第六章 救世の掟
第六章 救世の掟
勇者達の物語には常に苦難と試練が付きまとう。
誰かの悲しい犠牲や裏切り、憎悪と勇気の両天秤。
母がくれた絵本には全てが在った。
魔法より魔物より、怖いのはいつも勇者達の前に現れる人間だった。
ページを捲る度に思った。
どんなに読んでも慣れはしなかった。
人は弱く裏切る。
人は儚く散っていく。
誰かの為の誰かの犠牲。
全てを抱えたまま旅をする勇者達を何度も思っては苦くなる。
そいつは裏切るんだと。
そいつは君の為に死ぬんだと。
終わりの記憶はいつも鮮明。
最後の一ページを捲れずにいる自分。
終わってしまう事が怖かった。
未知を残しておきたかった。
自分が知らなければ、勇者達は最後まで終わらぬ物語の中で幸せのはずだからと。
己の現実の終わりが死だとすれば、怖くなんてない。
怖いのはいつだって結末を知ってしまう事。
もしかして、あの人は死ぬのだろうか。
もしかして、あの子は消えるのだろうか。
決まり切った終わりに全てを阿てしまう事。
だからかもしれない。
いつも物語の結末を読みはしなかった。
心のどこかで避けていた。
本棚を見れば最終巻だけが無い物語の山。
いつの間にか母に貰った本が消えた日。
安堵した事を覚えている。
永遠に結末は闇の中に消えたから・・・。
未知とは救いであり、既知とは呪いだった。
幼い日。
臥塔賢知は結末を得た。
母は自殺した。
そんな結末の知れた物語に幾度も眠りの淵で出会った。
分かり切った結末を一度も恐れた事はない。
ただ、虚しいのだ。
既知の結末は決して変えられないから。
なのに、今は新しい夢を見る。
それは母が死んだ後。
灰になった館に足を運ぶ夢。
使用人達の目を盗んでは幾度も足を運ぶ夢。
今の今まで忘れていた。
一週間もすると跡形も無くなってしまった館。
灰すら雨に溶けて消える。
一人で雨ざらしの売り地で立ち尽くしていた。
どうして行くのを止めたのか。
思い出せば、何て事はない。
そこにはもう結末すら無かったからだ。
結末は世の中の殆どの人間にとって忘却されていくと知ったからだ。
ずっと自分の中に埋もれえぬ結末が残ると知ってしまったからだ。
そんな終わらない結末が変わっていく。
焼け落ちる館。
蒼い炎に燃やさマネキンのように崩れ落ちる大勢。
全てを炎が焼き尽くしていく。
灰すら今度は残らない。
理解する。
もう二度と結末は繰り返さないのだと。
燃える灰は熱を失い、埋もれていく結末は浚われていくのだと。
館の中で母は優しく微笑んだ。
終わらない物語は無い。
未知は希望かもしれないが、止まった物語に、未来無き世界に、新しい結末は決して無い。
「賢知」
臥塔賢知は未知に逃げるより、上等とは程遠くとも自分の作る結末が欲しいらしい。
「母上。さよならだ」
拳を振り上げる。
母の前に立てばやる事は一つだけ。
「賢――」
顔の横に拳を叩き込む。
拳に目を向けて、母はふふふと笑った。
「二度と出てくるな。これからオレの夢に出てくるのはあいつらと今のアンタだけだ」
母が初めて仕方なさそうな顔で頷いた。
館に背を向ける。
背後で音がする。
見なくても解った。
館は燃え尽きて、更地になり、灰すら消え去って、ただの空白と化す。
「お気に入りの漫画の最後を見逃した。アンタのせいだ」
前には火傷の痕を背負う母と弟が一人。
夢から一歩踏み出した。
*
お姉様が草原で眠っていた。
小高い丘の上。
働き過ぎだとラクォル様から一日の休みを貰ったのだと言う。
宿屋にいても寝られないと巫女様達の訓練を視察していたらしいが飽きて寝ているらしい。
空に雲は高く、そよ風が気持ちいい。
砲撃の音が響いていなければ、自分でも寝られそうだった。
「お姉様。大物過ぎです」
三千以上はいるらしい巫女様達が三匹の竜を相手に戦っていた。
骨を折るなんて日常茶飯事。
内臓をやってしまったり、顔を切ってしまったり、過労で寝込んでしまったり、まだ死者と重傷者と治療不能の患者が出ていない訓練の最中。
訓練中の巫女様達の視線は厳しい。
自分達をそんな場所に連れてきた張本人が寝ているのだから。
時折、攻撃がこちら側の近くへ当たって地面が微かに揺れる。
それでも微動だにしないお姉様はどれだけ疲れているのかと心配になる。
安らかな寝顔はあどけなく美しい。
心臓の拍動が速くなる。
「・・・ん」
ゆっくりと瞼が開いていく。
「お姉様。目が覚めましたか?」
「ノールか」
「はい」
頷くと身を小さな体が起こされる。
「母親に付いてなくていいのか?」
「母さんはもう大丈夫だって言ってます」
「そうか」
「はい」
風が吹く。
そよ風よりも強く竜達の起こす乱れた流れ。
「医術師組合の様子はどうだ?」
「多くの医術師は自分の専門分野の技術を秘匿したがってます。でも、大巫女様達の連名の書状と街長達の圧力に殆どの人が従うみたいです」
「医術書の編纂と配布はもうすぐだ。医術師の経験値不足もこの訓練の間に幾分かは解消されるはずだ」
「バルトメイラ中に配置する予定だと聞きました。本当ですか?」
「そうだ。防衛用のバンドと同時に医術師も各地に配置する。現在、バルトメイラ中に画家や吟遊詩人達を使って宣伝中だ。多くの人間は戸惑うだろうが街長達の発言力と竜への恐怖が全てを後押しするだろう。医術だけに留まらない。技術の多くを開放させる事でバルトメイラ全体での改革を進めさせてる。建築技術はより強固な街を生み出し、医術は巫女達の命を繋ぎ止める。構築されつつある情報網は的確な指示と効率的なバンドの運用に欠かせなくなるし、巫女達が教育機関の設立を進めれば巫女の竜に割く人的資源も改善するはずだ」
眠そうな顔で言う話ではないと思う。
バルトメイラの行く末に光を灯す所業なのに、まるで夕飯の話をしているような気分になる。
(やっぱり、お姉様は凄いです)
「医術の腕は上がったか?」
「ちょ、ちょっとだけ」
「まぁ、あそこの連中みたいに嬉々として人間の体を弄繰り回せとは言わないが」
巫女様達の訓練場から離れた一角に大きな幕屋が幾つも立っていた。
その中からは叫び声やら泣き声やらが聞こえてくる。
傷付いた巫女様達を治療する場だった。
殆どが外科手術であるものの、過労や疲労の為に訪れる巫女も後を絶えない。
「お姉様の提言した徹底した衛生管理がかなり大きいみたいです」
「何処でも同じだが特に生き物と食事を扱う時は清潔や衛生がモノを言う」
「はい。それは医術師の誰もが身に沁みて・・・・」
「今までよりは傷の化膿も少ないはずだ」
「ちょっとお酒の匂いが気になりますけど」
一度入った幕屋の中は多くの酒の匂いに満ちていた事を思い出す。
「消毒薬に手っ取り早いのを作らせたからな」
「フォレイオムの医術師の大半がお酒好きになってるかもしれないです」
「しょうがない。本当に強い酒が無かったから片っ端から強そうなの混ぜて蒸留したし」
見れば幕屋から出てくる巫女様達の顔は赤く少しフラフラしている。
