第五章 慈しむ名
第五章 慈しむ名
各バンドの指導者達を前に無数の報告を一括して伝える。
バルトメイラに存在する巫女の数。
バンドの数。
その戦果。
狂乱の頻度と地域ごとの差。
対策によって変わるであろう巫女の役割。
竜対策に関わる意識改革の調査結果。
無数の情報は手元の紙に書いてあるものの、誰も知らない事実ばかりだろう。
「これまでは街の防衛に関して巫女に一任されていました。しかし、これからは違う。街の防衛を住人を組織化して行わせる事で巫女達への負担を減らし、街の内部に恒常的な食糧生産拠点を設ける事で長期の狂乱でも持久戦を行えるようにする。一定数の巫女を確保して交代させながら防衛戦を行わせる事で疲労を最小限にすれば、大規模な狂乱に晒されても援軍が来るまでの時間は稼げる。こういった事前策の徹底で消耗を減らす事が結果的にも―――」
聞いているのは誰もが歳を取った大巫女達だった。
意思統一が成されているとはいえ、巫女がどうしても個人の力量を重視する傾向がある以上、不満や懐疑的な視線は致仕方ない。
詳細は副官クラスの若い巫女達に資料で渡し、意見書の提出を義務付けた。
やる事は山の如くあるが、実際には考えてもいないような問題が持ち上がる事もしばしば。
会議が終わる頃には昼が過ぎていた。
報告と同時に通達も行い解散した後、ラクォルと共に街へ昼食に出る。
「宣伝の開始は二日後一斉に各地でとは。人々の意識改革を進める上で此処まで時間を割くべきなのか疑問でありましょうや」
「だから、お前は七面鳥止まりなんだと知れ」
「何か思い切り侮辱されているような気がするのは気のせいでありましょうか?」
「作業工程の六割は消化した。後の四割の内二割は宣伝による意識改革に関して。これは特に重点的に行う必要がある。巫女の数なんてたかが知れてる。街の住人による積極的な協力こそが生き残る為に最も重要な点だ。これが上手くいかなければ、どんなに戦って勝とうが最後は負ける」
「殆ど若輩の巫女とはいえ、巫女の数は現在も貴様の言う通り増やしている。現在のところバルトメイラで合わせて六万五千以上。今回各バンドと街長達の協力で更に二万以上の娘達が教練中。これでも足りないと?」
近頃行きつけの店舗の席に座る。
「竜は何処から来て何処へ行くのか?」
「は?」
「お前は知ってるか?」
「突然何を・・・」
「各地にある竜の祭壇。定期的な竜の出現。それが乱れ街へ行軍する竜の群れ。オレは今まで不思議に思っていた。どうして竜を現れる前に対処する方法が無いのかと」
「突如として現れる竜をどう出来るわけもないでありましょう」
「確かに単体での出現はどうしても不意打ちになる。地中や海中、空の彼方からやって来るってのが相場らしいが、狂乱に関しても本当にそうなのか?」
「そうではないと? 見た者がいない限り、そんな話は出ないでありましょうや」
「大巫女と呼ばれる連中の話を色々と集約した結果。狂乱時の竜は発生源が存在する事が確実になった」
「発生源。まさか」
「【竜の巣】みたいなものがある、らしい」
「らしいとはまた曖昧な」
「だが、複数の実力ある巫女が生涯に一度は見た事があると証言してる。狂乱の発生地点を偶然に目撃して未だに生き残るような化け物連中だけだが、その意見は無視出来ない」
「まさか、その発生源を?」
「潰す。出来るかどうかは運と努力次第ってところか」
「そんな方法があるのなら狂乱は恐れるに足らない事象となっているでありましょう」
「いや、今までの条件から考えて、竜の巣は竜の出現と同時に消えるらしい。それが短い時間で行われる為に発見が殆ど不可能だったというだけの話だ。だが、これから起こるだろう狂乱の多発や大狂乱が起きれば」
「長時間、竜の巣が出現する・・・?」
「その通りだ。もし、世界が滅びるような大狂乱が発生するともなれば、竜の巣は短いが特定の時間開き続けるかもしれない。それを潰せれば少なくとも竜の増加は防げる」
「まるで御伽噺の類でありましょう」
「竜が無限に現れ続ければ結局はどんな状況でも勝ち目は無い。重要なのは敵の数を増やさない事。味方の数を増やす事。そして、如何なる状況でも諦めない心」
「尤もらしい事を言えば格好が付く男という生き物は何と愚かである事か」
「世の中の大半は正論でケリが付く。その大半に無い部分はオレみたいな奴が担当する事になってる。言っておくが巫女こそ正論を吐くべきだ。オレのはただの屁理屈に過ぎない」
「自覚があるところが最悪でありましょう」
出てきた料理を食べながら会話する。
「占術に関する研究も進めさせてるが、あれは竜の巣の発現を予期しているんじゃないかとの推測も出てる。もしもそうであるならば、巣そのものが何時現れるのか探る事が出来るかもしれない」
「その御伽噺が本当であるとしても確証の無い今割ける戦力は・・・そういう事でありましょうか?」
「そうだ。オレとユネル、テオ、フェルフラムは街の防衛には参加しない」
「それで街や他の巫女達が納得するとでも」
「そもそもオレ達は狂乱を静める事で仲を認めてもらうって話で来てるわけだ。狂乱を完全に鎮められるかもしれない可能性を探るっていうのはその話と食い違うか?」
「ペテン師め」
「本当の詐欺師は嘘を付かずに人を騙す。オレなんかまだまだ」
不機嫌そうな顔でラクォルが顔を背けた。
「その話が本当だったとして、生きて帰れるか疑問が残るのでは?」
「信頼してる。死ぬ危険性の話をするならするだけ無駄だ。オレの命はあいつらの為にある」
「料理も甘くなるご高説をどうも」
それから黙々と食事を終わらせて使えない巫女達の訓練視察へと繰り出す。
大河の辺でいつも通り倒れ付しているかと思ったが、何故か未だに戦っていた。
「訓練開始からどれだけ経ってるか解るか?」
「確か明け方からのはず」
(朝から昼を過ぎても倒れてない。どういう進歩の仕方だ?)
