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第一章 YESと言える異世界人にはなれない


第一章 YESと言える異世界人にはなれない


日常という強固なリアリティーに対して個人の想像力は無力だ。

幾ら想像力豊かだろうとも日常という壁は非現実によって越え得ない。

幾らヒキコモリな女が白馬の王子を求めても来る確率はゼロに近いし、幾ら想像力豊かなニートがオレの嫁発言をしようが実際に二次元の世界から嫁が来る事はない。

しかし、それもまた一定の見識に囚われた見方の一つだ。

日常が「崩壊した」と表現できるレベルで変化する事もあるにはある。

強固なリアリティー何それ美味しいの?みたいな具合に非常識な変化があったりもする。

例えば、いつの間にか自分の家が借金の抵当に入っていたとか。

例えば、いつの間にか知らない内に親にすら見捨てられているとか。

例えば、いつの間にかお約束の如く異世界っぽい何処かに迷い込むとか。

そんな事もあったりする。

強固なはずの日常が実はただのハリボテだったと思うような目にあったりもする。

しかし、こんな崩壊の仕方はないだろうと現実と非常識の天秤に揺れながら荷物を降ろした。

異世界+異世界人。

確かに異世界なんだから異世界人がいてもいいような気はする。

それが人間にしか見えないのもどっかのマンガよろしくお約束な気もする。

が、それでも・・・せめてもう少し出会い方くらいは考えて欲しかった。

草原の中にある何処かの国の寺院のような建造物。

玄関らしきモノはなく。

そっと扉のない門を潜ってみる。

内部は苔生していた。

植物が疎らに生い茂り、清水が流れる噴水が一つ。

神秘的な古代寺院風の庭というかそのもの。

どこのグラフィッカーが作ってもここまで作りこめないだろうと思われる庭に差し込む陽光は何か特別な成分を含んでいてもおかしくないと思えた。

「・・・・・・」

まず不幸中の幸いに感謝する。

人間の生存に必要な分の水はある。

そして、その水が安全であるかどうかを判断する為のリトマス紙的存在もいる。

とりあえず噴水から水を手で汲んで寺院の外へと持ち出した。

まだグッタリと伸びている女の唇にそっと流し混んでみる。

「ふぇ?」

間抜けな寝顔は愛らしいと言うよりも幻滅する方向性。

「・・・・・・」

これは飲んでも大丈夫そうだとソソクサとその場を後にする。

こんな所でよく分からない異世界人に関わっている暇はない。

水を確保したのはいいとしても一週間程度の生存が可能となっただけだ。

ならば、食物を見つけなければならない。

RPGよろしくただただ進んでいればモンスターを倒してGをゲットなんて都合良い天(開発者)の采配があるとも限らない。

植物は一通り食べられる物が知識としてあったが、それが通用するとは到底思えない。

つまり、食べられると断言できるのモノは現在のところ「たった一つ」しかない。

というか、それも結局はどこまで人間の倫理を保てるかという一点で微妙に無理かもしれない。

そして、ソレが後ろからやってきた。

「あれ? なんだっけ・・・君・・・誰?」

噴水の前で振り返った。

まぁ、見られるレベルの顔だった。

ソレの返答次第では色々と人として失うので、まずは色々聞いてみる事にした。

日本語がどうして通じるのかとか、あるいはそもそもお前は人間なのかとか。

それは後で確かめればいい事であって、最優先は食物の確保だ。

「お前を助けたのはオレだ。せめて、まずは茶かメシでも出すのが礼儀だ」

「え? あたしの事助けてくれたの? 何だっけ・・・今日は確か竜が来るかどうか確かめに行って・・・それで、それで・・・あたしどうしたんだっけ?」

どうやらファンタジー要素はいるらしい。

「お前があのプラットホームで倒れていたから、オレが助けた。それだけだ」

「え? プラ、何? ああ、祭壇の事? 倒れてたんだあたし・・・」

「ああ、それでメシは出るのか出ないのか?」

「大丈夫大丈夫。オババから人には親切にしなさいっていっつも口をすっぱくして言われてるから。君があたしをここまで運んでくれたんだよね? それならウン。ごはんくらいご馳走するよ!」

その頭の足りなさそうな少女の笑顔に内心で哀れみを感じた。

ここまで人が良くないとファンタジー世界の住人は務まらないのかもしれない。

そもそも見ず知らずの人間に助けられたかも定かではないのに飯を集られている時点で何か気付けと思わずにはいられない。

いや、気づかれても困るのは分かっているとしても。

未だに首を「何があったんだっけ」と傾げている少女の性質を脳内図鑑に書き加えておいた。

『足りない奴』

「それにしても・・・ねぇ、君はあたしがどうして倒れてたのか知らない?」

「知らないな」

「そうなの? ま、その内思い出すよね。それじゃ、ようこそあたしの家へ」

少女の言葉に少しだけ驚いた。

「家?」

「うん。そうだよ。ここがあたしの家。あ、吃驚した? 実はね。あたし竜の巫女なんだ」

誇らしそうな笑顔に内心図鑑にもう一行付け加えておく。

『属性・巫女』

「それじゃ、行こっか。それで君って何処から来たの?」

その日の朝食は少しスパイシーなスープにパンとなった。

何が入っているのかは知らぬが仏だろう。



あたしは今日始めてのお客さんを迎えていた。

いつも食事を取る部屋で、その一緒にテーブルに座って食事をする男の子を見る。

「へぇ。ニホンって所から来たんだ。それってどのくらい遠い街?」

「きっと、別世界とか別次元とか別空間とか平行時空とか裏世界とか闇世界とか、投げやりな設定の内のどれか一つだ」

「君の言う事って難しくてあんまり分からないかも・・・」

朝に祭壇に行ったはずのあたしは何故か倒れていて目の前の男の子に助けられたらしかった。

その時の記憶はあやふやだけど、男の子が自分を背負って家まで連れてきてくれた事は分かったのでちゃんと御礼をした。

朝の残り物でごめんねと言ったら「食物があるだけ十分だ」とか何とかぶっきらぼうに言ってくれて、少しだけ笑ってしまった。

だって、その言い方は如何にも男の子らしいなって思ったからだ。

オババから聞いていた【男っていうのはそういう不器用な連中なんだよ】って言葉は本当の事だった。

男の子はあたしよりも年上みたいに思える。

少し乱暴な髪型に整った鼻梁。

吊り上った目元と病気なのか心配になる隈はちょっと怖い。

けれど、男の子らしくて背は高い。

それなのに細い体は女の子みたいにも見える。

「・・・・・・」

ゆっくり静かに食事する様子に少しだけ裕福な所の人なのかなと思う。

着ている服は何だか黒くて上等で厚い生地を使っているみたいだったし、喋り方があたしの知っている街の男の子っぽくなくて、どこか大人みたいな感じに聞こえた。

凄くお勉強ができる子なのかもしれない。

ただ表情が硬いのは不機嫌だからなのかと不安になる。

朝の残り物なんて食べさせられたら誰だって良い気はしないだろうから。

「あの・・・君の名前は何て言うの?」

いつもオババと二人で腰掛けるテーブルに男の子と一緒に座っている事に少しだけ背中がむずむずして、くすぐったくなりながらあたしは訊いた。

「ケンジだ」

「ケン・・ジ?」

「賢いに知識の知と書いてケンジだ」

「それって物知りって意味?」

「どうだろうな」

「それじゃ、賢者なの君って?」

「賢者かどうかは知らないがオレを知る連中からは『純潔の賢帝』(ライナーアウグスティ)なんて呼ばれてたな」

「らいなーあうぐすてぃ? あたしはね。ユネル」

「ゆねる?」

「ユネル・カウンホータ。街の人達とかはあたしの事『地の竜の巫女』って呼ぶよ」

賢者はあたしの事をジッと見つめた。

あたしは少しだけ恥ずかしくなる。

そういう風に他の人から見られるとそわそわしてしまう。

でも、地の竜の巫女の癖に若くて力量不足に見えるんだから当然だと思う。

「ちなみに訊くが、竜ってのはあの竜か?」

「竜は竜だけど?」

「・・・まぁ、いい。それでユネル。お前はその竜とやらの巫女なのか?」

「え・・・う、うん。でも、どうしてそんな事訊くの? 巫女って確か世界中に沢山いるってオババが言ってたけど。あ、賢者のいた所って物凄く田舎だった?」

思わず失礼な事を訊いているような気がしたけれど、それよりも胸がドキドキした。

街の男の子は皆が皆あたしの事を地の竜の巫女様と呼ぶ。

ユネル。

そう呼ばれたのは初めての経験で、だからきっとドキドキしているに違いない。

「ケンジだ。まぁ、呼びやすいように呼べばいいか」

賢者は何か考え事をしているのか少しだけ黙ってあたしの方を見ていた。

背中がむずむずして自分の顔が赤くなるのが分かった。

「それで、ユネル」

「な、何?」

「ここでは働く場所はあるのか?」

「働く場所って?」

「つまり、働いて金が貰える所があるかって事だ」

「そ、そっか。賢者は遠くから来たんだもんね。ご飯とか買うお金が必要って事?」

賢者が頷いた。

あたしは少し考える。

街には沢山の仕事があるはずだった。

「それじゃ、街に一緒に行こうよ。今日は買出しする日だから用事もあるし、あたしが手伝ってあげる」

あたしはテーブルを立って賢者に手を差し出した。

賢者は少しだけ考える素振りをしてから手を取ってくれた。

やっぱり、背中がむずむずした。

賢者の手は少しひんやりして冷たかった。



(拝啓、天国の母上。オレは異世界に馴染めない・・・ようで・・・)

