見習いの始まり
「まあ、似合うわね、リン」
「は……あ……」
リンは姿見に映る、自分の姿を見た。
***
床にへたり込んでいたリンを、戻って来たシスター・アンが引っ張った。
『あなた、とにかくお風呂に入りましょう? 埃だらけだし』
『えっ、ちょっ……!?』
ぐいぐいと引っ張られていく。シスター・アンはリンよりも背が低いのに、リンの腕をがっちりと掴んでいる手は力強かった。
強制的に洗われそうになり、慌てて自分で洗うことにした。その後、伸びた赤毛をシスターが器用にカットしてくれた。
不ぞろいだった前髪も綺麗になり……薄汚れていた赤毛には、艶々とした天使の輪ができていた。
紺色の修道服。白い襟と袖元が映える。赤毛で青い瞳の少女が、こちらを向いていた。
「……あなたは、これから、ここで暮らすのよ?」
「は!?」
リンは振り返って、シスター・アンを見た。
「ほら、プログラムを適用するって話、していたでしょう? いつもなら、街の商店とか工場とかを紹介するんだけれど……」
シスター・アンはにこにこ笑いながら、言った。
「今、教会で人手が足りないの。ですから、あなたはシスター見習いってことで、仕事を覚えてもらいます」
「げ」
――嫌、だ、と言おうとした瞬間――低い声が響いた。
「……よく似合っていますね、リン」
ミカエル神父が、部屋に入って来た。リンをじろじろと見、ふっと笑った。
「そんなに硬くならなくても大丈夫ですよ? シスター・アンのお手伝いがメインですから」
「……」
「……なにか、不満でも?」
リンを見るミカエル神父の瞳に……捕食者の光が宿った。
(逆らったら……何されるか……)
「いえ……別に」
リンは思わず、じり、と後ずさりをした。その様子を見ていたシスター・アンが、ぽん、とミカエル神父の腕を叩いた。
「神父様、あまりリンに近づくのはいけませんよ? あなたのその外見では、リンみたいな女の子、すぐに参ってしまいますから」
「おや、私の外見に参らなかったシスターがそう言いますか?」
こつ、とリンに一歩近づいたミカエル神父は、ふわっと何か、をリンの首にかけた。
「これ……」
リンは胸元にぶら下がっている、十字架を手にとって見た。十字架の後ろから後光が差しているデザインで、古い木でできている。首の周りも、木のビーズが繋げられていた。
「……我が宗派のロザリオです。あなたを守ってくれるでしょう。それから……」
ぱす、と頭から、ウィンブルを被せられた。
「食事の後、午後のミサが始まります。あなたも手伝って下さいね? リン」
にっこりと笑うと、ミカエル神父は部屋を出て行った。
「いつもは朝にミサがあるのだけれど……緊急でご葬儀があったから、午後に変更になったの」
……誰のせいだ、誰の。リンは一人でつっこんでいた。
「さあ、お食事に行きましょう? 心配でしょうけれど、私がついていますから」
優しいシスター・アンの言葉に溜息をついて、リンはシスターと共に部屋を後にした。
***
「すごい……人……」
礼拝堂の入り口で、香炉を持って立つリンは、目を丸くした。着飾った貴婦人達が、笑いながら礼拝堂へと消えていく。
(なんだか、パーティーにでも行く格好してない?)
やたらと煌びやかな気がするのは気のせいだろうか。しかも女性が多い。
(まあ……でも、駐車場見たら、かなりお金持ちが多いってわかるけど……)
このエア・カーのご時世にも関わらず、ずらりと並んだガソリン車。一昔前の車を保持する事は費用がかさむ事もあり、ガソリン車を持つ事は一種のステータスになっていた。
ほけっと様子を見ていたリンは、突然女性に呼ばれた。
「ねえ、あなた」
「はい?」
リンは目の前の女性を見た。レースの付いた日傘を差し、いかにも高級そうなドレスを着ている。艶やかな栗色の髪には、金の髪留めが飾られていた。
白く綺麗な中指には、大きなエメラルドの指輪。大きな緑色の瞳の色と同じだった。女性の隣には、母親らしき年配の女性もいた。こちらはやや白髪混じりの、落ち着いた感じの夫人だった。
――いかにもお金持ちな美女に上から下までじろじろと見られて、リンは首をすくめた。
「あなた、年はいくつ?」
「……十七歳ですが」
「へえ……その身体でねえ……」
自分でも細い事は判っているが、他人に言われる筋合いはない。
「あなた、ミカエル神父様に迫ろうとしても無駄よ?」
「はい!?」
「あなたみたいな貧相な子、相手になさるはずないもの」
リンは目を丸くした。誰が誰に迫るって!?
