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第二章 楽しいバルトメイラの歩き方

第二章 楽しいバルトメイラの歩き方


いつか帰れたら真っ先にスレを立てると思われる某掲示板の諸氏。

今日はとても素晴らしい異世界ライフについて説明させて頂きたい。

午前六時半と思われる時間帯に起床。

午前七時台と思われる時間帯に食事。

その後、謎が増えたケータイによる只管の計算、会計業務。

一時間弱で計算結果を異世界数字にて記述、終了後自由時間。

そう・・・自由時間。

異世界には明確な時間間隔はない。

そもそも時間の概念が早朝朝昼晩深夜程度しかない。

まるで何処か異国の如きスローライフ。

その為、帰還に必要と思われる事を調べ、それを思考する時間は無限大。

一日数時間の推理と仮定と立証を繰り返しながら異世界の常識その他帰還に必要と思われる懸案事項を科学的方法論で処理していく事早数日。

異世界のちょっと地味目な茶褐色の民族衣装を貰い生活感が出てきて早数日

やはり、帰還に必要な情報はこの世界の根幹とも言える竜とそれを扱う巫女。

そして、アウタスとインナスと呼ばれる二つの人種の違いという大まかな結論は出た。

それを一つずつ思考の上で弄びながら幾時間も過ごしたのは最初の一週間程。

行き詰まりを見せ始めた考えは硬化せざるを得なかった。

それからどうなったのか。

一応、教えておこう。

結局、自由時間は頭の足りない孫娘に委ねられる事となった。

というのも少女の安易な言葉に世帯主である極悪魔女が乗ってしまったからだ。

曰く。

【賢者、ほら行こう】

魔女曰く。

【ほほほほほ。それじゃ、ユネル。そこの婿殿を連れ回して気晴らしでもしておいで】

登山から数日。

美しいモノに素直に感動した事は置いておいても、それなりに自らの置かれた状況を受容できる程度には態度も変わったと自覚が出てきた。

そんな矢先。

少女の無垢な瞳と狡猾な魔女の幻惑に打ち勝てるだろうか。

否、無理であると言いたい。

諸氏の中にはそれなりに整った顔立ちの足りない孫娘に連れ回されるなんて何て運の良い奴との意見もあろう。

が、勘違いである事は言っておく。

孫娘にとって気晴らしとは修行であり、街に顔を出す事であり、どちらもこちらには致命的に肉体と精神を削るイベントでしかなかった。

確かに帰還に必要な情報やバルトメイラの常識を集めるには丁度良い話であった事は否めないが、それだって度を過ぎれば毒以外の何物でもない。

主に修行とやらを見ていると「あ、賢者も一緒に体力付けようよ」と走らされる。

曰く。

【ほら、大丈夫大丈夫。賢者も力付けて男の子らしくしならないと。女の子に嫌われちゃうよ?】

グサッと来る天然の刃に抗う術は無かった。

更に街への顔出しをすると人と強制的に話さざるを得ない。

これは基本的に半引き篭もり状態の状態だった人間にはキツイ。

【おっ、巫女様のとこの婿殿!!】

【あっ、巫女様のとこの男妾さん!!】

【はッ!? 巫女様のとこの二号様!!】

枕詞が巫女様のとこの、次いで○○○が来るコンボに精神ダメージを喰らわないわけがない。

特に男妾とか二号とか、そもそも一号は誰ですかとか、婿殿ですらキツイというのに・・・諸氏にこれを笑顔で耐え切る忍耐があるとするなら、それは神の御技に外ならないと断言しよう。

そうして午後、全ての外部行動を終え帰ってくると只管に狡猾な老人に情報を強請られる始末。

就寝までに如何にして情報を出す事なく逃げ回るかが最大の難関と言える。

その後にしても睡眠中に見る悪夢や寝ボケて隣に潜り込んでくる理性の破壊者がMPこころを削っていくという次第では休まるどころか緊張の連続なのだ。

何処に安寧があるというのか。

そんなわけで諸氏には悪いがファンタジーライフは完全な平穏とは未だ程遠いのである。



夜明け前の薄明かりの空を見ながら妙に落ち着いた気分で近頃の近況をオババから貰ったノートに綴る。

小さな変化。

余裕とそれを言うのか。

あるいは諦観と言うのか。

全てを受け入れられたわけではないとしても、自分の立場を認識し、それを知って焦りはしなくなった。

(この世界を歩く事は変えられない。なら、せめて往く道を自らの意志で選び取る・・・か)

別たれ入れ替わった現実と幻想。

その中で歩き出して山を一つ越えたとも思える。

しかし、それが勘違いである事なんて分かっていた。

そもそもこんなシビアなファンタジーを受け入れる余地があったのはヲタクゆえの知識の多さに起因する。

ユネル・カウンホータの行動はそれを後押しするものではあっても、それ以外ではない。

ヲタクとしての思考が言っていた。

このファンタジーを許容するようにはなった。

だが、それは決して山を越えたなんて事ではない。

本当の山場はこれからやってくる。

心地良くなっていく現状に満足してしまえば、最も憂慮するべき事態が始まる。

(この世界で明日に希望なんて見出し始めたらアウトの兆候だ。そんな有りもしないものを指向した瞬間からオレは途を失う)