「少し行って来るか」
「お姉様?」
「ケガしたら手当てしてくれ」
「ど、何処に行くんですか!?」
「あいつらへ砲撃の的を提供しに」
ニヤリと笑って三千の竜が荒れ狂う場に向かおうとする肩を慌てて止める。
「ちょ、ちょっと待ってください!? き、危険です!! お姉様は巫女様達から物凄く恨まれてるって評判なんですよ!?」
「ユネル達がどうにかする。見たところまだ負ける要素が無い」
「危ないです!!」
「部屋の寝台よりユネルやテオの竜の上の方がよく眠れる」
「何で竜の上で眠れるんですか?!!」
「自分の最も信頼している奴の傍だからだ」
何も言えなくなる。
自然な笑顔だった。
本当にまったく当然のようにお姉様はこちらに背を向けて歩いていく。
多くの巫女様達が気付いた様子だった。
あからさまな攻撃こそ加えられないものの、何度か背筋が寒くなるような距離の攻撃が傍に落ちた。
それでも動じる様子もなく。
立ち止まる気配すらなく。
お姉様は今も戦っているユネルさんのところまで歩いていく。
すると今まで動いていた巨大な竜が止まる。
同時にお姉様の立っている地面が盛り上がって押し上げていく。
無防備な竜に加わる攻撃が加速度的に増えているのに、それでも竜の前に築かれた巨大な山の如き壁が全ての攻撃を受け止めていた。
「お姉様・・・・・・」
開いた口が塞がらない。
「僕、とんでもない人を好きになっちゃったみたいです。母さん」
その日の夕暮れ。
三千の巫女様達が倒れ付した頃、大きな竜の上に人影を見つけた。
やっと起きたらしい背を伸ばす姿に、辛うじて起き上がろうとしていた巫女様達は、バッタリと倒れ伏した。
*
界統遺冠の本拠地。
階段を下った扉の先。
灯された明かりの下。
大勢の巫女達が集まっていた。
誰も彼もが二十代後半から三十代後半。
いそいそとあらゆる書状を書いては写し、それを更に写し、更にそれを写し――そんな作業を繰り返している。
一番奥の椅子とテーブルに座ると皿を出された。
一口大の氷を口に含む。
僅かに塩気のある氷はどうやら水の竜の巫女の力で作られているらしい。
それが巫女達にとって秘密にしなければならない事柄に含まれるとは珍しい。
他言無用と言われた。
巫女の力は人々の為にある。
一応そういう事になっているバルトメイラにおいて、自らの快楽の為に力を振るうのは好ましくない。
それがどんなに小さな楽しみでも、そういう事だろう。
「【それで今日は不眠不休の我々に如何なる難題を押し付けるつもりで参られたのか賢者殿?】」
実質的に界統遺冠のボスである老婆とその通訳の皮肉は微妙に厳しい。
「何をしに来たのかと素直に聞かれれば答えるが?」
「【何をしに来た小僧】」
「巫女の選別方法に付いて相談しに来た」
「【選別とはまたいつになく穏やかではない】」
「巫女の数をとりあえず増やせるだけ増やした後に相談するつもりだったが、近頃、狂乱の雲行きが怪しくなってきた。悪いが前倒しさせてらもう」
「【それで選別とはどういう意味か?】」
「単純に技量、歳や竜の特性。必要別の区分でバルトメイラ中の巫女の再編を行おうという話だ」
「【具体的な情報は膨大な数に上る】」
「それは解ってる。だから、実際には基準作りだ。それぞれの区分で最適な場所に最適な巫女を置く。その為には何が必要なのか。それを効率的に行うにはどうすればいいのか。現実的には基準の策定を行って、それを采配実行する機関を作ろうって事だ」
「【間に合うか?】」
「間に合わせる。間に合わなくとも少しはやっておくべきだ」
「【必要な資料は用意させよう。用意に時間を貰いたい】」
「バルトメイラ中の巫女の情報なんて全部は把握してないだろうが、資料そのものは一度近頃出したから集めるのに時間は要らないはずだ。二日でどうにかして欲しい」
「【全て見越した上であの三千を集めさせたか】」
「オレは基本的に自堕落な人間だ。面倒事は一度に済ませたい方だと自覚はある」
立ち上がって出て行こうとすると背中に声が掛かる。
「【近頃、巫女の間で意見が割れている】」
「何のと訊いておくべきか?」
「【どうするつもりか】」
「どうもしない。オレにはどうしようもない。どうにかするつもりもない」
「【その力、その姿、その心、異様とも異常とも人の目には映る。一体お前は誰なのか・・・此処の者はこれ以上協力するべきなのか不安に思っている】」
思わず、本当に思わず、堪え切れずに笑い声が漏れる。
振り向くと何故か驚いた様子で老婆は目を見開いていた。
「オレが神だとでも言えば信じるのか? 実は別の世界の人間だとか。竜を生み出した張本人とか。人ならざる者とか。現実的なところで行くと可哀想な狂人や妄想狂かもしれない」
「【真実を知ろうとする者がお前を狙うやもしれぬ】」
「なら、真実とやらを聞かせてやる。男は竜を無数に生み出す世界で生まれた。その世界では竜は人の生み出した機械と呼ばれるものの一部だ。毎日のように何処かの誰かが竜に乗って移動する。世界の半分を一日で周り、海の中を進み、離れた街と街を半日と掛けずに行き来する。男はそんな中で生まれた何の力も無い学徒で一日中遊んでるような男だった。そんな男が竜に轢かれて死に掛けると、いつの間にかバルトメイラにいた。男は偶然巫女に助けられ、巫女を好きになった。男は自分の世界に帰る事にしたが、自分の世界に帰ってくると巫女が恋しくなってバルトメイラに再び舞い戻った。巫女と男は今も何処かで幸せに暮らしている。めでたしめでたし」
「【頭の医者のところで少し療養してくるといい】」
「ほっとけ。自分で言ってて微妙に恥ずかしい」
「【男は随分とその後は浮気者らしい】」
「優柔不断なだけだ。直す気は更々無い」
「【調理場の氷をありったけ用意するよう言っておけ】」
もう老婆がこちらに話していないのに訳する女の皮肉を感じた。
苦笑する。
もう振り返らなかった。
後ろから「あー熱い熱い」とわざとらしい巫女達の声。
どうやら氷はその日の内に無くなるらしい。
*
部下を持つ事になって四日が過ぎていた。
フォレイオムの郊外。
野営地に移された寝床で酒盃を片手に親睦を深めて大勢と話す。
医術師様から頂いた酒は樽が五つにもなる。
それが六十数人で開けると尽きようとしていた。
最初こそ年上や年下の部下達に戸惑っていたものの、黒い少女の理不尽さを全員で経験する内にいつの間にか団結が生まれていた。
「ホント、あの賢者って嫌な奴!!」
「ホント、ホント!!」
少し前の自分ならそれに同調していたかもしれない。
相槌を打ちはするものの、今は積極的に悪口を言いたいとは思わなかった。
それは、少女の本当の姿を知ったから。
「あの子いっつも冷たい目で見てるわ」
「そうそう」
冷たいと見える。
実際、訓練は厳しいどころではない。
今も足や腕の骨を折った重傷者が数人は寝ている。
傷に薬を塗って包帯を巻いていない人間の方が少ない。
