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――南奥の戦国時代は、やはり伊達氏の動向抜きでは語れない。
永禄初年以降、伊達晴宗は惣領の座を保有したままで、実権を後嗣総次郎輝宗へ徐々に移行させてゆき、自らは羽州米沢から信夫郡杉目へ遷って、伊達氏の本貫から周辺へ目を光らせるようになった。
これは、晴宗が当主となった際に伊達郡西山から米沢へ本拠地を遷して以降、当地方に相馬氏や畠山氏を始めとする他氏から侵略の目が向けられるようになり、周辺の伊達麾下諸将にも不穏な空気が漂い出していたことに起因する。
その一連の動きの中でやがて、伊具郡北部の伊達一門田手宗光に、相馬を後ろ盾にしていると思われる謀叛の嫌疑が掛かった。
それに対し、輝宗が中途の刈田郡まで出兵して弁明を受け付けたところで、晴宗は「軽挙を避けるように」と輝宗に諫言すべく、伊具郡境の石母田まで出張った。
このとき、晴宗出張の報に接したその老臣中野宗時が、勝手に主不在の米沢にて防備を固め、事態の推移次第では宗光と共謀して輝宗を挟撃しようとしているのではないかと思わせる、疑わしい動きを見せた。
輝宗はこれを一連のはかりごとと判断し、晴宗に対しても不審の目を向けるようになる。身の危険を感じた晴宗は伊達郡東根の保原まで退き、周辺諸氏に籌策を求めた。
現況は、今後の展開次第では、天文以来の大乱にまで発展する危険を孕んでいた。
斉義はこの事態に関して、尚義の意向に対し家中諸士がこぞって出兵反対を主張していることまで知っていた。遂に尚義が我意を押し切ったのだと察すると、気が重くなった。それが神妙な顔の意味である。勿論尚義は気付かない。この後嗣は自分に異はなかろうと信じきっているかのようだ。
「伊達殿から是非にと請われては、どうして断れよう」
「義父上が私を伴い伊達殿の処へ赴くのは、承りました。されど……これは戦さを避ける為のものでありましょう」
「それは勿論だ。名目上は和解籌策だが、当地へ赴くに当たり、三十騎ばかり出張ることとした」
「何も御身が直接に出張らずとも……。書簡にても用件は果たせるのではござりませぬか。三十騎とはいえ諸士準備に追われることにもなり、出費も無駄に嵩みましょう。また此度の伊達家の騒動、あまり他家の者が口を挟む類のものではないのではと――」
「おこと自身は、自分の初陣を如何思うておる。勿論、戦さにならぬが最善ではあり、戦陣を目の当たりにすることはないかも知れぬが、場の雰囲気を知ることはできよう」
「私に晴れの場を設けてくれようとする義父上のお気持ちは有り難く、また嬉しく感じております。今後行く末を思えば、伊達家中に顔を売る効果もありましょう。されど……」
尚義は満足そうな顔をして、斉義の言葉に割って入った。
「さもあろうさもあろう。おことならば、そう言うてくれると思っとった」
そして尚義は、このところ酒を呑むと毎度口癖のように語って聞かせる話を、ここでも繰り返すのだった。時折ろれつが廻らなくなるものの、いつも言っている文言だけに、言葉の選択が次第次第に洗練され、まるで何かを読んでいるかのようである。
「かの天文の大乱の折、諸家中面従腹背にして叛腹常ない有り様だった中、ご先代の塩松のみは平静を保ち、伊達家の和睦調停に重きを為しておった。されどご先代は志半ばにして病に斃れ、残された儂は若輩にしてその能力ご先代に及ぶべくもなく、大乱は当家中にまで浸食されることとなってしまった。今度こそ伊達家の内紛を調停しおおせ、ご先代の遺志を貫かん」
尚義はそこまで一気に言うと、満足した顔で盃を口に運んだ。
義綱らも、尚義にそう言われては、そもそもあのときに主君へ否を突きつけたという後ろめたさがあること故、重ねての反対はできなかったことだろう。
斉義も、これ以上何を言っても効果のないことを悟った。