襲撃~そして、その後
「光の神は、いかなる時でも、あなた方を照らし、どんな闇の中にあろうともあなた方を導く、とおっしゃられています。
では、詩編第十六章を朗読いたします……」
――陽の光に煌めくステンドグラス。大きな白い百合の花が飾られた祭壇。そこに立つ、天使の姿の神父。
深く、明朗な声が、礼拝堂全体に響いていく。プラチナブロンドの髪が銀にも似た光を放っていた。
(すご……い……)
リンは祭壇から一番離れた、中央入り口近くに立っていた。延髄から震えるような声ってあるんだ、とびっくりしていた。
(確かにいい声だと思ってたけど……)
トンデモナイ男だと知ってる自分でも、思わず聞き惚れて引きずり込まれそうになる、声。何も知らなかったら、そりゃあ好きになるかも……とリンは思った。
「あああ、神父様のお声ってしびれるわよねえ……」
「こっち向いて下さったわ!」
「もう、このまま死んでもいいわっ!」
礼拝堂に詰め寄せた女性達からあがる、感嘆と溜息と……発情した雌の匂い。
(礼拝堂がピンク色のオーラに染まってる……)
あちらこちらから、無数のハートマークがミカエル神父に飛んでいくのが、目に見えるようだ。
(こ、こんな中で、よく平然と説教してるわね、あの男……)
どんだけ厚顔なんだか。リンは思わず眉を顰めた。
リンはゆっくりと視線を巡らせた。祭壇からここまでの距離は、30Mといったところか。祭壇の両脇に出入り口があるのか、シスター・アンが出入りしているのが見えた。
両側の壁には、ステンドグラスが並んでいた。おそらく教本の寓話を描いているのだろう。様々な物語の一シーンが、光に浮かびかがっていた。
祭壇の後ろには、大きな金の十字架にドレープ状の重厚なカーテン。その後ろにもひときわ大きいステンドグラスがあった。
入り口は、リンが立つ中央の扉と……祭壇の両脇、のみ。ここから扉を開けて、外に逃げる……
(……だめ、だわ……)
説教中に逃げたとしても、自分には行くあてがない。ジェイ達の所には戻れない。あの男は、見回り、とかでこの街の隅々まで把握しているはず。この街を出ようにも、先立つ物がない。
ふっと、ミカエル神父と目があった。リンの諦めを読み取ったかのように、意味深な笑顔を向けられた。
(……っとに、あの男……っ!!)
こんなに離れていても、あの男の支配を受けている、という事実が腹立たしい。リンはギリ、と歯ぎしりをし、ぷいと横を向いた。
あああ、腹が立つ……っ!! あの何でも知ってる?みたいな顔をへこましてやりたいっ……!!
(様子伺って、隙を見て……計画を立てて……)
絶対、思い通りになんか、させない。リンが拳を握りしめた時、扉の開く音がした。
「……リンおねえちゃん」
ひょこっと覗きこむ、小さな人影が二つ。
「ケント……マリアも」
両手を広げてしゃがみ込む。ぱふっと細くて小さい二人を抱き締める。
「……リン」
「ジェイ」
リンはわずかに開けた扉の影に立つ、ジェイを見上げた。
「二人を頼む」
「わか……」
リンが言いかけた時――ドォォォンという轟音と共に、礼拝堂全体が、横に揺れた。
「きゃあああっ!!」
「なんだ、どうしたっ!?」
悲鳴があちらこちらで上がる。ステンドグラスに無数の赤い光が散る。
「レーザ―光!?」
リンは、ケントとマリアを庇うように抱き締めた。
「攻撃を受けてるぞ!!」
「早く逃げ……!!」
パニックになった人々が、椅子から立ち上がり、入口に向かおうとした、その瞬間――力強い声が支配した。
「――静かに!!」
……その一言で、ぴたり、と悲鳴が止んだ。人々の動きも止まる。
「……皆さん、落ち着いて下さい。早まった行動は、逆に危険です」
祭壇の前に立つ、ミカエル神父は、聴衆一人一人に語りかけるように、言った。
「この教会は、対レーザー光対策がなされています。壁も強固な造りで、テロリストに攻撃されようとも、この中に入れば安全です」
皆、静かにミカエル神父の言葉を聞いていた。
「本日は、我らがダンテ市長も参拝されています。すでに対策を講じて下さっているはずです。そうですよね、市長?」
ミカエル神父の問い掛けに、前の方に座っていたダンテ市長が立ち上がった。
「……皆さん。神父殿のおっしゃる通りです。すでに特殊部隊に連絡済みです。あと数十分でこの騒ぎは鎮圧されるでしょう」
ダンテ市長が、ちらとミカエル神父の方を見たミカエル神父がダンテ市長に微笑みながら、頷いた。
「ですから、皆さん。落ち着いて、教会から出ないように。念のため、身体を低くしてして下さい」
ミカエル神父の指示に、聴衆達が従う。身を屈め、机の下に身を隠す。
リンは……ケントとマリアを抱き抱えながら、呆然とミカエル神父の声を聞いていた。
(なに……この……)
――圧倒的な、存在感。思わず跪いてしまいそうになるような、迫力。
(ダンテ市長だって、この街一番の実力者、なのに……)
その市長が翳むほど……完全にこの場を支配している。なんなの、あの男。
はあ、とリンは溜息をついた。
「大丈夫、ジェ……」
扉の方を振り返ると……誰も、いない。
「ジェイ!?」
リンは咄嗟に立ちあがった。マリアがリンのスカートにしがみ付きながら、おずおずと言った。
「ジェイおにいちゃん……出て行っちゃった……」
「え!?」
リンの顔が強張る。このレーザ―攻撃の中を!?
