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第一章 異世界人VS異世界人

第二話本編が始まります。

第一章 異世界人VS異世界人


大きな窓の外には朝焼け。

陽の光に照らされて少しだけ心の中が温かくなった気がした

死のうとしたばかりなのにそんなことを感じている自分は・・・酷く滑稽だ。

「・・・・・・」

体は家の者が温水で洗い暖炉を使って温めてくれてもう冷たくない。

部屋の中に焚かれた香で体から潮の匂いは消えている。

『生きろとは・・・言わない。だが、助けたオレの心持分くらい・・・死ぬな』

毛布に蹲る。

声だけが何度も何度も思い返される。

その言葉はとても胸に優しく沈んでいた。

死のうと思っていたのに、何故かもうそんな気になれない。

普通、死のうとしている人間に対して掛ける言葉なら、絶対生きろとか、きっとこれから良い事があるとか、死ぬんじゃないとか、前向きな言葉のはずだ。

それなのに彼の言葉は違った。

彼は助けた誰かに生きる事を強要しなかった。

自分が助けた気持ち分くらいの間は死なないでくれると嬉しい。

彼の言葉はそんな意味合いに取れた。

「・・・・・・」

温かな部屋で何かを考えられるだけの時間。

それを与えてくれたのは間違いなく彼だった。

彼は自警団に連れられていってしまった。

その後、彼がどうしたのか知りたい。

出来ればお礼が言いたかった。

命を掛けて救ってくれた事を。

そして、謝りたかった。

命を掛けさせてしまった事を。

「・・・行こう」

そっと起き出して着替える。

彼が破いた服はもう家の者が処分している。

あるのは新品の糊が効いた服だった。

虚ろだったはずの胸が少し熱くて痛む。

熱を持った胸の奥で心臓が動いていた。

薄ぼんやりと思い出されるのは彼の手の必死さと吹き込まれる息吹きの熱さ。

心臓がまだ動いているのは彼のおかげに他ならない。

多くの思いが胸を通り過ぎていく。

助かった安堵。

助けられた怒り。

助かってしまった悲哀。

まだ自分にこんな思いがあったのかと驚く程、胸には多くの思いが息付いていた。

「・・・!」

考えを振り払い、いつもの黒い上着を羽織って部屋を出た。

部屋の外には誰もいなかった。

そっと足音を立てないように階段に向かう。

家の者の話声がして、角から顔を出して覗いた。

『それにしても巫女様が無事でほんに良かった』

『ああ、まったくだよ。それにしてもよそ者が巫女様を襲うなんてねぇ』

『巫女様もお可哀そうに・・・今から巫女様の好きなパイを焼こうと思うんだがどうだね?』

『ああ、それが良い。少しでも巫女様の気が楽になるように』

『それにしても本当にそのよそ者許せないねぇ』

『ああ、そうともさ。お可哀そうに巫女様の服の胸元が千切られてたらしい』

『自警団の連中の話だと唇も奪われたらしいじゃないか』

『胸元に唇を這わせてたとか考えただけでもおぞましいよ!!』

『う・・・本当にお可哀そうに・・・・これはアタシ達がちゃんとしないといけないよ』

『ああ、まったくねぇ』

『お調べが終わったら鮫の餌にするらしいよ』

「?!!」

自分の知らない内に大変なことになっていた。

(助けないと)

彼は死のうと思っていた自分を助けてくれた恩人だ。

死ぬ気だった自分が誰かの心配なんてお笑いもいいところかもしれない。

それでも無視なんて出来なかった。

誰も居なくなった事を確認して階段を降りる。

玄関から一目散に駆け出す。

朝の道にはもう人が沢山。

誰もが驚いた顔で走る自分を見ていた。

挨拶なんてしている暇は無い。

早く行かないと彼が鮫の餌にされてしまう。



「け、賢者が悪い子になっちゃった!?」

「朝っぱらから早々言う事がそれか!」

「だ、だって、こ、この街の巫女の子を、あ、あられも無い姿にしてたって其処の皆さんが!」

うんうんと頷いて鋭い視線を投げ掛けてくるのは自警団の男達だった。

しかし、朝から鉄格子越しの巫女はその視線以上にややこしく騒がしかった。

「誤解だ!!」

「ふ、服の胸の部分とか千切ったりしてないの?」

「千切ったな(心臓マッサージの為に)」

「く、唇を・・・あう・・・し、してないよね?」

「唇には唇で触れたな(人工呼吸する為に)」

「む、むむ、胸に顔を埋めてたって・・・」

「不可抗力だ」

「け、賢者が悪い子になっちゃった!? はっ!? で、でも心配しないで。こ、ここの街長さんに賢者は本当は凄く優秀で人とは違う助け方が上手かったんですって言ってくるから!!」

「物凄っごい信じてないなオイ!!」

「い、行ってくるからもうお、女の子に変な事しちゃダメなんだからね!!」

「ちょっと待て。と言うか話がややこしくなるからまずはその巫女の所に行ってこい」

ユネルが混乱しながらも「解ったから!!」と涙目で牢の外に消えていった。

「っくしゅ・・・漬物かオレは・・・」

海水漬けの体はそのままにされていた。

人命救助の代償は強姦魔との有り難くない事甚だしい称号。

馬鹿な事をしたとは思わないが、意識を失う前に状況を説明しておけばよかったのは確実だ。

(それにしても巫女か)

暗闇で見えなかったとはいえ、妙に小さかったのは覚えていた。

今更になって思い出してみれば胸は無いものの柔らかかった気がするし、唇も上品なケーキの生地みたいな感触だった気がするし、上に倒れ込んだ時も男では在り得ない柔らかさだった気がする。