頭の中を掠める少女の顔。

現実への回顧の念が掻き消されれば、本当にファンタジーの住人として生きていかざるを得なくなる。

それは今までのスタンスの崩壊であると同時に臥塔賢知という個人の崩壊でもある。

現実の中にあってファンタジーに縋り生きてきた。

しかし、ファンタジーの上に立って物事を考えてきたわけではない。

画面の中にある。

紙の中にある。

そんなものを追い求められるのは現実に立脚し安定した状態での話でしかない。

其処は逃避先ではあっても、身の置き場所ではない。

憧れと現実に成り替わったファンタジーはイコールではない。

そんな世界で二次元ヨロシク逞しく生きていけるのは一部の心の強い超人か、力の強い超人か全うに成長できる若人と相場は決まっている。

決してそんな類の人間ではないと自分を評価出来るからこそ分かる。

物語に綴られるような話を紡ぐ事は自分に出来ない。

異世界に迷い込み、自分を見つめなおし、美少女と結ばれ、成長して現実に帰っていく。

何てリアリティーの無い話だと思う。

現実、ファンタジーならバッサリと途中で道が切れ、死ぬ事なんて儘ある。

異世界に迷い込んで十分で死亡する確率はどれだけか。

異世界とやらの住人に殺される確率はどれだけか。

夢のような甘さ加減で助けてくれる人間が出てきたとして、裏切られないと言い切れるのか。

あの無駄に寝覚めの悪いファンタジーを知るからこそにそう思う。

「ふぁ・・・賢者・・・おは・・・よう・・・朝早いよね。賢者って」

後ろから掛る声にドキリとして振り向く。

扉の先にチラリと見えるユネルの顔に自然に挨拶を返した。

「おはよう」

「うん。こんな時間から・・・勉強?」

「いや、日記だ」

「日・・記・・・?」

「ああ」

「そう・・・おやすみ・・・賢者」

寝惚けた状態で良かった。

ホッとした理由にバツが悪くなる。

(都合の良い道はまだ途切れてない。だが、本当にこのまま往けるのか?)

寝台の中に潜り込み瞳を閉じた。

次に起きた時、抱き枕のように心地よいモノを抱いていて、下品な笑みでニヤリとした魔女にこっ酷く騒がれた。



「・・・・・・・・・」

小さな筆で何かを書いていた。

その後ろ姿に声を掛けようとして気付く。

愕く程に険しい賢者の顔に。

「・・・・・・・・・」

賢者。そんなに怖い顔してどうかした? あたしが相談に乗るよ? 今日はどうする? 一緒に居ようよ。沢山見せたいものがあるんだよ。賢者に一杯一杯笑ってほしいって思うのはイケナイ事? あたしは賢者とずっと一緒に居たいよ? 賢者はどう思ってる? あたしは―――。

「ふぁ・・・賢者・・・おは・・・よう・・・朝早いよね。賢者って」

言いたい事はそんな事じゃないのに。

「おはよう」

「うん。こんな時間から・・・勉強?」

いつもとは違う少しだけぎこちない声。

「いや、日記だ」

「日・・・記・・・?」

きっと、そういうものじゃない。

「ああ」

「そっか、おやすみ賢者」

扉を閉めて、胸の鼓動は収まらなくて、賢者の怖い顔が気になって、顔が熱くなるのを抑えられなくて、こんなに思うようになるなんて変だと思うのにどうにもならなくて、体がボンヤリと熱に満たされて・・・・・。

しばらく其処でジッとして、そっと扉を開けた。

静かな寝息。

(こんな事イケナイのに)

いつも注意されている事。オババにからかわれて凄く恥ずかしくなる事。

それなのに止められない。

「賢者」

小さな寝台の横からそっと潜り込んで横を向いている背中におでこを押しつける。

「居なくなっちゃ嫌だよ」

本当に怖いと思ったのは顔ではなくて。

「嫌いになっちゃ嫌だよ」

「・・・ユ・・・ネル・・・」

「ッ」

温かくて、抱きしめて眠った。



遥か太古の事。

その頃いた生物の大半が死滅した事があったらしい。

そんな劣悪な環境の中にあって生まれたのが竜と呼ばれる存在だと言われとる。

それから竜がこの世界バルトメイラの覇者となったのだという意見が大半じゃ。

何があったのかは解らん。

ただ、何かがあったという事だけは確かな事として記録がある。

その書曰く「禍来りて奇跡起こらず」

まぁ、その凶事は誰にも止められなかった。

そういう事じゃないかい?

そうして、世界は今の形となった。

それからどれだけ経ったのかは定かじゃない。

だが、禍が終わった世界には竜と人が争う構図がもう出来ていたのは確かだろうさ。

その頃の書にアウタスが消された事が伺える記述があるからねぇ。

さ、今日はこんなところにしようかい。



すっかり慣れた石製の硬い椅子の感触に腰を下ろしながら、目の前で煙管を片手に語っているオババの話に顔が引き攣る。

(この世界は・・・)

灰が灰皿に落とされた。

予想していた世界の成り立ちの一つが脳内で明確に形作られていく。

終末。

世界が終わり始まったという創生伝説。

現代との関連が竜に集約される以上、竜の生い立ちとその終末がいったい「いつ」起こった事なのかも詳細に調べる必要がある。

それによってはバルトメイラという世界がいったい現代とどう繋がっているのか幾つかの予想が濃厚になるかもしれなかった。

特に時間的なネタ、未来とか過去とかタイムマシンとか、そんなものによってバルトメイラが未来や過去の世界であるという事も視野に入れる必要がある。

マンガにもアニメにもくある話。

核戦争だの、第三次世界大戦だの、地球は滅亡しただの、終末を迎えた世界などのネタには複数のパターンが存在する。

破滅したはずの人類が未だに汚染された大地で生き残っているとか、汚染された大地とはまったく別の惑星に移住したとか、そもそも汚染された大地で暮らす事は不可能で何処かのSFよろしく機械の中で生存しているとか、過去や未来に旅だったとか。

一つ目以降に言える事は「別の世界、もしくはそれに類する場所への移住」だ。

ファンタジーが存在する以上SFが真面目に無いと言い切る理由はない。

よくファンタジーだと思ったらSFでしたなんてオチは二次元ではよく見かける話なのだ。

否定する要素はまったくない。

「また、話してくれ」

「ああ、幾らでもしようじゃないかい。可愛い玄孫もそろそろできそうだしねぇ。くくくくく。今日は町の連中と飲みにいってくるから、ユネルには夕飯は二人分でいいと言っておいておくれ」

