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プロローグ

第四話の始まりです。

昏龕世界バルトメイラ『Beautiful Day Remember』


プロローグ


物語の世界には【お約束】というものが溢れている。

とても単純な話。

変身途中の主人公は敵に狙われないとか。

顔がどんなに出ても魔法少女の正体は解らないとか。

主人公が冴えない非リア充であるにも関わらずハーレム状態になるとか。

ヒロインは必ず処女であるとか。

そんなのだ。

誰もがそういうものをファンタジーとして物語に求めていたりする。

変身する間もなく死ぬヒーローがいては物語が成立しない。

顔がばれてしまっては魔法少女の【普通の生活】(コメディ―パート)が見られない。

完全無欠に二枚目で金持ち秀才な性格良し男がハーレムを作ろうと何ら楽しくない。

ヒロインが超絶に男漁りした○ッチだったりしようものなら、夢と浪漫という名で隠された男の性欲はグッタリ気味だ。

世の中には【そうあるべき】と望まれる形が存在する。

つまり、気になるあの子が【アンタなんか嫌い】と言えばツンデレの前振りだし、お姫様が【お前は下僕】と言えばラブコメ展開五秒前だし、【オレ、帰ったら結婚するんだ】と言えば死亡フラグがバリバリで、【馬鹿】と女から優しく言われれば愛はもう其処にあったりする。

誰が決めたかも定かではない誰もが心の中で【ああ、そうかもしれない。こういうものだろう】と許容する定型。

それを万人に言わしめて【お約束】という事になるだろう。

例えば、気付いたら其処は異世界でしたとか。

例えば、過去にワケアリ少年少女の恋物語とか。

例えば、ヒロインがいつの間にか増えてハーレムルートとか。

よくある話だ。

だが、それがファンタジーからリアルにすり替えられた時、問題も起こる。

主人公に向かない人間がハーレム状態なんて経験しても心はダークサイドまっしぐらだったり、朴念仁でも無ければ鈍感でもないので雰囲気に流されないよう歯止めを掛けるのが大変だったり、そんな自分はディスられても仕方ない色惚けリア充路線を驀進中だったり、【一緒に水浴びしよう】攻勢が激しさを増したり、寝床でグリグリ擦り寄ってくる率が高くなったり、気苦労は絶えない。

食事中の【あ~~ん(食べてくれるよね?)】を実践される身の上は俗に言う【貴方お風呂にするお食事にするそれとも・・・】の前触れかと冷や汗しか流れない戦慄の修羅場だった。

行水中の【だめ?(一緒に入ったらダメ?)】は極限の心理戦の果てに華麗なるスルーを体得する修行だった。

就寝中の【ん】は隣で呟かれるだけで睡眠時間や理性を破壊する回数無制限の大魔法だった。

どうしろというのか。

いや、どうすればいいのか。

答は決まっている。

決まっているから困っている。

とりあえず現状維持であり、打つ手無しであり、諸行無常であり、盛者必衰の理でも信じるしかない。

モテ期なんて長続きなんかしないもん、と高を括るしかない。

自分が最後の一線で傾かない天秤を持っていた事を神に感謝してもいいぐらいには追い詰められている事実を鑑みて、その日その場所その時間、沈黙に曝されながら、ガックリと項垂れた。

「・・・・・・」

とある異世界風寺院の中庭。

噴水の前で固まっている三人の女神というかヒロインズというか巫女達。

「・・・・・・」

実質明け方に眠ったせいで睡眠時間は約二時間。

そんな短い時間にも関わらず久しぶりに悪夢を見た頭は頭痛でフラフラになっていた。

状態的に最悪な寝起きであったという言い訳を心の声でしながら、壁に寄り掛かる。

「・・・・・・」

色々と結論を先送りにしたい現在の状況を一言にすると【覗き】であるかもしれない。

何も身に付けていない少女達は水浴びの途中だった。

お約束としては次の選択枝の中から一つ選ぶ事になるだろう。

1【きゃーえっちすけべ変態紳士は死んじまえ。オラァアアアアアアアアア!!】

2【ジワリ(涙) そういう事する人だとは思いませんでした。コンチクショオオオ!!】

3【ちょっとこっち見ないでよ。あんたなんか死ねばいいんだから。バカヤロォオオオ!!】

どれであろうとこちらが悶死する事は確実。

だが、ファンタジー的なリアルは予想の斜め上を行く。

「賢者も一緒にする?」

微かに頬を染めて無邪気な笑顔で訊いてくる天然が一人。

「ガトウ。一緒にしたいならそう言えばいい」

微かに体を隠して顔を逸らしながらも柔らかな言葉を掛けてくる乙女が一人。

「き、貴様が覚悟して来たなら受け入れるのも吝かではない」

微かな決意を顔に浮かべて力強い瞳で決断を迫ってくるツンデレが一人。

SNEGと叫びたい。

それ(S)なんて(N)エロ(E)ゲ(G)と叫ばずにはいられない。

叫ばないけど一応これもお約束かもしれないけど、ちょっと待てと言いたい。

もう少し自分を大事にしてくれませんか?