観察する。
使えない巫女達は三人の猛攻に対して的確に対処していた。
時に水の竜の巫女が霧で視界を遮り、時に地の竜の巫女が防御を交互に行いながら後退して相手の攻撃をいなし、時に空の竜の巫女がユネル、テオ、フェルフラムを撹乱、連携を崩して各個撃破に持ち込もうとしている。
「これなら使えるか」
「また悪巧みでも?」
「各バンドから落ちこぼれた新人を集めろ。バルトメイラ中から使えない他の連中も。これから忙しくなる」
「また無茶な要求を。それで期限は?」
「準備に一日。七日以内」
「了解しました。ガトウケンジ」
徹夜仕事を引き受けたにしてはラクォルの声は軽い。
巫女達の戦いに決着は未だ遠く。
その間に持っていた紙に界統遺冠謹製の黒炭のペンで案を連ねていく。
結局、使えない巫女達が倒れ付したのは夕方だった。
*
豪勢な夕餉。
疲労に疲れ切っている胃にも受け付けるよう出来るだけ柔らかく香辛料を控えた料理が並んでいく。
(昨日は夕方近くまで。今日は夕暮れを過ぎた。でも、次は絶対に・・・)
少しだけ自分達にも勝てるかもしれないと。
あの三人の巫女達を相手に勝機のようなものが見えた気がした。
己の弱さがよく見えるようになったからだろうか。
自分の短所と相手の短所。
それが頭の中にすんなりと思い付く。
限りなく勝機は薄いが、敵の短所を徹底的に突く事で粘る事が出来た。
隣に班を組んだ子が座った。
「今日良かったと思う。皆、がんばったよ」
その子の言葉に頷く。
バラバラになっても勝ち目が無い。
一塊になっても勝てはしない。
重要なのは戦闘不能を避け戦い続ける事。
相手を休ませずに戦う事。
本来の竜にしても一匹一匹に相対する相手の許容量には限界がある。
敵がどんなに強くとも戦う時間の増大は相手の動きを翻弄していく。
要は相手と自分達の限界を見極め、相手が先に限界を迎えればいいという話。
一匹の竜を一人で倒せずとも三人なら倒せるかもしれない。
十匹の竜を十人で倒せずとも三人ずつ後ろに控え休んでいる者と交代で戦えば一人一人の戦う時間と負担は減らせる。
どんなに竜が多かろうと戦う時には全ての竜と同時に戦うわけではない。
地形や仲間の位置、相手と己の接する面だけで考えるならばどんなに囲まれても百の内の十と常に戦うだけの余力があれば、どうにかなるかもしれない。
そんなに簡単な話ではないと思うものの、そういう戦い方を模索した事は無駄ではなかった。
絶望的な戦力差と戦い続ける為に誰もが知恵を出し合い頭を捻った。
必死に考えて得た結論を何度も何度も試行錯誤して、ついに三人の巫女に最後まで食い下がった。
(あの日から私達は変わった)
優しい泡沫の夢。
本当にただの夢だったかもしれない。
誰もが在り得ない幻想を同じく見ていたのかもしれない。
夢から十日以上経っていた。
「今日は言いたい事があって来たそうだ」
声に驚く。
それはラクォル様の声だった。
「?!」
いつの間にか辺りが静まり返っていた。
見れば、黒い少女が宿の入り口から入ってくるところだった。
幾つもの視線が少女に突き刺さる。
誰も歓迎なんてしていない。
例え、どんな理由があるにしろ、巫女としての己に喧嘩を売られたのだから。
安々と信じられるわけがない。
「使えないバンド諸君。君達にはこれから新しい任を与える」
一瞬の喧騒。
「六日後、諸君と同類の人間がこのフォレイオムに大勢集まってくる。近隣どころかバルトメイラの端から端、あらゆる場所のあらゆる竜と戦ってきた使えない連中が」
席を立つ者が数名。
ラクォル様の視線に諌められる。
「急いでやらせたが総計で三千弱はいるらしい。その連中のお守りを頼みたい」
誰かがスプーンを落とす音がした。
「詳しく言えば、諸君の戦い方、今までの防衛戦の知識を全て教えて欲しい」
凜とした声が響く。
本当に馬鹿な話を天気の話でもするかのように語る姿。
「これを持って最後の訓練とする。一人頭六十数人。その目標はたった一つ」
少女の背後に三人の巫女達が歩いてくる。
「誰一人として部下を死なせる事なく三人を打ち負かす事。三千の巫女を用いて倒す事が出来なければ、諸君の巫女としての地位を界統遺冠の権利によって破棄し、民間人として元いた場所へ帰ってもらう」
「ッッッ?!」
衝撃的な内容に仲間の全員が絶句した。
「ただ、この訓練には多くの巫女から異論が挟まれた。故にこの訓練は参加自由とする。参加しない場合はこの場で挙手すればいい。その場合はその者の訓練を終了する。以上、十の猶予を与える」
いきなりの言葉だ。
馬鹿な話だ。
聞く必要すらない言葉だ。
どうすればいいのかなんて。
(そう、もう答えなんて決まってる)
指が折られていく。
折り返しはもうすぐ。
最後の一指が折られ、結果が出る。
「優しいオレに感謝するといい。最後の最後に確認を取る。本当にいいんだな?」
仲間の視線は揺るがなかった。
「では、総員訓練参加承諾と見なす。今までの訓練は中止、六日後までに戦術と防衛知識の報告書作成を命じる。以上」
少女の唇が無駄だと言うように嗤っていた。
少女も後ろの巫女達もラクォル様も詳しい日程をこちらに伝えると宿から出ていく。
「ねぇ。この間の事ってやっぱり夢じゃないかな?」
「うん」
頷くしかない。
「でも、これは最後の機会だって思う。だから、絶対に・・・」
「了解! それじゃ、さっそく部屋に帰って皆で相談しよう!」
そういう事になった。
*
夜道を平然と歩いている黒い少女にほとほと呆れる。
よくもああベラベラと未だ決まっていない事柄をさも当然のように話せるものだと感心する。
少女の嘘に慣れてしまった自覚があった。
未だ何も詳しくは決まっていない。
そもそも三千人は使えない巫女がいるという事だけしか解っていない。
商会の力も借りて、急ぎで馬車と界統遺冠の署名を入れた書状を三千通以上。
更には三千もの巫女を地域から放す為のバンドへの指示。
どれもこれもが後六日で出来る事ではなかった。
フォレイオムにいるバンドからも異論や意見が噴出するだろう。
それを全て見越した上で嘘を吐いたのだ。
これから辿る道筋の全てを予測し、その上で巫女達にあんなペテンを掛けた。
意思の強固さ。
揺るぎない瞳。
悪意に対して燃える心。
どれもこれも横で平然と歩く賢者が巫女達に与えたものだった。
「大したやつらだな。あいつらは・・・」
「何を今更。その軽口を聞かせてやれば少しは使えるでありましょうに」
「言うようになった。まるでオレのようで困る。オレの仕事を取ってくれるな」
「誰がそんな仕事をしたいものかと。人に憎まれ、人に騙り、人を操る。それを己の為だと嘯いて世界は救えるとペテンに掛ける。何と哀れな男でありましょうか」