「今日は視察だとか言って竜の上で寝てるし!! 信じられない神経!!」
「うんうん」
三千もの竜が荒れ狂う場所に何の気負いも無く入ってきて戦っている最中の竜に乗り、眠る。
冗談にしても笑えない。
そして、実際に戦いが終わるまで起きもしなかった。
全員で見たのは倒れ付した巫女を寝起きの顔で眺めて伸びをする姿。
本当に自分達は今まで戦っていたのだろうかと思うくらい非常識な光景。
「噂じゃ、体が男にも女にも代わって、沢山の人間を誑かしてるらしいわね」
「こっちは竜を生み出してる張本人だって聞いてる」
「多くのバンドや巫女が取り込まれて、一大派閥が出来てるとか」
多くの部下達が噂を語る。
その中に自分が知る真実が一つも含まれていない事に気付く。
それだけ黒い少女は上手くやっているのだ。
自分がどういう人間かを他人にあまり悟らせず動かしている。
(あの子の本当の姿を少しでも見た人間は絶対悪口に踊らされたりしない)
自分を快く思わない巫女達がいる場所に竜の攻撃で脅されながら歩いていく勇気が一体誰にあるだろう。
本当に冷たい人間ならば薬も包帯も食料も幕屋も医術師も準備してくれるだろうか。
(火事の時ですらあの子は臆さなかった)
巫女だって怯む勢いの火の中へ飛び込んでいく背中。
誰かを守る為に突き進む姿。
脳裏にそれが簡単に想像出来た。
医術師様が助かったのは誰でもなくあの子のおかげ。
医術師様に助けられ、誰にも聞いてもらえなかった声が、あの子にだけは届いた。
火事の中、あの子の背中だけは誰も見逃さなかった。
あの子を多くの巫女達が追いかけたのはどうしてだったか。
嫌いだと言っていたのに、放っておくなんて出来なかったからだ。
だから、あの子は助かった。
聞けば、炎が落ちてくるのも構わずに医術師様を抱きしめ庇ったらしい。
辛うじて守ったものの衝撃で気絶したあの子の周りは炎に囲まれていた。
それでも懸命に巫女の誰もがあの子を守った。
火傷の一つすら負わせなかった。
それを誇らしげに語る友人はいつもあの子が嫌いだと言っていた人間だ。
どうして嫌いなのに助けたのかと聞けば、嫌いになれなくなったからだと笑っていた。
「賢者なんかボコボコじゃ~~~♪」
「賢者なんかやっつけろ~~~♪」
酔っ払った部下達の掛け声が大きくなる。
その声を不快だと感じてしまう自分の変化が悔しい。
嫌いで嫌いでしょうがなかったのに、いつの間にか心の底からそうは思えなくなった。
その姿を見る度に心がざわめく。
思い出されるのは看病している姿。
いつもの皮肉げな笑みとは裏腹な優しい微笑。
「~~~~ッ」
悔しいくらいに顔が熱かった。
恨めしいくらいに胸が熱かった。
この気持ちを一人で感じているわけもなかった。
自分と同じようにあの子の本当の顔を知っている誰もが多かれ少なかれ気持ちを動かされていた。
もしも、自分の気持ちがあのいつも賢者の傍にいる三人の巫女に近いとするならば、どうしてあんなにも懸命にあの子を支えているのか解る。
(私もあの子達みたいにあの子の顔を沢山知ったら、そう成れる?)
無理だと思う。
正直に不可能だと思う。
あんなにも熱くなれない。
あんなにも真摯になれない。
あんなにも強く結びつくのは、恥ずかしい。
(あの子が弱さを見せたら、私は受け止められる?)
たぶん出来ない。
きっと、あの子の悩みは自分の力では解決出来ない。
あの三人の巫女のように強大な力を持ってさえ、完全には無理かもしれない。
バルトメイラをたった一人で変えた賢者。
多くの人間を統べる器。
様々な嘘を吐くのに、結果は真実の言葉を凌駕する。
嘘は真に。
真が嘘に。
悪意に見える善意。
嗤いに秘められた良心。
「・・・ふぅ」
熱く吐息が漏れていく。
火事のあった日以来、話していない。
それが何故か無性に寂しかった。
あの皮肉げな嗤いと無理難題を聞いていないのは幸運な事だと思うのに。
あの整った顔立ちが自分に向いていない時間が寂しく、数日前に向けられた嗤いを恋しく感じる。
「あ?!」
思わず顔が赤くなる。
何を血迷っているのかと思う。
あの嗤いが恋しいとか。
あの顔立ちは整っているとか。
「ッッッ?!」
恋しいとか何を恋しいと考えるかとか色々と問題があるような無いようなどうしようもない気分になる。
「隊長?」
「どうか致しましたか?」
「な、何でも・・・」
「ハッ?! まさか、隊長もあの黒い賢者の子の餌食に!?」
「な、ななな、何でそんな?!」
慌てて否定するよりも先に大勢の部下達から止められる。
「ダメです!! 隊長!! 女同士は不毛です!!」
「ま、まさか!? 男の姿で誘惑を!?」
「あの子は可愛い女の子だから!!」
何を血迷った発言をしているのかと脳裏が沸騰する。
「え・・・可愛い? 隊長・・・まさか、そういう趣味が!?」
「大変ですわ!! 隊長様があの黒い賢者に誑かされてしまいましたわ!!」
「皆で引き止めなきゃ!! 隊長が遊ばれて躾けられて棄てられちゃう?!」
「そ、そんな事あの子はしない!!」
「隊長がおかしくなっちゃったぁああああ?!」
記憶が曖昧になっていく。
物凄い事を口走っているような気がする。
それを確かめるより先に悪夢のような酔っ払いの話題に引きずり込まれていく。
ただ、一つだけ確かなのは。
「隊長はあの子が好きなんですか!!?」
どんな問いにも身も蓋も無く答えた記憶。
「ええ、好き!! 何か文句でもある!!」
朝起きると死んだ方がマシな記憶だけは何故かハッキリと脳裏に焼き付いていて、悶絶した。
*
殆ど自室と化している宿屋の部屋で書類を決裁していた。
朝から何処かの賢者が不在なせいで決裁の量は堆く机の上に書類として積み上げられている。
午後の会議に提出する書類の作成も合せるとかなり時間が差し迫っている。
(だというのに)
書類の量は一向に減る気配が無かった。
気は急いている。
早くしなければと焦っている。
だが、手が思うように動かない。
思考が手を止めてしまう。
世界の行く末が気になるわけではない。
巫女達の未来に不安を感じているわけでもない。
そんなものとはまったく無縁の言葉が脳裏を巡り続けている。
【随分と全体がくすんでたから頼んで置いた。オレの副官がそれじゃあ格好も付かないからな】
昨日の夜。
そう言って渡された物が部屋の横に置かれている。
木箱の僅かに開いた隙間から新品の衣服や外套、髪飾りが見える。
「・・・・・・」
自分はどうにかなってしまっていると正直に思う。
昔の自分ならば、こんな日は世界の行く末や巫女の未来を憂う者となっていたはずだ。
それなのに今は違う。
(こんなにも不安を感じていない)
いつの間にか木箱を開けて幾つか髪飾りを取り出していた。
常用している物を外して同じ場所に同じ数括り付ける。
落ち着かない気分で部屋の奥にある鏡に向かった。
上等な部屋とはいえ、こんなに大きな全身が写りこむ鏡は珍しいと部屋を使い始めた当初の記憶が甦る。
