蒸留
リリアはヴァレンティンに呼ばれ、クラーテルが現在寝起きしている部屋で待っていた。
エレナリーゼの昼食の献立を考えている最中、半ば強引に自分の手を引き連れられてこられた格好だ。
本当であればそんな時間はないと言って、エレナリーゼの身の回りの世話を少しでもした方がいいのだろう。
今朝もエレナリーゼはほとんど食事を取れずにいた。本当に僅かな量を懸命に食べ、ほとんどを残していたエレナリーゼ。リリアはそのエレナリーゼの様子に強い不安を抱いていた。
そんな中であったから、クラーテルに呼ばれたと言っても最初はエレナリーゼの世話があると断ろうとしていた。だが、ヴァレンティンはクラーテルがエレナリーゼを救うと言っているという。
そんなバカな事があるわけがないと思いつつ、到底自分の娘と同い年とは思えない態度で、年上であるヴァレンティンとフランツの2人に絶対的な忠誠を誓わせているという光景を昨夜目の当たりにさせられた。
さらに、打つ手がなく、根本的な解決ができないのはわかっていた。大金貨6枚など、とても自分や夫を始めとするエレナリーゼ派、ひいてはクラーテル派全員が金を出し合っても用意できるわけがない金額だった。
それを、まだ5歳のクラーテルはどうにかするというのだ。本来ならただの戯言と一蹴したかもしれない。だが、今は藁にすら縋りたいというのがリリアの本音だった。
「ヴァレンティン、本当にクラーテル様はエレナリーゼ様を?」
「クラーテル様は絶対とは言わなかった。でも、可能性があるって言ってた。クラーテル様はエルシオール先生だって知らないことを知ってたりするんだ。だから、だからクラーテル様がそう言うなら俺は信じる」
ヴァレンティンの目に宿るのは強い光。年下の者が上のものに抱く憧憬を、年下であるクラーテルに抱いている。クラーテルが言うのなら、何を置いても信じられる。そう、ヴァレンティンに言わせているのだ。
翻って自分たちはどうだろうか。用意できない金の話で互いに罵り合うことすらあった。根本的解決が無理ならクラーテルの後ろ盾をどうするか。そんな話のほうが主眼に置かれつつあるという有様だった。
「わかったわ、母さんも信じるわ」
幼いクラーテルが何こそ言い出すかはわからないが、それに賭けよう。リリアはそう決めた。もし、到底無理なことならそれを諭せばいい。
そうして待っているとドアが勢い良く開け放たれ、クラーテルがフランツを引き連れて戻ってくる。
「すまないな、リリア。母さまのこともあって忙しいというのに」
「いえ、クラーテル様の命令であれば」
頷きながらクラーテルは部屋の中央に戻ってくるが、腰掛けたりはしない。その暇すら惜しいとでも言わんばかりの態度だ。
「昨夜の話を聞いて、聡明なリリアなら既にわかっているだろうが、母様を助けるのに金が必要だ」
大金貨6枚という、リリアたちからすれば途方も無い金額をピュグリの妙薬を購入するために要求されている。
「存じております」
こちらの表情を見て、クラーテルは安心するようにと笑顔を見せる。まだ幼いクラーテルに気遣われるほど、こわばった顔をしていたようだった。
「大丈夫だ、何もお前に金を出してもらいたい。というわけではないんだ」
続く言葉に安堵し、同時に安堵した自分が情けなく、思わず唇を噛み締めてしまった。
クラーテルの何倍もの時間を生きているにもかかわらず、我が身の何と情けないことだろうかと。
「それでは、クラーテル様は私を何のためにお呼びに?」
「金を稼ぐための手段を考えている。そのために今から頼むものを用意してもらいたい」
そう言って、昨夜出した酒や、薪、銅で出来た壺や網などの材料を伝えられる。メモしようとしたが、覚えて用意するようにと厳命される。
「仮に人づてに頼むことがあるなら、すべての材料を1人に集めさせないようにしてほしい」
言われた内容を覚えながら、それらの材料くらいであれば人で揃えられると頷く。
「これくらいであれば、私でも揃えることができると思います」
多少なりと金がかかるものもあるが、大金貨6枚などという途方も無い金額から比べたら多少の出費と割り切れる程度で、後で派閥の人間から資金を募っても良い。
「そうか、それでは頼む。あと、ローズマリーやミント、カモミールの花を大量に、根絶やしにしない程度に集められる限り集めて欲しいのだが……」
どれも匂いの強い草花であり、その用途は不明だ。さらに、今後も使用するだろうから次に採取する時困らないよう残すようにと命じられる。
「かしこまりました。人手を用意して行います」
大量に必要というのであれば、リリアは自分の持ちうる権限で一人でも多くの人を使おうと人の算段を始める。