「言っておくが、オレにとってバルトメイラを救う方法の内、最も可能性があるのはあいつらだ。あいつらがいなければオレはまだ狂乱を退けられるだけの駒を得ていなかった」
「あの巫女達と三千の使えない巫女達が世界を救う鍵だと?」
「そうだな。これはお前にだけは話しておくか」
「?」
「この世界には恣意的な必然が存在する」
「言っている意味が解りかねるとだけ」
「お前は運命とか神様とかが自分の人生を決めてるとしたらどうする?」
「何を馬鹿な事を、そんな戯・・・言を・・・何故・・・」
信じられないくらい険しい顔をした少女に言葉が詰まる。
「それは在る。オレはそれを確信してる。そして、それは確実に原因を持って結果を求めてる」
「・・・・・・」
「オレはその原因を知りたい。このバルトメイラの核心を。誰の為でもなくオレとオレの人生に必要な奴らの為に」
「頭のおかしい賢者が何か言っているというだけの可能性もあるのでは?」
ニヤリと少女が笑う。
「随分と口が酷くなった」
「誰のせいか覚えていないとでも?」
「だが、オレを甘く見過ぎだ。オレは大した奴じゃないが、疑う事と予測する事は人並み以上の自覚がある。それは【こういう状況】に関してだけだが、だからこそ、この場所で今こうしてる」
「要領を得ません」
「理解しなくてもいい。ただ、覚えておけ。偶然のふりをした必然の不幸を受け入れるか否か。それは気付いた奴次第だ」
「・・・了解」
一言の肯定。
まるで何か切り替わったように再び少女が大勢を率いる賢者の顔をする。
「オレはこれから知り合いに根回しをしてくる。明日の朝一番にバンドの頭を集めておけ。そこで決定が降りる前には下準備は終えておくように。界統遺冠には悪いが、現在休んでる奴も全員叩き起こして作業に当たらせろ。時間がそう残ってるとも思えない。予定は押してる」
道が二手に分かれる。
「それでは」
「ああ、それとオレの部屋に原案と詳しい資料が置いてある。明日まで読み込んで最低百部写しておけ」
少女は左にこちらは右に。
互いに振り返る事は無い。
どちらもきっと戦場。
ならば、意思を交わすよりも結果を交わしたいと心から思う。
(貴様は一体何を知っているのありましょうか。それは貴様にあんな顔をさせるくらいに重いものなのでありましょうか。どれだけ貴様を想像しても貴様の過去が見えてこない。どれだけ貴様を観察しても何処の生まれか解らない。正体不明で素性も曖昧。アウタスだとしても、それは・・・そんな貴様を信じるなんて。わたくしは・・・)
道を急ぐ。
早足は駆け足へ。
もう、前しか見てはいない。
*
ガトウを見かけたのは偶然。
自分達の宿に帰っているようにと言われて、そんな気分になれなくて、夜道を散歩している時だった。
街の端。
草原が広がる小高い丘。
人影が迷いなく川辺の上流に歩いていく。
そちらにはバンドの竜達がいるはずだった。
巨大な空の竜を筆頭にして長く逗留する為に多くの天幕が張られている。
巨大な竜を出したまま生活空間として扱うのは酷く難しい。
それは本当に才能のある巫女が戦わずに移動手段としての竜の扱い方を熟知して初めて可能になる。
そんな竜が何匹も楔と鎖で地面に縫い留められている光景は壮観。
でも、ガトウが夜半にそんな風景を見る為に散歩しているわけがない。
「・・・・・・」
近頃、寝ているか心配だった。
誰よりも早く起きていて、寝るところを見た事が無い。
忙しいせいか顔色は悪いような気がする。
偶然一緒になった食事時には食が前より細くなっていた。
心配し出したら切も無く不安になる。
声を掛ければいいと思うのに声が出ない。
「『水閉』」
そっと呟けば、川の方から水がゆっくりと細い川となって足元まで伝ってくる。
片手で水に触れる。
無数の真円が自ら川から離れ散らばっていく。
空には月。
光は十分。
腕で掻き分ければ、真円は数キロ以内の場所を映し出す。
ゆっくりと微調整しながら視線で背中を追う。
ガトウが辿り着いたのは大きな空の竜の前だった。
その竜の姿に見覚えがあった。
(あれはフェノグラシアの・・・)
フェルフラムの元いたバンドだった。
来ているとは知っていたが、訓練や疲れの為に中々会いに行けなかった場所。
わざわざ其処に出向いていくガトウの背中が一度だけ立ち止まり、振り向く。
【テオ?】
「?!」
ドキリとして思わず真円を解く。
月明かりがあると言っても数キロ先のこちらが見えるはずが無かった。
「ガトウ・・・」
久しぶりに素顔を見た気がした。
毎日会っているけれど、それはいつも賢者の顔で仕事をしている時の顔。
些細な事で微笑んだり、優しげに頭を撫でられる事が近頃は無い。
「――――――」
我侭な感情が溢れ出しそうになる。
もっと、撫でて欲しい。
もっと、傍に居て欲しい。
もっと、笑って欲しい。
もっと、構って欲しい。
テオ・アルン・フェーダ・トーメルテムはそんな我侭が言えるような人間ではないのに。
初めて出会った日から、いつも救われてきた。
命を救われ、心を救われ、大切なものを全部守られて、その上彼は、ガトウケンジは言ってくれた。
一緒に死んでやると。
情けないお前が死ぬまで傍にいてやると。
幸せに過ぎる。
(負担は掛けられない)
それ以上は望むべきではない。
隠しているけれどボロボロなはずだ。
こっちに構っている暇すらないのは傍で観察していれば解る。
多くの人間を騙して説き伏せて動かして、足りない分はこっそり自分でどうにかしようとして。
(ガトウは疲れてる。邪魔したらいけない)
ズキリと胸の奥が響く。
甘く、辛く、その感情が記憶が溢れていく。
こんな月明かりの日。
死のうと海に身を投げた自分を引き上げ、止まった心臓を動かした熱い手の感触。
(ガトウ、ガトウ、ガトウ)
ゆっくりと情けない自分を落ち着けていく。
毛布に蹲って泣いていた自分はもういない。
此処にいるのは賢者を支える巫女に他ならない。
まっすぐに彼がいた場所を見る。
技を使わなければ見えない場所を。
背中を引き止めるより、押して進む自分を。
誓いは胸に刻まれる。
長い夜になりそうだった。
*
空の竜のみで構成される稀有なバンド。
フェノグラシア。
バルトメイラで三人しか選出されない奉審官を要する一線級の集団。
その中身はハッキリ言って。
「きゃあああああああああああああああああああああああああ♪」
黄色い悲鳴を上げながら他人にヒラヒラフリフリ過剰な衣装を着せ悦にいる恐ろしい女達だった。
下着は死守したものの、男としての矜持らしきものは跡形も無く消滅した。
(何が【あ、賢者様! ささ、どうぞどうぞ。ああ、お水でも如何ですか? はい。どうぞ!! ご、ごめんなさい。零してしまって。ああ、代えの着替えをご用意します】だ!!?)
