 綺麗な笑顔でエレナリーゼはそう返答する。リリアはクラーテルの気持ちを無視してでも、カミニはミュースを患った時見捨てたのだから、もう愛する必要なんてない。そう伝えたかった。

 カミニとアグリッピーナへの怒りと憎しみと、愛していると笑顔を浮かべるエレナリーゼへの悲しみ。それがリリアの胸中をぐるぐると回り喉から押し出ようと暴れまわる。

「そうですね、ミュースの薬代も旦那様は出してくださいましたし」

 それらを全て言葉にして吐き出したくなるのをこらえ、振り払うように口にしたのは別のことだ。

「ーーそうね、本当にどうやって出してくれたのかしらね。どうやって捻出してくれたかはわからないけど、心から感謝してるわ。助けてくれてありがとうと、そう伝えたい」

 今の領内にそれだけのお金をエレナリーゼのために支払う余裕がないのはエレナリーゼ自身わかっていたのだろう。

 リリアはクラーテルを僅かに、本当に僅かにだが恨んだ。

 本来ならばこんな嘘をつかず、見捨てたのだと教えてあげたほうがエレナリーゼのためになるのではないかという思いがあった。

 今も、エレナリーゼはきっとカミニが薬代を支払ったと、それくらいのことをしてくれるだけは愛していると思っているのだ。それら全ては偽りだというのに。

 だが、ついてしまった嘘はつき通さねばならない。リリアはクラーテルの母を傷つけないための嘘は優しくも残酷なのかもしれないと思うのだった。

 人の感情の機微を描くのは難しいですね。正直、苦手な部類に入ってしまいます。今回もこの文章を描くために何度書き直したことか……。


 次からは第二章に入ります。

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