第三章 巫女
そう言えば、今まで感想を受け付けるのが無制限になっていなかったのを見過ごしていたようです。ごめんなさいm(__)m 制限無しで感想を書けるようにしておいたのでどうぞよろしくお願いします。
第三章 巫女
酷く深く古い。
流れゆく清水に浸り続ける樹木の年輪はほぼ千年を超えている。
森林全体に川が流れているというよりは広大な浅い川に森林が出来たという方が正しいのかもしれない。
「・・・」
フェノグラシアの目的地はバルトメイラ西域の中でも大森林地帯が続くワイベルトと呼ばれる地帯。
地図上の一帯は現代尺度で軽く四百キロ近くの半径を広げていた。
複数の幕屋を張った中州のど真ん中で床几に座り、多くの視線に曝されるのは疲弊する事この上ない。
巫女達の【賢者って役に立つの?】的視線に半ばグッタリしながら訊く。
「近辺の街の数や基本事項を聞きたい」
傍らには大巫女と側近の巫女が数人。
後ろにはユネルとテオ、フェルフラムの三人。
その場の名前は作戦会議。
議長は勿論大巫女で進行役は【世話係=雑用】臥塔賢知だ。
「ワイベルト一帯にある街の数は凡そ七百よ。更に点在する小さな集落を含めれば・・・ざっと千。その中でも最大の規模を誇る街は此処レオドセルね」
大巫女の指がワイベルトのど真ん中を指差す。
「占術の結果としては何処が狙われる?」
「ここ一か月五十二回の占術結果を総合するとそれぞれ北西と南東の地域から空の竜と水の竜と地の竜がそれぞれ千匹以上。時間帯は夜半から明け方まで凡そ半日。期日は四日後」
「つまり、二方向から三千ずつ。地、水、空の竜合わせて六千匹が半日で押し寄せてくると?」
額を揉みながら溜息越しに訊く。
「ええ」
あっさりと頷かれる。
ただ死地にノコノコ連れられてきた自分達は生贄か何かなのかもしれない。
「他のバンドからの救援は?」
「救援を要請しているけれど近頃何処も手一杯で動けるのは私達だけよ」
「避難状況については?」
「避難はもう呼び掛けているから始まっているわ。一帯の小さな集落が空になったと街の方から連絡があったけれどそれだけね。どんなに急がせてもレオドセルには間に合わない。各方角で一番大きな街に集めるのが精一杯といったところかしら」
「何でそんなに避難が遅い?」
「街長達が占術の結果を疑ったからよ。巫女の私達ですら何かの間違いじゃないかと思った結果が簡単に受け入れられるわけもないわ。街に避難民を集めれば商売は止まる生活は苦しくなる余所者とのいざこざから犯罪や摩擦も増えて頭が痛いばかり。誰もそんな状況になりたいとは思わないでしょう?」
芳しくない情報に頭を掻く。
「一番大事な事を訊くがフェノグラシア全体で【死人が出ない】竜の限界撃破数は?」
息を呑んだのは大巫女以外の全員。
「今は三千より少ない程度ね」
「今残ってる連中の中に一人で百匹以上いける奴はどれだけ残ってる?」
「クーテリア。ソアノ。リーロ。ラシュネン。テェート。五人くらいかしら?」
後ろの巫女達に確認を取る大巫女に一人がボソボソと耳打ちした。
「百匹近くいける子なら後二人くらいよ」
「地の竜や水の竜と戦った経験のある奴は?」
「常設のバンドは基本的にどんな狂乱でも請け負うものだから、その点は心配ないわ」
「このバンドで一番足の速い竜を持ってるのは?」
「フェルフラム」
「は!」
後ろを向くと大巫女に呼び掛けられ今聞いた竜の数に動揺していたフェルフラムが胸に腕を当て返事を返すところだった。
その顔は不安というより冷や汗で一杯になっている。
その横のテオは竜の数に少し驚いているものの怯んだ様子もなく地図を見つめ、ユネルは顎に指を当てて【どうしよう】と悩んでいる最中。
「近頃の天候に付いては?」
「街の方から聞いてるわ。ここ一か月快晴よ」
「分かった。それで最後に確認するが全ての人間を中央のレオドセルに避難させるのは四日後に間に合わないんだな?」
「無理でしょうね」
「人を乗せられる大型の竜はアレだけか?」
飛行船を指さして聞けば、大巫女は渋い顔をする。
「一つ切りよ。あれを使ったところでどうやっても間に合うとは思えないわ」
「主要な避難先の街は幾つだ?」
大巫女の指先が指す場所に黒く筆で点を打つ。
ワイベルト全域に散らばる大きな街は四つ。
それぞれがレオドセルから比較的等距離で百キロ程の位置に有り、東西南北に分かれていた。
「近隣の街での籠城戦はアウト・・・か」
百キロ。
