クラーテル誕生
読みにくいという指摘のあったあらすじの改行を修正しました。
暗く、息ができない。苦しい。
まず思ったのはそれだった。
そして、次の瞬間世界が明るくなる。
「○、✕□△▼っ」
声が聞こえた。何がなんだかわからないまま、優木は声を上げた。
「あゃああっ」
しかし、その声は声と言っていいものではなかった。
ただ、音が口から出ただけ。そんな声であり、音であった。
誰かに抱かれる感触。
目を見開けば、きれいな女性がいた。憔悴しきって、横たわっている。
そこで、優木は気づく。自分が横になっている女性、しかも、憔悴しきっている女性に軽々しく抱かれるということの違和感。
身長185、体重も90kgという巨漢であった自分を、こんな猫でも抱くかのようにひょいと抱ける女性などいるわけがないと。
混乱してあたりを見回そうにも頭が重たい。
頭が痛いとかそういう意味ではなく、物理的に重たいのだ。
そこで、優木はよくよく記憶を探りだす。
思い出せる最後の記憶は、前のトラックの玉掛けが甘く、現場用の資材が崩れてきて、おそらくそれに下敷きにされたぐらいまでだ。
つまり、重症で助かったものも、目覚めるまでかなりの年月がかかって筋力が著しく低下している、ということだろうか。
「ーーーーーー」
周囲で皆何事か騒いでいるが、よくわからない。わからないのだ。
だが、優木は祖父母には連絡をしてあげたいと強く思った。
娘夫婦や孫、ひ孫を事故で失って、さらには孫最後の生き残りの自分さえも死にかけたというなら、さぞかし悲しんでいることだろう。
長い年月が経って、もしかしたら先に死去してる可能性もあるが、それでもと思った。
「あぅっあっ」
しかし、声が出ない。神経系に障害でも残したのだろうか。
だとすれば首が動かない現状も理解できた。そんなことを優木が考えていると、猛烈な眠気が襲いかかった。
結局優木は何も伝えることができないまま、睡魔に襲われ意識は闇に落ちていった。
それから約10日程が経過して、優木は自分自身が死んだということをまずは理解した。
そして、次に死んではいるが、生まれ変わったのだということがわかった。
どこの国の、どんな田舎かはわからないが、とりあえず生まれ変わったと。
一応優木は日本人で仏教徒ではあったが、敬虔でそれ一筋だったというわけではない。
聖書やらギリシャ神話などを読んだりしていた時期もあった。
そして、そう考えたら最後の審判が存在しなかったのだから、唯一神系の死生観ってどうなるんだろうか。などという、今の自分には関係ないことを考えたりして現実逃避を図ることもあった。
優木がまず、確認したのが両親の肌の色だったが、白人系だった。
だが、どうにもこうにも家や雰囲気が田舎臭い。と言うか、田舎すぎた。テレビもラジオも何もなく、電気すらなくランプだった。
テレビもねぇ、ラジオもねぇ、車すらも走ってねぇ。と、どこぞの歌詞のような状態で、東欧の山奥か、若しくはロシアの辺境あたりかと考えた。
昔行ったネパールの山奥ですら車はなかったが、古いブラウン管のテレビと電気が小なりあったとはずだ。
そういうことを考えると、恐ろしいくらいのど田舎に転生したと優木は小さくため息をつく。
「クラーテル○✕▼」
そして、自分の名前だ。
どうやら、クラーテルというのが今の名前らしい。
乳をくれる母もそう呼ぶし、他のお手伝いさんなども自分のことをそう呼んだ。お手伝いさんらしき人が居ることからしても、それなりに金のある家のはずである。
なのに、電気がないという現状に少々頭を抱えたくはあった。
「クラーテル」
母が名前を呼び、抱き上げてくれる。
最近は少し慣れたが、最初の頃は戸惑った。人に抱き上げられることなど、十年単位でなかった。
クラーテルの母はわりかし綺麗で、その乳に吸い付けるのだから役得、と最初は思っていた。