何処までも白い衣装は複雑な意匠を縫い込んでいて、凄まじく着心地がいい。
最高級の生地を使っているのは間違いない。
その凝り方から妄念染みた製作者の意図を感じた。
「はぁ」
空の竜は大概が飛行機の類だが、フェノグラシアが擁する竜は違った。
巨大な飛行船。
移動速度こそ飛行機には程遠いものの、広大な居住スペースが有り、巫女にとっても力の燃費が良いという理由で旗艦として採用されているらしい。
そんな飛行船の話は訊いた事が無かったのだが、何処かでそういうものが開発されていたのかもしれない。
「こっちだったか?」
通路を歩いていくと艦橋に出る。
その中央。
古びた椅子に座っている尼さんみたいな頭の老女がニヤリとした。
その老女こそ奉審官レーベン・ルイド・フォーティシコス・アンテラノード。
空の竜によって多くの狂乱を鎮めてきた最古参の兵。
フェルフラムの育ての親だった。
「これはこれは今を時めく大賢者様ではありませんか」
「前置きは要らない。悠長に話している時間も惜しい。本題に入るぞ」
「あら、連れないわね」
「近頃、寝る時間も惜しい身分だ」
「それで今日は一体何の用かしら?」
「明日の朝召集がある。バルトメイラ中で力の拙い巫女を三千程集める採択を行う事になった。賛成票を投じて欲しい」
「三千? この時期に?」
「ああ、この時期に」
「一体どうするつもり?」
「訓練を施して拠点防衛用のバンドを複数新設する。今現在の個人で力が突出している輩はその地域から動かせないが、狂乱で少しも使えない巫女は出来る限り減らしておきたい」
「巫女達の技量を底上げしようと言うのかしら?」
「強い奴は己に色々詰め込んでるもんだが、弱い奴は空っぽで逆に詰め込みやすい。拠点防衛に限って言えば指令を担う中核部隊さえ要れば、後は膨大な量の単純作業を行う手足がどれだけいるかで効率が決まる」
「中核ってあなたがあの無茶な訓練を施している子達の事かしら?」
「やっぱりバンドの連中にも無茶に見えるのか?」
「それはそうでしょう。相手がカウンホータの家系に東天の巫女の系譜に我がフェノグラシアの秘蔵っ子ともなれば」
「訓練の様子を見てる連中は結構いるのか?」
「いるわ。かなりのバンドがあの子達の様子に注視してる。今日なんて朝方から夕方まで粘ったらしいって聞いて他のバンドの大巫女が驚いていたわ」
「そうか。なら、奉審官の名であいつらに教えを請いに行ってくるよう、それとなく巫女達に言っておけ」
「それも策の内かしら?」
「ただの善意だ。これからの狂乱はオレ達が経験した規模を遥かに上回るかもしれない。死人は一人でも少ない方がいい」
「解ったわ。いいでしょう」
「明日の事も含めてか?」
「ええ、今もあなたが何一つ変わっていないと解って、少し安心したから」
「オレが悪人なのは今更だ」
「ふふ、そうかもしれないわ。今日はもう遅い事だし、泊まっていくなら部屋を用意するけれど」
「いや、遠慮させてもらおう。これから街長の連中の何人かにも接触しておかなきゃならない」
「程々にしておきなさい。大賢者様」
「ご忠告痛み入るが、そうもいかない」
手を差し出したのはどちらだったか。
握手を交わした手は皺枯れてはいるが力強かった。
【マスター!!】
声が艦橋に響く。
「どうしたのかしら? 来客中よ」
【それがフォレイオムの一角で火事のようです!!】
「他のバンドに連絡なさい。水の竜の巫女をありったけ集めて川から水を引かせるの」
【りょ、了解。これから総出で他のバンドへ伝令に向かいます】
廊下を慌てて走っていく音が連なる。
「どうかした?」
「悪いが見てくる。明日の事は頼む」
「着替えは宿の方に届けておくわ。それの予備も」
「前者は助かる。後者は止めてくれ」
急ぎ足でその場を後にした。
*
ガトウケンジ。
それは自分にとって避けられない名だ。
出会った頃、忌み嫌っていたはずの男はいつの間にか傍に無くてはならない存在になった。
出会った頃の男は二人の巫女を誑かす二股の最低男だった。
少なくともそう見えていた。
しかし、話をする内に決して悪意ある者ではないのだと理解出来た。
二人の巫女を思う姿が真剣で、その心の在り様は捻じ曲がり過ぎていて、公言する不誠実さで誰かを救う男。
男に自分のいたバンドは救われた。
バンドにも救えないはずだった街々は救われた。
落ちこぼれだった自分は戦えるようになった。
結果だけを見るならば、男は英雄と言ってよかった。
けれども、男は己の成した偉業に興味がない。
一通りの復興を終えたらさっさと去ってしまった。
バンドの後輩達が少しだけ泣いたのを知っている。
男の不器用さと優しさに触れた誰もが別れを惜しんだのだ。
そんな一人だった自分は胸が軋んだ。
男の素顔の一端に触れていたから。
男とバンドの誰よりも話をした自分だからこそ。
男と離れる事に胸が裂かれるような痛みを感じた。
追い掛けたのは気付いたから。
告白したのは真摯でいたかったから。
捻じ曲がった醜い己を晒して潔く【自分はこういう人間だ】なんて言う男が羨ましかったから。
今も想いは胸にある。
誰が何と言おうと男の力になると決めている。
「これが自分の想いだ」
後輩の視線にたどたどしく答えている内に何故か内面を告白させられていた。
「はぁ・・・凄いです。お姉様」
ほぅっと後輩達の熱い溜息が聞こえた。
後輩達の視線は艶を帯びていて、恥ずかしい。
「フェル姉様は賢者様の事、そんなに愛しているんですね」
「あ、愛してとか!? そ、そういうのではなく」
「なく?」
首を傾げる後輩にそれ以上言い訳も出来ない。
「自分はただ、あの男を、ケンジを、慕っているだけだ。あ、愛とか、そういう深さは・・・まだ無い」
【まだ?】
大勢に聞き返されて耐えられなくなった。
「い、いいからもう寝ろ!! 明日もお前達は早いだろう!!」
【はーい。フェル姉様♪】
完全に遊ばれていた。
【フェルフラム。いるか?】
いきなり部屋に声が木霊する。
空の竜の巫女が使う『避空』を応用した遠距離の通信手段。
「何でしょうか?」
【今、賢者様が来ている。だが、フォレイオムで火事が起きているらしく、そちらに向かうようだ。お前がお連れしろ】
「ケンジが?」
【まだ竜の外に出ていない。速やかに合流し、お守りするように。お前達も伝令に走ってもらうぞ】
「了解」
頷いて外套を羽織る。
「フェル姉様。頑張って下さい。私達もお姉様に負けないくらい頑張ります」
「ああ、期待している」
そのまま部屋を飛び出した。
走り続けると出入り口付近に見慣れた背中があった。
「ケンジ!」
「フェルフラムか? 里帰りでもしてたか?」
「それより火事の現場に向かうと聞いた。共に行くぞ」
「ああ」
真剣な顔に思わず照れた。
悟られたくなくて顔を引き締める。
今は小さくなってしまった腰を片腕の内に納めて、『避空』で跳んだ。
跳躍と同時に高度が上がっていく。
フォレイオムの中心街から外れた外壁付近で火の粉が上がっていた。
「!?」
「どうかしたか?」
驚いて身動ぎするケンジに聞く。
「あの付近は訓練させてる巫女連中の宿がある」
「!」
