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第一章 去りし夜に惑いて

第四話一章が始まります。

第一章 去りし夜に惑いて


僕と母が辿り付いた場所はリオーレン。

砂漠と荒野に挟まれた竜多き街だった。

風説に流れた大賢者がいる土地であり、奉審官アリラト様が治める静かな地と吟遊詩人は謳っていた。

どうしてそんな土地に行かないとならないのか。

そう訊いたのは二月前。

今まで危ない土地には近づかず、ずっとバルトメイラ中を転々としてきた。

なのに、どうして今更になって危ない場所に行くのか。

答は単純に返されて困った。

何処かにそろそろ定住しよう。

そう母は言った。

それがどうしてか解らないわけがない。

僕の為に外ならない。

安住の地を持たない暮らしに不満なんて一つもない。

生まれた時からずっとそうして生きてきた。

でも、確かに普通の定住した生活より苦難が多い。

竜多き地でありながら大巫女様に見守られ、幾多の竜を退けた大賢者の住まう場所。

危険と隣り合わせであるからこそ、竜の危険に対して最も防備が為されているに違いない。

母がそう考えたのだろう事は推測出来た。

流れの医術師をして女手一人で育ててくれた母。

手伝いこそしているものの母に倣う事は今も多い。

もう十になる男が母一人養えなくてどうするのかと頑張っているけれど、やはり母には敵わない。

綺麗で強くて優しくて医術の事なら何でも知っていて、料理が下手な事以外何でも出来てしまう。

初めて母を見た人はよくその容姿に驚く。

母の顔に走る細い火傷痕。

元々が綺麗だからその引き攣れた火傷の痕が他人には無残に映るらしい。

そんな誰かの視線に笑いかける強さ。

母と話しても色眼鏡で見てくる人間はいなかった。

小さな自分を抱えて土下座する姿。

今も目に焼き付いて離れない苦難に耐え忍ぶ姿。

それが自分の生き方の手本なのだと思う。

だから、目の前に広がっている光景にも色々男の子として耐えてみせなければ。

そう思う。

「ちょっと待て!? 脱がそうとするな!?」

「賢者の体を拭くのはあたしの使命なんだから」

「そんな使命捨ててしまえ?!」

「ガトウ。観念する」

「観念出来るか!?」

「貴様は本当に往生際が悪いな。ガトウケンジ」

「そういう問題じゃって――脱がすな!? 見るな! とりあえず赤の他人が見てる前で下ろそうとするな!?」

「男の子ならいいよね?」

「それは違――!!」

「ガトウ? 体どうなってるの?」

「興味津々みたいな顔で手をワキワキさせて何する気だ!?」

「貴様がこの姿だと何か心の奥底から沸々と湧き上がるものが有るような無いような」

「そんな感情、着せ替え人形にでも押し付けておけ!!」

母さんに言われたのは患者の容態が悪化しないよう見張っている事。

目の前で三人のオンナノコに絡まれて大変そうな一人のオンナノコがいた。

さっき咄嗟に助けてしまったその子の名前はガトウケンジと言うらしい。

(ぼ、僕はあくまで母さんの、はぅ!?)

「ちょ、洒落にならない事を確認しようとするな!?」

「ガトウ。本当に無い?」

サワサワと股間の辺りを妖精みたいな子が触っていた。

「ぬ? まさか、少し在る!?」

「とか言いながら人の胸を触るな?!」

白い髪の子が服の中に手を入れて確かめていた。

(こ、これが世に言う女の子の【ちょっと触らせて。オンナノコ同士なんだからいいじゃない】!? はっ、僕は何考えて!?)

【そういう事に興味ぐらいある年頃なのは仕方ないわ。ふふ】とか言われてしまいそうな自分の駄目っぷりにとても落ち込む。

けれども、目が離せない。

「というか、お前はいつまで見てる。とっとと此処から失せろ」

黒髪の子に物凄く迷惑そうな顔で言われた。

「ぼ、僕は貴女の容態が悪くならないか見張る義務が!」

少しだけ顔が赤い事を自覚して、凄く肩身が狭い気分になる。

「とか言いながら止めずに凝視してるのはどうしてだ?」

物凄い表情。

その子の額に青筋が浮かんでいるのを見つけて僕は咄嗟に顔を逸らす。

「ご、ごめんなさい。ちょ、ちょっとだけ目が離せなくて」

「謝ってる癖に自分の心に素直な奴だなオイ!?」

「で、でも凄く容態が悪いって話を聞いてたから」

「どんな話をしたらこんな展開になる。フェルフラム」

「ん? 貴様が死にそうな高熱で薬が切れている。そうとりあえず街医者の所に行って話していたら、そういった病を専門に直して歩く腕利きが街に逗留していると聞いて連れて来たまでだ」

