第一話 あざと可愛い同居人と、教え子な猫耳少女。
暖炉にくべられた薪が割れる、パチパチという音が部屋に響く。
シンプルな木造建築。その室内は、家具や調度品の殆どが暖かみのある木製の物で統一されていた。
木目の多いその部屋は、しかし要所に同居人の趣味である花が飾られ、シックでありながらも生活感や優しい雰囲気が満ちている。
そんな暖かさを感じさせる部屋の中、俺は椅子に腰かけてまったりとした午後のひと時を満喫していた。
異世界に来て早三ヶ月。ファンタジーな物語に良くある冒険をする事もなく、どうやら今日も俺の日常は平和らしい。
日本とは違い、この世界ではまだ電気などが普及しておらず、その為日中であっても部屋の中は少し薄暗い。
室内灯はあるけど、明るい内から消耗品のそれを使ったりはしない。
別に貧乏で生活に困っている訳じゃないが、そんな贅沢をするぐらいなら節約してその分美味しい物を食べようと考えるぐらいの生活レベルではあった。
カタカタと何かが鳴る音がする。
そちらに視線を向けると、風が窓を揺らしている音だった。
この国は今『寒季』と呼ばれる文字通りの寒い季節に入っている。今家から一歩外に出れば、風の冷たさに身を震わせる事だろう。
外の寒さを想像したせいか、ぞくりと背筋に寒気が走った。カップを両手で包むように持つと、誤魔化す様に温かい紅茶を一口啜る。身体が内側から温められる快感に、思わずほうと息がこぼれた。
少しの隙間風はあるものの、暖炉のおかげもあって寒々しい外とは比べ物にならないほど過ごしやすい部屋の中。まるで暖かい家に守られている様な、そんな少しの優越感を感じつつ、椅子に座ってのんびりと温かい紅茶を飲む午後。
ああ、そんな小さな当たり前が幸せだと思えるこの生活が、俺は結構気に入って――と思った所で勢いよくドアが開けられた。
「ただいまー!」
ドアが開けられると同時に響いた、可愛らしく元気のよい声。そちらに目を向けると、人のまったり幸せムードをぶち壊しつつ帰宅なされた女の子は、元気よく手を上げながら輝く笑顔を浮かべていた。
彼女の名前はクゥ。同居人であり家主であり、自分の命の恩人でもある。
身長が一五〇から一五五センチ程度の彼女がしゅたっと手を上げている姿は、十二~十三歳ぐらいの元気な中学生にしか見えないのだが、実際には十六歳でこの国では立派な成人女性である。
くりくりっとした大きな瞳が特徴的な幼くも可愛らしい顔立ちをしており、短いと男の子に間違われるから、という少し悲しい理由で伸ばしている茶色の髪は、肩にかかるぐらいの長さで毛先が少しゆるふわっとしている。
まあこの際幸せムードを壊したのは良い。正直どうでもいい。そんなことより、彼女の後ろには開け放たれたままのドアがある。窓を鳴らすぐらいには強い風が吹いている現在、もちろん開放中のドアからは冷たい風がどんどん入ってきている。早い話がすごく寒い。
「おかえりなさいそして寒いからすぐにドアを閉めなさい早く」
「そんな早口で言わなくても……。ほんと寒がりだなぁダイチは」
「そう言いながら閉めないのはなんでなのかな? いじめなのかな?」
いやほんと早く閉めてよ。何やれやれって感じのポーズしてんの?
じとっとした目を向けながらもう一度「閉めて」と言うと、ようやくドアを閉めてくれた。なぜかふふんと機嫌良さげに。もしかしてサドなのかな?