「急げ。手遅れになる前に」
「了解」
こんな時に不謹慎かもしれない。
それでも隣にいる体温が力を与えてくれているような気がして、心は弾んでいた。
*
気付いたのは偶然。
宿で疲れ切った巫女達を介抱していたから。
窓の外がやけに明るいと気付いた。
「皆さん。とにかく慌てずに一人ずつ迅速に外へ!!」
避難を最優先にして外に出た時には辺り一面の家屋が燃えていた。
「水の竜の巫女は空の竜の巫女と共に川へ行ってください! この事態に気付いた巫女がいれば水を引く事になっているかもしれません!」
頷いて空の竜の巫女に掴まり、三分の二が空へと逃れていく。
「地の竜の巫女はとにかく力で土砂を家屋に掛けてください!! 火の勢いを少しでも弱めて他の家屋への飛び火を防がなければなりません!」
【医術師様。逃げ道はこちらで確保します】
誰かの声に首を振る。
「誰か負傷者が出た時、わたくしがいなければ誰がケガ人の面倒を見る事ができるのですか。此処に残ります」
【ですが?!】
「心配しないでください。それよりも早く!」
【了解しました】
地の竜の巫女達が己の竜の力で大地を隆起させ、土砂が生き物のように蠢き出す。
誰かが来るまで指示を出さなければと外に避難した街の住人達を誘導する。
その中でふと気付いた。
地の竜の巫女の数が合わなかった。
「皆さん。地の竜の巫女はこれで全員ですか!! 確認してください!?」
互いに火を消す事に懸命になっていた巫女達が顔を見合わせ蒼白にする。
【ひ、一人足りません!? あの子を知っている者は!!】
【あ、あたし知ってる!! さっき、水を飲みに行くって台所に行ったきり!?】
「皆さんは消火作業を継続してください!! わたくしが行ってきます」
近くの井戸から水を汲み上げて被る。
【医術師様?!】
止めようとする巫女達に笑う。
「こう見えても大火傷の治療には自信がありますから! あなた達は消火を」
【しかし!!】
「話しているよりも消火活動を。他の巫女達も駆けつけてくるはずです。大丈夫・・・・信じています」
巫女達の顔には苦渋が浮かんでいた。
それでも頷いてくれた事が嬉しかった。
指示を飛ばして、元いた宿屋へと向かう。
炎はまだ全体に回っていなかった。
チラチラと入り口の中で緩やかに燃え広がる炎の中へと身を躍らせる。
「?!」
ヂリッと肌を焼かれる感触。
自分はそんな感触を知っているような気がした。
火傷を負ってバルトメイラに現れたアウタスが炎へと帰る。
非常識にも何故か懐かしいような気さえして、拳を握る。
走りながら台所を目指す。
煙で完全に視界が閉ざされていた。
まだ焼けていない床に伏せるように台所を覗く。
そこに体が倒れているのを見つけて、駆け寄った。
息を確認して濡れた己の外套を掛けて持ち上げる。
患者を持ち上げる事が頻繁なおかげで苦労せずに持ち上げられた。
急いでその場を離れる。
「ッッッ」
腕や背中が焼ける感触に歯を食い縛って外へと抜けた。
瞬間、背後で大きな崩れる音。
そのまま道を急ぐ。
いつ周辺が崩れるとも限らなかった。
炎に巻かれるより先に巫女達のいる場所まで戻らなければならない。
「いじゅ・・・つしさま・・・」
「極度の酸欠と煙を吸ったせいで肺が爛れているかもしれません。もしも他の医術師に任せられた場合には肺をやってしまったかもしれないと報告してください」
「は・・・い・・・」
火傷のせいで随分と鈍く歩きながら、意識を持たせる為に話しかける。
「貴女、いつもあの子と話していませんでしたか?」
「あの・・・・こ? ごほッ?! ごほごほごほッッッ?!」
咳き込む背中を摩る。
「賢者様です」
「あ・・・」
「きっと今頃心配でこっちに駆け付けています」
「あのこが・・・?」
「いつも貴女達を苦しめるような事ばかりしていたけれど、それと同じくらいあの子は貴女達を気に掛けていた」
「え?」
「貴女達に出される食事に対して配慮がされているのはあの子が宿屋に掛け合ったから。貴女達が病気やケガを負う度に高価な薬や氷があったのはあの子が色々な人と折衝したから。それに貴女達が眠っている間の看病を忙しいにも関わらず人手が足りないからと何度も手伝ってくれたのもあの子」
「・・・・・・」
「信じられないかもしれないけれど、あの子は貴女達を大切にしていますよ。あんなに酷い事をして、あんなに秘密で頑張って、誰にも何も言わないで、ただ貴女達を死なせたくないからと悪役を一人で被って」
「そん・・・なの・・・」
「貴女も気付いているはずです。あの子が本当は優しいと。凄く捻くれてはいるけれど」
「わたし・・・けんじゃ・・・さまに・・・ひどい・・・ことばかり・・・」
「必ず助かります。いえ、助けて見せます。ですから、諦めないで進みましょう」
「でも・・・」
「あの子ならこんな時でも何とかしてくれそうな気がしません?」
「・・・はい」
気付いた時にはその体を思い切り前に突き出していた。
「え?」
「避けて!!」
焼け落ちた家屋の一部が倒壊してきていた。
ゴシャリと道を塞ぐように柱で視界が塞がれる。
間一髪、直撃は避けた。
【い、いじゅつしさま!?】
しかし、足に細かな破片が幾つも突き刺さっていた。
後ろに下がりながら大声を上げる。
「とにかく逃げてください!! こっちは大丈夫です!! 他の道を探します!! とにかく助けを呼んできてください!!」
【わ、わかり・・・ました・・・!!】
辛いはずなのに大声を上げてくれる巫女に思わず笑みが零れた。
【かならず、かえってきます! ですから、いきていてください・・・おねがい!】
「はい。必ず。さあ、早く!!」
すぐに炎の先の気配が遠ざかっていく。
それに安堵して元来た道を引き返した。
足を引きずりながら歩くのは一苦労だった。
これから死ぬかもしれないのに、何故か心は穏やかで、内心で息子の心配が首をもたげる。
(大丈夫。ノールならきっと)
近頃は自分の宿屋に帰らず巫女の看病をしていたせいであまり会っていないが、その間に街の医術師を見学させている。
自分がいなくなっても医術の勉強を続ければ一人でも生きていけるだろう。
ついに足が動かなくなった。
引き返した道の先は行き止り。
細い路地が横に続いているが、足の傷では両側の炎に巻かれる壁を突破できそうになかった。
「・・・・・・」
最後の時を過ごしているというのに頭の中は冷静だった。
それがどうしてかは解らない。
でも、バルトメイラに現れてからずっと心の何処かで付いて回っていた感覚が言っている。
これでいいと。
何故、いいのか。
どうして諦めてしまえるのか。
明確な理由は得られない。
それなのに心は安らいでいる。
本当に、どうしようもないくらいに、炎に魅入られている自分がいる。
酷く、本当に酷く、優しい気持ちになる。
【クズね】
脳裏に響く言葉が重く意識を押し潰していく。
【本当にクズ】
それは誰の言葉だっただろう?
【本当に・・・私は・・・クズだ】
最後の言葉だけは覚えている。
誰かを見ながらそう言った。
誰かは己を嗤っていた。
炎に踊らされながら、その瞳に何も言えなかった。
「・・・ごめんね」
誰に?
