情報屋と神父
――目覚めた時、カプセルの中だった。中から操作して、透明の蓋を開ける。身体を包んでいた、どろりとした溶液が、床にこぼれ落ちた。
鼻と口を覆っていた、マスクをとって、カプセルから足を降ろした。床にぽたぽたと培養液の跡ができる。
――どこ? どこにいるの?
屋敷内を探す。いつもいる、書斎に向かう。
重い扉を開ける。
「……」
声をかける。返事は……ない。
書斎に足を踏み入れた、私の目に入って来たのは……
***
「……ん……」
眩しい。リンは二、三度瞬きをした。窓から、カーテン越しに白い光が差し込んでいた。
(もう、朝……?)
昨日は……捕まるは、脅されるは、襲撃に巻き込まれるわ、後始末手伝うわ……
(大変だった……)
暫くぼーっとしていたリンは……違和感に気がついた。なんだか……身体が重い?
「!?」
(う、腕が身体に乗ってる!?)
驚いて身体を起こそうとしたリンを、大きな手が引き戻した。またベッドに倒れこむ。
「な、なにしてるの、こんなとこでっ!!」
「……昨日はいろいろと疲れたので、癒されてました」
ちょっと、癒されてって!! なんなの、この男っ!!
知らない間に、リンの左隣に、ミカエル神父がうつ伏せに寝ていた。右腕をリンの身体に乗せて。しかも、上掛けがめくれた、その下は……
(じょ、上半身裸……っ!?)
背中の筋肉がなめらかに盛り上がっていて、綺麗……と見とれかけて、リンは我に返った。
「だだだ、だからーっ!! どうして、あなたが私のベッドにいるのよっ!!」
「……気になった、から」
「何が!?」
左ひじをついて、ミカエル神父がリンの方を見た。リンの顔が赤くなる。
ふっとミカエル神父が笑い、右手をリンの頬に伸ばした。
「……お前が」
「~~~~~~っ!!!!」
(こ、この天使の顔が憎いっ!!)
真っ赤な頬のリンは、わなわなと震えた。思いきり逞しい胸板を両手で突き飛ばして、ベッドから転がる様に、降りた。
「まだ、早いのに」
のんびりと欠伸をしながら、上半身を起こした彼は……美しかった。
(均整のとれた骨格に筋肉……それでこの顔……)
床に座り込んだリンは、つくづく光の神を恨んだ。
(ちょっと、与えすぎじゃないの、この男に……!!)
その代わり、性格は最悪だ。おまけに(忘れそうになるが)殺人者。
はあ、と溜息をついたリンを見て、ミカエル神父が眉を上げた。
「本当に、お前は退屈しないな……」
口調がまた変わった。
「……それが、そんなに重要なの?」
ミカエル神父がベッドから立ち上がった。上半身裸で……よかった、ズボンははいてくれていた。
――と思っていたリンは、いきなり、腕を掴まれていた。上に引っ張られて、力強く抱き締められる。
「ちょっと! 何するのよっ、あなた神父でしょう!?」
じたばたしながら、リンが叫ぶと、くすり、と笑い声が落ちてきた。
「我が宗派は、妻帯が認められていますから、大丈夫ですよ?」
「そ、そーゆー問題じゃないでしょうがっ!! 神父がこんなことしていいとでも思ってるの!?」
「……こんな事、とは?」
「~~~~だ、だからっ! 知らない間にベッドに忍び込んだり、嫌がる女の子に迫ったり、やってる事、変態じゃないっ!!」
「……おや、神父がまともだとも?」
ミカエル神父の声には、笑いが含まれていた。
「聖職者は皆、サドがマゾか、変態ですよ?」
ぐ。リンは言葉に詰まった。そんな、堂々と認められても……っ!?