「あ、紅茶飲んでる。私もほしいなー」
サド疑惑が発生している事も知らず、クゥは着ていたコートを入口近くの洋服掛けに掛けると、てこてこと俺のいるテーブルに寄ってきて定位置である向かい側に座った。
クゥの言葉をわざと無視しつつ、ずず、と音を立てながら紅茶を飲む。
すると外が寒かったせいだろうか、少し赤くなっている頬をぷくっと膨らませながらこちらを睨んできた。あらかわいい。
「……こーちゃ、ほしいな」
再度棒読み気味で言われたセリフ。分かりやすく変換するなら「紅茶はよ」である。
……しかしなんだ。ほっぺたをテーブルにつけてこちらをいじけた様に見てくる彼女は、なんというかあざとかった。
これ素でやってんの? もしそうならお兄さんびっくりなんだけど。計算しててもそれはそれでびっくりだけど。
「……はいはい」
仕方ないなぁとため息吐きつつ立ちあがると、おっくうそうな雰囲気を出しつつキッチンへ向かう。あくまで仕方なくという感じで。別にあざと可愛さに負けた訳じゃないんだよ? という気持ちを込めて。
まあもともと紅茶を入れるのが嫌だった訳じゃない。無視していたのはなんとなく彼女をいじりたかっただけだったりする。
さてと、と呟いて魔術具(コンロ)に火を点ける。
最初はびっくりした魔術具も、今では当たり前の様に使えるようになった。
一番最初この家に来た時なんて、紅茶を入れようとして火災事故を起こしそうになったのに、今ではちゃんと家に火を点ける事無く紅茶を入れる事が出来ている。
人はちゃんと成長する生き物なんだなって思いました。
思えば今こうして毎日の様に紅茶を飲んでるのは、あれがきっかけだったんだなぁ。
火災未遂を起こしつつ入れた一番最初の紅茶。あの時の紅茶の味は、今でも鮮明に思い出す事が出来る。
……というよりは、むしろ忘れられないと言った方が正しいか。
「どしたの?」
「え、何が?」
「いや、だって今笑ってたから」
「あー……いや、一番最初紅茶入れた時の事思い出してさ」
「あぁ、あの時のことねー」
彼女も当時の事を思い出したのか、くすくすと笑い声が聞こえてくる。
「あれはひどかった」
「ねー、びっくりだったね」
俺の『ひどかった』は紅茶の味についてだけだが、彼女の『びっくりだった』という感想には火災未遂も含まれているようだ。ほんとごめんなさい。
食材どころか調味料の一つもなかった当時のこの家に、何故か置いてあった紅茶の茶葉。かびてはいなかったけど、恐らくは湿気ていたんだろう。知識も無いのに入れたそれは、ぬるいしえぐいしはっきり言ってめちゃくちゃ不味かった。紅茶ってこんなに不味くできるんだなぁと逆に感心までした。
「でも今では美味しく入れられるもんね」
「ああ、お隣さんが教え上手な人で良かったな。感謝するんだぞ」
「……ん? なんかおかしい気がするけど……まあいいや」
話しながらも自然と手は動き続ける。ポットを火にかけて、お湯が沸くまでの間に彼女用のカップを棚から出しておく。
手に取ったピンク色のかわいいデザインのカップは、彼女に良く似合っていた。
「でも、あれはあれで好きだったよ」
取り出したカップを軽く洗いつつ耳を傾ける。当時を思い出しているんだろうか、クゥの声はどこか寝言のようにふわふわしていた。
しかし舌が痺れるようなあの味を好きだとか、さっきはサドだと思ったけど、もしかしてマゾの方なんだろうか。
すると俺がくだらない事を考えてると分かったのか、不機嫌そうな声で「味じゃなくてもっと気持ち的な意味でだからね」と言われた。
「誰かにお茶入れてもらうなんて初めてだったから、嬉しかったんだよ」
初めて入れてもらったお茶があれだったのか。
小さい子に飲ませたらトラウマになるかもしれないレベルで不味かったが、どうやら彼女にとっては良い思い出になっているらしい。
しかしまあ彼女の言葉は素直に嬉しい。
照れくさいから真面目に返したりはしないけど。
「さいですか」