「け、賢者!? た、倒れちゃった!? ど、どうしよう!?」

「早く運ばないと!」

「とりあえず服を着てからだ!」

「う、うん!」

「着替え何処?」

「まったく、人に迷惑を掛ける天才だな。貴様は」

薄れゆく意識の中、【次、回想シーン入りま~~す】と脳内妖精ブラウニーさんの声がしたようなしなかったような、そんな早朝の出来事だった。



異世界バルトメイラ。

竜が人を消していく厄介な世界。

アウタスと呼ばれるバルトメイラ生まれではない人間を消していく竜の脅威は人々の間に根付いて永い。

竜とはバルトメイラでの俗称であり、本当は現実の乗り物に過ぎない。

その竜が車や船である内は可愛いものだが、軍艦や戦車となると脅威は留まるところを知らない。

インナスと呼ばれるバルトメイラ出生の人間、それも女性のみがそんな脅威に立ち向かう術を持っている。

巫女。

竜を自らの血によって洗礼し下僕とする術を持った女性達。

彼女達無しにはバルトメイラの文明は維持出来無いとすら言われている。

世界総人口の半分以上を占めるアウタスが消え去った時、バルトメイラは滅びゆくのだという。

そんな世界に異世界リアルから召喚?されたらしい賢者系男子が一人。

物語は加速度的にフラグの量を増やしながら男子の上にイベントを降らせる。

巫女とラブラブ死てねとか。

そんなのだ。

【お約束】である。

恋物語である。

しかも、悲恋っぽい出会いと別れである。

しかも、【続・ハーレムルート(後二人追加で)】という事である。

三人の巫女はそれぞれに司る竜が違った。

地の竜の巫女。

ユネル・カウンホータ。

赤茶けた跳ね乱れる長髪に天真爛漫を絵に描いたような少女。

水の竜の巫女。

テオ・アルン・フェーダ・トーメルテム。

二つに縛った亜麻色の髪に妖精のような可憐な容姿を併せ持つ少女。

空の竜の巫女。

フェルフラム・トレッキア・フォーテシコス・アンテラノード。

白い髪に白い肌、北欧系な顔立ちに軍曹的な振る舞いが栄える少女。

三人の巫女達に出会ってからというもの臥塔賢知は【お前良い思いしてんじゃねーかよ。ああ? それじゃ仕方ないよなぁ】と運命的な何かから無理難題を押し付けられてばかり。

狂乱バースト】と呼ばれる竜達の大規模な出現は巫女達ですら死人を出す地獄の行進で、そんな狂乱に関する事件の数々は必然によって支配されている。

三人の巫女との同棲生活は確実にそんな何処かの誰かが生み出した必然の積み重ねの先に存在している。

そうなった根本的な理由にはたぶん現実にありがちな、きな臭いものが混じっている。

在るべくして集められた人間が恋に落ちようが愛を育もうが【あっち側】は干渉してこないだろうが、何かの駒にされているこちらは迷惑極まりない。

(祭りが近いか遠いかそれが問題だ)