「それであんな・・・くそ・・・とりあえず今は全部どうでもいい。とにかく一人にしろ。後で話せる事は話す」

何か名状し難い顔をして黒髪の子が三人のオンナノコを振り払う。

顔を見合わせた子達が大丈夫と訊くとさっきよりも幾分落ち着いた声で【大丈夫だ】と答が返された。

「お前もだ。オレを見れば解るだろう。容態は安定してる。これ以上オレに叫ばせて悪化させたくないなら大人しく出て行け」

「で、でも」

「でもも何もあるか。もしも嫌ならオレが出ていく」

「わ、解りました!」

慌てて部屋から出ると三人の子も同じように出る。

三人とも心配そうな顔をしていた。

「心配するな。少し心の準備と整理が出来てないだけだ。落ち着いたら話す」

「うん。ごめんね。賢者」

「待ってるから。ガトウ」

「食事の準備ができたら呼ぶ」

パタンと扉が閉められる。

「「「・・・・・・」」」

途端に静かになる廊下で僕は三人がどうしてあんなに騒がしかったのかようやく解った気がした。

「元気付ける為にあんな事をしたんですか?」

訊くと何か悪い事でもしたような顔で三人が笑った。

「何だか賢者。凄く変だったから」

「ガトウのあんな顔初めて見た」

「あいつにさっき何か危ういものを感じた気がした」

三人の誰もがあの子を大切に思っている事を感じる。

「ガトウケンジさん、でしたっけ? あの子の事とても大切に思ってるんですね」

「うん」

「そう」

「ああ」

誰もが躊躇なく頷いて、今閉まったばかりの扉を見つめる。

(妹さんみたいな感じなのかな?)

扉を隔てた部屋からは物音一つ聞えてはこなかった。



指輪を付けたまま、こっそり寺院を後にした。

食事も満足に喉を通らず、誰にも会い難く、リオーレンの街へ辿り着いた時にはフラフラと頭が揺れていた。

誰も来ないだろう鐘楼へと昇り、暮れていく街の風景に心を溶かし、されど胸の支えが取れない。

「悲愴になるような事でもあるまいし」

記憶も感情も割り切れるからこそ今まで生きてこられた。

母から虐待を受けようが父の無関心に曝されようが生きてこられた。

(これは喜ぶべき事ではあっても悲しむ事じゃない)

死んだ母が生きている。

複雑なのは当たり前だが悲しむ要素は一つもない。

自分の中にある様々なものにケリが付くかもしれないチャンスであって、憎しみや悲しみを感じるような事ではない。

親が心の支えになった事は一度もないのだから、そうあるべきだろう。

心の全てを支えてきたのは臥塔賢知の器量と性質。

問題は【自分を虐待した母親が生きて異世界にいた事】ではなく。

自分の知らない何処かで【盤上せかいを支配している何者かがいる事】だ。

偶然ではない出会いは演出されている。

誰もが自分の意思で動きながら、事態は誘導されている。

ならば、【母】という致命的な一手が何故打たれたのか考えなければならない。

臥塔賢知を動揺させる為か?

否、そんな事に意味は無い。

そんな事をせずとも揺らいでいるような人間には今更な話だ。

臥塔賢知に何かをさせる為か?

有り得る。

死んだ母親を異世界で発見する事がこちらの何らかの行動を誘発させる可能性は高い。

そっと頭の中にチャートを組む。

今までのフラグとイベントを書き込む。

母というイベントが起きた時、フラグが立つ。

流れを見極めようとして複数のストーリーラインが脳裏に浮かぶ。

「オレの気を死んだはずの母親を使って逸らしてる? 他には次のイベントの前振りとオレの誘導も兼ねてるか? 後はオレを窮地に叩き込んで望む反応を出すかどうか様子見。そんなとこか」

いよいよ、事態は切羽詰まるところまで来ているのかもしれない。

異世界に召喚された少年の物語には必ず窮地が付いて回るもの。

長い現実リアルの果て、辿り着いた異世界ファンタジーで、こんな事になるとは思ってもいなかった。

臥塔賢知の人生で最大級のイベントが動き出している。

(そんなの要らないってのに)

