教会の仕事
「では、みなさん、こちらに順序良くお並び下さい。スープは熱いので気をつけて下さいね」
シスター・アンの声に、広場に集まった人々はぞろぞろと動き始めた。リンは大きな寸胴鍋をかき混ぜ、器にお玉ですくって入れた。
最初に並んでいた、浮浪者風の男性に器を渡すと、男性はぺこりと頭を下げた。
「ケントとマリアはこっちでパンを配ってね? 一人ロールパン二つ、よ?」
リンが声をかけると、双子は揃って頷いた。
「「はい」」
ケントとマリアは、スープを受け取った人にパンを渡した。
ここの広場は、市の中央地区に比べると、整備がイマイチ、だった。石畳もところどころ、剥がれたまま、になっている。集まった大勢の人達も、大半は家を持たない浮浪者だろう。薄汚れた服装に、穴の開いた靴、痩せた身体……その人達が、スープとパンを嬉しそうに食べていた。
リンは休みなく具沢山のスープをよそいながら、ここ一週間の事を思い返していた。
***
――「教会が人手不足」というのは、嘘でもハッタリでもなかった。
まず、教会や礼拝堂の掃除。それが済めば、各ブロックへの慰問、見回り。一週間で、リンの靴は一つ履き潰れていた。
(本当、この街の隅々まで歩きまわった感が……)
ミサのある日はミサの準備、結婚式やご葬儀のある日も準備、教会に相談にくる人々への対応、ストリート・チルドレン達の保護……休む暇もない。
今日は今日で、スラム街での食料配給だ。まだリンは見習いのため、この程度の労働だが……
(あの男、本当いつ寝てるの……?)
朝から晩まで、街中駆けずり回って、夜は本部教会への集まりとかに顔を出している。夜遅くまで、書類に向かってる姿も何度か見かけた。
――『神父の顔』の彼は、笑みを絶やした事がない。あれだけ人の悪意に敏感なケントとマリアも、あの男には懐いている。身を粉にして人のために奉仕する神父、ミカエル=L=ブルーアイズ。
……そう。彼の、あの『笑顔』は本物だ。慈悲深さも、優しさも。作ったものではない。
(本物なだけに……納得いかない……)
なんなのよ、あの落差は。あのギャップは。リンは口元が歪みかけ、慌てて頭を軽く振って、気持ちを切り替えた。
「まあ、神父様!」
シスター・アンの声に、リンの肩がピクリ、と動いた。
立ち並ぶ人々に声をかけながら、こちらに歩いて来る、黒い神父服の天使。皆、ミカエル神父を見て、尊敬と……どこかすがるような笑顔を見せていた。
(これだけの思慕を……尊敬を集めるって……)
負担じゃないのだろうか。ふと、そんな事思った時、ミカエル神父と目があった。
――ふっと微笑まれて……思わず頬が熱くなった。リンはぷいっと視線を逸らした。
(な、なんか、くやしいっ……!!)
こちらの事を、全て見透かされている様な、青い青い瞳。じっと見ていると、囚われそうで、怖い。
「シスター・アン、リン、ケント、マリア、ご苦労様です」
「神父様、会合は終わりましたの?」
にっこりと微笑む彼の姿に、リンの頬がますます熱くなった。
「……ええ、滞りなく。こちらを手伝いますよ?」
「まあ、お疲れでしょうに。神父様は先にお戻りになって……」
シスター・アンの言葉にも、ミカエル神父は笑いながら首を振った。
「人数が多い方がいいでしょう。私は大丈夫ですから」
腕まくりをしたミカエル神父が、リン達の後ろにあるコンロに近づき、寸胴鍋を持ちあげた。
「……リン。スープが足りなくなってますよ? この鍋と交換します」
「……はい」
ケントとマリアの手前、無視はできない。リンは渋々小さく返事をし、空になった鍋を手に持ち、後ろへと下がった。ミカエル神父がリンとすれ違い、鍋を前のテーブルに置く。
「ここは私がしますから、リンは次のスープを作って下さい」
ミカエル神父がスープをすくって入れると、きゃああーと悲鳴があがった。
(何やっても、注目されるのね、この男……)
リンははあ、と溜息をつき、スープの材料をクーラーボックスから取り出した。
***
「……どうしました? リン」
天使の声に、リンはぶすっとした声で答えた。
「……どうして、私だけ、巡回に?」
ミカエル神父は隣にいるリンを見下ろし……にっこりと笑った。
「あなたに紹介したい人がいまして、ね」
「……」
リンは黙ったまま、ミカエル神父とスラム街を歩いていた。
――食料配布が終わり、教会に戻ろうとした時……
『シスター・アン。ケントとマリアを連れて帰ってもらえますか? ……私はリンと巡回に行きますから』
『げ』
思わず漏れた本音に、ミカエル神父の青い瞳がおかしそうに煌めいた。
『はい、わかりました。じゃあ、リン、気をつけてね?』
『リンおねえちゃん、行ってらっしゃーい』
うっ……逃げ場がなくなった。双子の手前、この男に突っかかるわけにもいかない。リンは引きつりながら『行ってきます』と皆に言うと、ミカエル神父の後を追った。
(でも……この辺り……)
番地が100番を過ぎている。かなり危ない地域だ。
――リヴォルヴァ・シティは、街の中心から円を描くように番地が大きくなっていく。一番中心が市庁舎のある1から10番街。その周りが、俗に言う高級住宅街。中間層は50番台以降に住んでいる。そして、100番を超える地区が……