現代式の人命救助術など中世ヨーロッパ並みな技術水準の時代に理解されるはずもないし、実際勘違いされても仕方ない状況だろう。

「おい。こいつどうする?」

「鮫の餌だな」

「意義無し」

「意義無し」

「意義無し」

男達の視線が突き刺さる。

「一つ訊いていいか?」

「罪人は黙れ」

青筋が浮かんでいる男達の一人がニッコリと返してくる。

「この街の巫女ってのはどういう奴なんだ?」

「黙れ」

「ま、所詮はブスだろうしどうでもいいか」

厭味ったらしく言って反応を見る。

「なッ?! テメェ、鮫の餌にする前に海に放り込むぞ!! 巫女様はなぁ!! それはそれはお可愛らしい方なんだぞ!? 花も恥じらう十三歳! 可憐な手足は花の茎みたいなんだぞ!! お体は・・・それは、ちょっとボリューム的に問題があるかもしれないが、基本的にまるで妖精のようなお方なんだよ!! あの容姿はそれこそ守りたいと思わない男なんていないに決まってる!! そ、それにお声は清水の音のようだし!! あ、あの声で何か頼まれたらオレはもう、もう!!」

「ちょ、落ち付け!? 落ち着かないとお前の方が犯罪者寸前に!!」

巫女の容姿を力説した男を男達が止めに掛る。

完全に興奮した男は地下から連れ出されていった。

「此処の巫女ってのはよっぽど慕われてるんだな」

「巫女様は街の宝だ。もう去るのだとしても、オレ達はあの方が少しでも心安くいられるよう力を合わせてきたんだ」

残った男が一人ポツリと漏らした。

(もう去る?)

「無駄話はここまでだ。そこで己の罪を心底悔いるといい」

男が地下から引き揚げていく。

ガシャンと扉が閉まる音と同時に牢は天井から零れてくる日の光だけの薄暗い世界となる。

「はぁ、まったくこれだからファンタジーは・・・」

鮫の餌にされる前に逃げだす算段を考える他無いようだった。



彼は少しだけ溜息を付くと海水に濡れたままの体を横たえて、上から降ってくる天井の光を浴びて瞳を閉じた。

「・・・・・・」

彼の横顔が陽を受けて見える。

横顔には憂いも悩みも無いような穏やかな笑み。

これから鮫の餌にされてしまうかもしれないのに唇の端は緩やかに曲がっている。

瞳の下には薄らとクマが出来ていているのに優しい感じがした。

彼の背は高く細身。

雰囲気にはまるで俗世で生きていく者の匂いがしない。

その手は白く働く者の手ではなかった。

そっと近づいて引き込まれるのを感じる。

「・・・・・・」

何を言えばいいのか分からない。

言うべき事は沢山あった。

助けてくれてありがとう。

命を掛けさせてしまってゴメンナサイ。

こんな風になってしまってスミマセン。

でも、自分の言葉はそのどれでも無く。

「どうして・・・そんなに落ち付いていられるの?」

「今も結構必至に鮫の餌にならない方法を考えてる」

彼がそう言って身を起こす。

塩水に濡れて半分乾いた髪が光を受けて輝く。

瞳が真っ直ぐに、見えないはずの自分を捉えていた。

何もないはずの場所から急に問い掛けられたはずなのに驚く様子も無い。

「何で助けてくれたの?」

口からつい出た言葉はそんな失礼なものだった。

「助けられて不満か?」

「・・・・・・」

何故だろう。

そんな事ないとは言えない。

「オレは・・・何となく死にたい気持ちが分かった。だから、つい足が出た」

「え?」

「お前の事が分かりますとか言ってるわけじゃない。オレも死にたいとか思ったことがあるって、それだけの話だ」

「本当?」

「生きてれば老いも若きも時々は思うだろう。こんなの嫌だ。もう死にたいって」

「私・・・は・・・」

「まだ、死にたいか?」

「今は・・・まだ・・・」

「そうか。それは良かった」

彼が立ち上がって牢の鉄格子に近づいてくる。

「それならまだオレは助かる」

顔が近い。

離れられない。

見えていないはずなのに、その瞳はまっすぐにこっちを見つめている。

「お前が死んだらそれこそオレのせいだ」

彼は少しだけ優しく笑んで手を差し出した。

「初めまして、になるか?」

手が差しだされて、私はそっとその手を、抱き締めた。

「う・・・ふ・・・うぅ・・・」

どうしてか涙ばかりが零れてくる。

「泣いてるのか?」

「・・・う・・・うぅ・・・」

竜の力も何も消えていく。

きっと顔は大変な事になっている。

瞳が壊れたみたいに涙が溢れてくる。

顔はクシャクシャになって見られたものじゃない。

「驚いたな・・・」

「え・・・?」

彼のもう片方の手が鉄格子越しに伸びてくる。

優しい手は顔の涙を拭ってから頭を撫でた。

「さっきの連中が言ってたが、本当に妖精がいるなら、それはきっとお前みたいな奴だろうな」

それは―――とても昔に掛けられた言葉―――あの人が言ってくれた言葉だった。

「う、うぁ、うぅぅうううううううううううう、うぅううううううううう――!?」

その手を引き寄せて、鉄格子越しに泣いた。

見も知らない彼の前で。



それから頭を撫でられて数分。

彼は牢の中に座り込んでこっちを見ていた。

立って見ているのは悪い気がして、冷たい床に座る。

「遅くなったけど・・・助けてくれて・・・ありがとう・・・」

「どういたしまして」

彼に見つめられて、急に気恥ずかしくなった。

「わ、私から皆に言えば牢から出られるから、待ってて」

じっとしていられなくなって立ち上がろとする腕を取られた。

「!?ッ」

「少し待ってくれ」

腕を慌てて自分の方に引き寄せて、座る。

「さっき光とか屈折させてたのか?」

「あれは竜の力・・・」

「竜の?」

「そう。水の竜で自分の位置を誤魔化す時に使う。『水閉すいへい』」

「竜を出して無くても使えるのか?」

「竜の巫女なら自分の竜の力は使えるから」

「よく解った。そうか・・・竜が出て無くても使えるのか・・・」

「ね、ねぇ」

「何だ?」

何か一人で納得する彼の姿に言わずには要られなかった。

「貴方・・・変」

「人聞きの悪い。せめて変人と言え」

「やっぱり・・・変」

「具体的に何処がと訊いてみるが」

「私の事助けた。私が急に声を掛けても何ともないみたいだった。今もそう。鮫の餌にされるかもしれないのに・・・私とこんな風に話してる」

彼は苦笑した。

「昔からの習い性だ。お前が急に話しかけてきて平気だったのは大概こんな場合のお約束ってのを熟知してるから。今こんな風に話してるのは・・・まあ、どうにかなると楽観してるだけだ」