日々は細やかな日差しを浴びるような調子で周りは騒がしい事この上ない。

少女達との恋愛の行方や結婚への地盤作りやら、心配する事は山の如くだというのに、まったく迷惑極まりない。

ディスられても仕方ない色呆けリア充臥塔賢知には、こんな些細なイベントに構っている暇がない。

だから。

(それが運命か、あるいは世界だと言うのなら掛ってくればいい。オレは必ずこの日常いつもを)

誰にともなく、何にというわけでもなく、誓う。

自分の意思を。

自分の心を。

(運命だろうが世界だろうが知った事か)

昔から物語にはお約束な言い草がある。

そんな臭い言い草を思う。

己を嗤って身を起こせば彼方まで夕暮れ時の色になっていた。

夕飯の匂いを思い出し家路に付く事にした。



【ふははは、勇者よ。よくぞ此処まで来た】

【お、お前は!?】

【どうして大魔王。貴方はもう死んだはずなのに】

【くくく、あの程度で滅びる我ではないわ】

【なんて奴だ】

【こうなったら皆であいつを倒すのよ】

【しょうがねぇ。世界の平和の為だ】

【必ず貴様を倒す魔王!】

【ふん。貴様ら程度に倒される我ではないわ】

【だが、それにしてもどうやってあいつは助かったんだ】

【甘い。甘過ぎる。だから、貴様ら人間は下等なのだ】

【ぐわぁあああああああああああ?!】

【え? な、何故貴方が!?】

【ふふふ、実は私は裏切り者だったのだよ】

【な、何だってー!?】

【この裏切り者。魔王を倒さないと世界は滅ぶのよ?!】

【ははは、世界の半分は頂いた。これで私の千年王国が遂に実現す、ぐわー】

【くくく、貴様ら下等な人間に世界の半分をだと? そんな約束はした覚えが無いが?】

【は、謀ったな!? 魔王!!】

【何とでも言うがいい。勝った者こそが正義であり、弱き者は死に絶えていく。それだけの事だ】

【こ、こんな事って・・・・もう世界は終わりなの?】

【さあ、人間共よ。滅びるがいい。この終末の泥の中で。はははは、はははははは】

【どうすればいいんだ】

【信じる力が奇跡を起こす。オレはそう信じてる】


――――――何の話だったか。


もう思い出せない懐かしい馬鹿話を見た。

ボケた頭を振り払い目を覚ませば、其処はいつもの寝台。

微妙に古い本を夢見たような気分。

「・・・・・・」

いつも隣で寝ているはずのユネルが見えず困惑する。

(風邪が移ったら大変だからって別の部屋に寝かせたんだったか?)

記憶を失った母親と邂逅。

そんな一大イベントの衝撃が一応抜けた昨日の夕飯時。

三人の少女に何処へ言っていたのかと怒られたのは記憶に新しい。

冷静に見られるようになった母親と息子(弟かもしれない)は療養の為にオババが招き入れてしまっていた。

しばらくは寺院へ滞在し風邪が治るまでいるらしい。

粗方の思考作業を終えた夕方からは平時の自分を取り戻したおかげか。

本当に母親か入念に確認することが出来た。

今も覚えている顔は間違いなく母のものでその他の身体的な特徴もかなりの部分で記憶と合致した。

間違いなく母本人と事実上断定出来た。

まずは様子見を兼ねて距離を取りながらの観察に徹する事にした為、夕食の後は大人しく少女達に促されるまま寝台で寝込む事になり、話す暇も無かった。

「とりあえず話してみるか」

体の各所を動かして自分の体が万全である事を確認する。

相変わらず指輪を嵌めている為、少女姿のままである事に気付く。

(結局、本当の姿で会うのが怖いのか? まぁ、記憶が戻っても面倒なのは間違いないが)