「あ・・・」
霞みゆく視線の先に誰かがいたような、そんな気がし―――。
*
火事の現場近くに降り立った後、フェルフラムを消火の応援に当たらせた。
仮設の救護所にいる負傷者の中に見知った顔を見つける。
それはいつも食って掛かってくる訓練中の巫女の一人だった。
「おねがい・・・いじゅしさま・・・たすけ・・・おねがい・・・」
うわ言のように繰り返す言葉に背筋が震えた。
急いで現場の指揮を取るバンドの巫女に確認を取る。
大勢の巫女が右往左往する中で火事そのものは沈静化に向かっているが、大量の負傷者の為に現場の状況は混乱していた。
「くそ!?」
急いで走り出す。
脳裏にしまっていたフォレイオムの地図を引っ張り出し、火事の現場と封鎖されている道を叩き込んでルートを検索する。
走り出して数分。
遠回りしながら入った路地の上で燃え広がった炎に息を呑んだ。
似ていた。
運命の日と呼んでいいのかどうか。
母が大勢を道連れに自殺した日の光景に酷く似通った炎だった。
誰もが炎に踊らされていた。
焼け爆ぜる筋肉の収縮がマネキンのように人を崩すあの光景。
「ぐッ!?」
フラッシュバックに立ち止まりそうになる足へ力を入れる。
確証はない。
もう助かっているかもしれない。
だが、一パーセントでもまだ救出されていない可能性があるのなら行かないわけにはいかない。
今の自分の立場も、好きな女を守る決意も、今まで出会ってきた連中が死ぬかもしれない光景も、全てを振り払って駆ける。
「本当に何処までも迷惑を掛けてくれる!」
もし二度死なせれば、もう二度と自分は嗤えなくなる。
それはガトウケンジというアイデンティティの崩壊を意味する。
母を死なせた己を嗤う事すら出来なくなる。
此処にいる自分の存在証明とはあの日始まった自分への嗤いから始まる。
「母上」
母の為ではない。
己を嗤って臥塔賢知は生きて来た。
全てを嘲笑って生きて来た。
全てを失くすよりは歪んでいても己の内に皮肉を溜め込む事で生きる糧とした。
「ああ、母上。オレはあんたが大嫌いだ」
炎に巻かれ、微笑むディリカ・ハルメルの姿が狭い路地の先に見える。
完全に偶然。
いや、必然にして悪意ある物語の分岐点。
「くそ!」
炎の中から出でた悪夢が再び炎へと帰っていく。
全ては喜劇。
死者は生き返り、死者へと還る。
「馬鹿が!」
嗤う。
嗤う嗤う。
嗤い続ける。
「オレが求めてたのはこんな結末じゃない!!」
まだ手の届く場所へと走る。
炎など構わず駆け抜け続ける。
「オレが望んでたのはこんな終わりじゃない!!」
世界を認識する。
それはつまり臥塔賢知の役割。
奇跡の代行者。
(間に合え!)
現実を知覚する。
それはつまり臥塔賢知の日常。
巫女達との掛けがえの無い今。
(間に合え!!)
物語を諦観する。
それはつまり臥塔賢知の過去。
決して覆らない結末。
(間に合え!!!)
真実を定義する。
それはつまり臥塔賢知の感情。
偽り無き声。
(―――助けたい!!!!)
どんなに苦しくても嫌いになれなかった。
どんなに怖くても嫌いになれなかった。
どんなに哀しくても嫌いになれなかった。
(それでも、オレはあの日!)
大きな館が炎に崩れ落ちた日。
(言えなかった!!)
死にゆく母を見つめているだけだった。
(何も変わらないと知っていたから、何もかも諦めていたから!!)
その崩れ落ちるショウにロマンにドラマに物語に耽溺し、母を救う事を放棄した。
現実の全てを幻想の中に閉じ込めた。
そう、臥塔賢知は母親が死ぬ事を許容した。
そんな己を嗤うしかなかった。
どうしようもなかったと。
何も出来るわけないと。
物語の主人公ではないのだからと。
現在を過去として封じた。
こんな自分は不幸な過去を持つ主人公みたいだと嗤って嗤って嗤い尽くすしか――。
「はは」
諦めを知った時から主人公の資格は剥奪されていたかもしれない。
【さぁ、万雷の拍手を持ってお迎えください】
だが、それでも誰かの窮地に格好良いところを見せるのが自分の大好きな主人公ではなかったか?
【今宵、皆様を素晴らしきファンタジーの世界にご招待しましょう】
誰に何を言われても、どんなに状況に陥っても、必ず立ち上がるのが主人公ではなかったか?
【さぁ、大々円の拍手をご一緒に!!】
自分の好きな本には、母から貰ったソレには、そんな欺瞞が溢れていたはずではなかったか?
【お前なんか要らない。お前がいたからあの人と私は一緒になる事ができなかった。お前さえいなければ、私はあの人と、好きな人と、一緒に、いけたのに。どうしてお前はいたの? 私の中にいたの? どうしてあの人の子供じゃなかったの? あんな男の、あんな・・・男の!! 死んで、死ねッ、お前なんか消えて無くなっちゃえばいいのよ。オマエミタイナ、クズ】
何も変わらないと、不幸を幸運になど出来ないと、賢しい子供は知っていた。
それでも蒼い炎の中で逝くその人を、泣いていた大切な人を、救えたはずだ。
たった一言で、自分の身の回りが何一つ変わらなくとも、救えたはずだ。
【オ・マ・エ・ノ・セ・イ・ダ】
何もかもを振り払う。
「ッッッッッ!!」
落下してくる炎の塊を擦り抜けて、炎に焦がされるより先に、その体を抱きしめる。
【それでもオレは貴女が大好きでした。母上】
やっと、長い長い時間の果てに一番大切な言葉を告げる。
続けざまに炎が落ちてくる。
【――――賢知】
それが母に見た最初で最後の優しげな涙だった。
*
火事から一夜が開けていた。
「火事は完全に沈静化しました。現在は犠牲者が出ていないか聞き取り調査を行っています。今後の対策が課題となりましょう」
大巫女達を相手に報告を終え、本題に入る。
広い会議室で配られた資料のページを指定する。
数分で説明し終えた内容に大巫女達が渋い顔をした。
「この時期に三千? これでは狂乱の備えが出来ても通常の竜を討伐する任に差し支えがある」
「確かに如何な場合でも迅速に竜を撃滅するとはいかなくなるだろう」
「この案は確かに有益だと判断出来る。だが、現在の竜の出現頻度を見た場合、討伐の網に穴が開くのは確実では?」
多くの大巫女が狂乱の備えとして有益な方法だと判断しながら、現在の竜の討伐が困難になると難色を示し始める。
「それに幾ら追い詰めて本気を出させたいからと言って負けたら巫女を辞めさせるなんて少し傲慢が過ぎるわ」
同調する大巫女がざわめき出す。
「それにしても賢者様はどうされたのかしら?」
会議室で決定的な一言が放たれる。
素直に答えるしかなかった。
「医術師様を助ける為に一人で救出に? もう少し思慮深い子だと思っていたけれど」
今までの賢者の像に罅が入りかねない発言に内心で拳を握る。