楽しげな背中がドアから出ていく。

視線を外して空を見た。

現実と同じ以上に蒼い空。

創り物と見るにはリアル過ぎる。

だが、何を信じていいかも分からない状況では何もかも疑って掛からなければ。

必要な情報を見逃す事にもなりかねない。

「・・・・・・はぁ」

あまりの分かりやすいオババの行動にうんざりする。

二人きり。

誰も来ない。

夜、時々潜り込んでくる

保護者不在。

お膳立てが済めばいいという問題ではない。

と、理性は言うが、その理性が「間違いを起こしやすいと知っても起こすがの若さってものさ、あっはっは」とダメな感じに現実をプッシュする。

衝動としてそういうものを持っている。

男なのだから当然、そういう「情」があるのは当たり前の事だ。

それを無理やりに呼び起こそうという魔女のお膳立ては甘美でありながら、寒気を覚える程に危機的な冗談だ。

万に一つも間違いが起きないと言えない辺り、自分の自制心や理性が疎ましいが、もうそれなりに感情を交わしあった少女がいる以上、それを否定しろと言われても無理だ。

何が健全かという議論は置いておくとしても、臥塔賢知は健全に男だ。

好意的に少女をユネル・カウンホータを思っているのは間違いない事実なのだ。

それが恋愛という感情とはまだならない程度のものだとしても。

「・・・・・・」

恐ろしいまでに長い一日。

現実では一日など長くなかった。

起きて学校に行き帰り趣味に興じ寝る。

食事風呂トイレ以外はそんな感じだった。

何ともメリハリのない時間は決して長くない。

それなのにファンタジーの一日はあまりにも長い。

何かを考え没頭している内はいい。

しかし、それ以外の時間が長く感じる。

少女といる時間は特に濃密にそう感じる。

朝、少女の掛け声で目を覚ます。

それから少女が出かけるといつの間にか少女が早く帰ってこないかと思っている自分がいる。

少女と外へと出かけるとまるで読むのに何日も掛るハードカバーを延々と呼んでいるような、それ以上に情報量の多い時間を過ごす事になる。

一日を終えて寝台に横になる時、まるで一週間を無事に終えたような疲労感と満足感に襲われる。

危機的だ。

満足感なんてものを感じている。

それがどういう事なのか解らないと誤魔化せるだけの余裕はない。

馴染み始めている。

あまりにも異常である事に慣れ過ぎ、現実という感覚を忘れ始めている。

現実に帰ろうとするならば、それは危機的だ。

やがて、帰ろうとする意思が薄れていく。

必死さが損なわれていく。

そうして時間が経つに連れて思っていくに違いない。

帰れないならば此処で生きていこう。

その時のパートナーは横にいるのだから、と。

「惰性か・・・」

流されていく事を良しとしてきた現実はもうない。

だというのに、ファンタジーな世界で惰性を行使する事になればお終いだ。

一気に決意は崩壊し、ファンタジー世界の住人Aとして生きていかざるを得なくなる。

「オレは主人公でも脇役でもない。オレはただの傍観者だ」

異世界で中二病くさい設定で生きていくなんて御免被る。

それを忘れて生きれば先には破滅しかない。

ファンタジーはファンタジーのままだからこそ憧れの対象であり、興味の対象であり続ける。

惰性によって異世界の住人と成り、これが自分の現実だと認識した瞬間から、冗談のように『現実ファンタジー』を頑張れている自分は崩壊する。

惰性は腐敗を呼び、腐敗は低下を呼び、低下は諦めを呼び、諦めは死を呼ぶ。

このファンタジーで現実を主張しなくなった時、自分は反転する。

その時、そこに居るのはきっと現実においてダメな奴と言われていた人間の本質だ。

現実は重く見ていたが軽く扱っていた自分だからこそ分かる。

この世界において現実と同じ行動を取った場合、待っているのは明らかなまでの破滅だと。

現実世界で誰にも褒められた記憶はない。

それは頑張らなかったからだ。

現実世界で誰にも望まれた事はない。

それはすぐに諦める人間だったからだ。

この世界において異常に立ち向かうべく頑張れているからこそ、今の多少平穏な時間がある。

本来の自分とは掛け離れた行動を起こしているからこそ、少女はまだ自分に構ってくれている。

しかし、それが「現実」となった時、そこにいる惰性のみで動く物体を少女は笑顔で見てくれているだろうか。

否、ありえない。

ソレを見る視線の厳しさを知っている。

しかし、それを気にしてこなかったからこそ生きてこれた。

だが、もしも好意的にも思う誰かにそんな視線を向けられたら、きっと震えずにはいられない。

見捨てられても生きていけたからこそ現実。

失望されようが諦められようが生きていられたからこそ現実。

誰も好きな人間など居なくて、誰もを遠い視線で俯瞰していたからこそ、壊れずにやって来れた。

見捨てられたら死ぬという異世界ファンタジー

好きだからこそ失望されれば傷つくという現実ファンタジー

好意を持つからこそ、それに嫌われる事は耐えられない。

特にあの天真爛漫でヘビーな過去を背負っている頭の足りない孫娘に現実で向けられていた視線を万分の一でも向けられたらダメージはヘビー級で済むと思えない。

好意的に思っている人間に屑呼ばわりされれば誰だって平気でいられない。

誰に諦められようと屑呼ばわりされようと嘲笑されようと構わないが、ユネル・カウンホータという少女があの視線を向けてくると思うと震えてしまう。

「けーんじゃ!!」

「?!」

背後からの奇襲だった。

瞬間的に頭が石製のテーブルに炸裂する。

