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第三章 覆る盃

次回、第二話最終章とエピローグを投稿します。

第三章 覆る盃


黄昏に凪いだ海を見つめ続けるそいつに声を掛けるべきか迷った。

巫女様が倒れた日以来、よくそいつを街のあちこちで見かける。

街の誰もがそいつに頭を下げるようになった事は記憶に新しい。

不満に思っているのは親衛隊の連中だけになってしまった感がある。

評判を聞けば、悪いものは少ない。

見聞を広めるという目的で多くの商店や工房を訪ねては見学して帰っていく。

礼儀正しい少年に街の人間は育ちの良さを感じ、さすが巫女の従者様と言う人間まで現れる始末。

猫を被るのが上手いのは間違いない。

その面の皮の厚さは並大抵ではないのだろう。

街の娘達の中には『あの常の無表情や感じの良い笑顔がいい』という者までいる。

それが仮面であると気付いているのは極一部しかいない。

裏の顔は無愛想でどんな事にも動じない皮肉げな笑みが隠れている。

一度目は牢で裏の顔を見た。

二度目は先日、表の顔にしてやられた。

三度目は果たして如何なる顔を見せるのか。

得体の知れなさだけが際立つ男。

ガトウと呼ばれるその男は巫女様の傍にいながら、何を考えているのかまったく解らない。

だからこそ、巫女様にとって男がどんな立場になるのか見極めたかった。

巫女を利用しようとするような輩ならば排除し、それ以外ならばそれなりの態度で接することもあるかもしれない。

「そんな所で何をしている」

「なんだモブか」

「今、何を言われたか解らないが喧嘩を売られたって事でいいのか?」

桟橋の横に佇むそいつの視線がやけに印象的だった。

黄昏を映す瞳は深淵を湛えているようにも感じられた。

「言っておくがオレは喧嘩が弱い」

「随分と弱気だな。この間みたいに取り繕わないのか?」

「お前はオレの事をそれなりに観察してたはずだ。意味の無い事に労力を割くのは無駄だ」

「どうして巫女様に近づいた?」

「テオは死に掛けてた。オレは命は救ったが心までは救ってない。せっかく助けたのに死なれたら目覚めが悪いだろう? その程度の話だ」

「巫女様はやはり、御自分で命を・・・」

「心当たりが在り過ぎて困るか?」

「よそ者に何が分かる!!」

「何も解らない。お前達が知る以上の何かなんてオレは知り様がない。誰よりもこの街の連中がテオについて詳しいはずだ。だが、詳しくとも行動しない以上、テオにとってオレより優先順位が低いだろうな」

「言わせておけば!?」

「大当たりか? なら、止めておけ。お前自身が痛いだけだ」

「ッッ」

思わず拳を振り上げそうになって自制した。

言われた通りだった。

腹の立つ事に男の言った事は事実で、何よりも巫女様の為にと言いながら自分の不満をぶつける行為を自分は許せない。

「自覚があるのか? なら、お前・・・いや、お前達街の人間の選択肢は一つだけ。何もするな」

「何だと!?」

「見捨てたなら何もするな。お前達にできる事はたったそれだけだ」

「見捨ててなどッッ」

「いないとでも?」

「ッ?!」

拳をただ握り締める。

「人間観察が案外得意なオレから言わせればテオは巫女として心が未熟過ぎる」

「オレ達の話ならまだしも巫女様への暴言は許さないぞ!!!」

凄んでみても目の前の男は何一つ堪えた様子もなく続ける。

「力云々の話じゃない。巫女としての在り方がそもそも投げやりに見える。それはどうしてか? 考えてみたが回答は一つだ。それはこの街の人間のせい。これで間違いない」

「オレ達が巫女様を投げやりにさせてるって言うのか!?」

「あくまでオレから見たテオの一面への分析だが、それなりに当たってるはずだ。まず前提条件として巫女の心構え的なものがあいつにはない。巫女が本来持っているはずの人々を守る意識が希薄だ。それは裏返って自分にも返り自身の命すら投げやりに扱わせた」

「どういうことだ・・・」

「お前らを守りたいと思わないから自分も守らない。つまり誰かを大切にできないって事だ。その原因を分析してみたが、原因は三つ。一つは自身の力の未熟さへの失望。一つは街から追放される事への不安。そして、最後の一つはコミュニティーへの帰属意識の低さだ」

「コミュ?」

「つまり、あいつは自分の力の無さに絶望し、そんな自分が街から追放される事は当たり前だと絶望し、自分の寄る辺を無くして絶望し、最終的に全部どうでもよくなった」

「寄る辺・・・」

「自分の在るべき場所が無い、頼りにしている人、傍にいて欲しい誰かがいないって事だ。そもそもアウタスとしてこの世界に生を受けたテオがこの世界で頼りにしていた人間はたった一人。先代の巫女だけだった。その先代が死んだ時、テオの寄る辺として新しい誰かが必要だった。でも、この街の人間はテオを追放するという事を決めていた。先代の遺言通りにな。言っている意味は分かるだろう?」

「どうしてそんなことを知ってる?!」

皮肉げな笑みだけを返して何も応えず。

男は続ける。

「しかし、問題はそこじゃない。それだけなら問題にはならない。問題は街の人間が遺言ではなく実利的な面でテオを追放しようとする意識と、その意識を自覚する故のよそよそしさにある」

難しい話はよく解らない。

しかし、目の前の男が語る言葉は胸を刺すような鋭利さを伴っていた。

思わず唾を飲み込んで身構える。

何もかもを言い当てられるのではないかという不安。

自分に巣くう疚しさが胸に痛かった。

「簡単な話だ。お前達街の連中がテオにもっと温かい言葉を掛けてやれば良かった。寄る辺を失ったテオにもっと優しくしてやればな。心から安心させてやって、例え別の場所に行く事になろうとずっと此処は故郷だと、帰るべき家だと、街の誰もがテオに教えてれば何も問題なんて無かったんだ」

愕然とする。

「巫女・・・様・・・」

その言葉は自分の心の片隅で常に燻っていた思いだった。

どうして誰も巫女様にもっと優しくしてやらないのか。

よそよそし過ぎるんじゃないか。

そういつも不満に思っていた。

「だが、どうだ? そんな言葉は掛ったか? 心の底から掛けた人間はいたか? テオを街から追い出す引け目を感じて笑顔を作ってなかったか? あるいは自分の心を知られたくないからとテオの悲痛な無言に沈黙してこなかったか?」

「――――――」

【そうですか】

耳にこびりついて離れない声に胸が軋んだ。

「あいつにとって此処はもう先代の巫女がいた場所くらいの価値しかない。寄る辺ではない此処に執着が無いからあいつにはこの街が守れない。そして、街を守れない巫女に街にとっての価値が無い以上、お前達があいつを引きとめる事はない。利害で自分を見捨てた人間から優しさを受けても鞭を打たれてるようなもんだ。上辺だけの優しさなんてあいつを傷つけるだけで何の意味もない」

