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その年(天正十年)の夏、顕綱は再び自ら伊達の援軍として参陣し、矢野目の陣所にて輝宗と面会した。
伊具の陣は、小康を挟みながらももうかれこれ七年目に入り、戦況はすっかり膠着している。
輝宗は、小袖に股引という陣中の大将の姿とも思えぬまるきり油断した格好で、顕綱を迎えた。しかしその目からだけは怪しい光が感じられ、ただ弛緩しているのでないことは窺える。
「おぉ、備前殿。よう来られた。すっかり塩松殿が板についたなァ。活躍のほどは聞いておるぞ」
輝宗はニヤリと笑った。傍らには遠藤基信、こちらもすっかりなじみの顔である。
「此度も小勢ではありますが、陣の末席に加えて戴きたく、参上しました。今回は、共に二本松殿が罷り越しております」
顕綱の後ろで控えていた義継が、緊張した面持ちで深く会釈した。
「右京亮義継にござる。宜しくお見知りおきのほどを」
輝宗は好もしい眼をして義継を見上げた。
「よう来られた。相も変わらず、長いばかりでさして動きのない陣となっておる故、どうか気を張らずに、諸将とも親睦を深めていって貰えたら、嬉しく思う。のう山城」
基信も主君ほどのくだけた格好でこそないが、軍装は解いている。主君に対しても、顕綱ら客将に対しても、堅苦しい言葉遣いをすることはなく、かと云って無礼を感じさせることもない、不思議な好漢である。
主君に対し「そうですな」と答えると、義継に「では後ほど、戦陣の案内かたがた、諸将を紹介致します」と微笑んだ。
「早速ですが、一つ、お願いしたき儀がござります」
申し入れたのは顕綱である。
「ふむ、何かの」
「顕綱の名を変えたいと思うております」
輝宗は大口を開けて笑った。
「さもあろうさもあろう。遅すぎるほどじゃ。慎重な其方らしいがの。……言うておくが、其方は儂の麾下にはしないから、『宗』の字は与えぬぞ。それで良ければ何か考えておこう」
輝宗の言葉通り、戦さは小競り合いともつかぬせめぎ合いが散発的に行われる程度だったが、それでも対陣が長年に亙っている以上、累計の死傷者数は莫迦にできない。特に、国力的に劣勢な相馬方は深刻だろう。
大きな動きもないまま長期に及んでいる陣の中では、諸将、功を挙げる機会とてそうはない。自然、様々な慰みで以って戦陣の緊張を保ち、且つ仲間内での武勇を競うこととなる。
その一つとして「乗懸」というものが盛んに行われていた。
これは、朝夕のかわたれどき、ただ一騎にて敵本陣の金山城下まで駆け入り、通行人や建物の柱に一太刀斬り付けて帰ってくるというものである。
これにより、金山の町人は毎日恐怖に晒された。そこで町人達は対策を講じ、協力して町中の至る所に落とし穴を掘った。
既に何名かの伊達軍の将士は、この穴に嵌って命を落としている。
顕綱は自分の麾下に、真似せぬよう厳命した。
顕綱と義継の滞陣中にも乗懸で命を落とした者がいたが、そんなことがあると若い将士達は逆に剥きになり、競って後に続くのだった。
輝宗を始めとする首脳陣は、これを奨めている訳では勿論ないが、かといって禁止してもいない。一緒になって面白がっている風にも見える。
顕綱はその様子を見て、この戦さは外部から身を入れて調停しようとする者が出て来ぬ限り終わらないと確信した。それは恐らく田村清顕になるだろうと。
義継は、相変わらず不穏な新領安積郡北部のこともあって、余り長期に亙って本拠を留守にする訳にもいかないことから、ひと月程度の滞陣で引き上げることになった。
よって顕綱もそれに倣った。
顕綱が輝宗の陣所へ辞去の挨拶に訪れると、輝宗の脇に若武者がいた。
「備前殿、これが藤次郎政宗だ。政宗、こちらが塩松殿だ」
若武者は、まだ幼さの残る顔立ちながらも、目つきばかりは父にも増してギラギラと怪しく光っている。顕綱も話には聞いていたが、隻眼との噂通り右目が開くことはなかった。