どんなに頑張ろうとも互いの援護には致命的な時間を消費する距離だった。
「この一帯での移動手段に小さな船とかを使ったりしてるか?」
「確か小さな船で支流を下るのが主な手段だったはずだけれど」
一帯の川の地図を要求するとすぐ台の上に広げられた。
「・・・ユネル」
首を傾げるユネルの頭をポンポン叩く。
「訳を頼む」
「ふえ?」
「これから幾つか紙に書く。これを訳したら紙に写せ」
「う、うん」
とりあえず用意されていた紙に筆で幾つかの事項を日本語で書いていく。
「どうするつもりかしら?」
大巫女はその文字を興味深そうに眺めながらこちらに視線を合わせてくる。
「各街に立て篭もって迎撃するのは得策じゃない。かと言ってレオドセルへの避難は普通にやったら間に合わない。だから、避難を最優先に新しい案を練った」
全て書き終わった紙をユネルに手渡して、台の端にある紙に漢字を書きこむ。
「つまり?」
書き上げた文字は三文字。
紙を地図の上に放る。
「撤退戦」
基本方針が決まった瞬間だった。
*
巫女の誰もがガトウの案に頷いてから数刻が経っていた。
川縁で石の上に座ったままガトウは動かずにいる。
その背中がとても苦しそうに見えて声を掛けようか迷う。
「ガトウケンジ!」
「!?」
驚いて近くの幕屋に思わず隠れる。
見ればガトウの左側からあの子が近付いててくるところだった。
フェルフラム。
ガトウにいつも怒っているはずの顔は何故か怒り顔ではなかった。
そっと耳を澄ますと会話が聞こえてきた。
【初めて呼んだか?】
【ああ、貴様の名を初めて呼んでやった】
【勝ち誇ってどうする】
【貴様はもっと喜べ。この自分が名を呼ぶだけの価値がある男だと認めた事を】
【喜ぶ以前の話だと思うのはオレだけか?】
【貴様もう少し人と会話する努力をしたらどうだ。貴様のような人間を褒めてる自分の身にもなれ。その態度の悪さをどうにかならんのか】
【お前がオレに対する態度を改めたなら考えよう】
【一生そのままにする気か?】
【改める気がないのは良く解った】
しばらく沈黙が続いて、そっと繊細な声がガトウに問い掛ける。
【貴様の出した案に文句の付けるだけの意見はあの場に無かった。自分も確かに貴様の案ならばと思った。なのに、どうして貴様自身がそんな顔をしている?】
【励ましてるつもりか?】
【な、そ、そんなわけないだろう!! 自分はこの案の責任者である貴様がそんな様子ではそれに乗った全ての人間に申し訳が立たないとだな!?】
【解ったから首を絞めるな!?】
【ふん。貴様のようなふてぶてしい奴がそんな顔をするな】
会話が途切れる。
足がその場から遠ざかろうとした時だった。
閃光が空を焼いた。
眩い輝きが雲の照り返しのみで夕暮れ時の雲を真昼のように染め上げていく。
【始まったな』
【一つ訊きたい。貴様はたった四日であの作業を完遂出来ると思うか?】
【オレはそう感じてユネルに任せた。後はあいつ次第だ】
【そうか。それにしては顔色が悪過ぎだ。最良の案を出したならもっと堂々としていろ】
【オレにとっての最良はお前らとこの地域の住民を見捨てて帰る事だ】
【そうだな。貴様はそういう奴だった】
拗ねたような声。
【オレ達が持ち得る一番の切り札は時間と場所だ。必ず相手から出向かなければならない場所をオレ達は好き勝手やれる。ほぼ正確に相手の来る時間が分かってるなら、それまでは無防備でもいい。逆に言えば、相手が来てから何かしようと殆ど無意味だ。どうせ数の面では圧倒的に負けてる。戦術単位の勝利なんてのは数の暴力の前に意味を成さない。罠や先制攻撃も考えたがどうやっても数の前に負ける】
【ユネル嬢でも?】
【ああ、ユネルでも六千匹は無理だ。重症でも負えば、その時点で住民の全滅はほぼ確定。そんなのは許容出来ない】
【我々は戦う数に入ってないのか?】
【ハッキリ言って欲しいなら言ってもいい】
【結構だ】
【オレ達の目標は可能な限り避難民を救う事だ。敵を倒すのは手段であって目的じゃない。オレ達の戦いは四日後ではなく、この四日間だ。そろそろテオを迎えに行く】
咄嗟に宛がわれた幕屋の方に走っていた。
(私、ユネルに嫉妬してる・・・)
何よりも巫女として信頼されている。
言葉の端々に感じられたソレを自分にも向けて欲しい。
そんな浅ましい感情ばかりがいつの間にか二人の会話を聞いている内に胸の底から溢れていた。
(こんな顔してたら・・・ガトウに会えない・・・)
女の嫉妬なんて醜い。
巫女としての信頼を羨むのはもっと醜い。
