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状況の急激な変化は、本人に気付かせぬまま定綱の視野を狭めた。
磐城から急使が訪れ、再び共同作戦を求める声がもたらされるも、背筋の寒さはひと月前とは大きく変わった。磐城との協力如何に関わらず、田村とひとたび合戦になれば、仮令それが防戦であっても、今後は伊達から後ろを攻められる懸念が強まったのだ。
伊達との新たな関係構築が急務と判断した定綱は、取り急ぎ準備を調えると、従者と人足を数人連れて米沢へ赴いた。
手っ取り早く交誼を深めるには、この政宗後継という慶賀を利用しない手はない。加えて、姻戚たる田村があれこれと焚き付けるよりも早く、より強く良い印象を持たせる為には、自ら出向くに如くはない。
一行は杉目に一宿を取った。
杉目城は晴宗の死後、その末子直宗が城主として入っており、定綱は米沢への受付として用件のあるときは、連絡を入れることにしていた。直宗は半年ほど前に亡くなり、杉目は主不在の城となっていたが、今回も同様に、先ず当地を訪れて城代に米沢へ参上の旨を通達して貰い、その上で翌朝から峠越えに掛かる段取りを踏んだ。
板屋の紅葉はもう殆ど終わっており、ここ数日で大分冷たさを増した風は、山向こうから吹き降ろしてくる。
数刻後、無事に米沢へ到着したが、輝宗は不在だった。既にこの本城を政宗に譲り、郊外の館山城へ遷っていたのだ。
それどころか、家臣連中の面々もそれぞれ代替わりしており、米沢城内は定綱の知らない顔ばかりとなっている。
自然、定綱は勝手の違いに戸惑わずには居られなかった。仮令輝宗が不在でも、旧知の側近達が政宗との仲を取り持ってくれるものと期待していたのだ。
それが今の米沢城内では、自分より一回りも年下で、戦さの経験もろくにないような若造共が、政宗の周囲で矢鱈と体裁ぶっている。
輝宗の頃に醸し出されていた、独特の純朴な質実さがなりを潜め、威厳と忠誠ばかりが表層に浮き出ていた。
対面した政宗は訪問者の祝辞を喜ぶでもなく、あからさまに定綱を見下した態度を取った。周りに居並ぶ側近もまた、その目は異端者を根拠なく侮蔑している。
勿論、家督を相続したことによる意気込みから、勢い高圧的な言動になってしまうこともあるだろう。しかしそれを差し引いても、……やはり、と言おうか、話題が田村との合戦に及ぶと一層厳しくなり、対談は詰問に変わった。
「田村大膳が儂の舅とは、其方も知らぬ訳ではなかろう」
「今回の諍いは、何れも田村殿の方から一方的にけしかけて来たものでありますれば――」
「其方は田村の麾下に入っておったではないか。一方的にそれを反故にせば、田村が制裁を加えようとするのは当然のことであろう。そんな中、儂の所へ来るとはどういう了見か。ただ祝辞を述べに来ただけではあるまい」
定綱は言葉に詰まった。
輝宗の頃なら、ここで「まあまあ」と脇から声の掛かるところだが、政宗はなおも畳み掛けてくる。
「状況がどうあれ、調停を扱えと申すのならば、儂が田村の側に就くだろうことは、其方に解らぬ筈はなかろう。舅が儂に其方の身柄をよこせと言うてきたら、如何する」
「あの方が、左様に姑息な手段に訴えようというのですかな。伊達殿がそのような申し入れを易々と受け入れるのであれば、我が命運もこれまでですな。自身の不明を恨むしかござらぬ」
定綱は気まずさを笑いに昇華させようとおどけて見せたが、政宗の表情は険しいままだ。
「父には父の考えがあったことだろうが、儂は父とは違う。田村を切り取らんとする者を前にして、関係を横滑りになぞできようもない。父とのように、曖昧にはできぬと心得よ」
定綱は、まだ政宗の心根を測りかねていた。少なくとも亮かなことは、田村を迂闊にこき下ろすことは危険だということだ。
「……田村殿とは、些細な諍いから斯様なこととなりました。もはや麾下として戻ることは、当方としては望むところではありませぬ。先方とて、いつまでも塩松に固執していられる状況ではない筈。この辺りで一旦区切りを付け、伊達殿のお力で以って籌策を取り扱っていただければと思います。我らの並存への筋道を調えて貰えるなら、それに勝る僥倖はありませぬ」
「それは負けた者の言うことだ。勝ち通しの其方が助けを求めに来るのはおかしかろう。儂とて、其方のことはよしなに取り扱うよう、父から言われておるが、一方で田村からは、塩松を挟撃せんとの要請が重ねて来ておる。そんな中、今後如何すべきかの思案もせぬうちに、其方自身がここへ来おった」
政宗は傍らの男を見た。三十がらみの男は無表情のまま落ち着いて言上した。
「塩松殿にしても、ここまで来るとは余程考えてのことと存じます。御館様に於かれても、今暫く落ち着いてお考えになる時間を貰ってはどうかと存じます。ここは当面、米沢に逗留していただいては如何。」
定綱は、この男が政宗の傅人上がりの側近、片倉小十郎景綱だと、後で知った。