(ジェイ……!!)
リンは、ケントとマリアの肩に手を置いて、言った。
「いい? ここでじっとしていて? ……私がジェイを探しに行く」
「「うん」」
双子は揃って頷いた。リンはレーザ―光が映るステンドグラスを見た。
(攻撃は入口から向かって右手……左手は、ない……)
光の輪の数が減っている。最初の衝撃音もない。
(今……だっ!!)
リンは、重い扉を開け、礼拝堂への外へと躍り出た。
***
石の階段の手すりをひらりと乗り越え、レーザ―光が当たっていた反対側へと飛び降りる。振動は……してしない。
(ジェイ……どこに……)
階段から顔を覗かせ、あちらこちらに視線を走らせる。教会の近くには、変わった様子はない。サイレンの音がこちらに近づいてきている。
(警察……?)
リンはそっと階段横の前に出た。礼拝堂前の広場には、誰もいなかった。駐車スペースは満車状態。
(レーザ―は……ステンドグラスに垂直に当ってた。……ステンドグラスの高さから考えたら……遠方攻撃のはず)
近くには敵はいない。そう思い、ジェイの姿を探していたリンの耳に――ファン、という音が後ろから聞こえた。
「――っ!!」
振り返ったリンの目に、礼拝堂の横手を曲がって、猛スピードで突っ込んでくるエア・カーが映った。助手席から構える……銃がきらりと光った。
「――リン!!」
リンの身体が、抱き抱えられて横に飛んだ。左腕を熱い何かがかする。そのまま、礼拝堂の壁にぶつかったが、痛くない。くぐもった声が聞こえた。
「ジェイ!?」
ジェイが、リンを抱え込んだまま、ずるずると地面に落ちた。こめかみから……血が流れている。
(私を……庇って……!?)
「……大丈夫か」
顔を歪めながら、ジェイが囁く。リンは何も言えず、頷いた。
「行くぞ」
ジェイは壁に寄りかかりながら立ち上がり、通り過ぎて行ったエア・カーの方を見た。広場向こうに行った車が方向転換した。
「早く、中へっ!!」
ジェイはリンを自分の身体の前に押した。リンは躓きながらも走った。階段前まで辿り着いた時、リンの鳥肌が立った。
「ジェイっ!!」
振り返ったリンを庇うように、ジェイが立っていた。その向こうから迫ってくる黒い影。レーザ―の赤い光がちら、と見えた。
「――!!」
ジェイがリンの身体を覆うように抱き締め、地面に倒れ込んだ。レーザ―光が階段に当った。
「ジェイっ!!」
次、来る……っ!!