「・・・・・・」

「だから、もう一度言う。あいつのことを思うなら何もするな」

「お前なら・・・」

「?」

「お前なら巫女様に優しくしてやれるって言うのか!? お前ならオレ達とは違う事が出来るって言うのか!!」

「やれるから関わるのか? オレにやれる事は限られてる。オレにはお前達みたいにテオの事が分からない。年頃の女を喜ばせる方法なんて知らない。オレはあいつの寄る辺になれるような人間じゃない。だが、オレは迷子の子供には手を差し伸べる主義だ。ほんの少しの時間を割いて親を探してやる程度には常識的だ。その程度すらしない誰が何を言おうと耳を傾ける気はない」

日がもう沈みかけていた。

目の前で暗い影に沈んでいく男の唇が微かに曲がる。

その影はまるで人間とは別の何かのようだった。

(こいつは何なんだ。どうしてこんな奴を巫女様は・・・)

喉が干上がる。

悪い何かが胃に住み付いたようにチクチクと痛む。

顔全体が闇に隠れてよく見えない。

にも関わらず何故か目の前の男が自分を冷笑している気がした。

カツカツと靴音を響かせて男が横を通り過ぎていく。

「もうすぐ全部終わる。自分に何がやれるか。よく考えてみる事だ」

夜が空を黒く滲ませていく。

天へ掛る月に照らされて黒く黒く影は道の先へと消えていく。

ただ呆然とする以外何も出来なかった。



「ここら辺はどうなってるんだ?」

凪いだ海は深く沈黙を湛える。

街の周辺を調査していて見つけた砂浜は何処ぞのビーチかと見紛う美しさと海水の透明度を誇っていた。

月の出る夜は明るい。

「・・・・・・」

地図など珍しい世界にあって周囲の地形を確認しておくのは重要だ。

あらゆる戦闘行為は周辺環境との戦いでもある。

密林で戦う兵士と都市部で仕事をするスナイパー。

両者はどちらも局地での戦闘行為において威力を発揮する。

バルトメイラでの竜との戦闘にも同じ事が言えた。

その周辺環境に適応特化した巫女がその種の竜を倒す。

分業は効率化の最も原始的な方法だ。

地の竜。

水の竜。

空の竜。

その三つを操る三種の巫女達。

(ユネルにいつまでも水の竜が撃退出来るとは思えない。いつか苦戦は免れなくなる)

ユネル・カウンホータは超人だ。

それは驚異的な身体能力だけではなく扱う竜に関しても言える。

ドーラ列車砲。

旧ドイツ軍の戦略兵器。

そんな超大物を軽々と扱い、それを持って戦術を成り立たせるという曲芸じみたオールラウンダー。

それが巫女ユネルの真価だ。

数十キロ先まで届く砲撃と機敏な照準はあらゆる局地戦で威力を発揮する。

空の竜ならば砲撃を点(弾丸)ではなくビーム状として放ち目標をまとめて蒸発させる。

地の竜ならばドーラ列車砲単騎で数千の目標を区画ごと殲滅。

文字通りの戦略兵器として使用する。

水の竜ならば相手の移動速度の遅さを突いて百発百中の精密射撃で敵を湊に近づけない。

事実上、許容量以上の数が相手でもなければユネルの優位は揺るがない。

しかし、その優位も絶対ではない。

大量の水の竜や空の竜が襲来した場合、確実に一匹残らず撃ち滅ぼすというのは現実的ではない。

だからこそ湊周辺の調査をしていた。

「・・・・・・」

最適な砲撃地点。

撤退や避難誘導の際に必要な退路。

反撃に際しての有力候補地。

数え上げれば切りがない。

水の竜を相手にする為にも効率的な迎撃方法が必要なのは明白。

(本当ならテオを頼りにするべきなんだろうが)