「~~~~~~~~~!!」

一人切りだったはずの部屋の人口密度がいつの間にか増えていた。

巨悪オババへの危機感がいつの間にか情けな過ぎる感傷的な告白となっていた事はそっと心の中のオサレ小箱に仕舞っておいて、常の如く冷静に後ろの襲撃者を迎撃した。

左手によるデコピンが狙い違わず後ろで「えへへ」とヘライ笑みを浮かべていた愚か者の額に炸裂する。

バチコーンと良い音を轟かせて「はうッ?!」という間抜けな声で尻餅を付いた愚か者が立つ前に連続で額をデコピンの嵐に襲わせる。

「痛ッ?! 痛いよ賢者ッ!? ごめ、ごめんなさ、痛ッ、わ、悪かったからね? や、止めッ、ひゃめ」

指の関節と筋肉を酷使した後、グデーンと半分意識が飛んだ少女の額に薬箱から大きめの湿布らしき物を張ったのは一欠けらの良心だった。



「はぁ、ユネル。お前は本当にこのオババの孫なのか?」

保護者不在の一夜が明け、朝食を取っていた時、何故か窓の外から入ってきた魔女の第一声がそれだった。

「オババ帰ってきて、って・・・まさか・・・ど、どどどどーしよう!? 賢者ッ、オババがついにボケちゃった!!」

「ユネル。そういう事じゃない」

「へ?」

「まだそこのご老体はボケてない。オレが保障しておく」

「???」

疑問符を浮かべる孫娘に落胆しながらも、魔女は「ふふふふ」と薄気味悪い声を出した後、そそくさと隣の席に付いてニヤリと嫌らしい笑みを浮かべる。

「昨日はお楽しみでしたか旦那?」

「何処の宿屋の主人だ」

「その様子だとまったく何一つとして楽しげな事は無かったようだねぇ」

「あ・た・り・ま・え・だ」

「つまらんのう。ああ、つまらんのう。孫娘の仄かに色付いた頬、モヂモヂした姿態、そんな瞬間が見られると頑張っとる老体にはキツイ仕打ちじゃのう」

「・・・本当にそうなってた場合どうするのか訊いていいか?」

「その場合はアンタを奈落の底に突き落としてから竜の餌にしてやるかい」

サラリと小さな声で言われて肝が冷えた。

「オババ。それじゃ、今日は昨日言われてた通り隣街に行ってくるから、戸締りとか火の始末とか忘れちゃダメだよ」

カシャンとテーブルに皿が並べられていく。

仄かに香る刺激的な香料の匂いが食欲をそそった。

「うむ。あちら側の意向はそう重視しなくても良いからのう。ああ、あと今日は婿殿も連れて行け」

「え・・・賢者も連れていくのオババ?」

「お前の仕事の一端を見せておくのも悪くない。家の孫娘は優秀だからのう」

「一体人の意見を無視して何処に連れて行くつもりだ?」

「巫女の仕事と言えば一つだ。竜退治だよ」

「オババ。でも、そんなの危ないよ。別にアタシだけが行けばいいんだから賢者は・・・」

顔を曇らせた孫娘にまったくお構いなしにオババが言う。

「ユネル。何処に居ても竜は必ずやってくる。そして、誰が消えるかはお前の力次第だ。何処に居ても竜がやってくるならいつだって危険じゃないかい? それならせめて自分の傍で守ってやるぐらいの事は言うもんだ」

「男と女の立場が逆になってるぞ」

こちらのツッコミもまったく無視でオババが煙管を咥えた。

「それが例え野良竜の目の前でも助けられなくてどうする。それで巫女と名乗れるのかいユネル?」

「・・・うん。分かった。オババ。アタシが必ず賢者を守るから」

「それでこそこのオババの孫娘だ。ほほほほほ」

「オレの意見は何一つ必要とされてないのはよく解った」

「アンタも興味があるんじゃないかい? 竜ってやつの事を間近で見てきてこれからの事をもう一度じっくり考えてみるんだねぇ。さ、朝飯朝飯」

ガツガツガツとフォークっぽいもので目の前の皿の中身を片づけ始める魔女の言葉。

それは一歩間違えば即死フラグだと分かる。

それでも、そのリスクを冒しても見てくる価値はあるのだと理性は判断した。

竜。

関わらなくても帰る道へ辿り着けるかもしれないが、帰還の成功確率を少しでも上げたいと思うなら往くべきだ。

「頼む。ユネル」

最後の皿を持ってきて座る少女に軽く頭を下げた。

「うん! 絶対守るからね。賢者の事。大船に乗ったつもりでいて!!」

ただしっかりと頷いた。

そうして気付く。

こんなにも温かい食卓を囲むのは今までの人生で無かったのではないだろうかと。

「旨いのう。とりあえずこの皿と同じのをもう一皿」

とりあえず。

空気を読まない老体の満面の笑みを砕く為、新しい皿の中身は即座に胃袋へ消えるのが決定した。



隣街という言葉に騙された。

正確には隣がどれだけの距離となるのかを考えなかった自分の常識に騙された。

正確には分からなくても感覚的には五十キロ以上。

まったく情けない男の意地はもう全品ただで持って行けとばかりに投げ売りされた。

おんぶに抱っこで三時間。

最低限の荷物を背負った自分を背中に乗せてどうしてそんなに速いのか。

現実世界ならば百メートル走もフルマラソンもぶっちぎりで世界一になれるだろう速度でユネル・カウンホータはその荒野から砂丘へと移り変わっていく景色を走破する。

走るたびに躍動するしなやかな足。

擦り切れた紺色の外套がはためくだけでフワリと混じる香のような馨り。

それに本当に戸惑う。

惚けた性格ではあるがオババの(からかい)には反応する。

それなのにどうしてこう男に対して無防備になれるのか。

年頃の女が反射的に男に抱くであろう危機意識とか感情を持ち合わせてないのかと内心こちらがハラハラしてしまう少女はまったくもって男の心配など露知らず、その健脚を超えた速度を維持し続ける。