「――――――」
鏡の中には無愛想な女が何か恨めしげな顔でこちらを睨み付けていた。
正直に可愛いところが無い。
軽蔑の視線を向けられるのに慣れてしまった顔。
笑みを浮かべてみれば解る。
女の顔には世間を知って擦れ切った諦観だけが浮いている。
新しい髪飾りは分不相応なものと映っていた。
「馬鹿か」
自然と嗤いが浮かぶ。
(いつの間にか、貴様と同じ顔をするようになっている。どうしてくれるのでありましょうか)
内心で詰って、虚しくなった。
悪いのはどう見ても自分だ。
あちらは何も変わらない。
変わったのはこちらで、あちらは何も悪くなんてない。
「ガトウケンジ」
呟いて髪飾りを触る。
胸が不規則に動悸する。
「?!」
気付けば、鏡が撓むくらい殴り付けていた。
鏡に背を向ける。
「大馬鹿者め」
こんな馬鹿な事をしている場合ではないと己を叱る。
書類の山を切り崩す為、机に向かい。
何日後になるかは解らない巫女達の配属先の采配資料を手に取った
*
三千の巫女を集めて何度目になるかも解らない激突。
三匹の竜は千倍の数を相手にしてやっと敗北の淵に立っていた。
それぞれに割り振られた千匹程の竜達に連携を遮断され、互いをカバーできない状況に追い込まれ、徹底的に弱みを突かれて、傷だらけの竜達が強者を倒す蟻の如く三匹に群がっていく。
【そこまで】
隣の空の竜の巫女に音声を拡張させる。
響き渡った声と同時に仮想の戦場は止まる。
ゆるりとこちらに向いた視線の多くが最後の一撃を加える直前の横槍に不満げだった。
【互いに竜を収めろ】
多くの竜がその姿を空に地中に水中に消していく。
【部隊長は迅速に集合せよ】
多くの巫女達は止まったまま、その中から最初の数十人が顔を現す。
丘の上に集まってきた誰もが血に濡れていた。
傷だらけで無傷の者なんて一人もいない。
歴戦と形容して構わない面構え。
その厳しい顔が全てを物語っている。
【今日を持って訓練は終了とする】
何でとも、どうしてもとも、巫女達は訊かなかった。
【君達の勝利だ】
風は穏やかに流れていく。
その実感すら無い巫女達の間にざわめきが広がる。
目の前の巫女達だけが納得していない顔でこちらを睨み付けていた。
【部隊の各隊員はこれより界統遺冠からの通達があるまで宿で待機。今後はそれぞれが今まで住んでいた場所とはまったく異なる地で街の防衛を行うバンドへと組み込まれる事になっている。各員の健闘を祈る。解散】
未だに何を言われたのか解っていないのか。
巫女達の動きは鈍く、ゆっくりと理解が広がるのを待つ。
そんな最中において目の前の使えない巫女達だけが不動だった。
ユネル、テオ、フェルフラムが気を失ったのか他の巫女達の手で医術師達の幕屋に運ばれていく。
無言で暮れていく空を眺めながら三千の巫女達が消えるのを待った。
やがて、多くの巫女が立ち去り、傷の手当もしないで声を待つ巫女達だけが残る。
「最後の訓練を合格とする」
声に対して返されるのは視線だけ。
「今後の身の振り方は各自で決めていい。今のお前達ならどんな場所でも巫女として通用するだろう。それが竜との最前線だろうが、小さな村の門前だろうが、街壁の外だろうが、な」
本当なら核の部隊として運用したいところだが、此処まで付き合わせたのだ。
命の使い方は選ばせてやれる立場にある今なら、訓練に参加した他の人間を選出する事も出来る。
「オレに文句を言えるのはこれで最後だ。何か言いたい者、殴りたい者、蹴りたい者、全て前へ。死なない程度なら好きにしろ。以上」
目を瞑って体を開く。
投げやりなこちらの言葉に逆上して刺されるくらいの事は覚悟する。
誰もが近づいてくる気配。
守る者は誰もいない。
三人もラクォルもいない。
「・・・・・・?」
今か今かと待ち構えているというのに、近づいてきた気配は誰も何もしてこない。
少しだけ目を開くと何故か。
ポロポロ涙を流す巫女達がいた。
「何で泣いてるのか訊くべきか?」
狐か狸に化かされているらしい。
「・・・っく・・・ぅ・・・ふ・・・ぅぅううう・・・」
誰も何も答えない。
漏れ始めた嗚咽を前にどうしたらいいか解らず途方に暮れる。
何故泣いているのかがそもそも理解不能だ。
あんなに威勢の良かった巫女達が、厳しい顔の巫女達が、このシーンで泣くという不可解さが腑に落ちない。
ぎゅっと、巫女の一人に抱きしめられた。
見上げれば、こちらの顔に涙が熱く零れてくる。
その顔には見覚えがあった。
いつも突っかかってきた巫女だ。
必ず後悔させてやるとか、そういう物騒な話をしたはずで、この場で泣いている理由が解らない。
何も言わずに誰もが抱きしめてくる。
圧迫されて苦しい。
どうしたらいいのかと迷って、頭を撫でた。
滑稽な話だが、それ以外に何をしていいのか思い付かなかった。
撫でた巫女が体を離してくれたと思ったら別の巫女がまた抱きしめてくる。
そんな事が何人も続く内、顔は巫女達の涙で濡れてしまった。
体が焼けるように熱くなる。
熱に中てられたか、少しだけ口が滑る。
「よく頑張った」
抑えられていた嗚咽が大きくなる。
子供みたいに大声で泣き始める巫女達を前に撫でて宥める事しか出来なかった。
重要な工程が終了する事は新たな工程の開始を意味する。
破滅の足音を背後に聞きながら思う。
巫女達のこれからを繋ぐ為に自分は何が出来るのだろうかと。
答えはすぐに出た。
自分には何も出来ない。
いつだって自分に残された切り札はこの顔に浮かべる嗤と虚言だけなのだから。
「お前らが最後まで笑って死ねる事を祈ってる」
五日後。
三千の巫女はバルトメイラ各地へと防衛バンドとして編成し、賢者直属のバンドはその任を解いた。
*
巫女が死~~んだ♪
【お前のせいだ】
だぁ~~れのせいだ♪
【お前のせいだよ】
巫女が死~~んだ♪
【お前のせいなんだよ】
だぁ~~れのせいだ♪
【お前のせいなんですよ?】
巫女達の屍を見つめている。
巫女が死~~んだ♪
だぁ~~れのせいだ♪
子供達が歌う流行歌。
見れば、巫女の屍の上を歩いていた。
何処かで見たような顔ばかり。
不意に鈍い音が足元から響き、下を覗き込む。
腐りかけた頭部。
その蛆の湧く眼窩。
何処かで見た事のある紅い髪が。
【――――――】
思わず一歩後ろに退く。
グチャリと粘ついた音。
腐りかけた下腹部。
屍体に埋もれかけた細い手。
亜麻色の髪が。
【――――――】
走り出した。
屍体が積み上がって出来た崖。
飛び降りた。
勢い余ったせいか。
一緒に落ちる者が一人。
首の無いソレの肌は膿みながらも白さが際立ち。
何処かで見た衣装で。
【――――――】
落下していく先に紅い目が無数に待ち構えている。
奈落の底で見覚えのある顔が綺麗な笑みを浮かべている。
腐臭で狂気に蝕まれている。
壮絶に物語られた巫女達の結末を自分は知っているような気がする。
助けを呼ぶ叫びに対して出来た事はあったか?