どんどん悪くなる旗色が決まる前に幾度と無く説得を試みるも、やはり本人でもない自分が説明を繰り返しても大巫女達に言葉は届いているとは言い難かった。
完全に空気が反対派に飲まれそうになる。
「お願い致します!」
膝を突く。
頭を地面に付ける。
「この案は多くの街を狂乱から退ける要となりましょう。この案無くして我々は人々を守り切るだけの力を発揮し得ない。どうか支持しては頂けないでしょうかッ」
「逃げ巫女の貴女の言葉が命を掛ける我々を動かすに足る格があると?」
頭を殴られたような気持ちになる。
体が震える。
それはいつだって思っていた事だ。
逃げてばかりの女に意見なんて誰も求めてはいない。
どんなに綺麗事を並べても出来るのは逃げる事だけなのだから。
命を掛けて竜を人々の前から退けられない自分では人からの信頼を得るのは極めて難しい。
それが同じ巫女ともなれば尚更だった。
「お願い致します。どうか、どうか!!」
場の沈黙は否定的な意見しか反映していない。
「では、そろそろ採決を」
自分ではダメだったのだろう。
大賢者。
あのペテン師がいなければ自分なんてお飾りに過ぎない。
最初に賢者と界統遺冠の橋渡しをしたからと手伝うようになった。
それでも自分では案の一つも通せない。
最も大切な案が否決されたと、どう話せばいいだろう。
失望されるだろうか。
もし、あの黒い少女に落胆の色で見られたらと思うと震えた。
あれだけ貶しておきながら、自分はこの有様なのだから。
「頭をお上げなさい」
顔を上げると其処に一人の老女がいた。
その頭を見て誰なのかを知る。
「奉審官様・・・」
「貴女の事を責めたくなる人がいるのは仕方ない事だわ」
手を差し伸べられ、思わず涙が零れそうになって歯を食い縛る。
「わたくしはあの子に何と言えば・・・」
「あの子ならどうにかするでしょう。諦めを知らない子だもの」
【では、この案に付いての決を採りたいと―――】
大巫女達が決を取ろうと議題を進めようとした時だった。
会議室の扉が開かれる。
「随分と間の抜けた空気だがどうかしたのか。ラクォル?」
悠々と入ってきた少女に誰もが唖然とした。
その姿は常の黒い衣装ではなく、純白だった。
ただ一人の為だけにあるような衣装。
他の誰が着ようと着られてしまうだろう衣装。
人の目を奪ってやまない姿が会議室の中央まで進んでいく。
「報告はどうした?」
慌てて立ち上がる。
「げ、現在、三千の巫女の召集議案の採決を行う直前で」
火事に飛び込んで死ぬ寸前を多くの巫女達に救われた。
未だ意識も戻らず臥せっているはずの少女が目の前にいる。
「解った。とりあえず埃だらけの顔と額をどうにかしろ」
「?!」
思わず手で顔を払っていた。
「嘘だ」
「なッ?!」
微かに笑って少女は大巫女達を前に険しい視線を向ける。
「随分と簡単に決めようとしてるな。誰かこれまでの経緯を説明してくれないか?」
大巫女達が理由を簡潔に述べ始める。
「この案を否決しようとしてる最中という事か?」
大巫女の一人が頷くと同じように頷く巫女達が相次ぐ。
「温いな。そんな理由で却下されるような案は出していないはずだ」
反対意見を断罪するように賢者が言い放つ。
思ってもいなかったきつい言葉に大巫女達の何割かが視線を険しくする。
「想像力に欠ける連中はこれだから困る。これなら駆け出しの巫女の方がまだマシだ」
大巫女達の顔をどんどん険しくしていく言葉が次々に放たれる。
「よく聞け。老人が可能だと言う事は大概が成功する。だが、老人が不可能だと言う事は大概が間違ってる」
【――――――】
思ってもいなかったのだろう。
賢者に面と向かって糾弾された大巫女の多くが鼻白んだ様子で目前の少女の顔に魅入られている。
冷たく険しい少女の瞳が大巫女達に向けられた。
ゆっくりと大巫女達を睥睨して、少女は唇の端を吊り上げる。
「既成概念に囚われて身動きの鈍い老人が物事を決めるのは危機が差し迫っていない時だけにしておけ」
完全に大巫女達を敵に回して、それでも不敵に少女は嗤う。
「この案をオレが進めようとしてるのは以下の理由からだ。一つ、今のバンドは竜を討伐する目的だけに特化してるせいで街への被害を竜の討伐を主軸に据えてしか減らす事が出来ない。これでは狂乱が乱発して起こった時、討伐の限界を超えた竜の出現に対応出来ない。二つ、今現在の巫女の損耗率から考えて、狂乱の乱発が起きれば、必ずバンドの数が激減する。その為の新たなバンドの新設は減った後からじゃ間に合わない。どちらも街を防衛するには致命的だ。前者の否定は頭の固いあんたらみたいな連中のせいで未来を見殺しにしてるようなものだし、後者の否定は自分達が必ず勝てるなんて欺瞞が心から抜けてない証拠だ。異論があるなら言ってみろ。感情論やら今までの経験則やら現実的に壁があるなんてのは却下だ。問題があるなら解決する努力をしろ。少なくとも此処にいる誰もにそれだけの力があるはずだ」
大巫女の殆どが沈黙していた。
少女の語った言葉に心を動かされていた。
もしも、自分が語ったなら何の説得力も無いだろう言葉が大巫女達の脳裏に刻まれてゆく。
一人の大巫女が挙手する。
「どうして自分のバンドの巫女達にあそこまで過酷な訓練や条件を付けるのかお伺いしたい。幾ら追い詰めて限界を引き出す為だとしても度が過ぎている」
たぶん、大巫女達にとってそれ以外は何も言うべき事が無かった。
「死に掛けた事の無い奴に、追い詰められた事の無い奴に、これからバルトメイラの人間が滅ぶのでどうにかしてくださいなんて言いたいのか? オレなら御免だ。そんな人間に命は預けられない。それだけの理由だし、それが間違っているかどうかも議論する気はない。オレ達にはまだ時間がある。その時間は少なくともそういう経験を積ませる為に使うべきだと思ってる。以上」
大巫女達が完全に沈黙する。
「話もまとまったようだし、決でも採ろうかしら? この案に賛成の者は挙手を」
今まで話を聞いていた奉審官様が真っ先に手を上げる。
その姿に大巫女達が深い溜息を吐いて仕方無さそうに手を上げていく。
結局、誰一人として反対票を投じる者はいなかった。
*
会議が終わった。
大巫女達の視線は去る際に必ず隣で座っている少女を見る。
軽く一礼してから歩き去っていく背中の殆どが怒りを表す事はなく、叱られた子供を感じさせた。
全員が出て行くと少女が肩の力を抜いて溜息を吐く。
「よくやった・・・」
「何を馬鹿な事を。貴様がいなければ何も出来はしなかったでありましょうや」
「時間稼ぎにはなった。オレが間に合ったのはお前のおかげだ」
「この身は逃げ巫女。この場で誰に信頼されていたわけでもない。わたくしの代わりを探した方が懸命かと」
「そんな無駄な時間が有るわけも無い・・・だろ・・・」