その一方で喋って話して笑いもするのだから、超人と呼ぶ以外にない。

「それでね。今から行く『オラエフィ』っていうのは貿易が盛んで他の場所から一杯人とか物が集まってくるんだよ。オババが今日はこれで好きな物買ってきていいって。だから、賢者も何か欲しい物があったら言ってね」

得意げに腰に下げた革袋をチラリと見る少女に内心で不用心の三文字が思い浮かぶ。

「覚えとく。それで竜の話だが、何処から来るか分かってるのか?」

「うん。オババの占い凄いから」

「占い?」

「オババああ見えて実は占い凄く上手くて『狂乱』の詳しい事は言い当てちゃうんだ。その時にあたしが竜を追い払って、その街からお金とか食べ物とか貰う事になってるの。占いが全部当たるわけじゃないし、竜の数が多い『大狂乱オーバーバースト』なんかの時は竜の出る時間や竜の数が正確に分からなくて、備えててもどうにもならない事もあるんだけど」

僅かに陰ったユネルの顔が慌てたように言い足す。

「き、今日のは一匹だけって事だから大丈夫!! 心配しなくても賢者には少しだって近寄らせないからッ!」

胸を張って守ると言い切られて、何処か男として割り切れない感情の部分がチクリと痛む。

「後どれくらいだ?」

「もう少しすれば街の端が見えてくるよ。あ、ほら賢者!」

遠方に視線を向けて、その先に薄らと白く四角い形が朧げに見え始める。

近づく度にハッキリとしてくるソレは白く複数の杭を張り合わせたような壁と建物の群れ。

同じ白色の建造物が互いに集合密集し形作る街の姿は妙に無機質な感触を伝えてくる。

「広場に繋がる門が見える? あそこから中に入るとね。一杯品物が売ってるの。賢者だって吃驚するんだから」

照り返す陽光がまるで世界の中でそこだけが聖域だと言わんばかりに眩い。

「・・・一色に染め抜かれたモノに込められた意思は排斥と結集。一種の城塞に近いか・・・あるいは・・・」

「賢者、何か言った?」

「いや、随分白いと思っただけだ」

「あそこは別名で『白き高薪』って言ってあの白い壁が凄く重要なんだって昔オババが言ってたよ」

「とりあえず、門が見えてきたな」

「それじゃ、今日は特別にあたしが賢者君にあの街の歩き方を教えたいと思います」

胸を逸らす少女に「頼む」と言いながら白い街に目を凝らす。

(あの食わせ者な魔女がこの街で何を見せ何を伝えたいのか知る必要があるな)

門を潜る前に背から降ろさせる事を忘れて酷く視線が痛かった。



街の中は煩雑としていた。

白い建物が立ち並び日の光が通りの真上からしか降り注がない。

薄暗い店と狭い道と肩をぶつからせながら歩く人の群れ。

白と黒のコントラストに閉じ込められた活気が逆に人を疲弊させるような暑さとなって身を蝕む。

店先に並ぶ品の数々。

まるで怒声が無ければ物が売れないとばかりに張り上がる声。

「・・・・・・」

店先に並ぶ物の値段の中で最も以外だったのは紙がとても高価だという事。

その考えればすぐに思い当たる値段に世帯主のニヤリとした顔が思い浮かぶ。

今までまったく近くの街の買い物に興味が無かったせいで見逃していた。

与えられているペンや紙の束がこの世界ではそれこそ数週間分の食料にも匹敵する価値を持つ。

下世話な話になるが中世ヨーロッパの生活水準の世界でトイレに紙が置いてある事にもっと早く気付くべきだった。

何も無いような寺院の中には現代に通じるだけの生活水準を満たすものが幾つも存在していた。

この現代にすれば生活水準が低い世界で本が無数に並べられた棚は宝の山だろうし、トイレが地下水を使った水洗であるのは異常だろうし、あんなにも綺麗な紙が存在しているのも不自然だ。

食料が潤沢に存在し、まったく水平な石製のテーブルがあるというのはどう考えても貧乏ではない。

気づかなかったが寺院の中には恐ろしい程に潤沢な資金が無ければ揃えられない環境があった。

考えてみれば現代の人間が普通に何とか暮らせる生活水準で物が揃っている時点で魔女の資産と人脈の深さは尋常ではないと知れた。

(あのオババ・・・)

外に出なければ解らぬままだっただろう事実。オババがどうしてこの世界の人間からすれば突拍子もない自分の話を信じる気になったのか。

それも何んとなく見当が付く。

それは結局ある程度進んだ世界から来たという話を確信したからに違いない。

この世界の人間があの中世ヨーロッパレベルな生活水準ではない異常な環境に戸惑いも見せずに適応するわけがない。

それこそ大金持ちか特権階級の人間でもない限りは・・・。

(まったく気付かなかった視点から観察されていた事が判明しただけでも収穫か)