「賢者!? 賢者?! 大丈夫ッッ」

肉体労働。

単純作業。

全てが筋力に左右される仕事が勤まるはずもないのは紹介された時から分かりきっていた。

しかし、ニコニコと邪気の無い事この上ない少女の紹介を簡単に断るのは後々関係に罅を入れるかもしれず、貴重なこの世界での協力者を失うわけにもいかず、やった。

やった結果、荷物に押しつぶされそうになったとしても生きているならばOKかと自分に言い聞かせてみる。

左右には石造りの家々。

如何にもそれらしい作りから時代的には1600年代の欧州的な匂いがした。

荷の管理倉庫の前。

街で受けの良い少女はすぐさまに仕事を見つけてきてくれた。

そして十五分後。

力仕事で生きていく事は事実上断念せざるをえないという分かりきった答えを噛み締めるに至る。

「賢者って力無いんだね」

少しカワイソウナモノを見るような少女の顔を見つめながら図鑑に『天然(言葉の刃付)』と付け加える。

「うーん。ここで一番簡単で力要らずなお仕事だったんだけど。賢者って何か得意な事ってある?」

何故仕事を出逢ったばかりの女に恵んで貰っているのか。

答えは簡単だ。

異世界というやつは基本的な部分で人間に優しく出来ていないからだ。

RPGよろしく剣が使えればオールオッケイな感じに生きていけるとしたら、それは確実に世界か人間が何処か壊れている。

普通の人間はファンタジーな悪意に対し無防備だし、そもそもファンタジー世界に基本的人権とか公共の福祉等の概念が存在するか甚だ怪しい。

そういう場合、何も取り柄の無い人間がどういう憂き目に会うか。

漫画ではお約束。

何かしらの事件や事故や悪意によって一コマの血飛沫にされたり、孤独に食べるものすら満足に無く野たれ死ぬ。

これは夢だと否定するにはリアリティーの有り過ぎるファンタジー世界に対し、個人で対処するには限りがある。

そう考えた場合、言葉が通じるお人よしというフラグは絶対に圧し折ってはいけない。

今後の食料問題、金銭問題、居住問題、その他諸々の生き抜く術+現実への帰還という道のりが遠のく事にもなりかねない。

「賢者?」

平然としているように見えて動揺しているのは自覚している。

それを外に出すなんて言語道断だと勘が告げていた。

それは隙以外の何ものでもない。

ファンタジーに食い物にされてしまうか精神的な主柱をボキリと折られてしまう可能性もある。

事実と現実と真実は往々にして別々なものだ。

この場合、事実はファンタジーで、現実はシビアで、真実は闇の中だ。

それゆえ平然と事実を受け入れ、現実に対処し、真実を突き止める為の時間を稼ぐ為の食料とそれを買う為の金銭を得る方法は何よりも重要なのだ。

とりあえず重要なのだ。

「賢者ってば!! どうしたの? まさかケガしたりした!?」

心配そうな顔が上から見下ろしていた。

「いや、問題ない」

ムクリと起き上がる。

やはり足が痛かった。

街とやらに付くまでに約十五キロ程は歩いたはずだった。

歩くという行為が死ぬ程堪えるものなのだと知った後の労働はやはり死ぬ程自分には合わないと分かっただけ良しとする。

「こういう肉体労働以外に何か仕事はあるか?」

「うーん。どうだろう? お仕事の事はあんまり詳しくないからあたし・・・あ、そうだ。オババなら」

「オババ?」

「うん。あたしの家族。今日は街の何処かで偉い人と会合なんだって。今日帰ってきたら一緒に聞いてみようよ。うーん、晩御飯三人前作るなんて久しぶり・・・寝床も準備しなきゃだし」