聞けば聞くほど彼は今まで出会ってきた誰かとは違った。

「怖くないの?」

「この世はオレにとって怖いモノだらけだ。怖過ぎて怖過ぎて生きていくのが大変だ」

「貴方、真面目さが足りないと思う。命が危ないのに」

「慣れた」

「?」

「そんな命の危機なんてもう何回あったか。人間死ぬ時は死ぬ。早いか遅いかの違いは努力だけでどうにもならない部分も多い。だから、オレがもしも真面目じゃないと思えるなら、それは・・・真面目さが足りないんじゃなく危機感が薄いって言う方が正しい」

あまりにも屁理屈を言われているような気がした。

「やっぱり・・・貴方、変」

それなのに勝手に口元が笑ってしまっていた。

「オレは貴方じゃない。名前ぐらいある」

「そんなの私にもある」

臥塔賢知がとうけんじだ」

「テオ。テオ・アルン・フェーダ・トーメルテム」

互いに名乗って神妙な顔で見つめ合って、思わずどっちからともなく笑い出してしまった。

「何て呼べばいいのか教えてくれ」

「好きにすればいい・・・」

「そうか。ならテオ。さっそくで悪いがさっきの連中か、その上の人間にオレの命を嘆願してきてくれるか?」

「分かった。あな・・・えっと・・・」

どう呼べばいいのか分からなくて彼を見る。

「ガトウでもケンジでも好きに呼べばいい」

「それじゃ・・・け・・・ガトウ?」

彼は、ガトウは頷いた。

「ガトウは私の事を助けた。だから、私もガトウの事助ける」

「早めに頼む。此処にこのままいると風邪になりそうだ。っくしゅ」

ガトウが可愛らしいクシャミをする。

頷いて、立ち上がる前に着てきた上着を差し出す。

「いいのか?」

「風邪引かせたら嫌だから」

「ありがたく」

牢を出る時、ガトウはもう光を浴びて横になっていた。

きっと、一晩中取り調べられて、疲れていたはずだった。

なのに、彼は、ガトウは死のうとしていた捕まる原因になった自分を責めなかった。

責められても仕方ないと思っていたから、誰にも見つからないように逃がして、後で自警団に助けられたとだけ言っておけばいいと思った自分は・・・もう何処にもいなくなっていた。

「・・・・・・?」

何故か胸が温かかった。



「賢者。大丈夫?」

「・・・・・・」

「あ、あの、怒って・・・る?」

「怒ってるように見えるか?」

「あぅ・・・」

「誰かさんが街長に変な事を吹きこんだようで今ではこの街一番の有名人はオレだからな。怒ってるなんて、そんなわけ・・・ははは・・・」

街の至るところから向けられる視線が不審と敵意と好奇心その他諸々をヒシヒシと伝えてくる。

「ひぅ!? 拳とか握ったらダ、ダメなんだよ!? そ、それを額の両端に当てたりしたらもっとダメなんだからぁ!?」

ギリギリと捩じる。

「い、痛たたたたたッッ!? け、けんじゃぁあ!? や、止め、ひゃめれぇえええ!!」

ネジ切る勢いで人誅を下した後、グデングデンになった巫女一人を背負って宿まで歩く。

(妖精か)

水の竜の巫女。

妖精と讃えられる少女。

小柄な体躯に切れ長の瞳。

髪は二つに結わえられ、滑らかな栗色。

脆く儚い幻想の住人にも見える容姿。

淡い笑みは確かに一見して男の心を掴むに違いない威力を秘めていた。

(巫女が自殺したい理由なんて限られるか?)

答は予測の中にしかない。

「付いたぞ」

フラフラと自力で立てるようになったユネルを宿の壁に寄り掛からせて、歩き出す。

「ふぇ? ど、何処に行くの賢者? 体洗わないの!」

「もう少し出歩いてくる。夜までには帰るからそれまで好きにしていい」

「え? え? け、賢者、賢者ったら!?」

すぐに角を曲がって駆け出す。

追い掛けてくる気配が自分を見つける前に角を更に曲がる。

入り組んだ湊街の地形を最大限に利用して何処までも追いかけてきそうな巫女を撒いたのはそれから数分後の事だった。

(ふぅ)

戻って体を洗うだけでも色々と疲れそうなのは目に見えていた。

それはいい。

別にいつものやり取りの内だ。

それを避けたのは理由としてはついでに過ぎない。

(今日の内にもう一度会えるか?)