期待するには早過ぎる。

死のうとしてからまだ数日。

落ち付いているとしてもそっとしておきたい。

「おう。そこの若いの」

辺りを見回してみるが誰もいない。

「こっちだ。こっち」

声の出所と思われる方を振り向くと浜辺の奥まった場所に小さな暗がり。

近づいていくとそれが人が数人出入りできるぐらいの洞窟の入り口だと気付いた。

洞窟の入り口付近の岩にその人影は腰掛けていた。

「ほう? 中々面白い面構えだ」

「初対面の人間に面白いも何も無いな」

声は皺枯れているが女だと分かった。

月明かりが洞窟に遮られ下半身までしか見えないが、もう老境に入っているのは確実。

その片手には小さな金属製の容器が握られていた。

「あぁ? こっちがせっかく話しかけてやったってのに」

容器が口元で傾けられる。

飲み干された先から微かに独特の匂いがした。

「こんな夜に酒で酔っ払ってるなんて随分と幸せな人生だな」

「ふん。羨ましいか?」

「酒は生憎と好きじゃない」

「餓鬼め」

「子供だからな」

「まぁ、いい。餓鬼、このオレが此処でありがたい説教をしてやろう」

「断る」

「とりあえず話はもう二百年は前になるか」

「訊いてない」

「ったく。この頃の餓鬼は・・・なら良いもんを見せてやっから。おら、付いてこい」

そのファンキーな言動の婆が徐に立ち上がると月明かりも届かない洞窟の中に入っていく。

「おい」

返ってくる言葉はなく。

放っておくと何か怒られそうなので止めておいた。

洞窟内部の暗さに踏み出すのが躊躇われて、それでも一歩前に進んだ。

カツカツと進んでいく前の気配へ遅れぬように付いていく。

老婆は暗闇で何も見えないにも関わらず足取りに迷いは感じられない。

暗闇に少しずつ感覚が変調し、狂っていく。

それでも老婆の足音だけは何とか追いかけられる程度の距離で進む方向は逸れていない。

「それで、だ」

老婆は少しずつ狂っていく五感に澄み渡る声で語り出す。

不思議と頭に響く声は口調が乱暴だというのに穏やかだった。

語られるのは東天の巫女についての話、街に居付いた巫女の大冒険譚だった。

巫女は無数の海を渡りながらあらゆる水の竜を倒していく内に海の運行の守護者と讃えられるようになった。

しかし、巫女は負けなかったわけではない。

巨大な空の竜の群れや地の竜の巨群は追い払うだけで精一杯だった事もあったらしい。

時に愛する者を失い、時に親しい者を亡くし、失意に暮れる時もあった。

それでも巫女は自らの守護すべき場所を求めて旅をする。

しかし、時が経つと大巫女と崇められて彼女はいつの間にか一人になる事が多くなった。

誰もが巫女を特別な存在としか見なくなった。

巫女は女であり、巫女は人間であるのに、巫女は独りになってしまったのだ。

そんな世界に巫女が疲れ始めていた時、とある湊で一人の少年に出会う。

少年にとって巫女は憧れの対象だった。

久方ぶりに自分を人として見てくれる相手を得て、巫女は自分が本当は何を求めて流離っていたのかを知る。

巫女は守るべき場所を探していたのではなく、守りたい相手を探していた事に気付く。

気付くには遅過ぎる真実。

それでも巫女はそれに気付かせてくれた少年に敬意を表し、自らをその湊街に封じる。

そうして東天の巫女は自らの生を最後まで巫女として全うした。

「巫女なんて馬鹿のやる仕事だ。自分を捧げ終えた者なんて正気の沙汰じゃない。だが、その力で大切なモノを救える機会を得た事だけは間違いなく幸せだ」

何を説教されているのか朧げに理解して、気付く。

辺りが洞窟内にも関わらず僅かに明るくなっていた。

ヒカリゴケ。

たぶんはその一種。

「ああ、よく解った。解ったがもう二度とこういうのは止めておけ。アイツはそんなに弱くない」

老婆の後ろ姿には見覚えがあった。

「おい。出たぞ。餓鬼」

下品な笑い声が響くと視界が開ける。

暗闇から一気に光の下へ。

ドーム状の空間。

天井にぽっかりと空いた巨大な穴からは中天の月が掛る。

その真下には神々しい二つの耀に照らされた三つの石棺が並んでいた。

老婆はその石棺の真ん中にどっかりと腰を落とすと黒い羽織を脱いで月を見上げた。

見える背中は小さい。

しかし、何もかもを守り抜いてきた巌の如き背中に違いなかった。

「まだテメェは巫女じゃない。あの馬鹿餓鬼にそう言っておけ」

意識が鈍く曇り、体が崩れ落ちる寸前。

老婆は大笑いしながらこう言った。

「後、うちの餓鬼を泣かせたら八つ裂きだ」

過保護どころか過干渉。

まったく、こんな家族が欲しかった。

そう少しだけテオを羨ましく思った。



「ふぅ・・・」

宿屋の借り受けてる部屋で横になっていた。

「賢者どうしてあんなところで寝てたの?」

「っくしゅ。心配症な婆と少し、っくしゅ・・・」

「?」

浜辺で寝ていた愚か者は風邪を召しました。

それ以外の説明は不要な状況である。

「もうちゃんと寝てなくちゃダメなんだからね? 賢者は力無いんだから」

「お前の中だとオレはひ弱で定着してるのか?」

寝台の上で天井を見上げると世界が回っている。

気持ち悪くなり目を閉じた。

「それじゃ、今日も行ってくるね。温かくして寝てなきゃダメだよ?」

一次的に戻ってきただけらしいユネルは何度も振り返ってから部屋を出ていった。

「・・・・・・」

砂浜の洞窟で何に出会ったのか。

実際は解らない。

ただの「アレ」だったのか。

それともこの世界において存在する何かしらの「仕掛け」(システム)が働いた結果なのか。

どちらにしても悪い兆候だった。

何かが起こるとヒシヒシ感じられる。

イベントは次の異変は近いと教えてくれるサインだからだ。

「・・・・・・」

困難に際して死してすら家族を守ろうとする真の想い。

言葉も要らない愛情を一身に受ける少女達。

現実リアルの大人とは大違いな大人達。

そういうものに出会えば、自分が少女達に敵わない道理が見えてくる。

他人の冷たさ。

家族の醜さ。

個人の怖さ。

無意識の悪意。

そういうものばかりを見過ぎたのかもしれない。

現実ではそんなものが当たり前過ぎて、自分の周辺に何も求めていなかったから、心からそう思う。

人の温かさなんて肌身に感じたことは無かったし当てにもしてこなかった。

十数年の生の中で悟った事があるとすれば、それは確実に温かい類のものではない。

何処かのおっさん曰く【経験から学ぶ者は愚者、歴史から学ぶ者は賢人】らしい。

歴史から学ぼうが経験から学ぼうが少し嫌なものが見え過ぎる頭には具体的で人間味に欠けた事実ばかりが蓄積してきた。

何処かの漫画の受け売りだが「力そのもの」には良し悪しがない。

それと同様に「人そのもの」にも良し悪しがない。

結局は視点と結果で良し悪しは決まる。

複雑な事象であればある程にそういう曖昧性、多面性は顕在化する。

広い目で見れば原子力は世界の基幹を担う力だが狭い分野で見れば強力な兵器だ。

子供を虐待する親としつけをする親の違いは解り難い。

熱血な教師なのか勘違い野郎な聖職者かなんて見た目では解らない。

悪意も善意もそういう類のものだ。

価値観の相違によって引き裂かれる一面の真実は常に人が認めたくないものを含む。

その認めたくないものが争いの火種になり、人を悪にも善にもそれ以外にもする。

自分の色眼鏡でそんな認めたくないものを俯瞰した時、見えてくるのは自分という存在への回答だ。

親の愛情を知らない子供。

人の悪意を映し出す瞳。

ストイックな思考。

温かなものをあまり感じないで生きてきたから、何より冷たいものが分かる沸点が低い人間。

それが自分だった。

(なのに、そんなオレは少し変わった)