「ユネル」

通りの人を避けて路地裏で少し休憩しながら隣でホクホク顔でパンを頬張っている姿。

何処のハムスターだとツッコミを入れるべきだろう膨らんだ頬からパンがゴクリと嚥下される。

「何か買いたいものあった賢者?」

「いや、それは後でいい。それよりも仕事の方はいいのか?」

「え?・・・あ・・・この街の長に挨拶しに行かないといけないんだった。あはは・・・」

「忘れてたのか」

「ご、ごめんなさい」

「とりあえず行くぞ」

こめかみを押さえて溜息を一つ。

「うん」

何処か誤魔化したような笑みに溜息は二つになった。

その路地裏から数分。

開けた場所に出た。

街の中心に在るらしき噴水の先。

門と一際大きな建物。

この世界では館と表現するのだろう広さを持つ家の扉に力強いノックが響く。

出てきた使用人らしき男にユネルが名乗ると、それだけであたふたとしながらすぐに扉が開けられる。

奥行きの広い間取りのホールとその奥にある階段、階段の先にある扉へと先導された。

扉の中に通された際の第一声は「おお、よくぞ来てくださいました。巫女様」というもの。

出てきたのは一目で上等と分かる布を使った服を着た壮年の男。

挨拶もそこそこに男が謙りながらユネルにペコペコと頭を下げる段になり、改めて巫女という存在の大きさが浮き彫りになった。

街の権力者層からこれだけ頭を下げられるというのは普通なら在り得ない。

大人が子供に頭を下げるというだけでも相当にパワーバランスがおかしい。

「その、大巫女様はどうなされたのですか?」

「今日はあたしだけで仕事をするようにとオババから言い使ってます」

「そうでしたか。はい。了解しました。それで・・・」

「?」

「そちらの方はどういうご関係の・・・出来ればご挨拶を」

上目使いに見上げてくる大人というものに戸惑う。

そっとユネルに耳打ちする。

「(ユネル)」

「(何、賢者?)」

「(従者とか何とか適当に言っておけ)」

「(?)」

「(ただの付き人だと言えば相手も納得する)」

「(う、うん)」

適当な受け答えでユネルが付き人だと受け流す。

それに頷いた壮年の男の視線はすぐユネルへ向けられた。

隣街にまで二号さんだの男娼さんだの婿殿だのと知れ渡る事は何としても阻止しておかなければ、後々まるで確定事項のようにその立場で扱われる事にもなりかねない。

「それでいつ頃に?」

「はい。夜半にはもう来るらしいので。その頃までにお願いします」

「仰せつかりました。おい、これから宵までに各地区の長に伝達。品を最優先だ」

後ろに控えていた使用人の男がその言葉に頷いてそそくさと出ていく。

「それでいつ頃に此処をお立ちに?」

「はい。五刻半程で」

「そうですか。では、それまでどうぞ寛いでいてください。使用人には何なりとお申し付けを。申し訳ありませんが私はこれで」

丁寧なお辞儀と共に扉を出ていくと同時に使用人らしき数人の男女がズラリと入れ替わりに入ってくる。

誰もが額にビッシリと汗を浮かべているところから緊張しているらしい事は解る。

そこまで巫女の機嫌を損ねてはならないのかと巫女の権力の大きさに関心した。

でも、それよりも驚いた事は二つ。

「ユネル。さっき五刻とか言ってたが時間の事か」

「え? うん。あんまり使わない言葉だけどオババがこういうところで偉い人は人を判断するんだって言ってるから、昔からそういう人の前では使ったりするよ」

「それと敬語使えたのか?」

「けいご? あ・・・・その・・・やっぱりおかしかった?」

恥ずかしそうに頬を染めるユネルの表情に一瞬何を聞いたのか忘れそうになる。

「オババが偉い人の前ではこういう風にしなさいって。ど、何処か変だった?」

「普段と違う雰囲気で驚いただけだ」

「あのね。賢者はその・・・ああいうあたしの方がいい?」

赤い頬のまま何処か真剣な表情で訊かれて答に窮する。

「別に・・・」

「賢者がちゃんとした言葉使いの方がいいならあたし・・・」

勝手に完結しそうな勢いの言葉にボリボリと頭を掻いた。

どんな言葉を吐こうとしているのか。

まったく恥ずかしい奴と自分を罵りたい気分で一杯になる。

「別にどっちでもいい。どんな言葉使いでもユネルお前はお前だ」

「そ、そうなんだ。それじゃこれからもこういう風がいいな。あたし」

「それもお前の勝手だ。オレが決める事じゃない」

「うん!!」

輝く笑みは眩く、思わず視線を逸らして、使用人達の生暖かい視線に気付いた。

「(やっぱり、あの噂って本当だったんだ。何でも物凄くヤリ手の学者だとか)」

「(聞いた聞いた。何か無駄に難しい数式をスラスラ解いて大巫女様が婿にしたいと申し出たとか)」

「(そうそう。でも実は孫娘の巫女様が一目惚れだったとか。たぶん後者なんじゃない?)」

「(噂の一つだと異国の地で賢者とまで呼ばれた逸材だとか)」

「(巫女様の視線って明らかに・・・)」

「(もう二人の間には子供もいて大巫女様が晴れ着を縫ってるんだって)」

「(きゃーきゃー)」

「・・・はぁ」

「賢者?! 何でそんなに人生に疲れたような顔してるの!?」

「何でもない」

女にしては鈍過ぎる顔には?マークが無数に浮かんでいた。

夜、その館を出るまで生暖かい視線は生暖かいままだった。

街の長の言葉通り、何なりと申しつけた事は八つ当たりではない。

そう思う事にした。



夜風はまるで身を切るような冷たさ。

体が鋼鉄の冷たさに震える。

竜の基本事項。

竜とは鋼で出来ている。

竜に関する記述とオババからの情報提供の他にも独自に調べて分かった事が頭を掠めていく。

その間にもカタカタと震えだす歯が静寂の夜に響いた。