(昔からのスラム街……この街の本当の姿ってわけね)
多分、一人で歩いていたら、あっという間に横道に引きずり込まれて、売り飛ばされると思う。でも……
(この男……ここでも……)
平然と歩くミカエル神父に、誰も手出しをしてこない。マフィア崩れっぽい男達も、「よう、神父サン」と親しげに手を上げて挨拶していた。
「……久しぶりですね、リック。たまにはミサにも顔を出して下さい」
「あんなおじょーひんな奴らばっかな所に、顔出すなんて、真っ平ごめんだね」
「それなら、いつでも教会に来て下さい。顔を見れば安心しますから」
「わかったって。……ったく、いつも五月蠅いやつだよなあ、神父サンは」
「それが性分ですから。……では、これで」
リンもぺこり、と挨拶して通り過ぎた。リンを見る目は、危険な気配も含まれてはいたが……
(この男の傍だと……誰も手出しできないんだ……)
不本意だ。ものすごーく不本意だけど、今、この男の存在に守られてる、私。
――……お前は、俺の獲物だ。いつか……俺が、お前を殺す。だからそれまで……
……お前に何人たりとも手を触れさせない。俺がお前を守る
(そう言った通りになってるってわけね……)
複雑……。リンは、はあ、と深い溜息をついた。
「あら、神父様じゃない!」
突然ハスキーな声が聞こえた。リンが顔をあげると……ミカエル神父の首に、真っ赤なネイルの白い手が巻き付いているところ、だった。
「……マダム・フィー。ちょうど良かった。あなたに会いに行くところだったのですよ」
「まあ、嬉しいわ」
派手な羽のついたつば広の帽子。腰まである真っ赤な巻き毛。ルージュも鮮やかな、赤。左手に下げられた、ビーズの鞄だけが黒い。赤のドレスを着こなしている長身のその人は、ふうわりとしたいい匂いを漂わせていた。
(この人……?)
リンが首を傾げていると、ミカエル神父がマダム・フィーの腕を優しく離した。
「……リン、こちらはマダム・フィー。この辺りでは、彼女の名を知らぬ者はいない、という名士ですよ」
マダム・フィーがじろり、と緑の瞳でリンを見回した。リンの顔は少し引きつったが、ぺこり、とお辞儀をした。
「……リン、と言います。聖ルイス教会で、シスター見習いをしています」
「ふうん……」
おもしろがっているような、声。
「マダム・フィーは、リヴォルヴァ・シティでも一、二を競うショー・クラブのオーナーですよ」
ショー・クラブのオーナー。確かにそんな感じ。リンはぼんやりと思った。
「ねえ、神父様? このコ、うちの店で預かりましょうか?」
「え?」
リンは目を丸くした。うちの店って……。
「うちは、子どもを男共のエサにしたりしないわよ? 教会から来たストリート・チルドレン出身のコも沢山働いてるの」
ふふっとマダム・フィーが妖艶に笑った。
「アナタ、結構可愛いわね。磨けばいけるわよ? うちの店でNo1になれば、贅沢出来るわよ~」
「あの……」
リンは戸惑いながら、言った。
「私、女なんですが……それでもいいんでしょうか?」
マダム・フィーが息を呑んだ。ミカエル神父がぷっと小さく吹き出す。
……やがて、ふう、とマダム・フィーが溜息をついて、リンを真っ直ぐに見た。
「……どうして判ったの? この姿にしてから初めてよ、性別がばれたの」
「男女では、骨格の形や筋肉の付き方がやっぱり違いますから」
リンの返答に、マダム・フィーは目を丸くし……やがて、高らかに笑い声を上げた。
「ふっ……はっはっは! アナタ、気にいったわ!」
「ええ!?」
むぎゅっとマダム・フィーに抱き締められたリンは、目を白黒させた。
「女でもいいわよ? うちに来なさいよ」
「あの……」
リンの答えを、ミカエル神父が遮った。
「……リンはだめですよ。いくらあなたの申し出でもね」
穏やかな声。……そこに潜む、明確な意思。
リンが感じ取った事を、マダム・フィーも感じたらしい。彼女は、すっと緑の瞳を細めた。
「まあ、いいわ? 今日は諦めてあげる」
にこっと笑い、手を離したマダム・フィーは、鞄から名刺を取り出し、リンの手に握らせた。
「あなたがその気になったら、いつでも連絡して?」
「は……い」
リンはまじまじと名刺を見た。金の縁取りの蝶々が羽ばたくように印書されていた。
「じゃあね、神父様?」
色っぽくウィンクした後、マダム・フィーはこつこつと足音を響かせながら、その場を立ち去った。
その後ろ姿を目で追いかけていたリンの耳元で、ぞくりとするような声が聞こえた。
「……連絡はしない事ですね? リン」
「……!」
ちゅっと、さりげなく耳元にキスをされたリンは、真っ赤になって飛びのいた。
「ななななな、なにするのよっ!!」
思わず辺りを見回す。誰かに見られたら……っ!!
くすり、とミカエル神父が微笑んだ。
「……誰も見ていませんよ? そんなヘマを私がするとでも?」
「……っ!! 変態っ!!」
真っ赤になって睨みつけるリンを見るミカエル神父の瞳は……どこか愛おしそう、にも見えた。
「さあ、行きましょうか。他にもあなたに紹介したい人がいますからね」
すたすたと前を行くミカエル神父の大きな背中を追いながら、リンは激しい心臓の動きをなだめようと、必死になっていた。