(あ、あの男に!? じょ、冗談じゃないっ!!)
むしろ迫られてるのは、こっちの方だ。リンが口を開けた時――
「まあ、ジョアンナお嬢様に奥様。ようこそミサにお出で下さいました」
すっとリンの隣に、シスター・アンが立った。ジョアンナと呼ばれた女性の、見下したような態度は変わらなかった。
「シスター・アン。この子、教会に相応しくないんじゃありませんの?」
「っ!」
思わず口を挟みそうになったリンの右足を、シスター・アンの左足が思いっきり踏んでいた。
「申し訳ございません、リンは例のプログラム適用者ですの。まだまだ至らぬ点があるかと思いますが、温かく見守っていただければ……」
頭を下げるシスター・アンを見ても、ジョアンナの視線は冷たいままだった。
「これまでは、工場とかお店とか、外での手伝いだったではありませんか。 なぜ、この子は教会に……」
礼拝堂の扉の方から、声が聞こえてきた。
「――それは、単に教会が人手不足だから、ですよ」
「ミカエル神父様!!」
さっと神父に歩み寄るジョアンナは、満面の笑みを浮かべていた。
思わずリンは後ずさった。さっきまでの口調と視線はどこに!? 甘い声に潤んだような瞳、やや紅潮した頬。ジョアンナは一瞬で『恋する女』に変身していた。
(女って……怖い……)
見てはいけないモノを、見てしまった。リンは激しく後悔した。
ジョアンナの白い手が、ミカエル神父の左ひじあたりに当てられた。猫のような視線でミカエル神父を見上げていた。
「もう……神父様ったら。それでしたら、私を頼って下さってもよかったのに。いつでも有能な人材を手配いたしますわ」
ジョアンナを見下ろすミカエル神父の瞳は――優しかった。
「いえ、自分でできる事は自分で、というのが教会の方針ですから。リンの事も、どうかよろしくお願いしますね」
「ええ! 私、常々このプログラムの素晴らしさに心打たれておりましたの。私にできることであれば、何でも協力いたしますわ!」
うわ~誰よ、『貧相な子』扱いしてたのは。リンの開いた口は塞がらなかった。
「ありがとうございます、ジョアンナお嬢様」
「いやだ、神父様。ジョアンナって呼んで下さる約束よ?」
ふっと微笑んだ天使の笑顔に、ジョアンナの頬は真っ赤になった。
「そうでしたね……ジョアンナ」
だ、誰か助けて欲しい。何、この極甘の会話はっ!? ミカエル神父の声が甘過ぎて、酔いそうっ!! リンは人知れず身悶えしていた。
「……また、神父殿の邪魔をしているのではないかね、ジョアンナ?」
リンは目を見張った。白髪混じりの、恰幅のよい男性が、こちらに歩いて来た。高価そうなストライプのスーツに、幅広の金の指輪。
(この人……!)
いつも街頭ビジョンで見ている顔、だ。
ジョアンナは振り返って、男性を見た。
「嫌だ、お父様。私、邪魔などしておりませんわ」
口を可愛らしく尖らせたジョアンナに視線を投げた後、男性はミカエル神父に言った。
「申し訳ありませんな、ミカエル神父。我儘娘がご迷惑を……」
優しく微笑んで、ミカエル神父が答えた。
「いいえ、いつもお嬢様にはよくしていただいていますよ、ダンテ市長」
――やっぱり
リンは伏せ目がちにダンテ市長を見た。マフィア撲滅を掲げ、数々の政策を打ち出している彼は、二大マフィアから狙われている、との専らの噂だ。
(こんな所に市長が……?)
にこやかに会話しているミカエル神父とダンテ市長だが……
――なんだろう、この違和感……緊張感、は
(二人とも、相手を牽制してるみたいな……感じ……)
リンが観察していると、ジョアンナが二人の間に割って入った。
「もう、難しい御話はここまでにして下さいませ。さ、参りましょう、神父様?」
ジョアンナは自分の右腕をミカエル神父の左腕に絡ませ、リンをちらり、と見た。
――優越感に溢れた瞳に、リンはむっとしたが、少し顔を伏せるだけにした。
ミカエル神父がジョアンナ達と礼拝堂の中に入ると、リンの口から大きな溜息が洩れた。
「……ああいう事、よくあるから、気にしないでね?」
シスター・アンの声に、リンは我に返った。
「ほら、神父様、あの容姿でしょう? それはそれは女性ファンが多いの。神父様がこちらに赴任なさってから、寄付金も増える一方で……」
(か、顔で稼いでる……っ!?)