まったくもって砂漠の夜のような極寒。

何故、街に赴くに当たり分厚い外套をユネルが着込んでいたのか身を持って理解する事になった。

「賢者、もう寒くなってきたから、その・・・これ着たら?」

少し困り顔で自分の着ていた外套を差し出してくる少女は天使のようだが、それを奪い着込む自分は悪魔のようだろうと蚤の心臓程もない男の意地というやつが首をもたげる。

「そのせいで体が縮こまって、動けないところを竜に襲われたらどうする?」

「心配してくれてるの賢者?」

上目使いで嬉しそうな顔。

まったくこれから竜というものと相対そうとしているとは信じられないような、まったく似つかわしくない顔。

微妙に怯む。

肯定しても否定しても内心を見透かされそうな瞳。

真実しか映らないのではないかとすら思える無垢な眼。

だから、何も言わずに顔を背けた。

「えへへ、ありがとね。賢者」

はにかむように笑わないで欲しかった。

ただでさせ動揺を抑えるのが近頃難しくなっている。

恐ろしいまでに浸透してくる温かさを撥ねのけなければ、甘えてしまうそうになる。

そんな自分は見たくないし、見せたくもない。

情けなさ過ぎる自分の利己心と醜さは自殺ものだ。

「でもね。大丈夫だよ。これぐらいならそんなに寒くないし、賢者がこれ使って」

外套を脱ぐユネルの体はまったく震えてなどいず、それが真実だと教えてくれる。

それでもやはりガチガチと鳴りそうな歯は食い縛って顔は背けた。

「意地っぱりなんだから賢者ってば」

苦笑。

それと同時にバサリと上から外套が掛る。

横から温かく柔らかな感触。

それが何なのか理解すると同時に声を出そうとして、ピタリと唇が人差し指に閉ざされた。

「賢者、静かにして・・・来る・・・」

今までにない冷たさが籠る声。

遠方。

砲身が向く月の砂漠には何も視認できなかった。

「・・・速い子じゃないみたい。ドーちゃんと同じで大きい筒が付いてるから、たぶん遠くまで攻撃が届く。けど、あんまり速くないから、ギリギリドーちゃんの攻撃でもいける」

「見えてるのかユネル?」

「ドーちゃんの攻撃が物凄く遠くまで届くからあたしも目は鍛えて遠くまで見えるようにしてるんだ」

詳しい事は知らないがドーラ列車砲の砲弾の飛距離は恐ろしく長い。

数キロでは足りない。

三十キロ以上だったはずだと知識にある。

何処かのアフリカの部族が数キロ先の得物を見つけるというが、そんなものを遥かに超える超視力。

しかも、夜であり月が出ているとはいえ満足な光もない世界でその数十キロ先の獲物を見つけるというのは至難どころの話ではない。

改めて目の前の少女が肉体的には超人なのだと思い知らされる。

「賢者、終わったらまた入れてね。少し寒いみたい」

温かさも柔らかさも消え失せ、真横で少女がその鋼鉄の大地の上に一人立つ。

ドーラ列車砲前部甲板。

まるで揺り籠にでも入れられているような安心感。

それは巫女に守ってもらっているからではないと分かる。

ユネル・カウンホータに守ってもらっているからこそだと分かる。

「行くよ」

遠方を見る視線は苛烈。

その言葉が自分に向けられていない事は百も承知で頷く。

言葉を向けられた鋼鉄の塊が唸った。

鉄の重い音が軋み嘶く。砲身が動く。

それに合わせ左右に列車砲が揺れた。

本来ならばまったくおかしな軌道。

しかし、それは不思議でも何でもない。

ドーラ列車砲そのものと言える外見をしていても、ユネルが扱うのは竜という乗り物に酷似した何かだ。

そもそも呼べば地面から浮かび上がってくる、帰れと命じれば地面に沈んでいくなんて能力はドーラ列車砲には存在しない。

それこそ砂漠を何の動力機関も使わず移動し、左右に方向転換する超ド級の列車砲なんて在りはしない。

当たり前の事だが、線路がない世界にあって線路を使うような列車の車両は走行出来ない。

しかし、実際には地の竜としてポピュラーらしい列車型の竜は走っている。

ユネルに鍛えられている最中にドーラ列車砲を調べて気付いた事実に基くなら列車型の竜の車輪は僅かに紙一枚程度の空きを残して宙に浮いている。

車輪が回らなければ進まないらしいが実際には車輪自体が浮いているのだから、車輪そのもので動き移動しているわけではない。

ファンタジーに有りがちな魔法なのか。

それとも巫女という存在が持つ特殊能力やESPの類なのか。

少なくとも素人見たてでは列車型の地の竜は科学的要素の一切入っていない移動方法を持っている。

ここまで考えれば誰でも分かる。

竜とは現実そのままの能力ではない。

「―――――――――――」

少女が差し出し人差し指と中指だけをまっすぐ空の彼方に向けた。

連動する砲身はしなやかな腕に倣い停止し、遥か先の獲物を照準しているに違いない。

「ドーちゃん。撃って」

音は無かった。

砲身の先から眩いまでの閃光が迸り孤を描いて遥か地平の彼方に吹き伸びていく。

「(相変わらず無茶苦茶過ぎだ)」

ユネルが体を鍛える最中、ドーラ列車砲で砲撃練習を行っていた時に分かった事が一つ。

そもそも中世ヨーロッパ並みな技術水準の世界に列車砲の砲弾が存在しなかった。

しかし、しっかりと砲撃練習は行われた。

砲身から飛び出たのはビーム的な何か。

あるいは気的な何かだった。

その如何にも巨大ロボットアニメに在りがちだろう閃光が砲身から吐き出され、着弾した遠方が爆砕し土煙が遥か天に昇るという衝撃のシーンを見た事は未だ記憶に新しい。

光のみで音や熱が砲身から伝わって来なかった事からレーザーかとも思えたが、光が吹き伸びるシーンなど見えるはずもなく、魔法的な何か気的な何かが出ているぐらいの推測しか出来なかった。

