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数日後、定綱は義綱から呼びつけられた。
自ら進んで行きたくはなかったが、名指しで呼ばれたからには、行かぬ訳にはいかなかった。
「おぉ、太郎。よう来た」
義綱は縁に座って庭を眺め、倒れた当初に見舞ったときよりも、寧ろ達者に見えた。喋る速さこそゆっくりだったが、思いのほか滑舌はしっかりしている。
「今日は気分が好いによって、其方の心に適う話もできようと思うてな」
義綱は、定綱が自分のところを訪れぬ理由を看破していた。並んで座った定綱は、穴があったら入りたい気持ちになったが、逃げ出すこともできずに、汗ばむ手で膝を掴んでいる。
「太郎、田村を見限り、伊達に擦り寄っておるようだが、見通しはどうか」
「当面、輝宗の代は続くことでしょう。先だって嫡男政宗に会いましたが、まだ如何とも掴み所がありませんな。もう少し時間を掛けて様子を見ていかぬと。ですが焦る必要もござりませぬ。田村はもはや手詰まりとなっております。近いうち、苦し紛れに攻め込んで来るかも知れませぬが、恐らくはそれが最期の足掻きとなるでしょう」
前年、田村清顕は漸く佐竹・葦名・二階堂との和睦を取り付けた。とはいえ、その内容は清顕にとって屈辱的ですらあり、一時期安積郡の殆どから岩瀬郡・石川庄の一部にまで拡げていたその版図は全て奪い返され、本貫たる田村庄の一部まで二階堂氏に割譲するというものである。
「塩松の名跡はこれからどうなる」
「………」
「松丸君ももう元服なされる年頃の筈。もしできることならば、塩松へお戻り戴くことはなるまいか」
「松丸君はずっと相馬に居られるとのことですな。されど今更お戻り戴いたとて、もはや家中をまとめることは適いますまい。松丸君は良いとしても、同行した寺坂や大場内が如何なる報復に出るか、家中に混乱を招くことは必定。父上のお気持ちは解りますが、このご時世、それこそ他家の跳梁に任せることとなりましょう」
「其方の息子なら大丈夫と申すのか。すると今は、其方自身が塩松殿のつもりか。新たな名は、その気持ちの顕れという訳か」
義綱は口調こそ穏やかながら、目を剥いた。
定綱はその視線を近くで受けても、威圧を感じなかった。寧ろそのことに動揺した。
「志保からも、かつてそのように勧められました。伊達殿からもそのように言われ、付けて戴いた名です。されど私自身にその気はありません。『塩松殿』とは、所詮名跡に過ぎませぬ。相馬に居られようと、松丸君は正式な尚義公の後嗣です。また、塩松に残る石橋一門の歴々でも、塩松殿を名乗りたい者は名乗れば宜しかろうと思います。また友顕にしても、御方様への慰みと家中への重石として、便宜的に必要だったに過ぎませぬ。私は大内義綱の後嗣でありますれば、周りがどう言おうと、大内を名乗り続けるのが当然のことと思っております。されど息子達は、大内家の者であると同時に石橋家が求めた存在でもあるのです。定綱の名は、伊達殿の私への認識の現れでありましょう。それは私にとっても光栄なことであり、また、義父たる尚義公や、――志保へのはなむけになると感じているのです」
義綱は小さく息をついた。
「そこまで思うておるのならば、もう何も言うまい。……良い名を付けて貰うたな」
「はい……」
義綱の言葉に定綱は胸が熱くなり、こみ上げてくるものを押さえるのに腐心した。父は不器用な男だが、息子の行く末を想い、心配する気持ちは強いものを持っている。それを人の親としての自分になぞらえ、その無分別に罪悪感すら覚えた。
定綱は義綱へ、いたわりの言葉の一つでも掛けたかったが、こんなときに限って巧い言葉も浮かばず、それから殆ど何も言葉を交わさぬままに別れた。
結局、定綱が生前の父に会ったのは、これが最後となる。
義綱は翌月再び倒れると、そのままあっけなく逝ってしまった。
定綱は、義綱が息を引き取ったその日から小浜を訪れ、葬儀一切を取り仕切った。
始めこそ母からは不孝者となじられたが、常に伏目がちに、言葉少なにいることから、大きく落胆していることは誰の目にもすぐに判り、やがて母も嘆息して矛を収めた。
それまでひと月以上の間、小浜城内では、定綱に対して批判的な者が多くいたが、このときの定綱の様子から、誹謗の声はすぐに消えた。
定綱はその後も小浜城に戻ることは殆どなく、定綱の母も城下にある義綱の菩提寺へ遷り、城は主を失った。