「そ、そんなの、あなただけでしょうーがっ!!」
もがくリンは、ぎゅっと抱き締められ、「う」と息の詰まった声を出した。その声を聞いたのか、ミカエル神父が手を離した。
「く、くるし……」
げほげほっとリンが咳をする。
「……今日は、教会の仕事をシスター・アンに教わって下さい。私は本部教会の方に出かけますから」
そう、涼しい声で告げた後、ミカエル神父は椅子にかけていた上着を肩にかけ、部屋を出て行った。リンは、また床に座り込み、はあ、と溜息をついた。
***
「よっ? あんたが噂の『おじょーちゃん』か?」
リンは疲れた目で、声のした方を見た。夕食も終わり、ウィンブルを取って、ほっとした所だった。窓に男の顔がある。正確には、リンの部屋の窓の外から誰かが覗きこんでいる。
……リンは、はあ、と溜息をついた。
「……こんばんは。噂って何ですか、噂って……」
男の茶色の目が丸くなった。もっさりした熊?のような印象の身体に似合わず、彼はひょいっと軽々窓から部屋へと降り立ち、窓を閉めた。
「冷静だな、おじょーちゃん。普通、大声あげたりするんじゃねーのか?」
「あー、感覚おかしくなってるんで……」
――あの男を知った後だと、全ての人間がまともに見える。例え不法侵入者でも。リンは右手で目元を押さえた。
はっはっは、と男が笑った。オーバーオールの巨体が揺れる。茶髪に手を入れて、くしゃりと掻いた。
「俺は、ビッグ・ジョー。この街の情報屋、さ。おじょーちゃんの名前は、リン、だろ?」
「はあ」
情報屋さんが、一体何の用? 訝しげに見るリンを、ビッグ・ジョーはおかしそうに見下ろした。
「いや、おじょーちゃんが、あいつの事、嫌がってるって聞いてさ。どうなのかなーと確かめに」
「……あいつって」
リンの眉がピクリ、と動いた。
「ミカエルだよ、ここの神父」
リンはじっとビッグ・ジョーを見た。このヒトは……あの男の裏の面を知ってる。そう確信した。
「……嫌、です」
きっぱり言い切ると、くすくすとビッグ・ジョーが笑った。
「おじょーちゃんの様子だと、本当に嫌、なんだな。あいつの名前出した途端に、顔も身体が強張ってるし」
「……嫌以外に、何があるんですか」
ビッグ・ジョーがからからと高笑いした後、言った。
「ほら、あいつ、ああいう容姿だろ? おまけに頭がよくて、声もいい。そりゃーもう、モテルモテル」
「……」
「だからさ、嫌なフリして気を引こうとしてんのかと……」
「そんなこと、天地がひっくり返っても、ありえませんっ!!」
リンの叫びにも、ビッグ・ジョーはますます相好を崩すだけだった。
「いや~、いいねえ、おじょーちゃん。あいつ、やっと見つけたんだな」
「は?」
「……執着するモノ。今までのあいつにゃ、なかったものだ」
そんなモノになりたくないっ!! リンの顔を見て、ビッグ・ジョーはその気持ちを正確に読み取ったようだった。
「まあ、ミカエルはおじょーちゃんの事、守るつもりだろ? あいつに守られりゃ、安心だぜ?」
「……余計な事です」
ものすごく、余計だ。守られたくもない。そう思っていたリンは、ある事に気がついた。
(口調が……馴れ馴れしいよね……あの男に対して)
「……あの」
「なんか聞きたい事、あるか?」
「……ミカエル神父の事、よく知ってるんですか」
ビッグ・ジョーはああ、と頷いた。
「俺とミカエルとは、同じ孤児院の出身。あいつとは、まあ、兄弟みたいなものかな」
(孤児院……)
ストリート・チルドレンの保護をやってるのも、その事に関係してるのだろうか、とリンは思った。
「俺も、神父の勉強してたんだけど、合わなくて中途退学。あいつは、そのままエリート街道まっしぐらってとこだな」
「……じゃあ、あなたはマトモなの?」
「は?」
リンの問い掛けに、ビッグ・ジョーは目を丸くした。
「……あの男が言ってたわ。聖職者には、サドとマゾと変態しかいないって」
――暫く、部屋を沈黙が支配した。
「く……く……くはあ!!」
たまらない、といった感じで、ビッグ・ジョーが吹き出し、お腹を抱えて大声で笑った。
「ひっ……ひゃっ……こりゃ、いいっ……!!」
リンは冷やかな顔で、大笑いしているビッグ・ジョーを見ていた。
「ミカエルがそう言ったのか……そうかあ~」
大きな手が、リンの赤毛をくしゃくしゃにかき回した。
「あいつ、おじょーちゃんの事、本気なんだな。安心したわ」
「安心しないで下さいっ!! 私は嫌ですっ!!」
「……何が、嫌なんですか、リン?」
リンの動きが止まった。落ち着いた中に……嫌な気配のする、声。
「よう、ミカエル。おじょーちゃん、見に来たんだ」
ひょい、とリンの肩越しに、ビッグ・ジョーが扉の方を見た。リンが、ゆっくりと振り返ると――扉にもたれるミカエル神父の姿、があった。
黒の神父服に、プラチナブロンドが映えていた。
(今日は一日出かけてて、もう会わないと思ってたのに……っ!!)