次の事件が起こるのは自身の中では確定事項として扱っている。

それは別にいい。

降りかかる火の粉は払って退けるだけ。

そんなのはいつだってそうしてきた。

問題なのは三人の少女達の事。

知らぬ間に駒とされているのだろう少女達の事。

バルトメイラに起きている異変に巻き込まれてしまった少女達の事。

日常的に命のやり取りをしながら明日が欲しいとも言わない少女達の事。

本当のところ降りかかる火の粉になんて興味が無い。

世界の謎や秘密なんてどうでもいい。

だが、自分を救い好意を持ってくれる少女達へ愉快で楽しげな【日常いつも】を見せる為にはそんなどうでもいいものを知る必要があった。

馬鹿みたいにラブコメ展開を続ける生活の変化に思考を研げば、聞えてくるのは破滅の足音。

何もかもを守り切る事は不可能だ。

それでも手が届く限り、馬鹿馬鹿しくて、下らなくて、どうしようもなく涙が出そうないつもを続けていく。

その方法だけは見つけようと決めている。

「・・・・・・」

光が差し込んで目が眩んだ。

僅かに開けた瞼の先には陽光。

ゆっくりと慣れていくと目の前には皿が並べられていた。

自分の態勢に気付く。

どうやら石製のテーブルにグッタリと上半身が伸びているらしかった。

長椅子から背筋へ差し込む冷たさに目が醒める。

見れば、テーブルの周囲には椅子が四つ。

三人の少女と魔女ルックなオババが一人、座ってこちらを見ていた。

「どうやら目が醒めたようだねぇ。とっとと食わせてくれるとありがたいんじゃがのう。婿殿?」

嫌味半分で笑うのはユネルの祖母である魔女ルックな通称オババ。

奉審官アリラトと呼ばれる名の知れた巫女であるものの、今日は一段と皮肉げな笑みでこちらを見つめている。

「先に食べればいい」

「そう出来れば苦労はしないと思わんか? 家の孫娘は【賢者が起きてから皆で食べよう】とか涙が出るお言葉でワシの皿に取り分けてもくれん。ああ、これが世に言う婆虐めというもんかのう。ごほごほ」