けれど、それよりも醜いのは頼りにしてくれるガトウにそんな自分を見せる事。
嫉妬してみせて、気を引こうと一瞬でも思ってしまった自分だった。
幕屋の中に掛け込んで恥ずかしさのあまり毛布を被る。
ガトウが来るまでにいつもの自分に戻れるよう深呼吸した。
片隅でジッとしていると幕屋が開く音。
「テオ」
「何。ガトウ?」
「時間だ」
「そう・・・」
「行くぞ」
「少し待ってて」
「分かった」
安堵した瞬間、毛布が剥ぎ取られた。
「ガ、ガトウ!?」
「片隅でこんな時間に毛布を被ってる理由を訊くべきか?」
思わず上げてしまった顔を慌てて俯ける。
「き、訊かなくていい!!」
毛布をその手から奪い返してもう一度被る。
「早く出てこないと毛布ごと持っていく」
「ガトウ横暴ッ!」
「巫女の習性その一。テオ・アルン・フェーダ・トーメルテムは何かと落ち込んでいると毛布を被る」
「な、何それ!?」
「巫女の習性その二。テオ・アルン・フェーダ・トーメルテムは毛布を被るとか解りやすさが三倍になる」
「ガ、ガトウ!!」
「巫女の習性その三。テオ・アルン・フェーダ・トーメルテムは解りやすさが三倍になるととりあえず泣いている」
もう一度毛布が剥ぎ取れそうになって抵抗する。
「へ、変な事言って! ダ、ダメッ!? ガトウそれ以上したら怒――」
体をそのまま持ち上げられ抱きしめられて、頭が沸騰した。
「泣いてると美人があのオババ顔になって陰険属性が追加されるぞ。ヤンデレになる前にそのダークサイドから帰って来ないと置いていく」
「馬鹿・・・」
暴れようとして、力が抜けた。
「心配は幾ら掛けてもいい。落ち込むのも悩むのもいい。どんより暗い思考で沈んでようがオレは兎や角言わないし詮索もしない。ただ」
「ただ?」
「傍に居て欲しい時は言え。その程度は約束の内だ」
「え?」
「言ったはずだ。一緒に死んでやる。忘れたか?」
「―――うん」
そっと下ろされる。
立つと毛布が足元に落ちた。
背を向けられていた。
「幕屋の前にいる」
その背中は追い掛けても追い掛けても近くならないようで寂しい。
けれども、いつだろうと自分の前を歩いてくれる誇らしくて厳しい背中だった。
*
ワイベルトには数人の巫女が大きな街の守護に付いている。
だから、誰もが安心して暮らせている。
街を守り続け骨をその地に沈める身で、他の巫女の力を借りなければならないのは屈辱だと思っていた。
そう、思っていた。
【ユネル様。周辺住民への通達完了しました。夜半までにワイベルト全集落の住民は周辺の街へ避難を完了します。東のクォーネと北のラウ、南のヘリヴェンで今夜にも避難準備が始められるそうです】
【賢者から何か伝言はありますか?】
【『力加減を間違えないように』との事です】
【解りました。前にいる人達に下がるように言ってください】
【はッ】
音に聞く空の竜のみで構成されるフェノグラシアバンド。
その中で年上の者達に敬われている少女。
街の外れ、ワイベルト中央のレオドセルへ続く方角に彼女は立っている。
その赤茶けて跳ね乱れた長髪を靡かせて、彼女は立っているだけだ。
しかし、その立ち姿に感銘を覚えてしまうのは同じ巫女だからか。
それともたかだか十数歳の小娘と侮ったはずの少女に力を感じたからか。
あるいは単に【格】の違いというものを見たからかもしれない。
その達振る舞いの一つ一つに見て取れるのは自らを律する力。
巫女の作法という古い掟は今の世では中々お目に掛れない。
それを身に染み込ませた人間なんて今では生き残っている歴戦の大巫女ぐらいかもしれない。
作法を叩き込まれる事は巫女として当たり前の事。
それでもいざという時、そんなものを自然に出せるような余裕は普通の巫女にない。
生きるか死ぬか。
そんな時間が迫る中で取り乱し、泣き崩れ、恐怖に震える事は当たり前。
それでも戦うのが巫女なのだ。
【行くよ。ドーちゃん】
それは彼女の下から湧き上がった。
巨大な鋼の塊。
遥か天を突く筒も雄々しい地の竜。
それが前傾し、筒を水平にしていく。
【撃って】
閃光。
筒より迸る輝きに思わず眼を庇う。
しかし、庇ったはずの腕を空かす程に光が高まっていく。
【ん・・・】
不意に光が消える。
唐突な終わりに腕を退ける。
瞼に焼付く光を頭から降り払って、よく見る。
もう竜は消えていた。
まるで全てが幻のよう。
其処には彼女が立っているのみ。
「?」
耳に水音が響いた。