牢で出会ったテオ・アルン・フェーダ・トーメルテムという少女。

気になるのは容姿のせいでもなければ、泣かれてしまったからでもない。

小骨。

この世界へ再び呼ばれた理由。

それに関わっているのではないかという疑惑からだ。

(オレはたぶん駒だ)

誰が動かすか。

どんな駒か。

役割は何か。

そんな事は解らない。

しかし、確信はある。

自分がこの世界でイレギュラーであるという事には。

臥塔賢知はこのバルトメイラにない要素を持ち込む唯一の存在。

その事実だけでも十分に世界は変え得る。

其処に在るだけで世界の変化の一端を担っているかもしれない。

そう考えれば、この湊へと行き着いた事には意味があるような気がしてならない。

巫女という世界の根幹に携わる人間に二度も深く関わってしまう事が偶然であるとは少し考え辛い。

(巫女の自殺なんてレアイベントがあった以上、何も起こらないわけがない。お約束上、何が起こるか)

何かが起こらないならそれでいい。

ただ、何かが起こる事を前提に何かしておきたい。

起こる何かが早いか遅いか分からない以上、行動は迅速に行われなければと判断する。

街の住人に警戒されているので誰かに巫女の事を訊く事は避けた。

テオの住宅を街の中に見極める。

寂れた街の裏側の道を歩き回りながら前日に見た街の上方からの概観と街の歩いた場所から全体像を推測する。

脳裏で大まかにマッピングしていくと朧げに街が把握出来た。

東にある湊と街の芯である中央通り。

南から北に向かう通りを覆うように家屋が建ち並ぶ光景はバームク―ヘンのように円形。

北側の奥には街を管理する行政区画。

入り江である性質上、防災の観点からか水が上がってこないよう街の端に行けば行く程に海抜は高くなる。

最も海抜が低いのは東側の湊。

最も海抜が高いのは内陸に続く西。

街道から近くて流れ者が入り込みやすい南は除外、もしもの時の事を考え海抜の低い湊側も除外、更に安全を期すなら海から最も離れた地区にするはずという予想の下、北の行政区画も除外。

