人助けにはご用心
くっ殺せと女騎士はセット運用
ミド王国を中心とする魔王討伐軍と遥か地底の異界より攻めくる魔王軍との戦争は永きに渡っていた。だが討伐軍の多くを占める人間より遥かに長命な魔王軍を相手に、戦争が長引く程に人類は不利な形勢へ追い込まれていた。
その状況を覆すべく、ミド王国は古より禁忌とされてきた異世界より黒髪黒目の異世界人召喚を行った。
異世界人の寿命はこの世界の人間と変わらないが、剣術、魔術あらゆる分野において他に類を見ない才覚を有していた。
そしてある一人の召喚者は勇者と呼ばれ、討伐軍の希望を背負いエルフの里へと赴く道中であった。目的は魔物が跋扈する異界が人に及ぼす悪影響を軽減すべく、聖なる加護を受けるためである。
そしてエルフの里を訪れるには、ミド王国から遥か東方にある大陸の外れ、聖霊封じの大森林を抜ける必要があった。
「おや?」
勇者となりし青年の耳に、微かだが人の息遣いが聞こえた。かなり乱れた呼吸、そしてそれを追うように下卑た笑いが追従していた。
――――――
「あッ!」
草木生い茂る足元に木の根が伸びていることに気付けず、女騎士は身に着けた甲冑を激しく鳴らして転倒してしまった。
甲冑には裂傷や欠損もあり、防具として万全ではない。金色の長い髪も白い肌も泥に塗れており、身なりを整えれば美しい騎士に違いない女には、今はそのような余裕などなかった。
剣を取り落とした彼女は自分の足を絡めとった木に這い寄って背を預けた。
彼女を追い回していたのは、屈強な肉体とおよそ人とは似つかない家畜のような顔をしたオークであった。
「くっ殺せ!」
戦うすべを失いここで散る自分の運命を悟ったのか、屈辱を浮かべた表情でオークを睨みつけていた。
「オークックック……殺すなどつまらんことをするはずがないだろう」
オークは手にしていた棍棒をその場に捨てた。
武器を手放して何をするというのか。
次にオークが手を掛けたのは己の腰巻きだった。
女騎士の顔が恐怖に引きつった。何をされるのか、否が応でも脳裏を過ぎったからだ。
「くッ……ふごぉ!?」
辱めを受けるくらいならば死を選ぶ。意を決した女騎士は瞳を強く閉じ、己の舌を噛み切ろうとした。
だが決死の自害は口に捩じ込まれた腰巻きによって遮られた。
「オークックックック……死体を犯すのは生身が耐えられずに絶命した後だ……たっぷりとかわいがってやる……」
大粒の涙を浮かべる女騎士の眼前に何も身に着けていないオークの腰が迫った。醜悪な形と強烈な臭いを放つものが女騎士の肌に触れるかという時、オークの胸から体液が飛び散った。
「オォーック……?」
血が女騎士の頬を染め、ぐらりとバランスを崩した巨体がどさりと地に横たわった。
「あ……」
恐怖には次第に驚きの色が混ざり、女騎士は倒れたオーク、次いでその魔物を刺した剣を携えた青年へと目を向けた。
「大丈夫ですか?」
黒髪黒目の勇者の青年は手を差し伸べた。だが未だ呆けているのか、女騎士はなかなかその手を取ろうとしない。
その内に今しがた刺し倒したはずのオークの呻き声が聞こえた。
「やれやれ。まだ死んでいないのか。女性を辱めようなんていう怪物はさあ!」
青年は再び剣を構えると、地に伏したオークの首目掛けて切っ先を突き立てる。
「…………え」
青年の視界は大きくぶれた。何が起こったか把握する間もなく、異世界より召喚されし勇者の青年は胴体から首を切り離され、絶命した。
「あなた!」
たった今己が首を切り飛ばした青年の死に様には目もくれず、女騎士は傷付き倒れるオークに駆け寄り涙を流した。
「うぅ……」
「大丈夫!?」
「ああ……この鍛え抜いた大胸筋のおかげで何とか流血は止めることができたよ」
素っ裸で倒れていたオークは自分の逞しい胸を親指で指し示し、内縁の妻に無事であることをアピールした。