「・・・それはいいのか?」

「何が?」

「見ず知らずの男が年頃の娘のいる家に泊まる。確実にそのオババとやらに反対されるだろう普通」

「へ、何で?」

「何でって・・・いや、ありがたくそうさせてもらう」

無知は罪ではなく、無知を食い物にする人間が罪深いわけだが、生きる残れるかも怪しい世界に一人という現状では致し方ないと結論する。

それ以前にそういう対象としては色々と足りない娘だから何も問題はないと思えた。

「うん」

少女の笑顔の眩しさに罪悪感は覚えない。

生き残る為の最良の選択は最善であるとは言い難い。

とりあえず居候でも決め込む算段をする事にした。

お約束に逆らって生き残れるようなベタな技能なんて自分には無いのだから。



あたしは賢者と街を一杯回った。

賢者は最初に紹介したお仕事でグッタリした後、色々な事を知りたがった。

やっぱり賢者は裕福な所の子のようだった。

「あ、おじさん。今日はそれとそれとそれ頂戴」

「あいよ!! 巫女様。何だい。今日はやけに持ってくじゃねーか」

緑色の野菜。

何種類かをいつもの二倍くらい選ぶ。

「あはは、うん。今日はお客さんがいるから」

「ほほう。そいつはそいつは巫女様の所に客ねぇ。ほい。全部でこれだけ持ってきな」

「ありがと。おじさん」

三倍くらいになった野菜を背負い込む袋に入れる。

「当たり前の事だろうがよ。いつも守ってもらってんだ。こんくらいしかオレ達が巫女様にできる事なんてねーんだから」

いつも気前の良いおじさんに頭を下げて、ずっしり野菜の詰まった袋を背負った。

「・・・ユネル。訊いていいか?」

「何? 賢者」

「そんなに喰えるのか?」

街中をキョロキョロ物珍しそうにしていた賢者が袋を覗き込んだ。

「これくらい普通だよ? 三日分くらいだし。今日は賢者がいるから少しだけ多いけど」

「これで少し・・・」

賢者が変な顔をしてまた考え込んでしまう。

落とさないように気を付けながら色々なお店で食べるものを貰っていく。

しばらくしてから少し重くなった荷を街の外れで降ろして一休みする事にした。

「ふぅ・・・」

いつもとは少し違う休憩時間。

そろそろ夕暮れが迫っていた。

荷に寄りかかっていたら、賢者が街や街の外を見渡してまた何か考え込んでいた。

そんなに考え込んだら頭が痛くならなるんじゃないかと心配になって、あたしはちょっと声を掛けみる。

「ねぇ、賢者」

「何だ?」

賢者は暮れ始めた空を見上げていて振り向いてはくれなかった。

「賢者はどうして此処に来たの?」

「たぶん、偶然だ」

「偶然?」

「たぶん、な」

「そうなんだ」

「ああ」

賢者の言葉少しだけ硬くなった気がした。

「賢者って何だか不思議な感じがする」

「オレは此処程ファンタジーじゃないが」

「ふぁんたじー? 賢者って難しそうな言葉知ってるよね? それって何処で習ったの?」

「くだらない場所のくだらない人間にくだらない理由で学んだり覚えたりだ」

「そういう悪い感じな言葉って良くないよ。オババが言ってた。言葉には力があるんだって・・・」

自分の事を悪く言っているような気がして注意する。

「それはある一面で正しいが、それだけだ」

「?」

「オレのいた場所には正しい事を言うヤツは五万といたが、正しくない事が必要だと認める人間はいなかった」

「正しくない事が必要なの?」

「ああ、そうしないと生きていけない連中が五万といたのに正しくない事に対して否定以外の回答は存在しないように誰もが振舞う。そういう場所にオレはいた」

「む、難しいよ」

何となく大事な事を言っているような気がして、でも中身はあんまり分からなくて、よく考えてみる。

賢者が真面目な顔で振り向いてくれて、少しだけ胸がむずむずした。

「そうだな。例えば、盗んだものしか食べられない人間がいたとして、それは正しくないから止めろと言ったら死ぬ以外にない。さて、どうする?」

「え? え? ぬ、盗んじゃったりしたらい、いけないけど。で、でも盗んだものしか食べられないの? 誰かから分けて貰ったら・・・ダメ?」

「答えは三択だ」

「さ、三択?」

「盗んだ物を食べて生き永らえるか。盗まずに飢えて死ぬか。盗まずにものを食べて死ぬか」

「盗んでないもの食べたら死んじゃうの?!」

「そういう人間もいる。体は死なないが心が死ぬ人間がそれこそ大勢いる。そういう場所からオレは来た」

胸がキュウと締め付けられた。

思わずポロポロ涙が零れた。

「ごめんなさい」と謝る。

「ど、どうした?!」

「だ、だって、朝盗んでないもの食べさせちゃって、そ、そしたら賢者死んじゃうって!」

「それは例えだ?! 例え!! こんな所で知らない内に死んでたまるか!?」

「け、賢者死なない?」

「ああ、少なくともお前が食事を作ってくれない事には腹が空くだろうが死ぬ事はない」

「そ、そうなんだ・・・良かった・・・」

ホッとして。

でも、少しムッとした。

「も、もぉ。そんな風にあたしをからかって。ご飯少なくしちゃうから!」

急に泣いた事が恥ずかしくなってゴシゴシ袖で顔を拭く。

「そうか。なら、早めに帰るべきだ」

賢者が見上げる空はもう日が落ちる寸前になっていた。

「え? あ、もう沈んじゃう?! は、早く帰らないとオババに怒られ、賢者!! い、急いで!?」

「少し待て」

賢者の方を見て分かった。

足が震えていた。

「賢者。賢者って実は足に自信のない人? ほら、手繋いであげるから一緒に行こうよ」

「・・・・・・」

賢者は何だか物凄く情けなさそうな顔をして手を取ってくれる。

やっぱり、ちょっとその手は冷たかった。

「あはは、賢者の手って冷たいね」

「冷え性は母上似だ」

「それじゃ、しっかり捕まっててね。少し飛ばすから」

「?」

グリッと足元の土を蹴飛ばした。

「?!」

賢者が驚いて、目を白黒させていて、少しだけほんの少しだけ意地悪な気持になった。

「巫女は体が丈夫じゃないと勤まらないんだよ。知ってた?」

「?!?!」

「この速度じゃ聞えないかな?」

全速力で走って走って、その間ずっと賢者の手は精一杯握り返してくれていた。

家に着いたら賢者は目を廻していて慌てて快方した。

少しだけ可愛いと思ったのは秘密にしておいた。

オババが言うには男は自分が可愛いと言われたら傷つくものらしいからだ。

あたしが「ごめんね」と笑うと賢者はぐったりしながら「ああ」と呻いてまた倒れた。

賢者は優しい良い子のようだ。



視線を感じて眠い目を擦る。

食事の準備とやらをしている少女を横目にして、しばらく体調を整える事に専念していた。

その矢先、石造りの長椅子で唸っているとそれを感じた。

何かジットリとした悪寒。

思わず辺りを見回してみるが誰もいない。

再度確認してみるがやはり誰もいない。

瞳を閉じて後頭部をまた硬い感触の長椅子に預けようとしてフニッと新たな感触を受けた。

「?!」

思わず飛び起き振り向く。

「見える! 見えるぞ!! 我が孫娘が見ず知らずの男の毒牙に掛かり、一生の傷を背負っていく姿がぁあッッッ!?」

「・・・・・・」

ひとまず、溜息を一つ吐く事にしたのはそれがとても『オババ』だったからだ。

どういうことかと言えば簡単な話。

小さな背に紫色のローブ。

皺くちゃの腕や顔に白く濁った瞳。

まさしく何処の魔法モノに出しても恥ずかしくない魔女スタイル。

「おや? 動じないねぇ。楽しげなモノを拾ってくる事に関しちゃ家の孫は天性の素質があるようじゃないかい」

その歩く絶滅保護指定なオババに対して頭を下げた。

「こんばんわ」

「お、おお。こんばんわ」

面食らったらしいオババの姿にゆっくりと告げる。

「ご自宅に無断で上がった事お詫びします」

「は、はぁ。ご丁寧にどうも」

毒気を抜かれたらしいオババに畳み掛ける事にした。

大人としての礼儀を弁えている人間を相手にする時必要なのは礼儀だけである。

それがどんな世界の大人だろうとも。

常識的な対応というものは得てして普遍的であり鉄板なのだ。

「お孫さんが朝に倒れている所を発見しまして、それを運んだ縁でお孫さんに助けて頂いている者です。その・・・泊まる当てが無かったものですから、それだったらとお孫さんに言われまして・・・」

事実を織り込みつつ、無難な受け答えをする。

事前に用意していた回答を読み上げるのに労力は掛からない。

「あ、お、う、そ、そうなのかいユネル?」

調子を崩したオババが後ろに対し問いかけた。

その後ろにはいつの間にか顔を真っ赤にした少女が今にも噴火しそうな笑顔でいた。

「オ、オババ。人には言っていい事と悪い事があるでしょ!!!」

「ぬぅおぅ?! 我が孫娘ながら何という恐ろしい声! 年寄りには堪えるの。ほほほほ」

「ど、毒牙とか!? い、一生の傷とかッ!? 賢者はそういうんじゃないんだからッ!! あたしの事助けてくれた良い子なんだからね!! そんな恩人に対してどうしてオババはああいう事が言えるの?! もう少し大人としてのッッッ」

「ふぇっふぇっふぇっ、いい子ぶりっ子じゃのう。ん? そんなにこのオノコが気に入ったか? そうかそうか。ワシが知らん内に随分と大人になっとったんじゃなぁ孫娘よ」

ハンカチっぽいものを目元に当てるお茶目オババに対しもはや容赦無しと思ったのか。

少女はお玉片手っぽいものを手に追い掛け回し始めた。

「・・・・・・眠い」

騒ぎが終わるまでまた暫く体を休める事が出来そうだった。



「はっはぁ!! ついには婿まで拾ってくるとは何とも嬉しい限りじゃないかい。これで少しはウチも明るくなろうってもんだよ!!」

魔女スタイルな祖母と孫娘の喧嘩は食事中も続いている。

明るい室内には蝋燭が数本。

「オババ!?」

スパイスの効いた野菜のスープと固いパンはよく合う。

「うふふふふふ、そろそろ玄孫の晴れ着でも作ろうかねぇ。もうお前の分の晴れ着は出来てるからねぇ」

サラダは中々刺激的で苦味と酸味と辛味が絶妙なドレッシングが旨い。

得体の知れない肉が何なのかはこの際知った事ではない。

死ぬ事は無いだろうと高を括れば、大概の未知は飲み干せる。

「オ、オババ?! な、何言って?! け、賢者が変に思ったらどうするの!!」

孫娘劣勢の中、祖母は自分の有利さにニタリと笑みを浮かべた。

「変に思われたくないのかのう?」

「そ、そんなのあ、当たり前だよ!! だって、賢者はあたしの恩人だもん。竜の祭壇で倒れてたなら、命だって危なかったかもしれないんだよ!!」

「ふむ。まぁ、それなら仕方ない。孫娘の命を救ってくれた者に宿も貸さず等と言われれば巫女の権威も地に落ちようってもんだからねぇ」

「け、賢者大丈夫だから心配しないで!! オババが何て言ったってちゃんと寝床くらい用意するから!!」

どうやら一通りの衣食住の確保には成功したようでホッとした。

内心など表に出さずに頭を下げた。

「あ、そ、そんなに頭なんて下げなくても、あたしを助けてくれたんだから当然だよ!」

「礼儀も弁えてるじゃないかい。ああ、こんな日が来ようとはこのオババも予想できなかったよ。さて、食べ終わったらさっさと修練に行ってきな。それが終わったら幾らでもこのお人と遊んでいいから」