輝きによって辺りの水から立ち上った湯気が風に浚われていく。
「ッッッッ?!」
彼女の前にある光景に自分の頭がおかしくなったのかと疑う以外なかった。
彼女の前にはただ道があった。
街の一番大きな通りと同等かそれ以上の幅と深さを持った道が。
全てを抉り取った道には周囲から水が流れ込み始めている。
何処までも何処まで一筋に続いていく道の先は見えない。
流れ込む水の音だけが全てを現実だと教えてくれていた。
【運河の形成は終わりましたと賢者に伝えてください】
【はッ、お任せください。それではこれから北のラウへ移動を】
彼女がこちらを向くと近付いてくる。
その顔には薄らと汗が浮いている。
「―――」
勝手に背筋が伸びた。
初めての男に惑う初心な乙女のように動悸がした。
「後の事は手筈通りお任せします」
下げられた頭を慌てて上げさせて、ただただ恐縮する。
後に知った名を一生忘れる事はない。
彼女はあの奉審官であるカウンホータの家系に連なる者。
ユネル・カウンホータ。
彼女の笑みはただ強く、ただ美しかった。
*
「マスター」
言われて自分の意識が落ちていると知り、頭を振る。
「・・・少し眠ってたかしら。進捗状況は?」
「少しお休みになられては如何ですか? さすがに二日間起きていては・・・」
子供に疲れを指摘され自分の歳を痛感する。
「いいわよ。寝る子は育つけれど寝る大人はただ呆けるだけだもの。それより報告を」
空の上。
星が瞬く以外は数本の蝋燭の明かりが映し出す闇夜。
祭りが始まるまでの緊張を孕む空気。
その中で自らを張り詰める作業が昔程簡単では無くなってしまったかもしれない。
「現在のまま進められれば四日目の昼までには何とか間に合うかと」
「そう・・・各自の疲労度合は?」
「年少の者はほぼ疲労で動けないようです。他の者は体力的にはまだ大丈夫ですが、万全の時からすれば戦力的に七割程とあまり芳しくありません」
「余力は無いわね。でも、戦力を分散させて戦う事を覚悟していたから、それからしてみればマシな状況かしら。あの子の案が無ければ少なくない犠牲者が出ていたでしょう」
「はい。こんな方法で避難を円滑に進めるとは思ってもいませんでした」
台の上ワイベルト一帯の地図上。
東西南北にある四つの街から中央のレオドセルへと引かれる四つの線。
複数の大きな支流を巻き込んだ線はただ真っ直ぐに如何なる障害物も無く通っている。
「竜を土木作業に使うなんて正気を疑ったかしら?」
「はい。そもそもこの作業はユネル様以外には為し得ません。それにこれ程の長距離をたった一日で【溶かし削る】なんて・・・」
「でも、道はもう二本貫通したわ。レオドセル付近まで一直線に船で行ける避難路が。あの子は上手い事考えたわよ。こちらが最も懸念したのは四日目の狂乱時に戦力を分散させる事。それを最小限に留め尚且つ守る拠点の数を減らした。被害を最小限に抑える方策としては妥当。少なくとも私達の一番の利点である集団での戦闘を考慮に入れてる辺りが憎いわ」
「ですが、避難路の形成や避難警護の為に我々は疲弊を余儀無くされました。複数の集落と避難民へ走らされたツケは戦闘で払う事になるかと」
「最後に道を造る東のクォーネからの避難民を守り切ってレオドセルへ籠城出来れば何とか持つでしょう。今さっきレオドセルで戦う子達の編成を持って来たわ」
台の上にある紙を差し出す。
「これは――――」
絶句する今年で三十の娘の顔に思わず笑ってしまう。
「フェノグラシアを六隊に編成。ユネル・カウンホータを軸に時間毎に二隊を交換。疲労の度合によって各隊の人員変更。これを見る限り私達を随分熱心に見てくれていたようよ? 各自の力量や経験の差から見て配置はほぼ完璧。少し手直しをしてから写して配布して頂戴」
「は、はい! それにしてもいつの間に・・・」
「観察されていたのは案外私達の方なのかもしれないわ」
「・・・では、さっそく!」
「慌てず転ばず急ぎなさい」
娘がその場からいなくなる。
静寂に身を浸しながら蝋燭の炎が揺らぐ音に耳を傾ける。
「本当に面白い。あの子は一体、誰なのかしら」
思い出されるのは数時間前に来た賢者と称される者の顔。
これ以上は無いという奇策を持ち寄り、今は新たな編成を持ってきたにも関わらず、浮かない顔のまま話す姿。
【この占術結果をオレは信頼してない。竜の到達時間や到来の方角、竜の数はかなり変動が予想される。東で最後の避難が始まる前にレオドセルが襲撃される可能性も無くはない。その場合に備えて最終日は編成した六隊の内四隊とテオを置いていく。テオは街の防衛に関してはユネルより使える。もしも何かあった場合はテオに指示を仰げ】