最後に残るのは西側の区画。

足を向ければ案の定、富裕層が住んでいると思われる比較的大きい邸宅が密集する地区だった。

やがて、小高い丘に大きな邸宅が見えてくる。

街の権力者がいるとも考えられたが、巫女の例外的な特権を考えれば、それがテオの住む場と推測出来た。

自警団らしき男達が頻繁に各邸宅から出入りしているのをそっと裏道から覗く。

「いないな」

勘で丘まで歩いた。

歩き出して数分で急勾配になり、道が草で覆われていく。

完全に道が平らになった頃には林の中に入り込んでいた。

陽が傾き始めた頃合い。

林の中を突っ切ると前が開けた。

「・・・・・・」

風が吹き抜けていく。

小高い丘の邸宅の横にある花壇の傍に出ていた。

背の高い花々が風に揺れる。

前日と変わらず夕暮れに沈む街が胸に来た。

いつ見てもバルトメイラの景色は美しい。

「誰?」

聞いたことのある声だった。

振り向けば、いた。

「ガトウ?」

「数時間ぶりだな」

「あ・・・どうして・・・?」

うろたえた様子が何処かいつも自分の横にいる地の竜の巫女そっくりだった。

思わず笑いが零れた。

「オレが此処にいたらおかしいのか?」

「お、おかしい。おかしくないわけないッ、だ、だって此処にガトウが来れるはず無い」

「じゃ、オレは鮫に食われて化けて出た幽霊か何かなのか?」

「屁理屈言って・・・」

口を尖らせるテオに羽織っていた上着を差し出した。

「返しに来た」

「まさか、これだけ返しに?」

「悪かったか?」

「そんな事・・・無い」

「それなら良かった」

一向に上着を受取らないテオが俯いた。

「これから帰るつもり?」

「ああ、夜までに帰らないとオレの連れが心配する」

「もう無理」

「?」

「ガトウ。夜になったらどうなるか知らないから、そんな事言える・・・」

「夜になったら警備の自警団が沢山道端にいるとかなら、元来た道を帰ればどうってことない」

「昨日の今日だから・・・もう門の前もこの辺りも閉鎖されるって家の者が」

『巫女様のお世話の方ですか?』

「か、隠れて!?」

遠方から掛る声の方を思わず振り向こうとして巫女から鉄拳を食らった。

鳩尾に入った一撃に思わず体が九の字に折れ曲がる。

そこに追い打ちのような足が落ちて地面に死体のような有様で延ばされる。

花壇の花で容易には見えない位置になったのは理解出来たものの理不尽には違いなかった。

「ああ!? す、すいません。巫女様でしたかッ」

「ど、どうかしましたか?」

「は、はッ。何かが通ったような跡が林から続いており、またあの憎き不審者のような輩来ているのではないかと!!」

「こっちには誰も来てません。これから屋敷に戻るので貴方もお仕事に戻って構いません」

「はッ、失礼致しましたッ」

それから数十秒、微動だにしなかったテオが下を見て冷静に告げる。

「鮫の餌が嫌なら、屋敷にいた方がいい」

「・・・・・・」

そうする事になった。



家の者に見つからないようにガトウを部屋まで連れてくるのは一苦労だった。

どうでもいい用を家の者に頼んでその隙に部屋の中に引き入れた時にはもう夜になっていた。

「キョロキョロ見ない」

誰かを自分の部屋に招くのは初めての事で緊張してしまう。

家の者以外は部屋に入る事など今まで無かった。

少しだけ溜息を吐いたガトウはそっと部屋から見える正面玄関先の門を見つめて、頭を掻く。

家から出られない事が理解出来たらしい。

外には数人の自警団の人がいる。

「少し用事を頼まれてくれないか?」

「部屋に入れた。凄く感謝して欲しい」

「感謝してる」

「ッ・・・解ればいい」

変だった。

何を言っているのか。

自分の命の恩人に対して、その言葉はないと頭は感じる。

戸惑う位に胸が脈打っていた。

「用事ってな、何?」

「オレの連れが宿屋で待ってる。言伝を家の人間に頼んで欲しい」

何か迷ったような顔をした後、ガトウは頭を下げた。

それだけで何か凄く悪い事をしたような気分に駆られる。

「分かった。何て言えばいいの?」

「中央通りのアイザって宿屋の四番の部屋にいる人間に【今日は帰れそうにない。明日には帰る。少し待ってろ。賢者より】だ」

「賢者?」

「オレの事をまぁ、そんな風にそいつが呼んでるってだけだ」

「賢者とか。ガトウって賢いの?」

「どうだろうな」

逸らした顔は少しだけ赤かった。

「分かった。少し行ってくるから部屋の物とか触らないで」

「了解」

部屋を出て家の者に言伝とお湯を頼む。

お湯を自分で部屋に持っていくと言うと変な顔をされた。

それでもすぐに用意されたお湯と布をそのままタライに入れて部屋まで持っていく。

ドアを開けて中にタライを入れて閉めると後ろから声がした。

「済まない。恩に着る」

また、胸の調子がおかしくなる。

「いいから、まずコレ」

「?」

「潮っぽいからこれで体拭いて」

「・・・此処でか?」

「此処で」

きっぱりと言った。

潮の匂いなんてさせていたらバレると言ってタライを渡す。

「この服だとどっちにしろ潮っぽいと思わないか?」

「服なら何とかする」

「さすがに女性用を用意されても・・・」

顔が自分でも紅くなったのが分かった。

「ば、馬鹿!? お、男モノの服くらいこの家にもある!」

「冗談だ」

「ば、馬鹿・・・服取ってくる」

何もかも馬鹿みたいな話だった。

部屋を出て、後ろ手に閉めたドアの前で胸を抑える。

動悸、息切れ、顔が熱くてしょうがない。

「変になってる・・・」

しばらく、自分を落ちつけてから使用人用の服が仕舞ってある部屋に行き、大きな物を選んでこっそりと戻る。

誰かに見つからないようすぐにドアの中に入って鍵を掛けた。

「ッッッ!?」

思わず叫びそうになって口を手で覆った。

上半身裸でガトウが・・・体を布で拭いていた。

後ろ姿はまるで女性のように細くて白い。

それでも男性らしい手足や肩の形が男を主張していて倒れ込みそうになる。

初めてだった。

男性の素肌を曝した姿なんて。

「あ・・・う・・・」

「悪い。苦労掛ける」

振り向かれて、気が遠くなりそうな意識を強く持った。

服を渡して自分の寝台に座る。

そこでガトウから目を逸らしたら負けな気がした。

何に負けるのかは定かでなくとも、負けてしまうに違いなかった。

「・・・そんなに見られると着替え難い」

「め、珍しいモノを見て何か悪い!?」

「下の方が着替えられないとか思わないか?」

「~~~~~~~!?」

思わず枕を投げていた。

「とりあえず後ろを向いてくれない着替えられない」

何も言わず後ろを向くとシュルシュルと絹擦れの音がした。

バサリと落ちる服の音に耳を塞ぎたくなる。

しかし、手は勝手に胸を抑えていた。

「ガ、ガトウと会ってから・・・私の胸・・・変」

恥ずかしさで死にそうになる。

口が勝手に熱に浮かされたように喋り始めて、でも・・・それを止めようとは思えない。

「ソレ本当か?」

絹擦れの音が終わると後ろから気配がして振り向こうとすると腕を掴まれて止められた。

「静かに・・・」

熱に浮かされた頭に血が昇るのが分かった。

「胸がおかしいのか?」

コクンと何故か素直に頷くと体から力が抜けた。

背中に何かが押し付けられた。

「?!」