「良かった……それにしてもこんなところまで勇者が来るなんて」
「もう女騎士追い剥ぎプレイはここではできんな……」
のそりと立ち上がったオークは妻の吐き出した腰巻きを身に着ける。と、殺した相手の懐を弄る妻の姿が目に付いた。
「何をしてる?」
「金目の物を持ってないかと思って」
「おいおいそんなものがなくても暮らしには不自由しないだろ」
「けど少しは自由な生活をするには金は必須よ」
女騎士は首のない死体から金貨や金になりそうな装飾品を剥ぎ取ると、小袋に詰めて夫に投げ渡した。
「あなたもたまには小奇麗に着飾った女を抱いてみたいでしょ」
「俺はお前以外を抱くつもりはない」
「だから」
女騎士はオークに詰め寄り、鍛えぬかれた夫の腹筋に鉄の胸当てを当てて見上げた。
「私のことよ」
少し照れたが、夫は妻の気遣いに胸と股間を震わせながら幸せな口づけを交わした。
――――――
この一件は少しずつ森に棲むオーク仲間へ広がった。
異世界から勇者が呼ばれ、この森を目指している。
これまで争いから逃れ暮らしてきたオークや女たちにとってそれは悲報かと思われた。
だが違った。
勇者が帰ってこないことに焦った討伐軍は、その生死を確かめるよりも新たに異世界人を呼び寄せることを選んだ。
次から次へ押し寄せる勇者を、森に棲む者たちは同じ方法で襲いその金品を強奪したのだった。
これが世に言うくっ殺詐欺の始まりであった。
「これを始めて生活が豊かになりました」(22歳・女騎士)
「妻と一緒なら勇者に襲われても怖くありません」(358歳・オーク)
「夫が敵の気を引くために刺された時は深い愛情を感じました」(二十六歳・女魔導師)
「傷を負った後は夜の営みも燃え上がります」(56歳・ゴブリン)
「最近はあまり高価なモノを持っていないのが悩みですね」(2973歳・ロリババァ)
「処女がいない」(年齢不詳・ユニコーン)
くっ殺詐欺が流行り数年の時が経った頃、近くの村に買い出しに行った女騎士はある噂を耳にした。
急ぎ聖霊封じの大森林にある我が家に帰ると、夫にその話を伝えた。
「大規模な森狩りが?」
「ええ」
夫の上で腰を振りながら、夫の体に刻まれた無数の傷に指を這わせた。それは彼女らがくっ殺詐欺を始めてから刻まれた傷の数々。生活のために負った勲章のようなものである。
あの日以来少しずつではあるが薄暗い自宅の洞穴に調度品が増えていった。今では寒村の民家よりも立派な佇まいをしている。
「あくまで噂だけど、もし本当だったならばもう森を通る者を襲うのは……はぁッ、ちょ、話してるのに」
「真面目に話すつもりなら最初から誘うんじゃない」
とは言いつつも、夫は体位を入れ替えて妻に覆いかぶさった。毛布の中で二人の体が怪しく絡み合う。
「はやく、他の人にも……んうっ!」
「知らせた方がいいだろう」
「ああっ! あなた!」
寝床が壊れるのではないかという程激しく軋ませた二人はようやく動きを止め、愛おしそうに互いを抱きしめた。
夫と呼んでいるが二人の間に婚姻関係はない。それはこの森に棲まう夫婦の殆どがそうである。
異種間婚姻が認められていない世界ではない。だがそれが世間では敵対する陣営の者同士であるならば認められるわけがない。
この森ではそういう世間では到底受け入れられぬ恋に落ちた者が集う最後のユートピアであった。
しかしそれもくっ殺詐欺が横行したために終わりを迎えるかもしれないのであった。
夫のオークが森の者と話をしに行っている間、妻の女騎士は川で洗濯をしていた。
洗濯と言っても洗うものは夫の腰巻きと自分の下着と衣服だけなので量は多くない。
「すん……っはぁ……」
そして洗濯は家事をこなす合間の楽しみの時間でもあった。
夫の腰巻きを洗う前にそれに染みつくむせ返る臭いを嗅いで自分を慰めることは、この森に棲む妻なら誰もがやっていることであった。