唇から流れる唾液がボタボタと自分よりも先に落下していく。
嬉しそうに這いずるソレらが物欲しそうに嗤っている。
ゾブリと体を何かが貫通する。
それが落ちている巫女達の骨だと解る。
悪夢が醒めない。
悪夢が醒めない。
悪夢が醒めない。
焦りを感じる。
理性が崩れてゆく。
願いすらも消え去って。
絶望すらも朽ち果てて。
それでもまだ生きている。
空は黄金。
金色の夕暮れ。
そんな世界を見た。
手が空へが伸ばされて、疲れているのに、震えているのに、拳を握った。
【ガトウケンジ】
頭を上げた。
「・・・・・・」
不吉なイメージが消えていく。
怖気の奔る背中から冷や汗が滴り落ちる。
震えそうになる手を辛うじて押さえ込み、現状の把握に努める。
「会議、良くない話題、寝不足、居眠り、悪夢、覚醒」
「何をブツブツと」
ラクォルの半眼の視線に咳きを一つ。
「何でもない。それで占術結果は?」
「各地域から選りすぐりの占術師を集めて二ヶ月。占術結果の的中率と研究成果は予定されていた域に達しつつあるかと。狂乱の発生と竜の巣の因果関係に付いて興味深い説が一部の者から出されました。これを」
会議室の中で新しい資料が配布される。
その異界の文字で記されている文字列の中に見覚えのある名前を見つけて思わず訊いた。
「リオーレンの奉審官と接触したのか?」
「いえ、あの方はこちらとのやり取りがあまり無い方。この説は元々大昔にあの方が界統遺冠に残した資料の発掘により出てきたのです」
資料内部に書かれている内容は大雑把にすると三つ。
狂乱はそもそもがアウタスが五割以上の地域でしか発生しない。
狂乱が発生する時期に竜が偶然黒い穴から出てくるのを目撃した例が存在する。
占術と同時に竜の力を使う場合、竜の力に多少の減少が見られる。
「この三つの事実は発掘された資料に載せられている情報だけではなく、実験結果や観測結果からも明らかだと占術師達は断言しています。この事実を総合すると狂乱はアウタスの密集が必須であり、同時に占術は一種の巫女の力の応用と考えられるという事になる。巫女の力と竜の巣らしきものの間に因果関係があるかどうかは未だ不明ですが、今まで蒐集された情報と状況から推測するに・・・ほぼ間違いなく竜の巣の存在は確定し、更に占術結果は巫女の力で竜の巣あるいは竜の出現を感知しているのではないかと推察されます」
大巫女の多くがその結果にざわめく。
「つまりだ。占術そのものが巫女の力が働いているから成立すると」
ラクォルが頷く。
「占術結果で的中率は圧倒的に女性有利。更に言えば巫女経験者や巫女本人が占術を行う場合、その的中率は跳ね上がる。これは昔から言われていた事の一つでありましょう」
勝機の一端が見える。
そもそも巫女は竜に対する知覚が異様に発達している。
力のある巫女は直感で竜の攻撃を避け、予測して反撃すら行う。
占術も巫女という力の一端であると過程すれば、普通では在り得ない因果関係が成立する。
科学的思考では考えられない占いという手段による竜の出現予測は成り立つのだ。
頷ける事も多い。
巫女としての熟練が占いの精度を高めて結果的に高確率で竜の出現を予測出来るならば、リオーレンでほぼ百発百中の占いを行うオババの占術も納得出来る。
「竜の巣の感知に占術を使う研究はどうなってる?」
ラクォルが新しい紙を取り出した。
「現在、占術師達に加えて老齢で引退した大巫女様方を各地から招集しています。占術師達によれば現在の占術結果精度を飛躍的に高められるのではないかと」
ラクォルの言葉はあくまで竜の出現予想に関してだが、それでも竜の巣を発見出来る確率は高くなると見ていい。
「この場にいる方々にも幾つか伝手や当てがあれば、あるいは自ら名乗り出る方がいれば、どうぞ界統遺冠へのご協力をお願いします」
ラクォルが頭を下げる。
大巫女達も乗り気なのか複数の老婆達が頷いた。
「では、次に―――」
議題が進行されていく。
狂乱の乱発に対してアウタスとインナスを分けて誘導する避難計画。
街の統廃合の現状と外壁の強化、自警団に街民達全てを加入させ、組織化する強化案。
民の不満に対する受け皿として界統遺冠に新たな外局を設ける素案。
宣伝によって民間から申し出のあった協力を一本化する為の商会との折衝。
人、物、金。
更には心を加えた四つを誘導していく事で何とか工程は消火されつつあった。
多くの民間人を組織化する事で一時的にバルトメイラのあらゆる場を掌握する方法は日本が戦時に行っていた国家総動員法にも見える。
一つ違いがあるとすれば、それは過剰な我慢を強いないところだろうか。
全ては誘導されている。
しかし、自発的な協力要請無しに全てを掌握する事は出来ない。
巫女達の戦う姿やバルトメイラの現状を喧伝し、狂乱の脅威という巨大な敵を用意し、多くの巫女と街長の権威を利用し、それでもやはり誰か一部の者が全てを掌握する事は不可能に近い。
それが現状で出来ているのはバルトメイラの人々が己で目覚めつつあるからだ。
巫女に全てを押し付けていた人々の目覚めは多くの革新と並列されて行われている。
知らない事を知り、知識を蓄積し、己で思考し、生み出し、理解の先に答えを得る。
その起爆剤こそ投入したものの、この今に至る現状は一部の人間達が好き勝手に操った結果ではない。
意識改革の波はバルトメイラの人間を生存させる追い風となっていると見て間違いなかった。
「それでは次回の会議にて現状報告後、占術結果如何によっては竜の巣の確認と破壊を目的にした実地調査を行う運びとなりましょう」
ラクォルがこちらに視線を向けてくる。
何か言っておけと言いたいらしい。
立ち上がると巫女達の視線が集まってくる。
胡散臭い話をしておくかとネットの何処かに置かれていたお約束を並べてみた。
「我々には世界なんて救えない」
事実、巫女は未だ世界を存亡から救っていない。
「世界は我々が救う人々が救うからだ」
そんな当たり前の話を会議の最後に置いた。
結局、人の世の中で最も力ある理屈とは数の暴力、時に民主主義と呼ばれるソレでしかない。
*
【世界は我々が救う人々が救うからだ】
最後の言葉と共に扉が開いて、大勢の大巫女様が廊下へと出てくる。