「わ、分かってるよ。それじゃ後片付けお願い。あ、あんまり賢者に変な事吹き込んじゃ駄目だからね!」

少女が顔を真っ赤にしながら自分の分の皿を下げて部屋から出て行った。

テーブルに二人という空間が出来上がるとやっと本題に入れる空気になる。

「ふふん? このオババも最初は戸惑ったが、それがアンタの本当の顔かい?」

自分の顔が『いつも』のものに戻っているのを確認して口を開いた。

「人に見せる顔が本当かどうかは議論の余地があると思います」

「いいよいいよ。口調も元に戻しな。それで初めてちゃんと話し合いが出来るんじゃないかい?」

「なら、これからはそうさせてもらう」

「うむ。で、あの頭の足りない孫娘はアンタが恩人だと思ってるようだが、実際のところはどうなんだい?」

「・・・」

「ん? どうした」

「話の分かる人間の遺伝子がどうしてユネルにないのか疑問に思っただけだ」

「ふふ、言うじゃないかい。まぁ、あの子と話してそう思うのはアンタだけじゃない。街の連中だってそう思ってるさね」

オババの顔には不敵さが宿っている。

それは確実に百戦錬磨の人間ぐらいしか持たない顔だ。

事実のみを話す事にした。

自分の世界の事から話し始めて十五分。

オババは一言も喋らずに黙って聴いていた。

「そうして今に至るわけだ。ちなみに貴方の孫娘に対してした事を謝る気はない」

「正気には見えるが・・・さて、その話何処まで信じていいやら」

「こんな知らない世界に放り込まれた時点で自分の正気を判断しようはないとだけ反論させてもらう」

「・・・驚いた。ああ、驚いた。『アウタス』だとは思ってたがまさか記憶持ちとはねぇ」

「アウタス?」

「その様子じゃ、この世界についての知識なんて一通りもないだろう。あの子はアンタが旅の人間だと思ってるから基本事項なんてまったく喋らなかっただろうしねぇ。ま、とりあえずはアウタスの話から入ろうかい。あんたも自分の立ち位置が見えなくて困るだろう?」

「ああ」

オババがゆっくりとテーブルの端から煙管を取り口に咥える仕草はまるで動作というよりも儀式のようにも見えた。

揺らめく蝋燭がジジジと微かな音を立てる。

「まず、この世界の名前だけは教えておこうかい。この世界の名は『バルトメイラ』。竜の住まう世界とも言われとる」

「バルトメイラ・・・竜の住まう世界・・・」

「ああ、そうさ。この世界にとって最も重要な存在。それが竜さ。竜を中心にしてこの世界は回ってると言ってもいい。これが一番大切な事だよ。よく覚えておくんだねぇ」

「理解した」

「もう一つ覚えておかなきゃならない事はこの世界には二種類の人間がいるって事だ」

「二種類?」

「一つは『アウタス』もう一つは『インナス』。インナスはこの世界で生まれた人間の事。そして、アウタスはこの世界ではない別の何処かから来た人間の事」

「まさか、オレ以外にも?!」

一瞬、一筋の光明が差したように感じて慌てて立ち上がる。

「まぁ、座って聴きな。ここからがアンタにとって重要なところだ」

その声に自分を落ちつけて座った。

「アウタスと呼ばれる人間はこの世界で自分という存在を認識した瞬間から自分が始まる。つまり自分が誰か解らない。自分がどうして其処にいるのか分からない。そういう状態で世界の何処かにいきなり現れる。これはアウタスの長年の研究からも明らかになっとる。いつの間にか其処にいる人間。それをアウタスという。現れた時の年齢はまったく別々で、老人幼子青年と多種多様だが、アウタスの中でもある程度の年齢なら言葉も常識も幾らかの技術も身に付けとる。そして、この世界で暮らし始める。たぶん、世界総人口の六割以上はアウタスじゃないかね」

「六割も・・・」

「これを聞けば解る通り、アウタスはこの世界においては多数派であり珍しくも何ともない。アウタスがこの世界に来たばかりのアウタスを助ける自助組織も発達しておるから生活に困るという事もそうそうありはせん」

「・・・」

「ホッとしたかい?」

「ああ、したとも・・・」

「ふふ、素直でよろしい。それでこそ孫娘の見込んだ男」

「話を逸らすな」

「おお、怖い怖い。続きを話さずにいたらこの老婆も毒牙に掛ける気かい?」

「・・・・・・」

「そうむくれるな。ここまで話せば解る通り、アンタはこの例から漏れとる。この世界に来る前の記憶を持っとるアウタスなんて七十年以上生きておるこのオババも聞いた事がない。アンタはどうやら特別らしいのう」

「・・・・・・」

「それでじゃが」

煙管の煙が揺らいだ。

「何が言いたい?」

「アンタは他のアウタスと違い自分に関する記憶を持っとるが、それは一概に良いとは言えんと思えんかのう? ここは良い処この上ないぞ? 普通に職にでも付いて暮らせばそう悪い場所でもない」

「何もかも忘れて暮せと?」

「わしはこの世界でも指折りの巫女と自負しておる。その感がアンタが元の世界とやらに帰ろうとすれば面倒な事になると告げておる。どうじゃ? ん?」

「却下させてもらう」

即座に切って捨てた。

「即決とは。アンタの世界とやらに大切な人でもいたかの?」

「オレの居場所はオレが決める。それが今此処なのかと聞かれれば、違うとしか答えられない」

「それはまた・・・ちなみに歳くったオババに言わせれば、帰れる日が来たとしてもその頃にはアンタも皺だらけと思うがどうじゃな? 気は変わらんか?」

「余計な御世話だ」

「頑固な処はウチの孫娘そっくりじゃのう。あー早く玄孫が見たい見たい」

「竜の話をしてくれないのか?」

「ん? 暮していればすぐに解ると思うが」

「貴方が最初に言ったんだ。一番大事な事だと」

「・・・頭の回る若者とは老人の天敵。ああ、孫娘よ。お前の玄孫はまだ先の話になりそうじゃ!!」

「それで?」

「う、乗りの悪い人間は嫌われると思わんのか? そう睨むな。話す、ああ、話すとも。竜と巫女についてな」

オババが拗ねたように適当な口調で話し始める。

煙管をガジガジと噛みながら悪態を付き話すその顔はまるでヤンキーのようだった。

「あーなんじゃったかのう。竜はそういえば人を何処かに連れ去っていくんじゃったかのう。そして、その場合に連れ去られるのがアウタスじゃったような気もするのう。巫女とはなんじゃったかのう。野良竜を捕まえ使役するインナスの事じゃったかのう。あー茶でも沸かすかのう。後はあのちょっと可愛い孫娘にでも聞いてみたらいいんじゃねと思わなくもないのう。ここから月の方角に少し歩けば居そうな気もするのう」

内心でオババという存在に舌を巻いた。

外見に騙される人間は多いだろうが、地の性格は老婆なんてとんでもない。

大した玉だ。

人に見せる仮面を何枚も持っている類の人間に違いなかった。

「感謝する」

そのまま寺院の外へと歩き出して、溜息を一つ。

餅は餅屋の諺通り巫女の事、竜の事は当人か、それに近い人間に聞くのが一番であるのは間違いのない事で、それを悟らせる事があのオババの当初の目的に違いなかった。

わざわざ帰る気を削ぐような事を言いながら、それを認め、逆に何が何でも帰ろうという気にさせる。

そして、そのやる気を孫娘に向かわせる。

帰ろうと努力すればするほど必然的にユネルと親しくならなければならない。

「(嵌められたか)」

異世界だろうと食わせ者な人間はいるものだと感心半分に月を見上げた。



助けてという声が聞こえる。

『明日は一緒にパンを作るのよね? ユネル。ほら、お父さんも言ってやってくださいな。この子ったら本ばっかり読んで、少しは家事も覚えさせないと。え? 将来は学者になれるかもしれないなんて、そんな事言って、でも、うん。ユネル。あなたなら成れるかもしれないわね。でも、明日はちゃんと一緒にパンを作るのよ?』

綱を引く。

引いて引いて引いて引いて引いて引いて引いて引いて、あの時足りなかっただけ引いて―――。

助けてという声が聞こえる。

『あ、お姉ちゃん。明日も一緒に遊ぼうよ。え? 明日は練習があるからダメなの? そっかぁ。あたしもいつか巫女になるんだ。お姉ちゃんみたいにすごく強い巫女になってみんなを守るの。どう? 今から楽しみ? やった。それじゃ今日からあたしはお姉ちゃんのデシだからね?』

綱を引く。

引いて引いて引いて引いて引いて引いて引いて引いて、あの日足りなかっただけ引いて―――。

助けてという声が聞こえる。

『お嬢ちゃん。今日も別嬪だねえ。おいちゃんと結婚しない。はっはっはっ、そいつは手厳しいなぁ。そうだな。そういう歳になったのか。おいちゃんも老けるわけだ。ウチの娘もお嬢ちゃんと同じくらいの歳でな。その内おいちゃんを置いてカッケェ男の下に行っちゃうのかと思うと泣けてくらぁ』