「むぅ……なんか返事がそっけない」
素敵な思い出に浸ってます的なモードに乗ってこないのが不満なのか、ふてくされた様な声ともぞもぞと身をよじる音が聞こえてくる。
まあトラウマうんぬんは冗談としても、あの渋苦い紅茶を嬉しかったと言ってくれる彼女の為に、せいぜいおいしい紅茶を入れるとしよう。
そんな俺の思考に答える様に、丁度良くポットの表面に描かれた鳥の模様が赤く変わった。
このポットは中に入っている液体の温度によって、描かれた鳥の模様の色が変わる仕組みになっている。高温になればなるほど赤くなり、冷たければ青くなる。
これを作ってくれたおやっさんに聞いた話では、温度に反応して変色する魔術液で模様を描いているらしい。
さっそく沸いたお湯をカップとティーポットに注いで温める。手早く注いだお湯を捨てると、茶葉の入った箱を手に取った。
ティースプーンで茶葉を一掬いする。茶葉にもよるが、今俺が入れようとしている種類はティースプーン一杯で一人分だ。
透明なティーポットに一人分の茶葉をさらさらと入れる。
そういえば自分の紅茶はもう冷めちゃってるだろうなぁ、と気付いて茶葉一杯を追加投入。
綺麗に鳥が赤く染まったポットを手に取り、さあティーポットにお湯を注ぐぞ、といった所でコンコンとドアがノックされる音に手を止められた。
ポットを一旦置いてドアの方を見ると、同時にもう一回コンコンとノックされる。
なんだろう、もしかしてN○Kの集金だろうか。
異世界にまで集金に来るとは流石NH○。
「せんせー! いないんですかー?」
どうやら最近の○HKの集金の方は先生と呼んでくるようだ。
しかしなんか選手宣誓みたいだねその言い方。
そんな風に馬鹿な事をつらつらと考えていると、少し焦ってるのかドアをノックする音が大きくなった。
「せんせー! ノアですー! ホントにいないんですかー!?」
バカな思考で現実逃避していたが……仕方ない、なんか面倒事っぽいけど出るしかないか。
そう思った所で違和感に気付いた。いつもなら「どうぞ開いてるよー」とすぐに答えるはずのクゥがさっきからずっと黙っている。
自然とクゥの方を見ると、彼女も俺を見ていたらしく目が合った。
「……なんで黙ってるの?」
「へ? だってダイチがドア見たまま難しい顔して黙ってるから、返事しちゃしけないのかと思って……」
ああ、そういう気遣い的なやつですね。
クゥは気を許した人には甘える事が多いが、基本的には気遣い屋さんだ。どうやら空気を読んで黙ってくれていたらしい。
でもごめん、男って真剣な顔で馬鹿なこと考えたりする生き物なんだ。
「うぅ……ホントにいないんですかー!?」
どうやら俺とクゥの会話は聞こえなかったらしく、ドアの向こうの声に少し泣きが入り始めた。
「せんせー!」
「いませーん」
「いるじゃないですか!?」
「ノアちゃんドア開いてるよー」
特に黙っている理由などない事に気付いたらしいクゥが、ノックの主を招き入れる。
すると直ぐに「おじゃまします!」という声と共にドアが開かれた。
入ってきたのは銀色の髪をした可愛い女の子。
日本ではほとんど見る事の出来ない天然の銀髪。しかしそれよりも目を引くのは、彼女の頭にちょこんと生えている猫の耳だ。
名前はノア・アルダートン。彼女は『獣人』という人間と獣の特徴を合わせ持った種族だ。
一言に獣人族といってもその見た目は様々で、彼女の場合は猫の耳としっぽがある以外は人間と変わらない。
身長はクゥより少し高いぐらいで、おそらく一六〇センチ手前ぐらい。
髪は透明感のある白に近い銀色で、髪型は女の子らしさを保ちつつも元気の良さを感じさせるショートボブ。
目は少し吊り気味で、瞳の色は宝石の様に鮮やかな緑色だ。
勢いよく家に入って来たノアは、俺よりも入口近くに座っているクゥにぺこりと一度頭を下げると、すぐにこちらを『私怒ってますよ!』という感じで睨みつけてきた。