その視線の多くはこちらに一瞬向いた後、少しだけ怪訝そうな顔をして、何かに気付き、立ち去っていく。
気遣いに感謝しながら廊下で待つ。
あの子の声が開け放たれた扉から漏れている。
【まったく、何を言い出すのかと思えば】
【事実だ】
【一理有ると認めればいいのでありましょうか】
【さぁ? 少なくともオレ達が世界を救いましたなんてのは格好悪いだろう?】
【英雄になりたいは思わないのかと】
【オレは英雄じゃない。それと一つお前は勘違いしてる】
【?】
【未だ嘗て本当に世界を救った英雄なんていやしない】
【言っている意味が解りかねるでありましょうや】
【直接的に世界が破滅する原因を一人の人間が取り除くなんてのは無理だ。オレにはこの立場に立ってソレがよく解る。複雑で難解で誰にも解けない問題を色んな人間に頼って誤魔化して押し付けて誘導してやらせてる。人間は誰だって一人で世界を滅ぼせない。一人で世界を救えない。そんな状況に陥った時点で普通の人間は負けてる。もしそんな事を一人でやる人間がいたなら、そいつはただの馬鹿か、世間知らずの無知か、どうしようもない偶然や必然、運命や力を持ってる。言ってる意味は解るな?】
【貴様にそんなものがあれば、誰も苦労しないと?】
【それにオレはどちらかというと世界を滅ぼす側だ】
【何を今更な事を】
【オレはオレが失敗しないか心配だ。オレはオレの決断や答えが悪くないか心配だ。オレはいつだってこの立場になってから思ってた。オレの進む道には滅びしかないんじゃないかと、オレの決断や答えがオレの望みや希望を絶つんじゃないかとビクビクしてる】
【それでも貴様は進んできた】
【先送りにしたい事柄が未来にあるから立ち止まる為の口実に調度良かっただけだ】
【何方と婚約されるのでありましょうか?】
【そういう相手の事を見透かす発言は禁止事項に設定しておけ】
【で、何方と?】
【本当に式代を持たせていいなら教えてやる】
【ふむ。一人換算でざっと】
【ごめんなさい。嘘です。お願いですから紙に計算式とかマジでやめてくださいコンチクショー(涙)】
【む?! この反応、やっとこの傍若無人なる賢者にも弱点が?!】
【地味に婚姻して誰も知らない間に子供が出来てるとか・・・そういうのが希望だ】
【何故に? 貴様の式なら大勢の人間が祝福するでありましょうに】
【お前の発言がガチなのは解った。だが、想像してみろ!? 無駄に大勢来る街の住人やら巫女やらに冷やかされていく生活を!!? 絶えられるのか!? 否、耐えられはしない(反語表現)!!! ただでさえ男が女にとか、女の子バージョン可愛い一緒に寝よう♪とか、婿殿~孫はまだかのう(邪悪な笑み)とか、これお届け物です(今夜はゆっくりお楽しみください)とか、お子さん何人欲しいんですか? あたしは私は自分は三人くらいとか!? 予測ぐらい出来る!!! オレを悶死させる気か!??】
【りょ、了解。そ、そう顔を近づけ―――】
「ごほん」
「「・・・・・・」」
扉から出てきたあの子が目を泳がせた後、何とか取り繕う事に成功してこちらを見る。
「どうして此処にいる」
「お子さん何人欲しいんですか」
「がはッ?!」
胸を押さえて黒い少女が後ろに下る。
その顔がとても真っ赤に染まっている。
素直に可愛く思う。
後ろの仲間達も同様に小声で可愛いと頷き合っている。
「ど、どうして此処にいる?」
再度やり直した少女をそれ以上からかうのも気が引けて素直に答える事にした。
「全員が此処の防衛バンドに入る事になったから」
「は?」
その子がすぐ横のラクォル様に視線を向ける。
「ああ、その事ならこれこの通りでありましょうや」
ペラリと懐から取り出された紙を凝視してからこちらを見た少女は複雑そうな顔をした。
「新規のバンドにマスターとして登録できるくらいには便宜を図っておいたはずなんだが」
「今日からこのフォレイオムの防衛バンドとして任に就く事となったワイズマンバンドです。これからもどうぞよろしくお願い致します!!」
頭を下げる。
頭の上であの子が何か凄く愉快な顔をしている気がする。
「バンドとか話の一つも聞いてないオレにどんな反応をしろと」
「ああ、何という事でありましょうや?! これが自分の責任を【知らない】とか言い出す賢者なのかと!!」
予め予定していた通り、芝居掛かったラクォル様の言葉に何も言えなくなったあの子が溜息を一つ吐いた。
頭を上げる。
「オレに頭を下げる必要はない。もうお前達はオレのバンドじゃない」
「尊敬する人に頭を下げるのは当たり前の事。ね? みんな」
初めてその子の諦めきったような笑みを見た。
「・・・それはオレの台詞だ」
その笑みが何故か胸の奥を縮めるくらい甘く痛かった。
たぶん、全員がそうだと何故か解った。
*
夜。
宴会が催されていた。
医術師達が酒を持ち寄り、巫女達が踊り笑う。
賢者が見慣れぬ楽器を顎に当て細長い弓を引いている。
街の郊外。
幕屋が立ち並ぶ一角。
予め用意していたわけでもない宴だった。
街を守る任に就いた巫女達が仲の良い者を集めて始めた宴はいつの間にか多くの者を惹き付けていた。
医術師達が楽しげな団欒に加わらせてくれと酒を持ち、賢者を知る巫女の一部が楽器を持ってきた。
賢者の引く音色。
この世の物とは思えない不思議な音程。
楽しげに嬉しげに寂しげに誇らしげに音色は続く。
涙を浮かべる者あれば、笑みを浮かべる者もいる。
音色に心を溶かし、美しい立ち姿を魅せる賢者に胸を押さえる者さえも。
目を瞑り、額に汗を浮かべ、激しく透き通った連なりが耳を突き抜けていく。
多くの曲が流れ去る。
まるで一人の人生を駆け抜けていくような。
(やはり貴様には敵わないでありましょうや)
音楽にこれ程の力があるとは知らなかった。
人を惹き付けて止まない。
「♪」
男も女も関係なく。
老いも若きも違いなく。
黒の賢者を中心に今も人の数は増えている。
曲がやっと止んだ。
人々からの拍手と歓声が辺りを飲み込んでいく。
けれど、賢者は手で多くの者に静まるよう留める。
胸に片手が当てられ、呼気が小さな言葉となって零れ落ちる。
誰も知らない誰も聞いた事のない歌だった。