綱を引く。

引いて引いて引いて引いて引いて引いて引いて引いて、あの夜足りなかっただけ引いて―――。

何故、助けられなかったと声が嗤った。

引いて引いて引いて引いて引いて引いて引いて引いて引いて引いて。

あの日あの時あの場所で足りなかっただけ引いて。

体がまるで風船のように破裂するまで引いて。

強くならなければならない。

自分が無能な分だけ誰かが消える。

だから、この自分を壊して新しい自分を作ろう。

今日は壊して明日も壊して次の日も壊して、それでも足りないなら、いつまででも壊して、強くなろう。



「どこのCGだ」

野原は銀の月に照らされた花ばかりが輝く。

夜気が身を蝕んでるのに体から出る冷や汗は止まらない。

遥か上弦の月が照らす下。

少女は一人で立っていた。

その傍らには少女を飲み込みそうな巨大で無骨な影。

影の先には鈍い鋼鉄の塊。

照らし出されたソレは畏怖の対象であり、少年の頭の片隅に知識として存在するような遥か昔の異物。

人殺しの道具の一つであり、戦争一色だった半世紀前の戦争で使われた現実に存在した代物。

だが、それに目を奪われたなら、ここまで動揺しなかった。

馬鹿みたいだ。

いや、馬鹿な光景だ。

無骨な鋼鉄の塊が車輪を全力で回して走りだそうとしているのに動けない。

軋んでいる。

たった一人の少女は鉄線で編まれた綱を引いて立っている。

そう、少女はその鋼鉄の塊を自分の力だけで留めている。

人間に出来る訳がない。

人間が出来る技じゃない。

それは悪魔の仕業か神の所業か。

二次元の中のヒーローのみに許された超人という領域に存在する力。

(さすがファンタジー。戦う女の子とか洒落にならないだろ)

少女が鋼鉄の塊の上に綱ごと跳ね上がり、片腕でその鋼鉄の塊の最も象徴的な部分の上に逆さで止まる。

「それにこれが竜?」

これが竜だとしたら、まったく笑える。

「前世紀旧ドイツ軍の遺物が竜とはまったく笑える冗談だ」

『ドーラ列車砲』

正確には一台目であるグスタフに続く超ド級列車砲第二号の名が有名なだけだが、俗称だけなら多少ミリタリーな趣味のある者なら誰でも知っている。

少女は気付いて、クルリと身を起こし、笑顔で手を振ってくる。

巨大なそのビルの如き構造物の砲身の上で。

応えるのに一日分以上の労力を費やした。



頭の足りない孫娘曰く、竜とは鋼で出来ている。

空と地と水の申し子である。

急に現れ急に消える。

一定の場所に現れて、人を消していく。

巫女と呼ばれる存在はそんな竜を捕まえ使役する者である。

そして、野良の竜がアウタスに触れた場合、そのアウタスはこの世界から永遠に消える。

それが竜の全てだとそう少女は言った。

「竜は年に何度か『狂乱バースト』っていうのを起して、いつもとは別の場所や街とか人がいる場所に現れて・・・みんなを消してくの。あたしのドーちゃんは強くて攻撃が遠くまで届くけど動きが地の竜の癖に遅いから・・・結局、いつも誰かアウタスの人が消えて・・・」

今にも泣き出しそうな程に顔を歪める少女の頭を隣に座りながらポンポンと撫でた。

少女は「あんまり詳しくなくてごめんね」と言うが「十分だ」と返す。

「でも、少しびっくりしたよ。賢者がこっちに来てまだ日の浅いアウタスだなんて。だって、あんなに難しい事知ってて大人みたいに見えるから、インナスで何処かいい所の子だって思ってたもん」

「性格は生まれつきだ」

「あはは、ごめんね? 怒っちゃった」

笑顔に戻る少女の顔は内心とは違う。

足りない奴にも足りない奴なりの過去や決意がある。

それに多少は配慮するべきだろうと思うのは打算からだが、それに同情しているのは心からの事だった。

勿論、その同情が恐ろしく相手の事を考えない偽善であるのは知っている。

「・・・・・・」

二人、砲身の上。

シュールこの上ない場所だ。

其処で月に照らされるなんて、まるで何処かの劇にでも出てきそうなくらいに甘いシーンだ。

その雰囲気に引っ張られないよう内心を静めて、聞いた内容を整理した。

地の竜は陸を走る鋼の塊。

空の竜は空を奔る鋼の翼。

水の竜は水を渡る鋼の浮。

情報を総合した場合に出てくる結論は実物を一つしか見ていないとはいえ大体予測出来た。

つまり、列車あるいは自動車などに分類される地上を走る乗り物。

空を飛ぶ航空機に類する乗り物。

海や河川、湖などを渡る船に類する乗り物。

たぶんはそれが竜の正体。

そして、その事実は一つの事実を証拠付ける。

この世界「バルトメイラ」と自分のいた現実は何処かで繋がっている。

「うーん。これは明日も張り切って鍛えないと」

「あれ以上鍛える必要があるのか?」

「あるよ。だって、竜を呼び出すのも竜を動かすのも竜の能力を使うのも竜に攻撃させるのも全部巫女の体力と精神力しだいなんだもん。オババの受け売りだけど、竜を扱うという事は自分という贄を捧げるに等しいんだって。だから、ちゃんと普段から体作りしておかないとイザって時に力が出せないなんて事になっちゃうかもしれないし。それに・・・その・・・」

「それに?」

「賢者がアウタスだったんだから、余計に頑張らないとダメだよね?」

その笑顔に情けない気持ちになるのは自分が男で少女が女だからだ。

「ん? あれ? 賢者って、そういうアウタスとか竜の基本的な事も知らずに旅してたの?」

人間の記憶は関連性のある記憶を数珠のように繋いだモノとも言える。

その為、記憶を思い出す行為はその記憶自体だけではなく関連した記憶を思い出す事にも等しい。

「そうだ。あたし、朝に龍脈を見に行って、それで・・・」

ボンヤリと虚空を見つめていた少女の瞳のがゆっくりとこちらに向けられた。

「そうだ。そうだよ!! あたしの目の前で賢者が竜の中から出てきて倒れてッ、うん。そしたら急に額に何か当たって、それで・・・・・・け、け、けけけ、賢者ッッッ!!」

「何だ?」

「ど、どどど、どうして早く言ってくれなかったの!?」

「何をだ?」

「だ、だってッ、だってッ、賢者は竜のお腹から出てきたんだよ!!」

少女に電車が強風に煽られた際に転倒したと言っても、その平凡さというか凡庸さというか、失笑すら買いそうな出来事のニュアンスが伝わるとも思えず、それ以前に別世界から転んだら飛ばされてきましたと言った所でクエスチョンマークを浮かべらるのが落ちなのは見えていて・・・色々と端折った。

「いつの間にか偶然あそこに来た。それだけだ」

「いつの間にか?! だ、だって竜のお腹がガバッて開いてバタンて倒れてッ」

「いつも乗ってた乗り物から降りる時に倒れ込んだら、あそこだった」

「いつも乗ってたの?! 嘘ッ、だ、だってッ、だってッッ、竜に乗れるのは巫女だけで・・・はッ、まさか賢者って巫女?!」

その少女の結論に内心で説明する気も萎える。

何か信じられないモノを見た顔。

少女の誤解を解くのは酷く骨が折れそうだっだ。

「ユネル。自分の知らない事を自分の規範に当てはめて考えない方がいい。お前の言う竜が普通に沢山の人を乗せて移動してるような場所も存在する、それだけの事だ」

「え、ええええええええええ?! 竜が人を乗せたら、だ、だだ、ダメなんだから!! そんな危ない事してるなんてイ、インナスなら大丈夫だろうけど、でも、ど、どうやってッッ!!」

混乱し始めた少女に左右されるのか。

グラグラと砲身が揺れ出して、説明を最後まで続ける気が完全に失せる。

何処まで足りない奴なんだと普段ならば思うかもしれないが、現実世界から見たら特殊な環境下である異世界で育った少女にそこまでは思わない。

「うぅうう。け、賢者のいた所ってそんなに物凄く危ない場所だったんだ。そっか、だから賢者こんなに目の周りに隈が・・・そうだよね? 今まで竜に今食べられるか今食べられるかって・・・」

