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「大内備前にござる。何卒、お見知りおきを」
若武者は硬い表情を固めたまま、黙って小さく頷く。
輝宗が笑って執り成した。
「こやつは去年の初陣だったのだが、日頃は落ち着きがなく感情が先走りおる割に、戦陣ではまだ緊張が解けぬようだ」
顕綱は笑って「そういえば私も、伊具の陣が初陣でしたぞ」と悪戯な目で笑いながら輝宗を見、続いて政宗を向いた。
「誰でも始めはそうです。されど、若武者は元気なるが一番でござる。若君の士気が、全軍の士気になるとお考えなされ。自ずと力が涌いて来ましょうぞ」
若武者は漸く、小さく笑った。
輝宗が穏やかな表情で、おもむろに口を開いた。
「そうそう。言うておった改名の件だがな。塩松殿ご歴代の中でも名君の誉れが高かったといわれる、静阿公から一字を貰ってはどうか」
再記になるが、静阿は石橋尚義の父定義の戒名である。
顕綱は少し逡巡してから答えた。
「すると、――定綱ですか」
「うむ。どうかの」
「有り難く頂戴致します」
これは輝宗の命名観というべきか。自分の後継者に伊達氏歴代の中で中興の祖といわれる大膳大夫政宗の名を付けたものと、同じ想いが秘められてはおるまいか。
顕綱は、否、定綱はこの名が気に入った。
「この件に関して、三春には、儂から口添えしておこう」
「良い名をいただきました。父も、そして亡き妻も喜びましょう」
「父御に宜しうな。大事にせよと」
「……有り難うござります」
ここ数年、定綱の父義綱は足腰も弱まり、体調も思わしくない日が続いている。特に、天正五年に訪れた晴宗の死以降は、気持ちも弱ってきていると見えた。
翌十一年の春三月にしては冷え込んだ朝、義綱は厠にて倒れると、そのまま床の上がらぬ日々となった。四肢が何れも不如意になることはなかったが、意識は常にどこか朦朧としており、はっきり覚醒することがない。
親綱は片平から毎日のように使いを遣わしては様子を伺っており、自らもしばしば訪れては見舞っていた。
対して定綱は前述のように、跡目を相続した後は小浜へ顔を出すことも殆どなくなっており、父が倒れた後は猶のこと足が遠のいていた。
四月、親綱が宮森へ立ち寄った。定綱は喜んで迎え入れた。
「よう来た。小浜の帰りか」
「はい。――父上は会う度に痩せております。兄上はいつお会いになりましたか」
「倒れてすぐ、一度行ったきりだ」
「御母堂様も不安がっておられますによって、もう少し頻繁に見舞うことはなりませぬか」
「父上が仰っているのか」
「いえ」
「儂が行けば治るというものでもあるまい」
「しかし――」
「父上の衰えた姿を見とうはない」
「されど今会わねば、その衰えた姿すら見ることができなくなるのですぞ」
「……父上の立派な姿は、儂が心の中にちゃんといる。それを壊したくはないのだ」
定綱は目を瞑り、胸に手を当てて呟いた。
親綱は、父に関してはそれ以上何も言えず、片平や葦名の近況などを軽く話して帰った。