わざとらしく咳をする老害は放っておいて他の三人に視線を映す。

「賢者。いつもみたいに声掛けお願いしていい? お腹空いちゃった」

何分寝ていたのか知らないが十分以上は確実に気絶していた気がする。

そんなに待たせた男へ対し笑みを浮かべられるユネルの懐の大さは号泣ものだ。

「ガトウ。遅い」

台詞とは裏腹にテオの声には険が無かった。

頭が下がり過ぎて首から落ちるんじゃないかと思う。

「貴様を待つ巫女の寛大さに感謝しろ」

今か今かとフォークとナイフを両手にしたフェルフラムはまぁ、いつも通り。

そんなに何か思うところはない。

自分を窘めてくれる存在がいるだけ幸せなのは言うまでもない話。

「いただきます」

「「「「いただきます」」」」

いつの間にか朝の朝食では恒例になってしまった号令を掛ける。

日本式の食事の挨拶を思わずしてしまったのは数か月前。

それ以来何かと少女達から朝の食事で挨拶をせがまれる。

三人に訊いたところによれば【その方が楽しい気がするから】【何となく】【それが此処の仕来たりならば従おう】という事らしい。

食事が始まる。

黙々と食べる。

カチャカチャと食器の鳴る音。

朝のそんな一コマがボンヤリと頭の働きを鈍らせる。

幸せをこんな音に聞く自分がどれだけ貧しい人間かと内心嗤う。

知らぬ間に見逃してしまわぬよう光景を胸に留めた。

「賢者?」

「何でもない」

「ガトウ?」

「何でもない」

「貴様、手が止まっていて何でもないと言い張る気か?」

「何でもない」

「「「・・・・・・」」」

「本当に何でもな――」

グラリと視界が傾いだ。

体が急激に重くなる錯覚。

長椅子に倒れ込んで思わず咳き込む。

「賢者!?」

駆け寄ってくる少女達の声が遠い。

目が霞んで光景が滲んだ。

自分がようやく風邪に倒れ込んだらしい事に気付く。

何か言っている少女達の後ろから指示らしき声が飛んで、再び意識が落ちた。



「それにしてもこんな高熱で歩いとったとは婿殿も鈍いというか何というか」

「賢者。大丈夫?」

「ガトウ。フェルフラムが今街に薬取りに行ってる」

「とりあえず、しばらくは安静にする事だねぇ」

濡らされた布が頭の上に乗せられる。

声が頭を素通りしていく。

何を言われたのかは聞き取れても理解出来なかった。

そもそもひ弱な半引き篭もりネトゲ廃人だった己に異世界というのが根本的に合わないのは理解の範疇だ。

何かと体が資本である異世界で体調を崩すのはそう珍しい事ではない。

「じゃ、ゆっくり寝るんだね。婿殿」

何やら頷きあうと全員が部屋から出ていく。

目を瞑ってすら世界が回っているような気がした。

回り続ける暗闇に不意に瞬くのは記憶。

思い出とも言えない頭の片隅に残る塵のような記憶が認識する間もなく流れていく。

一番多いのは現実での学校生活に関するもの。

早回しになる記憶は覚えているのが珍しいようなものばかり。

適当に進学希望を書く自分。

感慨もなく高校に入学した自分。

郷愁もなく中学を卒業する自分。

修学旅行を淡々とこなす自分。

長期休暇の度に趣味だけをして過ごす自分。

高校、中学校、小学校、幼稚園。

何となく過ごされた記憶。

友達がいるわけでもなく。

クラスで浮いていたわけでもなく。

空気のように目立たず。

そういえばそんな奴もいた程度の認識を持たれ、顔も思い出されないのが臥塔賢知という人生だった。

門地こそ上流の方だが実際に何か特別な英才教育を施されたわけではない。

そういう人間を見る機会はあったが、そんな人間から見れば臥塔賢知に施された教育は普通の部類に入る。

習い事を一つ二つ。

言葉遣い、作法、マナーに関する事を幾つか。

その程度ならば中流階級の家庭でも行われる範囲だろう。

唯一の親族である父親は子供に興味の無い人間で家を管理する者に養育の全てを任せ切りにしていた。

顔を合わすのは年に三度もあればいい方で会えば「好きにしなさい」というお決まりのフレーズ。

小遣いは豊富なわけでもなく月に五千円もあれば良い方。

上流の家に生まれて良かったと思える事は学業に必要な用具一式や生活雑貨が無駄に高級だった事ぐらいかもしれない。

淡々と公立の学校で中の中の成績を維持しながら特に何事もなく生活し続けた日々は物質的には満たされていたが精神的には何処か欠けていた。

懐かしむ事柄があまり無い過去には思い出がない。

ネット上で交わし合う馬鹿な話が楽しかった事くらいだろうか。

そんな感動に欠けた場所が臥塔賢知の現実での立ち位置だ。

それもバルトメイラに再び召喚されるまでに消し飛んで無くなった。

親は【好きにしなさい】と破産宣告して消え、家は売りに出され家族という程でもない繋がりは崩壊。

こんな貧乏生活耐えられませんわ的な上流階級でもなかったので、安アパートを嘗ての使用人名義で借り受けて生活する事になった。

見捨てられるのは昔から天分だったなぁと嗤う余裕すらあったのでバイト三昧で食い繋ぎ後は野と為れ山と為れ。

特に特筆すべき事は無いと思う。

自分の性格が歪んで壊れている自覚はあったが、それは三つ子の魂百までの言葉通り、子供時代のトラウマのせいだし、悪事や非行に走るような方向ではなかったから、周囲から心配される事もなかった。

児童虐待で通報されなかった運の悪い少年Aは母親から本当に愛されないばかりか憎まれていたのでした。

ありきたりな文章はまるで他人事のようにすら思える。

そんな悪い母親が自殺するところを目撃してしまって以来、ファンタジーが大好きになってしまったが、母親そのものには執着らしい執着を見出せない。

ファンタジーに耽溺するのが代替行為だったのかもしれず、ある意味マザコンだったかもしれないが、それも深く掘り下げるような深さがない。

毎日のように見る悪夢で寝不足だったし、悪夢の内容は最悪だったが、辟易する程に擦り切れた感情は冷静を通り越して冷徹だった。

悪夢は毎日の日課のようなものと割り切っていた。

崩れ落ちる館の中、蒼い炎に巻かれて死んだ母。

言葉にすれば【お腹一杯の設定】と言い切る事も可能だ。

死んだ人間は生き返らない。

死んだのはお前のせいだと最悪な母親が最悪の悪夢で襲ってこようと冷静に切り返せば現実リアルの冷たさが自分を正気に返らせてくれる。

今も悪夢は去らず、自分の中にある。

けれども、そんなものに振り回されるのも終わりつつある。

好意を持ってくれる少女達との就寝はある意味寝られないが、悪夢を見る機会は減り続けている。

感謝するべき事だ。

朝を何も思わず迎えられる。

それどころか挨拶する相手がいて笑い掛けてくれる。

時折、無防備過ぎて疲れるがそれは男の惚気という最悪な照れ隠しだろう。

「・・・・・・」

目が覚めるとまだ日は昇り切っていなかった。

部屋の寝台の横に小さな台。

その上に鉛色の指輪を見つける。

(ケガには有効だった。病気にも効くか?)