それが人の頭だと理解すると、もう何も考えられなくなる。

「少し痛いぞ」

「~~~~~」

囁かれた言葉の意味が何を意味するのかなんて理解できなかった。

両肩を掴まれて、気が遠くなる。

「背中を押す。もしも、胸に違和感があったり痛かったりするところがあったら、すぐにでも医者に行け」

「へ?」

両肩が後ろに引かれて背中が押される。

「胸に痛みは無いか?」

「え・・・無いと思う」

クルリと体を回されると正面にガトウの顔があった。

安堵した表情で脱力したガトウが本当に良かったと言わんばかりに頭を撫でてくる。

「胸を乱暴に押した後遺症で肋骨が折れたり心臓を傷めたりしてたら大事だ。素人見たてでは大丈夫だが一応明日になったらやっぱり医者に行け」

「なッ・・・あ・・・う・・・」

「?」

頭の中が沸騰していた。

きっと、ガトウの行為は凄く自分を思いやってくれていると分かる。

それなのに胸に渦まく感情は複雑過ぎてグチャグチャだった。

思わず泣きそうになって俯く。

「不安にさせて悪い」

思わず違うと言い掛けた。

でも、何が違うのか説明なんて出来ない。

命を助けて貰って、その上心配させて、そこまでしてもらって怒るような恩知らずは死んだ方がいい。

「・・・ありがとう」

言葉にすれば、たったそれだけの事。

心の底から頭を下げた。

きっと、何度下げても下げ足りない頭を下げた。

ガトウは何も言わず頭だけ撫でてくれていた。



食事を終えて、こっそりと台所のパンを持ってきてガトウに渡す。

頭を撫でられてから気持ちは落ち着いていた。

食事中のガトウを寝台の上で見つめながら訊く。

「ガトウ・・・何でそんなに優しいの?」

ガトウが嫌そうな顔で半眼になった。

「優しいの意味を事典で引くといい。けなげで殊勝で控え目で慎ましいとか出てくるぞ。オレの何処がけなげで殊勝で控え目で慎ましいのか四百文字以内で言ってみろ」

「また屁理屈?」

褒めたのに、と口が尖る。

「いいか? 本当に優しい奴ってのは妙に打算したり計算したり頑固だったり変人だったりしない」

「でも、ガトウは私を助けてくれた。自分の命が危ないかもしれないのに。見ず知らずの私を・・・」

「あそこにいたのがオレだけだったからだ。もしも、昼間に人通りがある場所でだったなら、オレはきっとお前を助けたりしてない」

「本当?」

「ああ、本当だ。人間群れると責任は取りたがらないと相場は決まってる」

「・・・・・・」

「オレはこういう人間だ。優しくない事ぐらい誰が見たって解る。それどころか今じゃ巫女を襲ったと街で噂の犯罪者で今は巫女の部屋に不法侵入した極悪人だ」

「招いたのは私」

「傍目から見れば違う」

「「・・・・・・」」

互いに譲らないから、見つめ合って、結局どっちからともなく笑みが零れた。

「どうしてこんな馬鹿な話してるんだか」

「ガトウが悪い」

「人のせいにするな。言ったのはそっちのはずだ」

食べ終わったガトウが立ち上がる。

「毛布か何か貸してくれ」

「無い」

「は?」

「全部、ここ」

寝台を軽く叩く。

「そこにあるのを一枚貸せばいい」

「貸さない。これ私のだから」

本当はちゃんと貸して、ありがとうと言って欲しい。

それなのに口を突いて出た言葉は、

「此処で寝ればいい」

別人が喋っているようだった。

「は?」

ガトウの唖然とした顔。

さっきまでの熱に浮かされたような心地はしない。

ただ、胸が静かに緊張していた。

「寝台大きくて一人でも余るから。端で寝ればいい」

「・・・意味とか分かってるか?」

「何それ?」

そんな意味本当は知っている。

子供みたいに思われても、そんなに子供っぽくない。

初めて男を部屋に上げて、寝台を貸す。

きっと、家の者が聞いたら卒倒する事ぐらい解っている。

それでも傍にいて欲しかった。

「ガトウは命の恩人だから。床でなんて寝させられない」

ガトウはジッと見つめてくる。

きっと、何か照れたりしたら、やっぱり床で寝ると言い出すに決まっている。

だから、何も知らないフリをした。

「まぁ、眠るまで御伽話ぐらいは聞かせてやる・・・か」

「そんなに子供じゃない」

ガトウが頭を撫でてくる。

悔しいぐらいに子供扱いなのに全然嫌じゃなかった。

それから寝台の端に寄る。

ガトウがそっと寝台に上ってポソリと呟いた。

「久し振りに柔らかい寝台で寝た気がする」

「ガトウって裕福な家の人?」

自分の使っている寝台は特別だと知っている。

普通の家では床に布を敷いただけで眠るところも多いと聞く。

「昔はな。その後はその日暮らしだったし、こっちに来てからはまぁそれなりの生活か」

「こっち・・・ガトウってやっぱり旅人か何か?」

「気にするな」

気にしないわけ無い。

旅人は一つの街に長く滞在したりしない。

旅費を稼ぐ以外は数日でまた別の場所に行ってしまう。

「気にする。お礼する前にいなくなられたら嫌だから」

「今は旅の途中、なんて言っても此処からそう離れて無い場所で今は暮らしてる」

「何処?」

「リオーレンの近くだ」

「え・・・」

聞いただけで背筋が凍った。

その場所は知っている。

大巫女が統べる最も竜多き土地。

砂漠と荒野に挟まれた境界には多くの地の竜が住まい、普通では考えられない規模の『大狂乱』が起こる。

嘗て大巫女が住まう以前にはアウタスが全員消えてしまう事も少なくなかったと聞く。

歩いて一週間は掛る土地だった。

「ガトウってアウタス・・・なの?」

「ああ」

淡々と話すガトウが正気に見えるから、背筋が震えた。

「どうして、そんな危ない場所で暮らすの?」

「ウチのオババ曰く【竜なんて何処にでもいるもんじゃよ。逃げられはせん】・・・オレも同感だ。実際、何処にでも竜は出る。何処に住んでも危ない事に変わりないならあそこで暮らしても同じだ」

「そんなの・・・あそこは竜が凄く頻繁に出るから大巫女様の管轄になってて。もし、大巫女様がいなかったら人なんて消えてる場所だってガトウは分かってないから」

「そうなのか?」

「そう。だから、あそこで暮らしてるのはインナスの方が多くて。アウタスはよっぽどモノ好きか覚悟がある人だけ住んでるって」

「(あのオババ。魔女なだけはあったのか)」

ガトウがまるで平気そうにしているのが信じられなかった。

「そんな所に帰ったら消されても文句なんて言えない。絶対、別の場所に住んだ方がいい」

「心配してくれるのか?」

「命の恩人が消えるなんて嫌だからッ!!」

思わず端にあるガトウの服の袖を掴んでいた。

「嫌・・・だから・・・」

誰かが消えるなんて嫌だ。

誰か知っている人や大切に思える人が消えるなんて耐えられない。

そして、それを無力に眺めているなんて死んだ方がマシだ。

「それならお前は考えが足りない」

「え?」

「お前は誰かが消えるなんて嫌だと言った。だが、お前は自分を消そうとした。それはお前以外の誰かだって同じだ」

真剣な瞳だった。

「オレは自分から消えたいと思ったことはある。だが、現実に消えようとした事はない。オレは自分がどうしようもない状況で消える事は諦められるが、誰かが自分で自分を消すなんてして欲しくない。身勝手な話かもしれないが・・・テオ・・・オレはお前に消えて欲しくはない」