「もう! せんせいはなんでそうやってすぐイジワルするんですか!」
「ごめんごめん、ノアはイジりやすくて反応が良いからつい」
「なんですかその理由は!? 全然謝る気ないじゃないですか! だいたいせんせいはいつも――」
思わず本音で返事してしまった所、どうやら余計に怒らせてしまったようだ。こちらに詰め寄りながらガミガミとお説教が始まってしまった。
しかし細い手をぶんぶん振りながら注意してくれるノアを見るのは結構楽しいけど、何か急ぐ用があって来たんじゃないんだろうか。
でも怒らせた本人がお説教を止めるのもなぁと思い、仕方なくちらりとクゥに視線を送る。
すぐノアに戻した視界の端で、クゥが小さくため息を吐くのが見えた。
「私はこれでもせんせいを尊敬してるんですよ! それなのにせんせいときたらいつもいつも――」
「あー、ノアちゃんノアちゃん」
「……なんでしょう」
息継の瞬間を見計らったクゥの声に、ノアは説教を中止して不満げな表情でそちらを見る。
クゥの完璧な仕事に、思わずノアの後ろからサムズアップを送ると『おまえ きょう おやつ ぬき』という視線が返ってきた。情報量多くないですかね。
「えーと……怒る気持ちは分かるんだけど、なんか用事があって来たんじゃ……?」
「……っ! そうでした! 大変なんです!」
クゥの言葉に本来の目的を思い出したらしく、ノアは猫耳をピーンと立たせて勢い良くこちらを振り向いた。
「狼人族とドワーフの人がケンカしだして、最初は一対一だったんですけど、途中から同調する人が出てきて、止めようとしたんですけど私じゃ妖精言語はまだよく分からなくてっ」
「あー、分かった分かった」
止められなかった自分を責めているのか、瞳をうるませ始めたノアの頭をぽんぽんと軽く撫でる。
一気に喋って少し息を切らしている彼女に、落ち着かせる為なるべく軽い声に聞こえるよう意識しながら言う。
「大丈夫だから、そんな泣きそうな顔しないの」
「うぅ……はい……」
くしくしと目を擦りながらの弱々しい返事だが、少しは落ちついたようだ。
落ち着いて今度は恥ずかしくなってきたのか、耳をピクピクさせて頬を赤く染めだしたノアから視線を外すと、既に椅子から腰を上げていたクゥを見る。
「という訳なんで、一緒に来てもらって良い?」
「仕方ないなぁ……まあ、これでも警備隊長だからね」
なんと答えるか知りながら聞いた俺に、クゥは悪戯っぽくニッと笑って答えた。
そんなノリのよいクゥに頼もしさを感じて笑い返すと、二人に一声かけてコートを取りに自室へ向かった。
途中ちらりと視界に入ったポットは、鳥の模様が既に青くなっていた。帰ってきたらまた沸かし直さないと……。あ、そういえばティーポットに茶葉入れっぱなしだ。色々と連鎖で思い出してしまい小さくため息が出る。
戻ってきたら温かい紅茶を飲もうそうしよう。小さく心に誓いながら自室のドアを開ける。椅子の背に掛けられたコートを手に取り、さてと、と口の中で呟いて軽く気合いを入れた。
自室に放置されていたせいで冷え切っているコートに袖を通す。その冷たさに外の寒さを思い出してしまい、少しだけ胸のあたりが重たくなった。
鋭く息を一つ吐き、そんな寒がりな自分を誤魔化すと、二人が待っているだろう玄関に早足で向かう。
玄関で準備万端整えて待っていた二人に「おまたせ」と言いながら軽く手を上げる。
すっかり元気を取り戻したらしいノアは、ふんすと鼻を鳴らしながら力強くこちらを見てくる。
対照的にクゥは自然体で、だからこそ頼もしさを感じる。まあ俺の寒がりを知ってるせいか、こちらを見ている瞳には少しやれやれという感情が含まれている気がするけど。
「んじゃ、行こっか」
俺の軽い声に、ノアは不満げな表情を浮かべ、クゥは苦笑しつつ玄関のドアを押し開いた。
可愛い教え子兼お隣さんのノアの為、温かい紅茶を所望していたクゥの為、そして何より俺の平和な日常の為に、せいぜい早く終わらせられる様に頑張りますか。