「私も最初はいろいろ言われたものよ? 嫌がらせも受けたし……」
ふう、とシスター・アンが溜息をついた。
「まあ、神父様が私の事、歯牙にもかけないって判ってからは、治まったけれど」
なに、それ。固まったリンの顔を見て、ふふふっとシスター・リンが笑った。
「では、もう少しお願いね? 私は中で準備があるから」
「はい……」
シスター・アンも中へと消えて行った……その時
「――リン」
リンはぱっと顔を上げた。目の前に立っている、のは……
「……ジェイ?」
ジェイはいつもと同じ格好だった。深めに被った帽子。擦り切れた服。そして――左頬にある、火傷の痕。
「これ」
ジェイはポケットから、ある物を出した。リンの目が丸くなる。
「……私の帽子……」
ジェイの銀色の瞳が鋭くなった。
「これが、110番街のBブロックに落ちていた。お前が集める予定だった、金属片も散らばっていて――血の痕があった」
「……」
「聞き込みしたら、あの辺で昨日、男が殺されて……見回りに来たここの神父が、全て取り仕切った、と判った」
「だから、多分お前はここにいるだろう、と思って来てみたら……案の定だったという訳だ」
「ジェイ……」
ストリート・チルドレンの頭的存在であるジェイは、観察眼も勘も鋭く、非常に頭の良い少年だ。リンよりも二つぐらい年上なだけなのに、いろいろな事を知っていた。
「お前、本当にプログラムの適用を望んでいるのか?」
「え……」
リンの瞳が、揺れた。
「無理矢理連れて来られた、とかじゃないのか。お前だったら、自分の意志で来たなら、俺達に連絡しただろう」
「……」
正義感の強いジェイは、仲間の窮地に必ず救いの手を差し伸べてきた。
(だからこそ……連絡取らないでおこうって……)
――言えない。本当の事は。巻き込んでしまったら……
(ジェイが……殺される……)
「……私がリンを半ば強引に連れてきたのですよ」
はっとリンは後ろを振り返った。黒い神父服の天使がそこに立っていた。
「……あんたが?」
ジェイはミカエル神父を真っ直ぐに見ていた。臆する様子もない。ミカエル神父は、ジェイに笑いかけた。
「ええ……あなたが『ジェイ』ですね? ストリート・チルドレン達を取り仕切っている賢い少年がいると、噂になっています」
「……ああ」
「あなたなら、判るでしょう? ここ数ヶ月で、マフィアの抗争は激しくなり、犠牲者の数も増え続けています」
「……」
「リンの年頃では……路上生活は危険でしょう。そう思い保護しました……リンは嫌がっていますがね」
嫌がってる理由が違うでしょうが!! リンの香炉を持つ手が震え、かたかたと音がした。
ジェイはリンとミカエル神父を交互に見ていたが……やがて、溜息をついた。
「あんたが、リンの面倒をみるんだな?」
「……ええ。他の奴らになど、指一本触れさせませんよ」
「……判った。今日はこれで帰る」
くるりと踵を返したジェイに、ミカエル神父が声をかけた。
「あなたもプログラムを受けられるのですよ、ジェイ? その方が、あなたの為になるのでは?」
ジェイは立ち止まり、振り向いた。その瞳は――冷静だった。
「俺はいい。……だが、仲間に5歳の双子がいる。喘息持ちで体が弱い。そいつらを頼みたい」
「判りました。どうしますか? 私が迎えに行っても……」
ジェイは首を横に振った。
「……俺が連れてくる、今ここに。リン、頼めるか?」
いきなり話を振られてビックリしたリンだが、こくん、と頷いた。
「ケントとマリアのことね? 判ったわ、礼拝堂で待っていたらいい?」
「ああ。頼む」
帽子のつばを軽く握り、頭を下げた後、ジェイは立ち去った。ジェイの後ろ姿を見ていたリンに、ミカエル神父が声をかけた。
「……リン。そろそろ始まります。扉の中へ」
「はい……」
リンはもう一度、ジェイが立ち去った方向を見たが、溜息をついてミカエル神父の後を追った。