心配症な顔は今にも胃の病になりそうな程に暗かった。
自らを信じる事無く、自らを誇る事無く、その選択を常に疑いつつ、手探りで前に進む。
そんな姿は見る者が見れば賢しらなふりをする愚者と思うかもしれない。
自らが信じられない事を自らが疑う事を他人に強要出来ているのは単にその発想の奇抜さと的確さ故。
もしも、大賢者の風説を聞かずにあの案を聞いたなら一笑に付した可能性もある。
あの賢者と呼ばれる者は人間という面では何一つ信頼に足らない。
ただ、その視線が見通しているものが恐ろしく的確なのは疑いようがない。
まるで最初から何もかも知っているかのような用意周到さ。
幾重にも張り巡らせる予防策は一日目にしてかなりの量に上った。
【幸いにも此処は水が豊富だ。テオの竜は水の竜の中でも最大規模。レオドセルまで水路を引くついでに堀を作って流し込む。少なくとも地の竜に対しては効果があるはずだ。守りの要としてテオを置いて一帯の地の利を確保すればフェノグラシアが警戒する必要がある竜はほぼ空の竜だけになる。深さと幅はもう決めてある。ユネルの竜の力で一度辺りを掘り起こせば基礎工事はすぐ終わる。残った土砂は防壁に加工が可能だろう。街の方にはあんたの名前で話を通して欲しい。設計はこっちで細かいところは現地の人間に任せる】
たった四日。
しかし、そのたった四日で夢想染みた案は現実へと成り替わろうとしている。
男としては未熟に過ぎる。
人間としては信頼に足らない。
なのに、ただ一つ【賢者】という名で呼ばれた時、その者の言葉は万言に勝り、人を動かす。
(誰もが思ってしまうのでしょうね)
このふざけた男の言っている事に賭けてみたい。
この男の理屈にならば勝機があるかもしれない。
奇想と誰もを納得させる理知的な回答がそう錯覚させる。
その男の言っている事が可能か否かではなく、縋るに足るだけの幻想かどうか。
たった一つその点でリオーレンの大賢者と呼ばれる者は他者を動かす。
理知的な夢想を現実へと昇華するペテンは、
(そう・・・奇跡と呼ぶに足るのね)
カウンホータ。
最古の巫女の家系の女はその賢者を称し、こう言った。
【リオーレンの大賢者? 婿殿にそんなお偉い称号は似合わんのう。ふむ、婿殿を一言で言い表すなら詐欺師。いや、奇術師と言ったところか】
疑問を投げ掛けるこちらに対し笑いながら女は言った。
【婿殿は誰かが気付けば言える事、誰かがやれば出来る事、それしか言わん。それはつまり我々が囚われている既成概念というやつを粉々にするんじゃよ。巫女でなければ竜は退けられんという事実が婿殿のせいで欺瞞に為り下がった。それはつまり人々の意識を変えてしまったという事に外ならない。婿殿の言う事は何もかもが奇抜に過ぎ、不可能に思えるが、よく考え検証すれば、やれない事は無いものばかり。婿殿はあの日あの子に奇跡を見せ、このリオーレンの地を救い、この老いぼれを変えた。だが、その奇跡の中身は【よくよく考えてみたらこんな方法があったかもしれない】程度の話じゃったよ。要は考えない者には辿りつかない答という事かねぇ】
奇跡の内容は誰もが考え付けるのに誰も考えようとしないものだった。
そう言われた時、初めて賢者と呼ばれる少年に興味を持った。
大巫女それも奉審官に【考え無し】だったと反省させるとは如何なる男なのかと。
その結果はもう既に現れている。
竜に備え自らを万全として時刻になれば竜へ騎乗し彼の地へ馳せ参じる。
それは遥か古から変わる事の無い巫女達の普遍的な在り方。
だというのに今の状況を見れば、万全とは言い難く、疲れ竜と対峙する余力も少なく、走り回り、多くの困難に直面している。
溶かし削る線上の集落を説得し、街と街を飛び交い、避難の誘導警護を任され、多くの人間と折衝を繰り返している。
こんなのは巫女の仕事ではない。
そう言うのは簡単だったはずだ。
しかし、素案を紙で配られた時、誰も異を唱える者はいなかった。
異国の文字でただ三文字を台に投げ放ち、全ての巫女を前にして案を語ったリオーレンの賢者はこう言った。
【オレのような見ず知らずの他人の言う事なんて信用するな。オレみたいな適当な奴の言う事なんて丸呑みにするな。ただ、この案を自らの目で見て賛同するに足ると思うなら行動を持って示してくれ。もしもここが間違っていると思うなら意見を、もしもあそこはこうだと知っているなら情報を、ただやれると思うなら足を、この案に貸して欲しい】