ユネルという少女と触れ合う事で確実に変化した。

根本的な部分は何も変わらないが、人というものは理屈と感情の狭間で惑い続けるものなのだと感じ、思考するようになった。

少女と共にいる内に自己の内部から湧き上がってくる感情は戸惑うぐらい強く怖い。

その状態を理屈でなら説明出来る。

でも、上手く表現出来ない。

言語にしても文字にしても全ての表現方法を使っても、結局は伝え切れない。

それが少女から学んだもの。

それは凍てついた自分に吹き込まれた一迅の風だった。

「・・・惚れてるな。まったく」

「ガトウ!!」

バタンとドアが開かれテオが駆け込んできた。

「―――」

一瞬、恥ずかしい独白を聞かれたかと焦った。

「テオ。扉は静かに開けろ」

落ち付いてテオを観察する。

汗の滲む額を拭って近くまで早足で来るとテオがこちらを見てから安堵したように脱力した。

「良かった。返事が無いから・・・心配で・・・」

「ただの風邪だ。それより耳が早いな」

「家の者が従者様が風邪を召したようだって言うから」

泣きそうな顔をされた。

「死ぬわけでもあるまいし大袈裟な」

「大袈裟じゃない!? 風邪だって悪くなったら・・・」

大真面目に哀しげな瞳で見つめられて「ああ、そうか」と納得する。

中世ヨーロッパ並みな技術水準のバルトメイラでは現代なら抗生物質一つで治る病気も不治の病に違いない。

風邪は万病の元。

それどころか現代ですら稀ではあるが死者も出る。

簡単な病気でもサックリと逝けるのがファンタジーのお約束の一つと忘れていた。

それこそエリクサーか万能薬で無い限り、医療技術の身発達なバルトメイラでは簡単な病で死ねるのだ。

巫女ならば最高の医療を受ける事も可能だろう。

しかし、従者がそうだとは限らない。

ペニシリン一つ無い世界。

久々に寒々しい事実が胸へ突き刺さった。

唇の端が思わず曲がる。

「何でそんな風に笑うの。ガトウ」

テオが酷く驚いたように訊いてくる。

「心配しなくてもオレはまだ死なない。まだ、やる事が山積みだからな」

「・・・・・・」

無言で見下ろす視線は不安げに揺れていた。

「そんなに心配そうな顔するな。これでも竜に襲われて生きてるぐらいには図太い方だ。それよりもそっちの方はいいのか?」

冗談を言われていると思ったのか、テオの顔が多少和らぐ。

「うん。もう大丈夫だってお医者様が言ってた」

「治ったばかりなのにこんな場所まで来させて悪い」

「そんな事無い。ガトウの病気悪くなさそうで安心した。本当に・・・」

何か申し訳なさそうな顔、そんな顔をする理由に思い至って、思わず笑みが漏れた。

「ちなみに言っておくがオレの風邪はお前から移されたわけじゃない。昨日、うっかり砂浜で寝たらこんなアリサマになっただけだ」

「そうなの?」

おずおずと訊いてくるテオに頷く。

「ああ」

「どうしてそんなところで?」

「賢者のお仕事だ」

「何それ」

「子供には教えられない」

「こ、子供じゃない!!」

「はいはい」

「~~~ガトウ!!」

むくれる少女の様子はそれなりに安定している。

自らの命を断とうとしたとは思えない表情の豊かさだった。

数日前に出会った時とは違う。

目の前にいるのがテオ本来の顔なのかもしれない。

追い詰められ、人を拒絶し、巫女としての自分を作っていなければ年相応の女の子。

当たり前の事を当たり前に受け取れる少女なのだ。

「でも、良かった・・・本当に・・・」

ポツリと言われて、胸に郷愁にも似た想いが巡る。

少しだけ楽しい気分になっている自分に気付く。

「それで見舞いの品は?」

「ガトウ。そういうのは自分で言わない方がいいと思う」

半眼なテオに「まぁ、確かに」と笑い半分で頷く。

「ちゃんと持ってきたから、その・・・目瞑ってて」

目を瞑る。

病気の見舞いの品を貰うなんて人生で初めてかもしれない。

友人はいなかった。

親戚や知り合いが見舞に来るわけも無かった。

病気に掛かれば、お手伝いが定期的に薬を持ってきて着替えさせてくれるだけ。

親は看病なんて柄でもなかったから心配なんてものとは無縁だった。

熱心に子供の看病をする人間は誰もいなかったのだ。

白い天井ばかりを眺めていた自分は今も寸分違わず思い出せる。

「分かった」

「ん・・・」

軽い感触が唇に当たる。

甘い香りに薄く唇を開くとそれが口内に入り込んでくる。

「お返し」

「ありがたく」

それはテオが風邪の時に持っていった飴玉と同じものだった。

何故か仄かに頬を赤くしてテオが見つめてくる。

「おいしい?」

「ああ」

「そう・・・」

しばらくカラコロと飴を口内で遊ばせているとテオが何処か緊張した面持ちで訪ねてくる。

「ガトウに訊きたい事があるの」

「何だ?」

「あの日、湊に近づいてきた竜を倒したのは・・・あの子?」

「ユネルだ」

「そう・・・」

瞳を伏せて何かを考え込むテオに何を言うかは決まっていた。

「街の連中は教えてくれなかったのか?」

「みんな私に気を使ってくれるから」

「そうか」

沈んだ様子だったテオが顔を取り繕い笑顔にすると椅子から立ち上がる。

「後でお医者様が来るよう家の者に言っておくから。私これでもう」

歩き去っていく背に声を掛ける。

「テオ。此処には病人が一人いるだけだ。何かあったらまた来い」

背中が一瞬震えて、何事も無かったようにドアを潜っていく。

「ありがと。ガトウ」

ドアが閉まる寸前、微かに、恥ずかしそうに、嬉しそうに、声は響いた。



裏道を歩き桟橋まで行く。

繋留されている小舟に乗った。

綱を解かれた船を『水閉』を使って沖に出させる。

ゆっくりと速度が上がると漁から戻ってくる船が幾つか脇を通り過ぎていく。

目的の場所まで数時間で付いた。

『水閉』で丸い鏡面を幾つも宙に創る。

【百海里】の内を覗き、今朝見つけたばかりの竜の群れを確認した。

(大丈夫。きっと・・・)

今までこんなに外海で竜を迎え撃った事は無かった。

けれども、急に現れるようになった竜に対応する為にはこういうやり方しかない。

誰よりも早く見つけて誰よりも早く攻撃するのだ。

『水閉』の遠見はあの人が教えてくれた技。

誰よりも遠くまで見えるように競った唯一の技。

ただ、どんなに遠くまで見えても、力無い巫女では意味がない。

一人限りの巫女が湊を離れる事は無理だ。

だから、湊の内側からしか迎え撃つ手段は無かった。

しかし、そのやり方が破綻してしまった以上、やれる事はもう少ない。

【あの子】が湊を守っている間に外海に出て竜が湊へと近付く前に竜を討つ。

それしかない。

「ガトウ・・・ガトウ・・・」

声に出して震えている自分の弱さを何度も何度も振り払う。

何度も助けてくれた声を思い出す。

頭を撫でられた事を思い出す。

自分の内側に触れてくれた優しさを思い出す。

皮肉げな不敵過ぎる笑みで、竜なんて何て事無いと嘯きそうな顔を思い出す。

「ふふ・・・」

不意に自嘲の笑みが零れた。

それを境に心が静まっていく。

波紋の無い心は凪の風情。

「『水閉』迷霧の陣」

動く者を正確に捕捉し、鏡面を掌に載せていく。

思い描くのは箱。

道の先は見えない霧に覆われ、全てが凪がれるまま止まる世界。

霧で群れを寸断し、惑わせ、陽光の仄かな光で導く。

五海里。

十五海里。

二十海里。

「う・・・あ・・・」

体から力が急速に抜けていく。

(まだ、もう少しだけ)

竜は出していないのに竜を使うよりも力の消費が激しかった。

竜を出して戦うよりも力だけを使う方が効率的だというのに体は悲鳴を上げていた。

自分の鼓動が弱まっていくのが分かる。

遅くなっていく。

消えていく。

―――怖い。

(ガトウ・・・)

涙がポロポロ零れた。

笑えているのに泣いていた。

それでも止めるわけにはいかない。

まだ、竜を倒していない。

「あ・・・う・・・」

挫けそうになって、初めて分かる

【あの子】みたいな巫女に今なら為れるかもしれないなんて浅はかだった。

張り合えるはずなんて無かった。

巫女となる為に生れ、大巫女の元で自らを磨いた本当の巫女。

自分も巫女だと意地を張っても、命すら霞んでいるのでは話にもならない。

ガオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッッッ。

遠く遠く遠方から巨大な鋼がぶつかり合うような轟音が響く。

同時に力が切れた。

(私・・・倒せたの・・・?)