大きくなる声はやがて力強く、旋律を刻み始める。
その歌が正確には何を詠っているのか誰にも解らない。
それでも何を訴えているのか。
それだけは誰も間違えはしなかった。
弾む歌声。
力強く人の胸を貫く美声。
必死に、ただ必死に、訴えられる事柄はただ一つ。
恋した者へ贈られる言葉。
見れば、賢者の視線の先。
多くの巫女達の中に三人の少女達がいた。
真っ直ぐに見つめられた少女達は賢者の視線を受け止めながら、微かに笑み涙を流している。
(何と不器用な奴かと)
こんなにも人を惹き付けておきながら、その視線はたった三人しか見ていない。
愛の言葉でさえ、耳元で囁かない。
声を高らかにどんなに恥ずかしい事を詠っているのか。
「・・・?」
頬が熱くて拭う。
いつの間にか濡れていた。
歌が終わると同時だった。
人垣の中から走り出した三人の巫女達が華奢な賢者の体へと抱き付いていた。
今度こそ遮られない歓声。
辺りを見回せば、自分と同じように泣いている者がいた。
その顔には祝福が溢れている。
嬉しさが溢れている。
一抹の寂しさを打ち消して余りある喜び。
『お幸せに!!』
誰かがそう言った。
誰もが続きからかう。
歓声はやがて賢者の顔をどれだけ紅くさせる事が出来るかを競う場と化した。
夜が更けるよりも先に一人の賢者と三人の巫女の姿は街の方角へと消えていった。
*
「け~~んじゃ」
「がとう」
「けんじ?」
ふにゃふにゃと甘く声が部屋に融ける。
もう寝る時間なのに無理やり押し掛けてきた三人を帰す事も出来なかった。
完全に出来上がった少女達の蕩ける笑みを前に否定するはずの口はそれぞれの指で塞がれた。
寝台の上。
まったく狭い事この上ないというのに体は熱く溶けるように柔らかく。
擦り付けてくる体。
蠱惑する瞳。
熱い吐息。
これで落ちない男がいたらホモ野郎と罵られてもおかしくない。
一人ずつ頬を撫ぜる。
それだけで愛くるしい顔が悩ましく歪んでいく。
もうその顔にはハッキリと欲望の形がある。
そのまま望むならば、少女達は体を開くだろう。
妨げになる障害は一つも無い。
手で触れれば少女達の全てが手に入る。
しかし、醒めていく心は愛おしさと欲情を切り分けた。
「ユネル。テオ。フェルフラム」
「なぁに? けんじゃ」
「どうかした? がとう」
「なんだ? けんじ」
「もう少しだけ待ってくれないか?」
「「「?」」」
その三人の頭を撫でながらそっと体を抱き寄せる。
「あ」
「ん」
「む」
愛しいとは人類に刻まれた繁殖のDNAだ。
それでも、それには価値がある。
「オレがお前らに胸を張って・・・お前達が欲しいと言えるまで」
三人の瞳を覗き込む。
少しだけ残念そうに、それでも全てを受け入れて、答えは返される。
「うん」
「そう」
「ああ」
でも、と三人の少女達は同音に口にする。
これぐらいはいい?と微笑む。
ゆっくりと少女達の唇に代わる代わる唇を奪われる。
どうしてか。
欲情が静まっていく。
代わりのように胸の奥が熱くなる。
「おやすみなさい。けんじゃ」
「おやすみ。がとう」
「もう、やすむぞ。けんじ」
幾分、体温も下ったような気がした。
少女達の体は前よりも密着している。
それでも欲情より愛おしさが先に立つ。
狂おしいくらいに愛しい出来た少女達だと思う。
どうしようもなく自分が惹かれているのだと知る。
初めて、少女達を自分から抱きしめて眠った。
もう、夢は見なかった。
*
フォレイオムの防衛バンド結成から一週間が過ぎていた。
バルトメイラ各地からの報告が狂乱の増加が危険域へと突き進んでいると示し始めた。
もう、そんなに時間が残されていない。
そう実際に感じる。
あの黒の賢者がいなければ緩慢に死滅していく文明を目の当たりにしながら、優秀な者だけを集め守る為に巫女達は一部の地域に集められていたかもしれない。
そんな未来ではない事に心底安堵している自分がいた。
街の統廃合を急速に進めさせたせいで各地の大きな街では不安から治安の悪化や犯罪の増加が見られる。
それでもその不の部分はたぶん本来よりも少ない。
賢者の示した多くの案が実行されている現状だからこそ、その程度で済んでいるという実感があった。
殆どの大巫女や街長達はその効果を実感していないだろうが、予め賢者が予想していた被害より不の側面は少ない。
狂乱の増加は目に見えて多くなり、それでも強化された防衛体制と構築されつつある民と巫女の連携手法が多くの街を生き長らえさせている。
狂乱で街が滅びるという事態は結果的に防衛バンドの配置以降起きていない。
高精度の狂乱予測、防衛バンドの派遣、持ち堪えた街へ早期の増援投入。
多くの人間を効率的に仕事に当たらせた結果は確実に竜の被害を退けている。
大巫女の多くはその成果に驚き、街長の多くは賢者への信頼を増した。
結果的に加速した防衛意識の高まりは街の民にも本当の意味で浸透し始めている。
民からの積極的な協力と自警団への参加は新たな生活様式として根付き始めた。
宣伝の効果か。
今では賢者に対する黒い噂も流言も無くなりつつある。
それどころか英雄と呼ぶ者や吟遊詩人の語る賢者の物語から正にバルトメイラの救世主と見る動きすらある。
子供達の流行り歌は賢者のものばかり。
三人の巫女に寄り添い狂乱から民を救う者。
歌の中で賢者は臭い台詞で三人の巫女を守り通した英雄で、人々を勇気付けて狂乱を退ける不屈の戦士になっている。
それはもう賢者ではないという指摘は誰もしない。
それどころか男と女の歌があり、男の賢者は英雄だが、女の賢者は清らかで優しい美しき華のような乙女とされている。
(アレのどこが清らかで)
目の前で皮肉げな笑みで男達を前に折衝している賢者が一人。
(優しく)
男達を冷ややかな目で罵倒しながら弱点を突きつつ、正論のような屁理屈を並べ立てていく。
(美しきは・・・む)
近頃、正装にしたらしき白い衣装は正に可憐な華を思わせるに足りていた。
(まぁ、さすがに乙女にはなれないでありましょうが)
悪い嗤みで両腕を組んだ少女の一喝が男達の勢いを削ぎ落とし、最後に項垂れさせる。
そのどん底まで落とした男達に対して人当たりの良い笑みで甘言の如き入れ知恵を囁く姿は妖婦。