「ユネル」

静かに通る声で混乱する少女の名前を呼ぶ。

女性にこんな調子で語りかける自分等もう金輪際無いだろうと思いながら全てを解決する言葉を放ってみる。

「な、何・・・賢者」

「気にするな」

場の空気の氷結。

「それでも聞きたい事があったら、一つずつ訊いてくれ。オレもまだよく解らない事が沢山ある」

「一つずつ?」

落ち着いてきたらしい少女の何処か真剣になった表情に頷く。

「そうして、オレも聞きたい事があったら一つずつお前に訊く。もしも解らなかったら解らないでいい。解りそうな事だったら調べてくれてもいい」

少女はその言葉にどうやら納得したようだった。

「そうだよね。解らない事ぐらいあるよね・・・」

何処か反省した面持ちの少女が顔を上げて真剣な瞳で見つめてくる。

少女が知りたいのだろう事を一つだけ教えておく。

「ちなみにオレは竜に飲み込まれた人が戻ってくる方法は知らない」

「な、何で解るの?」

「顔に書いてある」

「え? え? そ、そんな事書いて、はッ、まさかオババの落書きとか!?」

自分の顔を擦り始める少女の顔に片手で触れて驚く。

柔らかく温かい。

(ファンタジーに影響され過ぎだオレ)

ファンタジーという事実リアルに覚悟を決めた。

「ユネル。今日本当に助けられたのは・・・オレの方だ」

「あ・・・え?・・・」

戸惑いながら見上げてくる瞳に写る背後の月。

まるで、それは涙を零す瞳のようで。

「オレはお前に助けられた。だから、もしもお前が望むなら助けられた分だけ助け返す」

「賢者・・・?」

「それがオレが出来る助けてくれたお前への恩返しだ」

頭の中の打算がその言葉にだけは溶け出さない。

沈黙は長くはなく。

「ごめんね。何焦ってたんだろう。あたし・・・」

そう自分を反省する少女の頭をクシャクシャと撫でた。

「自分を顧みない人間はいつか失敗する。どんなに足りなくてもお前はそれができる貴重な人間だ」

「賢者・・・」

くすぐったそうな笑顔に思わず視線を逸らした。

自分のやっている恥ずかしい小芝居染みたセリフに悶絶したい気分で一杯になる。

小鳥の囀りのような音。

「ありがとね」

雰囲気の力が強力過ぎたのか。

頬に鳴った音と離れていく仄かに赤い顔に驚いて思わず仰け反り、落ちた。

虚空に伸ばした手が掴まれる。

内心、思う。

馬鹿野郎殺す気か。

「お礼」

この大馬鹿野郎が。

「そろそろ帰ろ? 賢者」

この極大馬鹿野郎・・・オレ。

女の笑顔に毒されたらしい馬鹿野郎の現実世界での名は【臥塔賢知がとう・けんじ】と言った。



『お礼』

あたしは恥ずかしくて、思わず耳を塞いだ。

でも、聞こえてくる。

見えてしまう。

何度も何度も感触が蘇る。

賢者の頬の感触。

まるで上等な柔らかな布を何枚も重ねたような唇に残る感触。

初めてそうしたいと思い、初めてそうした行為。

昔、オババが言っていた事を思い出す。

一緒に居て思わず笑みになる男の子がいたら、寄り添って離さないようにしなさい。

そう言っていた。

思わず笑う。

何度も何度も繰り返して見る。

大人っぽい賢者がまるで赤ちゃんみたいに顔を赤くしているところを。

何度も何度も頭を撫でてくれた感触を思い出す。

そっと腕を取って寄り掛かる。

「えへへ・・・」

安心する。

お父さんのような。

でも、やっぱり違う腕を胸に抱いて瞳を閉じた。

いつの間にか賢者の腕の中に抱きしめられていて、意識はただただ安らかだっ―――。

少しずつ明るくなっていくボヤけた視界の中でその少し冷たくて心地良いモノを抱き締めた。

「ムホッ、ついに、ついに大人の階段昇りおったか孫娘よ!? というか出会って即日ヤっちまったのかい?! これは祝福するべきか、それとも励め励めと応援するべきか迷うじゃないかいッ!!?」

跳ね起きる。

「あ・・・・・・」

自分が今どこにいるのか分からない。

でも、足元に掛る吐息がくすぐったくて、すぐに自分が今何をしていたのか気づいてしまった。

「け、けけけ、賢者?!」

部屋の中に賢者がいて、寝台の上に賢者がいて、扉の隙間からオババが覗いていて。

「ふあ?! な、なな、何でどうしてこんなとこに賢者が!? 昨日ドーちゃん消して帰ってから賢者に寝台貸して、それで、それで・・・えっと、夜中にお手洗いに行って・・・」

「女の面目躍如じゃのう。夜這いとは何と女らしい。ほほほほほほほほ!!!」

「よばッ、オ、オババ!!」

「おお、分かっとる分かっとる。朝の濃密な気だるい時間は二人だけのものだとも。このオババは何も見とらんし、何も聞いとらんとも。こりゃ朝から精のつくもん作らんとねぇ。頑張ろうじゃないかい。ふふふふふ!!!」

扉が閉まって、あたしは慌てた。

「オ、オババ!! よ、余計な事しちゃダメだからね!?」

『おー、分かっとるとも!!!』

扉越しの声に思わず「うぅううう」と唸り声が漏れた。

「あ・・・」

そうして気づく。賢者はまだ眠っていた。

「賢者と一緒・・・」

小さい寝台なのに身を寄せ合って眠れるのだと初めて知った。

「ん・・・」

「!」

あたしは慌てて寝台から降りて着替える。

バタバタバタバタバタバタバタバタ。

すぐ櫛で髪を梳かす。

いつもは少しだけするのを念入りに念入りにする。

「ん・・・んぅ・・・?」

すぐに服が乱れていないか確認して、扉の先へと起こさないようにそろそろ出て、一目散に噴水の所まで行く。

顔を洗って、目を覚まして、またすぐに部屋の前まで駆け戻る。

コンコン。

扉を叩いてそっと開けた。

寝ぼけ眼で体を起した賢者が目を擦りながらこっちを見た。

その顔はボンヤリしていて、少しだけ吊り上がっている目元が垂れ下がっていて、まるで子供みたいに可愛い。

「け、賢者。お、おはよう」

「ユネル? おはよう・・・」

あたしの方を見た賢者はまるで普通と違った。

笑顔なんて見せない賢者が少しだけ笑ってくれた。

「きょ、今日はオババに色々教えてもらうといいよ。あたしは竜脈の方に行くから、お昼頃までは帰ってこないし。その間にお仕事なんかの事教えて貰って。オババの方にはあたしがちゃんと言っておくから」

「気を付けろ」

「うん!!」

そのまま手を振って走り出す。

やっぱり賢者は良い子だ。



テーブルを挟んで向かい側。

茶を啜る魔女がニヤリと笑っていた。

昨日は余裕が無かったが、寺院内部は旧くも質と品の良い調度品で占められている。

その最中、一枚の絵画の如く老婆は佇んでいた。

「さて、まずは何か聞きたそうな其処のオノコ。このオババに何を聞きたい?」

「色々と聞きたいな。色々と」

「ふむ。その様子じゃ昨日はあの子の竜に驚いたってところかい。ふふふふ。あの子の竜はこのオババでも扱えない最大の大物だからのう」

オババがニヤニヤと生温い笑みを浮かべる。

「素直にアレには驚きましたとか言うと思ったか?」

「違うのか?」

「あんなものなら、まだ許容できる。だが、あれを使って鍛えてるなんて冗談は止めてくれ」

「ま、この世界の中でもあの子は特別だからねぇ。確かにあの子の膂力は人の想像を超えておる。このオババにもどうしてあそこまであの子が頑丈なのか解明出来んかったのだから、誰に分かるものでもないのかもしれん」

「この世界ですらやっぱりあの力はおかしいのか?」

「ほほほほほ、人智を超えた何かがあるのだろうさ」

「そもそも竜はオレには人智の範疇だが」

「それがアンタの記憶かい?」

オババの瞳が初めて煌いた。

その瞳に宿された興味はすぐ奥底に消えていく。

やっぱり、目の前にいるモノはロクでもないモノだと本能的に警戒感が沸いた。

「竜と呼ばれているモノの資料があれば借りたい」

「好きなだけ見るがいい。あそこの棚の右上の奥に竜の姿を記録したものがある」

目の前に置いていた湯飲みらしきモノに薬缶らしきモノから茶が注がれる。

微妙に甘いその匂いに顔を顰めて立った。

「これか」

まるで何かを知る為に賢者に会った勇者の気分。

馬鹿みたいな話だが今の状況は半分ぐらい合致しそうで正に笑い話である。

古そうなRPGの魔女は最初主人公を誘惑し、最後に本性を表して退治される。

だが、現実は魔女が賢者扱いするべき位置にいるし、勇者よろしく卑怯なチートステータスに正義漢属性を持ち合わせているような身分でもないのでそんな事にはならない。

「・・・・・・」

壁に埋め込まれた本棚からその書物を取り出した。

テーブルにその分厚い本を置き、窓から降り注ぐ光の下、開いた。

(やっぱりか)