その声に娘達は、静かに耳を傾け、目の前の男を見つめ、そっと紙を手に取り読んで、自らの中で噛み砕き、承諾した。
頷いた者十名。
意見を述べようと手を上げる者十名。
さっそく出る準備をする者十名。
其処に結束は成った。
「見せてもらうわ。リオーレンの大賢者ガトウケンジ。貴方を・・・貴方の力を・・・」
いつの間にか近くなっている夜明けを見つめ、傍らにある空の酒杯を握り締めた。
*
カチコチカチコチ。
飛行船館内に据え置かれている時計は正確に秒針を刻んでいた。
ふるふると震える睫毛に臆病な子猫の髭を想起する。
「・・・・・・」
フェノグラシアの歳若い巫女達は張り詰めた空気の中、連日の作業で疲れ切っていた。
未だ守られるべき年齢にも関わらず誰もがグッタリと睡魔にやられている。
仮眠を取って一時間は経っているが体はピクリともしない。
「・・・・・・」
緊急時という事もあり、各自の部屋ではなく大きな食堂での雑魚寝は体が冷えないようにと一面に毛布を敷きつめて行われていた。
後一時間もすれば竜を出せる程に回復した者は作業の前線へ。
そうでない者は幾つかの折衝を受け持つ為に街へと下りていくことになる。
「・・・・・・」
そっと起き出して幾人かの毛布を被せ直す。
不意に手が震えている事に気が付く。
自分のしている事が恐ろしくなったのかと内心に問えば、それはそうだと連れない答。
間違っても武者震いの類ではないところが何とも自分らしく、嗤えた。
もしもバルトメイラに地獄という概念があるならば、あるいはそれに類する世界が存在しているとするならば、間違いなく地獄行きな我が身だった。
巫女達に本来とはまったく異なる仕事を強要した。
それで戦闘が綻びれば、避難民の防衛は言うまでもない結果になる。
今までも確かに同じような事はしてきた。
だが、今回は決定的に今までと違う。
別に異世界人が幾ら消えようと自分は切り捨てられる。
悲しいとも思わない。
ただ、出会ってしまった、親しく思ってしまった、そんな人間が消えてしまうのは許容出来ない。
今回の件には親しい者が多過ぎた。
自分の中に持つ優先順位は明確だ。
しかし、それと守りたい範囲は一致しない。
昔ならば、観察対象に何の感情も覚えはしなかった。
昔ならば、日常的に会う人間にだってこんな事思わなかった。
きっと、壊れた人形みたいに見捨てる事は簡単だった。
「(この大馬鹿野郎)」
食堂のカウンターに凭れて瞳を閉じる。
思い出されるのは顔だ。
自分の音楽を聞きながら涙している者、感動している者。
賢者様なんて。
そんな大そうな人間じゃないというのに。
誤解しながら親しくしてくれた人々の顔。
(きっと、街なんて本当はどうでもいい。ただオレは・・・)
フェノグラシア。
数十人の女性達。
ただ親しくしてくれた人々だけが救われるなら他は死んでも構わないと本気で考えている。
けれど、そんな人々に指示したのは新しい死地への道。
最も犠牲が少なく、最も巫女達の死亡率が高い戦場への片道。
(オレがこんな気持ちになるなんてファンタジーも末か)
責任なんて感じていない。
誰かが死ねば、たぶん空しく思うだけだろう。
けれども、でも、そうだとしても、壊れた馬鹿の言い分に、他人の命なんて何とも思わない男の話に、耳を傾けてくれたお人よしな人々を、心の底から死なせたくなかった。
何てみっともない男か。
何とふざけた男か。
全てはもう回り出している。
自分が望んだ通りに。
自分が願った通りに。
死人が出れば7割方は自分の責任で後は誰かの責任だと計算し、死人を数で勘定し、まともな人間らしさなんて欠片も無い命令を躊躇わないだろう癖に、こんな今更な感情に惑う。
「・・・・・・」
涙はただの塩水と言い切れる自分が疎ましく思える日が来るなんて考えもしなかった。
「賢者様」
顔を上げる。
そこには複数の瞳があった。
「どうか泣かないでください。私達は賢者様がいなければ沢山の人をきっと守り切れませんでした」
初めて自分の左頬に熱いモノが流れている事に気付いた。
慌てて拭う。
「あ・・・いや・・・」
何かを言う前に眠っていたはずの少女達が立ち上がっていた。
「私達は元々、倍の人数でした」
「――――――」
その言葉にハッとさせられる。
考えるまでも無い。
少女達は『狂乱』という暴威の前を何度も通り過ぎる度、仲間を失っていたはずだった。