「出来る限り、信用できるもので行ってもらいたい。言いたくはないが、先んじられるとこちらの価値が下がり、母様を助けられない恐れが出てくる。私がヴァレンティンやリリア、そして師にしか伝えていないのもそのためだ」
信用できる人間にだけ、とクラーテルは言う。希少だから価値が出るだろうものを他者が先んじて真似をしたらと。
リリアは確かにと頷く。エレナリーゼ・クラーテル派は少なく、多くがアグリッピーナ・ウラガン派であった。それと、僅かに伯爵の弟であるソスラン派がいる程度。
人海戦術を取れば早急に大量の草花を集めることは可能だ。だかしかし、それはアグリッピーナの耳に届いてしまうことだろう。そして、このままエレナリーゼに死んでもらいたいアグリッピーナはこの計画を潰しにかかるはずだ。
本当に先見の明があるとリリアはため息が漏れ出そうだった。
「そうそう簡単に真似られるとは思わないが、念のためだ。信用できるものの判別は私がするより、リリアが行うほうが確実だろう」
そこでリリアは自分が信用されていることを知る。クラーテルの母であるエレナリーゼの筆頭侍女長としての誇りが刺激される。
クラーテルとしては侍女や派閥のことなどほとんどわからないので、わかり、かつヴァレンティンの母ということで信用できるリリアに任せただけだったのだが、当の本人が気づくことはなかった。
「かしこまりました。できうる限り信用のおける人間を使い行います」
屋敷の侍女の多くはアグリッピーナ派に付いていた。出身の家などがそもそもアグリッピーナ派の人間が多いのだから仕方がない。さらに、先日ミューズを患い臥せったことから、先がないエレナリーゼよりアグリッピーナへとさらに人が流れてしまった。
しかし、災い転じて福となす。そんな状況に陥ってもエレナリーゼ派にいるという人間のほとんどはエレナリーゼ派から抜け出ようと思っても抜け出れない事情があるものか、エレナリーゼに忠義を尽くしている人間ということになる。
「僭越ながら私に何を作る予定なのか、お教え願いませんか?」
クラーテルは「言っていなかったか」と前置きをして口を開く。
「"蒸留酒"と"エッセンシャルオイル"、そして"フローラルウォーター"だ」
名前だけ聞いてもわかるものではなく、はぁ、と間の抜けた声をリリアは出してしまう。
「簡単に言うと強い酒と、強い香りのする水や油だと思ってもらえればそれでいい」
誰にも言わないように、とクラーテルは念押しをしてくる。強い酒と匂いのする油と水。それでどれだけ稼げるのかわからないが、何もできない自分たちが非難できることではない。
「かしこまりました。私では理解が及びませんが、クラーテル様がそのように言われるのでしたら決して、他言いたしません」
クラーテルは頼んだと言った後、早急に用意してほしいものを伝えてくる。
「壺と、薪、酒は少量でもいいから早急に頼む。こちらもその間準備をしておく。用意でき次第、エルシオール先生の部屋へ持ってくるように」
優先順位をつけ、酒と草花、薪は逐次持ってきてくれれば良いと言う。
「かしこまりました。すぐに手配いたします」
「苦労をかけるが、頼んだ」
そう言い残し、クラーテルはフランツとヴァレンティンを引き連れて出て行く。
その、クラーテルの幼いにもかかわらずその堂々とした様を見て、自分がエレナリーゼと同じストリカザー公爵領の出身であるという身内びいきなど差し引いてなお、異母兄であるウラガンを上回っていると確信できるのだった。
クラーテルと別れたリリアはすぐに人の振り分けに入る。エレナリーゼの世話をするための人間、屋敷の掃除などするために必要となる人数、最後に酒の買い出しとクラーテルに頼まれた野草の採集をする人間だ。
エレナリーゼの世話と屋敷の掃除をする人間は侍女でなければまずい。酒と薪の買い出しはリリア本人若しくは金銭を与えることに信用がおける人間でなければならない。
だが、野草の採取は必ずしも侍女でなくとも良い。信用がおける人間であるのなら、問題はない。
つまり、エレナリーゼ派の子女や手が開いているのなら旦那衆を使っても問題ないのだ。
問題は、その人数を動員するために今から人を呼んでも間に合わないということと、旦那衆は花の種類などわからなさそうだということだった。
今日は先ほどクラーテルに頼まれたものを用意し、実物をいくらかもらって旦那衆に教え込み、その上で明日から動員していくしかないとリリアは考える。
リリアはクラーテルに感謝する。今朝方まではどうしよう、どうすればいいのか。そんな暗い考えばかりが頭を支配していた。しかし、今はクラーテルが示してくれた僅かな光に向かって前進することができている。
クラーテルの策が成功するか失敗するかはわからないが、今は全力で事に臨むと固く心に誓うのだった。