茶色く変色して虫食いも所々に見られる本の中、大きな挿絵が一つ。

それに付随してまるで意味不明の象形文字に意味不明の数式らしき羅列。

絵に写された項目の他にも後二項目。

それぞれパラパラと捲る度に何処かで見た事のあるシルエットが出てくる。

本を閉じた。

「この本。その筋のマニアになら高く売れそうだな」

「意味はよー分からんが売れば遊んで暮らせる額が付く代物であるのは保障しよう」

「昨日。竜を見てから予測はしてたが・・・」

「予測とな?」

「この世界の竜はオレの世界で使われてるモノに酷似してる」

「ほほう。興味深い。さすがあの子が連れてきただけはある。その話詳しく聞かせてくれたら後数日の滞在ぐらい大目に見るかのう」

ズズズズズと茶を啜る悪い魔女の言葉は魅力的だが、カードを切るには早過ぎると自制する。

情報は時に千金に勝る。

使いどころを誤れば、異世界なんて場所では命の一つや二つ風前の灯となる可能性すらある。

だからこそ、シラッと言い切る事にした。

「せめて、自活出来る目処が付くまでだ」

「ふむ。ワシ好みな思考じゃないかい。あの孫娘とはこんな会話しないからねぇ。くくくくく、自活の目処とは・・・ああ、それなら、その時まで好きにこの家に居ればいい。あの子が喜ぶだろうさ」

その言質を取った事にひとまず安堵して、だが・・・やはり嵌められたような気もした。

そもそも危険人物とは程遠いひ弱君ならば孫娘の膂力にものを言わせる事も可能だ。

出ていこうが逃げようが居場所もない人間等どうにでもなる。

「交渉成立って事でいいのかい?」

お茶目な笑顔でウィンク一つ。

ユネル・カウンホータが祖母に似ていない事実は切実に神に感謝してもいい事実だった。



「さあてさて、これからが本題なんだがのう。アンタ、何か得意な事は?」

一通りの情報交換を済ませて一息付いた後、その話題に来たかと内心で汗を浮かべた。

「特には・・・」

「あの子の話じゃ、あの仕事も駄目だったらしいねぇ。さすがにあれ以外となるとそうそう楽な仕事はない。そうなると手に職がないと話にならないわけだが、さてはてどうしたものかい」

オババの物言いは嫌味ったらしい。

その笑みに歪んだ口元はもう少し情報を寄越せと言っていた。

『しばらくの間はそれで勘弁してやろう。ん? どうじゃ?』

そんな感じ。

自分の事を大巫女と呼ぶからにはそれなりに知識は豊富でユネルなどより異世界の世間を知っている事は間違い無い。

そんな知識層の人間だからこそ情報というものの価値を分かっている。

大概の異世界で別世界の情報というのは何かしらの価値がある。

それを与太話と切って捨ててしまう異世界(RPG)等、フラグのないギャルゲー並みに面白くない代物に違いない。

その情報は千金どころか世界そのものを揺がしかねない。

現実的な視点から見れば、別世界の発見というのは新たな領土の獲得というだけに留まらない利益を齎す。

帝国主義の大国が相手だったなら喉から手が出るような宝の山にも等しい。

「ちなみにこの世界の文字はこれか? オレはこれが読めない」

テーブルの上にほったらかしの本の表紙を撫ぜた。

まったく意味不明の象形文字がデカデカと金押しで輝いている。

「ん~~~。普通のアウタスは基本的にソレが読めるんだがのう。幼いモノも数年で学ぶし、事実読めないアウタスをワシはアンタ以外に知らん」

「この世界の数字は?」

「数字か? 少し待て」

皺枯れた手が懐に手を入れ、石造りのテーブルの上にサラサラと白い砂を落とした。

それに指で数字らしきものを書いていく。

「十個の形において全ての数を表しておる。読めるか?」

まったく読めなかった。

「覚えれば何とかなるか」

「どうしようもないんじゃないかい? そもそも、これを覚えてもねぇ。五歳の子でも読めるさ。複雑な計算なら話は別だが、数字を覚えただけじゃ紹介する仕事は限られるねぇ」

ガックリくる事をサラリと喋る魔女を火炙りにする方法を頭の片隅で考えながら、しばし思案した。

ルルルルル。

「?!」

思わず心臓が強く跳ねる。

「着信ッ」

ズボンに入れっぱなしになっていたケータイが震える中、慌てて開いた。

「き、期待させるな・・・」

悲しい現実に目を背ける。

予定表。

朝から番組予約が入っていて、本来ならばTVの前に噛り付いている時間帯。

「ん~~んむ? ん~~ほ~~」

珍しいモノを見つけたように目を輝かせるオババを一人生み出す以外に何の役にも立たないケータイを打ち砕くべきかと本気で悩む。

「それが何か聞いてもいいかい?」

「DKE02E232モデル」

「?」

「この世界じゃ、何の役に立たないとだけ覚えておけばいい」

「何の役にも立たないものを持ってるとは、ホントに使えないねぇ。ほほほほほほ」

早めに話を切り上げないと堪忍袋の緒が「悲劇。孫娘の前で祖母○○○死」との見出しを異世界の紙媒体にでも載せかねない感じにキリキリする事を鑑み、ケータイをそっと戻そうとして気付いた。

「残量ゼロ?」

電池のマークが充電池の電力残量ゼロを示していた。

つまりはもう動かないという事実。

しかし、それは矛盾していた。

そもそも電力の充電を進める文字など一つも出ていない。

それなのに画面は明るいまま。

記憶が確かなら、とっくの昔に電源が切れている頃だった。

「ファンタジーなんて物理法則も科学考証もいい加減か?」

バッテリーカバーを外して電池を取り出してみた。

そっと裏返して画面が未だ明るい事を確認。

(電力が無くても動く? なら、どこから電力が供給されて・・・いや、それよりもまずは道具として多少は使えるモノが手に入った事を喜ぶべきか)

「その役立たずな道具がどうかしたのかの?」

「・・・・・・」

「?」

「・・・・・・どの程度の計算なら複雑と言える?」

「どの程度とな? ふむ。どれ」

サラサラと砂の上に文字が連ねられていく。

「この程度ならば仕事としても成り立つかの」

「この数式の記号に付いて教えてくれ」

「ん。これが――」

十五分のレクチャー。

問題を課され固有名詞と数式と記号を現実のものと照合当て嵌める作業に没頭する。

「ざっと、こんな感じか」

「・・・・・・我が孫娘を頼むぞ婿殿!!」

ガシィッと腕を掴まれた。

砂の上に翻訳版の答を何とか描き切った途端だった。

「何でそういう言葉が出てくる!?」

「この段階の計算が解けるとは大法院や高等議会の上院連中でも中々いない。つまり、あの孫娘の将来も安泰!」

ヒシッと抱きしめてくる老体を剥がして即座に数メートル後退していた。

「出来てるなら、出来てるとだけ言え!?」

「それにしてもその小さな箱。計算の道具だったとは、何が役立たずなものかい。十分に凄いと思うが」

微妙に顔が半笑いになる。

(今時のケータイに計算機能なんてオマケだが、ファンタジー世界にはただの便利機能が十分な仕事になる・・か。計算式も複雑とは程遠い。これならざっと中学2年レベル。ファンタジーが中世ぐらいの技術水準ならケータイも魔法の箱ってわけか)

「そもそも、今どきのケータイってのは昔のパソコン並みには高性能って忘れてたな」

「いや、めでたい。孫娘に婿を迎え、職も決まった。いやぁ、めでたい!!」

浮かれながらニヤニヤする顔にツッコむ気力もなく、とりあえず生きる術は手に入れたかと安堵した。



眠るといつも夢を見るのが決まりだ。

昔の夢。

まるで馬鹿みたいにでたらめでまるでどうにもならない夢。

そう、まるでまるでまるで画面の中に宿るあの光景。

それは「ふぁんたじー」以外の何物でもなく。


【それを見た】


血の匂いがする。

炎の中に宿る陽炎。

風が出る夜。

蒼い炎が揺れる。

翼を焼かれた鳥。

羽ばたけぬ雛。

幽鬼の如き自分。

人とは違う色を覗いている。

人とは違う世界を覗いている。


漫画のような話。


【それを見てしまった】


そう、だから、立ち尽くす事しかできなかったから、そんな世界に見入られた。

画面の中にある。

紙の中にある。

見てしまった故に追い求めずにはいられなかった。

それが時間の中に埋もれていった最初の動機。



「賢者?」

「ッ?!」

いつの間にか長椅子の上で眠っていた。

「ユネル・・・」

「凄く苦しそうにしてたから、どうしたのかなって思って・・・怖い夢とか見てたの?」

見上げれば少女の顔がすぐ近くにあった。

美少女の顔に動悸が高まるのは普通かもしれないが、自分はそんな事とはまったく無縁な人間だという自覚の下、前日の夜の事は頭から打ち消して・・・打ち消して・・・溜息を付く。

