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「塩松殿には、丸森まで行って貰いたいのだが……」
尚義の表情に一瞬緊張が走った。
「すると、円入殿に仲介の労を執っていただこうという訳ですな」
晴宗は石母田から伊具入りしようとして、輝宗から鉾先を向けられた。
そこで、尚義に伊具入りして貰い、同郡丸森村で隠居している稙宗に仲介を頼もうという訳である。
人畜無害な尚義なれば、輝宗とて何の謂われもなく攻撃を加えることはあるまい。
稙宗は天文の乱の和睦条件に従い、丸森を始めとする周辺五箇村を隠居扶持としてあてがわれ、その後入道して直山円入を号していた。
伊達家政の表舞台から遠ざかって暫く経つが、家中諸士及び周辺諸氏への影響力はまだまだ保っている筈である。殊に相馬氏とは乱後も引き続き懇意にしており、これ以上の適任者はいなかった。
漸く話が通じ安心したのか、晴宗は斉義を向いて表情をほんの少し緩めた。それでもその視線は、慣れぬ斉義にとってまだまだ威圧を感じるものであった。
「そちらが太郎殿じゃな。噂に違わぬ面構えをしている」
斉義は油断していた。突然に話を振られたことに動揺し、晴宗の視線に思考能力を奪われ、何と答えてよいやらまるで言葉が浮かんでこない。
しかしそこへすかさず、尚義が嬉しそうに話に割って入った。気付けば、当初の緊張はもうすっかり散じている様子である。
「伊達殿の推挙がなければ、手持ちの人材に気付かぬところでした」
「暫く見ぬが、備前は元気でしょうな。当方が落ち着いたら、どうか一度遊びに遣わしてくだされ」
斉義は、晴宗が言った自分に関する「噂」とは如何なる噂か、婿入りの話を自分に持ってきたときの実父備前義綱の表情と併せて、気になった。
天文の乱の折、稙宗党だった尚義を晴宗党へ導いたのが義綱である。
当時から義綱は伊達通となっており、殊に晴宗の塩松番となっていた石母田安房とは懇意にしていた。
安房は塩松訪問の際には小浜に幾度も宿泊しており、斉義も幼い頃からよく見知っていた。その辺りの筋から、自分に関する何らかの情報が伊達にもたらされ、婿を探している尚義へ推薦するという過程があったのだろう。
また、斉義の弟親綱の室も、この筋を経由してあてがわれている。中野宗時の娘がそれである。
晴宗は表情を動かすことは殆どなく、媚びるように明るい表情をコロコロさせている尚義とは対照的だった。
翌日、一行は晴宗から預かった書簡を携え、丸森に入った。
丸森城は、阿武隈高地の北辺から西へこぼれた突端部に位置する山城である。
麓を南から西を経由して北へと、本丸を三方から囲繞するように内川が流れ、阿武隈川へ注いでいる。城は西側の川に突き出た曲輪を頂点に、東へ連なる梯郭式となっており、古来伊具郡の中心として、そして阿武隈廻船の中継基地として、栄えてきた場所柄である。
尚義の表情は、保原を出たときから緊張でこわばったままだった。晴宗と会ったときの比ではない。
稙宗と晴宗はとうに和解しているとはいえ、寝返った尚義にとっては、やはり依然として会うのにばつの悪い相手ではあった。