だが、性的な興奮がこない。嬉しいという気持ちはあるのだが、その嬉しさが性的なものと言うよりかは食事だっ。という食欲による喜びなのだ。
前世でもスケベな自信はあった。だが、母親に欲情することがなくて良いとも悪いとも言えない感覚を抱く。
乳を飲み終えると今度はオムツ替えだった。
元成人男性でもあったので、少々情けない気持ちになるが、諦めるよりほかなかった。
そして、これにも驚いた。オムツが紙おむつではなく、布のオムツなのだ。優木が赤ん坊の頃にまだ多少使われており、5つ年下の妹の世代には紙おむつが一般的だったはずなのだ。
日本でも海外から来ての買い占めが問題だったことを考えると普及していない地域もあるのかもしれないが、本当に何から何まで驚かされた。
飲んで寝る。そんな生活が続く中で少しずつだが母たちが話している言葉がわかるようになってくる。
優木は元来外国語は苦手で、五教科の中で最も苦手なものと聞かれたら真っ先に答えるくらいに苦手だった。
だが、クラーテルの新しい脳みそのせいなのかすいすいと入っていく。
「本当にラティは泣かない子よね」
「そうですね、私の家も3人いますがこんなに聞き分けの良い子は居ません」
母とお手伝いさんの会話を聞きながら、クラーテルはいつも思う。
父親があまり来ない。
全く来ないわけではないが、仕事が忙しいのか母はずっと共に居てくれるのだが父はあまり来ない。
クラーテルは生前家族が全員事故で失っており、今度の家族とも上手くやって暖かな家庭を築いていきたいと願っている。
だが、もしかしたら両親は不仲かもしれない。
「そうだといいのだけれど、体が弱かったりしてないかと心配になるのよ」
「大丈夫ですよ、エレナ様」
その言葉にクラーテルは動揺する。
母乳がほしい時と、便でオムツを汚して気持ちが悪い時だけ泣いていたが、よくよく思い出すと姪ももっと頻繁に何が悪いのか、嫌なのかわからないが泣いていたと。
迷惑をかけないように最低限のお知らせ程度にしていたのだが、それが元気が無いように見え、かえって心配を賭けてしまったのだとしたら本末転倒だ。
「だぁだぁっ」
手や足を少し振り回して元気だとアピールする。
母に心配をかけたくはないし、現状この体に問題は特になかった。
「あら、まぁまぁ。クラーテル様はまるで私達の会話がわかっているみたいですね」
「まさか、リリア。そんなわけないでしょう」
わかっていた。
だが、声帯も未発達なせいかしゃべることはできない。
とりあえず、言葉の代わりに笑顔を振りまく。クラーテルの記憶が確かなら、これくらいの月齢なら笑顔を振りまいておけば大体なんとかなる。
「ほら、奥様。心配いらないですわ。クラーテル様は健やかに育っていますよ」
「そうね。ラティ、お願いだから健康に育ってね」
母に優しく撫でられ喜んでおく。
大丈夫とは言えないが、頑張ろうとは思っていた。
明日も元気に生きているかどうかなんてわからないと言うのは前世で学んだ。
だが、母がそれを望んでくれるならそうしたい。家族を突然失うのが悲しいのは前世で知った。
そして、発展途上国であろうこの国においては乳幼児の死亡率が高いだろう。
クラーテルはせめて母にそれを味あわせたくはなかった。
「だぁっだぁあ」
ぺちぺちと母の頬を叩いて大丈夫、大丈夫と心のなかで伝える。
するとそれが伝わったのか、母は穏やかに笑ってくれた。
結局その日も父は来なかった。幸せ家族を目指すクラーテルとしては残念この上ない。
だが、自身も仕事で帰りが午前様も珍しくなかった。電気のないこの地方でそんなことがあるのかわからないが、そういうことなのだと思っておくことにした。
プロローグに続いて1話め投稿です。
あのまま戦記に突入すると思っていた方はごめんなさい。
ここから何話かはクラーテルの幼少期になります。