うなされていたらしく、体が寝汗を掻いていた。

借り物の姿とはいえ、そのままにしておくのは忍びない。

寝台を抜け出して中庭の噴水へと足を運ぶ。

時折、火を焚き木製の湯船を持ってきてお湯を入れる事もあるが、大概は行水で済ませている。

熱いシャワーが無い事を惜しく思う事もある。

ただ、慣れれば水の冷たさの方が朝には良い気もしている。

どちらにせよ。

女の体で行水などしなかったわけで、多少の戸惑いは仕方ないかもしれない。

誰かが起き出してくる前に済ませてしまおうとダブついた白い寝間着を脱ぎ捨てる。

常備されている桶で水を掬って体の末端から掛けていく。

体を直視しないよう注意しながら何杯か水を被って体を洗った。

最後に頭から水を被って、持ってきていた布で体を拭こうとした時、それが目に入った。

「~~~~~~」

頬を真赤にした少年ノール・ハルメルが羞恥に身を固めながらこちらをガン見していた。

「・・・・・・」

こちらの視線に気付くとハッと我に返りワタワタしながら背を向けた少年の口からは「あ・・う・・は・・え・・」と言い訳らしき言葉が出る。

「あの!? こ、これは!! その、す、すみません!! ガ、ガトウケンジさん」

あまりの事態にそのままグッタリ寝台に帰りたい気分に駆られるが、何はともかく体を拭いて服を着る事にした。

「覗き趣味なんて母親にバレたら大変だな」

「ち、違ッ?! こ、これは朝になったら母さんから熱を測ってくるように言われてて! そ、そうしたらその、貴女が!?」

「それで覗いたんだな?」

「いや?! そ、それは!! その!? そうです!!」

言い訳を諦めた潔さは買ってもいい。

「これから此処にいるなら朝は注意しろ。特にユネルとテオとフェルフラムの行水中は此処に近付くな」

「あ、は、はい!! そ、それは勿論!!」

「分かればいい。ちなみに熱は完全に引いた。疑うまでもなく体調も完治してる。様子を見る為此処にいるだけなら後二日もあればいい。そう、お前の母親に伝えておけ」

「その・・・本当に大丈夫ですか?」

「酔っ払いの常套句でもあるまいし。自分の具合が分からない程おかしくなってたなら受け答なんて無理だろ」

「あ、はい。そうですね。その、それじゃ僕はこれで。あ、あの、すみませんでした!!」

母親の下に様子を話しに行くのだろう。

背中が寺院の中に小走りに消えていく。

(弟か)

素直で親思いの息子。

健全過ぎて泣けてくる。

それが自分の弟かもしれないと思えば当然の話。

母が自殺する理由がもしも二人目が自分の中にいると気付いたからだとすれば辻褄も合う。

重い物語を知るのはこちらばかり。

やってられるかと溜息の一つも吐きたくなる。

自分が言い出さなければ事実も真実も現実も無い。

その方があの親子にとって幸せなのは言うまでも無い。

言ったところで変な人間と思われるのがオチなのも見えている。

「ふぅ・・・」

儘ならないファンタジーに浸りながら、朝食でも久しぶりに作るかと寺院の中へ戻る事にした。



まだ心臓がドキドキしていた。

自分より少しだけ年上の少女。

ガトウケンジ。

初めて母以外の女性の裸体というものを見てしまった。

どうしていいか分からず思わず見つめてしまった。

頭からさっき見た光景が離れなかった。

綻び一つ無い穏やかに流れた黒髪。

小柄で流線型の体躯であるものの女性らしさを主張する凹凸。

ただ最も気になったのはその憂いを帯びた顔だった。

何処か遠くを見つめていた視線。

その哀しげな瞳に胸が締め付けられるような痛ましさを感じた。

見ているだけで泣いてしまいそうな気分になった。

どうしてそんな顔をしているのか。

問い掛けてみたいと思った。

恥ずかしさのあまり逃げ出してきて、今更に後悔する。

(どうすれば良かったんだろう)