――そう、リンが思った刹那
……何が起こったのか、リンには判らなかった。
目の前で……エア・カーが横に吹き飛んだ。二転三転と横転した後、炎がエンジン部分から勢いよく噴き出した。
「!?」
ジェイが起き上がって、燃える車を見た。リンは呆然と座り込んだままだった。警察のポリス・カーが何台も駆けつけ、車の周りで消火活動が始まっていた。
「……大丈夫ですか? 二人とも」
ジェイとリンが振り向くと……礼拝堂の横手から、ミカエル神父が現れた。リンは慌てて立ち上がった。
「まあ、怪我してるじゃありませんか!」
ミカエル神父の後ろから、シスター・アンが駆け寄って来た。
「……掠っただけだ」
ジェイが血を手で拭き取る。シスター・アンが、ジェイの腕に手をかけた。
「だめよ、消毒しないと。さ、こちらにいらっしゃい」
ジェイ達を見ていたリンに……背の高い影が降りた。
「……外に出るな、と言ったはずですが? リン」
リンの背筋を冷や汗が流れた。恐る恐る上を向くと……口元は微笑んでいるが、全く笑っていない青い瞳がリンを見下ろしていた。
「……ご、ごめんな……さい」
思わず謝ったリンに……ミカエル神父の瞳が不穏に光った。嫌な気配がする。リンは身体を強張らせた。
「……待ってくれ。リンは俺を助けようとしてくれたんだ」
ふっと気配が消える。ミカエル神父が、振り返った。ジェイが、シスター・アンの手を払って、神父のすぐ傍まで来ていた。
「リンは悪くない。……俺が悪かった。リンの事は、大目に見てやってくれ」
「ジェイ!?」
頭を下げるジェイに、リンは慌てて声をかけた。
「ジェイは悪くない……」
ミカエル神父が右手を上げて、リンを制した。
「わかりました。とにかく、手当てが先です。シスター・アン、二人を連れて教会の方に。私も事態が落ち着いたら、後で行きます」
「はい、神父様。さあ、行きますよ」
シスター・アンと共に、ジェイとリンは教会へと歩いて行った。
***
「さ、これで大丈夫よ?」
「……ありがとうございます」
頭に包帯を巻いたジェイが、椅子から立ち上がった。シスター・アンがふふふっと笑った。
「あなた、もっと笑った方がいいわよ? こんなにイケメンなんだから」
「……」
ジェイはそれには何も答えず、逆にシスター・アンに問いかけた。
「……リンは?」
シスター・アンがまた笑った。
「今頃、自分の部屋にいるはずよ? この医務室を出て、二階に上がった、一番奥の部屋」
ジェイはぺこり、と頭を下げ、医務室を出て行った。
***
「……っ!!」
リンは身をよじった。頭の両脇に、大きな手。壁に身体を押し付けられて、動けない。
「言う事を聞かない子は、お仕置きが必要ですね?」
「ひゃあっ!!」
リンは首をすくめた。右耳をかぷり、と軽くかじられて、いた。
「ふふ……いい声で啼きますね。もっと啼かせたくなります」
リンは間近にあるミカエル神父の顔を睨みつけた。くすり、とミカエル神父が笑う。
「顔が赤いですよ?」
「!!」
こんな男でも、間近に見ると赤くなる顔が憎い。なんで、やたら整ってるのよ、この顔はっ!!
「リン……」
リンは目を見開いた。ミカエル神父の息が顔にかかる。もう少しで唇が触れ合う……時に
――コンコン
扉をノックする音が、した
ミカエル神父が身体を起こし、一歩後ろに下がった。リンの身体が解放された。思わず……溜息が、出た。
「どうぞ?」
ミカエル神父がそう応えると……ジェイが扉を開けて、中に入って来た。
赤い顔のリンを見たジェイは、ミカエル神父の前に立った。
「リンを責めるのは止めてくれ」
「……別に責めてはいませんよ?」
「……なら、動揺させるのは止めてくれ」
ミカエル神父の青い瞳が……楽しそうに煌めいた。
「……わかりました。あなたに免じて、リンは無罪放免としましょう」
ジェイはリンの傍に歩み寄り……リンを見下ろした。
「大丈夫か、リン?」
心配そうな銀色の瞳。リンは、そっと頷いた。
「うん……大丈夫」
ジェイが来てくれたから。
「ありがとう……ジェイ」
「いや……」
ジェイは軽く頭を振った。
「仲間を助けるのは……当たり前だろ」
ジェイはリンの頭をくしゃりと軽く乱した。
「じゃ、俺は帰る。あいつらの事……頼んだぞ、リン」
「うん……ジェイも気をつけて」
ジェイはポケットから帽子を取り出して被り、ミカエル神父に一礼して部屋を出て行った。
リンが扉の方を見ていると……耳元で声がした。
「そんなにジェイばかり見ているとは……妬けますね」
びくり、とリンが一歩横に飛びのいた。ミカエル神父を見上げる青い瞳には、警戒心がありありと浮かんでいた。
そんなリンを見て、ゆったりと微笑みを浮かべたミカエル神父は、そのまま部屋を出て行った。
リンは……深く大きな溜息をついた。