ハッキリと見える月から窓に注ぐ青白い光がガトウの顔を照らしていた。

本人に言ったなら屁理屈で否定されるかもしれないが目の前の人の何処が優しくないと言うのだろう。

自分を犯罪者とか極悪人とか言う口がテオ・アルン・フェーダ・トーメルテムを救ってくれた。

自分の事を顧みず誰かの為に思わず命を投げ出せる人間が優しくなくて何だと言うのか。

世間ではそういうのをお人よしとか善人とか呼ぶのに。

「明日、早朝の内に此処から出たい」

それ以上何も言う事がないみたいにガトウは目を閉じた。

何も言えなくて、袖だけをずっと掴んでいた。

寝むるまで何故だか離す気にはなれなかった。



人の夢には五感が混在する。

全ての感覚が欠落していなければ、それは本人にとって現実に違いない。

夢を夢と認識してさえ、感覚は決して覆らない。

一つ此処に夢がある。

短いショートフィルムのような。

あるいはモノクロ映画のような。

音はない。

やけに乾いた質感の湊を舞台にした涙ありの感動話だ。

一人の少女と老婆が主役という事になるだろう。

老婆が言う。

【さて、もうお前に教える事はない。さっさとこの街から出ていけや】

少女は言う。

【ダメッ!! そんな体で行ったら!!?】

老婆が言う。

【五月蠅い餓鬼だ事。こんなくたばり損ないの婆が善意で言ってんだ。少しは聞けっつーの】

やけにフランクな老婆が呵々大笑して泣いた少女を蹴り飛ばす。

【お前みたいなアウタス拾うんじゃなかった。ったく】

随分と酷い扱いをしている老婆の目は澄んでいる。

酷い扱いを受けても少女は泣いて老婆に縋る。

【ダメッ、ダメッッ!!】

老婆は回りの大人達に言って少女を離させる。

大人達の手に遮られて少女の手は届かない。

大人達の中から偉そうな脇役の男が登場。

【いいんですか? マザー】

【はぁ? ふざけてんのか。あんな小娘使うまでもない】

【この後は如何様になさいますか?】

【後の準備は整えてある。継がせたら街から追い出せ。後任が来るまでに】

【貴方の事を誰よりも思っているのはあの子です】

【餓鬼に心配されるなんざ真っ平御免被る。高台でこの婆の一世一代の晴れ舞台でもありがたく拝んでろよ】

【御武運を。マザー】

泣いて喚く少女が大人達に連れられて行く。

一人街に残った老婆は桟橋まで来ると腰を下ろして、その遥か遠方まで地続きの海を見つめながら懐から抜き出したボトルを呷った。

震えを誤魔化す為の酒。

【まったく、巫女なんてバカのやる仕事だ】

押し寄せてくるのは遥か巨大な大津波。

何メートルかすら想像できない。

街を遥か天から覆い尽くそうとする真の大災害。

津波がもしも街を直撃すれば何もかもを飲み込み、住民が避難している高台すらも阿鼻叫喚の地獄となるのは目に見えている。

【ああ、本当に家族なんて作るもんじゃないっつーか】

老婆が嗤い立ち上がる。

羽織が落ちる。

いたる所からの出血、壊死の始まった手足、抜け落ちていく髪。

【災害如きが・・・人様の家族を奪おうとするんじゃないッッッ!!!】

老婆が叫ぶと同時に目前の津波の中から何かが現れる。

その馬鹿げた偉容を知っている。

日本でその姿を知らない者はない。

正真正銘の戦艦バトルシップ

大和(やまと)

帝国海軍が誇った最高機密。

日本の対艦巨砲主義に支えられた究極の不沈艦が津波にビクともせず老婆の前まで何もない地面を削りながら迫った。

例え沈んだとしても、その力は日本人なら誰も疑わない。

それは確かに日本が戦前に誇った最新最高の船だった。

――――――。

涙ながらに声も無く少女が吠えていた。

巨大な船が嘶く。

船を中心に世界が光に満たされていく。

海が割れて引いていく。

大海原すら従わせたか。

光の後には何事も無いような海と雲を割り差し込んでくる光。

桟橋に老婆はいない。

欠片すら残ってはいない。

ただ巨船のみが海に浮かんでいた。

ザラザラと急にノイズが入る視界には少女がずっとずっと喉が枯れても叫び続けていた。



「見つけた・・・賢者」

あたしはやっと見つけた顔にホッとしていた。

知らない人から賢者の言伝を受け取ったのは夜。

少し怒ってからもう寝ようとして、眠れなかった。

心配で、心配で心配で心配で、気が付けば賢者の匂いを追っていた。

見つけた匂いは誰も通らないような裏道ばかりを通って意地悪みたいにあちこちを通っていた。

何度も何度も見失って、最後に見つけた道を往くと何故か沢山の人がいて、見つからないように屋根を跳んだ。

小高い丘のお屋敷。

その一番高い場所にある部屋。

そこから賢者の匂いがした。

屋根をよじ登って窓まで下りてやっと見えた顔はとても穏やかだった。

「・・・」

無事だったから何も気にならなくなった。

どうしてこんな場所にいるのかとか。

そんな事どうでもよくなった。

ただ、賢者が穏やかでちゃんといる。

それだけで涙が出そうなぐらいに嬉しくて、それ以外なんて気にならなくなる。

何処かにフラフラ飛んで行ってしまいそうだから、ずっと手を繋いでいられたらと少しだけ思う。

「・・・」

窓にカギは無かった。

薄暗い部屋に音を立てないで入る。

賢者が端に寄って眠っていた。

「ふぁ」

思わず欠伸が出て、何も考えたくなくなった。

「ん・・・」

傍で賢者が寝ている。

だから、そっと寝台に上って賢者に抱き付いて感触を何度も何度も確かめる。

賢者はいつもと同じ、少し冷たくて気持ちいい。

そのまま何も考えず賢者の傍であたしは抗えない睡魔に目を閉じた。



朝、薄ぼんやり視界が開けると誰かの背中があった。

触れ合っている場所は温かく、他の場所は少し冷たい。

顔を背中に付けるとひんやりとして気持ち良かった。

(ガトウ?)