男達はコクコクと教師に頷く生徒の如き従順さで目を輝かせ始める。
折衝の最後の方ではもう男達の間に賢者への不満は見えなかった。
男達が全員出て行くと会議室が静かになる。
「ラクォル。あの組合からの協力は全て無いものとして扱っておけ」
「どういう事でありましょうか?」
「無茶難題を押し付けておいた。九割方無理だが、出来れば英雄扱いされる程度の仕事だ」
「無駄な作業をさせるだけの人的資源があるとでも?」
「ああいう手合いは逆に現場の能率を下げる。現場にいてくれるなという意見だ」
「発明家というのはそういうものでありましょうか?」
「どんな偉大な発明家も争いの最前線にはいない。どちらかと言えば後方の後方、一番後ろにいる方が何かと助かる。問題は適材適所。更に言えば、現実的に応用可能な技術知識を持ってるかどうかだ。もしも、あの男達がオレの言った仕事を成し遂げれば、正に世界を救う所業。しかし、成し遂げられなければ後ろで守られ続けてる民の一部。そういう扱いになる」
「争いの現場を荒らす者にはならないと?」
「多少、他の組合に迷惑は掛けるだろうが新しい技術の開発費用と思えば安い」
「ちなみにどんな仕事を?」
「医療器具の開発と冶金学、更に鋼材に関する研究だ」
「医療用具は解るとして、やき・・・?」
「簡単に言えば新しい金属の開発とその加工方法に付いて」
「どうしてそのような事を?」
「金属が何種類あるか知ってるか?」
「確か鉄、銅、鉛、金、銀、稀に白金などが取れるとか。更に混ぜれば色々と別の物になる。そう聞いた事があるかと」
「竜の殆どは鋼だけで出来てるわけじゃない」
「は?」
「竜の残骸を使うよう指示した。それから新しい金属の精錬が出来れば・・・」
「どうなると言うのでありましょうか」
「巫女に多少は丈夫な服をやれるかもしれない」
「・・・本当に貴様の頭の中身を一度調べてみたいと思う発言でありましょうや」
呆れるものの、言っている事の意味は理解出来た。
そのまったく普通は考え付かない突飛さに笑う以外ない。
「殆どの事前準備は終えた。もう、これからは今までの成果をどれだけ突き詰めていくか。どれだけ能率を上げるか。どれだけ効率化するか。そういう話になる」
「やっと此処まで来たというのに、水を差す話ではないかと」
「勝負は狂乱の増加率が一気に跳ね上がってからだ。こちらが力尽きるのが早いか。竜の巣を破壊し、狂乱を止めるのが早いか。あるいは第三の方法を見つけるか。そのどれかが未来だ」
「・・・バルトメイラが救われるかではなく?」
「狂乱を止めても全員死ねば意味がない。力尽きるのを出来るだけ遅くする準備はしたが、巣を破壊するという方法自体が可能かどうか解らない。第三の方法はまぁ一応・・・ない事もない」
「貴様がそう言うならば、そうなのでありましょう」
「やけに素直だな。食い下がるかと思ったが?」
「貴様に問うことの愚かしさは身を持って知っている。貴様は答えを安易には教えない。それどころか答えそのものをこちらに出させる。聞いていたのはこちらだというのに」
「出来の悪い生徒が多くて困るわけだ」
黒い少女が肩を竦めて歩き出そうと扉を出た瞬間だった。
「賢者!!」
声はユネル・カウンホータのものだった。
「どうした?」
「近くで狂乱が起こるって占術師の人達が!! 早く来て欲しいって!?」
「解った。ラクォル」
「了解」
歩き出す。
迷いも無く進んでいく。
背中は真っ直ぐに遠ざかる。
無明の闇でさえ、その背中をきっと止める事は出来ない。
導かれながら、終末という未来は確かに変わっていると感じた。
*
初めての任務だった。
バンドの先輩達からも羨ましがられた。
空の竜の巫女として、四人の人間を乗せる事になった。
心臓が高鳴る。
喉が渇く。
唾を飲み込む。
どうしようもない。
彼女の顔を見るのはフォレイオムに降り立った日以来だ。
街が救われてからまだそんなに年月は経っていない。
それなのに声は今も鮮烈に耳の奥に残る。
巫女様達に救われて、己も巫女になろうと誓って、出会った。
家を出る日。
涙を浮かべた家族に見送られて、街の外に出た。
大きな竜が二匹、地平に見えた。
歩いている最中、竜の残骸の上に座る彼女を見つけた。
リオーレンの大賢者。
巷ではそう呼ばれている存在。
巫女も連れず彼女は一人だった。。
彼女は私や私達の前に立った。
淡々と事実を聞かされた。
淡々と死様を告げられた。
何て酷い奴なんだと腹を立てる仲間はいなかった。
何故か痛ましい気持ちになって泣きたくなった。
本当は、本当の本当は、怖かったし、絶望したし、引き返したかった自分が、どうしてだろう。
きっと仲間の誰にも彼女は同じように見えていた。
此処から先に言ったら戻れなくなると泣きながら引き止めてくれているように思った。
顔には皮肉と嗤いしかないのに、その宣告は訴えで、その嗤いは泣き顔に見えた。
心が軽くなった。
ああ、と納得した。
進む足には力が湧いた。
精一杯に通せんぼしてくれる彼女の背中に竜という棺桶が見えた。
そこに自分達は命を自分を捧げ終えに行くのだと理解した。
それでも引き返す者は誰もいなかった。
もしも、そこに着いてから気付いたなら泣き喚いて帰してと叫んだかもしれない。
死ぬ時になってから後悔したかもしれない。
だから、竜に乗り、一歩踏み出して、彼女が歩んでいく後ろ姿に感謝した。
その背中を支える三人の巫女が眩く見えた。
それでも痛ましい背中は今にも崩れてしまいそうで、支えなければと思った。
「どうぞ、賢者様」
入っていく彼女と一瞬だけ目が合う。
すぐに四人とも竜の中に消えていく。
(少しは支えられていますか。賢者様?)
そうだったらいいと思う。
最後まで決して諦めない。
その覚悟をせめて最後まで支えていられたらと。
―――――――その日、目的地から引き返す竜には一人しか乗せられなかった。
それでも彼女は無理をして皮肉げに嗤ってくれた。
【今から帰って、オレの棺桶を手配しなきゃならない】と。
随時感想を受け付けています。連載中のSFノベルGIOGAMEもよろしくお願いします。