だるい手で指輪を取る。

「小さな巫女に感謝を・・・だな」

異世界バルトメイラの核心に近い存在と邂逅した折、借り受けた指輪。

その効力は変身能力。

問題なのは変わるのが衣装ではなく性別や姿という嫌がらせのような一品。

十二歳、小さな黒髪の少女。

そんなものに為ってしまうお湯や水要らずの変身アイテム。

一か月前に死んだはずの自分を生き返らせたらしき効果は病気にも有効・・・ならば嬉しい。

期待込みでそっと指輪を嵌めてみた。

左手の薬指にしか嵌らないという冗談にしては笑えない指輪を付けた瞬間。

かなり衝撃的な気持ちになる。

【オ、オレのビックマグナムがぁあああああ】というボケをかましたくなる。

肉体の体積が明らかに減った。

【頭脳は男、体は女、その名は!!】というボケもかましたくなるが自制しておく。

体の変化は何処のメタモルフォーゼかトランスフォームか。

十秒もすると骨格、筋肉、神経、血管、臓器、真皮、表皮、あらゆる器官が熱を持ったように発熱し、明らかに体重が減少していく。

それなのに何かを抜かれたような脱力感は感じない。

それどころか何か温かなものを押し込められたような心地になる。

自分の肉体的、精神的な感覚から推測するに肉体の変化には科学的な方法論が使われていない。

どちらかというと呪術とか魔術とか魔法とか、神秘学的な匂いがする。

体積を減らして肉体を再構築する、のではなく。

姿を模して本来の姿を押し包むが感覚を言語化すると近い。

(ただ、さすがにこれは)

男にあって女に無いものは?と言う気力も失せるような喪失感だった。

(安上がりなモロッコ行き切符みたいだな。この指輪)

世界にはこのもどかしい致命的な喪失感を求める男もいるのかもしれない。

股間の寒々しさに戸惑いながら胸辺りを見ると来ていた服がダブついてブカブカになっていた。

「さすがに借りものの体を眺めるのも趣味が悪いか」

指輪によって変わる姿はとある一人の少女の姿を模している。

姿を借り受けているだけの人間が安易に見ていいものではない。

予想していた以上に体調が回復していた。

しばらく寝ていればそれこそ明日には全快するかもしれない。

とりあえず起き上がろうとした時だった。

木製の扉が開いた。

【すみません。街に付いたばかりの方にお願いするのは悪いと思ったのですが、朝からとても具合が悪そうで】

フェルフラムの声が廊下側から聞こえる。

そして、中に【致命的なモノ】が入ってきた。

「こんにちわ。貴女がガトウケンジさん?」

――――――。

「おい! 貴様!! 返事ぐらい。いや、無理か。とりあえず流しの医術師様を連れてき、何でその姿なんだ?」

――――――。

「あ、いけません。病気の方にはもう少し静かに。風邪の熱でぼうっとしているでしょうから」

――――――。

「わたくしはディリカ・ハルメル。流しの医術師をしています。此処には貴女のお友達のフェルフラムさんに呼ばれて来ました。大丈夫、心配しないで。わたくしがしばらくは治療に当たります。貴女は焦らずゆっくりと治療を・・・?」

――――――。

「賢者? どうかしたの?」

「ガトウ?」

「母さん。どうかした?」

ひょっこりと【致命的なモノ】の横から一人の少年が顔を出す。

長く伸ばされた黒髪が一瞬少年を少女のように思わせる。

【致命的なモノ】と少年はどちらも旅の装束に身を包んでいた。

「熱が高いのかしら? 少しごめんなさいね」

そっと、手が伸びてきて額に触れる。

「熱はあまり高くないみたい。薬を処方しますから、えっと此処の家主の方は?」

勝手に進んでいく物語に心の奥底で螺子がガチンと音を立てて嵌ったような気がした。

心の底に響く音は全てを鮮明にしていく。

目を開けているはずなのに醒めない悪夢は初めてだった。

ふっと意識が遠のく。

寝台の横に倒れていく最中。

もっとも早く反応したのは【致命的なモノ】を母と、よりにもよって母と言った十歳程の少年だった。

「大丈夫?」

理性が崩壊しつつある。

「お前は・・・」

「僕はノール。ノール・ハルメル」

己の迂闊さを呪う。

ファンタジーには【ふぇにっくすのはね】も【あむりた】もよくあるアイテムだろう。

【お約束】を甘く見ていた。

辛うじて飲み込んだものが何なのか自分でもよく解りはしなかった。

ディリカ・ハルメルと名乗る悪夢の本当の名は【臥塔璃歌がとう・りか】と言う。

十年前。

幼き自分を憎み恨み壊し勝手に自殺してトラウマを詰め込んだ張本人。

母だった。


その日から臥塔賢知は指輪を嵌めたまま、その悪夢と対峙する事になった。


それはめない夢の夢。


黄昏時に堕ちたはずの、絶望より深き諦観に沈んだはずの、いつか見た夢の続き。


愛より深く、憎しみより強く、胸を今、現実リアルが焦がし始める。

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