女性らしくない言葉使いの端々に込められた皮肉や嗤いに委縮してしまった自分がいた。

「おや、医術師様の息子さんかい?」

「あ、大巫女様。お、おはようございます」

「ほほほ、まったく朝から清々し過ぎて涙が出るのう。婿殿に見習わせたいくらいじゃのう」

「あ、婿殿というのはガトウケンジさんの事ですか? 今、行水が終わったみたいです」

「ふむ。あの姿のままかい?」

「あの姿?」

「まぁ、何でもない。それよりあの子達を起こしてきてくれないかねぇ」

「あ、はい」

頭を下げて、その足で部屋の前まで往く。

扉を叩くと中から開いた。

「あ、ノール君?」

出てきたのはユネル様だった。

「あ、大巫女様から起こすように言われて参りました」

「オババが? うん。少しだけ待っててってオババに伝えてくれる?」

「承りました」

「それと、えと、別にそんなに畏まらなくてもいいんだよ? あたし、そういうの苦手だから」

「それは、ですが」

「ね?」

微笑まれて、口の中から出かけた言葉が溶けて消えてしまう。

「は、はい。ユネルさん、でいいですか?」

「うん。良い子良い子」

子供扱いされるのに少し反抗したい気分に駆られて、それも結局は頭を撫でられる内に消えてしまった。

「そ、それでは」

「また、後でね」

扉が閉まる。

その足で貸してもらっている少し埃っぽい部屋に戻る。

寝台の上に母がいた。

寝台で寝るなんて久方ぶりだから、まだ寝ていた。

そっと寝台の横に座って目覚めるのを待つ。

沈黙の中、思い起こされるのは憂いを帯びた顔。

どうしてこんなにも出会ったばかりの少女の事が気になるのか。

その答えが不意に思い浮かぶ。

(そっか。あの子の表情。時々母さんが浮かべる表情とそっくりなんだ)

母が時折見せる表情。

それを見ると守らなければとそう思わされる。

何故、そんな顔をしているのと訊いた事はない。

訊いてはいけない気がして未だに訊けてはいない。

(あの子も母さんと同じ?)

何かを背負っているのかもしれない。

「ん・・・ノール?」

「母さん。おはよう」

「ん。おはよう」

もしも、そうだとしたら自分には一体何が出来るのだろう。



朝食の後、寺院近くの草原に出向いていた。

空の蒼さは相変わらず。

「・・・・・・」

疲れからか。

幾分か思考を休める。

思考停止とは自分らしくないかもしれない。

しかし、思考が空転する程に多くのものが胸を通り過ぎたのは事実で、疲れているのもまた事実だ。

脳裏に浮かぶのは壁。

乗り越えれば真実があるだろう壁。

それは越えられないものではない。

今の自分ならば楽に越えていけるに違いない。

それなのに越える気にはなれない。

見て見ぬフリをして通り過ぎていくのもまた道の一つには違いないだろう。

だが、止まっている。

壁の前に立ち尽くしている。

そのままではいけないと知りながら尻ごみしながら拳を握っている。

行くべきか。

行かざるべきか。

決断の期限はきっと短い。

それでもギリギリの次期を待つ自分は滑稽。

足は一ミリも動かない。

(オレにもまだ理性で割り切れないものがあいつら以外にあったか)