結局、攻撃手段である閃光の事はよく解らないまま。

持ち主に訊いてみても「そういうものじゃないの?」と首を傾げられる始末なのだから何が出ていたところで問題にもならない。

そんな曖昧な力でも威力だけは確実にその巨体に見合うものであるのは夜空を見れば十分理解の範疇だ。

地平の彼方が一瞬夜明けのように明るくなり、後にはまるで天を突く塔のような茶色く巨大な煙が上っていた。

「・・・・・・」

一撃を加えてから数分の沈黙。

パラパラと空から砂が降ってくる段に至って、ずっと遠方を見据えていたユネルが振り返った。

「けーんじゃ!!」

ガバッと襲われる。

外套に下から顔を潜り込ませてくる侵入者はすぐに自分の定位置を見つけると真横にズボッと顔を出して身を寄せてくる。

フードの上から落ちてくる砂粒の音を聞きながら何とか言葉を紡げたのは奇跡的だった。

「そういえば宿屋取ったか?」

「あ・・・」

甘い空気は霧散し、これで多少は清々しくなるかと期待したのは一瞬だけ。

すぐに答は返された。

「今日はずっとこうしてちゃダメ?」

自爆。

今正に街を救った偉人に対してNOと言えない日本人であるところの臥塔賢知は身を寄せ合う事を余儀なくされそうだった。



【さぁ、万雷の拍手を持ってお迎えください】


万雷の拍手の中で死した者が笑う。

その館は燃えていた。

呪われた人々。

糾われる謂れ無き愚者。

踊るのは筋肉の爆ぜるゆえに。

引きつり笑うのは炎が爆ぜるゆえに。

蒼炎が燃やすのは人に外ならず。

館に運び込まれていたショウの為の火薬。

暴発かテロかあるいはただの事故か。

館の傍の木に巣があった小鳥が焼かれ落ち。


―――――――――美しい。


【さぁ、万雷の拍手を持ってお迎えください】


人とは違う世界。

人とは違う視点。

あるいはただの狂気。

あるいはただの正気。

胸が痛むのは惜しむからか。

胸が痛むのは悲しいからか。


【今宵、皆様を素晴らしきファンタジーの世界にご招待しましょう】


悪夢だろうか。

狂夢だろうか。

今、たった一つの話を見つめている。

勇気、友情、努力、愛、憎悪、悲嘆、あるいは他の何か。


―――――――そんな物語の一つを見つめている。


ショウもドラマもロマンも誰が求めたというのか。

物語とは世界に等しい。

ならば、誰がこんな世界を望んだというのか。

そこには全てがあった。

その景色には、物語には、何もかもを動かす力が秘められていると信じられた。

消防士のドラマも、恋人達のロマンも、野次馬向けのショウも、何もかも『ファンタジー』だった。

いつか何処かで見たような、そこら辺に転がっている三文小説のような話だった。

魅かれて知ってその先を見たいと願ってしまう程、その光景は―――胸を撃つ。


【さぁ、大々円の拍手をご一緒に!!】


まだ夢は続くようだ。



「・・・・・・」

「・・・・・・・・・」

空の色は金色。

太陽が地平線から昇る。

夜明けの光。

顔の横を吹き抜けていく乾いた風は冷たく。

でも、体は少しも寒くない。

小さな寝息。

あたしは子供みたいに胸の中で眠る頭を抱き締める。

思い出が胸の何処からか溢れてくる。

それは小さい頃、夜明け前に目が覚めるとお母さんが語ってくれた物語。

一人で砂漠を旅する小さな巫女のお話。

朝が来るのを待っている巫女は一人で外套を被っていて、それまでの色々な昔の事を思い出す。

そして、全てを思い出し終えた小さな巫女はその日竜と戦って消えてしまう。

それでも巫女は最後まで笑っていたという、そんな話。

夜明け時は昨日を見送り今を望む最後の時間。

全てを夜の闇に落として眠り、次の朝の光と共に全てを取り戻して人は生きる。

だから、小さな巫女は全てを取り戻して幸せに逝ったのだとお母さんは話してくれた。

でも、その時は小さな巫女の隣に誰かが居たら小さな巫女は生きていたんじゃないかと、そう思って悲しくなった。

今、あたしの傍には賢者が居てくれる。

小さな巫女は知らなかったと思う。

隣に人が居れば、絶対にどんな事があっても生きていたいものなんだと。

ただ傍に居てくれるだけで胸が熱くなるものなんだと。

「ん・・・」

あたしは小さく身動ぎする賢者の顔を見る。

「・・・・・・」

「賢者。ねぇ。今どんな夢見てるの? あたしはその夢にいる? もしかして・・・あたしの知らない女の人とか出てたりする? 賢者・・・賢者の夢がどんな夢なのかあたし・・・凄く気になるんだよ?」

「・・・んぅ」

賢者の顔に少しだけ手を伸ばす。

「昨日ね。賢者の事を守ろうって思ったらドーちゃんの攻撃がここ数カ月で一番遠くまで届いてビックリしちゃった。きっと賢者のおかげだよね。ふふ・・・あたしの傍に居てくれてありがとね。賢者」

小さく睫毛が震えていて、そっと顔を覗きこむ。

「・・・ユ・・・ネル・・・?」

「おはよう。賢者。今日も良い天気だよ」

一緒に空を見上げる。

空の色は遠くまで薄くたなびいた雲が映す金色。

黄金の夜明け。

「ああ・・・凄いな」

「・・・賢者?」

小さな寝息。

「また寝ちゃった?」

「・・・・・・」

「おやすみなさい。賢者・・・」

一緒に瞳を閉じる。

温かい日差しがやがて風を柔らかくするその刻まで、まだもう少しこうしていたい。

「・・・・・・」

「・・・お前が―――――」

温かく何か聞こえたような気がした。



カチカチとカラカラと幾つも石と木の棒が砂の上に転がる。

「ふむ。こうして若者はその思いを自覚した。さて、次はあの足りない孫娘の番かい。まったく、想い合ってるならとっととくっ付けばいいものを。このオババも奥手な若者には骨が折れるねぇ」

テーブルの上には兆し。

中央に赤い石と蒼い石が並んで二つ。

長い棒がその間を別つ。

そして最後の一投にて投じられた棒は蒼い石だけを弾き飛ばしテーブルから落とした。

「・・・手の掛る婿殿だ。最後の最後に引っくり返す気か」

煙管を咥えた老婆は笑う。

「波乱万丈な人生を歩んできたが、さてはて・・・もう少し可愛い孫娘の為に頑張ろうかい」

窓の外の空はもう新しい日を迎えていた。

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