代表するように言葉を紡いでくれる少女が何かを思い出すよう胸に手を当てて瞳を閉じる。
「賢者様があの案を考えてくれなければ数千の人々、半分以上の仲間が倒れていたかもしれません」
「結局、犠牲は出る」
反論に少女はたじろぐどころかとても強く強く、微笑んだ。
その笑みに自分を救ってくれた少女達の姿が重なる。
「巫女とは竜を退ける者である前に自らを捧げ終わっている者です。私達は自分が朽ちる事は厭いません。悲しいとも苦しいとも怖いとも逃げ出したいとも思うけれど、それは生き残った人間の特権です」
「そんなのは正気の人間がする事じゃない」
そんな壊れた人間の言い分に笑顔が返る。
「はい。たぶんそうだと思います。でも、賢者様がいてくださったから【いつも】より楽しく過ごせました。あの演奏一生忘れません」
「ッ」
歯を噛み砕きそうになった。
あんな気の抜けた演奏に向けられるには過ぎた言葉だった。
「死んでまで護ったら何が残る? 仲間か? 家族か? 見知らぬ他人か? 自分が生き残れない戦場に命を賭しても、自分より大切なものを亡くしていくのがオチじゃないのか?」
少女が他の少女達と顔を見合わせてからクスクスと笑い始める。
「賢者様。賢者様がそんな事を言うのはおかしいですよ? だって」
少女達の瞳にはただ情けない男が写り込んで、
「賢者様をここ数日見て私達皆思ってたんです。賢者様って巫女みたいな人だなって」
ダダをこねる子供のような表情をしていた。
「賢者様がユネル様とテオ様を大切に思っている事、とても伝わってきました。だって、普通の人は竜に乗って巫女と一緒に移動したりしません。巫女に本気でお説教したりしません。本気で恋をしたりなんて、そんな【無為】な事しません。なのに賢者様は・・・」
「オレはそんな出来た人間じゃない。オレはただ・・・」
異世界から来た人間だから、そう思わず言い訳しようとして、
「私達が竜から人々を守ろうとする巫女なら、貴方は竜から巫女を守ろうとする賢者。ふふ、すごく格好良いです」
自分がどれだけ安い言い訳をしようとしていたのか知る。
現実と幻想。
どちらだろうと関係ない。
人を思う気持ちに場所なんて関係ない。
傾向や性質はあるかもしれない。
その【世界】によって【形】と呼べる何かは違うかもしれない。
けれども、どんな世界でも、どんな国でも、人間という種はきっと【思う】事だけは止めないし、止められない。
そこに現代日本も異世界もありはしない。
「私達もいつか賢者様みたいな好い人が出来たらいいんですけど。さすがに時間が足りないみたいですから、ユネル様とテオ様を幸せにしてあげてください」
少女達に一斉に頷かれて、まともに顔を合わせられなくなる。
「―――」
何も言うべきではないのかもしれない。
絶望よりも残酷な希望なんて述べるべきではないのかもしれない。
ただ口を噤み、頷くだけで全て治まるのかもしれない。
けれども、大切な人の為に優先順位を付けて容赦なく切り捨てるだろう対象に言葉を紡ぐ。
「また弾いてやる」
「え?」
「この戦いが終わったら今度は好きなだけ注文を付けろ。どんな曲でもどんな旋律でも俺が弾ける限りの曲をフェノグラシアに贈ろう」
『『『『『『『『『『『――――――はいッッ!!』』』』』』』』』』』
顔を見合せてからパッと顔を輝かせる少女達に約束した。
そんなちっぽけな、ただ少女達の前途に誓う約束を。
*
【どんな曲でもどんな旋律でも俺が弾ける限りの曲をフェノグラシアに贈ろう】
食堂に続く入口の横でしばし待つ事にした。
あの和から漏れる声をもう少しだけ聞いていたいからかもしれない。
せめてもう少し。
小さな希望に水を差さずに。
(自分は今まで何をしていたんだろうな。あんなあの子達の笑顔を知らなかった。誰かが消える度にただ励ましてばかりで・・・あの子達に希望なんて見せてやれていなかった・・・)
同輩が竜に向かい二度と戻ってこなかった日。
ただ泣き崩れただけだった。
泣き出す後輩達に強がり励ましていただけだった。
巫女に向いていないと言われ、何が向いていないのかと憤り、考えても出ない答に煩悶し、日々をただ自らを作るだけで精一杯になっていた。
覚悟はあるつもりだった。
巫女として竜を最後の一匹まで打倒し倒れる事を、仲間を守り死に向かう事を、覚悟していた。
だが、そんな覚悟が何になるのか。
いつもいつも考えていたのは【終わり】ばかりだ。