リンに向かって、ゆっくりと歩み寄る肉食獣。にっこりと微笑んだ天使の笑顔さえ、リンには真っ黒に見えた。
ミカエル神父の手がつと伸び、リンの頬をなぜた。
「……嫌だと言っても、あなたを放しはしませんよ?」
「っ!!」
リンが真っ赤になりながらも、ミカエル神父を睨みつけると、ビッグ・ジョーが、からからと笑った。
「ミカエル、このおじょーちゃんにはお前の色目が通用しねえようだな。こりゃ愉快だなあ」
「……」
リンの頬から、手が離れた。
ビッグ・ジョーを見るミカエル神父の青い瞳は、絶対零度の冷たさだったが、ビッグ・ジョーは全く意に介しないようだった。
(他人にこんな態度取るこの男、初めて見た……)
いつも親切な感じだったのに。リンは目を丸くした。本当に親しい関係なんだ、そう思った。
「……リン」
感情の見えない声がした。
「この男と話があるので、部屋を出てもらえますか?」
「え……」
リンが訝しげな顔をすると、くすり、とミカエル神父が笑った。
「なんでしたら、私の部屋で帰りを待っていてくれてもいいですよ? ……可愛がってあげますから」
「~~~~!! いりませんっ!!」
ますます真っ赤になったリンが怒鳴り、そのまま叩きつけるように扉を閉めて、部屋を出て行った。
***
「……で? 何の用だ」
そう言ったミカエル神父の顔からは、笑みが消えていた。ビッグ・ジョーはにやにや笑いがとまらない、といった感じだった。
「いや~やるねえ、おじょーちゃん。そこまで、お前が大事にする相手なんざ、今までにいたか?」
「……」
「『親父』が言ってた、お前に欠けてるモノ。それを見つけたのか」
「……リンは俺の獲物。ただそれだけの関係だ」
無表情のミカエル神父を見て、ビッグ・ジョーはははっと笑った。
「まあ、そう言う事にしといてやるよ。おじょーちゃんも、お前の事、警戒しまくりだしな」
ふっと真顔に戻ったビッグ・ジョーの瞳の色が……金色に変わった。
「……上からの指示だ。『裏切り者は処分せよ』だそうだぜ?」
「……そうか」
大体……とビッグ・ジョーが話を続ける。
「お前、あの男を泳がせて、受け取り現場押さえてた方がよくなかったのか? そうすりゃ相手も特定できたのによ」
「……あの時点での指示は、『例のブツを一刻も早く回収せよ』だ。俺は職務に従っただけだ」
「相変わらず、『職務に忠実』なんだな、お前は」
ふう、と溜息をついて、ビッグ・ジョーが言葉を続けた。
「……昨日の襲撃には、マフィアが関わってる。ドン・カペリかウィンダムか、までは判らねえ」
「……狙いも不明か」
「あの場に市長もいたんだろ? そっちって可能性もあるしな」
「……いずれにせよ、本気の襲撃じゃない」
ミカエル神父の瞳に、不穏な光が宿った。
「礼拝堂にレーザーが効かない事はすぐに判る。それでも、内部まで襲撃しようとはしていなかった」
「……って事は、だ」
ビッグ・ジョーの口元が歪んだ。
「デモか、アピールか……脅しかってとこか」
「おそらくな。……注意はしておく。他にあるか」
「ああ……」
ビッグ・ジョーはぽりぽりと鼻を掻いた。
「お前、『三つ目』の噂、知ってるか?」
「……背中にも目がついてる、と評判の狙撃主か」
「そ。そいつがリヴォルヴァ・シティに来てるって話だ。ホームレスのじいさんが見かけてる。これと関係してるかどうかは判らねえが、用心するに越した事はないだろ」
「……こちらから、奴に仕掛ける事はしない」
「……向こうから来たら、容赦しねえって事だよな、それ」
やる気満々じゃねえかよ……とビッグ・ジョーは溜息をついた。
「ま、おじょーちゃんは、お前が守るんだったら安心だな」
「……」
ははっと笑ったビッグ・ジョーの瞳は、元の茶色に戻っていた。
「んじゃ、俺はこれで。可愛いからって、あんまし、おじょーちゃん、いじるなよ? 真っ直ぐな性根みてーだし、あの子」
「大きな世話だ」
にやり、と笑ったビッグ・ジョーは来た時と同じように、窓から姿を消した。ミカエル神父は黙ったまま、しばらく窓の外を見ていた。