「ほっほっほ。今日も励んどるようじゃな」
「あら、こんにちは」
だから後からやってきたロリババァに見つかっても、女騎士は特に慌てることなく応対した。その間も女の手は忙しなく動かしているのだが。
「噂は聞いとるよ」
「森狩りのことか」
ロリババァは頷いた。ちなみにこのロリババァ、どこに出掛けるも裸で衣服を着ていたところは見たことがない。少なくとも女騎士がこの森に来た時からロリババァの格好は裸しか拝んだことはない。
「もし森狩りが事実なら、くっ殺詐欺の発案者として私は責任を」
「気に病むでない。後から真似したのは儂らじゃ。罪を被るというのなら儂らも同罪じゃて」
だから気に病むなと告げ、ロリババァは去っていった。
洗濯物をしに来たわけではない。ただここへ来てそれを言いたかっただけなのかもしれない。
女騎士はロリババァの心遣いに感じ入りながら、洗濯を終えてネグラへと戻ろうとした。
「むっ!」
その時、川に何か落ちる不審な音を聞き、女騎士はそちらへ様子を伺いに駆けた。
鎧を身に着けていない軽装のため、地を駆ける獣のように速かった。
「これは……子どもか」
川に落ちていたのは黒髪黒目の、まだ年端もいかない幼い少年だった。年の頃は十もいかないのではないか。
何故こんなところにと思ったが、すぐに理由を察した。
黒髪黒目は異世界人の証。
つまりこの少年は異世界から呼び寄せられ、この森の先にあるエルフの里を目指してきたということになる。
だが、と女騎士は疑問に思う。
このような少年が自身の意志でここまでくるだろうか。
訝しく思いつつも少年を放っておくこともできず、女騎士は少年を自宅まで運んだ。
――――――
「このような子どもが……」
後から帰ってきた夫に事情を説明すると、彼も幼い少年が一人で森に倒れていたことに心を痛めたようだ。自愛に満ちた瞳は魔王軍にいる魔物たちとは全く違うものである。
「……実は話し合いの時、女魔導師の夫から妙な話を聞いてな」
「妙な話?」
「うむ……どうやら俺たちがくっ殺詐欺を働いていたせいで世間では討伐軍と魔王軍の力の均衡が崩れてきているらしい」
「……勇者が戻らずに討伐軍の疲弊が進んでいる、と」
「ああ。こんな小さな子どもを送り込んできたとなると、いよいよ討伐軍も切羽詰まってきているのかもしれん」
「……」
女騎士は思案した。このまま世界のバランスが崩れてしまえば、争いとは無縁に過ごしてきたこの森にも火種が飛んでくるかもしれない。そうでなくとも、討伐軍が送り込んできた異世界人が一人も帰らずに姿を消している。
こうなるとエルフの里の道中にある森に目を付けられてもおかしくないし、森狩りの噂も信憑性を帯びてくる。
「……我々でこの子を勇者に育てよう」
「何を言い出す?」
「この子に討伐軍を導く勇者になってもらうのだ。そうすればエルフの里を目指す者もいなくなるし、くっ殺詐欺にあう者も迷い込んだ旅人以外にいなくなる」
「いやしかし」
「何も考えずくっ殺詐欺をやってきた私たちにばちが当たったのだ……ならばそれを被るのが私の役目さ」
「何を言っている……私じゃない、私たちだ」
「え?」
「俺とお前は心と体を許し合った夫婦だ。お前の罪は俺の罪。お前がばちを被るとういのなら当然俺もだ」
「あなた……」
そして二人は幸せなキスをしようとした。
「おっと! 私たちもいるわよ!」
「お前は……女魔導師!」
「ケヒヒ。お前たちばかりにいい格好はさせねえぜ!」
「ゴブリン! お前もいたのか」
「まったくあんた一人が気に病むなと言ったじゃろう」
「ロリババァ!」
「処女がいない」
「ユニコーーーン!」
オークの家に続々と集まる友人たち。
こうして一人の少年を心優しき世界最強の勇者として育てエルフの里へ送り届けるべく、三人の乙女と三匹の魔物が少年を連れて冒険の旅へと出るのであった。
続かない。