声に出したような心の内だけで呟いたような。

「・・・」

鐘の音が遠くから聞こえる。

湊の朝は早い。

まだ日も差さない薄暗がりから漁に出る男達の無事を祈って鐘は打ち鳴らされる。

「・・・」

思い出すのはあの人の事。

自分を拾ってくれた優しい人の事。

あの日もこんな薄暗がりで鐘が鳴っていた。

いつの間にか其処に居た私は着る物も無く、自分が誰かも解らずにいた。

大きな石碑の前で肌寒さに身を震わせながら朝日が出るのをじっと待っていた私に最初に声を掛けてくれたのがあの人だった。

【本当に妖精がいるなら、それはきっとお前みたいな奴だろうな】

お酒を呷る男みたいな口調で話す巫女だった。

自分の黒い羽織に包んで乱暴に持ち上げるとその人は私を自分の家に運んだ。

それから私はテオ・アルン・フェーダ・トーメルテムと呼ばれ、家事と炊事をさせられる事になった。

日が昇ると私の体をその人は鍛え抜いて苛め抜いた。

だらしないと容赦なく飛んでくる蹴りと鉄拳。

いつも陽気で頑固で怒って笑って酒の匂いをさせていたその人。

そんな人なのに、私は苛め抜かれた後、湿布や薬を塗りたくられて寝台に押し込められた。

それからの日々は食事の作法から人への接し方、礼儀、喋り方の一つ一つまで口を擦り減らすように言い含められた。

鍛えた後は旨いものを口に押し込めて、いつもこう言った。

【これで少しは利口になるか?】

厭味ったらしい笑顔は何処か晴れやかで文句なんて口の中で消えた。

一年、二年、三年。

時間が過ぎるといつの間にかその人は私を小高い丘の上のお屋敷に住まわせるようになった。

【今日からお前が此処の主だ。良かったな】

それからまた時間が過ぎた。

その人は相変わらず口が悪くてすぐに足と鉄拳が飛んできた。

それなのに・・・ずっとずっと百以上は生きると誰もが言った口の悪いその人は何故か、その日あっけなく死に掛けて運ばれてきた。

お屋敷の誰に聞いても何一つ答えてくれなかった。

お屋敷を時折回る自警団の話を盗み聞いたのはその人が運び込まれてきた夜。

話はこうだ。

偏屈な巫女は後継者を探していた。

本来、巫女は野良の竜に触れても消えないインナスの子女が選ばれる。

しかし、巫女が選んだのは竜に触れれば消えてしまう『アウタス』の小娘だった。

育てる事を反対する大勢の声を無視した巫女はその子をまるで虐めるように鍛えた。

本当ならもう巫女にしているはずの年齢。

それなのに巫女は街に他の巫女を呼ぶ事を約束して、その子を自分が本来住んでいるはずの屋敷に入れた。

未だ到来しない後継の巫女が来るまで限界を迎えていたはずの巫女は街を守り続けた。

時に体を壊し、時に心をすり減らしてまで。

そうして『狂乱(バースト)』が起こった。

地域ごと数年に一度起こる竜達の狂奔。

占いでその時期は解るはずだった。

多くの巫女が集えば何とか竜を撃退する事ができる。

そのはずだった。

何の準備も無い巫女に『狂乱』は襲い掛かった。

嵐のような戦いだったと、何かを守るように決して後ろには下がらない戦いだったと、自警団の男達は語っていた。

もう休ませてもらえるはずのあの人は誰の為でもなく。

拾った見知ぬ小娘の代わりに戦ってくれていた。

満身創痍のその人が死に掛けている時、更なる凶報が届いた。

知らせの内容は【津波】が来る。

証拠は海の彼方まで引いた潮。

魚がのたうち回る広くなり過ぎた海岸。

その人は立ち上がった。

立ち上がって、最後まで小娘に戦わせてはくれなかった。

遺したのはただ自らの竜一つだけ。

巫女の掟にある通り、残った竜は後継者が受け継いだ。

そうして戦えない巫女が出来上がった。

実力なんてない巫女に竜は使いこなせなかった。

竜が出るたびに唯一出来た事は街の方角を誤魔化して竜を遠ざける事だけ。

街には新しい巫女が来る。

本当に街を守れる巫女が。

そうやって戦わない巫女は街から出ていかざるを得なくなった。

でも、それは仕方ない事。

だから、死んだっていいと思った。

もう、何も失うモノなどないのだから。

その人が消えた桟橋で消えられたら、それで本望だと思った。

「・・・」

そのはずだったのに桟橋から跳び込んだ戦えない巫女が見たのは海の底ではなかった。

朧月夜に照らされて濡れた自分も厭わずに必死な顔で胸を押す誰か。

唇から注ぎ込まれた息吹きが空っぽな胸を満たして泣きたい気持ちになった。

『生きろとは・・・言わない。だが、助けたオレの心持分くらい・・・死ぬな』

そんなことがあって、今はまだ死なずにいる。

どうしてか。

助けてくれたその人と一緒に寝ている。

もしも、あの時自分が死んだとするなら、今テオ・アルン・フェーダ・トーメルテムは二度目の人生歩んでいる。

あの日、あの人が助けてくれたように、今は目の前にいる人が助けてくれている。

「・・・ガトウ」

どうすれば恩を返せるだろう。

もう、何も出来ず誰かと別れるのは嫌だった。

「ガトウ」

泣きたくなる。

胸が熱くて痛い。

だから、何も考えずに―――触れ合わせていた。

「・・・?!」

少しだけ霞み掛った頭から霧が晴れた。

目が醒めて、自分のしている事に死にそうなくらいの羞恥を感じた。

それでも離せなかった。

「・・・ん・・・」

さんざん変呼ばわりした癖に自分の方が変になっていた。

頭の芯が甘く溶けていく。

悦びが何もかもを押し流していく。

「賢者。ふぇ?」

「・・・?」

それは知らない瞳だった。

その寝ぼけ眼はぼんやりしていて、体と腕がガトウの体に絡み付いていた。

「「・・・・・・」」

赤茶けて跳ね乱れた長髪。

童顔の愛らしい顔。

胸が自分と同じくらい無い事に何故か安堵して。

生涯で二度と出ないぐらい大きな声で恥ずかしさのあまり叫んでいた。

『――――――!!?』

大騒ぎになった。

感想は随時受けて付けています。連載中のSFノベルGIOGAMEもよろしくお願いします。

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