足の爪先から手の指先まで体の動く部分は一つも無かった。

(ガトウ・・・褒めて・・・くれるかな・・・・【あの子】・・・みたいに・・・誇らしそうに・・・私のこと・・・)

竜を討ちに行くと決めて、風邪だと聞いて、最後になるかもしれないと会いに行って、迷惑でなければ良かった。

自分がいなくなっても、あいつは巫女だったとそう思ってくれれば良かった。

小さな飴玉にした口付けを思い出して――――――世界は暗転した。



空が藍色になった頃。

一端宿に帰ると賢者はフラフラしながら外に出かけようとしているところだった。

「賢者ッ!?」

「今は何も言うな。まずはあいつの方が先だ。何か聞いてるか?」

「え・・・その、巫女の力を使ったから極度に疲労してるって・・・・」

「ユネル。引き続き湊の監視を頼む。竜が来る可能性がある」

「け、賢者! そんな体で行ったら!?」

「あいつが呼んでくれた医者から貰った薬は飲んだ。その内良くなる」

「ダメ!? こんなに熱いのにッ」

おでこに手を当てるとまるでお湯を被ったように熱かった。

「ユネル」

おでこに当てた手をそっと退けられる。

蝋燭の灯りに照らされた賢者の瞳はいつも通り澄んでいて、何処か泣き出しそうに思えた。

「今日見舞いに来たあいつの事をそのまま放置したのはオレだ」

「そんなのッ、賢者のせいじゃ?!」

賢者の足が崩れそうになって、あたしは慌てて賢者を抱き抱えた。

「賢者はあの子に沢山してあげてると思う。あたし馬鹿だから賢者が何をあの子にしてあげたいのか詳しい事は分からないけど、賢者が今倒れたらあの子が悲しむのは解るよ」

「そうか・・・そう、だな・・・その通りだ・・・」

賢者がゆっくりと脱力して溜息を吐く。

「うん。だから、今日はこのまま――」

「熱で調子が狂い過ぎてた。反省しよう」

「え?」

「まったく、ユネルに諭されるようになったらオレはもうダメだ。ああ、まったくダメだ。もうダメ過ぎだ」

「け、賢者!? それはあたしでも馬鹿にされてるって解るよ?!」

賢者がフラフラしながら一階の食堂の椅子に腰掛けると大声を上げる。

「女将!! 精が付く物と辛い物をあるだけだ!!」

「賢者!?」

傍まで行くと賢者にあるだけの旅費を持ってくるように言われた。

慌てて部屋から鞄を持ってくると賢者が真赤に染まった大皿の上の何かを食べるというより飲んでいた。

「け、賢者?」

ガツガツと口の中の物を飲み下すと賢者が口の端を拭って更に大声を上げる。

「もう一皿!!」

新しい皿が運ばれてくるまでに賢者は真赤な何かを平らげて溜息を吐く。

「女将。部屋にお湯を今すぐだ」

目が据わっていた。

運ばれてくる真赤な皿の上のものを親の敵のように口に押し込めていく賢者は数分で食べ終わる。

吃驚していたこっちに目を向けて良い笑顔で賢者が言った。

「支払は任せた」

口元を何処からか取り出した布で拭うと賢者が部屋に戻っていく。

その顔には滴るような汗が浮かんでいて、痩せ我慢しているのはすぐ解った。

でも、何も言えなかった。

それはきっと賢者のやったことが最大限自分の意見を譲ったものだったから。

何分かして部屋から一階に出てきた賢者は初めて出会った日に着ていた黒い服だった。

歩いてくる賢者の足取りはフラフラしていない。

まるで病気なんて無かったような表情で賢者はいつものように笑う。

「案外気合いで病気は治る」

「・・・・・・」

何も言えなくて驚いているあたしの頭を賢者がグシャグシャに撫でる。

「行くぞ。ユネル」

あたしはただ頷く事しか出来なかった。

「ったく。オレもファンタジーに影響され過ぎだ」

賢者が扉を開けて外へ出ていく。

その後ろ姿は何故か今までより少しだけ大きい気がした。



【街長。今お医者様からご報告が】

【で、何と?】

【しばらくの間は絶対安静だと】

【街長! 漁から戻った連中から重要なご報告が!】

【今度は何だ!】

【今し方、竜の大群を見たと】

【――――ユネル様に連絡を入れろ。避難は始められるな?】

【街長!!】

【今忙しい!!】

【占術師の方から今日中に嵐が来ると】

【本当か? もう一度占わせろッ】

【街長!!!】

【こっちは今取り込み中だぞ?!】

【お嬢様からの伝言です】

【最優先だッ。報告しろ!!】

【・・・・・・】

【そんな目で見るな!? この歳でやっと授かった子なんだぞ!! 早く報告しろ】

【は、はい。『お父様。私あの方の事を思うと胸がドキドキするんです。あの方を夕食に招待したいのですがどうでしょうか?』と】

【何処の馬の骨だッ、ウチの娘を誑かしたのは!? 今直ぐそいつを鮫の餌にする準備に入れ!!】

【街長!! 占術師の方から間違いないとの事です】

【しばらく外に出さんと伝えておけ】

【街長!! 漁から帰って来た連中の話だと竜は空にもいるみたいです!】

【後、今夜は帰れない。家内と一緒に避難を始めろと家の者に】

【街長!! 巫女様の家の者から巫女様が寝台から消えたと】

【ええい?! 何でこう立て続けに!! 呪われでもしてるのか!?】

【街長!! 地の竜の巫女様。その従者様が御見えになりました】

【今忙しい! お引き取り願え!!】

「死人と被害を最小限に抑えたいなら話ぐらいは聞いておいて損は無い」

街の講堂で対策に当たっていた誰もがその場で凍りつき、その男を見つめた。

響いた声は皮肉げで、視線は凍てついた海を思わせる。

黒い服に身を包んだ男は唇の端を吊り上げてこう言った。

「まずは報告を」



突然現れたあいつに誰もが呑まれていた。

その傲岸不遜なまでの自信。

その冷たくも苛烈な皮肉を秘めた視線。

黒の衣裳は闇に男を溶け込ませて見る者に漠然とした不安を与えている。

街長が何かを言う前に男の前に立つ事が出来た。

「お前に言う事は何もない。地の竜の巫女様に付いてたらどうだ?」

「何だ。またお前か。モブ」

「ッッ、いいか。ここはお前みたいな得体の知れない奴が来る場所じゃない。皆必至に此処を守ろうとしてんだ。邪魔するなッ」

そいつは講堂の扉の中にツカツカ入り込むと手に持っていた何かを広げて台にドンと叩き付けた。

「それはお前が決める事じゃない。まずは街長あなたの判断を訊きたい」

街長が台に叩き付けられた紙に見入る。

「これは?」

「この周辺の地図です。約街二つ分。大雑把な外観だけで創った」

「これを貴方が?」

覗き込んで、喉が干上がった。

それは手書きで描き出された『街の全て』だった。

東西南北に渡って広がる街と街の周辺の地形が緻密に書きこまれたソレは街が出しているものよりも確実に精度が高いと一目で解った。

路地の数から建物の数までかなりの部分が描き込まれていた。

「私はこの周辺の知識が無い。だから、何処が安全で何処か危険かも分からない。しかし、今この状況でこういうものが必要なのは分かる。あなたがこの地図で的確に避難指示を出すだけでそれなりの成果が上がるはずです」