誰よりも強くなろう。
誰よりも早くなろう。
誰よりも誰かを救える者となろう。
そんな誓いに何の価値がある。
あまりにお粗末だ。
今ならば解る。
今ならば言える。
自分に巫女など百年早かった。
なろう。
なんていい加減な言葉なのか。
死を覚悟したからどうだと言うのか。
それは巫女となった者が最初から【もう覚悟していなければならないものでもう当たり前である】はずのものだ。
「くそ」
今まで共に暮らしていたわけでもない一人の男は巫女達に行動で巫女が幸せになれる事を証明した。
巫女のように竜の力など使わずとも竜と戦えると証明した。
後輩達の笑みが全てを雄弁に語っている。
「自分より貴様の方が余程巫女らしいとは・・・まったく・・・」
自分はあの森で絶望した小娘のまま。
自らを繕う事だけに終始しただけの紛い物。
自らを捧げ終わっているどころか。
捧げる自らすら無く嘆いているだけの。
「う・・・く・・・ぅ・・・」
今更のように思う。
巫女に成りたい。
強くなくていい。
速くなくていい。
大勢を救えなくともいい。
ただ、誰にも背中を見せる巫女に成りたい。
仲間達に希望を灯し、傍にいるだけで誰もを明るく照らし出すような、そんな巫女でありたい。
せめて後ろにいる誰かぐらいは自分の力で守れる巫女でありたい。
ユネル・カウンホータがそうであるように。
テオ・アルン・フェーダ・トーメルテムがそうであるように。
力が無くとも己を研ぎ、竜に立ち向かう術を模索する賢者のように。
「・・・ぅあ・・・ふ・・・ぅ・・・」
こんな顔は見せられない。
もう流さないと思っていた涙はまだ巫女ではない誰かの涙だから。
巫女は静かに御淑やかに泣くものと昔から決まっているのだから。
(これでこんな風に泣けるのは最後だ)
涙が枯れたら歩き出そう。
彼が示したその道を。
背後に続く者達に自らを誇れるように。
*
そっと彼らの様子から目を離す。
その温かな在り様に苦しさを覚えて。
「はぁ・・・」
もう少しで戦いが始まる。
生き残る者と死に逝く者が選別される。
その時、竜の不思議な落し者である彼はどんな選択をするだろう。
「賢者・・・ガトウ・・・坊や・・・婿殿・・・貴様・・・」
彼は気付いているのだろうか。
この世界に未だ自分が存在する理由に。
「臥塔賢知」
視点を切り替える。
辺りの景色は地平まで続く雪原となっていた。
一本限りのアスファルトの道に降り積もる雪は薄く。
世界は曇天。
しかし、そこに小さな光が差し始めているのを見逃さない。
雲に空いた一筋の切れ間から光が世界へと溢れていく。
そのまま光が満ちるか。
それとも闇に沈むか。
(全ては彼の御心のまま)
均衡は崩れていく。
「私は見続けましょう。貴方の物語を・・・それが・・・私の責任です・・・」
誰にともなく言って、視点を転じる。
彼はいた。
その世界の真ん中に。
彼方を見据え、動く様子も無く、何処か哀しそうに立っていた。
巫女達が彼の後ろに付き従っている。
明け方の街に輝きが奔る。
太陽よりも眩い一筋の光芒が何かもを染めていく。
一つの道が完成し、水路となった。
船が無数に浮かんでは街から遠ざかっていく。
【これより避難民の護衛に付きます。殿はこちらで受け持ちますのでお早く】
巫女の一人の言葉に彼は首を横に振る。
【悪いが手遅れだ】
【え?】
【来るぞ。総員迎撃態勢】
【総員迎撃準備!!】
彼女が小さく首を傾げて彼に訊く。
【賢者。こうなるって分かってたの?】
【悪役はいつだって正義の味方が準備を終えるまで待ってる。それがお約束だ】
【大丈夫?】
【ああ】
十一人の巫女達は慄く事無く前を見据えた。
幻想のように現れた竜の群れは何かもを埋め尽くすように森を蹂躙し街へと近づいていく。
誰もが彼の言葉を待っている。
【逃げるなら今だ。引き返したい奴はいるか?】
彼は微動だにしない巫女達を見て苦笑した。
【泣き事の一つも無いなら、オレから言える事は二つ】
彼が手を翳し号令を掛ける。
【勝て、死ぬな、それだけだ】
応える巫女達の声に迷いは無かった。
巨大な竜の上。
彼女に彼が叫ぶ。
【ユネル!!】
【ドーちゃん。行くよ!!】
結末を望まれて、竜達の咆哮が轟く。
「見せてください。貴方が示す世界の行く末を・・・終末の大賢者よ・・・」
撤退戦。
彼と彼女達の生き残る為の戦いが始まった。
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