「あの・・・」

「?」

振り返れば少年が一人。

ノール・ハルメルだった。

何も言わず草原に横になる。

「隣に座ってもいいですか?」

「ああ」

おずおずと座る気配。

「その・・・いいですか?」

「何だ?」

「か」

「か?」

「彼氏はいますか!!」

げほごほがほごほごほごほごほごほ。

シリアスシーンにいきなりド直球ストレート(もはや人類に逃げ場無し)が投げ込まれてくる。

「―――もういい歳なんだから少しは空気読めッッッ」

「あ、はい!! 結婚を前提にお付き合いしてください!!」

「何処を読んだ!?」

「母さんが嫁は年上の方が良いって!!」

「ダメだコイツ早く何とかしないと!」

「一目惚れです!!」

「断る?!」

「はい!! これからの進展に期待です!!」

「期待しなくていい!!」

「それはもしかして期待しなくても付き合ってくださるという遠回しな意思表示ですか!?」

「違うわ!?」

「冗談です」

「~~~~~~!!?」

悪餓鬼の脳天をカチ割る拳骨でもくれてやるかと思い、溜息を吐いて自制した。

「覗きの次は年上をからかう。趣味が悪いな」

「元気が無いように見えたので。すみません」

「別にいい」

体が幾分か軽くなったような錯覚。

己の単純さに溜息を一つ。

もう何もかもがどうでもいいような気がして無心に空を眺める。

「その、どうして空を眺めて?」

「人間は空を見上げるものと決まってる」

「決まってますか?」

「ああ」

「僕は地面ばかり見て歩いてた気がします」

「旅をしてたんだったか?」

「はい。凄く凄く歩きました。色んなところを見て回って、山も海も砂漠も荒野も森もバルトメイラの三分の一ぐらいの土地は行った事があると思います」

「世界は広かったか?」

「はい。広くて全然果てが見えない程」

「なら、空はどうだった?」

「空ですか?」

「同じ色だったか?」

「空は、同じはずなのに違う気がします。山に沈む夕日や海に沈む夕日は別モノです。どっちも凄く綺麗ですけど」

「そうか」

沈黙すれば、次に話しかけてきたのはノールだった。

「聞いていいですか?」

「恋愛相談以外でなら」

「~~~そ、それは忘れてください」

「それで、何だ?」

「あ、はい。その、貴女はどうして寂しそうなんですか?」

何も反省していないらしき餓鬼に視線を向けると真剣な瞳。

言うべき事は決まっている。

そんなことは決まっているに決まっている。

「オレの母親は最低の人間だった」

「え?」

「オレの父親は好きな男じゃなかった。寝取られて、オレを身籠り、オレを産んだ。だから、オレは母親からすれば憎い男の子供だ。そんな子供に愛情を注ぐ事が出来なかった母は愛する代わりにオレを憎んだ。憎み、蔑み、死を望んだ。そうして最後には自殺して消えた」

「あ、う、ご、ごめ、ごめんなさい!? すみません?!」

「馬鹿」

何故か涙目で謝ってくる真横の馬鹿に言ってみる。

「ほ、本当にごめんなさい!! ぼ、僕が軽率でした!!」

「オレはだから母親っていうのが本来どういうものなのか知らない。いや、知識として知っていても実感がない。お前の母親はオレの母に似てる。だから、寂しそうに見えたならそういう事だ。オレにもまだ母を恋しいなんて思う感情が残ってた。それだけの話だ」

見つめる先で複雑な感情に揺れる瞳の色。

どうして他人のお涙頂戴話に共感できるのかと不思議になるぐらい純粋で無垢な悲哀。

「そ、そんな風に自分を蔑まないでください!? その、貴女にはなんて言ったらいいのか解りませんけど、そんな風に自分を悪く言わないで欲しいです!」

「お前にオレの何が分かる?」

冷静に訊けば、その顔はまるで刃を胸に突き立てられたような顔になる。

他人の痛み、他人の感情、感じられても理解は出来ないソレを、少年は我が事のように哀しんでいた。

「何も解らないかもしれません。いえ、きっと解らないです。僕は母さんにそんな風に扱われた事がありません。僕は貴女みたいな思いをした事がありません。僕には貴女の事を想像する事が出来ても本当には解りません。でも、僕は貴方にそんな風に嗤って欲しくないです」

「どうして?」

「貴女を初めて見た時から何故か気になってました。それはたぶん母さんの顔と重なる気がしたからです」

「―――それで?」

「母さんが時々、貴女と同じような顔をする事があります。そんな時、僕は何も・・・何も出来ませんでした」

「オレになら何か出来るとでも?」

「解りません。解りませんけど、僕は貴女がそんな風にしていると胸が痛いです。凄く痛いです」

「オレは痛くない。事、この自分の境遇に関してはそんな感情もう何処かに置き去りになってる」

悪餓鬼の俯けた顔からポロポロと涙が零れる。

「他人の不幸に涙する暇があったら、自分の事を気にしろ。これからお前とお前の母親は此処で生きていかなきゃならない。涙はそういう事で悔しい時、悲しい時、流してやれ」

そろそろ帰るかと立ち上がると袖を掴まれた。

「貴女の代わりに泣いてはダメですか?」

「何?」

見上げてくる瞳は美しく、涙は頬を伝っていく。

いつだったか。

自分にそんな涙は流せないと悟った記憶が蘇り、自嘲が漏れる。

「オレなんかの為にどうして泣く?」

「理由なら、理由ならあります。さっき、言ったのは冗談です。流されているかもしれません。でも、今僕は貴女と話して、貴女の事を聞いて、貴女の事をもっと知りたいと思いました。貴女の事が好きになったみたいです」