「それで従者様。何をお知りになりたいのですか?」

「街長!?」

思わず怒鳴り声が出た。

「ホリウス。我々は竜に対して今まで巫女様よりも戦ってきた。しかし、それにも限界がある。少なくとも従者様のように竜に対した場合の知識は深くない。此処はお力をお借りするべきだ」

「ですが!?」

次の声は無視された。

街長はそのままそいつと話し込む。

各方面からの報告にそいつは少し考え込んでから街長へと様々な意見を出していく。

「占術師に出来る限り正確な嵐の到来時刻の占うようにと。それと竜を見た人間と紙、書くものをこっちに。避難する人間に出来る限り家の中の食料と生活雑貨を持ち出すよう言ってください。後、避難が終わったら各家に人を向かわせて誰もいないか必ず確認を。避難用の天幕の数も確認して報告してください。足りない場合は有志を集めて作るようにと。避難した人間に物資の数を集計して申告してくれるように頼んでください。後、総数を確認し書き出すように。避難はまず女子供年寄りを最優先に。それと並行して幾人かで水の竜の巫女様が何処に行ったのか探索を。避難が終わったら男を集めてもしもの時に備え水を被るとまずい建設資材を高台に引き上げてください。必ず逐一報告をする事。報告は簡潔に要点だけを言うように」

慌ただしくなっていく講堂から大勢の人間が街に散っていき数人の人間だけが残るとそいつが最後付け加えるようにこう言った。

「それとテオ・アルン・フェーダ・トーメルテムの身柄を全て今後は私に一任してください」

「お前巫女様まで自分の思い通りにする気か!?」

思わず胸倉を掴み上げていた。

「ホリウス! 止めないか」

街長に制止されても止められるわけが無かった。

何も出来ない自分を嘲笑いすらしない目の前の男の視線は街長だけに向いていた。

「それはどういう事でしょうか従者様?」

胸倉を掴まれているのに平気な顔をしたそいつは極めて冷静に説明し始める。

「今言った通り、今後の身の振り方などを全てこちらに任せて欲しいという事です」

「そんなことをして貴方に何か利益でも?」

「いえ、ただ単なる善意。それだけです。少なくとも【こんな場所】にいるより巫女様を幸せにできると自惚れているものですから」

言い放った言葉の意味を解っているのか正気を疑う。

周囲の人間が険しい顔をしている事に気付いていて言っているとしたら恐ろしい程の傲慢だった。

そいつはまったく不敵な笑みを浮かべて掴んでいた手を振り払う。

「言葉は・・・選ばれた方がいい」

その場の全員の言葉を代弁した街長の言葉にそいつは初めて見下すような視線を辺りの人間に向けた。

「いえ、何一つ選ぶ必要が無いかと。そもそも、この場所に必要ないからこそ巫女様の追放を決めたのでは?」

「それは私達にとっても大変な決断――」

「なわけないな」

ガラリと口調が変わった。

雰囲気が今まで皮を被っていたものから不遜で皮肉げな色がより強いものへと変化していく。

「そもそもそうでなければテオが自殺しようとするわけがない」

『『『『ッッッ?!』』』』

その場の全員がそいつの言葉に固まった。

「それが貴方の本性ですか?」

街長だけが瞳を細めて、その闇色の何者かへ言葉を投げ掛ける。

「人間、多面的で仮面的。幾つも顔があって当たり前だ。そういうお前達、街の連中だってそうだろう? 巫女を大切にするという一面の一方で、巫女を自殺する程に追い詰めた」

「巫女様が我々のせいで死のうとしたと?」

「逆に訊こう。一体全体誰のせいなら巫女が自分の命を断とうとする?」

「それは・・・」

「マザーの遺言を守る一方でテオの追放が決まった時、誰の心の片隅にも安堵があったはずだ」

「どうして、それを!?」

始めて街長が動揺していた。

マザー。

先代の巫女の事を知る者は今でもその存在をあまり表立っては話さない。

それこそ街の誰に聞いても答えてはくれない。

余所者は知る術の無いはずの事だった。

「心の片隅にあるテオへの疚しさは裏返って優しさに。心の中の安堵は裏返ってよそよそしさに。人に優しくされる程に感じる自分へのよそよそしさや疚しさ、無関心、罪悪感はテオの心情を殺して余りある」

「それで、仮にそうだとして貴方は何が言いたいのですか?」

「さっき言ったな? 巫女様よりも竜と戦ってきたとか」

「私達が巫女様の未熟さを補っていたのは確かな事です」

「本当か?」

「ええ」

「そうか。なら、一つ良い話をしてやろう。ユネルに訊いたから間違いない話だ」

「何を・・・」

「テオの巫女としての力は未熟でも何でもない。力だけなら巫女としてほぼ完成されてる」

「そんなことはあり得ない。それならマザーはあの時共に戦ったはずだ」

「その話は知ってる。答は簡単だ。テオの巫女としての力は心情の極端な左右を受けるからだ」

「は?」

その場の誰もが何を言われているのか分からなかった。

「テオ・アルン・フェーダ・トーメルテムは大巫女の孫娘ユネル・カウンホータからすると、巫女としては完全でもそれ以外の部分、感情による力の変動が極端だって話だ」

誰も何も言わない。

何を言われているのかよく理解出来ない。

いや、理解してしまえば―――自分達がしてきた事を自覚せざるを得ない。

「オレはこう言ってる。お前たちが言うテオの未熟さの原因がそもそもお前達だ」

「そ、そんなことあるわけがない!? そ、そうだとしてもそれは巫女としてのッ」

悲鳴のような否定。

思ってもみない言葉だった。

残酷なまでの鋭さが胸に突き刺さる。

「確かにその点では巫女として過失が無いとは言えない。だが、たかだか【十三の小娘】に街の命運を勝手に背負わせ、勝手に失望し、追放する事を決めた人間が偉そうな口で【私達が今まで助けてました】って言うのは、人間としてどうなんだ?」

「・・・・・・」

「マザーがどうしてテオを街から追い出せと言ったのか。簡単だ。東天の巫女みたいに放浪すればいいと考えただけの話だ。アウタスの巫女なんて特殊な巫女を受け入れてくる場所を、守りたい場所を、守りたい誰かを自分の足で見つけて欲しいと願っただけだ。東天の巫女がそうしたように。少なくともそれなら大丈夫だろう? 誰かのせいなのに未熟な巫女として扱われ、理不尽な思いをする事もない」

誰も何も言わなかった。

何を言えばいいのかなんて解らなかった。

マザーの遺言の意味は確かに目の前のそいつが言うようなものとすれば、理解出来た。

「オレはあいつをテオ・アルン・フェーダ・トーメルテムを悪いようにはしない。だから、もしもこれ以上何も言う事が無いなら黙ってオレに今後の全てを任せろ。全てだ。大巫女の名においてオレは必ずテオに今よりも充実した生活を提供すると誓おう」