「大丈夫だよ。賢者はあたしが守るから、ね?」

ニコリと微笑まれて視線を逸らせる。

下らない昔の夢とこの世界にある現実問題の悪夢。

どちらもろくなものではない。

(昼か。あのオババ・・・)

辺りを見回せば日が高く昼を過ぎた辺り。

食事の時間帯だと気付いて、鼻腔を(くすぐ)る匂いに腹時計が正直になる。

グゥ~~~~~。

「あはは、すぐ作るから待ってて」

軽やかな足音。

ユネルの後ろ姿に引き込まれそうになって首を振る。

(危ない)

死亡フラグなんて未だ立てる気無しだ。

だというのに毒フラグな如き甘いシュチュエーションが立て続けに襲ってくるのは笑い話。

異世界で恋に落ちるなんて正気の沙汰ではない。

その後に艱難辛苦を味わう事になるのは目に見えている。

(それにしても、こんな所に来てまで見るか)

PTSD。

過去のトラウマ。

まったくどうしようもない。

精神を擦り減らしていられるような事実は一つもないというのに、精神も肉体も正直に疲弊していた。

腕を見ればビッショリと汗で濡れた跡。

「まったく笑える」

『出来たよ~~~』

食事の匂いにまた腹が正直になった。



「ふんふふんふふ~~~」

不気味な程に陽気なユネル・カウンホータの後ろ姿に嫌な予感がした。

逃げるかどうか迷ったのは一瞬で、すぐに逃げたところで意味はないと気付く。

少女がいなければ遠出した自分は帰り道も解らず死ぬ可能性があった。

目の前を歩く少女曰く。

『これからちょっといい所に行きたいと思います。いいですか賢者君』

無駄に偉そうに腰へ手を当てる姿は何処か子供に胸を張るお母さんのように微笑ましい。

そんな一時が過ぎ、寺院を発ってから一時間近く。

草原は遠ざかり、いつの間にか灰色の地面が目立つ荒野を進んでいる。

「何処まで行くのか訊いていいか?」

「もう少しだから」

十五分後。

「何処まで行くのか訊いていいか?」

「あと少しだから」

更に十五分後。

「・・・何処に・・・行く・・・か・・・」

「賢者?」

やっと振り返った天然に顔が引き攣るのを感じて、怒鳴り散らそうかとの思いを堪えた。

「少し・・・休ませ・・・」

声も絶え絶えに座り込みそうな体を何とか立たせている状態。

「ごめんごめん。そういえば賢者って足に自信ない子だもんね。その・・・おんぶしてもいいけど、どうする?」

天然の刃に慣れてしまった自分が悲しい。

「断じて断る」

「賢者、こういう時助け合うのは当たり前の事だよ」

女に背負われて連れて逝かれる図を想像して精神的に死ぬ。

「後、五分だけ・・・待て・・・」

「もぉ。少しくらい別にあたしはいいのに・・・」

少しだけ残念そうに拗ねる少女は愛らしいが、だからと言って男の意地を投げ売りする気は毛頭なかった。

「それよりも・・・何処まで行けばいいんだ?」

「えっとね。賢者にも見せたいものがあったんだ。これから賢者が住む場所を見せたいなって思って。今日は帰らないってオババには言ってるから明日に帰ればいいし。あたしがいない時に竜が来ても、いざって時はちゃんと合図してくれるように言ってあるから何にも心配する事はないし、って賢者? どうしたの?」

「・・・・・・」

「う~~ん。本当は秘密だったんだけど、まぁいっか。ほら、賢者見える? あの山」

彼方を見た。

いつの間にか地平線にポツンと聳えるモノが一つ。

「・・・・・・・・・登るのか?」

「あたしも時々修行に行くんだよ。あそこ」

「・・・・・・・・・・・・そうか」

「やっぱり、おんぶ、する?」

首を傾げる魔女の孫娘は魔女の片鱗もあるらしく。

男の意地は投げ売り決定大バーゲンに出される事になった。



疾風の如き速度の少女に背負われて数時間。

あまりの速度の為、汗の一つも掻いていない少女のうなじに顔を押し付ける形となった。

跳ねた長髪が顔に触れる。

呼吸すら恥ずかしくなりながら酸欠気味な頭で思う。

少女の背中の小ささと少女の心の大きさと自分のミジンコの心臓程もない意地の事を。

(本当に・・・敵わない・・・)

男としては情けなく、少女の強さに感銘すら受ける。

(不幸が人を鍛えるとするなら、お前はどんなモノを背負ってきたユネル?)

いなくなった人がいた。

助けられなかった人がいた。

そう夜に話していた少女。

言葉にすればまったく王道に過ぎる。

二次元の世界には何処にでもありふれた話。

レジリエントチルドレン。

巨大な不運に見舞われ、それに反発して成長する子供達。

自らを鍛え上げるふこうを往く者。

(現実にそんな事があれば腐るか死ぬかネガティブに囚われるのもセオリーだ。それでも真っ直ぐに伸びていく事は・・・いや、此処はファンタジーだったか・・・・・・)

考えるのを止めて、解けそうな腕をしっかりと少女の腹に回した。

腕に当たるそれなりに柔らかな感触に意識を持って行かれそうになるのを堪える。

心頭滅却の精神は日本人に生まれて一番役に立つ心得かもしれない。

「賢者。賢者は自分の住んでる場所を地図で見た事ってある?」

「ああ、あるぞ」

確か見たのは小さな街の三万分の一の地図。

「そっか。あたしはね。オババが昔あの山に連れて行ってくれるまで自分がどんな場所に住んでるのか地図では見た事があっても、あんまりよく解ってなかったんだ。自分の立つ場所、自分が守ってる場所、自分が住んでる場所、凄く大切な事なのによく解ってなかった。オババはあたしが竜の巫女になった時あの山に連れていってくれて言ったの。『凄いだろう』って。その時あたしは初めて自分がこんな世界に住んでるんだって嬉しくなって・・・それで泣いちゃった。本当は当たり前なんだよね。自分の居場所が大切だなんて事。それをよく解ってなかったあたしはたぶんあのまま巫女になってたら取り返しが付かないような失敗ばかりしてたかもって、そう思う」

「どうしてオレにそんな?」

「うん。その、怒らないで聞いてくれる?」

「ああ」

「賢者は偶然此処に来ただけなんだよね?」

「偶然此処に来ただけだな」

「でも、賢者だってあたしと此処に今生きてる。賢者だって今は此処が居場所だよ。だから、その・・・上手く言えないけど賢者にはもっと自分のいる場所を好きになって欲しいって、そう思って。賢者ずっと不機嫌そうだから・・・」

走る速度は緩めずに声だけが小さくなっていって、この状況は自分の不甲斐なさが招いた自業自得の状況かと納得する。

「(現実を認めるのと受け入れるのは別の事か)」

いつも不機嫌そうな顔を解消するにはどうしたらいいか。

そう思いついた頭の足りない孫娘の答。

それが今居る場所を受け入れさせる事。

自分の居場所という漠然とした言葉ではなく。

肌で実感出来るものを提示する事で問題を解決しようとした。

それだけの事なのだろう。

(問題はそんなに単純じゃない)

だが、その答えはまったく間違いでもない。

「・・・・・・」

「あ、ご、ごめん。気分悪くしちゃったよね」

「敵わない」

「え?」

うなじからそっと耳元に口を寄せた。

しがみ付くのも辛くなってきた腕に少しだけ力を込める。

「出来れば、休憩してくれると助かる」

「う・・・ん・・・」

「それと」

「な、何。賢者?」

「恩に着る」

「おんにきるって何?」

瞳を閉じる。

「ありがとうって事だ」

貸しがどんどん増えていく。

返せるかどうかも定かではないぐらいに。

もしお気に入りしてくださる方がいらしたら感想などがあれば、直しに反映させられるかと思いますので、どうぞよろしくお願いします。

*次回投稿は四月五日です。

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