声に不振を感じて横を向くと少女の体が床に倒れこむ所だった。
「な!?」
すぐに抱き起こす。
抱き起こした体の熱に気付く。
普通の人間がこれだけの高熱を出して歩けるわけが無かった。
「こんな状態で何をしているのでありましょうや!!」
「心配性なんだ」
「これで体調を崩して貴様が亡くなったら一体誰が後を引き継げるのかと!!」
「飯は無理やり胃に収めてきたし、薬も飲んでる。少し化粧もさせたが解らなかったか? この衣装も使い勝手は悪いが小道具には十分だな」
悪戯っ子のような笑み。
「――――――」
そのままにはしておけなかった。
すぐ宿屋へ向かおうと少女を抱いて道に出る。
人が多くなり始める朝の道で擦れ違う誰もが腕の中の少女に視線を注いでいた。
「悪いが、向かう方向はこっちじゃない。あっちの宿屋街の方に行け」
「貴様は自分の状態が解って――」
唇を人差し指で閉ざされる。
「解ってる。だから、頼んでる。今日は必要な場所を回ったら帰って寝る。約束しよう」
「貴様はいつもそうだ。偽って、謀って、騙って、自分がどれだけ傷付いているかすら、貴様は・・・」
「心配してるのか?」
「ああ、心配している!? 悪いか!!」
「それなら傍でオレを見てるしかないな」
「言われずとも」
そのまま互いに報告を済ませる。
「書状はもう送ったか?」
「貴様が計画していた通り、送るかどうかの決定を待たず、配達の予定時刻を【勘違い】した人員が【勝手】に三千人に送付した。これで後は商会による移送のみでありましょう」
案が否決された時の保険として策を事前に仕込み、言い訳まで準備していた事を大巫女の誰一人として知らないだろう。
会議の行方がどちらだったにしろ、巫女は集められる事になっていた。
それでも否決の煽りを受ければ新たな巫女達の受け入れは難しかった可能性が高い。
「そうか」
僅かに苦しげな笑みを浮かべる少女の体の軽さが何故か許せなかった。
いつも圧倒的な存在感を生み出す体は吹けば飛ぶようで、腕に力が篭る。
「それで助けた医術師様は?」
「命に別状は無い。今は息子のノールが付いて看病してる」
「大切な人だったのでは?」
「何がだ?」
「昨日の軽率な行動に付いては決して看過出来ないでありましょうや。しかし、貴様がそれを解らず助けに行ったとは思えない」
「何か大きな勘違いがあるようだな。オレはただ医術師の組合との折衝を引き受けていた責任者を守っただけだ」
「・・・・・・」
巫女達を医療で援護する体勢を作る。
賢者が立てた計画の一つの窓口としてディリカ・ハルメルは確かに有益な人物だった。
それでも代わりは探せば幾らでもいる。
計画の大本である賢者の命と比べられるはずもない。
いつもは合理的で冷静な判断を下す少女がそんな事も忘れて命掛けで誰かを救うわけがなかった。
少女達の為の命だと嘯いたのは決して嘘ではないはずだ。
ならば、医術師ディリカ・ハルメルは黒の賢者にとって少女達と同等以上に【何かある】相手だと考えられた。
「貴様の事情は追求しない。それを無闇に暴き立てる事もない。だが、それは貴様の行い次第という事を忘れずにいて欲しい」
「・・・悪い」
あまりの素直さに調子が狂う。
熱のあまり弱気になっているのか。
それ以上、責められなくなる。
「ラクォル」
「何でありましょうか」
「名前を呼ばれるってのはいいな・・・」
「熱で自慢の頭がやられているようで」
「ああ、だから、これから少しだけ聞き流せ」
歩む音が大きく響く。
「・・・・・・」
「オレの名前は母親が付けた。昔、使用人から少しだけ聞いたんだが、母は学問をやってたらしい。だが、オレが生まれて学問を止めなきゃならなかった。だから、オレが生まれた時だけは母も喜んでたそうだ。この子がいつか自分より立派に学問を修めてくれるかもしれないと。そういう者になって欲しくてオレの名は付けられた」
ふと医術師様の息子が語っていた事実を思い出す。
医術師様にこの少女の母は似ているという話を。
その母親が今はどうしているのかなんて少女に訊けるはずもなかった。
「・・・・・・」
「結果はこの通りだが、それでも母はオレを産んでくれた。オレは・・・望まれたから此処にいる」
とても大切な事を話されているのだと顔を見なくとも解る。
「良いお母様でありましょうや」
口が勝手に喋っていた。
「ああ」
声は優しく笑っている。
けれども、泣いているのだと解った。
解ってしまった。
(偽って、謀って、騙って、自分がどれだけ傷付いても、貴様はきっと誰もに優しい。苦しみも悲しみも押し込めた笑顔に多くを閉じ込めて、己を嗤い続けて・・・・・・・)
何故かこちらが泣きそうだった。
他人の為に涙を流すなんて何様だと己を戒める。
「・・・・・・」
沈黙が降りたまま歩き続けると道の先に市が立っていた。
誰もが注目してくる。
腕に抱えられた少女は偽りの顔で穏やかに辺りを見渡している。
「あ、あの!!」
横手に手押し車に野花が積まれていた。
花売りらしき少女が一輪の花を持って近寄ってくる。
「け、け、賢者様!? これ、受け取ってください!!」
頭を下げ、鐘型の蕾が連なる可憐な花が一輪差し出される。
「確か、前に買った事があったか?」
「は、はい。昨日は医術師様を助けようと大変だったと聞きました!! どうか受け取ってください!!」
「ありがたく受け取ろう」
今日始めて黒い少女の本当の笑みを見た。
「お、お体に気をつけて!」
柔らかな微笑に花売りの少女が頬を真っ赤に染めて手押し車の方へと戻っていく。
そのまま歩き続けると受ける視線が増えた。
そのどれもが好意的なものと感嘆の溜息を伴うものばかり。
可憐な花を一輪胸に抱く賢者の姿に誰もが見惚れていた。
「髪に刺さないのでありましょうか?」
「長過ぎるという意見以前に、オレにそういう趣味は無い」
「もったいない。女に花とは飾る事。知らないとでも?」
その花を半分程のところで手折って、黒い少女の髪に飾る。
「オレは男だ」
「では、女のこちらも飾ろうかと」
もう一方を己の髪に刺す。
「何処の百合だ。まったく」
呆れた様子で自然な笑みを浮かべ、意味の解らない文句を言う少女はもういつもの調子に戻っていた。
「・・・ッ」
不意に胸が不規則に動悸した。
「ラクォル?」
「な、何でもないでありましょうや。そろそろ近くなる。取り繕わなくてよいのかと」
「降ろしてくれ」
ガトウケンジ。
口の中で小さく呟くと、また動悸がする。
(どうして?)
名前を呟く度に襲われる動悸はどうしてか甘く穏やかな心地になる。
その日、自分の中で特別になってしまった名を忘れる事は出来そうになかった。
随時感想を受け付けています。連載中のSFノベルGIOGAMEもよろしくお願いします。