街長は長く、本当に長く沈黙していた。

そうして微かに頷き、一言だけを持って約束は成立する。

「頼みます」

「これで――」

「異議有りだ」

そいつが初めてこっちを見た。

「またお前か。モブ」

辺りの人間を見回す。

「本当にそれでいいのか!? こんな得たいの知れない奴に巫女様を任せていいのか!! こいつの言ってる事は正しいのかもしれない。だが、それで本当に全部解決するのか!? こいつの言ってる事が正しいなら、尚更オレ達自身の手で巫女様をお救いするべきじゃないのかよッッ!!」

「だが、そのお方の言っている事にオレ達は気付かなかった」

周辺からポツリと声が漏れた。

「それはッ、マザーが」

「マザーがそれを言ってたとしても・・・オレ達心の何処かで巫女様の事を・・・そう思ってたのは事実だ」

「そうだとしても!!」

「どうしたらいいのかオレ達には解らない。もう巫女様の代わりの方が来る事は決まってる。それを受け入れないなんてありえない。先方だって巫女がもう一人いる事は望まない。なら、オレ達に出来る事はその方に全てを任せる事なんじゃないのか?」

「――――馬鹿野郎」

誰も味方がいない状況から逃げ出すようにその場を後にした。



いつもの黒い羽織を着て、何も解らないまま歩いた。

桟橋まで行かなければならない。

あの人が居なくなった場所に行かなければならない。

自分は巫女だから。

巫女は竜から守る者だから。

道の途中で誰かが言った。

【巫女様!! 物凄い数の竜が!? お願いです! どうかお助ください!!】

【ああ、巫女様!! どうかお救いください!? 竜の大群が来るらしいのです!!】

【巫女様だ!! 街をこれで何とか守れるぞ!!】

【巫女様!! どうか頑張ってください!! このままでは街が!!】

【巫女様だぞ!! これでオレ達助かるんだ!!】

【船はこちらに用意してあります!! 中型の船ですが嵐の中でもこれなら何とかなるはずです!!】

【巫女様が出るぞぉおおお!! 碇を上げろぉおおおお!!!】

顔に雨は降り続ける。



漁に出ていた漁師達から竜の詳細を訊き出し、絵を描き終わったところで血の気が引くのが分かった。

漁師達の証言は一致している。

海と空の果てまで広がる竜の群れがゆっくりと進んでくるというもの。

目の良い者が見た詳細を絵にまとめると水の竜の大半が旧世紀の戦艦と大型の原子力空母だった。

空の竜が戦闘機だとすると、原子力空母はその母艦。

原子力空母にどれだけの戦闘機が格納されているのかは知らないが、少なくとも二十機以上楽勝だろう。

そんな空母が地平線までいるという時点で半笑いになるしかなった。

水の竜にしても中には水の底に潜っていたのを見た人間がいる。

原潜だ。

原子力潜水艦だ。

そのあまりにも不吉な言葉は現代に生きていない限り解らない。

戦略級の兵器が満載なのは間違いなく。

その最たるものはロシア辺りの原潜なら確実に積んでいるだろう最終兵器。

【核弾頭】

かつてユネルに訊いたところによれば、砲が付いているものは光が出るが、それ以外の空の竜(戦闘機)が積んでいる細長いミサイルなどは普通に爆発するらしい。

最悪の場合、核弾頭の効果範囲から逃げる必要がある。

戦略級の核の効果範囲はキロ単位。

人間を狙ってくる事を思えば距離を離して迎撃する必要があった。

それだけならばまだやりようはあるかもしれない。

しかし、現実的には竜の数が数である。

威力が下がる長距離砲撃ではなく引き寄せてからの迎撃となれば、被害は拡大するかもしれない。

それに核ミサイルなんて迂闊に撃ち落とすのは躊躇われる。

ただの砲撃で撃ち落とすよりも安全な方法。

やれるなら原潜ごと海中で破壊しなければならなかった。

「巫女様が見つかりました!!」

駆け込んでくる小さな少年が一人。

すぐ報告させる。

「その・・・巫女様は船でまた海に・・・」

辺りの人間が何か口を挟んでくる事はない。

街長の確約がある以上、全ては自分の掌一つだった。

「ここは任せても?」

街長が頷いた。

「オレは湊の方に。ユネルにこれを届けてくれ」

その場の一人に紙を渡した。

「出せる船があるなら最小限の人員で出せるように通達。救出に向かう」

「は、はい」

講堂を後にする。

報告によればテオの様子は生気が無くおかしかったという。

それでも用意された船に乗り込んだ。

大きな声援を受けながら。

(死に急ぐな。テオ)

階段を下っていくと桟橋の近くに数十人の人間が未だにいた。

声を掛けようとして気付く。

様子がおかしかった。

【いたぞ!!】

声が上がる。

ギョロリと人間にしてはよく光る眼が無数に敵意を向けてきた。

その様子に思わず溜息が漏れた。

歩いて行くと先程連絡を任せた小さな少年が震えながら大人達の横で立ち竦んでいた。

「おい!? お前!! 巫女様を止めに行く気なのか!!」

血気盛んな若者が一人立ち塞がってくる。

「船の用意は?」

「そんなものあるわけないだろう!! 今の状況が分かってるのか!?」

「地の竜の巫女がどうにかする」

「あんな数どうになるわけないだろ!!」

竜の大群を目視した漁師の一人なのかもしれない。

唾を飛ばして精一杯に主張する若者を避け、大人達の中で一番年嵩と思われる老年の男に訊く事にする。

「船が用意出来るならお願いしたい」

「悪いがこの時化始めた海を渡る船はもう無い」

拒絶するように男が首を振る。

「今のままだとテオ・アルン・フェーダ・トーメルテムは死ぬ。船を出そうと思う人間がいるなら手を上げろ」

無言。

拒絶。

余所者が。

そんな空気。

ああ、と少し納得した。

この空気こそテオが感じていたものの一部なのかもしれない。

「まぁ、誰もやりたくないならそれでもいい。そこに止めてあるのを拝借するだけだ」

桟橋に繋がれているのは小舟だった。

沖に停泊している船などに人や物を運ぶ為の船。

そんなもので時化た海に出ていけば海の藻屑になるのは目に見えている。

しかし、そんなものでも無いよりはマシだ。

「あんた正気なの!? 死ぬわよ!!」

少女が一人理解不能なものを見るよう叫ぶ。

「オレは死なない。オレが誰だか教えてやろうか。あの大巫女ラテラノーグ・ディース・ユグロハーツ・カウンホータに認められた男だぞ? この程度の海で死ぬような鍛え方はしてない」