―――駄目だコイツ早くなんとかしないと。

その涙は純粋で、そう笑って済ませたくはなかった。

まったく馬鹿な話だ。

まったく阿呆な話だ。

何処の世界に兄弟に告白してくる馬鹿がいるというのか。

何という間抜け加減。

いい加減にして欲しい。

それでも、今、この場、この時、この世界にいるのはガトウケンジという女であって、臥塔賢知という男ではない。

だから、馬鹿な物語を少しだけ続けてもいいような気がした。

「オレは女が好きだ」

「か、構いません」

「ついでに言うとお前に恋愛感情として好きと言われても気持ち悪い」

「―――構いません!!」

「強情だな? なら、最後のカードを切らせてもらおう」

「ッ!?」

「オレはお前みたいな純粋無垢でどうしてこんな良い子ちゃんに育っちゃったんだ? と思うような単純馬鹿が大嫌いだ。だが、そのお前の好意は純粋に嬉しく感じる。だから」

そっと手を取って立ち上がらせる。

「友達でいいなら、受け入れよう。可愛い可愛い弟君ってところか?」

「はい!!」

どうしてか顔が少しだけ緩んだ気がした。

弟というものを初めて得たような気がした。

それが家族だと言うならば、この顔の緩みは家族に向けられた笑顔なのかもしない。



夕方、少女達の絶望の声が響くことなるとは思ってもいなかった。

曰く。

【け、賢者が男の子を好きになっちゃったぁあああ?!】

【違うわ!?】

【ガトウ・・・本気?】

【凄い勢いで誤解しないでくださいマジで】

【ガトウケンジ?! 貴様・・・そこまで堕ちたか!?】

【【おちた】の字が違うのはヒシヒシ伝わってる】

【そのぼ、僕のお、お姉様ですから】

【せめて普通に【アニキ】とか【兄さん】と呼べ?! オレの首を括らせる気か!?】

夕飯の席の事。

モヂモヂしたノール少年を追及した母がその状態に至る経緯を確認する事になり、事態が発覚。

何故か思い切り嫉妬の炎を燃やされ、危ない何かを見るような視線を向けられる事二時間。

【もはや、婿殿の魅力はオノコさえメロメロにするのかのう。末恐ろしい婿殿だ事。ほほほほほ】

という言葉と共に嫉妬の炎はどちらかというとジト目に変化し、いつもよりも【一緒に水浴びしよう】攻勢や【一緒に寝よう】攻勢が激化した。

その結果として結局のところガトウケンジは四人で眠る事となってしまうコンチクショウもうどうにでもしてくださいオレの睡眠時間を返してプリーズという混乱状態。

ムニャムニャという擬音よりはムニュムニュという擬音が正しい寝台の上でグッタリする。

「どうやってオレに寝ろと?」

左右に二人。

上に一人。

毛布に包まれてギュウギュウに押し込まれた寝台の上。

少女達の胸の感触に頭痛がした。

意識すれば反応せざるを得ない。

反応すれば誰かが起きる可能性がある。

誰かが起きれば騒動は必至。

騒動が必至ならば睡眠時間は無い。

しかし、別に反応しないよう理性を保っていても、睡眠時間は無い。

「はぁ」

夜は長く、長く、しかし、とても穏やかで。

「幸せ過ぎて死ねる。まったく」

そっと眠りについた少女達の頬を手の甲で撫ぜる。

「ああ、まったく本当に」

安らかな少女達の寝顔と温もり。

それ以上のものを知らない。

こんなにも恵まれた己なんて知らない。

「本当に抑えが効かなくなっても・・・いいんだろうな。こいつら的には」

静かに言ってみても少女達は夢に落ちたまま。

口を少しだけ滑らせてみる。

「ユネル。テオ。フェルフラム。お前達がいてくれて本当に良かった。オレはこれからもお前達と一緒にいたい。いつかオレが死ぬまで。いつかお前達が死ぬまで。どんな事があっても、オレはお前達を見捨てない。いや、見捨てないで欲しい。誰も選ばずに悪い。不誠実なオレを許してくれとは言わない。オレはきっとお前達を苦しめてる。でも、オレは必ずお前達を幸せにする。これだけは絶対に約束する。だから、いつまでも笑っていてくれ」

そっと、三人の少女に一人ずつ口付けする。

そうして―――己の恥ずかしさに死ぬ。

気の迷いと言うには熱く。

嘘だと誤魔化すには強過ぎる。

そんな己の言葉に内心悶える。

「オレもついに気○がいの仲間入りか。まぁ、いいさ。独り言だ」

そのまま、恥ずかしさに埋没しながら、眠りに付いた。


一人の少年が寝静まった頃、そっと名が呼ばれた。


「賢者・・・」


「ガトウ・・・」


「ケンジ・・・」


全ては闇の中に消え、そうして新たな一日がやってくる。

随時感想を受け付けています。連載中のSFノベルGIOGAMEもよろしくお願いします。

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