しれっと嘘を吐いてみる。

効果は激的だった。

みるみるその場にいる誰もが顔を青ざめさせていく。

目の前にいる得体の知れない男ならやってしまうかもしれない。

そんな場違いな空気は、その場でテオを見捨てようと懸命な誰も無視出来ないものになっていた。

「一歩間違えば死ぬだけだ。お前達の大切な巫女様を助けてやるって話なんだから別にいいだろう?」

進もうとすると男達数人に取り囲まれた。

「悪いが行かせるわけにはいかない」

壮年の男が一人暗い瞳で言う。

「どうしてだ?」

「巫女様には最後まで竜と戦ってもらう」

「それが無理で死ぬかもしれないから助けに行こうって言ってるわけだが?」

「それでも戦わないよりはマシだ!!」

「そうだ!」

「ああ、巫女様は竜と戦うのが役目なんだからな!!」

周囲を見回せば、小さな少年以外、男も女も老若男女誰もが無言の肯定をその言葉に返している。

「そうやって死んでくれた方がいいのか? テオがアウタスの巫女だから」

「どうしてそれを知ってる?!」

男達の間の危機感が膨れ上がる。

外部の人間が街の秘匿された情報を知る術はない。

臥塔賢知の得体の知れなさは天井知らずに上がっていく。

「そんなのどうでもいい。それにしても自分達を満足に守れない巫女なら最後にちゃんと働いてから死んで欲しいとか思ってるのはどうなんだ?」

『!?』

唇の端が思わず吊り上がってしまう。

「お前達が思ってることを代弁してやろうか? アウタスの巫女ってだけでも不安なのに未熟な巫女なんて早く消えればいい。街には新しい巫女が来る。もう未熟な巫女はお払い箱だ。街が無くなるかもしれないのに遊ばせておくなんてとんでもない。死ぬかもしれなくとも一匹くらいは倒して死ぬだろう。ああ、良かった。街の為にあの巫女少しは役に立ったな」

血の気の多い若者から手が出た。

久しぶりの顔面殴打。

その感触、その熱さがキリキリと頭の螺子を巻いていくように、思考は冴え渡っていく。

「違うのか? 違うなら誰か何か言ってみろ」

再び振り上げた拳の主に視線を合わせる。

「――――」

震える拳の下ろし所を教えやれば、人間はそれなりに考える。

暴力とは思考した瞬間から鈍る。

無言とは何かも解らぬ輩にも通るよう腹の底から声を出した。

「それでいいのか」

一歩、包囲の輪が下がった。

自らの卑しさと疚しさに怯まない人間はいない。

誰もが良心を持っている。

誰もが自分を素晴らしい人間だと思いたい。

全てを開き直る以外には、そんな自らの良心から逃れる術を人間は持たない。

「街を守る為には仕方ないんだッッ!!」

誰の声だったか定かではない。

しかし、その言葉はその場にいる人間全ての総意に違いなかった。

誰の瞳も自分の惨さに気付き揺れていた。

「とある街で一人の罪人が捕まった。それを見ていた誰かが言った。仕方ない」

沈黙が通り過ぎていく。

風に乗って声が広がる。

「誰も罪人と関係なかった。だから、誰も捕まった奴の弁護なんてしなかった」

息を吸って続ける。

「次の日、また別の罪人が捕まった。誰かは言った。仕方ない」

もう話の出所など忘れた。

本来は声を上げるのは自分の為という話だ。

それは何よりも怖い話。

「また次の日、別の罪人が捕まった。誰もが言った。仕方ない」

とてもとても怖い話。

「その次の日もその次の日も次の次の日も別の罪人が捕まった。誰もが言い続けた。仕方ない。仕方ない。仕方ない」

本当に簡単な話。

「やがて、関係ない誰もが捕まった。もう弁護する者は一人も残っていなかった」

睥睨すれば、誰も彼もが固まっていた。

「お前らのやってるのはそういう事だ。仕方ない。仕方ない。仕方ない。仕方ないから何も言わない。想像してみろ。たった一人の家族が死んで、満足に自分の大切なモノも守れない未熟さに打ちのめされて、最後の居場所すら追い出される事が決まって、誰一人自分に残れとは言わない」

一歩踏み出す。

「お前らが諦めているのは」

左右を見回す。

「お前ら自身だ。お前らが仕方ないと切り捨ててるのはお前らそのものだ。誰かの為に声を上げない沈黙はその沈黙した誰かに降り掛かる。その沈黙がいつか自分に返ってきた時、お前らの中の誰かがきっとこう言うだろう」

喉が干上がったらしき大人も子供も老若男女全ての者に告げる。

「仕方ない」

人が割れていく。

道が開かれていく。

「もしもお前らの言い分が正しいなら、お前らの言う仕方ない理由とやらでこの場の全員に納得させてみろ。オレ達の為に死んでくれってな」

歩き、その小舟の手前まで来る。

誰の協力も得られない以上、それで漕ぎ出すしかない。

心の底に問い掛けて、すんなりと答は決まった。

小舟に降りようとしたところで手を掴まれた。

それは船は無いと先程言っていた老年の男だった。

「船なら・・・有る。この時化でも何とかなるのが一隻。北の方の桟橋に止まってる」

「オレはそんなもの動かせない」

手が増えた。

持ち上げられて地面に立つと血の気の多そうな若者が一人。

「仲間を集めてくる。数人で動かせるはずだ・・・」

見れば、大勢の人間がそこにいた。

雨が強くなってきているというのに誰もその場から動こうとする人間はいなかった。

人の善意が誰かを救うなど稀だ。

「帰って来たらテオに何か言ってやれ。ごめんなさいでもすいませんでもありがとうでもいい。責める言葉でも優しい言葉でも何でもいい。心の底から、誰の声でもなく自分の声で・・・」

だと言うのに、応える声達は確かに雄弁な善意を湛えている。



賢者の周りにいる誰も変わらずにはいられない。

本当に賢者は凄いと思う。

南の石碑がある高台から湊を出ていく船を見て心底にそう思う。

あんなに沢山の人の心を動かせる人を賢者以外に知らない。

船に乗り込んだ賢者を見送る為に沢山の人が集まっていた。

もう避難が始まっているのに誰も船が見えなくなるまで動こうとはしなかった。

(あたしも賢者に負けない。きっと此処を守ってみせる)

賢者から届けられた紙には色々な事が事細かに書いてあった。

最も危ない水の竜の撃破を最優先にする事。

攻撃の瞬間海面近くまで浮上する影を発見して破壊する事。

その竜の攻撃を許したら物凄い速度で迫ってくる筒をすぐ破壊する事。

決して街の近くで破壊しない事。

どれもこれも何か一つ出来ないだけで街が無くなるかもしれない。

けれども、沢山の事が書いてある紙の最後にはこんな風に書かれていた。

【お前なら楽勝だ】

「うん。賢者」

遠くを見る。

遠く遠く。

賢者が書いてくれた通りの形で竜の群れが迫ってくるのが見えた。

何処までも横に長く、波みたいに後ろの列に終わりは無い。

海中にいるその竜を見逃さないようにもっと広く、もっと深くまで見ようと目を細める。

(見つけた)

微かに荒れる波の下に大きな影が見えた。

「ドーちゃん。がんばろう」

土を押し退けて下からせり上がってくる固い鋼の床に跳び乗る。

「賢者が帰って来たら褒められちゃうくらい」

指をそっと影のいる方に向ける。

「――――――」

人の無事を祈る鐘が鳴り響き、やがて嵐が到来した。

随時感想は受け付けています。連載中のSFノベルGIOGAMEもよろしくお願いします。

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